2021年12月23日 (木) | 編集 |
あゝ、郷愁のナポリよ。
1980年代、当時世界最高のサッカー選手だった、アルゼンチン代表のマラドーナ移籍の噂に揺れるイタリア南部の都市ナポリ。
街では、巨匠フェデリコ・フェリーニが、映画撮影の準備を進めている。
主人公は、フィリッポ・スコッティ演じる高校生のファビエット。
あまり社交的ではなく、親友や恋人もおらず、大学では哲学を専攻したいと思っているが、まだ何者かになった自分を想像できてはいない。
思春期の迷いの真っ只中にいる、ごく平凡な少年だ。
これは「グレート・ビューティー/追憶のローマ」などで知られる、ナポリ出身のパオロ・ソレンティーノ監督の自伝的な物語で、いわばソレンティーノ版「ROMA/ローマ」である。
映画は、ファビエットにとって、憧れのミューズである美しい叔母パトリツィアが、ナポリの守護聖人の聖ジェナーロを名乗る男と、この地方の伝説にある小さな僧の姿をした妖精、モナシエロと出会うという、シュールな描写から始まる。
出会った人にお金をくれるという伝説通り、モナシエロがパトリツィアにお金を渡し、ジェナーロは不妊に悩んでいる彼女に、これで妊娠できると話す。
しかしパトリツィアのバッグにお金が入っているのを見た夫は、彼女が売春したと怒り狂い、暴力を振るうのだ。
この冒頭部分が象徴する様に、本作は時に奇妙で超自然的、時にリアリスティックなシチュエーションが絡み合って進行する。
代々この街に暮らすファビエットの周りには、心を病んだパトリツィア以外にも、ちょっとエキセントリックな人々がたくさん。
俳優志望でオーディションに落ちてばかりの兄に、なぜかトイレに引きこもって出てこない姉。
両親の仲はいいが、父親には愛人がいる。
親戚のジェンティーレ夫人はナポリ一の意地悪で、その息子のジェッピーノは賄賂をもらって羽振りがいい。
上の階のマダムは、自称スーパープッシーの持ち主だ。
思春期の少年の憧れの歳上の女性への想いが、全体の軸となる物語の基本構造は、明らかにフェリーニへのオマージュ。
ファビエットとパトリツィアの関係は、1920年生まれのフェリーニが、自らの少年時代を描いた「フェリーニのアマルコルド」の主人公チッタとグラデスカによく似ている。
決して報われない恋に悶々としているある日、ファビエットの人生を、突然の悲劇が襲う。
平凡な日常を一瞬にして消し去るこの出来事も、実際にソレンティーノの身に起こった事実だそうだが、この時間接的に彼の命を救った者こそ、“神の手”マラドーナなのである。
そして、この事件によって抱えた心の傷と葛藤が、映画作家としての彼の長い道のりの始まりとなるのだ。
劇中で、ファビエットが後にソレンティーノの人生に決定的なチャンスをもたらす、アントニオ・カプアーノと出会うシーンがある。
このエピソード自体は事実かどうか分からないが、カプアーノはナポリを拠点に、舞台、映画、テレビで活躍していた人物で、1998年に監督した「Polvere di Napoli」の共同執筆を当時28歳だったソレンティーノに依頼。
これが彼の脚本家としてのデビュー作となる。
フェリーニはアイドルだが、実際の人生に直接影響を与えたのはカプアーノ。
二人の“師匠”へのリスペクトが溢れ、カプアーノとの会話を通して、ソレンティーノの映画監督としての核心がパワフルに表現されている。
もう一つ興味深いのが、ナポリ人のアイデンティティが物語の背景となっていること。
元々南部イタリアは、19世紀までナポリ王国という独立国だった。
統一後は産業化が進められた北部との経済格差、地域差別に苦しんだ感情が、フォークランド紛争で敗れたイングランド相手に、W杯で伝説の神の手ゴールを決めたおらが町のスター、マラドーナへの判官贔屓に繋がっている。
その神の手によって命を救われたファビエットにとって、マラドーナはまさに世界最強の守護聖人であり、モナシエロの祝福を受けるのも当然。
未来を見据える少年はそれまでの小さな世界を脱し、南でもなく北でもない、永遠の都ローマへと旅立ってゆく。
イタリア文化の粋が詰まった、素晴らしい仕上がりの青春映画だ。
南イタリアはワインどころ。
今回はナポリ近郊のワイナリー、モンテヴェトラーノの赤ワイン「コーレ アリアニコ」をチョイス。
イタリア名産の黒ぶどう、アリアニコ100%で作られた赤は、元々写真家だったシルヴィア・インパラートが、ワイン好きが高じて自分でも作り始めた結果だと言うから驚かされる。
ふくよかなフルボディで、果実味が濃厚。
イタリアワインらしく、CPも十分に高い。
