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ショートレビュー「エンパイア・オブ・ライト・・・・・評価学1700円」
2023年02月28日 (火) | 編集 |
人生と映画は、光と闇で出来ている。

1980年の秋、イギリス南部のケント州マーゲイト。
衰退したリゾート地である、この街の海辺に立つ古い映画館「エンパイア・シネマ」に集う人々の物語。
予告を観てもどんな内容なのかさっぱり分からなかったが、なるほどこれは言葉で説明するのがすごく難しい映画だ。
かつて4スクリーンあった映画館は、不況の煽りを受けて下層の2スクリーンのみでの営業で、眺めのいい上層階はずっと閉鎖されたまま。
主人公は、オリビア・コールマンが圧巻の名演で魅せる、劇場の統括マネージャーのヒラリー。
コリン・ファース演じる支配人とは不倫関係にあるが、若いスタッフを束ねるリーダー的な存在で、常連客からも信頼も厚い。

そんな彼女の日常が、マイケル・ウォードが演じる若い黒人男性のステイーヴンが新たに雇われたことで、変化の時を迎える。
彼女がスティーヴンに閉鎖された上層階を案内し、そこで見つけた怪我をした鳩の世話をしたことをきっかけに急接近。
親子ほど歳の離れたヒラリーとスティーヴンは、恋仲になるのである。
なぜ対照的な二人が惹かれあったのかという肝心なところがぼかされているため、この展開の説得力はちょっと弱い。
まあこれだけなら、歳の差カップルによるラブストーリーという枠に収まるのだが、二人の仲が深まると共に平和だった物語に徐々に影が落ちはじめる。
実はヒラリーは心に深刻な問題を抱えていて、薬で抑えている状態。
様々な出来事が一気に起こり、彼女の心を再び病が支配しはじめる。

一方、ウォードの問題は外的なものだ。
人種差別によって進学が叶わず、エンパイアに就職したものの、前年に就任したサッチャー首相が推し進める新自由主義的政策によって、地方の経済を不況が直撃。
失業者は増大し、デモが頻発。
怒れるプアホワイトたちの怒りの矛先は、政府より先にマイノリティの移民へと向かう。
分断が加速したこの時代においては、スティーヴンはマジョリティの白人たちに目の敵にされる階層なのである。
上層部を廃墟にしながら細々と命脈を保っているエンパイア・シネマも、かつて世界を支配した大英帝国の落日を象徴するかの様。
この劇場でプレミアを迎えるのが、大英帝国末期の誇りと栄光を描く「炎のランナー」というのも皮肉な話。

お互いに異なる孤独と痛みを抱えた二人が、そっと寄り添って生きる束の間の時間。
その奇跡は、暗闇の中に光を見る映画そのものだ。
映画は映写機のシャッターが降り、暗闇の中でフィルムが次のコマに進むことにより動いて見える。
だから観客は実は光と闇の両方を見ているのだけど、暗闇には気付かない。
偶然にも、ここ一年ばかりで、このことをメンションしている映画に、本作を含めて3本も出会ったのだが、これは映画という芸術の本質だ。

映画館に務めながら、そこで映画を観たことが無かったヒラリーが、映画の魔法に触れるシーンが本作の白眉。
作品のチョイスが、ハル・アッシュビー監督の「チャンス」というのがいい。
知的障害のある庭師の男が、思慮深い名士と勘違いされ時の人になってゆき、最後には大統領候補にまで祭り上げられる寓話。
このユーモラスで滑稽な映画を観ている、コールマンの表情がなんとも幸せそう。
ヒラリーのごくパーソナルな物語として、ここで落とすという手もあったと思うが、きちんと二人の別れを描いたことで、さらなる深みと広がりを持たせたのもよかった。
旅立つスティーヴンにヒラリーが贈る、フィリップ・ラーキンの詩集「高い窓」の一説が心に染み渡る。
メンデスは「007 スカイフォール」以来大作が続いたので、こういう自分を反映できる等身大のドラマが作りたくなったのだろう。
マーゲイトに実在する映画館(実際の名はDreamland Cinema)を活用した空間デザインもユニークで、ロジャー・ディーキンスのカメラが素晴らしい。

今回は、暗闇が重要な作品なので、黒いカクテル「ブラック・ベルベット」をチョイス。
ギネスビール150mlとシャンパン150mlをキンキンに冷やし、シャンパングラスに注ぎ、軽くステア。
二種類の発泡酒が作り出す細かさの違う泡のカーテンを、ベルベットの生地になぞらえたという訳。
必ずしもシャンパンとギネスでなければならないという訳でなく、黒ビールやスパークリングワインが1:1であれば作れるが、組み合わせ次第でだいぶテイストが変わる。
黒ビールの重さが苦手な人にとっても飲みやすい、華やかなカクテルだ。

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BLUE GIANT・・・・・評価学1750円
2023年02月24日 (金) | 編集 |
音が、光となって弾け飛ぶ!

めちゃくちゃ面白い。
仙台から上京し、世界一のテナーサックス奏者を目指す18歳の宮本大と、熱い音楽仲間たちの濃厚すぎる1年半の物語。
2013年から2016年にかけてビッグコミックで連載され、現在も続編シリーズが進行中の石塚真一のベストセラージャズ漫画を、「名探偵コナン ゼロの執行人」の立川譲監督でアニメーション映画化した作品だ。
当然音楽が重要になるが、漫画では想像するしかないオリジナル曲を、ジャズピアニストの上原ひろみが作曲。
劇中のトリオ「The JASS」の演奏を上原(ピアノ)、馬場智章(サックス)、石若駿(ドラム)が担当しパワフルな演奏を聴かせ、山田裕貴、間宮祥太朗、岡山天音ら若手人気俳優がキャラクターVCを務める。
情熱のブルーが迸る、日本映画では珍しい音楽映画の傑作だ!

