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トップガン マーヴェリック・・・・・評価学1800円
2022年05月29日 (日) | 編集 |
映画の夢が大空を飛ぶ!

最初に予告編が公開されてから早3年。
コロナ延期組のラスボスにして真打ち、「トップガン マーヴェリック」が満を持しての登場だ。
売り出し中の若手俳優だったトム・クルーズを、一躍トップスターに押し上げた前作から36年。
アメリカ海軍のエリートを養成する戦闘機兵器学校、通称“トップガン”出身の伝説の戦闘機乗り“マーヴェリック”が帰ってくる。
ただし、今回は教官として。
彼の任務は、生還の確率が限りなくゼロに近い過酷なミッションに向けて、親子ほど歳の離れた若いパイロットを訓練すること。
当初続投するはずだったトニー・スコット監督が2012年に亡くなったため、企画を仕切り直して再スタート。
ジェリー・ブラッカイマーが前作に続いてプロデュースし、監督は「オブリビオン」でもトム・クルーズと組み、相性の良いところを見せたジョセフ・コシンスキー。
前作の劇中で亡くなった、マーヴェリックの相方“グース”の息子、“ルースター”をマイルズ・テラーが演じる。
※ラストに触れています。

ピート・“マーヴェリック”・ミッチェル大佐(トム・クルーズ)は、アメリカ海軍の全パイロットの中でただ一人、過去40年間で三機の撃墜を記録している伝説的なパイロットだ。
だが今は、極超音速実験機“ダークスター”のテストパイロットの任務についていた。
有人機開発のプログラムを中止して、全ての予算をドローンに振り向けようとするケイン少将(エド・ハリス)の前で、目標測度のマッハ10をクリアしてみせたマーヴェリックは、予定を超えた速度に挑戦し、機体を空中分解させてしまう。
懲罰を覚悟していたマーヴェリックだが、かつて“アイスマン”のコードネームで知られたカザンスキー海軍大将(ヴァル・キルマー)から、サンディエゴのノースアイランド航空基地へ向かうように命令が下る。
待っていたのは、12名の若き戦闘機乗りたち。
その中にはマーヴェリックの元相方のレーダー迎撃士官で、事故で命を落としたグースの息子、ブラッドリー・“ルースター”・ブラッドショウ(マイルズ・テラー)もいた。
マーヴェリックは3週間以内に彼らを訓練し、6名を選抜して、ある非常に危険なミッションに挑ませなければならない。
曲者揃いの訓練生の中でも、マーヴェリックにわだかまりを持つルースターは反発を募らせるが・・・・


冒頭、空母の艦上で戦闘機の発艦作業が慌ただしく行われている中、お馴染みの「Danger Zone」が鳴り響く。
忠実にオリジナルを再現し、大いなるリスペクトを込めたオープニングだ。
しかし、そこにマーヴェリックはいないのである。
場面が変わると、モハべ砂漠の古びた格納庫で、彼は第二次世界大戦中のP−51(正確には偵察機仕様のF-6Kらしい)をレストアしている。
流石のマーヴェリックも、もはや悠々自適の引退生活?と思わせておいて、ロッカーの扉を開けて懐かしのフライトジャケットを纏い、バイクのカバーを取るとそこには愛車のカワサキGPZ900Rが変わらぬ姿を見せる。
そして颯爽とバイクを走らせると、そこには未来的な極超音速実験機、“ダークスター”が彼を待っているのだ。

実は私はオリジナルの「トップガン」を、それほど高く評価していない。
トニー・スコットが亡くなった時、当ブログの追悼記事で私的な彼のベスト5を紹介しているのだが、そのリストにも入ってないし、あえて選ぶならトップ10にギリギリ入るか入らないか程度。
前作は当時流行していたMTVの影響を受け、ありきたりな物語をスタイリッシュで派手な映像と、ビートの効いた音楽で盛り上げようとするお祭り映画の典型。
いわば同じジェリー・ブラッカイマーのプロデュース作で、ジョルジオ・モロダーが音楽を担当し、大ヒットした「フラッシュダンス」の男の子版だ。
実際に今観ると、アメリカ海軍の全面強力で作られた映像は確かにカッコはいいものの、テンプレ的で薄っぺらな物語は、ちょっと現在ではないなと思う。
それにも関わらず、本作を観るとまるでオリジナルが名作であったかの様に思え、キャラクターとの36年ぶりの再会に感涙してしまうのである。
なぜか?
それは本作が単なる続編という以上に、前作を内包しつつキャラクターに対してメタ的なアプローチを取っているからだ。

オリジナルの「トップガン」が公開されたのは1986年。
ソビエト連邦との冷戦の時代だから、一昔どころか一世代以上昔と言ってもいいだろう。
当時マーヴェリックが乗っていた、F-14トムキャットは米海軍からは全て退役し、所属していた空母エンタープライズもスクラップになった。
同期の仲間は皆退官したり、海軍に残っていても将官に出世したりしているのに、マーヴェリックは階級も大佐止まりで生涯一パイロットして飛び続けている。
しかし、そんなマーヴェリックに、有人機プロジェクト廃止論者のケイン少将が「君らはいずれお払い箱だ」と言い放つ。
それに対して、マーヴェリックは「そうだとしても、今じゃない」と答えるのだ。
社会のあらゆる部分で自動化とAI化が進み、人間の仕事が縮小しているのは、パイロットでなくても同じ。
以前はたった1カット、俳優とCGが入れ替わっても組合が大騒ぎしたのに、今では現実の俳優よりもCGの出番の方が多いんじゃない?という映画も珍しくない。
ケインとマーヴェリックの会話は、パイロットを俳優に置き換えても成立するのだ。
人間じゃなくても出来るかもしれない、でもまだ人間にしか出来ないことがある。
これは、可能な限り自らの肉体を使うことに拘ってきた、トム・クルーズの俳優としての矜持を感じさせる。

本作の作劇的な特徴が、前作から本作の間に流れた歳月の余白をうまく使っていることだ。
例えばジェニファー・コネリーが演じるペニー・ベンジャミンは新キャラクターだが、唐突に登場してマーヴェリックと昔話をはじめる。
彼と彼女が過去に恋仲にあったことは示唆されるが、具体的にどんなドラマがあったのかは語られない。
だが想像力を刺激するには十分で、このワンシーンだけで、観客は自分の知らないマーヴェリックの歴史があることを実感するのである。
他のキャラクターも同様で、太平洋艦隊司令官にまで上り詰め、今は病で死の床にあるアイスマンとマーヴェリックが、今もSNSで連絡を撮り続けている描写や、ルースターが父グースの十八番だった「Great Balls Of Fire」を熱唱するシーンに、前作との間にあったであろう様々なドラマを自然に感じさせるのだ。
マーヴェリックの人生そのものである、海軍の組織自体も変わった。
12人の訓練生は、人種的にも前作よりもはるかに多様になり、女性のパイロットもいる。
アメリカ海軍に初めての女性戦闘機パイロットが誕生したのは、90年代に入ってからで、前作の時点では誰もいなかったのである。
「トップガン」という別の世界線でも、現実と同じように社会は変わり、マーヴェリックたちの人生も、ずっと続いていたのだと錯覚させる。
このメタ的なアプローチは、物語論としてもなかなかユニークである。

全体の軸となるのは、マーヴェリックとルースターとの確執。
これも具体的に描かれている過去のインフォメーションは最小限だが、このリーダーを信じて、命を預けられるか?という戦闘機パイロットしての核心に通じるポイントに的を絞り、十分な重みを持つ。
また家族のいないマーヴェリックにとって、ルースターは親代わりになって見守っていた存在でもあり、擬似的な父と息子の親離れ、子離れの巣立ちのドラマとしても見応えがある。

