2022年04月14日 (木) | 編集 |
彼は英雄か悪人か。
人間の繊細で複雑な心理を描き出す、イランの異才アスガー・ファルファディの最新作。
この人は「別離」でオスカーを受賞して以降は、「ある過去の行方」や「誰もがそれを知っている」などヨーロッパでも作品を作っているが、やはりイスラム社会のスパイスが効く母国イランを舞台とした話が真骨頂。
今までの作品はごく平凡な市井の人々を描いて来たが、今回はちょっと趣が違う。
アミール・ジャディディが演じる主人公のラヒムは、借金の罪で服役中の囚人なのだ。
休暇をとり一時的に出獄中に、落とし物の金貨を手に入れる。
金貨を返済に充てれば、借金の一部を返すことが出来、示談して出所する目処もつく。
しかし彼は悩んだ末に、金貨を落とし主に返すことを決めるのである。
囚人という“信頼出来ない語り部”を主人公に、真実とは、正義とはという人間社会の葛藤の根源が見えて来る仕掛け。
ちなみにレイフ・ファインズ監督の同一邦題の映画があるが、あちらはシェイクスピアの「コリオレイナス」の映画化なので内容は全く無関係だ。
ラヒム・ソルタニ(アミール・ジャディディ)は借金の罪で投獄され、服役している。
ある時、婚約者のファルコンデ(サハル・ゴルデュースト)が17枚の金貨を拾う。
金貨を換金すれば、借金を返せるかも知れない。
休暇をとって外に出たラヒムは、ファルコンデと共に両替商に持ち込むが、返済に十分な額にはならなかった。
悩んだラヒムは、これも神の意志と考え、金貨を落とし主に返すことを決意する。
その小さな善行は、刑務所幹部の知るところとなり、彼らは刑務所の不祥事から目を反らせるために、ラヒムの行為を大々的にメディアで報じさせる。
世知辛い世の中で、善意の囚人の物語は大きな反響を呼び、一躍時の人となったラヒムは再び休暇を与えられ、チャリティー団体の表彰式に出席し、借金返済のための寄付金も集まり出す。
しかし、ラヒムを信じていない貸主のバーラム(モーセン・タナバンデ)は頑なに示談を拒否。
そもそもこの話自体が、世間の同情を集めるための作り話だという噂がSNSに広まったことから、ラヒムには一転して疑惑の目が向けられる。
刑務所に逆戻りもあり得る事態に、焦ったラヒムは決定的な嘘をついてしまう・・・
イランでは、死刑も金で取り消せるのは知ってたけど、借金返済が滞り貸主が訴えると刑務所行きで、服役中にも“休暇”が取れて一時的に外に出られるのは知らなかった。
つくづく、不思議な法体系の国だ。
ラヒムがバーラムから借りたのは、1億5000万トマン。
1円がだいたい3トマンだから、日本円にしたら5000万円くらいか。
平均年収が日本の1/7程度の国だから、まあ相当にデカい借金を抱えたのは想像出来る。
一度は金貨を使って返そうという誘惑に駆られるが、結局換金しても借金の総額には遠く及ばないことが分かり、ラヒムは落とし主を探して返すことを決意。
落とし主の女性はすぐに見つかり、金貨は無事に返還されるのだが、このことを刑務所の幹部たちが知ってしまったことで、話が大きくなってゆく。
刑務所では囚人が自殺する事件が起こっていて、世間の批判から目をそらせるためにラヒムの善行が利用されるのである。
善意の囚人としてTVが取材し、ラヒムの借金を返済するためのチャリティーイベントも開かれ、雇用先まで紹介される。
全てが好転すると思われたが、借金の貸主のバーラムはラヒムを全く信用してない。
ここがこの作品のポイントで、観客は映画で描かれている物語より以前のラヒムを知らないし、この映画の世界の世間の人はもっと知らないのだ。
だから彼は、初めから“疑惑の人物”なのである。
とりあえず金貨は返したものの、それは本当に善意からの行動だったのか?
