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ショートレビュー「線は、僕を描く・・・・・評価額1650円」
2022年10月28日 (金) | 編集 |
モノクロームの青春。

青春映画史に残る傑作、「ちはやぶる」三部作で実力を見せつけた小泉徳宏監督が新たに描くのは、再び「青春」と「和」の要素の組み合わせで水墨画の世界。
突然家族を亡くし、心にぽっかりと大きな穴が空いてしまった大学生、青山霜介がひょんなことから水墨画の巨匠・篠田湖山と出会ってなかば強引に弟子にされる。
将来「何者にもならない」と無気力な言葉で語っていた霜介は、純白の紙に漆黒の墨が描き出す未知の芸術に魅了され、徐々に自ら閉ざした心と向き合い、立ち直ってゆく。
主人公の霜介を横浜流星が好演。
師匠の湖山に三浦友和、一番弟子の西濱湖峯を江口洋介、湖山の孫で水墨画家の篠田千瑛を清原果耶が演じる。

おもいもかけず、水墨画の世界に足を踏み入れることになった霜介だが、ここには「蘭」「梅」「菊」「竹」の「四君子」と呼ばれる定番の草木の画題があるそうで、まずはこれを描けるようになるのが彼の目標となる。
あらゆる芸術の入り口は模倣。
霜介もはじめは見よう見まねで、湖山の線を忠実に辿ってゆく。
しかし、やがて師匠の線をただ描き写すのではなく、描き手が自分独自の線を見つけることが求められる。
タイトルを見た時「主語が“僕”じゃないの?」と思ったが、描き手が見たものの本質を心で捉えると独自の線が生まれ、今度は線が自分の心を描き出す、ということなのである。

小泉徳宏監督が描く青春の線は、非常にシャープで輪郭がくっきりとしているのが特徴だ。
原作は未読だが、取捨選択は上手くいっているようで、ダイジェスト感はほとんど感じない。
奇を衒った部分は一切なく、物語はどこまでも教科書的な超正攻法。
主人公だけだと単調に陥りそうだが、ドラマ的な変数となるのが清原果耶が演じる千瑛。
既に「美し過ぎる水墨画家」として人気を博している千瑛は、「教え下手」である湖山に変わって、霜介の同世代のメンターとなるのだが、彼女自身はスランプに陥って自分の線を見失い苦悩してる。
千瑛の描く水墨画は写真のように精巧で、技巧は最高レベルだが何かが足りない。
心の迷いが、そのまま作品に出てしまっているのだ。
本作では、霜介と千瑛を似たもの同士に設定。
師匠であり祖父でもある湖山に対する千瑛の複雑な感情を、亡き家族への霜介の想いとリンクさせることでドラマ構造を重層化。
両者の葛藤を組み合わせることで、一本調子になることを防いでいる。

しかし水墨画というモチーフはいいのだが、劇中で起きるイベント全てがテンプレ的で、既視感だらけなのはちょっと勿体無い。
一切無駄のない作劇も、逆にいえばキッチリと構成され過ぎていて、この作品自体に千瑛が描いている「技術的には文句無しだが、何かが足りない水墨画」を感じてしまい、「ちはやぶる」三部作ほどにはカタルシスが突き抜けない。
もう一つ、霜介がようやく喪失と向き合い、実家の跡を訪れるシーンでは、現場が河川敷にしか見えなくて、津波ならともかく川の氾濫で3年も住宅地を放置?と疑問を感じた。
原作のままなのかも知れないが、交通事故とか火事じゃダメだったんだろうか。

もっとも、こうした欠点を差し引いても、本作がかなり良く出来た娯楽映画であることは確かだ。
役者はそれぞれのキャラクターにピッタリハマっているし、「川っぺりムコリッタ」の安藤広樹の撮影も端正で、素晴らしい効果をあげている。
霜介の部屋が習作の山で埋もれている描写があるのだが、習作は全て横浜流星本人が描いたものだとか。
一年にわたって水墨画を学んだそうだが、役者ってやっぱ凄いわと思わされる。
だけど一番美味しいところを持ってゆくのは、一見軽目だけどやる時はやるキャラクターを演じた江口洋介なんだな。
アレはギャップ萌えでしょう(笑

今回は四君子の一つ「竹」から能登の地酒、数馬酒造の「竹葉 純米吟醸」をチョイス。
北陸の酒らしく、絹のようにサラッとした口当たり。
柔らかな吟醸香と共に、米の旨味が口にひろがる。
強いクセもなく、非常に上品なしあがりで、どんな肴にもあう万能選手だ。

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RRR・・・・・評価学1800円
2022年10月23日 (日) | 編集 |
友情・裏切・勝利!

