2022年11月10日 (木) | 編集 |
彼らは何のために戦い、死んだのか。
エーリヒ・マリア・レマルクが、自らの体験をもとに執筆した戦争小説の名作「西部戦線異状なし」の、三度目にして初のドイツ本国での映画化だ。
第一次世界大戦の西部戦線を舞台に、一人の少年兵の辿る運命を描く。
過去にアメリカで二度映画化されていて、最初はアカデミー作品、監督賞に輝いた1930年のルイス・マイルストーン監督版。
二度目が、1979年のデルバート・マン監督によるテレビ映画だ。
テレビ版は日本でも放送されたので、私は中学生の頃こちらを先に観て、その数年後に30年版を観たのだが、ショッキングなラストシーンは子供心に強烈に焼き付いている。
エドワード・ベルガーがメガホンをとった本作は、過去の映画化とはだいぶアプローチを変えてきている。
1917年の春。
17歳のパウル・バウマー(フェリックス・カメラー)は、親の反対を押し切って、同級生たちと共にドイツ軍に志願する。
1914年にはじまった戦争は、間も無く3年目に入る頃で、入隊した若者たちは第78歩兵予備連隊に配属され、西部戦線に投入される。
しかし、戦場は予想を遥に上回る凄惨な状況だった。
平原には無数の塹壕が掘られ、フランス軍の激しい砲撃によって、一緒に出征した友人はあっさりと死に、パウルは上官から無数の死体からのドッグタグの回収を命じられる。
18ヶ月後、パウルは古参兵のカチンスキー(アルブレヒト・シュッへ)に気に入られ、彼を戦場のメンターとしてなんとか生き残っていた。
ドイツの敗色は濃厚で、最高権力者のヒンデンブルクの命を受けたマティアス・エルツベルガー(ダニエル・ブリュール)率いる交渉団が、フランスのコンピエーニュの森に到着し、フランス軍を率いるフォッシュ元帥との停戦交渉に入った。
交渉の間にも、西部戦線の犠牲者は増え続けていたのだが、停戦の動きを察知したドイツ軍のフリードリヒ将軍(デヴィッド・シュトリーゾフ)は、ある作戦を強行しようとしていた・・・・
冒頭、ある兵士が戦死し、遺体から剥ぎ取られた軍服は修繕されてネームタグを外され、本作の主人公である少年兵のパウルへと手渡される。
この映画では、兵士はいわば銃弾の弾頭の部分。
弾頭は使い捨てだが、薬莢(軍服)は回収して新しい弾頭を込めれば、再利用できるというわけだ。
前線に投入される10代の新兵たちは、まさに一回撃ったら終わりの消耗品。
原作や過去の映画化では、パウルが戦死するのは1918年の10月のことだったが、本作は11月11日の事実上のドイツ降伏の日までを描く。
上映時間の殆どを占めるのは、終戦までの3日間、72時間の出来事だ。
本作の特徴が、前線で血みどろの戦いを繰り広げるパウルたちと、後方で指揮するフリードリヒ将軍、そしてフランスと和平交渉を進めるエルツベルガーの代表団の様子が、並行して描かれていること。
自分では戦場に行かない年輩の教師たちの愛国的な言葉に扇動され、血気盛んな高校生たちが志願入隊するのは以前の版と同じ。
ろくに訓練もせずに前線に投入された彼らは、すぐに現実を知ることになる。
第一次世界大戦は、火器の発展により塹壕の戦争となった。
アリの巣のように張り巡らされた塹壕に兵士が隠れ、時折突撃を敢行して多大な犠牲を払って敵の塹壕を占拠する。
しかし、今度は塹壕を越えることの出来る戦車によって蹴散らされ、撤退。
またしばらく経つと、突撃するパターンを繰り返す。
4年に及ぶ戦争の間、両軍の境界線はほとんど動かず、いたずらに兵士の犠牲だけが積み重なってゆく。
第一次世界大戦では、フランス、イギリス、ロシアなどの連合国と、ドイツ、オーストリア=ハンガリー帝国を中心とする同盟国合わせて、おおよそ1800万人が亡くなったとされるが、西部戦線だけで300万人もの兵士が、何の戦果も得られないままフランドルの平原の土となった。
これは、第二次世界大戦の日本軍の総戦死者とほぼ同数という、異状な数字である。
