fc2ブログ
酒を呑んで映画を観る時間が一番幸せ・・・と思うので、酒と映画をテーマに日記を書いていきます。 映画の評価額は幾らまでなら納得して出せるかで、レイトショー価格1200円から+-が基準で、1800円が満点です。ネット配信オンリーの作品は★5つが満点。
■ お知らせ
※基本的にネタバレありです。ご注意ください。
※当ブログはリンクフリーです。内容の無断転載はお断りいたします。
※ブログ環境の相性によっては、TB・コメントのお返事が出来ない事があります。ご了承ください
エロ・グロ・出会い系のTB及びコメントは、削除の上直ちにブログ管理会社に通報させていただきます。 また記事と無関係な物や当方が不適切と判断したTB・コメントも削除いたします。
■TITLE INDEX
タイトルインディックスを作りました。こちらからご利用ください。
■ ツイッターアカウント
noraneko285でつぶやいてます。ブログで書いてない映画の話なども。
■ FILMARKSアカウント
noraneko285ツイッターでつぶやいた全作品をアーカイブしています。
怪物・・・・・評価額1750円
2023年06月07日 (水) | 編集 |
怪物だーれだ。

湖のある街の小学校で起こった、生徒と教師のトラブル。
最初は単純な教師の暴力行為と思われたが、真っ向から食い違う証言に事態は次第に混迷を深めてゆく。
はたして嘘をついているのはどちらなのか?子供たちの言う「怪物」とは誰のことなのか?
是枝裕和が監督を務め、「花束みたいな恋をした」の坂元裕二がオリジナル脚本を手掛けたウェルメイドな心理劇。
発端となる生徒の母親に安藤サクラ、暴力を振るったと疑われる教師に永山瑛太。
キーパーソンとなる二人の子供を黒川想矢と柊木陽太が演じる。
第76回カンヌ国際映画祭で、脚本賞とLGBTQを扱った作品に与えられるクイア・パルム賞に輝いた話題作であり、「万引き家族」と並ぶ是枝裕和のキャリアベストだ。
三月に死去した坂本龍一にとっては、これが映画音楽家としての遺作となる。
※核心部分に触れています。

麦野早織(安藤サクラ)は、一人息子で小学5年生の湊(黒川想矢)と共に、大きな湖のある山間の街に住んでいる。
夫はすでに亡く、クリーニング店に勤めながら、子育てに奮闘するシングルマザーだ。
しかし、ある日を境に湊の様子がおかしくなる。
問い詰めると、担任の保利(永山瑛太)に暴力を振るわれていると言う。
早織は学校に抗議に行くが、校長の伏見(田中裕子)はのらりくらりと事務的な対応に終始し、ようやく現れた保利の言葉も要領を得ない。
一方で保利は、湊がクラスメイトの星川依里(柊木陽太)をいじめているのではないかと疑っていて依里の家を訪ねる。
ところが、現れた父親の清高(中村獅童)は息子のことを「あれはね、化け物ですよ。頭の中に、人間じゃなくて豚の脳が入ってるの」と言い放つ。
学校の暴力事件はマスコミに報じられ、保利は教職を追われるが、何が真実なのかは藪の中。
そんな時、台風が接近する嵐の夜に、湊と依里が突然いなくなる・・・

カンヌで最高賞に当たるパルム・ドールを獲得した「万引き家族」以降、是枝裕和はフランスと韓国を舞台に「真実」「ベイビー・ブローカー」という映画を撮った。
この二本は共に家族をモチーフに、非常に是枝色の強い作品になっていたが、正直なところ人物や物語の掘り下げが浅く、彼の作品としては印象が薄かった。
その原因の一つが、自分で脚本を手掛けていることだと思う。
フランスはもとより、隣国の韓国でも国民性や文化はだいぶ違う。
もちろん綿密な取材は行っているのだろうが、異文化を舞台に外国人が一から物語を作るのは難しい。
いかに是枝裕和をもってしても、表層的なものになってしまった感は否めない。
現地の脚本家を入れてチームを組んだら、結果は違ったものになったかも知れないが、彼は自分のスタイルを変えようとはしなかった。

