2021年12月14日 (火) | 編集 |
その街には、恐ろしい記憶がある。
ファッションデザイナー志望のエリーがロンドンで見つけたのは、いわゆる訳ありの部屋。
その部屋で眠ったエリーは、夢の中で60年代のソーホーに生きる、同世代の女性サンディの記憶を追体験する。
霊媒体質のエリーは、幽霊の記憶かも知れないと思いつつ、60年代のファッションや音楽に憧れていることもあって、華やかなソーホー生活を満喫。
しかし、やがて彼女はネオンの海に隠された、おぞましい事実を知ってしまう。
お洒落で禍々しく、ちょっと悪趣味で、めちゃめちゃ面白い。
エドガー・ライトは、またしても未見性たっぷりの、驚くべき傑作をものにした。
主人公のエロイーズ(エリー)を、「ジョジョ・ラビット」のユダヤ人少女役で注目されたトーマシン・マッケンジー、サンディをアニャ・テイラー=ジョイが演じる。
ダニエル・グレイク版「007」5部作の原型となった「女王陛下の007」で、シリーズ史上だだ一人、ボンドの正式な妻となるテレサを演じたダイアナ・リグが、キーパーソンとなるミズ・コリンズ役で出演し、これが遺作となった。
パク・チャヌク作品で知られる撮影監督のチョン・ジョンフンが、二つの時代のロンドンを活写し、素晴らしい仕事をしている。
※核心部分に触れています。
コーンウォール地方の片田舎、レッドルースに住むエロイーズ“エリー”・ターナー(トーマシン・マッケンジー)は霊媒体質で、7歳の頃に自殺した母の姿を今も見ている。
60年代の音楽とファッションをこよなく愛するエリーは、ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションに進学するため上京し、学生寮に入るのだが、パリピだらけの環境に馴染めず、ミズ・コリンズ(ダイアナ・リグ)という年配の女性が所有する家の、屋根裏部屋を借りることにする。
レトロな雰囲気の部屋で眠りにつくと、夢の中でエリーは60年代のソーホーで、歌手を目指すサンディ(アニャ・レイラー=ジョイ)になっている。
エリーと同年代のサンディは、カフェ・ド・パリでジャック(マット・スミス)と名乗る優男と出会うと、彼の手引きでクラブのオーディションを受けて合格。
その未来は希望に満ちているように見えた。
毎日のように夢の中でサンディとなることで、強い影響を受けたエリーはサンディをイメージした服をデザインし、髪も彼女と同じ金髪に染めて、自分とサンディを同一視しはじめる。
しかし、夢の中のサンディは、次第に精気を失ってゆく。
黄金時代の華やかなソーホーは、ショービズ志望の若い女性たちが、男たちに搾取される場所でもあったのだ・・・
「ベイビー・ドライバー」で新境地に達し、一皮剥けたエドガー・ライト、今回もキレキレだ。
古き良き過去の時代への憧れは、たぶん世界中にある。
例えば、本作と似たタイトルの「ミッドナイト・イン・パリ」では、現在の主人公が理想の時代と考えている20年代のパリにタイムスリップしてしまうし、日本の「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズなどは、いわば映像で体験する美化された昭和のテーマパークだ。
しかしノスタルジーの裏側にある、不都合な事実にスポットライトは当たらない。
治安の悪さだったり、様々な差別、社会的な不平等など、現在から見たら考えられないレベルのネガティブな要素は、メディアの中では描写されず、忘れさられている。
多少の揺り戻しはあれど、民主主義を維持してきたほとんどの社会は、数十年、百年という長期的なスパンで見れば、ベターに変化してしている。
100年前には多くの国で女性参政権はなく、アメリカで人種間の平等を定めた公民権法が施行されたのは、たった半世紀前のことなのだ。
イギリスでも日本でも、もしも現在の若者が実際に半世紀前にタイムスリップしたら、そこで見るのは自分の常識が全く通用しない、とんでもないディストピアだろう。
本作の主人公のエリーも、亡き母が愛した60年代のファッションや音楽が大好き。
ロンドンで入居した訳ありの部屋で、サンディの記憶と夢の中でリンクしても、霊媒体質でもともと幽霊の存在が身近だったこともあって、気味悪がるどころか憧れの時代を満喫。
学校では60年代風のデザインを目指し、髪色をブロンドに染め、自分自身の風貌までサンディに似せてゆく。
しかし彼女は、まだ知らないのだ。
半世紀前の華やかなネオンの裏側で、ショービズでの成功を夢見た若い女性たちが、本当はどんな目にあっていたのか。
才能と自信に満ち溢れていたサンディは、瞬く間にヒモ化したジャックによって性的に搾取されるようになる。
やがてエリーが、サンディの夢の墓場となったソーホーで、彼女の身に起こった恐ろしい事件を目撃すると、夢が現実を侵食し始める。
二つの世界は境界を失い、幽霊たちがエリーの日常に出没。
この状況に至って、彼女はサンディの迷える霊と自らの人生を救うために、彼女を殺した犯人を探し始めるのだが、ここで彼女が疑いの目を向ける謎の男を演じるのが、なんとテレンス・スタンプ!
