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酒を呑んで映画を観る時間が一番幸せ・・・と思うので、酒と映画をテーマに日記を書いていきます。 映画の評価額は幾らまでなら納得して出せるかで、レイトショー価格1200円から+-が基準で、1800円が満点です。ネット配信オンリーの作品は★5つが満点。
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ナイトメア・アリー・・・・・評価額1700円
2022年03月29日 (火) | 編集 |
悪夢小路にようこそ。

「シェイプ・オブ・ウォーター」で初のオスカーに輝いたギレルモ・デル・トロの最新作。
ウィリアム・リンゼイ・グレシャムが、1946年に発表した「ナイトメア・アリー 悪夢小路」の二度目の映画化となる。
ブラッドリー・クーパー演じる流れ者のスタンが、カーニバルの一座に身を寄せ、そこで読心術のノウハウを身につける。
やがて彼は、一座の人気者のモリーと恋仲となり、独立して都会で独自のショウを行う様になるのだが、読心術で稼げる金に満足できず、心理学者のリッター博士と手を組み、心に傷を抱えた金持ち相手の降霊術という、禁断の果実に手を出してしまう。
デル・トロと彼の妻で映画史家のキム・モーガンが共同で脚本を執筆し、ルーニー・マーラー、ケイト・ブランシェット、リチャード・ジェンキンスら曲者揃いの重厚なキャストが揃った。
ハリウッドデビュー作の「ミミック」以来、デル・トロとは複数回コンビを組んでいる撮影監督、ダン・ローストセンによるムーディーな画作りも素晴らしい。
※核心部分に触れています。

1939年9月。
ナチス・ドイツによるポーランド侵攻のニュースが流れる中、流れ者のスタン・カーライル(ブラッドリー・クーパー)は、巡業中のカーニバルの一座のボス、クレム(ウィレム・デフォー)に気に入られ職を得る。
雑用係として一座に馴染んでゆくスタンだったが、飲んだくれのピート(デヴィッド・ストラザーン)の持つ読心術のスキルに興味を持つ。
ピートはほんの僅かな手がかりから、相手の心の状態を探り、言い当てるという、本当の超能力のような見事な読心術を完成させていた。
彼の技を自分の物にしたいスタンは、泥酔したピートに酒と偽ってメタノールを渡し殺害。
長年の研究をしたためたノートを奪い取り、恋仲になっていた一座の人気者モリー(ルーニー・マーラー)と共にカーニバルを去る。
二年後、スタンとモリーは、都会のホテルで読心術のショウを主催し成功していたが、ある夜彼らのショウの観客として、心理学者のリッター博士(ケイト・ブランシェット)が訪れる。
彼女の挑発をいなしたスタンだったが、金持ちの顧客を多く抱えるリッターに、ある取引を持ちかける・・・・・


いかにもデル・トロらしい、ダークな空気が充満するノワール。
主人公のスタンは、典型的なピカレスク小説のキャラクターだ。
冒頭、彼はいきなり父親の死体を引きずり、建物ごと燃やすというショッキングな登場の仕方をする。
そして飛び乗った長距離バスの終点で、カーニバルの一座と運命的な出会いをするのだ。
人間でありながら、獣のような振る舞いをする“獣人”を売りにする一座で、逃げ出した獣人を捕まえる手伝いをしたことから、スタンは一座のボスであるクレムの知遇を得て雑用の仕事につく。
どこで獣人を見つけるのかとスタンから問われたクレムは、食い詰め者が集まる”悪夢小路”で、行く宛のない流れ者を「一時的な仕事がある」と誘い、アヘン漬けにして理性を奪い、獣人にするのだと言う。
もともと頭が良く、手先の器用なスタンは、みるみる内に一座に受け入れられると、ピートの編み出した読心術という金の生る木に出会う。
彼は、単純なエンターテイメントして人々を喜ばせるのではなく、人の心を惑わすことで金を生み出す、その仕掛けに魅了されるのである。
ショウと言う虚構を、本物に見せることに生きる道を見出したスタンは、やがてピートから言われた警告を忘れ、種も仕掛けもある読心術を、何でも出来ると能力と勘違いしてしまう。
自分の中で、虚構と現実が境界を失ってしまっているのに気付かない。

彼が禁断の扉を開けるきっかけとなるのが、あるホルマリン漬けの標本だ。
クレムは奇形の動物や胎児の標本をコレクションしていて、その中でも出産時に暴れて母親を殺したという、一つ目の巨大な胎児の標本に“エノク”と言う名をつけて大切にしている。
エノクとは、旧約聖書の創世記の登場人物で、現世で死することなく、神に連れられて天上に上がったとされている。
つまり親を殺した禍々しい子でありながら、同時に死を超越した神性を併せ持つ存在だ。
「パシフィック・リム」の怪獣と同じように、デル・トロがエンドクレジットでエノクをどアップで舐め回すように描写していることからも分かるように、物語の筋立てには直接からまない、物言わぬホルマリン漬けの奇形胎児の標本こそが、この物語の影の主役なのだ。
タイトルの“悪夢小路”とは、具体的な地名ではなく、この世の何処にでもある底辺の人間が堕ちて朽ち果てる所。
私はエノクとの出会いこそが、スタンにとっての更なる親殺しの呪いの始まりであり、悪夢小路への鍵だったと思う。

物語の中で、スタンは父親のような年齢の男たちを何人も殺す。
原体験としての実の父親を、実際に手にかける描写は無いが、家ごと死体を燃やす。
そして、読心術の秘密を得るためにピートを殺し、更なる成功を求めた結果ついに嘘が破綻し、降霊術の雇い主であるエズラ・グリンドル判事をも殺すハメになる。
しかし、エノクの呪いを受けたスタンの破滅は、実は綿密に計画されているのだ。
物語のターニングポイントとなるのは、ケイト・ブランシェット演じるリッター博士の登場だ。
彼女によって、息子を亡くした判事のキンボール、次いでドリーという女性への激しい贖罪の念を抱えた、同僚のグリンドル判事に引き合わされたスタンは、身の破滅につながる降霊術に手を出してしまう。
単に相手が何を思っているのかを当てる読心術なら、「へー凄いね」で終わる。
だが、テクニックとしては同じでも、降霊術を求める相手は罪悪感や喪失感といった何らかの心の傷を抱え、死者とのコンタクトを切望している人たちだ。
亡くなった人の魂を呼び出すとうたう偽りの降霊術は、残された者の心を弄ぶ行為。
拝金主義者を自認し、大金を得ようとしたスタンは自分が仕掛けた罠の外に、もう一つの罠があることに気付かず、自分からハマってゆく。

