2023年01月23日 (月) | 編集 |
ヴァルハラが待っている。
ロバート・エガース監督は、自身初となるメジャー大作で、濃い作家性を保ったまま見事な傑作をものにした。
10世紀初頭のアイスランドの、荒涼とした風景の中で展開するのは、父王を叔父に殺された王子アムレートの神話的貴種流離譚。
シェイクスピアの「ハムレット」のモデルとなった、ヴァイキングの伝説の英雄が、残酷な運命に導かれながら戦士の本懐を遂げるまでの物語だ。
主人公のアムレートにアレクサンダー・スカルスガルド、彼のファムファタールとなるスラブの魔術師・白樺の森のオルガにアニャ・テイラー=ジョイ、父のオーヴァンディル王にイーサン・ホーク、母のグートルン王妃にニコール・キッドマン、仇となる叔父フィヨルニルにクリス・バング、道化ヘイミルにウィレム・デフォーという燻銀のオールスターキャスト。
本作にも預言者役で出演しているビョークの、作詞家としても知られるアイスランドの詩人ショーンが、エガースと共同で脚本を執筆した。
西暦895年。
オーヴァンディル王(イーサン・ホーク)は海外遠征から領地に戻り、王妃のグートルン(ニコール・キッドマン)、息子のアムレート(オスカー・ノヴァク/アレクサンダー・スカルスガルド)と再会する。
しかし王は弟のフィヨルニル(クリス・バング)による裏切りによって命を落とし、グートルンは連れ去られた。
命からがらボートで島を脱出したアムレートは、復讐と母の救出を誓う。
長い歳月が経ち、大人になったアムレートは、ヴァイキングの集団の戦士“ビョルンウルフ”としてロシアの地で略奪を繰り返していた。
ある村を襲撃した時、アムレートは不思議な預言者(ビョーク)と出会い、「フィヨルニルへの復讐はオーディンの意志であり、雌狐の尾を辿るように」と告げられる。
フィヨルニルはノルウェー王に攻められて領地を失い、新天地アイスランドへ移り住んでいる。
アムレートは魔術師を名乗る女、オルガ(アニャ・テイラー=ジョイ)と共にアイスランドへ向かう奴隷船に潜り込み、奴隷としてフィヨルニルに買われることに成功するのだが・・・・
本作の企画は、スウェーデン生まれで、元々ヴァイキングの物語を作りたいと考えていたアレクサンダー・スカルスガルドと、ヴァイキング文化に強い興味を抱いていたロバート・エガースが出会ったことからはじまったという。
物語のベースとなっているのは、シェイクスピアにインスピレーションを与えたことで知られる中世デンマークの歴史家、サクソ・グラマティクスの残したアムレートの伝説で、これにヴァイキング時代の北欧の神話集である「エッダ」をはじめ、アイスランドに伝わるエギルのサガ、グレティルのサガ、エイルのサガ、叙事詩「ベオウルフ」に登場するデンマーク王フロールフ・クラキの伝説などを組み合わせて構成されている。
高い評価を受けたエガースの過去二作の製作費は、デビュー作の「ウィッチ」が400万ドル。
孤島の灯台で展開する不条理劇、「ライトハウス」でも1100万ドル程度で、アメリカ映画としては低予算作品だったが、初のメジャー作品となった本作では7000万ドル以上という潤沢な資金を手にし、非常にリッチな画作りがなされている。
古代スカンジナビアのシャーマニズムを専門とする、考古学者のニール・プライスをコンサルタントして雇い、この時代のヴァイキング文化を徹底的にリサーチし、アニミズム的な宗教、生活文化を考証に基づいて緻密に再現。
クレイグ・レイスロップの美術、リンダ・ミューアが担当した衣装、激しい戦闘描写に至るまでリアリティたっぷりだ。
当時浸透しつつあったキリスト教への、ヴァイキングの敵愾心なども興味深く表現されている。
またエガースと、全ての作品でコンビを組んでいる撮影監督のジュリアン・ブラシュケによる映像は、とにかくダーク。
映画の序盤、アムレートの故郷の島と、青年期を過ごすロシアは森に覆われた世界。