フェデリコ・フェリーニが撮った、オムニバス映画「世にも奇妙な物語」の第三話「悪魔の首飾り」でスタンプが演じた、現実と幻想が混濁した世界に生きる俳優の役は素晴らしかったが、その彼が似たような状況に陥ったエリーを惑わせるキャラクターを演じるとは。
ちなみに劇中で「007 サンダーボール作戦」が封切られていることから、時代設定は1965年。
この年にスタンプが主演したのが、好きになった女性を拉致し、地下室に監禁する孤独な犯罪者を演じた傑作「コレクター」だった。
わかっていたけど、やっぱりエドガー・ライトは相当なオタクだな。
半世紀の時代の隔たりを、鏡を使った凝りに凝った演出と、極めて印象的に使われる「Downtown」をはじめ、作者拘りの選曲のポップミュージックが繋いでゆく。
本作において、音楽は基本的に登場人物の心象表現であり、同じ楽曲でも使われるシーンによって意味が異なって来るのも注目すべきポイントだ。
60年代という時代そのものがフィーチャーされ、恐怖のメタファーとなるのは、台湾映画の「返校 言葉が消えた日」を思わせるが、分かりやすく白色テロの恐怖の時代を舞台としたあの作品に対して、こちらは一見すると華やかな紳士の国の、仮面の下にある男たちの醜さが強調されているのが特徴だろう。
物語の展開は全く先を読ませないが、特筆すべきは過去がエリーの現在を侵食し始め、ある時点を境にしてガラッと物語の世界観が変化する過程だ。
今まで見ていた世界がひっくり返るのだが、その先にある感情は恐怖というよりも、残酷な運命に翻弄され、モンスターから身を守るため、別のモンスターとなってしまった者への共感と哀れみ。
彼女がモンスターへ変貌するプロセスは、おそらくカトリーヌ・ドヌーヴ主演の「反撥」(これも65年の作品!)にインスパイアされている。
ブロンドのキャラクターや、床や壁から幽霊が飛び出して来る描写はこの作品へのオマージュだろうが、監督がポランスキーなのが皮肉。
この部分の畳み掛けるような展開は、豊富な映画的記憶に裏打ちされたもので、“円熟”なんていうライトには似つかわしくない言葉を連想してしまった。
エリーが見たのは遠い過去に起こった悲しい物語だが、序盤のタクシー運転手のエピソードなど、#MeeTooの時代である現在への言及にも抜かりはない。
昔も今も、彼女たちは「望んでない」のだ。
お洒落こわいホラーとしても、時代を巡るミステリとしても一級品。
まん丸に目を見開いた、マッケンジーのサイコっぽさも雰囲気を高めている。
ところで、ジェームズ・ディアデン監督が1984年に発表した、「コールド・ルーム」という作品がある。
東ベルリンで暮らす父を訪ねた17歳の少女カーラの心が、戦争中に同じホテルの隠し部屋にユダヤ人青年を匿っていた同世代の女性クリスタの記憶とリンクしてしまう。
やがてカーラは急速にクリスタの影響を受けて、別人の様になってゆく、という物語。
アボリアッツ国際ファンタスティック映画祭で審査員特別賞を受賞し、第一回東京国際ファンタスティック映画祭でも上映された作品で、当時その界隈の映画ファンにはそれなりに話題になった。
設定の酷似っぷりを見ても、本作にも一定の影響を与えていそうだが、残念ながら80年代にビデオが出て以降、国内ではソフト化されておらず、本国でもblu-ray化はされてない模様。
私の記憶ではなかなかにムーディな佳作で、特にマイケル・ナイマンが手掛けた切なげなテーマ曲は今でも口ずさめる。
本作の源流の一つとしても、どこか再販してくれないだろうか。
今回はロンドン・カレッジ・オブ・ファッションのパリピ御用達「イエーガー・マイスター」をチョイス。
イエーガー・マイスターはドイツのリキュールで、甘めで香草の風味が強い。
香草は食欲を刺激するので、アペリティフとしてよく飲まれるそう。
パリピたちも遊びに繰り出す前にショットグラスで飲んでたから、まことに正しい。
しかしあのめっちゃ騒がしい寮は、私でも嫌だな。
幽霊が出ても、一人暮らしがいいや。
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ファッションデザイナー志望のエリーがロンドンで見つけたのは、いわゆる訳ありの部屋。
その部屋で眠ったエリーは、夢の中で60年代のソーホーに生きる、同世代の女性サンディの記憶を追体験する。
霊媒体質のエリーは、幽霊の記憶かも知れないと思いつつ、60年代のファッションや音楽に憧れていることもあって、華やかなソーホー生活を満喫。
しかし、やがて彼女はネオンの海に隠された、おぞましい事実を知ってしまう。
