2022年12月14日 (水) | 編集 |
女性だけに起こる「事件」
本年度のノーベル文学賞を受賞したフランスの作家、アニー・エルノーが自らの体験を綴った小説「L'evenement(事件)」を、ジャーナリストで「フレンチ・コネクション 史上最強の麻薬戦争」などの脚本家でもある、オドレイ・ディワンがメガホンをとって映画化した作品。
第78回ヴェネチア国際映画祭で、最高賞となる金獅子賞を受賞した話題作は、中絶が犯罪とされていた1963年のフランスを舞台に、予期せぬ妊娠に戸惑う女子学生アンヌの、12週間に及ぶ闘いの物語だ。
主人公のアンヌは、アングレーム大学で文学を学ぶ優秀な学生。
愛情深いが学歴がなく、飲食店を経営して懸命に働く両親に育てられた彼女は、教師の資格をとって両親とは別の人生を歩みたいと思っている。
将来を決める試験が迫る頃、彼女は自分が妊娠していることに気付く。
しかしフランスで妊娠中絶が合法化されるのは、1975年にヴェイユ法という中絶のルールを制定した法律が定められた以降のこと。
60年代はまだ違法とされていて、「流産」なら問題無いが「中絶」なら刑務所行き。
誰も助けてくれる者がいない中で、彼女はわざと流産するために、あらゆることを試す。
しかしどれも上手くいかず、少しずつお腹も大きくなってくる。
現在の日本では22週未満(6ヶ月)まで中絶手術を受けることができるが、入院を伴わない手術ができるのは12週までに限られる。
アンヌは迫りくるタイムリミットに焦り、勉強も手につかない。
成績は急降下し、試験を受けられるかどうかも怪しくなってくる。
サブプロットは存在せず、カメラはほぼアンヌの半径2メートル以内に張り付いて離れない。
狭いスタンダードサイズの画面も、閉塞感と焦燥感をより強調する。
本作とビジュアル演出のスタイルが極めて似た作品に、アウシュビッツ絶滅収容所で、ユダヤ人でありながら収容所の労役を担うゾンダーコマンドとして生きる主人公を追った、ネメシュ・ラースロー監督の「サウルの息子」がある。
おそらく本作にも強い影響を与えていると思うが、どちらも演出は徹底的に観客に主人公と自己同一化させようとするので、臨場感が凄まじい。
「サウルの息子」の場合は被写界深度を極端に浅くし、地獄のような背景をぼかしていたが、本作では事件が起こっているのは本人自身。
自分の膣に金属の棒を突っ込んで流産しようとする、相当にイタタな描写もあり、ホラー耐性がないと厳しい作品かも知れない。
結局、思わぬところから救いの手が差し伸べられて、彼女はエンジェルメーカーと呼ばれる裏の業者で中絶処置を受けるのだが、ここでもそう簡単にことは運ばず、彼女は危うく命を落としかけるのだ。
医師を含む男性側の不理解も含め、自分の身に起こったことに「自己決定権が無い」という状況がどれほど恐ろしいことか、実感させられる。
中絶だけでなく、人生の選択肢が今よりも遥かに少なかった時代には、「妊娠」は望まない人にとっては「主婦になる病」でもあったのだ。
先日のアメリカの中間選挙で、中絶禁止が重要な争点となったように、権利というものはいつ覆されるか分からない。
日本にも「堕胎罪」は依然として存在するし、本作でアンヌがやったような医師によらない自己流の中絶は違法。
この問題は、決して過去のものではないのだ。
出ずっぱりで主人公を演じるアナマリア・バルトロメイが素晴らしいのだが、なんと「ヴィオレッタ」で主人公を演じた少女だった。
私、日本での試写の時に本人に会ってるじゃん。
ずいぶん大きくなったが、あれもう11年前の作品なのね。
色んな選択肢がある社会であることが、一番大事。
ビターな映画には、ビターなカクテル「カンパリオレンジ」をチョイス。
氷を入れたタンブラーにカンパリ50mlを注ぎ、オレンジジュースを適量加えてステア、最後にスライスしたオレンジを一片飾って完成。
オレンジの甘味と酸味、カンパリの苦味が絶妙にバランスを形作る、ビター系ロングカクテル。
苦味が苦手な人は、オレンジジュースの比率を増やすと飲みやすくなる。