「バーフバリ」二部作で世界の度肝を抜いた、S・S・ラージャマウリ監督最新作。
舞台は、植民地時代のインド。
地方を訪れた英国総督夫妻が、歌の上手い少数民族の村娘を拉致し、英雄ビームが奪還に動く。
総督側には、大義のために英国のインド支配を支える警察官となったラーマがいて、ひょんなことから二人の男は、お互いの素性を知らぬまま親友になってゆく。
友情・筋肉・アクション・筋肉・ダンス・筋肉な筋肉至上主義の映画。
劇場の気温設定が50度くらいになってるんじゃない?てくらい、めちゃくちゃ熱い。
上映時間が179分もある大長編だが、全くダレる部分がなく、エンドロールまであっという間だ。
ラーマ役に「マガディーラ 勇者転生」以来、ラージャマウリと二度目のタッグを組むラーム・チャラン、ビーム役は「バードシャー テルグの皇帝」のN・T・ラーマ・ラオ・Jr.が演じる。
※核心部分に触れています。

1920年代、大英帝国の植民地となっていたインド。
悪辣な英国総督のスコット・バクストン(レイ・スティーブンソン)と妻のキャサリン(アリソン・ドゥーディ)は、歌の上手いゴンド族の少女を気まぐれで拉致する。
部族の守護者コムラム・ビーム(N・T・ラーマ・ラオ・Jr.)は、少女を奪還するために、イスラム教徒に変装し仲間と共にデリーへと向かう。
藩王国の使者から何者かが自分を狙っていると警告を受けた総督は、正体不明のゴンド族の男を逮捕した者を、特別捜査官へと昇進させると宣言。
ただ一人応じたのは、インド人警察官のラーマ・ラージュ(ラーム・チャラン)だった。
ラーマは策略を巡らせて、ゴンド族の男の正体を暴こうとするが、ラーマとビームは偶然鉄道の事故から少年を救うために共闘することとなり、お互いに素性を知らないまま親友となってゆく。
だが、ある事態をきっかけにビームの正体がラーマにばれ、二人は総督府で開かれたパーティで、激しくぶつかり合うことになるのだが・・・・・


「熱血」という言葉が、これほど相応しい映画は他にないだろう。
まずは密度の濃い、圧倒的な熱量を持つ映像に心を鷲掴みにされる。
CGバリバリは同じでも、技術のベクトルがハリウッド映画とは違う。
ラージャマウリのファーストプライオリティは、リアルな映像ではなく、誰も観たことのないカッコいい映像を作り出すこと。
「バーフバリ」の樽カタパルトとかが典型だが、優先されるのはリアリティよりも、それが斬新で面白いかどうか。
本作ではラーマが炎、ビームが水の属性を与えられていて、両者の闘いでは炎の赤と水の青がキーカラーとなって画面が構成されている。
CGであることはあえて隠そうとせず、実写を素材として使ってデザインから作り上げるという、アニメーション映画みたいなことをやっているのである。

作劇の点でも、本作はとてもユニークだ。
179分の上映時間のうち、インターバル(実際にはないけど)が表示されるまでの前半は、物語の視点はビームに置かれている。
ビームは、理不尽にさらわれた少女を救い出すヒーローで、インド人なのに警察官として英国の犬となったラーマは、闇堕ちしたヴィランのポジション。
しかし後半、ラーマの背負っている重過ぎる過去が描かれると、それまでの世界が一変する。
ラーマは革命指導者の父によって、幼い頃からゲリラ戦のノウハウを叩き込まれて育ち、父が英軍によって殺された後に警察官となる。
彼の真の目的は、警察の要職にまで上り詰め、武器を移送する権限を持つこと。
インド人は勇敢だが、英軍の銃には敵わない。
大量の銃を人々に届け、英軍に対抗する術を持たせることこそが、ラーマの秘めたる大義なのである。
ビームは少女を救い出そうとするが、ラーマは国を救おうとしている。
ここに来て、主人公が入れ替わるのだ。
まあ二人の男の片方の名前がラーマで、婚約者の名はシータだと分かった時点で、ああこっちが実質的に主役だなと想像はつく。
インド人は本当に「ラーマーヤナ」が大好きなんだな。

