2022年06月22日 (水) | 編集 |
あなたなら、選びますか?
75歳以上の高齢者が、生き死にを自分で決められる制度「PLAN 75」が出来た世界。
生きることに疲れてプランに申し込む孤独な高齢女性、プランの申込と広報を担当する公務員、そして最終的にプランを実行する施設で働く外国人女性を軸とした群像劇だ。
⾹港のオムニバス映画「⼗年」を元に、⽇本、タイ、台湾で、各国の新鋭映像作家が独⾃の⽬線で10年後の社会を描く国際プロジェクトの日本編、「⼗年 Ten Years Japan」の一作として作られた短編をベースとしている。
本作も日本、フランス、フィリピンの共同製作で、オリジナルの作者である早川千絵が監督と脚本を努める。
物語の中心となる三人を、倍賞千恵子、磯村優斗、ステファニー・アリアンが演じ、たかお鷹、河合優実らが脇を固める。
日本社会のリアリティたっぷり、本年度カンヌ国際映画祭で、新人監督賞に当たるカメラ・ドールを受賞した話題作だ。
※核心部分に触れています。
世代間の断絶が深まり、老人たちが若者に襲撃される事件が頻発。
国会は75歳以上の高齢者を対象に、死ぬ権利を保障し、支援する法案を可決し、「PLAN 75」として施行される。
ホテルの客室清掃員として働く角谷ミチ(倍賞智恵子)は78歳。
職を失ったことをきっかけに、生きることに悩み、プランに申請する。
ミチは申請者をサポートするコールセンターに勤める成宮璃子(河合優実)と繰り返し電話で話すうちに、他人とは思えなくなってゆく。
市役所でプランの申請窓口を担当している岡部ヒロム(磯村優斗)は、ある日申請に訪れた男を見て驚く。
それは20年も音信不通の、叔父の幸夫(たかお鷹)だった。
一方、故郷に残してきた娘の手術代を貯めるため、高齢者のケア施設で働くマリアは、給料のいい新しい職場を紹介される。
それは、プランを申請した人たちが、人生の最後を迎える施設だった・・・・
日本には、古くから姥捨伝説がある。
深沢七郎の「楢山節考」は映画化もされ、広く世間に知られるようになったが、実際に飢饉などの時に口減らしのため、働けなくなった老人を山に遺棄したというケースは各地であった様だ。
本作の設定は、いわば姥捨の風習が現代に甦ったものだが、本作はそれをディストピアとしては描かない。
映画は、PLAN 75そのものを積極的に肯定も否定もしないのだ。
もしこんな制度があったら?という徹底的なシミュレーション。
短編版の主人公は、若い公務員だった。
彼は仕事として“死”を勧めながら、75歳になった認知症の義母を安楽死させることに葛藤を募らせる。
長編化したことで、軸となるエピソードが三つに分かれ、それぞれが別の視点から死を制度化した社会を眺める構造となった。
キャラクター同士での感情移入はあるが、客観性の強い描き方はドキュメンタリーに近い。
その分、観客は「あなたはどう考える?」とずっと問われている感覚になる。
高齢者施設を襲撃した若者が、老人排斥を訴えて銃で自殺するというショッキングな幕開け。
世論に押された国会は、75歳以上の高齢者に死ぬ権利を認めるPLAN 75を施行し、積極的に広報しはじめる。
注目すべきは、これが貧困と格差と関連づけられて描かれていることだ。
貧困が進むと人々が結婚しなくなり、子供が産まれなくなる。
すると社会の高齢化が急速に進み、社会保障費が増大し、税金が高齢者に使われる。
機会を奪われた、若者の不満が高まるという訳。
すでに日本社会に見られる構図で、現実との違いはPLAN 75があるか無いか程度だ。
しかし、実際にPLAN 75がターゲットとするのは、金の無い高齢者なのである。
本作でプランに申し込むミチと幸夫は、どちらも独り身で古びたアパートに暮らしている。
幸夫は過去には土木の仕事をしていたようだが、現在は無職の様子で、ミチはホテルの清掃員の仕事をしているものの、物語の途中で解雇される。
身寄りもなく、金もなく、住む家も賃貸で、何かあれば路上生活になってしまう身の上。
そんな貧しく孤独な老境に、はたして生きる価値があるのか、幸せと言えるのか。