胸に大きな傷を持つリッター博士は、過去に権力者であるグリンドルと何らかのトラブルを抱え、その結果として傷を負ったことを示唆する。
つまり彼女はグリンドルへ恨みを抱いていてもおかしくないのだが、もはや金に目が眩んでいるスタンはそこまで考えが至らない。
グリンドルがコンタクトを取りたがっている亡くなったドリーは、グリンドルの子を出産時に死亡したことになっているので、明示こそされないものの、その時の赤ん坊こそがエノクだということもあり得るだろう。
スタンに呪いをかけ、リッターを利用し、自分の母に酷い扱いをして、彼女の死に贖罪の念を抱いている父グリンドルを殺す。
全ては初めからエノクの復讐だったと考えると、一番しっくり来る。
金銭的な成功こそ全てで、自分はなんでも出来る偉大な男だと勘違いしたスタンは、本当のキレもののリッター博士に取り込まれていることに気付かず、リッター博士の計画もまたエノクの超自然的な呪いに導かれている。

基本的に誰もが腹に一物を持つ物語の中で、唯一の感情移入キャラクターと言えるのが、ルーニー・マーラーが演じるモリーで、このキャラクターを常にスタンと一緒にさせるシナリオ上のポジショニングが秀逸。
第二次世界大戦の勃発という恐怖の時代を背景に、幾つもの伏線と暗喩が一点に収束してゆく、ストーリーテリングの妙は、最後に大きなカタルシスを感じさせる。
スタンをはじめ男性原理的な嗜虐性で罪を犯した者は、女性(リッター)と子供(エノク)から復讐され破滅してゆく。
因果応報の行き着く先は、人間が理性を保てない”悪夢小路”だ。
フィルモグラフィーの中ではファンタジー色は薄いものの、ムーディーなノワールに奇形偏愛もしっかりぶち込んできて、濃いめのデル・トロ節を堪能できる秀作である。

タイトル通りに全体が悪夢を見ているような物語には、「ナイトメア」をチョイス。
ドライ・ジン30ml、デュボネ30ml、チェリー・ブランデー15ml、オレンジジュース15mlを氷と共にシェイクし、グラスに注義、最後にマラスキーノチェリーを飾って完成。
どれほど強いカクテルかと思和される名前だが、実はけっこう飲みやすい。
デュボネの香味とチェリー・ブランデーの甘み、オレンジの酸味が好バランスし、スッキリとした飲み味だ。
ただ、それなりにアルコール度数は高いので、飲み過ぎには注意。

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ショートレビュー「SING/シング:ネクストステージ・・・・・評価学1700円」
2022年03月25日 (金) | 編集 |
目指すはテッペンだ!

軽々と前作を超えてきた。
個性たっぷりの動物キャラクターたちが歌い踊る、イルミネーション制作のミュージカルアニメーション「SING/シング」の第二弾。
前作で劇場存亡の危機を脱し、地元の人気者となった“ニュー・ムーン・シアター”の面々が、今度はラスベガスみたいなショウビズのメッカ、レッドショアシティに進出して、誰も観たことのないショウを作る。
監督・脚本のガース・ジェニングス以下、主要スタッフ、キャストは続投。
マシュー・マコノヒー、リース・ウィザースプーンら、オールスターが集うボイスキャストには、新たに伝説のロックスターの役でU2のボノが参加し、ますます賑やかになった。
冒頭「不思議の国のアリス」の劇中ミュージカルから始まり、ボノ降臨のクライマックスまで観応え聴き応え共に十分の快作だ。

16年に公開された前作は、廃業間近のニュー・ムーン・シアターの支配人バスター・ムーンが、起死回生の企画として新たなスターのオーディションを敢行。
そこへ、それぞれに人生に問題を抱えた動物キャラクターたちが集まり、表現することを通じて大きな世界に向き合い、生き方を変えてゆく。 
オーディション参加者は、生活に疲れた主婦からギャングの息子まで様々で、観客はバラエティ豊かな彼らの誰かに、必ず感情移入できる仕組みだった。
オリジナルではなく、既存の楽曲をうまく物語と組み合わせることも成功していて、バッチリのシチュエーションで知っている曲がかかると否応なしにアガる。

ミュージカル群像劇としてとても良くできていたが、それぞれのキャラクターの葛藤は、前作で解消してしまっている。
そこで今回は、一本のショウを作るプロセスを物語の太い縦軸とし、そこにバスターとショウの主要キャストが新たに抱えた問題を、いくつもの横軸として組み合わせている。
責任者のバスターには、パワハラどころかギャング体質のボス、ジミーとの関係。
ゴリラのジョニーは慣れないダンスの振り付けについて行けず、ゾウのミーナはウブすぎてラブシーンの演技が出来ない。
ショウの主役を務めるママさんブタのロジータは、高所恐怖症でワイヤーアクションでパニックを起こしてしまう。
そして、ゴリ押しで出演することになったジミーの娘のポーシャは、歌は上手いが演技が出来ない。

これらは全てショウを作るプロセスの中での生みの苦しみ
一人ひとりの葛藤は、物語の中で丁寧に解消されてゆくのだが、サブブロットの中で別格として描かれるのが、最愛の妻に先立たれた後15年も隠遁生活を送っている伝説のロックスター、クレイ・キャロウェイのエピソードだ。
愛する者の喪失という彼の問題は、ショウの制作には基本的に関係ない。
しかしショウのログラインを行方不明の宇宙飛行士を探す冒険の旅とし、宇宙飛行士の発見とキャロウェイの復帰をシンクロさせることで、最大限の相乗効果を狙う上手い構成だ。
おそらくキャロウェイのキャラクターはボノに当て書きされていると思うが、スカーレット・ヨハンソン演じるアッシュが歌う「I Still Haven’t Found What I’m Looking For」に応え、ついにステージに姿を現す描写は鳥肌もん。

テリングで非常にセンスを感じさせるのが、劇中劇のディテール表現だ。
本来CGだからなんでもありのはずではあるが、あくまでも劇場内で行われるショウという設定を逸脱しない、リアリティの縛りを与えている。
もちろんこんな天井の高い劇場は存在しないとか、アニメーションならではの非現実的な部分もあるが、あえて適度な現実感をキープすることで、観客に「こんなショウがあったら観たい」と思わせることに成功している。
いやもしかしたら、実際にユニバーサル・スタジオあたりで、ライブ化狙ってるのかもしれないけど。
さあ、テッペン取っちゃったけど、三本目はあるのだろうか。