もちろん、本来のスカイアクションとしても、圧倒的な大迫力。
中盤までは、前作を思わせるマーヴェリック先生と訓練生たちとの訓練が続く。
なんだかんだで、マーヴェリックも教官としてだけでなく、実働部隊の隊長も務めることになるのだが、彼らが遂行するミッションのターゲットは、山に囲まれたすり鉢状の谷底にある稼働直前の核施設
地対空ミサイルと戦闘機によって守られている施設に、レーダーをかい潜って接近し、核燃料が運び込まれる前に破壊しなければならない。
任務の特性からマーヴェリックたちは4.5世代戦闘機のF/A-18E/Fでミッションに挑むが、相手はロシアのSu-57っぽい第5世代戦闘機で空中戦になれば分が悪い。
敵の具体的な国名などは伏せられているが、秘密裏に核開発をしてる設定と、装備している兵器類などから、ロシアとイランを合わせたような架空の国家。
しかし、このミッションの法的根拠は、もう少し明示して欲しかった。
偶然とは言え、ウクライナの戦争が起こったことで、「脅威だから攻撃する」ではプーチンの理屈と同じになってしまい、そこはちょっと引っ掛かった。

たぶんに「スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望」のデススタートレンチに影響を受けたと思われるミッションは、極めてスリリングで、これだけでクライマックスとして十分な熱量。
しかし、本作の本当のクライマックス、クライマックスのクライマックスはこの後にやって来る。
そう、この映画の予告編には、米軍では退役したはずの、かつてのマーヴェリックの愛機、F-14がチラリと登場していたのだ。
私は予告編を観た時に「いまだにF-14が現役のイランでミッション中に撃墜され、イラン空軍の機体をぶんどってくる設定では?」とツイートしたが、まさかその通りになるとは(笑
もちろんイラン設定ではないが、敵はなぜかポンコツのF-14を装備していて、撃墜されたマーヴェリックとルースターがコンビを組んで機体を奪取、脱出を図るのだ。
かつてのグースのポジションにルースターが収まったことで、彼らの確執は完全に解消する。

このくだりは「トップガン」と言うよりも、トム・クルーズのもう一つの大ヒットシリーズ、「ミッション:インポッシブル」みたいなノリだが、当初はもう少し普通の軍事作戦として描かれていたらしい。
しかし、同シリーズの脚本家兼監督として知られ、本作では共同脚本として参加しているクリストファー・マッカリーが、この少年漫画みたいなスピーディーで胸熱な展開を強烈に推したとか。
ありがとう、マッカリー!

勝手知ったるF-14と、本来なら勝ち目の無い第5世代戦闘機との戦いも、敵がF-14を味方と思い込んで近づく形でステルスの意味を失わせ、それぞれのメカとしての特性を生かした、超接近戦としたことでそれなりに説得力のあるものとなった。
前作の大きな不満点が、敵のミグ戦闘機役に使われた米国製のF-5が、F-14の相手をするには完全に役者不足だったこと。
小さすぎて、どうにも強そうに見えないのだ。
対してこちらは、CGで最新鋭機のSu-57を再現しているので、力関係は逆転。
古きが新しきを征するのは、ちょっと「バトルシップ」風味も感じられる。
そして最後は、きちんと若者を立てて、老兵マーヴェリックはロートルマシンのF6-Kに乗って去ってゆくのである。
いやあ、もうカッコ良すぎるだろう。
途中からずっとウルウルしていたところに、エンドクレジットのトニー・スコットへの献辞で、もう涙腺が完全に決壊してしまった。
史上最高の“続編”の一つであるのは確かだが、キャラクターの老いも含めて、前作から30年以上の時間経過にきちんと意味を与えたのが最大の成功要因。
続編のあり方として、今後一つの指標となる作品だろう。

今回は、南カリフォルニアのスカッとした空気にピッタリな「コロナ エキストラ」をチョイス。
前作の時代には、ライムを一切れビンに突っ込むのが定番だったが、最近はリサイクルが難しいのでやらないらしい。
仕方ないので、ライムを絞り入れよう。
柑橘のフレッシュな香りを効かせたコロナは、夏に飲むと本当に気持ちいいのだ!

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ハケンアニメ!・・・・・評価額1750円
2022年05月24日 (火) | 編集 |
きっと、誰かの心に刺さる。

アニメーション制作なんて地味な題材を、よくぞここまでダイナミックなお仕事エンターテイメントに仕上げたものだ。
吉岡里帆演じる新人監督と、彼女の憧れの人であるレジェンド監督の中村倫也が、土曜5時枠のTVシリーズで激突する。
主人公は初監督なので、強気を装ってるが自信も余裕も無い。
最初からキチキチなのに、イベントでレジェンドに「覇権をとります」とか言っちゃったものだから、余計に追い込まれてゆく。
中村倫也の側も、一度ヒット作を出した者だけが分かる、強烈なプレッシャーに晒されている。
原作は直木賞作家の辻村深月の同名小説で、TVドラマ「死役所」や「ミス・シャーロック/Miss Sherlock」の政池洋佑が脚色。
監督は、異色のオリジナル作品「水曜日が消えた」でデビューした吉野耕平が務め、長編二作目にして見事な傑作をモノにした。
吉野監督は「君の名は。」にも参加したCGアーティストで、二つの作品の競争を盛り上げる、凝ったビジュアルデザインも見もの。

公務員からアニメーション業界の老舗、トウケイ動画に転職した斎藤瞳(吉岡里帆)は、7年の下積みを経て、社運をかけたロボットアニメ「サウンドバック 奏の石」で念願の監督デビューを果たす。
しかし同じ時間枠で、カリスマ的な人気を誇る王子千春(中村倫也)の新作「運命戦線 リデルライト」と対決することになる。
王子は、7年前に瞳が転職を決意するきっかけとなった、「光のヨスガ」を作った憧れの人。
世間の下馬評は「リデルライト」の圧勝だが、イベントで千春と対談した瞳は「勝って、覇権を取ります」と宣言してしまう。
ただでさえ時間がないのに、少しでも初監督の瞳の露出を高めようとするプロデューサーの行城理(江本祐)の意向で、取材やタイアップに連れ回される瞳は、曲者揃いのスタッフの心を掴むのに必死。
一方の千春も、「ヒットして当たり前」というプレッシャーに押しつぶされそうになりながら、孤独な闘いを続けていた。
やがて、全くタイプの違う、「サウンドバック」と「リデルライト」の初回放送の日がやって来るのだが・・・・・


モノづくりの厳しさと楽しさがギュッと詰まった、圧倒的熱量を持つ傑作だ。
主人公の新人監督、斎藤瞳を演じる吉岡里帆が素晴らしく良い。
生真面目で静かに情熱を燃やすキャラクターがピッタリとハマり、「見えない目撃者」を超えるキャリアベスト。
創作には脳に糖分が必要で、編集スタジオに置いてある、コージーコーナーのエクレアを食べたいのに、タイミングが悪くていつも空っぽで食べられない。
私も無性に食べたくなって、観終わってすぐにコージーコーナーに直行したのだが、直前に閉まってて絶望したよ。
不器用な彼女の気分を、リアルに味わった(笑