世界一のサックス奏者を夢見る宮本大(山田裕貴)は、故郷の仙台の高校を卒業すると上京し、同郷の大学生 玉田俊二(岡山天音)のアパートに居候。
右も左も分からない東京で、一緒に演奏する仲間を探す。
ある日、寂れたジャズバー「TAKE TWO」のオーナー、アキコ(木下紗華)に紹介されてライブハウスを訪れた大は、同い年の凄腕ピアノマン、沢辺雪祈(間宮祥太朗)と出会う。
二人に触発された俊二がドラムをはじめ、素人ながらなんとか形になってくると、三人はトリオ「The JASS」を結成。
当初は演奏できる場所すら見つかなかったが、個性の違う三人の演奏が化学反応を生み、The JASSは瞬く間に東京のジャズシーンを駆け登ってゆく。
やがて彼らは、日本最高峰の名門ジャズクラブ「SO BLUE」への、10代のうちの出演を目指すようになり、雪祈が関係先のツテを頼って、SO BLUEの責任者に演奏を見に来てもらうが、手痛いダメ出しをされてしまう・・・


若い頃、米国でとあるインディーズ映画の撮影に参加した時のこと。
出演者が日本人のミュージシャンだったのだが、ロケ先の米国人関係者も実はアマチュアのミュージシャン。
日本人のキャストは英語があまり上手くなく、撮影が終わってたどたどしく歓談している時「お前の楽器いいね」という感じでどちらかともなく演奏が始まり、いつの間にかセッションに。
言葉で話していた時とは全く違って、みんな水を得た魚の如く自由に音を響かせていて、スタッフも皆聞き入っていた。
私は小学校の頃のリコーダーの演奏会で、「君は音出さなくていいから」と言われたくらい楽器が出来ないので、だんだんと熱気を帯びてゆくセッションを見て「ああ、共通言語のあるミュージシャンていいなあ」と思ったものだ。

本作のキャラクターも、言葉よりもまず音楽。
東京という未知の世界にやって来た大は、ライブハウスの演奏で雪祈のピアノに魅了され、いきなり「俺と組もう」と誘う。
それに対する雪祈のアンサーも、「まずは聴かせろ」なのである。
彼らはお互いの音を聴くことで、普通の会話からよりもずっと多くのインフォメーションを得ているのだ。
ど素人だった俊二もまた、大の演奏を聴いて音楽の魅力に目覚めて、いつしか仲間に。
映画の序盤は、トリオ「The JASS」結成から彼らが徐々に才能を開花させてゆくプロセス。
三人の中で中心となるのはサックスの大だが、彼は最初から最後まで全くぶれないキャラクターで、もちろん奏者としての成長はあるものの、基本変化しない狂言回し的なキャラクター。
作中で変化してテーマを伝える物語的な主人公はあとの二人、特に最初からある程度完成している雪祈なのである。

SO BLUEの責任者が見守るステージで、大のサックスと俊二のドラムは合格点をもらったものの、雪祈のピアノは酷評される。
曰く「小手先の技術だけで弾いている」と。
音楽家の家に生まれ、トリオの中で最もキャリアが長い雪祈は、自分の音楽の本質がどこにあるのか、いつしか見失っている。
物語の後半になると大がやや引っ込み、スランプの雪祈がブレイクスルーを果たすまでの葛藤が前面に出る形で物語が展開し、The JASSの刹那的な栄光と悲劇とその先の怒涛のクライマックスへと突き進む。

それにしても、原作のストーリーディレクターを務め、映画化に当たってこれほどクオリティの高い脚本をモノにした“NUMBER 8”って何者?と思ったら、原作の連載開始時からの担当編集者だとか。
「MASTERキートン」の長崎尚志パターンだけど、日本の漫画編集者って作者顔負けのクリエイティブの才能を持つ人も結構いるのだな。
こういう人たちが、世界市場の8割を占めると言われる、巨大な漫画産業を支えているのかも知れない。
まあ、ちょっととんとん拍子に進みすぎの気もするが、10巻の漫画を2時間にまとめてるので多少のダイジェスト感は致し方あるまい。
ちなみに原作は未読だが、クライマックスのSO BLUEに集った観客たちには、それぞれドラマがあるのだろうなとは思った。
その意味で、読んでた方が深く楽しめるのだろうが、とりあえず本作単体で観ても特に問題は無い親切な作り。

クライマックスを含めて、とにかく演奏シーンのクオリティが高く、非常に聞き応えのある作品なので、音響のいい劇場での鑑賞は必須。
テレビのしょぼいスピーカーじゃ魅力半減で、これこそ劇場で観るべき作品だ。
思いの丈を全てぶつけるようなパワープレイで聴かせる大のサックス、キャリアが浅いが故に必死に叩く俊二のドラム、そして華麗なテクニックを見せつける雪祈のピアノと、トリオならではの個性も見事に表現されている。
もちろん映画なので、それぞれの音を視覚化する映像も、漫画がそのまま動き出したようなものから、抽象アニメーション風、果ては「インターステラー」に出てきたようなブラックホールみたいな表現まで、実に多彩。
音が光となって溢れ出す描写もカッコよく、最後まで聴き惚れた。

素晴らしい作品だが、唯一ちょっと残念に思ったのが演奏シーンのCG表現。
全部がそうではないのだが、明らかに質感が他の部分から浮いているカットが多々ある。
本作のCGは技術的文脈で言えば「THE FIRST SLAM DUNK」と同じ。
私も楽器の演奏シーンのあるアニメーション作品に参加したことがあるが、実際の演奏と合わせるのがすごく大変で、これを手描きでやれなかったのは仕方がないと思うけど、該当カットをもうちょっと馴染ませられなかったか。
しかし、多少の欠点を補って余りある、圧巻の映像&音楽を存分に味わえる傑作であることは間違いない。
エンドクレジット後にも重要なシーンがあり、ここがないと実質オチにならないので、あわてて席を立たないように。

今回は、「ブルームーン」をチョイス。
ドライ・ジン30ml、クレーム・ド・バイオレット15ml、レモンジュース15mlをシェイクしてグラスに注ぐ。
「ブルームーン」はビリー・ホリデーはじめ、多くの歌手が歌った名曲のタイトルでもあり、ブルート言いつつ、実は幻想的な淡いパープルカラーのカクテルだ。
見た目にも涼し気だが、ジンの雑味のない華やかさとレモンの酸味もクールさを引き立てる。
「BLUE GIANT」の強烈な熱気は、「BLUE MOON」で冷まそう。