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1980年代、当時世界最高のサッカー選手だった、アルゼンチン代表のマラドーナ移籍の噂に揺れるイタリア南部の都市ナポリ。
街では、巨匠フェデリコ・フェリーニが、映画撮影の準備を進めている。
主人公は、フィリッポ・スコッティ演じる高校生のファビエット。
あまり社交的ではなく、親友や恋人もおらず、大学では哲学を専攻したいと思っているが、まだ何者かになった自分を想像できてはいない。
思春期の迷いの真っ只中にいる、ごく平凡な少年だ。
これは「グレート・ビューティー/追憶のローマ」などで知られる、ナポリ出身のパオロ・ソレンティーノ監督の自伝的な物語で、いわばソレンティーノ版「ROMA/ローマ」である。
映画は、ファビエットにとって、憧れのミューズである美しい叔母パトリツィアが、ナポリの守護聖人の聖ジェナーロを名乗る男と、この地方の伝説にある小さな僧の姿をした妖精、モナシエロと出会うという、シュールな描写から始まる。
出会った人にお金をくれるという伝説通り、モナシエロがパトリツィアにお金を渡し、ジェナーロは不妊に悩んでいる彼女に、これで妊娠できると話す。
しかしパトリツィアのバッグにお金が入っているのを見た夫は、彼女が売春したと怒り狂い、暴力を振るうのだ。
この冒頭部分が象徴する様に、本作は時に奇妙で超自然的、時にリアリスティックなシチュエーションが絡み合って進行する。
代々この街に暮らすファビエットの周りには、心を病んだパトリツィア以外にも、ちょっとエキセントリックな人々がたくさん。
俳優志望でオーディションに落ちてばかりの兄に、なぜかトイレに引きこもって出てこない姉。
両親の仲はいいが、父親には愛人がいる。
親戚のジェンティーレ夫人はナポリ一の意地悪で、その息子のジェッピーノは賄賂をもらって羽振りがいい。
上の階のマダムは、自称スーパープッシーの持ち主だ。
思春期の少年の憧れの歳上の女性への想いが、全体の軸となる物語の基本構造は、明らかにフェリーニへのオマージュ。
ファビエットとパトリツィアの関係は、1920年生まれのフェリーニが、自らの少年時代を描いた「フェリーニのアマルコルド」の主人公チッタとグラデスカによく似ている。
決して報われない恋に悶々としているある日、ファビエットの人生を、突然の悲劇が襲う。
平凡な日常を一瞬にして消し去るこの出来事も、実際にソレンティーノの身に起こった事実だそうだが、この時間接的に彼の命を救った者こそ、“神の手”マラドーナなのである。
そして、この事件によって抱えた心の傷と葛藤が、映画作家としての彼の長い道のりの始まりとなるのだ。
劇中で、ファビエットが後にソレンティーノの人生に決定的なチャンスをもたらす、アントニオ・カプアーノと出会うシーンがある。
このエピソード自体は事実かどうか分からないが、カプアーノはナポリを拠点に、舞台、映画、テレビで活躍していた人物で、1998年に監督した「Polvere di Napoli」の共同執筆を当時28歳だったソレンティーノに依頼。
これが彼の脚本家としてのデビュー作となる。
フェリーニはアイドルだが、実際の人生に直接影響を与えたのはカプアーノ。
二人の“師匠”へのリスペクトが溢れ、カプアーノとの会話を通して、ソレンティーノの映画監督としての核心がパワフルに表現されている。
もう一つ興味深いのが、ナポリ人のアイデンティティが物語の背景となっていること。
元々南部イタリアは、19世紀までナポリ王国という独立国だった。
統一後は産業化が進められた北部との経済格差、地域差別に苦しんだ感情が、フォークランド紛争で敗れたイングランド相手に、W杯で伝説の神の手ゴールを決めたおらが町のスター、マラドーナへの判官贔屓に繋がっている。
その神の手によって命を救われたファビエットにとって、マラドーナはまさに世界最強の守護聖人であり、モナシエロの祝福を受けるのも当然。
未来を見据える少年はそれまでの小さな世界を脱し、南でもなく北でもない、永遠の都ローマへと旅立ってゆく。
イタリア文化の粋が詰まった、素晴らしい仕上がりの青春映画だ。
南イタリアはワインどころ。
今回はナポリ近郊のワイナリー、モンテヴェトラーノの赤ワイン「コーレ アリアニコ」をチョイス。
イタリア名産の黒ぶどう、アリアニコ100%で作られた赤は、元々写真家だったシルヴィア・インパラートが、ワイン好きが高じて自分でも作り始めた結果だと言うから驚かされる。
ふくよかなフルボディで、果実味が濃厚。
イタリアワインらしく、CPも十分に高い。

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