斎藤監督の「サウンドバック 奏の石」は、少年少女の音の記憶をもとに、不思議な石が毎回違った形態のロボットを作り出す、ジュブナイル色の強いロボットアクション。
対する王子千春監督の「運命戦線リデルライト」は、「AKIRA」のバイクチェイスに、魔法少女ものを掛け合わせた様なSFファンタジー。
対照的な両者の競い合いを成立させるために、視聴率と円盤という指標を持って来ているが、現在この業界はサブスク移行が進んでいるので、現実には映画ほどには一喜一憂されないだろう。
まあこの辺りは、原作の連載時期が2012年〜14年と、少し昔だったことで生まれたギャップだろうが、結果的に盛り上がったのでヨシ。
他にもちょっと「?」な設定や描写も散見されるものの、TVアニメ制作のプロセスが分かりやすく凝縮されていて、モノ作りの夢と狂気、誰にも止められない”好き”への情熱が余すところなく表現されている。

終始お疲れ顔の主人公は、真面目に国立大学を出て、公務員をしていたものの、7年前に王子監督の「光のヨスガ」と出会ったことで転職を決意。
その後の下積み時代はすっ飛ばされて、まさに監督デビュー作の制作中から本筋が始まる。
私は一応アニメーション業界のインサイダーなので、専門性の高い業界で、転職組の斎藤監督がこれまでどれだけ苦労して来たかは十分想像できる。
デビュー作を成功させなければ後がないというプレッシャーに加えて、人気、知名度で圧倒的な王子監督との対決は、彼女の肉体と精神をボディブローのように削ってゆく。
この仕事は、会社が違っても編集スタジオや録音スタジオは共通なことも多く、本作でも斎藤監督と王子監督はしばしば顔を合わせる。
彼は内心、自分の作品に憧れて業界入りしたと語った彼女のことを気にかけているようで、さりげなく助言を与えたりするのだが、その実過去にヒット作を出した者だけが分かる、強烈なプレッシャーに押し潰されそうになっていて、プロデューサーは作品が無事完成するのか気が気でない。

本作のユニークな点は、監督とプロデューサーのバディものにもなっていること。
青チーム「サウンドバック」と赤チーム「リデルライト」の、男女入れ替えの監督とプロデューサーコンビが、記憶に残る最高の作品を作ろうと奮闘する話でもある。
お仕事映画は数あれど、男女コンビのチーム戦は珍しい。
監督同士に共通点が多い反面、柄本佑と尾野真千子が演じる両作のプロデューサーは、仕事のスタイル、人心掌握術も一見すると対照的なタイプ。
作品への熱い情念をクールな仮面の下に秘めた柄本佑と、隠さずにぶつけることで壁を打破してゆく尾野真千子のプロデューサーズは、監督たちがピッチャーだとしたら絶対の信頼をおくキャッチャーだ。
だから両者の相性は、もの凄く大切なのである。
プロデューサーの仕事はあまりにも多岐にわたっているため、なかなか説明しずらいものだが、本作を見ると多少の簡略化はあれどイメージしやすいのではないか。

しかしプロデューサー、監督も含めて、夜に働いている描写がやたらと多く、倒れるほどの長時間労働、休みを取るにも何日も徹夜しなければならない下請の苦労、個人の才能に頼った結果の皺寄せなど、この業界のブラックさもきっちり描かれてるが、彼女らは今いる現場で精一杯あがくしかないのが現状。
王子監督はフリーだが、斎藤監督は社員なので、いくらヒットしてもインセンティブなど無い。
それでもディレクターシステムの日本では、たとえ思い通りに作れなかったとしても、作品がコケれば監督が責任を問われる。
「納得出来ないものを、世間に出した時点で負け」という一見傲慢にも思える王子監督の言葉は、決して誇張では無いのである。

物語の序盤は斎藤監督がテンパってて、他人を思いやる余裕もなく、非常にギスギスした雰囲気で、正直こんな現場はイヤだと思わされる。
第一話のラッシュ上映の時の彼女は、スタッフの列の最後から、心ここに有らずという表情でついてくるし、起用を反対したアイドル声優との関係は、自分では気づいてないけどパワハラギリギリだ(実際にはパワーなど無いのだけど)。
だが最初がどん底な分、成長もわかりやすい。
自分の作りたいものを信じ、スタッフやキャストとお互いに信頼できる関係になると、物語にもドライヴがかかってくる。
最終話のラッシュ上映では、すっかり戦闘モードの斎藤監督が、スタッフの先陣を切って歩いてくる、創造のカタルシス
そしてチーム戦である以上、成長するのは彼女だけではない。
王子監督も、過去の栄光という壁を乗り越え、厨二病みたいな破滅願望の先にある未来へと辿り着き、二つの作品を成立させたプロデューサーズも、いや関係者全てが成長する。

業界あるあるの(半分くらいは斎藤監督と王子監督が自分で招いてる)ハプニングの連続に加えて、東映動画の名作群から「明日のジョー」、“超平和バスターズ”の秩父シリーズに「エヴァンゲリオン」まで、歴史を彩った様々な作品からの、わかる人には分かる引用も楽しい。
特筆すべきは劇中アニメの出来の良さだが、それもそのはず。
アニメーションパートは、プロダクションI.G.がガッツリ取り組み、「サウンドバック」はTVシリーズ版「若女将は小学生」の谷東監督、「リデルライト」は「ONE PIECE STAMPEDE」の大塚隆史家督が手がけている。
完全にガチ勢による力作で、ぶっちゃけ現在のTVアニメとしてはオーバークオリティなくらい。
企画性も、実際に放送されたら観たくなるレベルに仕上げている。
両作のイメージカラーの赤と青を上手く使って、世間の評価を得る競い合いがAR的に表現されるビジュアルデザインも、未見性があってあって面白い。

この映画に登場する全ての人のベースにあるのは、「自分はなぜこの仕事をしているのか」という自問自答。
荒んだ子供時代をおくった斎藤監督は、絵空事のフィクションを信じていなかった。
どんなアニメを見ても、そこに自分を投影することが出来なかったから。
ところが、王子監督の「光のヨスガ」と出会い、その世界に自分を見たことで救われたのだ。
力のあるフィクションは、受け取った人に刺さり、現実を生きる力になる。
そしてその中の何人かは、斎藤監督のように、今度は自分が他人に希望としてのフィクションを届けたいと思うようになるのだ。
子供時代の斎藤監督と、隣に住んでいる太陽くんという孤独な男の子の境遇を、リンクさせる仕掛けも良い。猫のざくろちゃんも可愛いし。
クリエイティブの仕事についている人、やり続けている人は、それぞれの「光のヨスガ」があるのだと思う。
観ているうちに、斎藤瞳という監督が本当にこの業界のどこかにいて、次なる作品に向かって鋭気を養っているような錯覚に陥る。
これは、間違いなく本物だ
ところで、エンドクレジット後に粋なオマケがあるので、席を立たないよ~に。

今回は、夢を追う人々の映画なので、「ドリーム」をチョイス。
ブランデー40ml、オレンジキュラソー20ml、ペルノ1dashを氷と一緒にシェイクし、グラスに注ぐ。
ブランデーのコクと、オレンジキュラソーの甘味が作り出す味わいに、ベルノの香りが独特のアクセントを加える。
その名の通り、ナイトキャップとして知られる一杯なので、寝不足気味の斎藤監督にも飲んでほしい。

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流浪の月・・・・・評価額1700円
2022年05月19日 (木) | 編集 |
世界から拒絶されても、あなたがいる。