実はビームもラーマも完全なフィクションのキャラクターではなく、英国に抵抗した実在の人物で、インドでは広く知られ、英雄視されているという。
コムラム・ビームは、植民地下の抑圧的な藩王国から独立を目指したゴンド族の革命家で、1940年に武装警官によって殺害されるまで、10年にわたってゴンド族の反乱軍を指揮していた。
ラーマ・ラージュは、実際にはアルリ・シタラーマ・ラージュという名で、ゲリラ部隊を組織し、英軍や警察に対して何度も攻撃を繰り返した。
彼は1924年に英軍に捕らえられ、即日処刑されたという。
史実では彼ら二人が出会うことはなかったようだが、本作では同時代の英雄という縁で大幅に脚色されて、最後にはほとんど神格化されている。
囚われたラーマがビームに救出され、「ラーマーヤナ」のラーマのように、弓を持って現れたシーンは、日本で観てもテンション爆上がりだったが、多分インドでの盛り上がりはこんなもんじゃないのだろう。
これが「ラーマーヤナ」の現代版だとすると、ボスキャラの総督は羅刹王ラーヴァナということになるが、このように実話にストーリーテラーが脚色を加えることで、物語は徐々に神話としての神性を獲得してゆく物なのかも知れない。
本作は英国の抑圧に対する民族主義的な英雄譚で、エンディングテーマがボースやガンジーら、インド独立運動の闘士たちに捧げられてることからも、スタンスは明らかだ。

しかし英国人の中にも、ビームに協力するジェーンとかいい人はいるんだけど、総督夫妻がインド人の血を見るのが趣味っていう悪辣なサディストっぷり。
捕まったビームをラーマが鞭打つシーンで、なかなか膝を屈さないビームに剛を煮やした妻のキャサリンが、「コレを使いなさい」って細かい刃が無数に生えた恐ろしげな鞭を投げ渡すのだが、あんたそんなのどこから持って来たのよ。
ナチスドイツか、中国の抗日映画の日本軍か、というレベルの徹底的な悪に造形されてるのを見ても、インドの反英感情は今も相当なものなのだろう。
そう言えば、先日エリザベス女王が死去した時も、インドを含む旧植民地諸国から届く声は辛辣な批判が多かった。
その分、英軍との戦闘シークエンスは、虐げられた民の「この恨み、晴らさでおくべきか!」って叫びが聞こえて来そうなくらいに容赦がない。
銃弾が体にめり込む描写をスローで見せてくれるのだから、インド人は溜飲を下げるのだろうが、相当にイタタなショットがいっぱいあるので、苦手な人には注意が必要だ。

面白いのが、インド映画でお馴染みのミュージカルで、本作ではヨーロッパのダンスをひけらかす英国男に対して、ラーマとビームがダンス対決を持ちかけ、倒れるまで踊り続けるというどっかで聞いたような勝負をする。
この会場で演奏しているオーケストラに、一人だけドラム担当の黒人の楽団員がいるのだが、彼がラーマの叩いたドラムのリズムに反応して、ノリノリの笑顔で自分もドラムを叩き始める。
そして激しいリズムについて来られなくなった英国男は、敗北を喫するのである。
さりげない描写だが、植民地帝国の被支配者同士のささやかな連帯を示していて、作り込みの細やかさを感じさせる。
豪快だが、決して大味な映画ではないのだ。

ところでS・S・ラージャマウリ監督には、是非日本に来てジャンプ漫画の実写化を撮って欲しい。
特に実写化が発表された筋肉至上主義漫画、「ゴールデンカムイ」を映像化するのに、彼ほどの適任者は世界中探してもいないだろう。
まあ5時間くらいの上映時間と100億ぐらいのバジェットが必要だけど、たぶん世界興行収入300億くらい稼ぐから、余裕っしょ。

