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酒を呑んで映画を観る時間が一番幸せ・・・と思うので、酒と映画をテーマに日記を書いていきます。 映画の評価額は幾らまでなら納得して出せるかで、レイトショー価格1200円から+-が基準で、1800円が満点です。ネット配信オンリーの作品は★5つが満点。
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プリシラ・・・・・評価額1600円
2024年04月19日 (金) | 編集 |
その愛は、本物だったのか?

14歳でエルヴィス・プレスリーと出会い、後に妻となるプリシラ・ボーリューの物語。
プリシラが1985年に発表した回想録「私のエルヴィス」をもとに、14歳での出会いから27歳での別れまでが描かれる。
監督・脚本は、2020年の「オン・ザ・ロック」以来となるソフィア・コッポラ。
今年公開予定の「エイリアン:ロムルス」に主演することもアナウンスされている注目株、ケイリー・スピーニーがタイトルロールを熱演。
第80回ヴェネツィア国際映画祭で、最優秀女優賞に輝いた。
エルヴィス役は、ジェイコブ・エロルディが演じる。
ソフィア・コッポラ監督の作品の中では、「マリー・アントワネット」につながるガーリー路線の系譜で原点回帰。
前作の訳あり父娘ものも、父フランシスとの関係が透けて見えて面白かったが、本作は別の意味で彼女の持ち味がよく出ていると思う。

1959年の西ドイツ。
米軍基地に暮らす9年生(14歳)のプリシラ・ボーリュー(ケイリー・スピーニー)は、ある日兵士に兵役中のエルヴィス・プレスリーの家で行われるパーティーへと誘われる。
両親には反対されたものの、なんとかパーティーに出席できたプリシラは、エルヴィス(ジェイコブ・エロルディ)に出会って意気投合。
歳の離れた二人の交際が始まる。
兵役が終わり除隊したエルヴィスは米国に帰国し、歌手活動を再開するも、二人は遠距離恋愛を続けていた。
数年後、エルヴィスはプリシラをメンフィスのグレイスランドに招き、プリシラの気持ちを知った両親も、学校を必ず卒業することを条件にメンフィス行きを許可する。
自分がエルヴィスの恋人だという噂が流れていたために、メンフィスの学校には馴染めないまま卒業する。
だがツアーや映画の撮影でアメリカ中を飛び回るエルヴィスは留守がちで、メンフィスに一人残されたプリシラは次第に孤独を募らせてゆく・・・・


本作はバズ・ラーマン監督の「エルヴィス」に対する、女性サイドからのアンサームービーの様な作りであり、あの映画を観ているとより面白い。
「エルヴィス」が「キング・オブ・ロックンロール」の正史だとしたら、本作は時代のアイコンではなく、一人の南部の男としてのエルヴィスを、内側から見ていたプリシラの視点で語られる、もう一つの物語だ。
二人が出会うのは、1959年の西ドイツの駐留米軍基地。
徴兵までの顛末はラーマンの映画に詳しく描かれているが、人気絶頂の最中にアメリカ陸軍からの通知を受けたエルヴィスは、1958年に入隊し西ドイツの米軍基地に勤務。
真面目に勤め上げ、2年後の1960年に満期除隊している。
プリシラは米軍将校だった父親に連れられて、同じ時期に西ドイツの基地に住んでいた。
当然ながらエルヴィスは徴兵期間中も基地の人気者で、頻繁に友人たちとパーティーを開いていて、ある夜憧れのスターに会えるとやってきたプリシラと出会い、付き合いはじめる。
映画の視点は徹底的にプリシラ本人に置かれているので、彼女の何がエルヴィスの琴線に触れたのかは分からないし、描かれない。
この映画のエルヴィスは、あくまでもプリシラを通した人物像なのだ。