これは強烈な映画だ。
女児誘拐事件の被害者と犯人が、15年後に再開したことから、運命が動き出す。
広瀬すずと松坂桃李が演じる、この二人は似た者同士。
親の愛を知らず、最初から家に居場所が無い。
そして、二人とも人には言えないトラウマを抱えて、心がちょっと壊れてしまっている。
長編映画としては、2016年の「怒り」以来となる、李相日が監督と脚本を務める。
「パラサイト 半地下の家族」「哭声/コクソン」などで知られる、現代韓国を代表する撮影監督・ホン・ギョンピョが素晴らしいフレームワークを見せ、こちらも世界的に活躍する種田陽平が美術を担当。
孤独な二人の魂のドラマを、超ハイレベルなビジュアルが彩る。
心の世界と現実の世界が乖離してしまうことの痛みが、観る者の心をじわじわと抉ってくる、濃密なる2時間30分だ。
※核心部分に触れています。

新しい恋人ができた母と別れ、叔母の家に引き取られた家内更紗(広瀬すず/白鳥玉季)は、9歳の時に“誘拐事件”の被害者となった。
雨の公園で本を読んでいた更紗に声をかけて、自宅のマンションに連れて帰ったのは、19歳の青年・佐伯文(松坂桃李)だった。
そのまま2ヶ月ほど一緒に暮らし、文は誘拐犯として逮捕され、文を庇った更紗が泣き叫ぶシーンはSNSに拡散した。
それから15年が経った現在、更紗はファミレスでバイトしながら、恋人の中瀬亮(横浜流星)と同棲している。
事件のインパクトは大きく、更紗は今でも「あの時の可哀想な女の子」として好奇の目に晒されることもある。
そんなある日、更紗は偶然入った深夜カフェで、店長として働く文と再会する。
文は更紗が分からない様子だったが、当時自分には一切手を出さなかったのに、「ロリコンの変態誘拐犯」とバッシングされた文のことが、ずっと心に残っていた彼女は、足繁くカフェに通う様になる・・・


李相日監督の前作「怒り」で、キーパーソンとなる高校生の泉を演じ、ラストカットの誰にも届かない魂の慟哭が鮮烈な印象を残した広瀬すずが、今回は20代の大人の女性。
まさに光陰矢のごとしだが、本作で運命の出会いをした更紗と文は、違った意味でおそろしく複雑なキャラクターで、役者としては演じ甲斐があっただろう。
設定を一見すると、誘拐犯と被害者とされた二人と世間の間の、“正しさのズレ”に関する映画なのかと思ったが、実際に観るとそんな単純な話じゃなかった。
映画は現在と15年前、さらにその間の出来事を行きつ戻りつしながら進行してゆくが、上映時間の大半は更紗の視点で進行する。
冒頭の雨の公園で、中で傘も刺さずに「赤毛のアン」を読んでいる彼女に、文が声をかける。
9歳の更紗を演じるのは白鳥玉季だが、広瀬すずそっくりに雰囲気を作っていてドキッとした。
末恐ろしいぞ、この子は。
家に帰りたくないという彼女を、文は自分のマンションに連れ帰り、奇妙な同居生活が始まる。
仕事をするでもなく、学校に行くでもなく、何にも縛られない自由な日々。
しかしそんな白昼夢のような時間は、水面に移る月が波紋にかき消されるように、ある日突然終わりを迎える。

更紗は預けられていた叔母の家で、中学生の従兄弟から性的虐待を受ていて、逃れるために文のマンションに行ったのだが、保護された彼女はどうしても警察に本当のことを言うことができない。
結果、ロリコンの大学生が、女の子を悪戯目的で誘拐し、洗脳したと言う警察の見立て通りに事件は集結してしまう。
そのまま15年の歳月が過ぎて大人になっても、性的虐待のトラウマは悪夢となって更紗を苦しめ続け、自分の秘密を守るために、文を犠牲にしたという罪悪感も心の奥底の棘となっている。
あの時、二人の間にあった、お互いを求める感情を、周りは誰も理解してくれない。
いや厳密に言えば、それがどういった感情なのか、観てる方はもちろん、キャラクター自身も理解していないようなのだ。
偶然の再会を果たした二人は、再び惹かれ合うようになり、それは更紗の婚約者で隠れDV体質の亮と、多部未華子が演じる文の恋人のあゆみを巻き込んで、周囲に嵐を巻き起こしてゆく。
亮とあゆみに関しては、どちらも癖はあるが普通の人なので行動原理が分かりやすいが、更紗と文は違う。
雨の中、得体の知れない強い衝動に駆られた更紗が、文とあゆみをストーカーのように追いかけるシーンは、彼女を動かしている感情の正体が分からず、キャラクターと観客の戸惑いがシンクロする。

かつての自分のような、失踪した同僚の娘を預かった更紗は、再び文と親密な関係を再び結ぶが、それは世間的にはタブーとされいるもの。
その時彼女が抱いた「文と一緒にいたい」と言う感情は、果たして15年前と同じものなのか。
やがて、物語の終盤になると、徐々に視点が更紗から文へとシフトし、彼の抱えているある深刻なコンプレックスが明らかとなる。
誰にでも絶対に人に知られたくないことがあり、秘密が更なる誤解を呼ぶ悪循環。
世界から拒絶され、この世でただ一人の相手にしか、自分を理解してもらえないと思った時、その相手が許されない人物だったらどうするか。
二つの迷える魂の15年を、風にそよぐカーテンがシームレスに橋渡しし、昼間の儚げな月が二人の見ている世界を繋げる。
撮影のホン・ギョンピョと照明の中村裕樹は、驚くべき未見性のある映像を作り上げていて、全てのショットが決め込まれ、まるで絵画のような美しさだ。
直線的で人間味を感じさせない、文の実家のビジュアルデザインは「パラサイト 半地下の家族」思わせるフレームワークが光るが、特筆すべきは雨、川、湖といった象徴的に描写される水の表現だろう。
更紗と文、異なる時系列で二人が湖に浮いているシーンがあるが、まるで二人とも透明だが底の知れない水に絡め取られているように見える。

現在の更紗と亮、文とあゆみは、結局どちらも破綻する。
この二人はトラウマによって“一部が壊れている”のが重要で、結局それが原因で肉体的に人と愛を交わすことができないのである。
更紗は亮に「私は可哀想な子じゃないよ」という。
亮は彼女のことを「ロリコンの変態に誘拐されて、悪戯された可哀想な子」で自分が救ってあげられると認識している。
まあ実は亮も更紗に依存していて、それが問題を引き起こしてゆくのだが、そもそも彼女の中では“誘拐事件”は起こっていないのだから、救われる必要は無いのである。
一方、15年前に文が傘を差し出した更紗は、性的虐待を受けて帰る家のない「可哀想な子」だ。
同じ人物に救いの手を出したという点では同じだが、彼女に対するスタンスが上から目線の亮と対等な文では真逆。
更紗は文には自分の問題を告白できるが、亮には出来ない。
心で繋がることができる人と、そうでない人の差とはこういうものなのかも知れない。

そしてロリコンの誘拐犯と揶揄されても、自分の本当の問題を誰にも言えなかった文も、遂に更紗に真相を明かし、二人は「流浪の月」となって人生を共に歩むことを決意する。
私は、最後までこれが真実の愛なのか、ある種の共依存なのか判断がつかなかった。
おそらく、アプローチの仕方によっては、一気に陳腐化してしまう物語だと思うが、世間から断絶しお互いを求める感情を、あえて二人の間でしか理解し得ない、言語化不可能なものとして描いたのが秀逸。
簡単には咀嚼不可能な物語で、映画が終わって劇場に灯がついても、観た者の中で何か大きな説明できない想いが胸につかえたままになる。
人の心は摩訶不思議なり。

今回は舞台となる松本市の地酒、その名も大信州酒造の「大信州 超辛口純米吟醸」をチョイス。
柔らかな吟醸香がふわりと立ち、口に含むと米の旨味がすっと広がる。
ネーミング通り喉越しスッキリな辛口だが、純米吟醸酒らしい芳醇さも味わえる。
ただ軽やかなだけではなく、豊かな深みと幅のある酒だ。

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シン・ウルトラマン・・・・・評価額1600円
2022年05月14日 (土) | 編集 |
人類は、救うに値するか?