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ショートレビュー「エゴイスト・・・・・評価額1700円」
2023年02月20日 (月) | 編集 |
愛とエゴは紙一重。

なるほど、「エゴイスト」とはいくつもの意味を持つ深いタイトルだ。
鈴木亮平が好演するファッション雑誌の編集者・浩輔が、宮沢氷魚演じる龍太と出会う。
当初は客とパーソナルトレーナーとしての関係。
しかし、やがて二人は恋に落ちる。
エッセイストとして活躍し、2020年に死去した高山真の自伝的小説を、「トイレのピエタ」の松永大司監督が映画化した作品。
原作未読ゆえ、予告編の印象からゲイのラブストーリーだと思っていた。
確かにその要素もあるけど、物語の半分だけなんだな。

保守的な田舎で育ち、14歳の時に母を亡くした浩輔は、逃げるようにして東京に出て来た。
いわゆる業界人として、マンションのペントハウスに住める程度に成功し「服は鎧だ」が信条。
ナイーブな心を鎧で護り、親しいゲイ仲間はいるが内心はあまり明かさない。
一方の龍太は母子家庭で育ち、家計を助けるために早くから働かざるを得なかった貧しい境遇。
パーソナルトレーナーの仕事も独学で、それだけで食べていけるほどは稼げていない。
彼らは共に恋愛対象が男性で、そのことを親に言えていないという共通点があるものの、社会的な地位や性格は対照的なのである。
二人が付き合いはじめても、すぐに障害が立ちはだかる。
生きてゆくために、龍太は10代の頃から売春をしているが、浩輔と付き合うことで罪悪感に苛まれるようになる。
そのために、一度は別れようとするのだが、浩輔は彼の愛を繋ぎ止めるためにお金を使うのだ。
月20万円で、浩輔が龍太の“専属の客”となる。

ここでまず第一の疑問。
浩輔が龍太のことを愛しているのは、間違いないだろう。
しかし、月のお手当を渡して自分のそばに置くことは、はたして龍太のためなのか?
愛を「無償で与えるもの」と考えれば浩輔の行為はまさにそれだが、実際には肉体を求め合い、しっかり見返りを得ている。
お互いに愛し合っていると言っても、側から見たら愛人をお金で囲うことと何も違わない。
日本映画が逃げがちな、男同士の赤裸々なセックスを描いた意味もここにある。
心と体は不可分で、「愛してる」と「抱きたい」も同じ。

そして物語の後半になると、彼はまた立場を変えて、同じことを繰り返す。
中盤で龍太をある悲劇が襲い、早すぎる退場を迎えると、浩輔は今度は阿川佐和子演じる龍太の母に対して「無償の愛」を与え続けるのである。
浩輔が思春期の葛藤真っ只中だった頃に、母親を亡くしているのがポイント。
彼は心からの愛ゆえに、擬似家族的な行為を貫くのか、それとも、失った大切なものを感じたくてやっているのか。
日本では、LGBTQは擬似的な家族しか作れないという現実も、このシチュエーションのシニカルさを際立たせる。
おそらく浩輔の中でも、自分のしていることは完全には割り切れていないだろう。
善意と偽善にも通じるが、利他と利己は表裏一体で与える立場、受け取る立場で見え方が違う。
エゴイストは別の方向から見たら真実の愛の人で、その逆もしかり。
人間の持つ多面性を象徴するような、複雑なキャラクターを演じた鈴木亮平が素晴らしく、キャリアベストと言っていい。

今回は、ちょっとビターな愛の物語なので「ビタースイート」をチョイス。
ドライ・ベルモット25mlとスイート・ベルモット25ml、オレンジ・ビターズ1dash、アンゴスチュラ・ビターズ1dashを、氷を入れたミキシンググラスで軽くステアし、グラスに注ぐ。
最後にオレンジピールを飾って完成。
名前の通りちょっとビターで甘酸っぱい、二面性を持つ味。
ほんのりオレンジの色合いも美しい。

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バビロン・・・・・評価額1700円
2023年02月13日 (月) | 編集 |
デミアン・チャゼルの「映画史」

「ラ・ラ・ランド」で史上最年少のアカデミー監督賞に輝いた若き異才・デイミアン・チャゼルが、1920年代から30年代にかけて初期のハリウッドに生きた人々を描いた群像劇。
メキシコ移民で映画界で身を立てる夢を抱いているマニーと、はちゃめちゃな行動力を持つ新進女優のネリー、そしてMGMを代表するサイレント映画の大スターのジャック。
彼ら三人を軸として、狂乱の20年代から激変するハリウッドと、時代の変化に置いて行かれまいと右往左往する人々が描かれる。
マニー、ネリー、ジャックをそれぞれディエゴ・カルバ、マーゴット・ロビー、ブラッド・ピットが好演。
トビー・マグワイア、ジーン・スマート、ジョバン・アデポ、リー・ジュン・リーらが、異なる立場から時代を象徴するハリウッドの住人たちを演じる。
本作は“音”が重要な要素となり、「セッション」以来チャゼルの全作品を手掛ける、ジャスティン・ハーウィッツの音楽も聴きどころが多いので、出来れば音響の良い劇場での鑑賞がオススメだ。
※核心部分に触れています。

1926年、メキシコ移民の青年マニュエル“マニー”・トレス(ディエゴ・カルバ)は、キノスコープ社の重役ドン・ウォラック邸で開かれるパーティーのため、“象”を運んでいた。
なんとか丘の上の邸宅に運び上げることに成功したものの、パーティーはカオスと化す。
マニーは招待されてないのに会場に入ろうとした、自称”スター”のネリー・ラロイ(マーゴット・ロビー)を助けコカインで意気投合。
乱痴気騒ぎの中で、明日の撮影に参加する予定だった女優がドラッグの過剰摂取で倒れ、代わりにその場にいたネリーがキャスティングされ映画デビュー。
あれよあれよという間に、本当にスターになってしまう。
一方のマニーは、酔い潰れていたベテラン俳優のジャック・コンラッド(ブラッド・ピット)を自宅に送ったところ気に入られ、MGMで働くことになる。
やがて、ニューヨークでトーキーという新しい技術で作られたワーナーの新作映画「ジャズ・シンガー」のプレミアが開かれることを知ったジャックは、マニーをニューヨークに送る。
“音のある映画”に熱狂する観客を見たマニーは、ジャックに電話をかけて「全てが変わります」と伝えるのだが・・・・・