パウルたちが初めて戦場に足を踏み入れるのは、1917年の春。
共に入隊した友人たちが、容赦ない砲撃で物言わぬ肉塊となる戦場の洗礼を受けると、映画は突然18ヶ月後の1918年11月に飛ぶ。
入隊時いた戦友たちは殆どが戦死し、パウルはたった一年ちょっとで既に古参兵となっっているのである。
ドイツの敗色は濃く、和平交渉が始まっていることは兵士たちも知っている。
しかし、交渉の間にも戦死者は毎日、毎時、毎分積み重なってゆく。
初めて参加した戦闘で生き残ったパウルは、戦死者からのドッグタグの回収を命じられるが、最後の戦いではパウルが救った少年兵が、パウルのドッグタグを回収する。
劇中、西部戦線で回収されたドッグタグをリスト化している描写があり、これも命ある兵士を記号化する戦争の冷酷さを端的に示していて秀逸。
本作で特に強調されるのが、自分たちの面子のために、無駄な戦いを強いて兵士を消耗させる無能な軍上層部への怒りだ。
ドイツの上層部の中で、まともに兵士たちのことを考えているのは、ダニエル・ブリュール演じるエルツベルガーだけ(この人は18年の10月に兵役中の息子を失っている)。
前線では食糧が不足し、兵士たちが敵の塹壕で見つけた残飯を漁り、戦車から逃げ回っているのに、その数キロ後方ではフリードリヒ将軍が豪華な食事に舌鼓をうつ見事な比較のモンタージュ。
そして将軍は、もう負けることが分かっているのに、自分の虚栄心と降伏を決めた勢力への当てつけのために、兵士たちに停戦期限直前に絶望的な突撃を命じる。
命令拒否する兵士を処刑する督戦隊が張り付いているので、逃げることは許されない。
過去の映画化では、一羽の蝶(79年版では鳥)を見るために、塹壕から身を乗り出したパウルが、フランスの狙撃兵に撃たれ絶命する。
一人の兵士の死と「西部戦線異状なし」という司令部からの報告文の対比が、命を消耗品として扱う、戦争の虚しさを描き出していた。
対して本作では、フリードリヒ将軍に代表される軍首脳部の無能さと傲慢さが、パウルたち一般の兵士にとっては虚無の象徴となる構図。
100年前の戦争の話ではあるものの、フリードリヒ将軍とドイツの一般兵たちの姿は、どうしてもプーチンと戦場の真実を知らないまま駆り出される、ロシアの若い兵士たちに重なってしまう。
ウクライナの戦いは、双方が航空優勢を取れておらず、地対空ミサイルを恐れて航空機が自由に飛び回れないので、まるで20世紀の戦争のような塹壕戦の有様になっているので、なおさらのこと。
前線からの兵士の脱走も相次いでおり、ロシア軍は21世紀の現在に督戦隊を組織してるというから驚きだ。
権力者というものは、どこまで傲慢になれるのだろう。
ドイツで初の映画化となった本作は、原作や名作の評価が定着している過去の映画版に比べると、主人公のパウルに寄り添うというよりも、より客観的に戦争を捉えようとしている。
将軍と兵士の比較や、戦場という現場と交渉という会議室を並行して描いたこと、パウルの死をドイツ降伏の当日に設定したのも、同じ文脈。
結果的に、オリジナル色が強くなり寓話性の高い映画となったが、21世紀にあえて描いた作品として十分な説得力を持つ。
古参兵となったパウルが一人戦場に取り残され、自分が致命傷を与えた敵兵を相手に、ふいに人間性を取り戻して苦悩するシーンは本作の白眉だ。
さすがの力作であった。
今回は、ドイツの蒸留酒、シュナップスの「オルデスローエ キュンメル」を。
ウォッカをベースに、キャラウェイとスパイスでハーブのフレーバーをつけたもので、キャラウェイの独特の爽やかな香りが特徴。
ハーブ系のお酒が好きな人には、たいへん好まれるだろう。
シュナップスは消化を助ける効果があるとされ、食後酒としても人気がある。
美味しいガチョウの煮込みと一緒に飲みたい。
オン・ザ・ロックや冷やしたソーダで割っても美味しい。