今回は、お祝いの時に飲みたい、カリフォルニア産のスパークリング。
クルーズ・ワイン・カンパニーの「スパークリング ヴァルディギエ ランチョ チミレス ナパ ヴァレー」をチョイス。
2013年に設立された新興ブランドだが、すでに人気は鰻登り。
ヴァルディギエ種100%から作られるこちらは、お花と果実の香りたっぷり。
クリーミーな辛口のスパークリングで、ほのかなピンクは祝祭の色。

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アンネ・フランクと旅する日記・・・・・評価額1650円
2022年03月22日 (火) | 編集 |
親愛なるキティーへ。

第二次世界大戦末期、ナチスの絶滅収容所で命を落としたユダヤ人の少女・アンネ・フランクは、誕生日のプレゼントとしてもらった日記帳に、“キティー”という名前を付け、空想の友達・キティーに宛てた手紙形式で日記を書いていた。
これは有名な「アンネの日記」をそのまま映画化するのではなく、なぜか21世紀の世界に現れたキティーの視点で、アンネの生きた時代と現代を旅するユニークな寓話劇。
監督・脚本は、自らの戦争体験をモチーフにした「戦場でワルツを」や、虚構と現実が境界を失った世界を舞台とした「コングレス未来学会議」で知られるイスラエルの名匠アリ・フォルマン。
絶滅収容所を生き延びた両親のもとに生まれたフォルマンが、美しいアニメーション表現で現在を生きる子供たちに向けて描く、渾身のホロコースト入門だ。

現代のアムステルダム。
戦時中にアンネ・フランク(エミリー・キャリー)が住んでいた隠れ家は、“アンネ・フランクの家”という博物館になっていて、世界中から観光客が見学に訪れる。
今から一年後の嵐の夜、博物館に展示されていた日記帳から彼女の空想の友達・キティー(ルビー・ストークス)が実体化。
キティーはアンネを探すが、彼女の姿はどこにも見えない。
日中、アンネの部屋は大勢の観光客で賑わい、夜には誰もいなくなる。
ある日キティーは、少年が日本人観光客から財布をスリ盗るのを見て、彼を追って外へ。
街にあるたくさんの施設には、アンネの名がつけられてるのに、なぜ彼女自身はどこにもいないのか。
スリの少年、ペーター(ラルフ・プロサー)と親しくなったキティーは、日記をつけなくなった後、アンネに何が起こったのか、ペーターと共に彼女の足跡を追う旅に出る。
一方、博物館では貴重な日記帳が無くなったと大騒ぎになっていて、警察はキティーを窃盗の容疑者として捜査するのだが・・・・


隠れ家が見つかり、フランク一家がナチスの親衛隊に逮捕されたのは1944年8月4日で、日記の最後のページが書かれたのは直前の8月1日。
日記帳がイコール自分自身であるキティーは、アンネの身に何があったのか、その後起こったことを知らない。
映画は、日記に書かれている戦時中のアンネと家族、同居人たちとのエピソードと、アンネを探す現在のキティーの姿を交互に描いてゆく。
アンネ曰くモテモテだった学校生活は、ユダヤ人弾圧が始まると終わりを告げ、用意していた隠れ家で息を潜めて生活する日々が始まる。
狭い隠れ家に、両親と姉マーゴ以外にも、ファン・ペルス家の三人に、歯科医のフリッツら八人が暮らす大所帯。
そんな窮屈な生活の中でも、僅かに見える窓からの風景に心を癒し、ファン・ペルス家の息子・ペーターとの仄かな恋を知る。
映画や小説などの物語を愛したアンネは、想像力の翼を広げ、大ファンだったクラーク・ゲーブルと馬に乗って、ナチスの軍団を打ち負かしたりもする。

アムステルダムの“アンネ・フランクの家”には、20年ほど前に行ったことがあるが、修復された建物に生活感のある隠れ家が再現されていて、ここに八人もの人たちが暮らしていたのかと、非常に印象深かったのを覚えている。
この映画はちょっと設定が複雑で、キティーが博物館のアンネの部屋にいる時は、彼女の姿は誰にも見えない幽霊のような存在だが、博物館から出ると肉体を持って人からも見える様になり、触れることも出来る。
ただし、日記帳とキティーは基本一体で、離れすぎると消えてしまう。
だから彼女が外に出るためには、常に日記帳を持っていなければならないのだ。
アンネを探して街を歩き回るキティーは、いつしか世界一有名な日記帳を盗んだ泥棒と誤解され、警察から追われる羽目になる。
街にはアンネの銅像が建ち、アンネ病院、アンネ劇場などアンネの名が付いた施設が溢れているのに、彼女がどうなったのか、どこにいるのか誰も教えてくれない。

親友の名前だけが目立つ奇妙な世界で、ひょんなことからアンネと恋仲になった少年と同じ名前を持つスリのペーターと出会ったキティーは、日記が途切れた後のアンネの身に何が起こったのか、彼女の足跡を辿る旅に出る。
この先は日記に書かれていないので、旅を導くのは一家でただ一人ホロコーストを生き残り、娘の日記を出版したアンネの父・オットーが残した記録だ。
親衛隊に逮捕されたアンネは、ヴェステルボルク収容所、次いでアウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所へ送られる。
そして最期の地となるベルゲン・ベルゼン収容所で、1945年の3月ごろに15歳で亡くなったとされる。
歴史の痕跡を追う旅を通して、キティーはアンネの哀しい運命と共に今の世界を知る。
戦争の時代から来たキティーには、21世紀は昔と違う部分と似た部分があるように見える。
ユダヤ人は、もう傷つけられることはない。
でも嘗てのアンネたちのように、警察に怯えながら隠れて暮らしている人たちもいる。
それは、紛争地からやって来た戦争難民だ。