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本年度のノーベル文学賞を受賞したフランスの作家、アニー・エルノーが自らの体験を綴った小説「L'evenement(事件)」を、ジャーナリストで「フレンチ・コネクション 史上最強の麻薬戦争」などの脚本家でもある、オドレイ・ディワンがメガホンをとって映画化した作品。
第78回ヴェネチア国際映画祭で、最高賞となる金獅子賞を受賞した話題作は、中絶が犯罪とされていた1963年のフランスを舞台に、予期せぬ妊娠に戸惑う女子学生アンヌの、12週間に及ぶ闘いの物語だ。
主人公のアンヌは、アングレーム大学で文学を学ぶ優秀な学生。
愛情深いが学歴がなく、飲食店を経営して懸命に働く両親に育てられた彼女は、教師の資格をとって両親とは別の人生を歩みたいと思っている。
将来を決める試験が迫る頃、彼女は自分が妊娠していることに気付く。
しかしフランスで妊娠中絶が合法化されるのは、1975年にヴェイユ法という中絶のルールを制定した法律が定められた以降のこと。
60年代はまだ違法とされていて、「流産」なら問題無いが「中絶」なら刑務所行き。
誰も助けてくれる者がいない中で、彼女はわざと流産するために、あらゆることを試す。
しかしどれも上手くいかず、少しずつお腹も大きくなってくる。
現在の日本では22週未満(6ヶ月)まで中絶手術を受けることができるが、入院を伴わない手術ができるのは12週までに限られる。
アンヌは迫りくるタイムリミットに焦り、勉強も手につかない。
成績は急降下し、試験を受けられるかどうかも怪しくなってくる。
サブプロットは存在せず、カメラはほぼアンヌの半径2メートル以内に張り付いて離れない。
狭いスタンダードサイズの画面も、閉塞感と焦燥感をより強調する。
本作とビジュアル演出のスタイルが極めて似た作品に、アウシュビッツ絶滅収容所で、ユダヤ人でありながら収容所の労役を担うゾンダーコマンドとして生きる主人公を追った、ネメシュ・ラースロー監督の「サウルの息子」がある。
おそらく本作にも強い影響を与えていると思うが、どちらも演出は徹底的に観客に主人公と自己同一化させようとするので、臨場感が凄まじい。
「サウルの息子」の場合は被写界深度を極端に浅くし、地獄のような背景をぼかしていたが、本作では事件が起こっているのは本人自身。
自分の膣に金属の棒を突っ込んで流産しようとする、相当にイタタな描写もあり、ホラー耐性がないと厳しい作品かも知れない。
結局、思わぬところから救いの手が差し伸べられて、彼女はエンジェルメーカーと呼ばれる裏の業者で中絶処置を受けるのだが、ここでもそう簡単にことは運ばず、彼女は危うく命を落としかけるのだ。
医師を含む男性側の不理解も含め、自分の身に起こったことに「自己決定権が無い」という状況がどれほど恐ろしいことか、実感させられる。
中絶だけでなく、人生の選択肢が今よりも遥かに少なかった時代には、「妊娠」は望まない人にとっては「主婦になる病」でもあったのだ。
先日のアメリカの中間選挙で、中絶禁止が重要な争点となったように、権利というものはいつ覆されるか分からない。
日本にも「堕胎罪」は依然として存在するし、本作でアンヌがやったような医師によらない自己流の中絶は違法。
この問題は、決して過去のものではないのだ。
出ずっぱりで主人公を演じるアナマリア・バルトロメイが素晴らしいのだが、なんと「ヴィオレッタ」で主人公を演じた少女だった。
私、日本での試写の時に本人に会ってるじゃん。
ずいぶん大きくなったが、あれもう11年前の作品なのね。
色んな選択肢がある社会であることが、一番大事。
ビターな映画には、ビターなカクテル「カンパリオレンジ」をチョイス。
氷を入れたタンブラーにカンパリ50mlを注ぎ、オレンジジュースを適量加えてステア、最後にスライスしたオレンジを一片飾って完成。
オレンジの甘味と酸味、カンパリの苦味が絶妙にバランスを形作る、ビター系ロングカクテル。
苦味が苦手な人は、オレンジジュースの比率を増やすと飲みやすくなる。

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