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エーリヒ・マリア・レマルクが、自らの体験をもとに執筆した戦争小説の名作「西部戦線異状なし」の、三度目にして初のドイツ本国での映画化だ。
第一次世界大戦の西部戦線を舞台に、一人の少年兵の辿る運命を描く。
過去にアメリカで二度映画化されていて、最初はアカデミー作品、監督賞に輝いた1930年のルイス・マイルストーン監督版。
二度目が、1979年のデルバート・マン監督によるテレビ映画だ。
テレビ版は日本でも放送されたので、私は中学生の頃こちらを先に観て、その数年後に30年版を観たのだが、ショッキングなラストシーンは子供心に強烈に焼き付いている。
エドワード・ベルガーがメガホンをとった本作は、過去の映画化とはだいぶアプローチを変えてきている。
1917年の春。
17歳のパウル・バウマー(フェリックス・カメラー)は、親の反対を押し切って、同級生たちと共にドイツ軍に志願する。
1914年にはじまった戦争は、間も無く3年目に入る頃で、入隊した若者たちは第78歩兵予備連隊に配属され、西部戦線に投入される。
しかし、戦場は予想を遥に上回る凄惨な状況だった。
平原には無数の塹壕が掘られ、フランス軍の激しい砲撃によって、一緒に出征した友人はあっさりと死に、パウルは上官から無数の死体からのドッグタグの回収を命じられる。
18ヶ月後、パウルは古参兵のカチンスキー(アルブレヒト・シュッへ)に気に入られ、彼を戦場のメンターとしてなんとか生き残っていた。
ドイツの敗色は濃厚で、最高権力者のヒンデンブルクの命を受けたマティアス・エルツベルガー(ダニエル・ブリュール)率いる交渉団が、フランスのコンピエーニュの森に到着し、フランス軍を率いるフォッシュ元帥との停戦交渉に入った。
交渉の間にも、西部戦線の犠牲者は増え続けていたのだが、停戦の動きを察知したドイツ軍のフリードリヒ将軍(デヴィッド・シュトリーゾフ)は、ある作戦を強行しようとしていた・・・・
冒頭、ある兵士が戦死し、遺体から剥ぎ取られた軍服は修繕されてネームタグを外され、本作の主人公である少年兵のパウルへと手渡される。
この映画では、兵士はいわば銃弾の弾頭の部分。
弾頭は使い捨てだが、薬莢(軍服)は回収して新しい弾頭を込めれば、再利用できるというわけだ。
前線に投入される10代の新兵たちは、まさに一回撃ったら終わりの消耗品。
原作や過去の映画化では、パウルが戦死するのは1918年の10月のことだったが、本作は11月11日の事実上のドイツ降伏の日までを描く。
上映時間の殆どを占めるのは、終戦までの3日間、72時間の出来事だ。
本作の特徴が、前線で血みどろの戦いを繰り広げるパウルたちと、後方で指揮するフリードリヒ将軍、そしてフランスと和平交渉を進めるエルツベルガーの代表団の様子が、並行して描かれていること。
自分では戦場に行かない年輩の教師たちの愛国的な言葉に扇動され、血気盛んな高校生たちが志願入隊するのは以前の版と同じ。
ろくに訓練もせずに前線に投入された彼らは、すぐに現実を知ることになる。
第一次世界大戦は、火器の発展により塹壕の戦争となった。
アリの巣のように張り巡らされた塹壕に兵士が隠れ、時折突撃を敢行して多大な犠牲を払って敵の塹壕を占拠する。
しかし、今度は塹壕を越えることの出来る戦車によって蹴散らされ、撤退。
またしばらく経つと、突撃するパターンを繰り返す。
4年に及ぶ戦争の間、両軍の境界線はほとんど動かず、いたずらに兵士の犠牲だけが積み重なってゆく。
第一次世界大戦では、フランス、イギリス、ロシアなどの連合国と、ドイツ、オーストリア=ハンガリー帝国を中心とする同盟国合わせて、おおよそ1800万人が亡くなったとされるが、西部戦線だけで300万人もの兵士が、何の戦果も得られないままフランドルの平原の土となった。
これは、第二次世界大戦の日本軍の総戦死者とほぼ同数という、異状な数字である。