10歳も年下の14歳の女の子が相手など、今だったら一大スキャンダルになるところだが、海外の米軍基地の中というクローズドな環境だったがために、二人の交際は密かに続き、やがてエルヴィスが除隊して帰国すると、彼は17歳になったプリシラをメンフィスの広大な邸宅、グレイスランドに呼び寄せて同棲をはじめる。
だが一緒に住んでいるのに、エルヴィスは妙に律儀に一線を超えない。
彼女の方から求めても、もっともらしい理由をつけて拒否する。
なんと二人が結婚するのは、出会いから8年も経った後。
最初は彼女を大切にしてるのかと思いきや、どうもそうではない。
エルヴィスは結婚や初夜のタイミングも全て、自分の思い通りに仕切りたい人なのだ。
だからプリシラも自分色に染めようとし、まだメンタルが幼い彼女も、それが愛と信じて要求を全て受け入れる。

幼少期の家庭環境が複雑で黒人の多い地区で育ち、ブラックミュージックに大きな影響を受けているので、エルヴィスはこの時代の南部の男にしては人種的な偏見は少ない。
しかし、基本的な倫理観や家族感は極めて保守的で、妻は家庭で家を守るものというガチガチの亭主関白思想
学校を卒業しても働きに出ることは許されず、プリシラはずっとグレイスランドの中の世界しか知ることが出来ない。
一方、エルヴィスは結婚の前も後も、共演者の人気女優たちとの浮き名がひっきりなしに立つ。
これでは、かごの鳥状態の妻としては辛い。
この映画では豪華なグレイスランドは、「マリー・アントワネット」のベルサイユ宮殿と同じく、主人公を縛り閉塞させる場所なのである。
「エルヴィス」に描かれた、スーパースターのエルヴィスは、実はプロモーターの自称パーカー大佐に搾取される鵜飼の鵜だったが、こちらではエルヴィス自身がプリシラに対して同じことをしているアイロニー。
ただし大佐が搾取したのはエルヴィスのお金だったのに対し、エルヴィスがプリシラから搾取したのは幼すぎたピュアな愛だ。

ラーマンの映画では、エルヴィスは最後までパーカー大佐の手から逃れることが出来ず、だんだんと心が壊れていく。
対して本作のプリシラは、外の世界を知らず、心が幼いまま妻となり母となる。
それでも彼女は少しずつ大人の階段を登り、彼の意に反して自己主張することも多くなってゆく変化を、ソフィア・コッポラは丁寧に描いてゆく。
やがてエルヴィスの没落が始まると共に、彼女はふと今までの人生に疑問を持つのだ。
この結婚は二人にとって、幸せなことなのか?私は自分の人生を生きているのか?と。
そして、グレイスランドというカゴの扉を開けて、広い世界へと旅立ってゆく。
プリシラとエルヴィスの間には、歪んではいたけど愛はあった。
だから二人が離婚した1973年にリリースされた、ドリー・パートン版の「I Will Always Love You」が流れるエンディングは実に切ない。
フィリップ・ル・スールによる透明感のあるカメラで写し撮られる、6、70年代を再現する美術や衣装、メイクアップなどのクオリティも素晴らしく、観客をあの時代へと誘う。
終盤のプリシラの葛藤は、もう少し深掘りして欲しかった気もするが、落ち着いた語り口の中に、ソフィア・コッポラらしさが詰まった佳作である。
関係ないけど、この時代の映画を見ると、いつも女性の髪型のボリューミーさに驚く。
どんだけヘアスプレー使うのだろう(笑
邪魔じゃないんか?

今回は、初恋の味の爽やかなカクテル、「ブルー・ハワイ」をチョイス。
ブルー・キュラソー20ml、ドライ・ラム30ml、パイナップル・ジュース30ml、レモン・ジュース15mlをシェイクして、クラッシュド・アイスを入れたグラスに注ぐ。
最後にカットしたパイナップルを飾って、ストローを2本さして完成。
ハワイの有名バーテンダーだったハリー・イーが、1957年に考案したカクテル。
エルヴィスの映画と同名のために、映画にちなんだカクテルと誤解されることが多いが、映画の公開は1961年。
映画もカクテルも、ビング・クロスビーが歌った1937年の同名楽曲から命名されている。

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リンダはチキンがたべたい!・・・・・評価額1700円
2024年04月14日 (日) | 編集 |
絶対、絶対、食べるったら食べる!