元々ドイツに暮らしていたアンネも、ナチスの迫害から逃れてオランダにやって来た難民で、今に至るまで国籍や市民権は与えられていない。
時代を超えて繰り返される、人間の変わらぬ業を見たキティーは、ここで自分にしか出来ない、ある行動に出て難民たちを救うことを決意する。
ホロコーストと現在の難民問題を地続きとし、単に過去に起こった悲劇としなかったのは秀逸な視点。
本作はもともと人形アニメーションとして企画されていたそうだが、結果的に親しみやすい伝統的な2Dアニメーションとして制作されたのは良かったと思う。
キャラクターは誰もが好感を持てるように可愛らしくデザインされ、作品そのものも強烈な個性を放っていたフォルマンの過去作と比べると、作家性の主張は比較的弱い。
しかしこれは、アンネの名を知っていても、彼女の「日記」を読んだことの無い子供たちに、歴史に興味を持たせ、本を手に取らせるための啓蒙作品だからこれで良い。
物語のスタートが“今から一年後”とされているのも、未来のどこかでこの作品を鑑賞した時点を“今”とする工夫だろうし、劇中では説明されないキティーが実体化した理由も、難民が増え続ける時代に呼ばれた、ということだろう。
ユダヤ人だろうが、アラブ人だろうが、アフリカ人だろうが、迫害されていい人たちなどいるわけがない。
もし、アンネが今の世界を見たら、どう思うのだろうと。
だから、別人格として現れたとしても、キティーはやはり最期まで人間の善性を信じたアンネの一部で、過去からのメッセージ。
現在の世界で役割を果たしたら、文字の世界へ戻ってゆく。
切ない情感にあふれた、優れた歴史教育映画だ。

書くことが好きだったアンネは、パリで小説家になることを夢見ていた。
彼女の夢は叶わなかったが、今回は「カフェ・ド・パリ」をチョイス。
ドライ・ジン45ml、アニゼット1tsp、生クリーム1tsp、卵白1個を、氷を入れたシェイカーでよくシェイクして、グラスに注ぐ。
辛口のジンとアニスの強い風味を、生クリームと卵白がマイルドにまとめ上げている。
実はパリでなく、ニューヨークで考案されたカクテルだが、名前の印象通り上品な味わいだ。

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ショートレビュー「ウェディング・ハイ・・・・・評価額1750円」
2022年03月18日 (金) | 編集 |
結婚は、人生最大のイベント!

大九明子+バカリズムの、壮大なる結婚披露宴あるあるコント
中村倫也と関水渚が演じる彰人と渚の新婚カップルの結婚披露宴を、篠原涼子の敏腕ウェディングプランナーが仕切る。
一見ごく普通の美男美女カップルの結婚だが、彼らの披露宴には各方面から異様な拘りを持つ人々が集っており、いつしか大騒動に。
想定外の事態の連続に、篠原涼子率いる式場スタッフは、なんとか時間内に全てのプログラムを終えようと悪戦苦闘する。

序盤は結婚式に集う濃い〜人々のバックグラウンド。
これがいちいち可笑しいのだが、結婚式が無事終わって、披露宴がはじまる中盤からはいよいよ彼らが本領を発揮しはじめる。
カップルの紹介ビデオを作るのは、中尾明慶演じるロシア映画かぶれのTVディレクター。
日頃おバカなバラエティばっかり作ってる彼は、ここぞとばかりに重厚なタルコフスキーもどきの短編映画を作り上げ、ロシア語字幕まで入れる念の入りよう。
この場違い感がむっちゃ最高なのだが、なにせタルコフスキーなので長い。
来賓スピーチをするのは、会社にも家庭にも居場所がない高橋克己の部長で、彼は残りの人生をかけてスピーチを研究し、ついにその場を大いに盛り上げる究極のスピーチを完成させる。
会場は大ウケするが、これも長い。
乾杯の音頭を取るのは皆川猿時が怪演する渚の上司だが、こちらも高橋克己の挨拶に刺激され、ブーストがかかって笑いをとりにゆくのだが、ますます長い。

披露宴の盛り上がりとは裏腹に、どんどん時間が押してゆき、あと1時間しかないのに、まだ四組もの余興が残されている危機的状況。
余興を披露するのは、新郎新婦の両親と二人の旧友たちで、誰かのプログラムをキャンセルすると、関係にヒビが入りそうで出来ない。
果たしてどうやって、このカオスなピンチを乗り切るのか?
強烈にキャラ立ちしまくった人々の群像劇を、かなり無理な方法で解決しつつ、納得させてしまう演出がお見事。
しかしこれで終わりではない。
会場には「卒業」ばりに花嫁奪還を狙う、岩田剛典演じる渚の元カレに、謎の男・向井理まで紛れ込んで来ているのだ。
想定外の状況と想定外のキャラクターが組み合わさって、生み出されたのは抱腹絶倒のお笑いスペクタクルだ。

大九明子の演出とバカリズムの脚本が、これ以上ないほどの絶妙なマッチング。
バカリズムの書く話ってトリッキーで、結構テラーを選ぶと思っている。
軽すぎると深夜バラエティ的な軽薄な印象になり、重すぎると勢いを失ってイマイチ盛り上がらない。
独特の外連味とスピード感を持つ大九明子のスタイルとは、まさにストーリーとテリングの幸福なマリアージュだ。
そう言えば「甘いお酒でうがい」はシソンヌのコントが原作だし、「私をくいとめて」でも温泉の舞台に力が入っていた。
元々お笑い、と言うかライブとの親和性が高い人なのだろうな。

披露宴を無事に終わらせるまでの大騒動だけでも十分面白いが、本当のクライマックスは全てが終わった所からはじまる。
途中から消えちゃう岩ちゃんはどうしたんだろうと思ってたら、まさかの展開に再爆笑した。
ちょっとお下品だが、何気に彼こそが一番美味しい役ではないか。
物語を通じて、一番キャラの変化が分かりやすいので、実質主人公と言えるかも知れない。
向井理との追いかけっこも楽しくて、ラストカットまで笑かしてもらった。

ところで先日公開された「L/R15」二部作の一本目、城定秀夫の「愛なのに」でも「卒業」がさりげなく伏線になっていた。
ネタバレになるので詳しくは書けないが、恋と結婚のコントラストという点で、2本を観比べて見てもなかなか面白い。
特に篠原涼子の語る最後のエピソードとか、人生そんなもんだよねーと思わせられる。
いやー何はともあれ、結婚式っていいものですね〜!