アヴァンタイトルの、パーティーシークエンスで度肝を抜かれる。
ハーストキャッスルを思わせる山の上の邸宅に、マニーがウンコのシャワーに苦戦しながら何とか象を運び込んだと思ったら、ここからパーティー本番。
まずは長回しのワンカットでパーティーの全体像を見せると、タイトルが出るまで30分に渡って、壮大な乱痴気騒ぎが繰り広げられるのだ。
まさにこの世のありとあらゆる悪趣味と低俗と退廃をギュウギュウに押し込めたような、刺激的な欲望のるつぼ。
ここで出会う三人の人物、映画界を牽引する大物俳優のジャック、自称生まれながらのスターのネリー、そして映画の世界に憧れるマニーが物語の軸となる。
MGMの売れっ子で、誰もが一目置くジャックは、その時点でのハリウッドの栄光そのものだ。
田舎娘だが異常にエネルギッシュで才能豊かなネリーは、瞬く間にスターダムを駆け上がるアメリカンドリームの象徴。
三人の中で一番普通の人であるマニーは、感情移入キャラクターで観客の目となる役割。

パーティーシークエンスが終わると、三人それぞれの撮影シークエンスの始まりだ。
この時代のハリウッドは、なんでもありのネット黎明期みたいなもので、全米から野心を滾らせた者たちが集まってくるアナーキーな混沌の世界。
スタジオとは名ばかりの原っぱの撮影所では、幾つもの映画が同時進行で撮られている。
エピソードを矢継ぎ早に詰め込めるだけ詰め込んでゆく前半は、「セッション」の音楽バトルを思わせるリズム感。
キャラクターを生かしたはすっぱ娘を演じたネリーは、一気に才能を開花させ、大作の主役のジャックは、監督そっちのけで主導権を握り映画を仕上げる。
ジャックについて映画の現場に入ったマニーは、リスクマネージメントに長けた男で、次々と降りかかる困難を解決しスタジオの信頼を得てゆく。

虚実入り混じる本作には、アーヴィング・タルバーグなどの実在の人物もいれば、実在のモデルがいるキャラクター、完全に架空のキャラクターが混在している。
ブラッド・ピットはジョン・ギルバート、ダグラス・フェアバンクス、ルドルフ・ヴァレンチノを組み合わせてジャックのキャラクターを作り上げていったという。
ネリーのキャラクターはクララ・ボウを元に造形され、彼女とコンビを組む監督のルース(演じるはチャゼルの妻のオリビア・ハミルトン)は、女性映画監督の草分けの一人ドロシー・アーズナーがモデル。
中国系スター俳優で字幕作家、のちにヨーロッパに進出するレディ・フェイ・ジューは、アンナ・メイ・ウォン。
当時のハリウッドを俯瞰して眺め、登場人物にしばし”助言”を与えるゴシップ屋のエリノア・セント・ジョンには、作家でコラムニストのエリノア・グリンというモデルがいる。
一方、本作のストーリーテラーでもあるマニーと、終盤に登場しハリウッドの闇を象徴するギャングの元締め、ジェームズ・マッケイには特定のモデルは存在しない。

前半は若者たちは業界で足場を得て、ベテランはますます血気盛ん。
彼らは映画の持つ可能性の未来を夢見ているが、トーキーの出現が全てを変える。
撮影と同時に音を収録するために、同じ場所で同時に複数の映画を撮ることは出来なくなり、巨大なサウンドステージが建設される。
新しい技術は巨額の投資を必要とし、映画界は怪しげな山師たちの業界から、洗練された巨大産業へと変貌してゆく。
1929年に作られたドロシー・アーズナー監督の「ワイルド・パーティー」を模したと思しき、ネリー主演、ルース監督のトーキー第一作の撮影シーンでは、それまでの常識が一切通用しない状況に、スタッフもキャストもてんてこ舞い。
ここまではまだコメディタッチで楽しく観ていられるのだが、ハリウッドの変貌と共に徐々に世界観が変わってゆく。
トーキーになると、それまでのような大袈裟なジェスチャー主体の演技は通用せず、より自然な演技力が必要となり、俳優の声の質までもが評価の対象に。
業界もヤクザな破天荒さは敬遠され、作り手にも“道徳的な正しさ”が求められるようになる。
どんな業界でもそうだが、大きなパラダイムシフトが起こると、それによってチャンスを得る者も、淘汰される者も出てくる。

ジョバン・アデポ演じるトランペット奏者のシドニーは、映画に音がついたことで新たなスターとなった一人。
ちなみにシドニーは複数の黒人ミュージシャンを組み合わせたキャラクターだが、黒人の肌色が照明で白っぽく見えるために、黒色顔料を顔に塗られたのは当時実際にあったことだそうだ。
シドニーとは対照的に、ジャックは典型的なサイレント映画の演技スタイルが、ネリーは役のイメージとかけ離れたジャージー訛りの独特の声質が問題となり、伸び悩むようになってしまう。
トーキーという未来が本当にやって来た時、二人は可能性に隠れていた現実を思い知らされるのである。
そんな中でいち早くトーキーを生かす術を見出したマニーは、見事に立身出世を重ねてゆくのだが、結果的に本作の三人の主役たちは、皆それぞれの理由で映画界から姿を消すことになる。