フランスで郊外の団地に暮らす、8歳の女の子リンダとママのポレット。
ある時、国中がストライキに入りお店はことごとく休業、リンダは所望するパプリカチキンを食べることが出来なくなってしまう。
亡きパパの思い出のレシピを巡って巻き起こる、最高に楽しいドタバタコメディ。
監督・脚本を務めたのは「大人のためのグリム童話 手をなくした少女」のセバスチャン・ローデンバックと、彼の公私にわたるパートナーで、ドキュメンタリー畑を中心に、マルチに活躍する映像作家のキアラ・マルタ。
子どもに見せたいアニメーションを作りたいと、初タッグを組んだ。
画面から複雑性を排し、シンプルな色と線で表現される、独創的なクリプトキノグラフィー技法はさらにブラッシュアップされ、唯一無二の世界観を作り出している。
第47回アヌシー国際アニメーション映画祭では最高栄誉のクリスタル賞、第49回セザール賞では最優秀アニメーション作品賞に輝いた。
アニメーション表現が、いかにフリーダムなのかを雄弁に見せてくれる快作である。

8歳のリンダ(メリネ・ルクレール)は、ちょっと頼りないママのポレット(クロチルド・エム)と大きな団地に住むヤンチャな女の子。
パパは彼女が赤ちゃんの時に亡くなってしまい、ほとんど記憶にないけれど、得意料理だったパプリカチキンの味はなんとなく覚えている。
ある日、リンダはポレットの勘違いから濡れ衣を着せられて叱られ、ちょっと怖くて苦手なアストリッド伯母さん(レティシア・ドッシュ)に預けられる。
誤解はすぐに解けたものの、平謝りのポレットにリンダは罪滅ぼしとしてパプリカチキンを作ることを要求する。
ところがストライキの余波を受けて、街の食料品店はどこもクローズしてしまい、肝心のチキンを買うことが出来ない。
焦ったポレットは、養鶏農家から生きた鶏を買うことを思いつくのだが・・・・


映画はミュージカル仕立てになっており、冒頭部分でこれが思い出に関する物語であることが示唆される。
リンダの場合、パパが亡くなったのは彼女が一歳の時なので、はっきりとは覚えていない。
でもなぜだか、パパの得意料理だったパプリカチキンは、リンダの中でパパのイメージと紐づいているのだ。
このように香りや味が特定の記憶を思い起こさせることは、プルースト効果と呼ばれていて、身に覚えがある人も多いだろう。

ローデンバックの前作、「大人のためのグリム童話 手をなくした少女」は、その極限までに削ぎ落とされたアニメーション表現が大きな話題となった。
元々2001年に始まった大規模なプロジェクトだったが、資金難から2008年に中止となる。
その後、諦めきれなかったローデンバックが2013年に一人でプロジェクトを再開し、3年がかりで完成にこぎつけた。
彼の編み出したクリプトキノグラフィー技法は、水墨画を思わせる荒々しいタッチに、シンプルな線と色が特徴だが、これは一人でも制作を続けられるように、可能な限り作業工程を削ぎ落とすことで生まれたもの。
揺れ動く線の表現は、一見するとローデンバックが敬愛する高畑勲監督の「かぐや姫の物語」を思わせるが、同じハンドライティングに見えても、手間をかけた結果と手間を省いた結果と技術的な意味は両極端なのが面白い。
本作ではローデンバックは直接作画せず、ディレクションに徹したそうだが、このスタイルはさらにブラッシュアップされ、絵がさらに簡素になっているのに驚かされる。