今回は、結婚式などのパーティでよく供されるブルーのスパークリングワイン、「ラ・ヴァーグ・ブルー」をチョイス。
青は聖母マリアのシンボルカラーで、縁起物として人気がある。
ソーヴィニヨン・ブランのこちらは、やや辛口。
柑橘系の香りも爽やかで、アペリティフとしても料理に合わせてもいい。
細かな泡が湧き上がる美しいブルーは、華やいだ気持ちにさせてくれる。

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THE BATMAN ザ・バットマン・・・・・評価額1650円
2022年03月14日 (月) | 編集 |
孤児たちのバトルロワイヤル。

DCコミックのダークヒーロー、バットマンのリブート作。
ブルース・ウェインが、仮面のビジランテとなって犯罪都市ゴッサムシティに姿を現してから二年後、市長をはじめとする街の有力者を狙う連続殺人事件が発生。
”リドラー”と名乗る犯人に名指しされたバットマンが、事件の謎に挑み、やがてゴッサムの裏側に潜む、巨大な闇が浮かび上がってくる。
「猿の惑星:新世紀」「猿の惑星:聖戦記」で、見事に“シーザー三部作”を完結させた、マット・リーブスが監督・共同脚本を務める。
新たなブルース・ウェインを演じるのは、ロバート・パティンソン。
キャットウーマンことセリーナ・カイルをゾーイ・クラヴィッツ、ゴードン警部補を「007」シリーズのフェリックス役で知られるジェフリー・ライト、謎多きヴィランのリドラーをポール・ダノが演じる。
シリーズ最長となる175分の上映尺をはじめ、過去作とはだいぶ趣が違うが、切り口は新しい。
※核心部分に触れています。

ゴッサムシティの市長が、選挙戦の最中に何者かに殺される。
捜査の指揮をとるゴードン警部補(ジェフリー・ライト)は、仮面のビジランテ、バットマンとして活動するブルース・ウェイン(ロバート・パティンソン)を呼び寄せる。
リドラー(ポール・ダノ)と名乗る犯人が、現場にバットマンに宛てたカードを残していたからだ。
カードに書かれたなぞなぞは、事件のヒント。
ゴッサム裏社会のドン、ファルコーネ(ジョン・タトゥーロ)の右腕、ペンギン(コリン・ファレル)が経営するクラブが事件と繋がると睨んだバットマンは、その店で働くセリーナ・カイル(ゾーイ・クラヴィッツ)と接触。
セリーナのガール・フレンドのアニカ・ホスロフ(ハナ・ハルジック)が行方不明になっていることもあり、彼女はバットマンに協力する。
やがて“ネズミ”と呼ばれる、警察が裏社会に送り込んだスパイの存在が浮かび上がってくるのだが・・・


いわゆるDCEU(DCエクステンデッド・ユニバース)には属さず、トッド・フィリップスの「ジョーカー」とも交わらない別の世界線。
リメイクやリブートで定評のあるマット・リーブスは、ここに新たなバットマンバースを作ろうとしている様だ。
バットマンといえば、ジョーカーやトゥーフェイス、ベインといったユニークなヴィランたちと抗争を繰り広げるのがお約束だが、本作の場合はアプローチがちょっと違う。
神出鬼没のリドラーとは何者なのか、何のために殺人を犯すのか不明のまま、バットマンと警察は手玉に取られる。
事件現場に残されたカードのなぞなぞをヒントに、まずはリドラーの目的と正体を探さねばならないのだ。
つまりリドラーとの戦いは、肉体的なアクションというよりも頭脳戦であり、結構ガッツリとした推理もの
若きバットマン=ホームズと、ゴードン警部補=ワトソンが事件を追うという構図だ。
3時間近い尺が必要になったのも、小出しされるヒントを辿ってゆくという物語の構造によるものが大きい。

陰鬱でハードボイルドな世界観は、バットマンフランチャイズの作品中最も重苦しく、ゴッサムシティも全てが腐り切った最悪の犯罪都市として描かれる。
バートンやノーランの描いたゴッサムシティは、まだ文明的な部分が残っていたが、裏社会と表社会が一体化した本作のゴッサムシティには、絶対住みたくないと思わせる不穏さがある。
物語の展開で見せる作品だから、アクション活劇の要素はさほど多くないが、バイオレンス描写も実に生っぽい。
駅で一般人を襲ってたチンピラをバットマンがボコボコにするとシーンとか、「そんな殴ったら死んじゃう、やり過ぎちゃうん!」と思っちゃうくらい。
ゴッサムを少しでもマシにするために、バットマンはあえて自分が犯罪者にとっての恐怖の象徴になるように行動している。
字幕では「avenge」を「復讐」と訳しているが、厳密には「懲罰」の方が相応しいだろう。
バットマンは街の分かりやすい“悪”に懲罰を下すことで、裏社会にプレッシャーをかけ犯罪の抑止力になろうとしているが、もしも表社会の市長や警察、検察など普通は正義を遂行する人々まで、実は悪に染まっていたとしたら?
もちろん殺しちゃうのか、痛めつけるに止めるのかの違いはあるが、市長を皮切りに表社会の隠れた悪を殺すリドラーと裏社会専門のバットマンは、お仕置きする相手が違うだけで、 本質的には同じことをしているのでは?というのが本作の骨子だ。
この辺りの設定は、「ハンガー・ゲーム FINAL」二部作などを手がけた、共同脚本のピーター・クレイグのテイストを感じさせる。

また本作の主要な三人の登場人物、バットマン、リドラー、キャットウーマンは全員が孤児である。
それぞれが孤児となった経緯は異なるが、この三人はそれぞれが鏡像になる形で、物語上配置されていて、生まれた環境に加えて、選んだ道、選ばなかった道で、ビジランテ、テロリスト、泥棒と、それぞれの運命が決まっている。
特にリドラーは最初からバットマンの中に自分を見ているのだが、バットマンは事件を捜査するうちに徐々に自分の中のリドラーに気づく仕組み。
街の中央にそびえ立つ豪華なタワーに住み、金に任せてハイテク兵器で武装し、天空から地に蠢く悪を俯瞰するバットマンの懲罰では、チンピラは倒せてもゴッサムシティの本質的な部分は変えられない。
ではどうするのか?
ノーランの「ダークナイト」では、バットマン自らが堕ちた偶像となることで、市民一人ひとりを奮起させる。
対して本作では、改革派が選挙で勝利し、バットマンやリドラーの思惑とは関係なく、人々は正義を実現する力を秘めていることが明らかになる。
全てを破壊し、一から街を作り直そうとするリドラーの歪んだ野望を阻止するため、庶民を見下す天上人だったバットマンは、文字通りにカオスの海に降り、モーゼの様に人々を守り救い出すのだ。
ここに描かれるブルース・ウェインの成長と苦悩は、「猿の惑星」におけるシーザーの葛藤にも通じるものがある。
リーブスはノーランとは異なったアプローチで、バットマンの体現する正義とは?というテーマに答えを出している。
曇り空にぼんやりと映し出されたバットシグナルが象徴する様に、バットマンは恐怖の懲罰者ではなく、人々を守護することによって光となるのである。