そこは弱肉強食の法則が支配し、力無きものは容赦無く殺される。
スラブの村を攻める時、敵から放たれた槍をアムレートがキャッチして、投げ返して見事に命中させる描写は、「古事記」でアメノワカヒコを殺した「返し矢」を思わせるが、これもニャールのサガからの引用(カッコいいので採用したらしい)だというから、世界中に似たような話があるのだろう。
攻め落とした村は、奴隷として売れそうな者だけ残し、邪魔になる子供たちは皆殺し。
この時代、命の価値は空気よりも軽いのだ。
映画に登場した陰鬱なる森という点では、エマニュエル・ルベツキが撮影監督を務めた「レヴェナント:蘇りし者」と双璧だろう。
そんな恐ろしい世界だから、フィヨルニルの宮廷クーデターの後、幼くして島を脱出したアムレートは、ただ生きるのに必死。
ヴァイキングの海賊集団に拾われ、戦士ビョルンウルフを名乗り、人であることを捨て殺戮に明け暮れているうちに、自ら立てたはずの復讐の誓いを忘れている。
しかし、村を攻め落とした時、ビョーク演じる謎の預言者が姿を現し、復讐の完遂をオーディンの命令として告げられる。
神託を受け入れたアムレートの行動は、一切の迷いが無くなる。
己が運命を悟った復讐者が向かうのが、極北の島アイスランド。
ゴツゴツした岩に覆われた荒涼たる世界は、いかにも地の果てという感じで、神話的なムードが流れている。
ここでアムレートは、オルガを味方とし、少しずつ復讐を遂げる準備をしてゆく。
死者の眠る塚で魔法の剣ドラウグルを手に入れ、ホッケーの原型のような残酷なゲームに参加し、自分が死んだと思っているフィヨルニルの信頼を得る。
そして、キリスト教徒を装い、夜毎に血なまぐさいテロを起こすことで、敵を精神的に追い込んでゆくのである。
流浪の王子、宿敵となる叔父、天命を伝える預言者、地獄から声を伝える道化、そして主人公をヴァルハラへと導くファムファタール。
これは実に神話的であり、実にシェイクスピア的な物語でもある。
超自然的な描写も多く、どこまでが現実でどこからが精神世界なのか、境界が分からない不思議なムードはエガースらしい。
物語的には中盤までは割とストレートな復讐譚なのだが、終盤になって母のグートルンとの再会によって、宮廷クーデターの真相と価値観の逆転が起こる構造。
そして苦悩の旅の遂に、アムレートは自らの人生の意味を悟るのだ。
なぜ彼は復讐を遂げなければならないのか、それによって一体何が守られるのか、オーディンの神託の本当の意味とは。
時代が時代ゆえ、人も動物もやたらと簡単に死ぬし、血もいっぱいでる。
命の価値が限りなく軽い世界だからこそ、ヴァイキングは死に意味を求め、ヴァルハラの神話を生み出したのかも知れない。
生と死が表裏一体で人々が神話と共に生きていた時代、戦いで死んでヴァルキリーと共にヴァルハラへと向かうのは、彼らの死生観では紛れもない“現実”だったのだろう。
同じ歴史劇の英雄でも、例えば「バーフバリ」二部作が燃えたぎる真っ赤な炎だとすれば、これは静かに燃える青白い情念の炎。
血なまぐさく、壮大で陰鬱な神話であり、最後までスクリーに目が釘付けとなる。
ロバート・エガースの次回作は、ドイツ表現主義の傑作として知られる、F・W・ムルナウの「吸血鬼ノスフェラトゥ」のリメイクだとか。
まあ「ウィッチ」の頃からそれっぽかったし、「ライトハウス」はそのものズバリだった。
果たして異才エガースは、21世紀にどの様に表現主義を再解釈するのか、非常に楽しみである。
今回は、劇中でも成人の儀式で使われる蜂蜜のお酒ミードの、「ベーレンメット」をチョイス。
こちらはドイツ製で、甘すぎない優しい味わい。
人類のアルコール文化は、木のウロなどに溜まった蜂蜜が、雨水などと共に自然発酵して出来たものから始まったとも言われる。
古代の人々にとっては、飲むと酔っ払うミードは、言わば神と通じる手段だったのかも知れない。