プランに申し込むと、死ぬまでの一時金としてお金がもらえる設定だが、その額が10万円というあたりも妙なリアリティ。
死後の処理も、骨をまとめて合葬すればタダらしい。
一人者の高齢者、どうせ誰も墓参りになど来ないということか。
PLAN 75を必要とするのは、人生やり切ったのでもういいという人たちではなく、人生を諦めざるを得ないほど追い込まれた人たちなのである。
逆に成功した人生を送り、家族にも恵まれて悠々自適の人生を送っている高齢者にとって、わざわざ自殺する理由は無い。
「決めるのはあくまで自分」と、一見選択肢がある様に見せかけて、社会と繋がりを絶たれた者たちには、もはや生きる術がないあたりが実に日本的。
「生きるって素晴らしい」などと言う建前論ではなく、善悪の話でもない。
人間社会の複雑さを前提に、社会の倫理がどう壊れたら、これが受け入れられるようになるのか。
法のあり方や、観客の倫理感にも切り込んでくる。
実際に死を選ぶ高齢者だけでなく、こうした制度を作ってしまった社会では、全ての人がなんらかの余波を受け、壊れてゆく。
それを象徴するのが、作中の三人の若者だ。
公務員の岡部ヒロムは、仕事としてPLAN 75を推し進めている。
自分のやっていることが、実質的には自殺幇助なのは分かっているが、PLAN 75という耳触りのいい言葉に変えることで、心に蓋をしているのである。
しかし叔父という身内が目の前に現れ、プランに申し込んでしまったことで、蓋が外れてしまう。
コールセンターで働く成宮璃子の場合、ルールを破ってミチとオフラインで会ったことから、予期せぬ葛藤を抱える。
彼女の仕事は、プランに申し込んだ高齢者と電話で定期連絡し、親身に話し相手になること。
つまり知らない誰かを、じわじわと死に追いやる仕事なのだが、当初はそのことに無自覚。
だがミチと実際に会ってしまったことで、自分が話している相手は顔の無い誰かではなく、それぞれの人生を必死に生きてきた人間なのだという、当たり前の事実に気づいてしまう。
そして自殺を決意した人が、心変わりしないように仕向ける仕事のおぞましさに、震えるしかないのである。
実際にプランを実行する施設で働くマリアは、さらに生々しい現実を見る。
彼女がここで行っているのは、高齢者の遺体から所持品を回収し、貴金属などを分別すること。
この描写に、ナチスの絶滅収容所で殺されたユダヤ人の持っていた財産を集める、ホロコースト映画の描写を連想した人も多いだろう。
自殺と処刑の違いはあれど、社会が個人を死に追いやると言う意味では、同じことである。
恐ろしいのは、現実の日本が映画の世界に向かっているのでは?という予感が拭えないことだ。
私が75歳になる頃には、実際にこんな制度が出来ていても驚きはない。
実にところ、一人者で貧乏老人に向かって一直線の私なんかは、もしかしたらプランを選ぶかも?と思ってしまった。
そうなったら「10万円の一時金で何をしよう?」とか考えてしまうのだ。
現代の「楢山節考」をどう捉えるかは、観客一人ひとり違うと思う。
物語の中で、現実の死を目の当たりにした若者たちが葛藤を募らせ、一度はプランを選んだミチが選択を変えたことは僅かな希望。
実際の高齢者には、おすすめはしない。
近い将来に老後を迎える中年層、そして若者たちに向けた映画であり、この未来を迎えないために、今観ておくべき力作である。
今回は、山口県の代表的な地酒、旭酒造の「獺祭 純米大吟醸45」をチョイス。
45は酒米の精米歩合のこと。
獺祭の大吟醸としては入門編で、コスパも高いが、十分にフルーティでスッキリと美味しく仕上がっている。
旭酒造といえば、酒の製造部門に入社する大卒新入社員の初任給を、一気に9万円アップの30万円としたことで話題になった。
現代日本の問題の根源は、突き詰めれば企業は儲かっても国民が貧乏になってしまったことだ。
労働に対してきちんとした対価を払い、余暇を保障し、様々なハラスメントは徹底的に排除する、こんな意識の企業が増えればまだまだ希望はある。