とてもよく出来た作品だと思うが、いくつか気になる点もある。
殺人が起こり現場でカードが見つかる度に、少しずつ物語が展開する構造上、やむを得ない部分もあるのだが、同じ様なシチュエーションとロケーションが繰り返されるのは、もう一工夫できたのでは。
予算の関係かもしれないが、場所のバリエーションはもう少し増やした方が、全体のメリハリにつながるだろう。
またモノローグが多用されるのは作品のスタイルだとしても、説明的な描写が「いかにも説明です」なのはちょっと引っかかる。
それまでにわかった事件の事実関係を、ホワイトボードに提示して分かりやすく見せる、日本のサスペンスドラマでお馴染みの描写を、ブルースが広い床一面に書くシーンがあるのだが、さすがにデカすぎて笑ってしまった。
アイディアを整理するだけに労力かけすぎだし、かえって見え難いだろう。

本作は、二本の続編が作られて三部作となる予定で、配信用のスピンオフも用意されているという。
アーカム・アサイラムで、リドラーの隣の房にいる新たな“友達”は何者なのか?
キャットウーマンが向かうと言っていた、ブルードヘイブンで何が起こるのか?
始まったばかりの新しいバットマンバース、この先への興味は尽きない。

今回は、ダークなムードに合わせて漆黒のカクテル、「ブラック・レイン」をチョイス。
オーストラリアのホテルのバーで、リドリー・スコット監督の同名映画にちなんで作られたカクテルで、その名の通り美しい漆黒。
フルート型グラスにスパークリングワインまたはシャンパンを80ml注ぎ、ブラック・サンブーカを20ml静かに加えてごく軽くステアする。
サンブーカは香りが強いので、それなりにクセがある。
香草系カクテルが好みかどうかで、好き嫌いが別れるだろう。

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ショートレビュー「スターフィッシュ・・・・・評価額1600円」
2022年03月10日 (木) | 編集 |
セカイは”音”で出来ている。

大晦日の夜、親友のグレイスを亡くした主人公オーブリーは、悲しみに耐えかねて思い出の詰まった彼女の家に忍び込み、眠り込んでしまう。
翌朝目を覚ますと、街はしんしんと降り続く雪に閉ざされ、人の姿はどこにも見えない。
困惑するオーブリーの耳に、トランシーバーから謎の男の声が聞こえてくる。
どうやら眠っている間に異世界への扉が開き、街は未知の生物が跋扈する終末の世界へ変貌。
扉を閉じるには、亡き友グレイスが街のあちらこちらに隠した、七本のミックステープを見つけなければならないらしい。
だがオーブリーにとって、そんなことは知ったことではない。
世界が変貌したことよりも、グレイスを失ったことの方が、彼女にとってはずっと衝撃が大きいのだ。
孤独のうちに思い出に囚われたオーブリーは、あっさりと状況を受け入れ、グレイスの買っていたカメと共に家に篭城し、全く動こうとしない。

監督・脚本はこれがデビュー作となるA・T・ホワイト。
主人公のオーブリーを、2018年版「ハロウィン」で注目されたヴァージニア・ガードナーが演じる。
一月に「未体験ゾーンの映画たち」の一本として限定公開され、唯一無二の独特のムードとスタイルで、様々な反応を引き起こした作品が、スクリーン数は少ないものの一般公開される。
これは、なかなか稀有なことである。

いよいよ食料が尽きた時、オーブリーはようやくグレイスの残したヒントを頼りに、ミックステープを探しに外に出るのだが、街には人間を捕食するモンスターが徘徊している。
あえてジャンルに当てはめれば、ある種のポストアポカリプス・ホラーと言えるかもしれないが、ぶっちゃけ世界観やストーリーは、最後まで観てもよく分からない。
オーブリーとグレイスが本当はどんな関係だったのかとか、何度か出てくる顔の無い男は誰?とか、どういう仕組みでテープが異世界と繋がるのかとか、幾つのもクエッションが頭の中を飛び交うのだが、たぶん最初から説明する気がない。
ただ、二人は何らかの確執を抱えていて、オーブリーが後悔の気持ちを持っていたのは確かだろう。
冒頭に「based on a true story(実話に基づく)」というクレジットが出るが、本作は実際に親友の突然の死に直面したホワイトが、自分自身の傷ついた心に対するセラピーを兼ねて、想いを込めて作った作品だという。

つまりこれは、映画全体がオーブリー=ホワイトの心象風景と思っていい。
ヒントを紐解き、ミックステープを探す冒険は、亡くなったグレイスの気持ちを理解するためのプロセスであり、今はもう心の中にしかいない彼女を感じながら、オーブリーは少しずつ彼女の死を受け止めてゆく。
ホワイトはミュージシャンでもあり、突然アニメーションになったり、本作の制作現場が写るメタ構造になったり、ミックステープが象徴するように、テリングはまるで音楽のように自由奔放で直感的。
この映画の世界は言葉と言うより「音」で出来ていて、音波の力があれば世界を壊すことも、救うことも出来る。
ある意味、究極のセカイ系の作品で、映画を観るというよりも、抽象的な音で彩られた音楽を聴くような独特の映画体験だ。
アニメーションパートを手掛けているのは、日本の手塚プロで、リメイク版「どろろ」で総作画監督を務めた青木一紀らが参加している。
常識的な映画文法から言えば、かなり特殊な作品なのだが、一つのイメージを作り込むことに拘ったテリングは独創的。
テンプレ的な娯楽映画を求める層にはオススメ出来ないが、個人的にはかなり好き。
人間を捕食する「クワイエット・プレイス」っぽい小型モンスターや、「ミスト」を思わせる巨大モンスターなど、造形感覚も独特だ。

今回は、雪に閉ざされた異世界のイメージで「スノーボール」をチョイス。
アドヴォカート40mlとライムジュース5mlをシェイクし、氷を入れたグラスに注ぎ、最後に冷やしたソーダで満たして完成。
ベースとなるアドヴォカートは、オランダが原産の卵のリキュールで、優しい甘みが特徴。
スノーボールも、アドヴォカートの甘味とライムの酸味がバランスしたソフトな味わいで、とても飲みやすい。
レモネードソーダなど、フレーバー付きのソーダを使って、味のアレンジを加えても楽しい。

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余命10年・・・・・評価額1750円
2022年03月06日 (日) | 編集 |
生きる、とは。

