2022年12月17日 (土) | 編集 |
闘うのはこわい、けど諦めたくない。
今年各方面に爪痕を残しまくった、岸井ゆきのの決定版。
間違いなくキャリアベストだ。
彼女が演じるのは、生まれつき耳の聞こえないプロボクサー、ケイコ。
実在の元プロボクサー、小笠原恵子の自伝「負けないで!」を原案に、「きみの鳥はうたえる」やNetflix版「呪怨:呪いの家」の三宅唱が、監督・脚本を兼務して映画化した作品。
16ミリフィルムの荒い画面に、劇伴を排した音響設計など、独創的なスタイルで作られた異色のボクシング映画だ。
いや、正確に言えばボクシングをモチーフにボクサーを描いた映画で、試合のシーンはあるが、分かりやすいカタルシスなどは無縁。
そこで見せる映画ではないのだ。
聴覚障害は、ボクサーにとっては大きなハンデとなる。
セコンドの指示もゴングの音も聞こえないので、注意してないとラウンドが終わったことも分からない。
ケイコは最初に所属したジムでは、障害を理由に試合に出してもらえず、三浦友和が会長を務める現在のジムに移籍してきた。
本作は実録ものではないが、モデルとなった小笠原恵子も同様の体験をしたそうだ。
かわりにケイコは目がいい。
耳ではなく、目を澄ますことで彼女には多くのものが見えてくる。
プロテストに合格し、一試合目はすでに勝利済み。
二試合目に勝った後、会長に「一度、お休みしたいです」と書いたメモを渡せないまま、ジムが閉鎖されることになってしまう。
耳の障害がなかったとしても、ケイコは非常に寡黙な人で、ほとんど感情を表に出さない。
三宅唱の演出も説明要素を極力排除して、半分ドキュメンタリーのように展開するので、彼女の本心は想像するしかない。
ボクサーはルーティンを大切にするというが、彼女の毎日もほぼ判で押したように同じだ。
ロードワークをこなしたらホテルの清掃係として勤務し、終わったらジムで練習。
ダンスのようなフットワーク、トレーナーとのリズミカルなミット打ち、打撃の重さを感じさせるサンドバッグ。
ずっと仏頂面だが目つきはファイターの眼力、実際にケイコに夜道で会ったらビビるかもしれない。
三試合目をやるのか迷っている時、聾学校の同級生(?)らしい三人の女子会のシーンがある。
珍しくケイコが笑顔を見せるのだが、三人の手話のやりとりに字幕はつかない。
たぶん、手相の話をしていた?と思って後から脚本を読んでみると、なるほど「手相の性格が柔かくなってる」と友人に指摘されていた。
このシーンの前に、ケイコと同居している健常者の弟との会話で、姉の心を押し測ろうとする弟に「勝手に人の心を読まなで」と彼女は告げる。
聴覚障害という属性からケイコを理解しようとするスタンスを、本作は観客に疎外感を抱かせたとしても徹底的に拒否するのだ。
かわりに三宅唱は、岸井ゆきのが繊細に表現するケイコの表情や、日常の中でのさりげない所作の変化を掬い取ってゆく。
ケイコにとってボクシングとはなんなのか、辞めたいのか辞めたくないのか。
これも彼女のルーティンなのだが、日々の練習内容をずっとノートにつけている。
1日に何キロ走ったのか、何ラウンドシャドウをしたのか、ミットを打ったのか、ロープをしたのか、そしてその日の心境。
ジムの会長が倒れ、その妻の仙道敦子がケイコのノートを読むシークエンスが本作の精神的なクライマックスで、ここで一気にキャラクターが広がってゆくのが、ストーリーテリングのカタルシス。
劇伴の存在しない本作は、同時に音の映画でもあり、ジムに響く様々な音、縄跳びの音、ミットの音、ベンチプレスの音、その他様々な日常音が、丁寧につけられている。
これらの音は当然ケイコには聞こえないのだが、彼女の心の中にはいろいろな雑音が入り乱れ、葛藤していることを間接的にあらわしていて秀逸。
手痛い敗北を喫した後の、ある偶然の出会いの後にケイコが見せるラストシーンの表情は、言葉ではなんとも形容し難いもので、ベストアクトでありベストショットだ。
縄跳びの音が、彼女が選んだ明日を示唆するエンディングまで、どこまでもシンプルに、しかしディープにケイコというキャラクターを描き切った傑作だ。
下町が舞台となる本作には、下町の酒「ホッピー割り」をチョイス。
1948年にビールの代用品として発売されたホッピーは、東京を中心に関東圏で広まった。
ホッピービバレッジは、ビアジョッキと甲種焼酎、ホッピーをキンキンに冷やし、ジョッキに焼酎1に対してホッピーを5の割合で注ぎいれる“三冷”を公式に推奨している。
実は低糖質でプリン体がゼロなので、減量中でも飲めるかも?