愛ゆえにハリウッドでの地位を捨てることになるマニーが、20年後に映画の過去と未来を幻視するシーンは、「ラ・ラ・ランド」の“ifの未来”を思わせるメタ演出。
とことんまでに映画を利用し尽くすチャゼルの手法は、映画ファンの一部を熱狂させ、逆に一部は怒り心頭に発するだろう。
冒頭のパーティーでのあまりの悪趣味さも、観客によってはおぞましく感じるかも知れない。
しかしこのシークエンスの突き詰めた猥雑さが、逆にまだ何者にもなってない若者たちの純粋さを際立たせる。
マニーはコカインを吸いながら、「ずっと残る大きな物の一部になりたい」とネリーに言う。
いみじくもエリノアがジャックを諭すように語った通り、タイトルの由来となったメソポタミアの古代都市のように、一度でも映画に関わった人は死んでも作品の一部となり、50年後でも100年後でも、誰かがそれを観るたびに再発見される。
それを証明しているのが、三人がハリウッドを去って50数年後の1985年に生まれ、2022年の未来に本作を作ったデイミアン・チャゼル自身である。
映画の夢の裏側にある現実の痛みを描いた本作は、三人の個人の物語として捉えるとビターで切なく悲壮ですらあるが、映画史というメタ的な視点から全体を捉えると、大きな達成感があるという不思議な印象の作品。
終盤には突然「アンダー・ザ・シルバーレイク」を思わせる闇鍋的な世界観になったり、ちょっと散漫な映画になってしまった感はあるが、クレジーな人々を描いていても、映画自体はきっちりと理詰めで構成されたチャゼル流のパワフルな熱血映画賛歌。
賛否両論に分かれるのは仕方がない作品だが、私はこの挑戦的な力作を強く支持する。

パーティーにやってきたジャックが、やたらと沢山の酒を注文する描写があるが、今回はその中の一つ「ジン・リッキー」をチョイス。
氷を入れたタンブラーに、ライム1/2を絞り入れ、ドライ・ジン45mlとソーダを適量注ぎ、軽くステアする。
スライスしたライムを一切れ飾って完成。
甘さはなく、酸味とドライな喉越しを楽しむ大人な一杯。
189分の映画の熱量を、気持ちよく覚ましてくれるだろう。

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仕掛人・藤枝梅安・・・・・評価額1650円
2023年02月10日 (金) | 編集 |
表と裏は紙一重。

昭和を代表する時代小説の巨匠・池波正太郎が創造した人気キャラクター、品川台町に住む人気の鍼医者にして、裏の顔は庶民の恨みを金で晴らすヒットマン、仕掛人・藤枝梅安の活躍を二部作として描く燻銀の娯楽時代劇。
色々と黒い噂のある料理屋の女将の仕掛を依頼されたことをきっかけに、江戸の闇に蠢く悪が燻り出される。
過去に緒形拳や萬屋錦之介、渡辺謙ら時代のスターたちが演じてきた梅安を、本作では豊川悦司が演じ、相方となる吹き矢を得意とする仕掛人・彦次郎に片岡愛之助。
菅野美穂、天海祐希、早乙女太一らが脇を固める。
前編では、小説の一冊目となった短編集「殺しの四人」のエピソードを、大森寿美男が巧みにミックスして脚色。
テレビで数々のドラマ演出を手がけ、映画監督としても「星になった少年 Shining Boy & Little Randy」などの作品があるベテラン、河毛俊作がメガホンを取った。
本作は池波正太郎生誕100年に向けたプロジェクトの第一弾で、4月には「仕掛人・藤枝梅安2」が、来年にはもう一つの代表作「鬼平犯科帳」が松本幸四郎主演で公開される予定だ。

藤枝梅安(豊川悦司)には、品川台町の腕のたつ針医者という昼の顔と、「蔓(つる)」と呼ばれる元締めから、金で悪人の殺しを請け負う仕掛人という二つの顔があった。
ある夜、仕掛人仲間でもある彦次郎(片岡愛之助)の家に泊まった梅安は、帰り道に凄腕の剣客・石川友五郎(早乙女太一)が襲ってくる刺客を切り捨てる現場を目撃する。
その後、梅安は蔓の羽沢の嘉兵衛(柳葉敏郎)から、人気の料理屋「万七」の女将・おみの(天海祐希)の仕掛を依頼される。
三年前、別の蔓の田中屋久兵衛から依頼され、万七の前の女将だったおしずを仕掛けたのは梅安だった。
よからぬ胸騒ぎを感じた梅安は、万七の女中のおもん(菅野美穂)と深い仲になり、店の内情を探る。
うわさ通り、おみのはなかなかの悪女らしい。
そんなある日、万七を訪れた梅安は、挨拶に来たおみのの顔を見て驚く。
おみのは、遠い昔に生き別れた母の若い頃に瓜二つだったのだ・・・・・


最近のチャラいTVの必殺シリーズとも、懐かしの緒形拳版とも別物だ。
どこまでもハード&ダークな、新たな仕掛人・梅安の物語。
タイトルロールの豊川悦司がいい。
この人、最近の「そして僕は途方に暮れる」でもそうだったが、強烈に懐の深い“怪優“になって来た。
人を生かす医者と人を屠る仕掛人という、正反対の二つの顔を持つ複雑なキャラクターにピッタリとハマる役者はそういない。
硬のトヨエツと軟の片岡愛之助との、仕掛人コンビの相性もいい感じだ。

しかし気になる点もある。
本作は、登場人物の過去の因縁が、やたら込み入っている。
その要因は複数の話を組み合わせて構成しているため、それぞれのエピソードごとの過去を描く必要があるからだ。
梅安と実の妹であるおみのの過去、かつて強盗だった時代の彦次郎とおみのの過去、はたまた3年前の仕掛を巡る梅安の過去、石川友五郎とお市が刺客に追われる原因となった過去。
全く違う話をシームレスに結合させている大森寿美男の技は素晴らしいのだが、結果的に回想説明要素が多くなり、134分の長尺に。
この辺りはもうちょっと整理して、テンポよく綴ってほしかったところ。
二部作ゆえに次回作で生かしてくるのかも知れないが、本作だけだとヒロインに当たる菅野美穂のキャラクターの位置付けも中途半端だ。