この映画の世界では、人は遠くから見たら色のついた丸で表現され、近づくと人の形になるものの、それぞれの人物は最低限の線と共に決められた単色で塗られている。
例えば、リンダはイエロー、ポレットはオレンジ、アストリッド伯母さんはピンクといった具合。
これにより、現在フランス社会の多様性を表現するのと同時に、どんなに形が単純化されても誰か分からなくなることがないのである。
キャラクターを表現する線はミニマルだが、それぞれの性格や生き方の違いも考慮された分かりやすいデザイン。
面白いのは、ポレットとアストリッドの対照的な姉妹だ。
妹のポレットは、ふくよかな体型でロングヘア、服もフワッとしたフェミニンなもので、性格はかなり天然。
後先あまり考えずに行動する、ちょっと子供っぽいところもある甘え上手として描かれる。
対してヨガのインストラクターをしているアストリッド伯母さんは、スリムでパンツルックでショートヘア。
竹を割ったような合理的な性格で、子供の頃から妹特権でまとわりついて来る人たらしなポレットがちょっと苦手。
主人公のリンダは、ちょうどこの二人を足して二で割って、8歳に戻したような子供に造形されている。

歌い手の異なるミュージカルパートでは、それぞれに工夫が凝らされた独特のタッチに絵柄が変わるものユニークだ。
極限までにシンプルだが、終始ダイナミックに動き続けるカラフルなイメージを見ているだけで、ウキウキした気分になってくる。
また本作は、音を先に録音するプレスコが採用されているが、なんと録音はスタジオではなく、それぞれの画面に出てくる実際の場所で実写のように体ごと演技してもらったそう。
このやり方が功を奏したのか、リンダを演じたメリネ・ルクレールをはじめとした子どもたちのいきいきした演技は大きな魅力になっている。

映画の舞台となるのは、大規模ストライキ下の大きな団地。
労働者たちは街に出て、賃上げのシュプレヒコールを叫んでいる。
近年のフランス映画で、団地は大抵移民などの低所得層の住宅として描かれ、所謂 “バンリュー(校外)映画”と呼ばれる一つのジャンルになっている。
リンダの家も決して裕福ではない母子家庭であり、ポレットも子どもに十分な気を配ることは出来ておらず、時には亡き夫を思い出し折れそうになって涙に暮れる日々。
物語のバックグラウンドはリアリティのある社会派設定で、そこで起こる事件はドタバタコメディというギャップがいい。
団地の子どもたちにとって大人の事情など知ったことではないが、面白いのはこの映画で事件を引き起こすのは子どもたちではなく大人の方。
濡れ衣を着せたことで、リンダに頭が上がらなくなったポレットは、あろうことか養鶏農家から鶏を盗んでくるのである。
ここから事態は新人警官のセルジュや、トラックドライバーのジャン=ミッシェル、アストリッド伯母さんらを巻き込み、収拾のつかない方向に加速。
どうしてもチキンが食べたいリンダの執念がポレットを暴走させ、遂には団地の住民たちを巻き込んだ抱腹絶倒の大騒動を引き起こす。
大人気なく不完全な大人たちが、ドタバタを演じる一方で、団地の子どもたちはいい意味でずる賢く抜群の生活力を発揮して、むしろ大人みたいに落ち着いているのが可笑しい。

アナーキーな大騒動を通して見えて来るのは、大人も子どももみんな問題を抱えていて、一人では解決出来ないことも、誰かと一緒にやることでブレイクスルーすることができるという共生の素晴らしさ
子ども向けの映画と言いながら、子どもにも大人にも結構叱られそうな悪いことをさせているのも、常に清く正しくはいられない人生のリアルだろう。
ママの大ハッスルの結果、リンダはパプリカチキンを食べるという目的を達し、団地の子どもたちも一緒にチキンをご馳走になり、大人たちにはチキンに加えてそれぞれに新しい出会いがある。
そしてリンダはパプリカチキンを食べることで、モヤのかかった記憶の中にいる、パパが確かに存在していたことを初めて実感するのである。
ギャグ満載だけど、それだけでは終わらない、リリカルで素晴らしい作品だ。

今回は、パプリカチキンを食べる前に飲みたいアペリティフ「パリジャン」をチョイス。
ドライ・ジン30ml、クレーム・ド・カシス15ml、ドライ・ベルモット15mlをステアしてグラスに注ぐ。
ジンの清涼感を、クレーム・ド・カシスの濃厚な甘味と香りが引き立てる。
カシスのスピリットはビタミンCが豊富で、病気やストレスに対する抵抗力を強めるという。
世の中色々あるけれど、美味しいアペリティフとパプリカチキンで乗り切ろう。

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オーメン:ザ・ファースト・・・・・評価額1650円
2024年04月11日 (木) | 編集 |
痣の持ち主は誰だ?