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75歳以上の高齢者が、生き死にを自分で決められる制度「PLAN 75」が出来た世界。
生きることに疲れてプランに申し込む孤独な高齢女性、プランの申込と広報を担当する公務員、そして最終的にプランを実行する施設で働く外国人女性を軸とした群像劇だ。
⾹港のオムニバス映画「⼗年」を元に、⽇本、タイ、台湾で、各国の新鋭映像作家が独⾃の⽬線で10年後の社会を描く国際プロジェクトの日本編、「⼗年 Ten Years Japan」の一作として作られた短編をベースとしている。
本作も日本、フランス、フィリピンの共同製作で、オリジナルの作者である早川千絵が監督と脚本を努める。
物語の中心となる三人を、倍賞千恵子、磯村優斗、ステファニー・アリアンが演じ、たかお鷹、河合優実らが脇を固める。
日本社会のリアリティたっぷり、本年度カンヌ国際映画祭で、新人監督賞に当たるカメラ・ドールを受賞した話題作だ。
※核心部分に触れています。
世代間の断絶が深まり、老人たちが若者に襲撃される事件が頻発。
国会は75歳以上の高齢者を対象に、死ぬ権利を保障し、支援する法案を可決し、「PLAN 75」として施行される。
ホテルの客室清掃員として働く角谷ミチ(倍賞智恵子)は78歳。
職を失ったことをきっかけに、生きることに悩み、プランに申請する。
ミチは申請者をサポートするコールセンターに勤める成宮璃子(河合優実)と繰り返し電話で話すうちに、他人とは思えなくなってゆく。
市役所でプランの申請窓口を担当している岡部ヒロム(磯村優斗)は、ある日申請に訪れた男を見て驚く。
それは20年も音信不通の、叔父の幸夫(たかお鷹)だった。
一方、故郷に残してきた娘の手術代を貯めるため、高齢者のケア施設で働くマリアは、給料のいい新しい職場を紹介される。
それは、プランを申請した人たちが、人生の最後を迎える施設だった・・・・
日本には、古くから姥捨伝説がある。
深沢七郎の「楢山節考」は映画化もされ、広く世間に知られるようになったが、実際に飢饉などの時に口減らしのため、働けなくなった老人を山に遺棄したというケースは各地であった様だ。
本作の設定は、いわば姥捨の風習が現代に甦ったものだが、本作はそれをディストピアとしては描かない。
映画は、PLAN 75そのものを積極的に肯定も否定もしないのだ。
もしこんな制度があったら?という徹底的なシミュレーション。
短編版の主人公は、若い公務員だった。
彼は仕事として“死”を勧めながら、75歳になった認知症の義母を安楽死させることに葛藤を募らせる。
長編化したことで、軸となるエピソードが三つに分かれ、それぞれが別の視点から死を制度化した社会を眺める構造となった。
キャラクター同士での感情移入はあるが、客観性の強い描き方はドキュメンタリーに近い。
その分、観客は「あなたはどう考える?」とずっと問われている感覚になる。
高齢者施設を襲撃した若者が、老人排斥を訴えて銃で自殺するというショッキングな幕開け。
世論に押された国会は、75歳以上の高齢者に死ぬ権利を認めるPLAN 75を施行し、積極的に広報しはじめる。
注目すべきは、これが貧困と格差と関連づけられて描かれていることだ。
貧困が進むと人々が結婚しなくなり、子供が産まれなくなる。
すると社会の高齢化が急速に進み、社会保障費が増大し、税金が高齢者に使われる。
機会を奪われた、若者の不満が高まるという訳。
すでに日本社会に見られる構図で、現実との違いはPLAN 75があるか無いか程度だ。
しかし、実際にPLAN 75がターゲットとするのは、金の無い高齢者なのである。
本作でプランに申し込むミチと幸夫は、どちらも独り身で古びたアパートに暮らしている。
幸夫は過去には土木の仕事をしていたようだが、現在は無職の様子で、ミチはホテルの清掃員の仕事をしているものの、物語の途中で解雇される。
身寄りもなく、金もなく、住む家も賃貸で、何かあれば路上生活になってしまう身の上。
そんな貧しく孤独な老境に、はたして生きる価値があるのか、幸せと言えるのか。
