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ウエスト・サイド・ストーリー・・・・・評価額1750円
2022年02月12日 (土) | 編集 |
愛は、分断を超えられるのか?

古今東西のキャラクターが大集合したお祭り映画「レディ・プレイヤー1」から3年、スティーヴン・スピルバーグ最新作は、ロバート・ワイズが監督し、アカデミー賞10部門に輝いた映画版でも知られる、伝説的なブロードウェー・ミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」の再映画化。
意外にも、スピルバーグにとっては、劇場用長編映画32本目にして初のミュージカル作品だ。シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」をモチーフに、それ自体がすでに古典となったアーサー・ローレンツの戯曲を、「リンカーン」のトニー・クシュナーが新たに脚色。
運命の恋人トニーとマリアを、「ベイビー・ドライバー」のアンセル・エルゴートと、3万人以上の候補者の中から選ばれた新星、レイチェル・ゼグラーが瑞々しく演じる。
スピルバーグと撮影監督ヤヌス・カミンスキーの名コンビは、半世紀以上前に作られた物語を、現代アメリカの深刻な社会分断の問題と重ね合わせ、躍動感あふれるモダンなミュージカル活劇へと生まれ変わらせた。
もちろん、作曲レナード・バーンスタイン、歌詞スティーヴン・ソンドハイムによる名曲の数々は、そのまま使われている。

1950年代のニューヨーク。
マンハッタンの西側の区画(ウェスト・サイド)は、再開発のために立ち退きと取り壊しが進んでいる。
この街ではポーランド系移民の若者たちで組織されたジェッツと、プエルトリコ系新移民のシャークスという二つのストリートギャングのグループが抗争を繰り広げていた。
シャークスのリーダーで、ボクサーのベルナルド(デヴィッド・アルヴァレス)の妹マリア(レイチェル・ゼグラー)は、ニューヨークにやって来て初めてのダンスパーティーで、トニー(アンセル・エルゴート)と名乗る青年と出会い、瞬く間に恋に落ちる。
しかしトニーは、リフ(マイク・ファイスト)と共にジェッツを作った元リーダー。
仮釈放中の今は、ヴァレンティナ(リタ・モレノ)の店に住み込みで働いているが、シャークスから目の敵にされている。
周りの目を逃れてデートするトニーとマリアだが、シャークスとジェッツは街の縄張りを賭けた集団決闘へと突き進む。
兄の身を案じたマリアは、トニーに決闘を止めて欲しいと頼むのだが、事態は最悪の方向に進んでしまう・・・・・

多少の設定の変化はあるが、物語の展開も時間配分も、ロバート・ワイズ版の旧作とほとんど同じ。
これは両作が、オリジナルの戯曲に忠実に作られているからだろう。
私が1961年に作られたワイズ版をはじめて観たのは、たぶん80年代の半ばごろだったと思う。
物語自体は「ロミオとジュリエット」を下敷きにした普遍的なもので、面白く観たのだが、正直言って「これがアカデミー賞10部門?」と思ったのも事実。
名作と言われる映画には、普遍性に優れた作品と時事性を優先した作品があって、これはいわば二つのハイブリッド。
普遍性の部分はいつ観ても響くのだが、制作されてから四半世紀後に初鑑賞した当時の私には、アメリカの社会事情を背景とした時事性が伝わらなかったのだ。

「ロミオとジュリエット」のキャピュレット家とモンタギュー家の対立に当たるのが、ポーランド系が中心のジェッツと、プエルトリコ系のシャークスという二つの民族系ストリートギャング
ポーランド系移民の歴史自体は、16世紀のロアノーク植民地にまで遡るのだが、18世紀末から20世紀初頭にかけて、ポーランドが周辺列強国によって分割され、国が滅亡したことで、新大陸に渡る移民が急増。
彼らはアイルランド系やスコットランド系、イタリア系などと同じく、言わば遅れてきた移民で、成功する者がいた反面、パイの分け前にありつけず、都市のスラムに暮らす者も少なくなかった。
本作に登場するジェッツは、そんな貧困層の末裔なのだ。
一方、アメリカのコモンウェルスのプエルトリコでは、原作が書かれた1950年代にアメリカ本土との関係を巡って騒乱が起こり、こちらも多くの若者たちが新天地を求め本土に渡った。
金の無いプエルトリコ系新移民たちは、賃料の安いスラムに居着くしかなく、元々そこにいたポーランド系などのプアホワイトとの軋轢が生まれる。
ジェッツとシャークの対立の背景には、この様な要因があるのだ。

そして、スピルバーグが半世紀以上前に書かれたこの作品を再映画化した理由も、深刻化したアメリカ社会の分断ゆえだろう。
原作が書かれた当時の分断は、異なるエスニックグループ同士の小競り合い。
だが今では、トランプの時代を経たことによって、エスニックグループの違いだけでなく、それまで隠されてきたあらゆる価値観の違いが社会の分断として噴出、可視化されてしまった。
分断が、普通の人にとってもより身近になったのだ。
スピルバーグは、分断のほとんどは、そもそも意味がないか、誤解と偏見に基いたものだという事実を明確化するために、細かなアレンジを効かせている。
旧作では普通の街だったウエスト・サイドが、再開発のために取り壊されつつある区画にチェンジ。
跡地には高級コンドミニアムが立ち並ぶ計画で、当然ながらそこにスラムの住人の居場所など初めから無い。
つまりジェッツもシャークスも、追い出されることが決まってる街を巡って、無益に争っている。