70年代を代表するオカルトホラーの傑作であり、リチャード・ドナー監督の代表作の一つ「オーメン」の前日譚。
いかにして悪魔の子、ダミアン・ソーンはこの世に生を受けたのか。
1971年のローマを舞台に、カソリック教会内部に潜む恐るべき陰謀が描かれる。
運命に導かれるようにローマにやってくる、主人公のマーガレット・ダイノをネル・タイガー・フリーが演じ、謎の少女カルリータにニコール・ソラス。
オリジナルの登場人物でもあるブレナン神父をラルフ・アイネソン、他ビル・ナイやソニア・ブラガ、チャールズ・ダンスら重厚な布陣が脇を固める。
監督と共同脚本は、これが長編デビュー作となるアルカシャ・スティーブンソン。
同じく70年代を代表するオカルトホラーを、続編としてリブートした「エクソシスト 信じる者」は無惨な大失敗に終わったが、こちらは対照的に非常によく出来た前日譚だ。
※核心部分に触れています。

1971年。
アメリカの施設で育ったマーガレット・ダイノ(ネル・タイガー・フリー)は、ローレンス枢機卿(ビル・ナイ)に招かれてローマの教会にやって来る。
教会は身寄りの無い女の子たちを養育する養護院を運営していて、ノビシャド(見習い修道女)のマーガレットは、正式な修道服を身につける着衣式に向けて、ここで教師として働くのだ。
おりしもローマでは若者たちの左翼活動が活発化し、古くからの教会の権威は失墜しようとしていたが、マーガレットの信仰は揺らがない。
マーガレットは、カルリータ・スキアーナ(ニコール・ソラス)という心が不安定な少女と出会うが、彼女は他の子供たちとは孤立し、修道女たちからは厄介者扱いされていた。
自らも幼い頃に幻影に悩まされていたマーガレットは、カルリータを気にかけるようになる。
ある夜、宿舎で同室のルス(マリア・カバジェロ)から、儀式を受ける前に俗世の楽しみを経験した方がいいとディスコに誘われ、泥酔してしまう。
そんなマーガレットの前に、教会を破門されたブレナン神父(ラルフ・ネイアソン)が現れ、カルリータの周りで邪悪なことが起こり始めるだろうと、彼女に警告するのだが・・・・


オリジナルでは、謎に満ちたダミアンの出自を確かめるために、グレゴリー・ペックが演じた主人公のロバートらが、母親の墓を暴く描写がある。
棺に埋葬されていたのは、人間ではなく山犬。
つまり、ダミアンは人から生まれた子ではない、ということが示唆されていた。
ここから、どうやって話を作るのかと思ったが、これがなかなか上手く考えられている。
舞台となるのは左翼学生たちの抗議活動が続き、教会離れと価値観のパラダイムシフトが起きている71年のローマ。
混乱の時代性を怪異の背景とする手法は、ルカ・グァダニーノ版「サスペリア」にも通じる。
実際、禁欲的な環境で育ったアメリカ人女性が、左翼活動に揺れる異国の首都にやって来て、閉鎖的な集団(あちらでは女性だけの舞踊団、こちらではカソリック教会)に身を投じた結果、怪異に遭遇し自らの宿命を知る、という大筋のプロットはよく似ているので、インスパイア元の一つなのかも知れない。