ところが、5年ぶりで日本で撮った本作は、坂元裕二の書き下ろしである。
是枝裕和が自分で脚本を書かないのは、荻田芳久が脚色を担当したデビュー作、「幻の光」以来のことなのだ。
これは大きな賭けだったと思う。
坂元裕二の作品は、全ての要素が緻密な計算のもとに構成されていて、曖昧さが微塵も無い。
モザイク画のように、一欠片の色が違っていても違和感を感じさせてしまう様な繊細さが特徴だ。
対して、ドキュメンタリスト出身の是枝裕和は、臨機応変に枠を動かす。
子供をキャスティングすれば本名と役名を同じにし、脚本を渡さずに即興性の強い半ドキュメンタリー的な演出でナチュラルさを引き出す。
いわば真逆の個性で、二人がコラボすると聞いた時は、恐ろしく食い合わせが悪いのでは?と思った。
結果的にこの心配は杞憂に終わり、どこまでも坂元裕二的な物語でありながら、終わってみたら是枝裕和の完全な作家映画という、超一流の仕事人同士の理想的なマリアージュとなっている。
ちなみに今回は、子供たちにも事前に脚本を渡し、大人と同じ対応をとったそうだ。

坂本裕二の脚本は、小学校で起こった暴力事件の顛末を三つの視点で描く、いわゆる羅生門ケースの構成となっていて、各パートがおおよそ40分。
最初の視点の主は、安藤サクラ演じる母親の早織だ。
夫を事故で亡くし、女手一つで思春期の息子を育てるシングルマザー。
息子の湊とは仲が良いが、ある日を境にして湊の様子が変わる。
突然髪を自分で切る。夜遅くまで出歩く。車から飛び降りるという奇行に、早織が何があったのかと問い詰めると、自分の頭には豚の脳が入っていると教師の保利から暴言を浴びせられ、暴力を振るわれたと告白する。
当然、早織は学校に抗議に出向くが、この時点で観客は、子供のことを考え、ひたむきな早織にどっぷり感情移入している。
事務的な言動に終始する校長や言動が要領を得ない保利も含め、教師たちはおしなべて不誠実に映る。

だがしかし、保利の視点で語られる物語が始まると、印象は一変する。
学校に赴任して来たばかりの保利は、生徒一人ひとりに寄り添おうとしている誠実な教師
ある日、教室で湊が訳もなく暴れているのを止めようとして、小さな怪我を負わせてしまう。
それ以来、保利の中で湊は要注意の生徒となり、いくつかの出来事が重なって、学級内でいじめが起きているのではないかと疑う様になる。
いじめているのは湊で、被害に遭っているのは男子生徒の中では体が小さく、女子とばかり話しをしている中性的な雰囲気の依里だ。
そんな時に、自分が暴力を振るったとして、突然湊の母親が学校に怒鳴り込んで来たのだから、保利にとっては青天の霹靂
事態を丸く治めるために、校長や上司たちからやってないことをやったと言わされるのだから、要領を得ないのもやむを得ないのである。

この様に、事実関係の認識が異なる噛み合わない大人視点の後に、本当に何が起こったていたのか、湊と依里、二人の子供視点の物語が全てを解き明かす。
浮かび上がるのは、切なくて小さな嘘。
湊と依里は、お互いにほのかな恋心を芽生えさせているのである。
ここへ来て、それまでの大人視点で語られた物語で、大人たちがいかに二人にプレッシャーを与えていたのかも明らかになる。
不倫旅行中に事故にあった夫に対し、意地にも似た複雑な想いを抱える早織は、湊が結婚して家庭を持つまで頑張ると言う。
保利は、体育の授業で無意識に男らしさを男子生徒に求める。
依里の父親に至っては、ストレートに息子の性的指向を否定し、虐待する。
大人たちの言動は自分では全く悪意のないものだが、自らの中に芽生えた衝動に戸惑い、どうしていいのか分からない子供たちにとっては、自分がまるでこの世界の異物になったようなネガティブな感情を抱かせる。
男の子に恋をする自分たちは、豚の脳を持つ怪物で、それは決して人に知られてはならない、そんな切実な考えが嘘を生む。