大ヒットした「シン・ゴジラ」「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」に続く、庵野秀明の“シン・ユニバース”(?)第三弾。
今回再生されるのは、1967年に登場し日本中の子供たちを熱狂させた巨大ヒーロー、「ウルトラマン」だ。
庵野秀明は熱烈なファンとして知られ、大阪芸大在学中に8ミリ自主映画として三本も「ウルトラマン」を作っている。
40年目にして本物に辿り着いた訳だが、本作では総監修・製作・脚本・編集でクレジットされ、監督は盟友の樋口真嗣が努める。
ウルトラマンに変身する神永新二を斎藤工が演じ、彼のバディとなる浅見弘子に長澤まさみ。
「禍特対」のメンバーを田中哲治、西島秀俊、早見あかり、有岡大貴が演じる。
オリジナルシリーズの数本を元にプロットが構築されているが、さほどダイジェストを感じさせず2時間を切る尺に収めたのはエライ。
「シン・ゴジラ」がそうだった様に、いい意味でやりたかったことを詰め込んだファンメイドムービーとなっていて、とても楽しい。
※核心部分に触れています。

謎の巨大生物「禍威獣(カイジュウ」の脅威にさらされる日本では、「禍特対(カトクタイ)」という組織が作られ、対策に当たっている。
ある日、透明禍威獣ネロンガが現れ暴れ回る中、宇宙から謎の飛翔体が落下する。
ちょうど取り残された子供の保護に向かっていた禍特隊のメンバー、神永新二(斎藤工)は落下の衝撃波に巻き込まれ死亡する。
落下点の土煙の中から立ち上がったのは、銀色の巨人だった。
巨人はネロンガを高エネルギーの光線で倒し、何処かへと飛び去った。
その後、子供を抱き抱えた神永が戻ってくる。
実は死亡した神永は、銀色の巨人と融合して新たな命を与えられていたのだ。
公安調査庁から禍特隊に出向した浅見弘子(長澤まさみ)は、神永と共に”ウルトラマン”と名付けられた巨人の調査を命じられるが、その正体は謎のまま。
そんな時、放射能を喰う地底怪獣ガボラが出現し、放射性廃棄物の処理場に向かう。
弱点が見つからず、進行を止められない中、再びウルトラマンが姿を現すのだが・・・・・


製作会社のロゴに続いて、「シン・ゴジラ」のタイトルが出て、その下から「シン・ウルトラマン」のタイトルが現れるが、これはオリジナルシリーズで前番組の「ウルトラQ」のタイトルの後に「ウルトラマン」のタイトルを出して、シリーズであることをアピールしていたことへのオマージュ。
作中で繋がりは明言されないものの、本作は半分くらい「シン・ゴジラ」の世界観を受け継いでいる。
怪獣という概念はそもそもなく、正体不明の巨大生物が出現しはじめて初めて「禍威獣(カイジュウ」と名付けられ、対処するためのチーム「禍威獣特設対策室」通称「禍特対(カトクタイ)」が作られる。
禍特対はオリジナルのような戦闘部隊ではなく、出現した禍威獣を分析し作戦を立案して、実働部隊の自衛隊や米軍を指揮する頭脳の役割をする。
冒頭部分で、過去に禍特対が退治した禍威獣たちが映し出されるが、全て「ウルトラQ」に登場した怪獣のリメイクだ。

世界観を矢継ぎ早に紹介するこの冒頭から、ネロンガ、ウルトラマン、ガボラが次々と出現し、バトルを繰り広げる序盤の展開は絶好調。
ちょっと「パシフィック・リム」風味もあって、観ている方もテンションがアガりまくり。
CGだけどあえて着ぐるみに見せるという、「シン・ゴジラ」路線はさらにブラッシュアップされ、昭和特撮のムードを完璧に再現。
一方で当時ではあり得ないショットも盛り沢山で、特撮オタクとしては嬉しくなってしまう。
樋口真嗣は、酷評された「進撃の巨人」二部作でも、巨人バトルの描写は「サンダ対ガイラ」みたいで凄く楽しかったから、やっぱり餅は餅屋である。

禍威獣との連戦が終わると、中盤はムードがガラッと変わって、ザラブ星人、メフィラス星人と、悪意ある宇宙人のエピソードが続く。
この辺りの日常のSF感覚はウルトラシリーズの隠れた味わいなので、ちゃんと組み込んでくるのはさすが。
宇宙人が地球を狙う動機も工夫があって、どうやら人間もベータカプセルを使って巨大化させることが出来、その場合誰もがウルトラマンのような強靭さを身につけることが出来るので、人類は生物兵器として金になるらしいのだ。
この設定はオリジナルシリーズよりも、むしろ原作版「進撃の巨人」の設定に近いのが興味深い。

この流れで、終盤人類の存在を危険視するゾフィーならぬゾーフィとの対話から、恒星系破壊兵器としての巨大ゼットン出現に持ってくるのだが、中盤以降の展開と見せ場のバランスはあまり良好とは言えない。
偽ウルトラマンとなったザラブ星人、そしてメフィラス星人との巨大化対決はあるものの、序盤の禍威獣とのバトルシーンに比べると地味な感は否めない。
「シン・エヴァンゲリオン」のヴンダーを思わせる、衛星軌道の巨大ゼットンとの戦いは、やはりくんずほぐれつにはなり得ない。
オリジナルの最終回「さらばウルトラマン」では、未熟な地球人を守るために戦い続けてきたウルトラマンがゼットンに敗北し、人類が開発した新型の小型ミサイルが、あっさりとゼットンを倒すというパラダイムシフトが起こる。
本作の文脈も同様だが、リアリティラインが異なるので同じ手は使えず、人類の英知がゼットン攻略の方法を考案し、ウルトラマンが実行する形になっている。
本当なら、ここは「シン・ゴジラ」の東京駅の攻防戦のように、人類とウルトラマンの総力戦にして盛り上げたいところだが、なにせゼットンがいるのは宇宙空間である。
人類は数式を書いただけで、ウルトラマンが一瞬にして作戦を終わらせてしまう。
文脈としては正しいが、エンタメとしてはもう少し盛り上げて欲しかったところ。

また組織戦にして群像劇という方法論は「シン・ゴジラ」と同じだが、キャラクター造形が類型的なのも問題だ。
ウルトラマンやメフィラス星人みたいな、非人間キャラクターは問題ないどころか、非常に緻密かつ高度に造形されているのだが、問題は人間だ。
あれだけ魅力的だった、霞ヶ関のお仕事集団が、本作では記号としか機能しておらず、これは演出の問題だけでなく、脚本としても練り込まれていないのも大きい。
このキャラ何のためにいるの?って人もちらほら。
長澤まさみの描写が、オヤジの視点を感じさせるのも気になった。
彼女はオリジナルのフジ隊員に当たるキャラクターで、今回も理由は異なるもののメフィラス星人によって巨大化させられてしまう。
SNS絡みのギャグに使うという予防線は張ってあったものの、タイトスカートを下から狙ったカメラワークはちょっと下品。
また隠されたベータボックスを探すために、ウルトラマンが彼女の匂いをヒントにするシーンは、あんな舐め回すように嗅がせる必要はないだろう。
あれじゃ、ウルトラマンがセクハラオヤジに見えてしまう。
ウルトラマンは、明るく楽しい子供番組だったはずだが、なぜか長澤まさみの描写にだけオヤジ臭さが漂うのは残念だ。