しかし伝説的なアルジェント版とは似ても似付かぬ、グァダニーノの強烈な作家映画となっていた「サスペリア」に対して、こちらはオリジナルにリスペクトを捧げ、継承する正統派オカルトホラーだ。
なにしろ、オープニングがいきなりオマージュからはじまるのである。
ブレナン神父が古い教会にやって来ると、そこでは窓を取り替える作業中で、巨大なステンドグラスの窓が吊り下げられている。
もうこの時点で嫌な予感しかしないのだが、教会の中で密会したブレナン神父とハリス神父が外に出ると、お約束通りにステンドグラスが落下してくるのだ。
オリジナルでのブレナン神父の最後を知っている人には、もう「我が意を得たり!」なオープニング。
その後、マーガレットが登場してからはややスローテンポとなり、教会を中心とした世界観をじっくりと伝えてくる。

物語が動くのは、ルスに誘われたマーガレットが泥酔事件を起こし、謎めいた少女カルリータにシンパシーを深めてゆく頃。
カルリータは普通の人と違うものを見て、それを絵に描いていて、時に攻撃的になることから、周りからは浮いた存在。
そしてマーガレットもまた、幼い頃にカルリータ同様の経験をしてきているのだ。
特にミスリードも無いので、この時点で想像はついてしまうと思うが、マーガレットとカルリータは、二人とも「666」の痣を持つ人物
人間と山犬の交配で生まれた、悪魔の子なのである。
ただし、真の反キリストは男子でなければならないようで、二人は反キリストの母となるために人為的に作られた存在なのだ。

では誰が“反聖母”としての二人を作ったのかというと、これがカソリック教会自身なのが面白い。
ここで前半から地味に印象づけていた、時代性が生きてくる。
カソリック教会は、ローマ帝国の昔からその権威によって大衆を導き、時には王よりも強大な権力を誇った。
だが時代は移り変わり、人々は次第に信仰に興味を失い、教会に通う人も減った。
挙げ句の果ては、宗教を否定する左翼の台頭である。
カソリック教会の一部セクトは、古代から伝わる秘術を使い、まず反キリストの母を作り、次に反キリストをこの世に誕生させようとする。
世界を破滅に導く悪魔の子を見た世界は、再び教会の権威に服従するだろうという、ある意味究極の自作自演
教会を“悪”と定義する物語は、なるほど世界中の教会での性的虐待のスキャンダル明るみに出て、実際にカソリックの権威が失墜した現在ならではのもの。
だが元々カソリック教会は権威主義的でミソジニー体質なので、左翼活動への危機感とリンクさせることで、世界観は違和感なく機能している。
先述の「エクソシスト 信じる者」でも、カソリック聖職者はもはや悪魔を祓える存在ではないと格下げされてしまっていたので、教会への信頼の揺らぎというのは結構深刻なのだろう。

前半にはなんとなく匂わせている程度の、マーガレットとカルリータを巡る陰謀の謎解きは、中盤以降はミステリアスに進行し飽きさせず、ショックシーンは描写としては控えめながら、オリジナルを彷彿とさせるムーディーな演出はけっこう怖い。
あちらこちらにドナー版へのさりげないオマージュを組み込み、オールドファンにも目配りしつつ、オリジナルを知らない若い観客がこれ単体で観ても面白い作り。
最終的に、自らを作った偽りの権威への、反乱の物語となっているあたりも実に今風で、アルカシャ・スティーヴンソンは、デビュー作にしてとてもいい仕事をしていると思う。
また特筆すべきは「レ・ミゼラブル」などで知られる、イヴ・スチュワートが手がけた美術で、物語のほとんどが教会建築の中で進行するという重厚性の中に、悪魔的モチーフを潜ませたデザインワークは素晴らしいクオリティだ。

しかし仕上がりの良さとは対照的に、本作は興行的にはあまり上手くいっていないらしく、この後があるかどうかは未知数だ。
終盤の展開は綺麗にオリジナルに繋がっているが、旧シリーズには出てこなかった、“ある変数”の存在が明らかになるのがポイント。
続編があるとすれば、何かと評判の悪い「2」以降を無かったことにする形だろう。
できれば、スティーヴンソンの続投で実現して欲しいのだが、果たして?