本作における「本当の怪物」とは、誰もが気付かずに持っている加害性のことだろう。
人は目の前にある事実を知らない、あるいは気付かない場合、真実は一つだと思い込み、早織や保利のように無意識の加害を行なってしまう。
依里の父親のように、分かっていても自分の信じたいように世界を見て加害する者もいる。
そして隠された加害性は、一般的に差別や迫害を受ける側も例外では無い。
自分たちの関係を守ろうとした湊は、結果的に保利をスケープゴートにし、依里は父親が通い詰めるキャバクラに放火して燃やした。
人間の心の認識と現実にギャップがある場合、それを取り繕おうとして、隙間に怪物が生まれるのである。
たとえどんなに親しい間柄であっても、親子であったとしても、人は心のうち全てを外には明かさないし、明かせない。
坂元裕二がカンヌ脚本賞を受賞した後に語った、「たった一人の孤独な人のために書いた」という言葉が、グッっと来る所以である。

人間が現実世界と精神世界、双方に生きている生物である限り、絶対的な真実といいうのは存在しない。
普通の子供とは逆の存在であることを示唆する鏡文字や、まるで怪物の咆哮の様に聞こえる管楽器の音など、物語を紐解くヒントは散りばめられいるが、それらも含めて曖昧性を持たせてある。
物議を醸してる叙情的なラストも含めて、本作があらゆる部分で多面的な解釈を出来るように、あえて作られているのは明らかだ。
湊と依里の秘密基地が、露骨に「銀河鉄道の夜」を思い起こさせる廃列車だったり、かなり意地の悪い設定なのだが、物語のラストは子供たち自身の台詞にもあるように、生まれ変わった世界線だったり、死後の世界というわけでは無いと思う。
実は脚本を読むと、何が起こったのかはもう少し明確に書かれているのだが、是枝裕和はここにもあえて曖昧さを含ませているのだ。
二人が走ってゆく廃線路の先の鉄橋には、以前のシーンでは立ち入り禁止の柵が設置されていたが、ラストでは無くなっている。
私的には、湊と依里が自分たちの心と現実との間にはギャップがあることを受け入れて、未来に向けて歩み出した心象風景を描いたものだと解釈したい。
観る者によって、または観る度に印象が変わる、ロールシャッハテストの様な作りは、「TAR ター」を思わせる部分もある。
内容的には全く異なるものの、あの映画も噛み合わない心と現実をモチーフにした優れた作品だった。
音響が凝っているのも共通しているが、本作では背景でさりげなく流れている消防車のサイレン、スピーカーから流れる役所のアナウンス、そして管楽器の音といった音響設計が、三つのパートの時系列を揃える役割を持っているのも面白い。
いずれにしても、演出、脚本、撮影、美術、音楽と画面の隅々まで超一流の仕事を堪能出来る素晴らしい作品だ。
どこまでもナチュラルな子供たちの描き方は、さすがの是枝節。

今回は、ロケ地となった諏訪からほど近い、長野県上伊那郡の小野酒造の地酒「夜明け前 純米吟醸生一本 」をチョイス。
島崎藤村の同名小説から命名された銘柄だが、蔵元は藤村の長男・島崎楠雄と「この名を使う以上は、命に代えても本物を追求する精神を忘れない」という約束を交わしたという。
上品な吟醸香がふわりと鼻腔に広がる、まろやかな酒。
ザ・スタンダード純米吟醸酒とでも言うべき仕上がりで、クセのない味わいはつけ合わせる料理を選ばず。
冷からぬる燗まで、どんな飲み方をしても美味しくいただける。
「夜明け前」銘柄を代表する一本だ。

ランキングバナー 
記事が気に入ったらクリックしてね






スポンサーサイト