しかし、これらの欠点を補って余りあるのが、映像的な魅力
一見して本作は極端に彩度が低く、シーンによってはほとんどモノクロに見える部分も。
夜は明暗のコントラストを強調し、闇の中でフワッと浮かび上がるシルエットと滲む光を描く。
どこかで見たイメージだと思ったが、なるほどこれは葛飾応為の浮世絵の映像版だ。
原恵一監督のアニメーション映画「百日紅 〜Miss HOKUSAI〜」で、その若き日が描かれた北斎の娘にして天才の血を受け継いだ絵師、葛飾応為の作品は父親を含む同時代の浮世絵師の作品とはまるで異なっている。
作風は西洋絵画の影響を強く受け、特に晩年の作品ではペタッとした浮世絵とは違い、光と影のグラデーションで構成されて、闇の中から光と色彩が鮮やかに浮かび上がるのである。
偶然なのか、意図したものなのかは分からないが、本作の夜の映像設計は応為の作品に酷似しており、画的な未見性は本作の大きな魅力になっている。
まあ、クセは強くあえて深みを捨てているので、好みは別れると思うが。

また非常に印象的なのが、たっぷりと尺を取り繰り返し出てくる料理の描写だ。
無精なのか彦次郎は湯豆腐ばっかり食べているが、梅安は削り節と小葱の入ったお粥とか、凝った柚子入り年越し蕎麦とか、色々作っては彦次郎に奢る。
この料理に関しては彩度をくっきりさせているため、飯テロレベルに美味しそうで、「これ江戸グルメの映画だったっけ?」一瞬映画のジャンルが分からなくなるほど。
特に一番最初に作るお粥は、「帰ったら早速作ろう」と思ってしまった(笑
しかしこれらのホッコリとした食事のシーンが強調するのは、常に最後の晩餐を意識する、仕掛人の業なのである。

仕掛人が手にかけるのは、生かしておいては世間の為にならない悪人という縛りがある。
だが、三年前に梅安が仕掛たおしずは、仕事熱心ないい女将で、殺されるゆわれなど無い。
依頼人と仕掛人の間に蔓が入ることによって、両者は直接会わないというシステムを悪用され、梅安は要らぬ仕掛をしてしまったのである。
仕掛人は正義の味方などではなく、所詮金で雇われた人殺しに過ぎないという無情感が全編を貫き、悪者をやっつける仕掛のカタルシスなどは皆無。
製作母体が違うので当たり前だが、緒形拳版以後の「必殺」シリーズの定番となった、カッコいい名テーマ曲「荒野の果てに」もかからない。
浮かび上がるのは、正義も悪も表裏一体、仕掛る者、仕掛られる者、ちょっとしたことでどちらに転ぶのか分からない、人間の業の深さだ。
これぞ酸いも甘いも噛み分ける、大人の娯楽時代劇である。
一応二部作の前編だが、本作のみでもちゃんと完結していて、エンドクレジット後に4月公開の「仕掛人・藤枝梅安2」への長めのブリッジの映像あり。

とりあえず「レジェンド&バタフライ」に本作と、この時代に攻めた作りの時代劇が続けて出てくるのは嬉しい限りだ。
しかし、本作は典型的な「今、入らない邦画」だろう。
この種の時代劇は地方依存度が高いが、地方の劇場にはコロナ禍以降ターゲットの中高年層が戻っていない。
好評だし、都内だけだと結構入ってる様に見えるが、おそらく地方は全滅状態。
多くのミニシアター系作品も同様だけど、もう少し地方が盛り返さないと、日本の映画興行はヤバイままだろう。

今回は、江戸の地酒「屋守 純米 荒走り」をチョイス。
「金婚」で知られる東村山市久米川町の豊島屋酒造の四代目が、「東京の旨い酒を全国に発信したい」と20年ほど前に立ち上げた銘柄。
「荒走り」は、日本酒の最初の搾り部分を瓶詰めしたもの。
純米酒らしい米の香り、豊潤な旨味が詰め込まれ、なおかつ軽快さもあわせ持つのが特徴だ。
梅安の、美味しそうな江戸グルメと合わせてみたくなる。

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ショートレビュー「レジェンド&バタフライ・・・・・評価額1650円」
2023年02月05日 (日) | 編集 |
最強のふたり。

「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズや「コンフィデンスマンJP」シリーズの脚本で知られる古沢良太と、「るろうに剣心」五部作を大ヒットさせた大友啓史監督がタッグを組み、織田信長と濃姫という日本の歴史上最も有名な夫婦の物語を、新たな解釈で描いた時代劇大作。
東映創立70周年の記念作でもある。
木村拓哉と綾瀬はるかという、国民的な人気者が主役とは言え、よくぞこれで企画通ったなという、なかなかに振り切った挑戦的な作りで、武将としての織田信長の伝記、あるいは幾多の合戦が描かれる“戦国もの”を期待していると裏切られる。
うつけ者と言うか、カッコばかりで厨二病丸出しの若き信長への濃姫の輿入れから始まって、ほとんど終始二人の関係性で物語が進む大メロドラマ。
これはいわば中世日本を舞台とした、歌って踊らない「ラ・ラ・ランド」なのだ。

序盤のうちは、完全に濃姫が主導権を握っている。
今川義元が2万5000もの大軍勢を率いて尾張に侵攻した時は、有効な対抗策を見出せない未熟な信長に、濃姫がさすが斎藤道三の娘だなと思わせる軍略を授ける。
結果的に、信長は桶狭間の戦いに勝利し、全国にその名を轟かせるのだが、肝心の戦いそのものは描かれない。
いや、ここだけでなく戦国ものにつきものの合戦シーン自体が、ほとんど存在しないのだ。
ようやく後半になって、延暦寺との戦いは少し描かれるものの、これはクライマックスの本能寺の変へと繋がる伏線という位置づけ。
信長自身ではなく、宮沢氷魚演じる明智光秀が、謀反を起こす動機を強化する意味合いで描かれている。
また織田家の家臣団も、木下藤吉郎や柴田勝家らごく少数の人物しか、名前もろくに呼ばれないので、誰が誰やら。 