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ロバート・エガース監督は、自身初となるメジャー大作で、濃い作家性を保ったまま見事な傑作をものにした。
10世紀初頭のアイスランドの、荒涼とした風景の中で展開するのは、父王を叔父に殺された王子アムレートの神話的貴種流離譚。
シェイクスピアの「ハムレット」のモデルとなった、ヴァイキングの伝説の英雄が、残酷な運命に導かれながら戦士の本懐を遂げるまでの物語だ。
主人公のアムレートにアレクサンダー・スカルスガルド、彼のファムファタールとなるスラブの魔術師・白樺の森のオルガにアニャ・テイラー=ジョイ、父のオーヴァンディル王にイーサン・ホーク、母のグートルン王妃にニコール・キッドマン、仇となる叔父フィヨルニルにクリス・バング、道化ヘイミルにウィレム・デフォーという燻銀のオールスターキャスト。
本作にも預言者役で出演しているビョークの、作詞家としても知られるアイスランドの詩人ショーンが、エガースと共同で脚本を執筆した。
西暦895年。
オーヴァンディル王(イーサン・ホーク)は海外遠征から領地に戻り、王妃のグートルン(ニコール・キッドマン)、息子のアムレート(オスカー・ノヴァク/アレクサンダー・スカルスガルド)と再会する。
しかし王は弟のフィヨルニル(クリス・バング)による裏切りによって命を落とし、グートルンは連れ去られた。
命からがらボートで島を脱出したアムレートは、復讐と母の救出を誓う。
長い歳月が経ち、大人になったアムレートは、ヴァイキングの集団の戦士“ビョルンウルフ”としてロシアの地で略奪を繰り返していた。
ある村を襲撃した時、アムレートは不思議な預言者(ビョーク)と出会い、「フィヨルニルへの復讐はオーディンの意志であり、雌狐の尾を辿るように」と告げられる。
フィヨルニルはノルウェー王に攻められて領地を失い、新天地アイスランドへ移り住んでいる。
アムレートは魔術師を名乗る女、オルガ(アニャ・テイラー=ジョイ)と共にアイスランドへ向かう奴隷船に潜り込み、奴隷としてフィヨルニルに買われることに成功するのだが・・・・
本作の企画は、スウェーデン生まれで、元々ヴァイキングの物語を作りたいと考えていたアレクサンダー・スカルスガルドと、ヴァイキング文化に強い興味を抱いていたロバート・エガースが出会ったことからはじまったという。
物語のベースとなっているのは、シェイクスピアにインスピレーションを与えたことで知られる中世デンマークの歴史家、サクソ・グラマティクスの残したアムレートの伝説で、これにヴァイキング時代の北欧の神話集である「エッダ」をはじめ、アイスランドに伝わるエギルのサガ、グレティルのサガ、エイルのサガ、叙事詩「ベオウルフ」に登場するデンマーク王フロールフ・クラキの伝説などを組み合わせて構成されている。
高い評価を受けたエガースの過去二作の製作費は、デビュー作の「ウィッチ」が400万ドル。
孤島の灯台で展開する不条理劇、「ライトハウス」でも1100万ドル程度で、アメリカ映画としては低予算作品だったが、初のメジャー作品となった本作では7000万ドル以上という潤沢な資金を手にし、非常にリッチな画作りがなされている。
古代スカンジナビアのシャーマニズムを専門とする、考古学者のニール・プライスをコンサルタントして雇い、この時代のヴァイキング文化を徹底的にリサーチし、アニミズム的な宗教、生活文化を考証に基づいて緻密に再現。
クレイグ・レイスロップの美術、リンダ・ミューアが担当した衣装、激しい戦闘描写に至るまでリアリティたっぷりだ。
当時浸透しつつあったキリスト教への、ヴァイキングの敵愾心なども興味深く表現されている。
またエガースと、全ての作品でコンビを組んでいる撮影監督のジュリアン・ブラシュケによる映像は、とにかくダーク。
映画の序盤、アムレートの故郷の島と、青年期を過ごすロシアは森に覆われた世界。
そこは弱肉強食の法則が支配し、力無きものは容赦無く殺される。