今回は、キリストの血のようなフルボディのイタリアワイン、「ドン ルイジ リセルヴァ」の2016年をチョイス。
モリーゼ州の名門、ディ・マーヨ・ノランテがモンテプルチャーノで作られるこちらは、タンニンの渋味とフルーティーな甘味が好バランス。
絹のようなスムーズな喉越しで、複雑なアロマがエレガントな後味を作り出す。
お肉料理に合わせるとピッタリだろう。

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ショートレビュー「パスト ライブス/再会・・・・・評価額1650円」
2024年04月09日 (火) | 編集 |
この人生には「縁」がある?

韓国ソウルに育ち、海外移住のために別れ別れになった幼馴染のナヨンとヘンソンが、24年後にニューヨークで再会する。
しかし今はノラという英語名で生活するナヨンには、7年前に結婚したアーサーという夫がいる。
24年ぶりの再会は、二人の今にどのような化学変化をもたらすのか。
韓国系カナダ人の劇作家、セリーヌ・ソンの半自伝的作品で、主人公のノラとヘソンをグレタ・リーとユ・テオが演じる。
アメリカ映画だが、劇中で話される言語のほとんどは韓国語。
それでも批評家、観客双方の支持を受けてクリーンヒットを記録し、96回アカデミー賞では、作品賞、脚本賞にノミネートを果たし、インディペンデント・スピリット賞では作品賞、監督賞に輝いた。

初監督作品とは思えない、非常に洗練された端正な映画である。
セリーヌ・ソン監督は、やはり劇作家で夫のジャスティン・クリツケスと、ニューヨークを訪れた韓国人の友人と三人で食事をしている時に本作のアイディアを着想した。
ソンは英語と韓国語を通訳しながら、自分自身の中の二つのアイデンティティの間を行き来していることに気づいたという。
この状況を、そのまま再現したファーストカットが面白い。
バーのカウンターで語り合う三人の男女を、第三者の“誰か”が見ていて、三人の関係を推測する。
親しげに語り合うアジア人の男女と、すこし手持ち無沙汰な白人男性。
アジア人女性と白人男性がは夫婦で、アジア人の男性は友人?それともアジア人の二人は旅行者の夫婦で、白人男性は観光ガイド?
どんな関係だか分からない三人の人生のドラマを、これから垣間見ることになることを予告する、秀逸なプロローグ。

本筋の物語はソウルからはじまる。
12歳のナヨンとヘソンは、大の仲良しでお互いが初恋の人。
だがナヨンは芸術家の両親と共に、カナダに移民してしまう。
長い歳月が流れ、ノラという英語名を名乗り、新進の劇作家となっていたナヨンは、ヘソンが自分を探していることを知る。
二人は12年ぶりにSNSで繋がるが、お互いに再会には踏み切れないまま時間だけが過ぎてゆく。
そして別れてから24年が過ぎた頃、結婚してNYに暮らすナヨンをヘソンが訪ねて来る。
36歳となったナヨンには同業者の夫がいて、ヘソンには別れたんだか別れてないんだか、微妙な関係の恋人がいる。
安いメロドラマなら、ここで焼け木杭に火がついて・・・となるところだが、本作はそうはならない。
激しい感情やリアリティのないドラマ性は削ぎ落とし、24年の歳月が相思相愛だった二人をどう変えていったのか、それを今どう認識しているのか、感情の機微を丁寧に描いてゆく。

劇中何度も出て来るのが「イニョン(因縁)」という言葉で、輪廻の中での「縁」とか「宿命」みたいな意味。
ナヨンとヘソンには、間違いなくイニョンがある。
でも無限に繰り返される輪廻の中では、ある人生では結ばれ、ある人生では結ばれない。
さて、この人生はどっち?という話。
タイトルが「Past Lives」と複数形なのも、このためだ。
思い出のシーンと再会のシーンを共に大きなオブジェの前にしてシンクロさせたり、再会の時のハグと別れの時のハグを逆の仕掛けにしたり、反復性のシンボリズムを生かした粋な演出が光る。
韓国で過ごした子供時代と、移民として生きている現在まで、どちらが欠けてもナヨンの今はない。
だから、同じ時間を過ごしていなかったとしても、ヘソンは彼女にとってかけがえのない大切な人なのだ。