今回は、インドのワイン銘柄スラ・ヴィンヤーズから情熱の赤、「スラ・ヴィンヤーズ・シラーズ 2021」をチョイス。
アメリカでビジネスマンとして活躍していたラジーブ・サマントが故郷のインドに戻り、1997年に創設した新興ヴィンヤードだが、急速に知名度が高まっている。
シラーズは黒胡椒のようなスパイシーさに、ベリー系のフルーティーなアロマ。
喉越しは滑らかで、インド料理との相性もバッチリ。
CPが高いのもありがたい。
ベジタリアンマークが付いているのも、いかにもインドらしい。

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スペンサー ダイアナの決意・・・・・評価額1650円
2022年10月20日 (木) | 編集 |
彼女は迷い、逃げたかった。

今年9月8日のエリザベス女王の死去を受け、英国王として即位したチャールズ3世が、皇太子時代の1980年代を共に歩んだ最初の妻。
悲劇的な死の数年前、皇太子妃ダイアナが未来の王妃の地位を捨てて、ダイアナ・スペンサーに戻る決意をしたクリスマスを挟んだ三日間の物語だ。
「イースタン・プロミス」のスティーブン・ナイトが脚本を担当し、チリ独裁政権の退陣に繋がった、国民信任投票を背景にした異色のポリティカルドラマ、「NO ノー」で知られるパブロ・ララインが監督を勤める。
クリスティン・スチュワートが圧巻の名演でダイアナ妃を演じ、第94回アカデミー賞で主演女優賞に初のノミネートを果たした。
ティモシー・スポール、サリー・ホーキンスら燻銀のキャストが脇を固める。
「燃ゆる女の肖像」「秘密の森の、その向こう」など、セリーヌ・シアマの作品で知られるクレール・マトンの、映像で物語るカメラが素晴らしい。

1991年のクリスマスイブ。
ダイアナ(クリスティン・スチュワート)は一人ポルシェを走らせて、王室のクリスマス休暇地であるサンドリンガム・ハウスに向かっていた。
生家のスペンサー伯爵邸パーク・ハウスとは目と鼻の先の勝手知ったる土地で、彼女はなぜか道に迷い、王室メンバーの中で一番遅く到着する。
夫チャールズ(ジャック・ファーシング)との仲はすでに冷え切り、サンドリンガムでダイアナが心を許せるのは、二人の息子ウィリアム(ジャック・ニーレン)とハリー(フレディ・スプライ)、それに気心の知れた衣装係のマギー(サリー・ホーキンス)だけ。
しかし、パパラッチに狙われるダイアナの監視役でもあるアリステア・グレゴリー少佐(ティモシー・スポール)は、マギーを疎ましく思いロンドンに帰してしまう。
伝統と権威のプレッシャーが重くのしかかる中、心の拠り所を失ったダイアナは、次第に精神の安定を欠き奇行に走るようになるのだが・・・・


冒頭10分の展開が秀逸で、この映画の世界観を端的に表している。
田園風景の中、仰々しい英国軍の車列が現れ、何処かへと向かう。
道端には雉狩りで撃たれて、放置された雉の遺骸か転がっている。
やがて宮殿に着いた軍人たちは、キッキンに大量の無機質なコンテナを運び込んで去ってゆく。
入れ替わる様に料理人の一団がキッキンに入り、コンテナを開けると、そこには見るからに贅沢な美しい食材が溢れんばかりに入っているのだ。
同じ頃、ダイアナは一人ポルシェ911カブリオレを駆り、よく知っているはずの故郷の道を、疾走しながら迷っているのである。
宮殿には他の王族たちが続々と集まって来るのだが、皆ショーファードリブンのロールスロイスから降り立ち、ダイアナの様に自らステアリングを握っている者は一人もいない。
宮殿は伝統と権威の殿堂であり、ダイアナは場違いな場所へと乗り込む前に、せめてもの抵抗として、無意識に迷っているのである。

チャールズ皇太子とダイアナ妃の別居が発表されたのは、本作の一年後の1992年の12月のこと。
二人が正式に離婚したのは4年後の1996年8月で、そのわずか1年後の8月31日にあの衝撃的な事故が起こり、世界のアイドルだったダイアナは、36歳の若さで亡くなった。
本作が描くのは、王室の中で孤立を深めるダイアナが、離婚への第一歩を踏み出すまでの三日間の顛末だ。
当然取材はしてるのだろうが、本当のことは本人とごく近い人しか分からない。
だから、王家のクリスマスというイベントは事実で、ダイアナを含む王系のメンバーも実在だが、内容的には「もしかしたら、こんなことがあったのかも知れない」程度でほぼフィクションと思えばいいのだろう。