スラブの村を攻める時、敵から放たれた槍をアムレートがキャッチして、投げ返して見事に命中させる描写は、「古事記」でアメノワカヒコを殺した「返し矢」を思わせるが、これもニャールのサガからの引用(カッコいいので採用したらしい)だというから、世界中に似たような話があるのだろう。
攻め落とした村は、奴隷として売れそうな者だけ残し、邪魔になる子供たちは皆殺し。
この時代、命の価値は空気よりも軽いのだ。
映画に登場した陰鬱なる森という点では、エマニュエル・ルベツキが撮影監督を務めた「レヴェナント:蘇りし者」と双璧だろう。
そんな恐ろしい世界だから、フィヨルニルの宮廷クーデターの後、幼くして島を脱出したアムレートは、ただ生きるのに必死。
ヴァイキングの海賊集団に拾われ、戦士ビョルンウルフを名乗り、人であることを捨て殺戮に明け暮れているうちに、自ら立てたはずの復讐の誓いを忘れている。
しかし、村を攻め落とした時、ビョーク演じる謎の預言者が姿を現し、復讐の完遂をオーディンの命令として告げられる。
神託を受け入れたアムレートの行動は、一切の迷いが無くなる。
己が運命を悟った復讐者が向かうのが、極北の島アイスランド。
ゴツゴツした岩に覆われた荒涼たる世界は、いかにも地の果てという感じで、神話的なムードが流れている。
ここでアムレートは、オルガを味方とし、少しずつ復讐を遂げる準備をしてゆく。
死者の眠る塚で魔法の剣ドラウグルを手に入れ、ホッケーの原型のような残酷なゲームに参加し、自分が死んだと思っているフィヨルニルの信頼を得る。
そして、キリスト教徒を装い、夜毎に血なまぐさいテロを起こすことで、敵を精神的に追い込んでゆくのである。
流浪の王子、宿敵となる叔父、天命を伝える預言者、地獄から声を伝える道化、そして主人公をヴァルハラへと導くファムファタール。
これは実に神話的であり、実にシェイクスピア的な物語でもある。
超自然的な描写も多く、どこまでが現実でどこからが精神世界なのか、境界が分からない不思議なムードはエガースらしい。
物語的には中盤までは割とストレートな復讐譚なのだが、終盤になって母のグートルンとの再会によって、宮廷クーデターの真相と価値観の逆転が起こる構造。
そして苦悩の旅の遂に、アムレートは自らの人生の意味を悟るのだ。
なぜ彼は復讐を遂げなければならないのか、それによって一体何が守られるのか、オーディンの神託の本当の意味とは。
時代が時代ゆえ、人も動物もやたらと簡単に死ぬし、血もいっぱいでる。
命の価値が限りなく軽い世界だからこそ、ヴァイキングは死に意味を求め、ヴァルハラの神話を生み出したのかも知れない。
生と死が表裏一体で人々が神話と共に生きていた時代、戦いで死んでヴァルキリーと共にヴァルハラへと向かうのは、彼らの死生観では紛れもない“現実”だったのだろう。
同じ歴史劇の英雄でも、例えば「バーフバリ」二部作が燃えたぎる真っ赤な炎だとすれば、これは静かに燃える青白い情念の炎。
血なまぐさく、壮大で陰鬱な神話であり、最後までスクリーに目が釘付けとなる。
ロバート・エガースの次回作は、ドイツ表現主義の傑作として知られる、F・W・ムルナウの「吸血鬼ノスフェラトゥ」のリメイクだとか。
まあ「ウィッチ」の頃からそれっぽかったし、「ライトハウス」はそのものズバリだった。
果たして異才エガースは、21世紀にどの様に表現主義を再解釈するのか、非常に楽しみである。
今回は、劇中でも成人の儀式で使われる蜂蜜のお酒ミードの、「ベーレンメット」をチョイス。
こちらはドイツ製で、甘すぎない優しい味わい。
人類のアルコール文化は、木のウロなどに溜まった蜂蜜が、雨水などと共に自然発酵して出来たものから始まったとも言われる。
古代の人々にとっては、飲むと酔っ払うミードは、言わば神と通じる手段だったのかも知れない。

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