二十歳の時に難病の原発性肺高血圧症と診断され、「余命10年」を宣告された女性が、同窓会で再会した元同級生と人生最後の恋をする。
物語の主人公と同じ病によって、2017年に亡くなった小坂流加の同名ベストセラー小説を、「ヤクザと家族 The Family」の藤井道人監督が映画化した作品。
10年間の人生を懸命に生きる主人公・高林茉莉を小松菜奈が演じ、圧倒的な存在感でスクリーンを支配する。
彼女の、キャリアベストの好演と言っていいだろう。
運命の相手となる真部和人に坂口健太郎、茉莉の姉の桔梗に黒木華、両親を重松豊と原日出子が演じる。
岡田恵和と渡邉真子による脚色が素晴らしく、文字表現を映像表現に置き換える技術の、お手本の様な仕上がり。
本物の四季を写し込むため、一年に渡って撮影したと言うシネマスコープの映像も美しい。
どこまでもまっすぐに、“生きること”に向き合った傑作である。

2011年。
青春を謳歌していた二十歳の高林茉莉(小松菜奈)は、原発性肺高血圧症と診断さる。
発症後10年以上生きた人はほとんどいない、不治の病。
二年間の入院を経て、茉莉は退院するも、未来を閉ざされた人生に虚無感を募らせる。
2014年に、茉莉は三島で開かれた同窓会で元同級生だった真部和人(坂口健太郎)と再会。
両親との確執を抱えた和人は、生きる意味を見失っていて、東京で自殺未遂を起こす。
やがて和人に寄り添う様になった茉莉は、自分の心の変化に戸惑う。
終わりの決まった人生、もう恋はしないと誓っていたはずだったが、しだいに和人のことを愛するようになる。
茉莉は、焼き鳥屋で働き始めた和人と、病気のことは隠して付き合い、ウェブライターの仕事のかたわら、好きだった小説の執筆もはじめる。
だが束の間の平穏な人生は、長くは続かない。
ある日、和人と口論をした茉莉は、意識を失って倒れてしまうのだが・・・・


不治の病を患った女性の、最後の恋。
しかも恋人は、彼女の病気のことを知らない。
この設定だけで、多くの人の頭には大まかなストーリーと作品のイメージが浮かぶだろう。
中には、これだけで食傷気味になってしまう人もいるかもしれない。
しかし2時間の映画の旅を終えた時、最初に抱いたイメージはいい意味で裏切られ、すっかりかき消されているはずだ。
もし、人生の残りが10年と宣告されたら、人はどうするのか。
この10年という時間が、本作を特異なものとしているポイントだ。
大きなことを成し遂げるには短すぎ、全てを諦めてしまうには長すぎる、中途半端な時間。
例え誰かと出会って結婚しても、薬の影響で子供は持てず、近い将来には確実に愛する人と永遠に別たれる。
主人公の茉莉は、突然そんな状況へと投げ出され、理不尽な現実に葛藤しながら、最後の10年を懸命に生き抜くのだ。

原作小説とは、いろいろ設定が変わっている。
大きなところでは、茉莉がアニオタの同人漫画家でコスプレイヤーという設定は消え、和人も歴史ある茶道の家元の御曹司ではなくなっている。
この辺りは、原作のキャラクターのまま実写化すると、少女漫画的に浮世離れしてしまい、リアリティを感じにくいのと同時に、亡くなった作者の小坂流加さんの人生と、物語を重ね合わせるためだろう。
小坂流加さんは、茉莉と同様に二十歳で原発性肺高血圧症と診断され、二十八歳の時に「余命10年」を刊行。
その後、茉莉よりはずいぶん長く生きたが、本作の直接の原作となった文庫版の出版直前に三十八歳の若さで亡くなっている。
以前の版に比べて文庫版では闘病部分が大幅に加筆されているというのも、その間の彼女自身の闘病体験を反映しているからだろう。
だから映画になった本作では、茉莉は単なるフィクションの主人公ではなく、作者自身の人生をも取り込んだ半ノンフィクション
映画の茉莉が、同人漫画ではなく「余命10年」と題された小説を書いているのも、彼女の故郷が小説の群馬から、作者の出身地である静岡県三島に変更されいてるのも同じ文脈だ。

物語の軸となるのは、生きることを諦めた茉莉と、生きる意味を見失った和人との切ない恋だが、両親や姉とのエピソードや、友人たちとのエピソードも豊富で、茉莉を取り巻く群像劇の風合いもある。
サブキャラクター同士の結びつきが強化されているのも特徴で、それによって後述する展開の工夫もできる様になっているのも映画版の特徴だ。
恋愛の要素は重要だが全てではなく、描くのは10年間の時間に彼女がどんな人たちと、どのように生きたかのなのである。
象徴的に使われているのが、茉莉が常に持ち歩いているビデオカメラだ。
原作の茉莉は、冒頭に登場する同じ病の先輩、礼子にアドバイスされて日記を書いている。
その言葉が各章の最後に出て来て、和人との恋の終わりと共に彼女は日記を燃やすのだが、映画では日記の代わりに礼子からビデオカメラを譲り受けるのだ。
瞬間を永遠に閉じ込めるビデオは、彼女の生きた証そのもの
命の終わりが来たことを悟った茉莉は、思い出を噛み締めながら、ビデオを一本ずつ消去して行くのだが、最後の一本だけは消せない。
それは和人を写した最初のビデオで、これも後述する終盤の描写の伏線になっている。
日記からビデオへの変更が象徴する様に、原作小説の文字でしか表現できない要素を、巧みに映像でしか出来ない表現へと変換した脚色は、素晴らしい効果を上げている。

本作は終始淡々と茉莉の10年間を描き、露骨な泣かせは極力避けられているが、物語のクライマックスで彼女の脳裏に浮かぶ、もう一つの人生のビジョンは、ドランの「Mommy/マミー」「ラ・ラ・ランド」に描かれた、“Ifの人生”を思わせる実に映画的な仕掛けで、誰もが涙腺を決壊させるだろう。
原作では離別の後で茉莉が和人と再会するのは彼女の葬儀だが、映画では彼女の死の床に彼が駆けつけるのも、茉莉の親友の沙苗を小説の編集者とし、和人とも友人関係にした脚色の技。
沙苗が和人に預けた脱稿したばかりの「余命10年」の原稿には、「会いたいよ・・・・、会いたいよ、和人・・・」という茉莉の魂の慟哭が描かれているのだから。
生に執着を持たないために、茉莉はもう恋をしないと誓った。
しかしそれは、積極的に生きることを諦めようとしていたから。
和人との運命的な再会によって、彼女は生きることの愛おしさに目覚め、自分の人生を物語として綴り、作品として生み出すことで死ぬ準備をすることができたのである。
この辺りのアレンジはストーリーテリングの上でも非常にスムーズかつ効果的で、本作の小説と現実のハイブリッドという性格をより強めている。