「シン・ウルトラマン」は、「シン・ゴジラ」の方法論を踏襲したファンメイドムービーとしては、非常に良くてできていて、楽しい娯楽映画だ。
だが、あくまでも模倣的なリメイクに留まっており、「シン・ゴジラ」のように過去のレガシーから新しいものを生み出すには至っていない。
日本社会を襲った3.11と、自らの鬱経験をもとに生み出された「シン・ゴジラ」「シン・エヴァンゲリオン」と比べて、本作には社会性に対する考察も、作家本人に対する掘り下げも行われていないことからも、初めから単純娯楽映画として作られたのは明らかだ。
逆に、ただ画面に映っているものを、無邪気にに楽しめばいい作品としては、十分に成立している。
ゼットンを倒した後の展開は、ほぼオリジナル通りだが、余韻を感じさせないあっさりしたラストも「続きは来週」の感覚で、これはこれで良いのじゃないかと思う。

今回は、メフィラス星人とガッツ星人とメトロン星人が作ったという触れ込みの日本酒、「人気一 純米総攻撃」をチョイス。
昭和特撮を思わせるレトロなラベルも楽しいが、手がけるのは島県二本松市の人気酒造。
ウルトラマンの生みの親である円谷英二は福島の人で、これは円谷プロと人気酒造がコラボした怪獣酒シリーズの一つ。
売り上げの一部は、3.11で被災した子どもたちのための「ウルトラマン基金」に寄贈される。
中身は別に人間を巨大化さえる薬などではなく、オーソドックスな美味しい純米酒だ。

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マイスモールランド・・・・・評価額1700円
2022年05月11日 (水) | 編集 |
あったはずの“日常”は、幻だった。

日本映画から、こんな作品が出てくる日が来るとは。
幼い頃から日本で育ったクルド人難民の少女が、突然在留資格を失ったことから、自らのアイデンティティと居場所の問題に葛藤する姿を描く、ハードな青春ドラマ。
是枝裕和の「三度目の殺人」で監督助手、西川美和の「すばらしき世界」ではメイキングを担当した、日本とイギリスのミックスルーツを持つ川和田恵真が監督と脚本を手掛け、鮮やかな長編劇映画デビューを飾った。
イラン、イラクやドイツなど5カ国の血を引く嵐莉菜が、演技未経験とは思えない強い存在感を発揮し、主人公のサーリャを好演。
「MOTHER マザー」の奥平大兼が、サーリャがほのかな恋心を抱く同世代の高校生、聡太を演じる。
日本に中東やアフリカのような難民キャンプは無く、この国にやって来た数少ない難民たちは、私たちと同じ街で平凡に暮らしている。
ウクライナの戦争で、改めて難民の存在がクローズアップされる中、遠いようで実は近い彼らの存在を、リアリティたっぷりに描いた秀作である。
※核心部分に触れています。

埼玉県川口市に暮らす17歳のチョーラク・サーリャ(嵐莉菜)は、クルド人難民だ。
故郷を追われた両親と共に、5歳の時に日本に逃れた。
母は日本で亡くなり、今は父のマズルム(アラシ・カーフィザデー)と妹のアーリン(リリ・カーフィザデー)と弟のロビン(リオン・カーフィザデー)との四人家族。
妹と弟は日本語しか話せないため、仲間のクルド人のための通訳などは、全てサーリャの仕事。
教師になることを夢見る彼女は、進学資金を貯めるためバイトしているコンビニで、同学年の聡太(奥平大兼)と出会い、ほのかな恋心を抱く。
だが、一家の難民申請が却下され、在留資格を失ってしまう。
突然“仮放免”という身分になった一家は、働くことが出来ず、県境を越えることも禁止されるが、生活するにはお金が必要で、やむなく働き続けたマズルムは入管に収容されてしまう。
サーリャもコンビニのバイトを解雇され、一家はたちまち困窮する。
そんなある日、裁判の準備を進めて来たマズルムが、自分は諦めて帰国するから、子供たちは日本に留まれと言い出すのだが・・・


日本には、約2000人のクルド人がいるという。
もちろんその全員が難民としてやって来たわけではないだろうが、人口が4000万人を超え、国を持たない世界最大の民族と呼ばれるクルド人は、トルコ、イラン、イラク、シリアの国境地帯を中心とした”クルディスタン”に住み、一部はそれぞれの政府と敵対し、抑圧されている。
「クルドの自由のために声を揚げただけ」で父のマズルムが投獄されたというチョーラク家も、この地域のどこからやって来たはずだが、映画はあまり細かな設定を盛り込み、一家にさらなる属性を与えることを慎重に避けている。
一応トルコ語を話しているものの、彼らの故郷は明示されないほか、神様には祈っているが、何教の神なのかは説明されない。
一言でクルド人と言っても、クルディスタンにルーツを持ち、クルド語を話すイラン系の山岳民族という以外は千差万別。
信仰する宗教もイスラム教、キリスト教、ゾロアスター教、ヤズディ教など色々ある。
まあチャーシュー入りのラーメンを食べてたから、イスラム教徒ではないのだろうけど。
細分化されたエスニックグループではなく、サーリャたちは日本にいるクルド人、いやこの国に暮らす難民の誰でもあり得るという意図だろう。

劇中で話される三つの言語も、明確に話者を分けている。
5歳で来日したサーリャはバイリンガルで、マズルムとトルコ語で会話する。
故郷の記憶がないアイリーンと日本生まれのロビンは、基本理解できるのは日本語のみ。
民族の言語であるクルド語は、マズルムしか話せない。
彼らの仲間のクルド人もトルコ系が多いらしく、サーリャが翻訳を手伝っている。
言語は民族を維持する重要な要素で、固有の言語を失った民族はそのほとんどが消滅している。
マズルムはサーリャに対して、ことあるごとに「お前はクルド人なんだ」とクルド人らしい振る舞いを求めるが、サーリャにはそこまで強い帰属意識はない模様。
アイリーンに至っては、完全に日本の今時の中学生で、クルドの文化そのものに興味がない。
これは難民に限らず、異国へと移住した家族あるある。
故郷での生活をわずかでも知るお兄ちゃんお姉ちゃんほど、年長者としての責任感もあって元の国や民族に帰属意識が強く、年少者ほど現地に溶け込んで、帰属意識を失ってゆく。

一方で、サーリャは難民という存在に対する、日本社会の無理解も感じ取っているようで、学校の友人たちには自分はドイツ出身だと嘘をついている。
そもそも、ほとんどの人はクルディスタンがどこにあるのかも知らないし、様々な理由で国を出ざるをえない難民に対する理解もまた然り。
どこかの自称漫画家みたいに、難民が全部経済難民だと思い込んでる人も少なくない。
コンビニの年配女性客が、善意ながらかなり失礼な言葉を口にするシーンに象徴されるように、サーリャは普段から日本のごく普通の高校生である自分と、異邦人としての自分の間で葛藤しているのである。