パウルたちが初めて戦場に足を踏み入れるのは、1917年の春。
共に入隊した友人たちが、容赦ない砲撃で物言わぬ肉塊となる戦場の洗礼を受けると、映画は突然18ヶ月後の1918年11月に飛ぶ。
入隊時いた戦友たちは殆どが戦死し、パウルはたった一年ちょっとで既に古参兵となっっているのである。
ドイツの敗色は濃く、和平交渉が始まっていることは兵士たちも知っている。
しかし、交渉の間にも戦死者は毎日、毎時、毎分積み重なってゆく。
初めて参加した戦闘で生き残ったパウルは、戦死者からのドッグタグの回収を命じられるが、最後の戦いではパウルが救った少年兵が、パウルのドッグタグを回収する。
劇中、西部戦線で回収されたドッグタグをリスト化している描写があり、これも命ある兵士を記号化する戦争の冷酷さを端的に示していて秀逸。
本作で特に強調されるのが、自分たちの面子のために、無駄な戦いを強いて兵士を消耗させる無能な軍上層部への怒りだ。
ドイツの上層部の中で、まともに兵士たちのことを考えているのは、ダニエル・ブリュール演じるエルツベルガーだけ(この人は18年の10月に兵役中の息子を失っている)。
前線では食糧が不足し、兵士たちが敵の塹壕で見つけた残飯を漁り、戦車から逃げ回っているのに、その数キロ後方ではフリードリヒ将軍が豪華な食事に舌鼓をうつ見事な比較のモンタージュ。
そして将軍は、もう負けることが分かっているのに、自分の虚栄心と降伏を決めた勢力への当てつけのために、兵士たちに停戦期限直前に絶望的な突撃を命じる。
命令拒否する兵士を処刑する督戦隊が張り付いているので、逃げることは許されない。
過去の映画化では、一羽の蝶(79年版では鳥)を見るために、塹壕から身を乗り出したパウルが、フランスの狙撃兵に撃たれ絶命する。
一人の兵士の死と「西部戦線異状なし」という司令部からの報告文の対比が、命を消耗品として扱う、戦争の虚しさを描き出していた。
対して本作では、フリードリヒ将軍に代表される軍首脳部の無能さと傲慢さが、パウルたち一般の兵士にとっては虚無の象徴となる構図。
100年前の戦争の話ではあるものの、フリードリヒ将軍とドイツの一般兵たちの姿は、どうしてもプーチンと戦場の真実を知らないまま駆り出される、ロシアの若い兵士たちに重なってしまう。
ウクライナの戦いは、双方が航空優勢を取れておらず、地対空ミサイルを恐れて航空機が自由に飛び回れないので、まるで20世紀の戦争のような塹壕戦の有様になっているので、なおさらのこと。
前線からの兵士の脱走も相次いでおり、ロシア軍は21世紀の現在に督戦隊を組織してるというから驚きだ。
権力者というものは、どこまで傲慢になれるのだろう。
ドイツで初の映画化となった本作は、原作や名作の評価が定着している過去の映画版に比べると、主人公のパウルに寄り添うというよりも、より客観的に戦争を捉えようとしている。
将軍と兵士の比較や、戦場という現場と交渉という会議室を並行して描いたこと、パウルの死をドイツ降伏の当日に設定したのも、同じ文脈。
結果的に、オリジナル色が強くなり寓話性の高い映画となったが、21世紀にあえて描いた作品として十分な説得力を持つ。
古参兵となったパウルが一人戦場に取り残され、自分が致命傷を与えた敵兵を相手に、ふいに人間性を取り戻して苦悩するシーンは本作の白眉だ。
さすがの力作であった。
今回は、ドイツの蒸留酒、シュナップスの「オルデスローエ キュンメル」を。
ウォッカをベースに、キャラウェイとスパイスでハーブのフレーバーをつけたもので、キャラウェイの独特の爽やかな香りが特徴。
ハーブ系のお酒が好きな人には、たいへん好まれるだろう。
シュナップスは消化を助ける効果があるとされ、食後酒としても人気がある。
美味しいガチョウの煮込みと一緒に飲みたい。
オン・ザ・ロックや冷やしたソーダで割っても美味しい。

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