お洒落で禍々しく、ちょっと悪趣味で、めちゃめちゃ面白い。
エドガー・ライトは、またしても未見性たっぷりの、驚くべき傑作をものにした。
主人公のエロイーズ(エリー)を、「ジョジョ・ラビット」のユダヤ人少女役で注目されたトーマシン・マッケンジー、サンディをアニャ・テイラー=ジョイが演じる。
ダニエル・グレイク版「007」5部作の原型となった「女王陛下の007」で、シリーズ史上だだ一人、ボンドの正式な妻となるテレサを演じたダイアナ・リグが、キーパーソンとなるミズ・コリンズ役で出演し、これが遺作となった。
パク・チャヌク作品で知られる撮影監督のチョン・ジョンフンが、二つの時代のロンドンを活写し、素晴らしい仕事をしている。
※核心部分に触れています。
コーンウォール地方の片田舎、レッドルースに住むエロイーズ“エリー”・ターナー(トーマシン・マッケンジー)は霊媒体質で、7歳の頃に自殺した母の姿を今も見ている。
60年代の音楽とファッションをこよなく愛するエリーは、ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションに進学するため上京し、学生寮に入るのだが、パリピだらけの環境に馴染めず、ミズ・コリンズ(ダイアナ・リグ)という年配の女性が所有する家の、屋根裏部屋を借りることにする。
レトロな雰囲気の部屋で眠りにつくと、夢の中でエリーは60年代のソーホーで、歌手を目指すサンディ(アニャ・レイラー=ジョイ)になっている。
エリーと同年代のサンディは、カフェ・ド・パリでジャック(マット・スミス)と名乗る優男と出会うと、彼の手引きでクラブのオーディションを受けて合格。
その未来は希望に満ちているように見えた。
毎日のように夢の中でサンディとなることで、強い影響を受けたエリーはサンディをイメージした服をデザインし、髪も彼女と同じ金髪に染めて、自分とサンディを同一視しはじめる。
しかし、夢の中のサンディは、次第に精気を失ってゆく。
黄金時代の華やかなソーホーは、ショービズ志望の若い女性たちが、男たちに搾取される場所でもあったのだ・・・
「ベイビー・ドライバー」で新境地に達し、一皮剥けたエドガー・ライト、今回もキレキレだ。
古き良き過去の時代への憧れは、たぶん世界中にある。
例えば、本作と似たタイトルの「ミッドナイト・イン・パリ」では、現在の主人公が理想の時代と考えている20年代のパリにタイムスリップしてしまうし、日本の「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズなどは、いわば映像で体験する美化された昭和のテーマパークだ。
しかしノスタルジーの裏側にある、不都合な事実にスポットライトは当たらない。
治安の悪さだったり、様々な差別、社会的な不平等など、現在から見たら考えられないレベルのネガティブな要素は、メディアの中では描写されず、忘れさられている。
多少の揺り戻しはあれど、民主主義を維持してきたほとんどの社会は、数十年、百年という長期的なスパンで見れば、ベターに変化してしている。
100年前には多くの国で女性参政権はなく、アメリカで人種間の平等を定めた公民権法が施行されたのは、たった半世紀前のことなのだ。
イギリスでも日本でも、もしも現在の若者が実際に半世紀前にタイムスリップしたら、そこで見るのは自分の常識が全く通用しない、とんでもないディストピアだろう。
本作の主人公のエリーも、亡き母が愛した60年代のファッションや音楽が大好き。
ロンドンで入居した訳ありの部屋で、サンディの記憶と夢の中でリンクしても、霊媒体質でもともと幽霊の存在が身近だったこともあって、気味悪がるどころか憧れの時代を満喫。
学校では60年代風のデザインを目指し、髪色をブロンドに染め、自分自身の風貌までサンディに似せてゆく。
しかし彼女は、まだ知らないのだ。
半世紀前の華やかなネオンの裏側で、ショービズでの成功を夢見た若い女性たちが、本当はどんな目にあっていたのか。
才能と自信に満ち溢れていたサンディは、瞬く間にヒモ化したジャックによって性的に搾取されるようになる。
やがてエリーが、サンディの夢の墓場となったソーホーで、彼女の身に起こった恐ろしい事件を目撃すると、夢が現実を侵食し始める。
二つの世界は境界を失い、幽霊たちがエリーの日常に出没。
この状況に至って、彼女はサンディの迷える霊と自らの人生を救うために、彼女を殺した犯人を探し始めるのだが、ここで彼女が疑いの目を向ける謎の男を演じるのが、なんとテレンス・スタンプ!