もし拾った金貨がもっと多くて、借金を全額返せる額だったとしたら、彼は返しただろうか?
こう考え出すと、どこまでが善意で、どこまでが打算なのか分からなくなってくる。
そもそもこの話自体が、罪を免れるための作り話なのでは?と言う噂が広まり出すと、世間の掌返しは早い。
それまで語られていたことの細かな矛盾が、重箱の隅をつつく様にして浮かび上がってくる。
姉の家の番号でなく、わざわざ刑務所の番号をチラシに書いたのはなぜか?
実際に金貨を拾ったのはファルコンデなのに、TVで自分が拾ったと言ったのは嘘ではないか?
吃音に苦しむ幼い息子を、マスコミに晒すのは同情を集めるための演出ではないか?
ラヒムの視点で物語を知っている観客は、もともとことが世間に知られたのは偶然であって、ラヒムは基本的には善意で行動したと思っているが、世間はそうではない。
彼の言うことが正しいと証明できる唯一の人物は落とし主の女性だが、彼女は音信不通でどこにいるのかも分からない。
そして、事態を打開しようと焦ったラヒムは、ファルコンデを落とし主の女性としてでっち上げるという、決定的な嘘をついてしまうのだ。
ここへ来て、観客にも分からなくなる。
金貨を返したことは事実だが、本当のラヒムはペテン師体質の人間なのかも知れない。
バーラムがあそこまで怒っているのは、過去に人間性を疑わせる様な、相当な不義理を働いたのではないのか。
彼は本当に善意の英雄なのか、偶然手に入れたチャンスを使って、全てをチャラにしようとしてる悪人なのか。
ラヒムが普通の市民ではなく、現実に膨大な額の借金を作った囚人であるという事実が、彼をいわゆる“信頼出来ない語り部”とし、観客を惑わすのである。
SNSがそのまま世論となるのは、もう世界中どこでも同じなのだろうが、日本映画よくある「画面に文字が溢れる」みたいな演出が無いのはよかった。
主人公が直接見聞きする、身の回り半径10メートルの出来事に絞ったおかげで、自分の知らない間に、状況がどんどん悪化しているのがリアルに感じ取れる。
少なくとも映画の物語の中では、誰も悪くない。
確かにラヒムは正しいことをしたが、バーラムの恨みを買うようなことをしたのも多分事実であって、彼の怒りも理解できる。
しかし、やっと好転しそうな人生を守ろうとつい嘘をついて、そのことが更なる疑念を生み、遂にはファルコンデや幼い息子まで、残酷な形で巻き込んでしまうのは、悲劇の連鎖としか言いようがない。
再びどん底に落ちたラヒムが「最後に守ったのは何?」という話は、イラン的であるのと同時に、世界のどこでも説得力たっぷりの普遍的なもの。
人間の社会では、正しい行動が常に報われとは限らないが、少なくとも観客は彼が何者だったのかは知っている。
相変わらず素晴らしい心理劇だが、本作に盗作疑惑が出たことで、ファルハディがラヒムと同じ様に、疑惑の人物化してしまったのは皮肉だ。
こちらの真偽は裁判の結果待ちだが、表に出てきてる事実関係だけ見ると、完全に無関係とは言い切れない感じ。
果たしてイランのSNS上では、訴えた方と訴えられた方、どっちが優勢なのだろう。
本作で主人公に訪れたチャンスは泡沫の夢で終わってしまったが、改めてカクテルの「ドリーム」をチョイス。
ブランデー40ml、オレンジキュラソー20ml、ペルノ1dashを氷と一緒にシェイクし、グラスに注ぐ。
コクのあるブランデーと、オレンジキュラソーの清涼な甘味のハーモニーに、ベルノがアクセントを加える。
その名の通り、ナイトキャップにするといい夢が見られる。
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人間の繊細で複雑な心理を描き出す、イランの異才アスガー・ファルファディの最新作。