このスタンスを裏付ける様に、普通実話ベースの映画は「Based on a true story(実話に基づく)」と記されるところ、本作は冒頭に「A fable from a true tragedy(実際の悲劇から作られた寓話)」と字幕が表示される。
「悲劇」が二人の離婚を意味するのか、数年後の事故を意味するのかは分からない。
もしかすると、ダイアナがチャールズと結婚したこと自体を指しているのかも知れない。
この字幕が示唆する様に、映画はさまざまな明喩・暗喩を駆使し観客の想像力を刺激し、ダイアナの物語の持つ悲劇性と寓話性を強調する。

エリザベス女王をはじめとした王族は、生まれた時点で生き方の選択肢がない。
古くは離婚歴のあるアメリカ人女性、ウォリス・シンプソンと結婚するために退位したエドワード8世、最近では王室の主要メンバーから離脱したヘンリー王子夫妻など例外はあるものの、幼い頃から帝王学を叩き込まれ、伝統こそが自らの権威を形作っていることを理解している。
そして国民に見せる公人としての自分の役割を、私人としての自分と演じ分ける術も心得ている。
しかし、ダイアナはそうではないのだ。
彼女自身もスペンサー伯爵家という名家の出ながら、生家のパーク・ハウスでは自然に囲まれて育ち、少なくともチャールズと結婚するまでは、普通の生活を送ってきた。
伝統だからと冬に暖房を入れないのも、食べもしないのに雉を撃って殺すのも、ダイアナには理解できないのだ。
日本の皇室に嫁いだ女性たちとも共通するのだろうが、思い描いた理想の結婚生活と、伝統と公務でガチガチになっている現実とのギャップは相当に堪えるのだと思う。

閉塞し混乱したダイアナの心を現す様に、カメラは迷宮のサンドリンガム・ハウスを彷徨い、動き続ける。
彼女に目に入るのは、亡き父の服を着せたカカシ、すぐ近くにあるのに荒れ果てた生家、パパラッチを警戒して縫い付けられて開かないカーテン、厳格に着用順が決められた何着ものドレス、絢爛豪華な料理、狩りで殺される予定の雉、etc.
ここでは、描写されるあらゆる要素が、彼女の心象として機能する。
極め付けは、アン・ブーリンだ。
映画「ブーリン家の姉妹」でも描かれた、16世紀イングランドの王妃。
夫であるヘンリー8世に浮気され、最後は処刑されてしまう悲劇の女性に自らを重ねるほどに、ダイアナは疑心暗鬼に陥り苦悩している。
他の王族のように器用に公と私を分けられず、アンと同じように夫の愛すら失ったダイアナは、冷たい伝統の中で迷い凍えている。
宮殿にはもはや居場所がなく、彼女のためにとシェフが好物を作ってくれても、味を感じられず吐き出してしまうほどに追い詰められているのだ。

映画のダイアナの救いは、お母さんのことが大好きな息子たちと、サリー・ホーキンスが演じるマギーだ。
皇太子妃ダイアナとしてではなく、少しでも素の自分を理解してくれる存在が、彼女が完全に壊れるギリギリ手前で踏みとどまれている理由だろう。
そして遂に、彼女は走り出す。
ポルシェに息子たちを乗せて、屋根を全開にして髪を風になびかせ、マイク・アンド・ザ・メカニックスの「All I need is a miracle」を熱唱しながら、ロンドンへと向かうラストシークエンスの解放感。
「やっと息ができる!」というダイアナの気持ちが、ストレートに伝わってくる。
ケンタッキーフライドチキンのテイクアウトで、息子たちと母子水入らずのクリスマスチキンなんて日本人みたいだが、これも宮殿の豪華な料理と、食べられずに捨てられる雉との対比となっている。
スリリングな心理ホラーであり、四文字言葉を連発するロックなダイアナが魅力的な宮廷寓話だった。