出ずっぱりで茉莉を演じる小松菜奈以外も、藤井道人監督の作品らしく役者が皆いい。
出番は短いながらも強い印象を残す親友の沙苗役の奈緒、相変わらず抜群の安定感をもたらす姉の桔梗役の黒木華、寡黙な中に深い愛情を感じさせる両親役の重松豊と原日出子、恋のキューピットとなる旧友役の山田裕貴、映画オリジナルキャラクターで、和人の師匠となるリリー・フランキー、誰一人として意味のないキャラクターはおらず、全員がこの映画の世界でリアルに生きているのだ。
本作は、いわゆる難病もののジャンル映画として捉えるべき作品ではないと思う。
一人の女性が自分の命を削って創作した生きた証であり、そのリアリティとヒューマンドラマとしての深みは、他の作品とははっきりと一線を画している。
作り手、演じ手のスタンスも、日本映画には珍しいエンドクレジットの献辞も含めて、原作と原作者への深いリスペクトを感じさせるもの。
人生の一期一会と、生きることの素晴らしさを感じさせる、充実の124分を味わってもらいたい。

映画の茉莉はウーロン茶を飲んでいたが、今回は同窓生と飲みたいビール。
静岡県の富士かぐや蒸溜所が作るクラフトビール「富嶽麦酒(ふがくばくしゅ) IPL」をチョイス。
富士山の伏流水とヨーロッパ産の麦芽とホップを使い、キャッチコピーの通りホップ感が強く、濃くて苦い。
今年もそろそろお花見のシーズンだが、公園で宴会とはまだいかなそう。
ところで、映画のラストは2020年の春のはずだが、コロナは無い世界線だったのだろうか。

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ショートレビュー「Ribbon・・・・・評価額1700円」
2022年03月02日 (水) | 編集 |
ゲイジュツは爆発だ!

スクリーンから熱い才気がほとばしる、のん監督の鮮やかな劇場用長編デビュー作。
コロナ禍で卒業制作展が中止になり、創作への情熱を、どこにも持って行けなくなってしまったのんさん演じる美大生”いつか”が主人公。
作ることだけが好きな人もいるが、彼女の中で創作はコミュニケーションの手段で、人に見てもらってなんぼ。
卒制展用の作品を持ちかえり、完成させようとしてみたものの、すっかりモチベーションを失って、ダラダラとした毎日。
いつかはかなりズボラな性格らしく、結構な汚部屋に暮らし、昼近くまで寝て、山下リオが演じる同級生の平井とラインのビデオ通話で暇を潰す。
天気の良い日はお菓子とお茶を手に公園に出かけるが、怪しい男がいてあまり近づけない。
※核心部分に触れています。

序盤は寝てばかりのいつかの引きこもり生活が淡々と描写されるが、しばらくすると家族が次々と訪ねてくることによって、彼女の怠惰な生活は破られる。
いつかの創作スタイルはかなり独特で、油絵に他の素材を埋め込んで立体的に仕上げてゆく。
卒制展の絵は大きな自画像(?)に、無数のリボンを埋め込んであるのだが、お母さんはあまり芸術に関心がなく、いつかの作品をゴミと勘違いして捨ててしまうほど。
当然ブチ切れるが、価値の分からないお母さんは謝らず、代わりにお父さんをご機嫌伺いに送り込んでくる。
お父さんはお父さんで、ソーシャルディスタンス確保のために、なぜか不審者対策でおなじみの刺又を持参するというアブナイ人だ。
さらに妹のまいは、異常にコロナに敏感で全身完全武装。
この家族、簡単に陰謀論に染まりそうだが、前半はわりとゆるいコメディ。
しかし中盤で、中学時代の同級生の田中が出てくるあたりから物語にドライブがかかり、加速度的に面白くなってきて、最後はもうノンストップ。

美大・芸大の卒業制作展に行ったことのある人なら分かるだろうが、作品はジャンル、形態、サイズも千差万別。
物によっては、動かせないほど巨大なものもある。
コロナ禍もそろそろ三年目に入るので、去年あたりからはオンライン開催も増えて来たが、最初の年の2020年は多くの学校が卒制展を中止した。
行き場を失った作品、特に動かせない作品は、多くが学生の涙と共に廃棄されたのである。
いつかの作品は、なんとか持ち帰ることが出来た。
対して平井の作品は、大きすぎて動かせない。
作ることそのものが好きな平井は、いつかがだらけた生活を送っている間、学校に忍び込んで廃棄されてしまう作品を描き続けていたのだ。
しかしその秘密の創作も、永遠には続かない。
いつかと平井、タイプの違う二人のアーティストのコントラストがいい。
もはや作り続けることが出来なくなった時、二人は平井の大作を破壊するのだが、平井はバラバラになった作品を“見せるアート”の素材としていつかに託す。
二人の作品が融合し、小さな卒業制作展が開かれるクライマックスは感動的だ。

物語の要所になると、様々なタイプのリボンの群れが画面に現れてアニメーションされて動き、主人公の心象を表現するのが面白い。
タイトルの「Ribbon」はおそらく「Reborn」とかけて、コロナ禍でのアーティストと作品の再生をイメージしているのだろう。
このリボンの表現もそうだが、のん監督の演出が素晴らしいのは極力言葉による説明を避け、観客の思考を信頼しているところだ。
例えば絵具だけ出して、使わずに終わっているパレットが重なっている描写。
この画を見せられた時、観客が何を思うのか、どう想像するのかを考えて描いているのである。
表現することを封じられたアーティストの魂の叫びの物語は、陽性だけど痛くて、ユーモラスにキレるいつかのキャラクターは、「私をくいとめて」で組んだ大九明子の影響を感じる。
何気に、特撮で樋口真嗣と尾上克郎のシンゴジコンビが参加してたり、美大の教授役で岩井俊二がチラリと出てきたり、表裏両面で賑やかな顔触れ。
まだまだ勢い余ってというか、荒削りな部分もあると思うが、監督・主演だけでなく、脚本、編集、企画まで全部やってるんだから、この才能は紛うことなきホンモノだ。

今回は、鮮烈なデビューを祝ってシャンパンを。
世界中で高い人気を誇る、ヴーヴ・クリコ・ポンサルダン社の「ヴーヴ・クリコ イエローラベル ブリュット」をチョイス。
繊細な泡と共に香りが立ち上がり、果実味が豊かな辛口のミディアムボディ。
非常にバランスの取れた一本で、食前酒としてはもちろん、どんな料理にもあう。
今年は卒制展をオフラインで実地する学校もぼちぼち出て来ているようだが、コロナ前の日常はまだまだ遠い。
早く、学生生活の最後で、祝杯をあげられるようになります様。

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