プランに申し込むと、死ぬまでの一時金としてお金がもらえる設定だが、その額が10万円というあたりも妙なリアリティ。
死後の処理も、骨をまとめて合葬すればタダらしい。
一人者の高齢者、どうせ誰も墓参りになど来ないということか。
PLAN 75を必要とするのは、人生やり切ったのでもういいという人たちではなく、人生を諦めざるを得ないほど追い込まれた人たちなのである。
逆に成功した人生を送り、家族にも恵まれて悠々自適の人生を送っている高齢者にとって、わざわざ自殺する理由は無い。
「決めるのはあくまで自分」と、一見選択肢がある様に見せかけて、社会と繋がりを絶たれた者たちには、もはや生きる術がないあたりが実に日本的。
「生きるって素晴らしい」などと言う建前論ではなく、善悪の話でもない。
人間社会の複雑さを前提に、社会の倫理がどう壊れたら、これが受け入れられるようになるのか。
法のあり方や、観客の倫理感にも切り込んでくる。
実際に死を選ぶ高齢者だけでなく、こうした制度を作ってしまった社会では、全ての人がなんらかの余波を受け、壊れてゆく。
それを象徴するのが、作中の三人の若者だ。
公務員の岡部ヒロムは、仕事としてPLAN 75を推し進めている。
自分のやっていることが、実質的には自殺幇助なのは分かっているが、PLAN 75という耳触りのいい言葉に変えることで、心に蓋をしているのである。
しかし叔父という身内が目の前に現れ、プランに申し込んでしまったことで、蓋が外れてしまう。
コールセンターで働く成宮璃子の場合、ルールを破ってミチとオフラインで会ったことから、予期せぬ葛藤を抱える。
彼女の仕事は、プランに申し込んだ高齢者と電話で定期連絡し、親身に話し相手になること。
つまり知らない誰かを、じわじわと死に追いやる仕事なのだが、当初はそのことに無自覚。
だがミチと実際に会ってしまったことで、自分が話している相手は顔の無い誰かではなく、それぞれの人生を必死に生きてきた人間なのだという、当たり前の事実に気づいてしまう。
そして自殺を決意した人が、心変わりしないように仕向ける仕事のおぞましさに、震えるしかないのである。
実際にプランを実行する施設で働くマリアは、さらに生々しい現実を見る。
彼女がここで行っているのは、高齢者の遺体から所持品を回収し、貴金属などを分別すること。
この描写に、ナチスの絶滅収容所で殺されたユダヤ人の持っていた財産を集める、ホロコースト映画の描写を連想した人も多いだろう。
自殺と処刑の違いはあれど、社会が個人を死に追いやると言う意味では、同じことである。
恐ろしいのは、現実の日本が映画の世界に向かっているのでは?という予感が拭えないことだ。
私が75歳になる頃には、実際にこんな制度が出来ていても驚きはない。
実にところ、一人者で貧乏老人に向かって一直線の私なんかは、もしかしたらプランを選ぶかも?と思ってしまった。
そうなったら「10万円の一時金で何をしよう?」とか考えてしまうのだ。
現代の「楢山節考」をどう捉えるかは、観客一人ひとり違うと思う。
物語の中で、現実の死を目の当たりにした若者たちが葛藤を募らせ、一度はプランを選んだミチが選択を変えたことは僅かな希望。
実際の高齢者には、おすすめはしない。
近い将来に老後を迎える中年層、そして若者たちに向けた映画であり、この未来を迎えないために、今観ておくべき力作である。
今回は、山口県の代表的な地酒、旭酒造の「獺祭 純米大吟醸45」をチョイス。
45は酒米の精米歩合のこと。
獺祭の大吟醸としては入門編で、コスパも高いが、十分にフルーティでスッキリと美味しく仕上がっている。
旭酒造といえば、酒の製造部門に入社する大卒新入社員の初任給を、一気に9万円アップの30万円としたことで話題になった。
現代日本の問題の根源は、突き詰めれば企業は儲かっても国民が貧乏になってしまったことだ。
労働に対してきちんとした対価を払い、余暇を保障し、様々なハラスメントは徹底的に排除する、こんな意識の企業が増えればまだまだ希望はある。

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