白の衣装が印象的な本作には、「ホワイトレディ」をチョイス。
ドライ・ジン30ml、ホワイト・キュラソー15ml、レモン・ジュース15mlをシェイクしてグラスに注ぐ。
牛乳の様な白さではなく、雪を思わせる半透明のホワイトが美しい。
フルーティな華やかさを、ジンの辛口な味わいが自然にまとめ上げる、ダイアナの様にエレガントなカクテルだ。

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ショートレビュー「バッドガイズ・・・・・評価額1600円」
2022年10月10日 (月) | 編集 |
悪者だっていいじゃない。

五人組の怪盗集団「バッドガイズ」の活躍を描く、ドリームワークス・アニメーションのクライム・コメディ。
リーダーのウルフ、狭いところならお任せのスネーク、どんなものにも変装するシャーク、小さくても怪力のピラニア、ハッキングの天才タランチュラ。
メンバーの全員が、狼や蛇など物語の中で人々から恐れられ、嫌われる動物の姿をしているのが特徴。
そんな運命を受け入れて、“悪者”として人生を送っている彼らが、ある陰謀に巻き込まれる。
「トロピックサンダー/史上最低の作戦」のイータン・コーエンが脚本を、「ボス・ベイビー」と同時上映された短編「ベルビー」のピエール・ペリフィルが監督を務める。
本国では今年の春に封切られ、現在までに全世界で2億5千万ドルの興行収入を上げているヒット作だ。
※核心部分に触れています。

アメリカの脚本家、脚本コンサルタントとして知られるブレイク・スナイダーの著した「SAVE THE CAT」という本がある。
数あるハリウッド脚本術の中でも最も有名な一冊なのだが、この脚本の教本にしては奇妙なタイトルは、ギャングや泥棒といった悪者に感情移入させるテクニックのことだ。
例えば、泥棒が警察から逃げる途中で木に登って降りられないネコと遭遇したら、自分が捕まりそうでもとりあえず助ける。
こうすれば、それが悪者であっても、観客は共感できるキャラクターとして認識するというワケ。
そしてこの映画は、「SAVE THE CAT」のセオリーを、臆面もなくそのまんま使っているのだ(笑
伝説のお宝“黄金のイルカ”を強奪する計画が失敗し、逮捕されたバッドガイズを、慈善事業家で人々から尊敬を集めるハムスターのマーマレード教授(実は本作の本当のヴィラン)が、グッドガイズに改心させると宣言。
ウルフがネコを助ける様子を動画配信したらバズってしまい、バッドガイズは一躍人気者に。
改心したフリだけしておこうと思っていた五人は、人々から賞賛される快感を知り、悪と善の間でアイデンティティの危機に陥る。

本作は、ちょっと世界観が独特だ。
この映画の世界には、動物は動物で存在するのだが、一部に知性を持って人間と共生している動物がいるらしい。
しかし画面に登場する動物はバッドガイズの五人と、マーマレード教授に、キーパーソンとなる狐のダイアン・フォクシントン知事のみで、後はカリカチュアはされているものの普通の人間。
説明を一切してくれないので、最初は日本の「オッドタクシー」のように、心象としての動物表現なのかと思ったが、どうやらそうではなく、彼らは物理的に動物ということらしい。
いずれにしても、人間の世界において、狼、蛇、鮫、ピラニア、蜘蛛は恐怖の対象であって、半分嫌われる自分の心象的姿と捉えても間違いなかろう。
最初のうちは、この不思議な世界観に戸惑うが、だんだん慣れてくる。
「この世界はこういうもの」と割り切った作りで説明要素がない分、展開はやたらと早くサクサク進むので、飽きる間がない。

アニメーションのルックは、「スパイダーマン:スパイダーバース」をベンチマークした様だが、モーションのフレームレートを落とし、キャラクターの表情を手描き風のテクスチャで表現しているのも、未見性のある面白い効果を生んでいる。
主人公が泥棒ということもあってか、「オーシャンズ」や「ルパン三世」、「ワイルド・スピード」など過去の泥棒映画の名作シリーズへのオマージュもチラホラ。
これらの作品の登場人物の共通点は、悪者を気取っているけど仁義は通し、なんなら世界だって救っちゃう?いわゆる義賊ということで、本作はいわばただの泥棒から大衆に愛される義賊へのファーストステップ。
人の本質は見た目に縛られないというテーマを、動物キャラクターというアニメーションならではの表現を使って上手く描き出した。
コロナ禍の興行で一定の結果を出したことで、シリーズ化は確実だと思うが、続きも日本でも劇場で観られる様にして欲しいなあ。
配信スルーされそうな気もするが。