フェデリコ・フェリーニが撮った、オムニバス映画「世にも奇妙な物語」の第三話「悪魔の首飾り」でスタンプが演じた、現実と幻想が混濁した世界に生きる俳優の役は素晴らしかったが、その彼が似たような状況に陥ったエリーを惑わせるキャラクターを演じるとは。
ちなみに劇中で「007 サンダーボール作戦」が封切られていることから、時代設定は1965年。
この年にスタンプが主演したのが、好きになった女性を拉致し、地下室に監禁する孤独な犯罪者を演じた傑作「コレクター」だった。
わかっていたけど、やっぱりエドガー・ライトは相当なオタクだな。
半世紀の時代の隔たりを、鏡を使った凝りに凝った演出と、極めて印象的に使われる「Downtown」をはじめ、作者拘りの選曲のポップミュージックが繋いでゆく。
本作において、音楽は基本的に登場人物の心象表現であり、同じ楽曲でも使われるシーンによって意味が異なって来るのも注目すべきポイントだ。
60年代という時代そのものがフィーチャーされ、恐怖のメタファーとなるのは、台湾映画の「返校 言葉が消えた日」を思わせるが、分かりやすく白色テロの恐怖の時代を舞台としたあの作品に対して、こちらは一見すると華やかな紳士の国の、仮面の下にある男たちの醜さが強調されているのが特徴だろう。
物語の展開は全く先を読ませないが、特筆すべきは過去がエリーの現在を侵食し始め、ある時点を境にしてガラッと物語の世界観が変化する過程だ。
今まで見ていた世界がひっくり返るのだが、その先にある感情は恐怖というよりも、残酷な運命に翻弄され、モンスターから身を守るため、別のモンスターとなってしまった者への共感と哀れみ。
彼女がモンスターへ変貌するプロセスは、おそらくカトリーヌ・ドヌーヴ主演の「反撥」(これも65年の作品!)にインスパイアされている。
ブロンドのキャラクターや、床や壁から幽霊が飛び出して来る描写はこの作品へのオマージュだろうが、監督がポランスキーなのが皮肉。
この部分の畳み掛けるような展開は、豊富な映画的記憶に裏打ちされたもので、“円熟”なんていうライトには似つかわしくない言葉を連想してしまった。
エリーが見たのは遠い過去に起こった悲しい物語だが、序盤のタクシー運転手のエピソードなど、#MeeTooの時代である現在への言及にも抜かりはない。
昔も今も、彼女たちは「望んでない」のだ。
お洒落こわいホラーとしても、時代を巡るミステリとしても一級品。
まん丸に目を見開いた、マッケンジーのサイコっぽさも雰囲気を高めている。
ところで、ジェームズ・ディアデン監督が1984年に発表した、「コールド・ルーム」という作品がある。
東ベルリンで暮らす父を訪ねた17歳の少女カーラの心が、戦争中に同じホテルの隠し部屋にユダヤ人青年を匿っていた同世代の女性クリスタの記憶とリンクしてしまう。
やがてカーラは急速にクリスタの影響を受けて、別人の様になってゆく、という物語。
アボリアッツ国際ファンタスティック映画祭で審査員特別賞を受賞し、第一回東京国際ファンタスティック映画祭でも上映された作品で、当時その界隈の映画ファンにはそれなりに話題になった。
設定の酷似っぷりを見ても、本作にも一定の影響を与えていそうだが、残念ながら80年代にビデオが出て以降、国内ではソフト化されておらず、本国でもblu-ray化はされてない模様。
私の記憶ではなかなかにムーディな佳作で、特にマイケル・ナイマンが手掛けた切なげなテーマ曲は今でも口ずさめる。
本作の源流の一つとしても、どこか再販してくれないだろうか。
今回はロンドン・カレッジ・オブ・ファッションのパリピ御用達「イエーガー・マイスター」をチョイス。
イエーガー・マイスターはドイツのリキュールで、甘めで香草の風味が強い。
香草は食欲を刺激するので、アペリティフとしてよく飲まれるそう。
パリピたちも遊びに繰り出す前にショットグラスで飲んでたから、まことに正しい。
しかしあのめっちゃ騒がしい寮は、私でも嫌だな。
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