しかし、そんな心の中の静かなざわめきは、難民申請の却下という、実生活を揺るがす大きな嵐が起こったことでかき消される。
日本は世界的にも難民の受け入れ数が極端に少なく、難民と認められるのも狭き門。
一家は突然在留資格を失い、仮放免という特殊な身分となってしまう。
仮放免になると、働くことが出来ず、県境を跨ぐことすら禁止される。
とりあえず日本にいてもいいけど、金は稼ぐな、社会に参加するなということだが、仙人じゃあるまいし、働かずに暮らせるわけもなく、日本の入管難民制度がいかに無茶苦茶かよく分かる。
要するに「自分から出て行け」ということなんだろうけど。
サーリャは受験生だが、ピザが無いので進学の道も閉ざされる。
日本人と同じように学校に通い、友達と遊び、将来に夢を持つ。
そんな当たり前の日常は、幻のように消えてしまう。
恋心を抱いている聡太と大阪の大学を見学に行く計画も、もはや叶わない。
弁護士は裁判に訴えることを勧めてくるが、裁判をしている間も生活するには金がいる。
家族を支えるために、マズルムは仕事を辞めることができずに、結局不法滞在者として入管施設に収容されてしまう。

劇中でも言及されているが、一度収容されると、出ることは極めて難しくなる。
個人が心身の自由を奪われるのだから、普通の刑事事件なら当然裁判所の令状が必要になるが、なぜか入管の収容では不要とされているのだ。
外に出るために再び仮放免を申請しても、許可する許可しないの裁量権も入管にあるため、よほどの事情がない限り認められず、数ヶ月も、時には何年も収容されたまま。
事実上、入管施設という名前の刑務所であり、強制収容所である。
裁判に訴えて勝つか、諦めて日本を去らない限り、未来の見えない状況は、収容者に多大な肉体的、精神的なストレスを与える。
名古屋入管でスリランカ人女性が死亡した事件は記憶に新しく、過去にも自殺者や、ハンストの末の餓死者も出ている。
現在の日本の入管難民制度には、法の支配が及ばない欠陥があることを、日本人は知っておくべきだろう。
私も親の仕事の関係で、ちょっと入管と関わったことがあり、彼らがいかに歪で不誠実な組織かはよく知っている。

異国の地で、唯一の保護者だったマズルムは収容され、仮放免扱いの子供たちだけが日本社会に残される。
17歳で突然一家の大黒柱となったサーリャも、コンビニを解雇され収入は途絶える。
同級生にアドバイスされ、やむなくパパ活の真似事をしてみても、生真面目なお姉さん気質の彼女では上手くいはずもない。
夏にエアコンを付けられないほど困窮し、サーリャはどんどん追い詰められてゆく。
生活力のない子供たちだけが、ある種のインビジブルピープルとして置き去りにされる展開は、是枝裕和の傑作「誰も知らない」を思わせるが、川和田恵真監督は是枝門下生。
誰にも頼れない、どこにも居場所の無いサーリャの心理を、繊細に描写してゆく。

川和田監督は当初、主人公の一家に実際のクルド難民をキャスティングすることを考えていたと言う。
だが、日本で不安定な立場にある彼らを役者として雇うと、さらなる不利益をもたらさないとも限らないために断念。
最終的に選ばれた嵐莉菜は、非常に目力の強い女性で、演技経験が無いとは信じられないくらいのハマりっぷりで素晴らしい。
チョーラク家の面々を演じるのも、嵐莉菜の実の家族
彼女の本名はリナ・カーフィザデーだが、芸名の嵐はマズルム役で出演のお父さん、アラシ・カーフィザデーのファーストネームからもらったらしい。
なんかカッコいいぞ。
このキャスティングはもともと決まっていたのではなく、オーディションをして実際に演技を合わせてみてから決定されたというが、半ドキュメンタリー的な手法も、是枝監督の影響を感じさせる。

物語の中で、映像と台詞で印象的に描写されるのが、オリーブの木だ。
故郷にいた時、チョーラク家は子供の誕生日ごと、にオリーブを植樹していたのだという。
その数は5で途切れ、今日本で彼らが暮らすアパートのベランダには、小さなオリーブの鉢植えが一つ。
旧約聖書の創世記では、神が起こした大洪水の後、ノアの方舟を飛び立った鳩が、オリーブの小枝を咥えてきて、陸地へと導いた。
ノアの一家は、いわば人類最初の気候難民である。
聖書のオリーブは、方舟の人々に幸せをもたらした希望の象徴だが、本作のベランダのオリーブはいかにも窮屈だ。

物語の終盤、裁判の準備を進めてきたマズルムは、突然故郷へ帰ると言い出す。
自分は諦めるから、子供たちは日本で裁判を起こして感張ればいいと。
当然サーリャは戸惑うが、これはマズルムにとっては苦渋の決断。
言葉のわかるサーリャはともかく、下の二人の中身は完全に日本人で、危険が伴う故郷へは連れて帰れない。
実際親が難民申請を取り下げて帰国し、子供が日本滞在を認められたケースがあり、マズルムは自分を犠牲にしてサーリャに全てを託したのである。
いわば子供の将来を人質にして、親に帰国を迫るようなものだが、残念ながらこれも日本の現実なのだ。
もちろん、本作だけで入管難民制度の問題点を全ては描けないが、コンパクトに分かりやすくまとめられていて、この問題に興味を持つ人はぜひ観るべき。
異文化の中でのアイデンティティの葛藤を描くドラマとしても、友情と恋の間で揺れ動く青春映画としても、とてもよく出来ている。
入管施設での別れ際に、マズルムは娘にこんな言葉を送る。
「あなたたちの道が開きますように・・・」
この言葉を噛み締めた、ラストカットのサーリャは、生き方に迷った無力な少女ではない。
人生を切り開く決意を固めた、闘う人の顔になっている。
川和田監督にとっても、演じた嵐莉菜にとっても、パワフルなデビュー作にして、強い説得力を持った秀作である。

今回は、おそらく主人公の故郷であろう、トルコの代表的リキュール「ラク」をチョイス。
干しぶどうやワインを原料に、アニスで香り付けされるが、強い香りが日本人には好みが分かれるところ。
そのままだと無色透明だが、水と混ぜると乳白色となることから、トルコでは“Aslan Sutu”(獅子の乳)”とも呼ばれる。
水割りにして、さらに冷水のグラスを別に用意し、交互に口に含んで口の中でさらに割るのが特徴的な飲み方。
キンキンに冷やしてソーダで割っても美味しい。
ギリシャのウーゾやアラブ圏のアラックとは、ほぼ同じ作り方の兄弟酒だ。

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ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス・・・・・評価額1700円
2022年05月07日 (土) | 編集 |
マルチバースの扉が開く。

つい先日の「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」をはじめ、MCU作品にゲスト出演しまくってるので、あまり久しぶりという感じはしないが、2016年の第一作以来となるドクター・ストレンジの単体作品第二弾。
MCU作品の中でも重要なファクターとなりつつある、“マルチバース”を全面的なモチーフとして、幾つのも宇宙を駆け巡る冒険を描いた作品だ。
ベネディクト・カンバーバッチが、引き続きタイトルロールを演じるほか、前作で別れた元カノのクリスティーンにレイチェル・マクアダムス、ストレンジの盟友ウォンにベネディクト・ウォン、マルチバースを行き来できる能力を持つ新キャラクター、アメリカ・チャベスにソーチー・ゴメス。
そしてアベンジャーズのメンバーながら、本作では最強のヴィランとして立ちはだかるのが、エリザベス・オルセン演じるスカーレット・ウィッチことワンダ・マキシモフだ。
監督は、当初続投予定だったスコット・デリクソンが降板し、旧「スパイダーマン」三部作を手掛け、アメコミ映画黄金期の礎を築いたサム・ライミがピンチヒッターに立った。
この両者、元々ホラー畑の人という共通点があるが、本作は特に物語が進むにつれてホラー色、と言うかライミ色がどんどん強くなってゆく。
長年のファンとしては、嬉しくなってしまった。
※核心部分に触れています。