今回は悪者が一発くらわせる話なので、「痛撃」あるいは「皮肉屋」の意味を持つカクテル「スティンガー」をチョイス。
ブランデー45ml、ペパーミント・ホワイト15mlをシェイクしてグラスに注ぐ。
濃厚なブランデーの適度なコクとペパーミント・ホワイトの香りが、清涼感たっぷりのスッキリとした味わいを作り出す。
ベースとなるブランデーのチョイス次第で、仕上がりには結構幅がある。

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アイ・アム まきもと・・・・・評価額1650円
2022年10月05日 (水) | 編集 |
弔いは誰のためのもの?

東北の市役所で、孤独死した人の身寄りを探し、身辺整理し、葬儀を出す「おみおくり係」として働く孤独な男を描いた物語。
2013年に、ウベルト・パゾリーニが発表した「おみおくりの作法」の日本版リメイクで、パゾリーニ自身も原作とエグゼクティブ・プロデューサーとしてクレジットされている。
名バイプレイヤーのエディ・マーサンが演じた主人公を、こちらでは阿部サダヲが好演し、「謝罪の王様」の水田伸生監督と四度目となるタッグを組む。
基本的な流れはオリジナルのプロットに忠実だが、倉持裕の脚色は主人公のキャラクター造形をはじめ、細かアレンジとローカライズを効かせていて、オリジナルを観ていてもまた別の映画として楽しめる。
いやむしろ、ユーモアとペーソスがダイナミックな抑揚を作り出すこちらの方が、エンターテイメントしてよく出来ているかもしれない。
「川っぺりムコリッタ」に続いて、喪失と向き合う女性を演じた、満島ひかりが素晴らしい。

牧本壮(阿部サダヲ)は、孤独死した人の身寄りを探し、納骨までを担当する市役所の福祉課「おみおくり係」の職員。
亡くなった人の想いを尊重するあまり、関係者に迷惑をかけてしまうことも多々あり、苦労して親族を探し当てても、殆どの人は故人と縁を切っていて葬儀にすら来ない。
ある日、牧本の家の向かいに住む蕪木(宇崎竜童)という男が亡くなり、さっそく調査を始めるのだが、県庁からやって来た新任の上司の小野口(坪倉由幸)に、「おみおくり係」は非効率的だと廃止を宣告されてしまう。
最後の仕事となる蕪木の葬儀に、一人でも多くの人に出席してほしくて、牧本は数少ない手がかりを頼りに、故人の過去の知人や友人を訪ね歩く。
手がかりは、蕪木が大切に持っていたアルバムの写真の少女。
そしてついに、牧本は写真に写っていた蕪木の娘、津森塔子(満島ひかり)にたどり着くのだが・・・


主人公の向かいの家に住む男が亡くなり、同時にリストラを言い渡されたことで、男の身寄りを探すことに全力を尽くすのはオリジナルと同じ。
おみおくり係の喪の仕事を通して、なんでも効率優先の世知辛い価値観と、死者へ想いを馳せる精神文化の衝突、現在社会の抱える分断と孤独などが浮かび上がってくる。
しかも最後の対象者は、もしかしたら近所で顔を合わせていたかもしれない男。
今まで、赤の他人のおみおくりをしていた主人公は、はじめて自分の手の届く範囲の人の死に直面する。
死後二週間で発見されたのだが、向かいの家の灯りは毎日目に入るので、なんの気なしに眺めていた風景の中に、男の「死」は存在していた。
いや、生前は向こうもこちらの家を見ていたかも知れない。
だから主人公にとって、死んだ男はある意味自分の鏡像であり、今まで以上に感情移入せざるを得ないのである。