この人は「別離」でオスカーを受賞して以降は、「ある過去の行方」や「誰もがそれを知っている」などヨーロッパでも作品を作っているが、やはりイスラム社会のスパイスが効く母国イランを舞台とした話が真骨頂。
今までの作品はごく平凡な市井の人々を描いて来たが、今回はちょっと趣が違う。
アミール・ジャディディが演じる主人公のラヒムは、借金の罪で服役中の囚人なのだ。
休暇をとり一時的に出獄中に、落とし物の金貨を手に入れる。
金貨を返済に充てれば、借金の一部を返すことが出来、示談して出所する目処もつく。
しかし彼は悩んだ末に、金貨を落とし主に返すことを決めるのである。
囚人という“信頼出来ない語り部”を主人公に、真実とは、正義とはという人間社会の葛藤の根源が見えて来る仕掛け。
ちなみにレイフ・ファインズ監督の同一邦題の映画があるが、あちらはシェイクスピアの「コリオレイナス」の映画化なので内容は全く無関係だ。
ラヒム・ソルタニ(アミール・ジャディディ)は借金の罪で投獄され、服役している。
ある時、婚約者のファルコンデ(サハル・ゴルデュースト)が17枚の金貨を拾う。
金貨を換金すれば、借金を返せるかも知れない。
休暇をとって外に出たラヒムは、ファルコンデと共に両替商に持ち込むが、返済に十分な額にはならなかった。
悩んだラヒムは、これも神の意志と考え、金貨を落とし主に返すことを決意する。
その小さな善行は、刑務所幹部の知るところとなり、彼らは刑務所の不祥事から目を反らせるために、ラヒムの行為を大々的にメディアで報じさせる。
世知辛い世の中で、善意の囚人の物語は大きな反響を呼び、一躍時の人となったラヒムは再び休暇を与えられ、チャリティー団体の表彰式に出席し、借金返済のための寄付金も集まり出す。
しかし、ラヒムを信じていない貸主のバーラム(モーセン・タナバンデ)は頑なに示談を拒否。
そもそもこの話自体が、世間の同情を集めるための作り話だという噂がSNSに広まったことから、ラヒムには一転して疑惑の目が向けられる。
刑務所に逆戻りもあり得る事態に、焦ったラヒムは決定的な嘘をついてしまう・・・
イランでは、死刑も金で取り消せるのは知ってたけど、借金返済が滞り貸主が訴えると刑務所行きで、服役中にも“休暇”が取れて一時的に外に出られるのは知らなかった。
つくづく、不思議な法体系の国だ。
ラヒムがバーラムから借りたのは、1億5000万トマン。
1円がだいたい3トマンだから、日本円にしたら5000万円くらいか。
平均年収が日本の1/7程度の国だから、まあ相当にデカい借金を抱えたのは想像出来る。
一度は金貨を使って返そうという誘惑に駆られるが、結局換金しても借金の総額には遠く及ばないことが分かり、ラヒムは落とし主を探して返すことを決意。
落とし主の女性はすぐに見つかり、金貨は無事に返還されるのだが、このことを刑務所の幹部たちが知ってしまったことで、話が大きくなってゆく。
刑務所では囚人が自殺する事件が起こっていて、世間の批判から目をそらせるためにラヒムの善行が利用されるのである。
善意の囚人としてTVが取材し、ラヒムの借金を返済するためのチャリティーイベントも開かれ、雇用先まで紹介される。
全てが好転すると思われたが、借金の貸主のバーラムはラヒムを全く信用してない。
ここがこの作品のポイントで、観客は映画で描かれている物語より以前のラヒムを知らないし、この映画の世界の世間の人はもっと知らないのだ。
だから彼は、初めから“疑惑の人物”なのである。
とりあえず金貨は返したものの、それは本当に善意からの行動だったのか?