スパイダーマンを助けて、マルチバースに接続してしまって以来、ドクター・ストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)は奇妙な悪夢を見る。
夢の中のストレンジは、怪物に襲われている少女を助けて戦うのだが、彼女を守りきれず自分が殺されるところで目が覚める。
元恋人のクリスティーン(レイチェル・マクアダムス)の結婚式に出席した日、夢で見た少女が現実の街に現れ、同時に彼女を襲う怪物も出現する。
アメリカ・チャベス(ソーチー・ゴメス)と名乗った少女は、危機に陥るとマルチバースをジャンプできる能力を持つが、その力はコントロール出来ないと語る。
ストレンジは彼女をカマー・タージに隠し、マルチバースに対して知見を持つとされるワンダ(エリザベス・オルセン)を尋ねる。
しかし、マルチバースの怪物を操って、アメリカを襲っているのは実はワンダであった。
彼女は、この宇宙では叶わなかった子供たちとの生活を取り戻すため、アメリカの持つマルチバースを超える力を狙っていたのだった・・・・


ディズニープラスに入ってないので、「ワンダビジョン」は観ていない。
本作でのワンダの変貌の理由が、「ワンダビジョン」で描かれた内容だったことが物議を醸しているらしいが、一応ドラマを観ていなくても、何があったのかは推測できるようになっているので、それほど致命的な問題とも思えない。
サノスとの戦いで、愛するヴィジョンを喪ったワンダは、自らの能力を使ってヴィジョンと二人の子供たちと共に、幸せな生活を送っているという偽りの世界を作り出した。
しかし何らかの要因によって、その世界は破綻し家族も消えてしまい、ワンダは家族を取り戻すため禁断の書と呼ばれる「ダークホールド」に傾倒し、闇堕ちしてしまった。
おそらく、ドラマではこんな展開があったのだろう。
まあ一見さんにはますます優しくないが、物語を理解する必要最小限の情報はきちんと入れられた脚本だと思う。

今回の話はストレンジが未練タラタラのクリスティーンの結婚から始まって、「人生、こんなはずじゃなかった」という感情が、ストレンジとワンダに共通する物語の推進力となっていて、二人は鏡像のような関係にある。
「あの時、もし別の道を選んでいたら」という後悔が、人生の別の世界線をマルチバースに求める展開は、MCU作品の中でも一番普遍的かつ分かりやすい。
もっとも普通の人間は、選ばなかった道を取り戻そうとは思わない。
「君の名は。」みたいな超自然的奇跡でも起こらない限り、時間を遡ったり、別の世界線に行くのは不可能だからだ。
しかし、不幸にもワンダは魔女、それも最強クラスの魔女であった。
その能力の強大さは、マルチバースの別の世界でヒーローチームの“イルミナティ”をほぼ瞬殺してしまったことでも分かる。
人智を超えた強大な力を持つからこそ、マルチバースの可能性を求めるのだが、彼女の願いがサノスのような大袈裟なものではなく、ただ二人の子供の母として、穏やかな人生を送りたいというのが切ない。

サム・ライミは、デビュー作の「死霊のはらわた」を何度もセルフリメイクし、次いでダークヒーロー物の「ダークマン」や西部劇の「クィック&デッド」でジャンル映画を追求、「シンプル・プラン」や「ラブ・オブ・ザ・ゲーム」と言った渋い人間ドラマでも魅せ、超大作の「スパイダーマン」三部作を大ヒットさせるなど、変幻自在の人。
「オズ はじまりの戦い」以来9年ぶり長編作品となる今回は、MCUの世界観をキッチリと抑え、作家性は割と抑えめ?と思わせておいて、物語が進むにつれてゴリゴリのライミ節が前面に出てきて、クライマックスは完全に「死霊のはらわた」風味になっちゃうのが可笑しい。
まさかストレンジをゾンビ化するとは、さすがに想像できなかった。
MCUでこれをやれちゃうのも、ホラーとアメコミ映画両方のレジェンドであるライミならではかも知れない。
物語の特性上、ドクター・ストレンジの魔術の特徴でもあるミラー次元の目眩く映像は封印し、かわりに次々とジャンプするマルチバースのバラエティで補完。
注目すべきはキャラクターが“絵”になっている世界で、MCUのマルチバースにアニメーションの世界があることが明確になったことで、「スパイダーバース」とのクロスオーバーも期待できるだろう。

また作劇に関しては、脚本を担当したマイケル・ウォルドロンがライミの作品を研究して、彼のストーリーテラーとしての特質を想定して当て書きしたというから、ホラーテイストも含めてこの若き才能によるところも大きいと思う。
今まで漠然と使われていたマルチバースという概念を、キャラクターがもう一人の自分と向き合うステージとしたことも重要なポイントだ。
前記したように、本作ではストレンジとワンダは鏡像の関係にあるが、マルチバースの世界で彼らは異なる人生を送っている自分自身を鏡像として、自らの生き方を問われるのである。
ワンダは他の世界線に、ぽっかり穴が空いてしまった心の救済を求めていた。
しかし、自分の宇宙以外のマルチバースは、結局他人のものなのだという現実を突きつけられる着地点も、誰もが「あの時」に戻れない悲しみを知るからこそ、人間ドラマとして納得できるものになっている。
ライミは、その長いキャリアの最初から、人間の作り出す罪とその結果を描き続けてきた人で、本作の結末も彼の過去の作品の延長線上にあると言えるだろう。

しかしマルチバース化したことで、MCUは本当に何でもありになって来た。
今回初クロスオーバーとなった、Mr.ファンタスティックやプロフェッサーXらイルミナティの面々は、あくまでも別の宇宙の人なんで扱いがあんまりだったが、本家の世界線で合流する可能性もゼロではなかろう。
そしてマルチバースで唯一、他の宇宙に自分の分身が存在しないアメリカも、MCUのフェーズ4を担うキャラクターになってゆくのだろうな。
ちなみに、本作のエンドクレジット後のオマケ映像、結構意味を理解してない人が多いみたいだが、あのピザ屋はライミの出世作「死霊のはらわた」シリーズで主役アッシュを演じたブルース・キャンベル。
「死霊のはらわた2」では、彼の右手が悪霊に取り憑かれてしまい、自分の手と格闘する羽目になる。
つまり本作でストレンジがかけた魔法自体がパロディで、オマケはパロディのオチという訳。
MCU作品で他の作品に繋がらないオマケは珍しいが、これが許されるのもライミだからという訳か。

今回は、ライミに敬意を表して「ゾンビ」をチョイス。
ホワイトラム30ml、ゴールドラム30ml、ダークラム30ml、アプリコットブランデー15ml、オレンジジュース 20ml、パイナップルジュース 20ml、レモンジュース 10ml、グレナデンシロップ 10mlをシェイクして、氷を入れたゾンビグラスに注ぐ。
悪酔いさせるために複数のラムを混ぜたという凶悪なカクテルで、複数のラムを掛け合わせるのもそのため。
テイストそのものはフルーティで、割と飲みやすいので、深酒しているうちにゾンビ化してゆく。 

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