ジェッツは身寄りも仕事もない若者たちで、白人であるという自尊心以外、何も持ってないプアホワイトである点も強調され、むしろプエルトリコ系の方が、仕事には恵まれているように描かれている。
またドクの店の店主を、旧作のアニータ役でアカデミー賞に輝いた、リタ・モレノ(御歳91歳!)演じるプエルトリコ人の未亡人ヴァレンティナとし、両者の間に立たせる。
白人の夫ドクと結婚し、二つのエスニックグループの架け橋だった彼女が歌う「Somewhere」によって、対立の無意味さがより深く伝わってくる様に進化。
逆に警察が露骨にジェッツ贔屓だったり、旧作にあった単純なエスニックグループの抗争を強調する要素は薄まっている。
悲劇的なラストも、旧作では冒頭に出てきたバスケットコートが舞台だが、こちらは葬列の周りの彼らが命を賭けた“縄張り”のほとんどが瓦礫の山になっていて、不毛さが強く印象付けられる。
痒い部分に手が届く巧みなアレンジによって、本来似たような境遇にいる、底辺の人間同士の無益な争いだという核心部分を明確化したことで、あくまでも純愛を貫いた恋人たちの悲劇性が強まり、半世紀前に書かれた物語が、21世紀のアメリカ社会が抱える分断にダイレクトにリンクするという訳だ。

しかし、ストーリー的な補完以外で、真に圧巻なのは、映像がどれほどのことを語れるかというカメラ演出だ。
どんな映画も、最後はカメラをどう使いこなすかで勝負が決まる。
これは単なるカメラワークや画角の話ではなく、色彩やアクションのタイミングなども含めた総合的なカメラ演出のことで、これに関してはロバート・ワイズじゃなくても、誰もスピルバーグには敵わない。
まるで舞台をそのままカメラで切り取ったかの様な、箱庭的世界観だった旧作と比べると、本作は空間の使い方が遥かにダイナミックだ。
例えば、トニーとマリアが初めて出会う、ダンスパーティーのシーン。
一見してパーティー会場がずっと大きいのだが、その空間を目一杯に使ったジェッツとシャークスのダンス合戦では、色彩設計も見事。
青を中心とした寒色系の衣装で統一されたジェッツと、オレンジなどの暖色系のシャークス。
その群舞の中に一人だけ、真っ白なドレスを着たマリアが浮かび上がるのである。
彼女のドレスが白なのは旧作もそうだったが、ここではそれぞれのカラーに染まった両者の間で、マリアだけが固定観念に縛られていない無垢な存在だということが、最大限強調される。

また旧作と比較して圧倒的に素晴らしいのが、アメリカ社会へのシャークスの男女の認識の違いを歌った「America」のシークエンスの構成だ。
女たちはいろいろ問題はあっても新天地での夢と希望を歌い、対照的に男たちは様々な困難と白人への敵愾心を歌う。
旧作では溜まり場のビルの屋上だけで終わってしまうシークエンスだが、本作ではウェストサイドの街全体を使って、カラフルな衣装を身にまとった女たちが躍動するのだ。
この辺りは、旧作よりもむしろ現在の移民社会を描いた「イン・ザ・ハイツ」を思わせるもので、小さなグループにまとまる傾向のある男たちに対し、女たちの開放性を表現した素晴らしい演出だった。
ダンスの振り付けと、縦横無尽なカメラワークの見事なシンクロっぷりは、まさにスピルバーグ。
彼がミュージカル映画を作るのは本作が初めてだが、ミュージカルシークエンスは1984年の「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」のオープニングで披露している。
当時、カメラとダンスが一体化し、ダイナミックに展開する演出に驚き、いつかスピルバーグのミュージカルを観たいと思っていたが、待つこと38年目にしてようやく叶った。

1961年当時にあっては、ロバート・ワイズ版も十分に説得力のある作品だったのだと思うが、スピルバーグ版は間違いなく2021年という時代に呼ばれた作品だ。
この二本の似て非なる映画は、どっちが良いとかでなく、全く違う時代に必然として生まれた傑作なのである。
世界観がワンカットで分かる、冒頭の長回しからはじまって充実の2時間36分、画面の隅々まで計算され尽くした、巨匠の技をじっくりと堪能させてもらった。

シャークスの故郷、プエルトリコと言えばラム。
今回は「バカルディ 8(エイト)」をチョイス。
世界最大のラム酒のブランド、バカルディのプエルトリコ蒸留所産の上質なラムは、創業者のドン・ファクンド・バカルディのレシピを再現し、アメリカンオーク樽で8年以上熟成した2種類の原酒をブレンド。
コク深く、カクテルベースとしても優れているが、ここは常温のストレートでいただきたい。
少し温めて温燗にしても、香りが立って美味しい。

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