もし拾った金貨がもっと多くて、借金を全額返せる額だったとしたら、彼は返しただろうか?
こう考え出すと、どこまでが善意で、どこまでが打算なのか分からなくなってくる。
そもそもこの話自体が、罪を免れるための作り話なのでは?と言う噂が広まり出すと、世間の掌返しは早い。
それまで語られていたことの細かな矛盾が、重箱の隅をつつく様にして浮かび上がってくる。
姉の家の番号でなく、わざわざ刑務所の番号をチラシに書いたのはなぜか?
実際に金貨を拾ったのはファルコンデなのに、TVで自分が拾ったと言ったのは嘘ではないか?
吃音に苦しむ幼い息子を、マスコミに晒すのは同情を集めるための演出ではないか?
ラヒムの視点で物語を知っている観客は、もともとことが世間に知られたのは偶然であって、ラヒムは基本的には善意で行動したと思っているが、世間はそうではない。
彼の言うことが正しいと証明できる唯一の人物は落とし主の女性だが、彼女は音信不通でどこにいるのかも分からない。
そして、事態を打開しようと焦ったラヒムは、ファルコンデを落とし主の女性としてでっち上げるという、決定的な嘘をついてしまうのだ。
ここへ来て、観客にも分からなくなる。
金貨を返したことは事実だが、本当のラヒムはペテン師体質の人間なのかも知れない。
バーラムがあそこまで怒っているのは、過去に人間性を疑わせる様な、相当な不義理を働いたのではないのか。
彼は本当に善意の英雄なのか、偶然手に入れたチャンスを使って、全てをチャラにしようとしてる悪人なのか。
ラヒムが普通の市民ではなく、現実に膨大な額の借金を作った囚人であるという事実が、彼をいわゆる“信頼出来ない語り部”とし、観客を惑わすのである。
SNSがそのまま世論となるのは、もう世界中どこでも同じなのだろうが、日本映画よくある「画面に文字が溢れる」みたいな演出が無いのはよかった。
主人公が直接見聞きする、身の回り半径10メートルの出来事に絞ったおかげで、自分の知らない間に、状況がどんどん悪化しているのがリアルに感じ取れる。
少なくとも映画の物語の中では、誰も悪くない。
確かにラヒムは正しいことをしたが、バーラムの恨みを買うようなことをしたのも多分事実であって、彼の怒りも理解できる。
しかし、やっと好転しそうな人生を守ろうとつい嘘をついて、そのことが更なる疑念を生み、遂にはファルコンデや幼い息子まで、残酷な形で巻き込んでしまうのは、悲劇の連鎖としか言いようがない。
再びどん底に落ちたラヒムが「最後に守ったのは何?」という話は、イラン的であるのと同時に、世界のどこでも説得力たっぷりの普遍的なもの。
人間の社会では、正しい行動が常に報われとは限らないが、少なくとも観客は彼が何者だったのかは知っている。
相変わらず素晴らしい心理劇だが、本作に盗作疑惑が出たことで、ファルハディがラヒムと同じ様に、疑惑の人物化してしまったのは皮肉だ。
こちらの真偽は裁判の結果待ちだが、表に出てきてる事実関係だけ見ると、完全に無関係とは言い切れない感じ。
果たしてイランのSNS上では、訴えた方と訴えられた方、どっちが優勢なのだろう。
本作で主人公に訪れたチャンスは泡沫の夢で終わってしまったが、改めてカクテルの「ドリーム」をチョイス。
ブランデー40ml、オレンジキュラソー20ml、ペルノ1dashを氷と一緒にシェイクし、グラスに注ぐ。
コクのあるブランデーと、オレンジキュラソーの清涼な甘味のハーモニーに、ベルノがアクセントを加える。
その名の通り、ナイトキャップにするといい夢が見られる。

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