信長と濃姫の馴れ初めは、対立する二つの国の政略結婚の歪み合い
やがてそれぞれの親の死後は、天下布武の志を同じくする同志となる。
しかし、それは無数の屍を踏みつけて行かねばならない修羅の道。
権力が信長の心を削る苦悩の時代、夫婦関係もすれ違いの鬱展開を経て、長い歳月を経た晩年になって、他人からははかり知れない固い絆で結ばれた夫婦となる。
ぶっちゃけ、34年に及ぶ二人の歴史の中での、関係性の変化がこの作品の全てと言っていい。
戦国大名カップルを主役としながら、ここまでラブストーリーに特化した作品が、過去にあっただろうか。

木村拓哉と綾瀬はるかが二人の出会いから死までを演じているのだが、通説では信長は1534年、濃姫は1535年生まれなので、出会った1548年には共にティーンエイジャー。
観る前はさすがに無理があるんじゃないのと思ったが、元々年齢不詳なこの二人、映像の工夫も手伝ってなんとなく納得させてしまうのだ。
あまり時代を感じさせない演技は好みが分かれそうだが、その分現代的な二人のキャラクターは新しく、過去の作品とは違う未見性がある。
演出的にも、時代劇的な決まりごとからは荒唐無稽にならない適度に距離を置き、攻めた脚本は「ラ・ラ・ランド」を思わせる凝った作劇ギミックも駆使して、168分という長尺を飽きさせない。
まあ色々アンバランスなところもあるが、今までもあまたの作品で描かれてきた誰もが知る物語に、新しい風を吹き込んだのはお見事。
ところで終盤出てくる徳川家康のキャラが濃すぎて、いったい役者誰?と思ったら、エンドクレジット見てびっくりした。
古沢良太の最新作は、大河ドラマの「どうする家康」だが、こっちの家康は松潤とは相当違う(笑

今回は織田家の居城であった清洲の地酒、清洲桜醸造のその名も「濃姫の里 隠し吟醸」をチョイス。
隠し吟醸とは、蔵人がこっそりと隠れて飲んだという意味で、独特のフルーティな吟醸香と、クセを抑えたすっきりとした飲み味が特徴。
2020年の「ワイングラスでおいしい日本酒アワード」で金賞を受賞している。
CPも高いので家飲みにもオススメだ。

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イニシェリン島の精霊・・・・・評価額1750円
2023年02月01日 (水) | 編集 |
この喧嘩、墓場まで続く。

「スリー・ビルボード」のマーティン・マクドナー監督が、1920年代のアイルランドの孤島を舞台に描く、シニカルなブラックコメディ。
コリン・ファレル演じる主人公のパードリックは、住人全員が顔見知りという小さな島で、長年の飲み仲間のコルムから、突然「お前とはもう話さない」と絶交を言い渡される。
何が起こったのかも分からないまま、男は友情を修復しようと右往左往。
しかし、そのことがますます相手を怒らせ、事態を拗れに拗らせて大惨事に。
二人の男の馬鹿げた喧嘩に、死を予知し泣き叫ぶという精霊バンシーの伝説が絡み合う。
マクドナーの長編デビュー作、「ヒットマンズ・レクイエム」で殺し屋コンビを演じた、ファレルとブレンダン・グリーソンが憎み合う二人の男を演じ、パードリックの妹シポーンにケリー・コンドン、島一番のうつけ者のドミニクにバリー・コーガン。
すでにベネチア国際映画祭で脚本賞、主演男優賞を受賞し、本年度アカデミー賞でも作品賞をはじめ8部門9ノミネートを果たしている話題作だ。

1923年、アイルランドの沖合に浮かぶイニシェリン島。
目と鼻の先の本土では、内戦が激しさを増しているが、住民の誰もが顔見知りの小さな島は平和そのもの。
だがこの島に暮らすパードリック(コリン・ファレル)は、長年の友人だったコルム(ブレンダン・グリーソン)から、突然絶交を宣言される。
理由を聞いても、パードリックと過ごす時間は、退屈で無駄だからとしか言わない。
自分を否定されたようで納得できないパードリックは、なんとか関係を修復しようとするが、コルムの態度は頑な。
しっかり者の妹シポーン(ケリー・コンドン)や、警官の息子で頭の弱いドミニク(バリー・コーガン)には諦めろと言われても、コルムの気を引きたくてたまらない。
まとわりつくパードリックに業を煮やしたコルムからは、今度自分に話しかけたら、自分の指を切り取って投げつけると、恐ろしい言葉を浴びせられてしまうのだが・・・・


映画の基本コンセプトは、高い評価を受けた前作、「スリー・ビルボード」と極めてよく似ている。
あの映画の舞台となったのは、ミズーリ州の架空の町、エビング。
アメリカ合衆国本土のほぼ中心にあるミズーリは、合衆国を構成する50州の中で24番目に加入。
人口は50州のほぼ平均で、政治的には中道やや保守の有権者が多く、住人の人種も伝統的な全米の人種構成に近い。
そのため、選挙の全国趨勢を表すいわゆるベルウェザー州となっている。
マクドナーは、合衆国のヘソであり、縮図といえるミズーリを舞台に、暴力と怒りと不寛容が渦巻く現在アメリカ社会を俯瞰し、エビングという架空の町にアメリカそのものを象徴させた。
そして本作の舞台となるイニシェリン島も、架空の島だ。
目と鼻の先にあるアイルランド本土では、前年の1922年に内戦が勃発。
小さな島での元友人同士の喧嘩と、同じアイルランド人同士の戦争が皮肉っぽく対比される構図となっている。
しかし、モヤモヤとした言語化し難い感情に突き動かされ、ドツボにハマってゆく人間たちを、神の視点から眺めるというのは同じだが、マクドナーにとって異国である米国を批評的に描いた「スリー・ビルボード」に対して、こちらは母国のアイルランドの話だからか、キャラクターへのアプローチは若干異なる。