もちろん葬送文化も国の歴史も異なるイギリスと日本だから、細部はかなり変わっている。
まず大きなアレンジが、故人のバックグラウンドだ。
オリジナルで主人公が調査する、ウィリアム "ビリー" ストークの過去は、なんだか漫画の「マスター・キートン」にありそうな話で、ミートパイ工場、フィッシュ&チップスの店を経営する元恋人、疎遠だった娘という調査の流れは、やがてイギリス現代史の棘であるフォークランド紛争で故人が負った心の傷と、彼の心の奥底にあった正義へと行き着く。
ミートパイ工場は食肉工場へ、フィッシュ&チップス店は漁師町の食堂へと脚色。
しかし日本は70年以上も戦争をしていないので、フォークランド紛争をどうするのだろうと思っていたら、なるほど戦後高度成長期を支えた炭鉱での落盤事故を持ってきた。
ある程度、社会の共通体験として語られる痛みとして、これはありだろう。

もう一つの大きなアレンジが、主人公のキャラクター造形だ。
エディ・マーサンが演じたジョン・メイは、仕事以外で人付き合いをせず、日々のルーティンを重んじるなど、非常に神経質で発達障害っぽいキャラクターではあったが、作中で明言はされていなかったと思う。
しかし本作の牧本は、明らかに発達障害(たぶん自閉スペクトラム症?)で、周囲の人たちもそれを分かっている。
おみおくり係自体も、相手の立場に立って気持ちを推測ったり、場の空気を読むことが苦手で、グループの中にいると浮いてしまう、牧本の個性を尊重し福祉課の中に設立されたものだったのが示唆される。
彼は決して孤独な存在ではなく、職場の同僚や関係者たちから見守られていて、だからおみおくり係を廃止しようとする新任上司の宣告は単に無理解と効率優先だけでなく、優しさの欠如として観客に刺さるのである。
主人公のキャラクターが持つ世間とのズレを、リスペクトした上で笑いのソースとして使っているのも、コメディ畑の水田監督らしく、本作をオリジナルと大きく差別化している要因になっている。

かように、優れた基本骨格を維持しながら、日本社会ならではの肉付けをされた本作は、かなり成功したリメイクだと思うが、実は本作のポスターデザインは、オリジナルよりもティム・バートン監督の「ビッグ・フィッシュ」によく似ている。
おそらく、これは意図的なオマージュだろう。
この作品では、ユアン・マクレガー演じる息子が、壮大なホラ話ばかりしていた余命幾許もない父の足跡を訪ね歩き、疎遠だった父が家族を強く愛していたことを知る。
そして父の葬式の日に、それまでホラだと思っていた父の人生の物語の登場人物たちが、続々とやってくるのである。
おそらくオリジナル以上に本作に影響を与えている作品で、本作はいわば生真面目な作りの「お見送りの作法」と、ファンタジックな「ビッグ・フィッシュ」のハイブリッドのようなテイストで仕上げられている。
そして主役級が次々と登場した「ビッグ・フィッシュ」同様に、牧本が出会う蕪木の過去を知る知人、友人のキャスティングが豪華!
宮沢りえが孫のいる女性(「おばあちゃん」とは呼びたくない)を演じているのに、ちょっとショックを受けたが、綺羅星のごとき俳優陣の白眉はやはり満島ひかりだろう。
荻上直子の「川っぺりムコリッタ」では、夫を亡くし一人娘を育てる寡婦を演じて強い印象を残したが、本作では牧本が誰よりも弔ってもらいたかった蕪木の娘を好演。
同じように喪失に向き合う役でも、両作でのキャラクターの振り幅の広さも見事だ。
阿部サダヲと満島ひかりは、今年の賞レースに確実に絡んでくることだろう。

それにしても、オリジナルを観た時も思ったけど、独り身としては実に身につまされる話だった。
そもそも葬儀は死者のためのものなのか、遺族のためのものなのか。
合理主義で考えるなら、「遺族のためものであって、遺族が望まないならやる必要無し」って上司の言い分が正しいんだろうが、私は最後に出てくる牧本が過去に見送って来た死者たちにどっぷり感情移入して「そら手を合わせるよね」と思ってしまった。
劇中で語られる「孤独死するのは男性が多い。なぜなら女性はいくつになっても友達を作るが、男は一度孤独になったら孤独のまま」という話には、いやーなリアリティ。
なるべく人付き合いは、よくするようにしよう。

今回はロケ地となった山形の地酒、亀の井酒造の「くどき上手 辛口純米吟醸」をチョイス。
そう言えば山形は「おくりびと」の舞台でもあった。
純米吟醸としては、かなり辛口。
淡麗でキリリとした北国らしい酒で、とても飲みやすい。

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