記事が気に入ったらクリックしてね
今年各方面に爪痕を残しまくった、岸井ゆきのの決定版。
間違いなくキャリアベストだ。
彼女が演じるのは、生まれつき耳の聞こえないプロボクサー、ケイコ。
実在の元プロボクサー、小笠原恵子の自伝「負けないで!」を原案に、「きみの鳥はうたえる」やNetflix版「呪怨:呪いの家」の三宅唱が、監督・脚本を兼務して映画化した作品。
16ミリフィルムの荒い画面に、劇伴を排した音響設計など、独創的なスタイルで作られた異色のボクシング映画だ。
いや、正確に言えばボクシングをモチーフにボクサーを描いた映画で、試合のシーンはあるが、分かりやすいカタルシスなどは無縁。
そこで見せる映画ではないのだ。
聴覚障害は、ボクサーにとっては大きなハンデとなる。
セコンドの指示もゴングの音も聞こえないので、注意してないとラウンドが終わったことも分からない。
ケイコは最初に所属したジムでは、障害を理由に試合に出してもらえず、三浦友和が会長を務める現在のジムに移籍してきた。
本作は実録ものではないが、モデルとなった小笠原恵子も同様の体験をしたそうだ。
かわりにケイコは目がいい。
耳ではなく、目を澄ますことで彼女には多くのものが見えてくる。
プロテストに合格し、一試合目はすでに勝利済み。
二試合目に勝った後、会長に「一度、お休みしたいです」と書いたメモを渡せないまま、ジムが閉鎖されることになってしまう。
耳の障害がなかったとしても、ケイコは非常に寡黙な人で、ほとんど感情を表に出さない。
三宅唱の演出も説明要素を極力排除して、半分ドキュメンタリーのように展開するので、彼女の本心は想像するしかない。
ボクサーはルーティンを大切にするというが、彼女の毎日もほぼ判で押したように同じだ。
ロードワークをこなしたらホテルの清掃係として勤務し、終わったらジムで練習。
ダンスのようなフットワーク、トレーナーとのリズミカルなミット打ち、打撃の重さを感じさせるサンドバッグ。
ずっと仏頂面だが目つきはファイターの眼力、実際にケイコに夜道で会ったらビビるかもしれない。
三試合目をやるのか迷っている時、聾学校の同級生(?)らしい三人の女子会のシーンがある。
珍しくケイコが笑顔を見せるのだが、三人の手話のやりとりに字幕はつかない。
たぶん、手相の話をしていた?と思って後から脚本を読んでみると、なるほど「手相の性格が柔かくなってる」と友人に指摘されていた。
このシーンの前に、ケイコと同居している健常者の弟との会話で、姉の心を押し測ろうとする弟に「勝手に人の心を読まなで」と彼女は告げる。
聴覚障害という属性からケイコを理解しようとするスタンスを、本作は観客に疎外感を抱かせたとしても徹底的に拒否するのだ。
かわりに三宅唱は、岸井ゆきのが繊細に表現するケイコの表情や、日常の中でのさりげない所作の変化を掬い取ってゆく。
ケイコにとってボクシングとはなんなのか、辞めたいのか辞めたくないのか。
これも彼女のルーティンなのだが、日々の練習内容をずっとノートにつけている。
1日に何キロ走ったのか、何ラウンドシャドウをしたのか、ミットを打ったのか、ロープをしたのか、そしてその日の心境。
ジムの会長が倒れ、その妻の仙道敦子がケイコのノートを読むシークエンスが本作の精神的なクライマックスで、ここで一気にキャラクターが広がってゆくのが、ストーリーテリングのカタルシス。
劇伴の存在しない本作は、同時に音の映画でもあり、ジムに響く様々な音、縄跳びの音、ミットの音、ベンチプレスの音、その他様々な日常音が、丁寧につけられている。
これらの音は当然ケイコには聞こえないのだが、彼女の心の中にはいろいろな雑音が入り乱れ、葛藤していることを間接的にあらわしていて秀逸。
手痛い敗北を喫した後の、ある偶然の出会いの後にケイコが見せるラストシーンの表情は、言葉ではなんとも形容し難いもので、ベストアクトでありベストショットだ。
縄跳びの音が、彼女が選んだ明日を示唆するエンディングまで、どこまでもシンプルに、しかしディープにケイコというキャラクターを描き切った傑作だ。
下町が舞台となる本作には、下町の酒「ホッピー割り」をチョイス。
1948年にビールの代用品として発売されたホッピーは、東京を中心に関東圏で広まった。
ホッピービバレッジは、ビアジョッキと甲種焼酎、ホッピーをキンキンに冷やし、ジョッキに焼酎1に対してホッピーを5の割合で注ぎいれる“三冷”を公式に推奨している。
実は低糖質でプリン体がゼロなので、減量中でも飲めるかも?

記事が気に入ったらクリックしてね
スポンサーサイト
| ホーム |