映画は、緑の野が広がるイニシェリン島の、美しい空撮ショットからはじまる。
この島に暮らすパードリックの生活は、ぶっちゃけかなり暇だ。
数頭の家畜を飼い、牛乳を売って暮らしている彼は、小さな家に妹と暮らし、朝のうちにちょこっと仕事をして、午後2時になると友人でフィドル奏者のコルムとパブに行くのがルーティン。
この日も誘いに行くも、家の中にいるコルムはなぜかパードリックから顔を背け、呼びかけにも無言のまま。
その後、二人はパブで会うのだが、コルムはいきなりパードリックに絶交を言い渡す。
コルム曰く、「お前は退屈だ。どうでもいいウンコの話を2時間もする。お前と無駄なお喋りする時間があったら、作曲をしたり、もっと有意義な時間を過ごしたいんだ」と。
突然のことに、ここまでパードリックの視点で映画を見ている観客も慌てふためく。
私が何かしたのか?なぜこの男は怒ってるいるのか?なぜこんなことになってしまったのか?
パードリックにとっては青天の霹靂で、まるで自分がを全否定され、悪者にされてしまったかのように傷つき、屈辱すら感じる。

コルムはパードリックが退屈だと言うが、そもそも何もない島の暮らし。
退屈でない者の方が珍しく、皆仕事が終われば昼間っからパブに集って暇つぶし。
飲み友達がいなくなって、余計に退屈を持て余すパードリックに対し、コルムは宣言通りに音楽学校の生徒たちを集めて、作曲活動に邁進する。
自分の存在など無かったかのように振る舞うコルムに、よせばいいのにパードリックは執拗に粘着する。
この映画のポイントは、感情移入キャラクターが入れ替わることで、最初のうちはパードリックに感情移入している観客も、だんだんとこの男が超寂しがり屋のウザキャラだということが分かってくる。
そして感情移入の対象は、パードリックを冷静に見ているしっかり者の妹シポーンへと移り、突然人生の意味に目覚め、断固として音楽家として「有意義な時間」を過ごそうとするコルムのことも、「分かる」ようになって来るのだ。
だが、パードリックとコルムの諍いが激化し、お互いが最大限の攻撃を仕掛けるのと時を同じくして、読書家であるシポーンは図書館の仕事を得て島を去る。
ここで、自己同一視できる対象を失った観客は、最後は神の視点でどうしようもない人間たちの争いを眺めることになるのだ。

この物語の前年、1922年にアイルランドでは独立を巡る内戦が勃発する。
長らく英国の植民地だったアイルランドは、1916年のイースター蜂起から始まる独立戦争の結果、英愛条約によってアイルランド自由国として独立を果たすが、その実態は完全独立ではなく、イギリス帝国内の自治国であった。
これに反発し、完全独立を主張するアイルランド共和国軍(IRA)は、自由国軍との内戦に突入する。
一般にアイルランド人の気質は、厳しい自然や英国の支配などに耐えてきて、忍耐強いと言われる。
しかし、それは裏を返せば内面に鬱憤が積もりに積もっているということで、一度火が噴き出すとなかなか終息しない。
アイルランド内戦は、一応一年程度で自由国の勝利で終結するものの、その火種は燻り続け、数十年後には北アイルランド紛争として再び燃え上がる。
パードリックとコルムの小さな喧嘩が、最終的に「墓場まで続く」終わりなきものになるのは、このアイルランド人気質を象徴しているのだろう。
ちなみにアイルランド警察は、内戦の間中立を保っており、本作登場する島の警官が本土での死刑執行に立ち会う時に、「自由国とIRAどちらの囚人だか分からなかった」のも、彼らが内戦に参加していないからだ。

そしてもう一つ、本作の重要なモチーフがバンシーの伝説である。
バンシーはアイルランドやスコットランドに伝わる精霊で、アイルランドのバンシーは黒衣をまとった女の姿で現れ、死を予知して泣き叫ぶという。
本作ではコルムが「The Banshees of Inisherin」という曲を作曲しているが、この曲を完成させた後、彼は自らの指を全て切り落としてパードリックに投げつけるので、フィドル演奏家としてはもはや死を迎えている。
また島の入り江の小屋に一人で住むマコーミック夫人が、いかにも精霊然とした不思議な存在感で、パードリックに「二つの死」を予言する。
その一つ目の死はパードリックとコルムの対立の結果もたらされ、二人の仲違いを決定的なものにしてしまい、もう一つの死はパードリックをこの美しくも不毛の島へと永遠に閉じ込め、二人の喧嘩もまた燻り続ける。
映画のラストで、バンシー(マコーミック夫人)はどうしようもなく拗れてしまった二人の男を見守っている。
ある意味、この映画のバンシーは作者の冷静な視点を具現化したもので、神の目の持ち主なのである。

本作はマーティン・マクドナーが本領を発揮した、風刺的、寓意的な非常に面白いブラックコメディだ。
この世の多くの諍いは、突然起こったように見えても、実は小さな鬱憤の積み重ねの結果であって、傍目からは本当にくだらない理由に思えるのは、現在世界で起こっている多くの問題に重なって見える。
突然関係を切られるというのは、実生活ではそれほど経験しないが、例えばSNS上だったら、結構あるあるなもの。
自分では懇意にしていると思っていた人から突然ブロックされ、途方に暮れた経験のある人は多いだろう。
なので何の知識もなくても十分に楽しめるが、一応アイルランド現代史を予習しといた方が、背景に仕込まれた意図を理解しやすいと思う。

これはアイルランド人のパブ愛に満ちた作品でもあり、同国を代表する黒スタウト「ギネス・エクストラ・スタウト」をチョイス。
1759年にアーサー・ギネスが、ダブリンのセント・ジェームズ・ゲート醸造場を創業したのが起源。
濃厚なスタウトは、世界中に移民していったアイルランド人と共に、世界に広まっていった。
ちなみにギネスには缶ビールもあり、こちらにはフローティング・ウィジェットなる小さなプラスチックのボールが封入されていて、これが回転することによってクリーミーな泡を実現している。
アイルランド人に言わせると世紀の大発明らしいのだが、なるほど飲兵衛の国らしい。

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