初恋の幼馴染との再会という、シチュエーションそのものは普遍的だが、人生観の哲学は完全に東アジアの情緒で、日本人にとっては非常に感情移入しやすい。
逆にアメリカの観客にとっては、劇中でナヨン自身も言っている通り、理解できるけど違いもあるのが興味深いのだろう。
ナヨンの夫が、二人の話のハリウッド映画版みたいな、陳腐なバージョンの話を披露するのが可笑しい。
誰もが共感出来て余韻が長く尾を引く、素敵な大人のラブストーリーだ。

ニューヨークが舞台の本作には、「マンハッタン」をチョイス。
カナディアン・ウィスキー45ml、スウィート・ベルモット15ml、アンゴスチュラ・ビターズ1dashミキシンググラスでステアし、カクテルグラスに注いだ後ピンに刺したマラスキーノチェリーを沈めて完成。
この美しいカクテルの起源に関してはウィンストン・チャーチルの母、ジェロニー・ジェロームが発案者だという説もある。
1876年にマンハッタン・クラブで開かれた民主党大統領候補の応援パーティで、即興で作ったカクテルで、後に会場の名前からマンハッタンと呼ばれる様になったのだそうな。

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美と殺戮のすべて・・・・・評価額1700円
2024年04月04日 (木) | 編集 |
殺戮は、静かに進行する。

第87回アカデミー長編ドキュメンタリー賞を受賞した「シチズンフォー スノーデンの暴露」のローラ・ポイトラス監督が、写真家にして活動家のナン・ゴールディンの生き様を追ったドキュメンタリー。
2022年に開催された第79回ヴェネチア国際映画祭で、ドキュメンタリー作品としては史上2作品目の金獅子賞に輝いた。
1953年生まれのゴールディンは、70年代以降のLGBTQのコミュニティを背景とした、カウンターカルチャーシーンを撮り続けた伝説的な写真家で、彼女と交流のあった多くの人物、時には自分自身を被写体とした赤裸々な作品で知られている。
本作の縦軸となるのは、過去数十年間に渡るゴールディンの人生。
そして横軸となるのは、中毒性の高いオピロイド汚染を引き起こした製薬会社、パデューファーマとオーナーのサックラー家との闘いだ。

映画は、ニューヨークのメトロポリタン美術館での、プロテストシーンから幕を開ける。
サックラー家の名前の入った神殿の展示館で、ゴールディンら活動家たちはオピロイドの容器をばら撒き、死者になりきるダイ・インの抗議をする。
手術後の鎮痛剤として処方されたオピロイドで、中毒に陥ったゴールディンは、オピロイドの危険性とサックラー家の欺瞞を知る。
彼らは医師にどんどん処方箋を書かせ、利益をキックバックする。
製薬会社と医師は儲かるが、不必要なオピロイドを摂取した患者は、人によっては一夜にして依存症になってしまう。
しかもサックラー家は、そうして築いた富を使って、世界各国の美術館にパトロンとして巨額の寄付をし、サックラーの名を冠した展示室や建物を作らせている。
それらの美術館の多くには、ゴールディンの作品もまた所蔵されているのだ。
幸いにも依存状態から回復した彼女は、支援団体P.A.I.N.を立ち上げて社会にオピロイドの脅威を知らせると共に、世界の美術界にサックラー家と手を切るように迫るのである。

ゴールディンが活動の先頭に立つ理由は、彼女の人生と深い関わりがある。
彼女が11歳の時に、仲の良かった姉バーバラが自殺する。
姉妹の母親は性的虐待を受けて育ち、思春期を迎えた娘を愛することが出来ず、精神病院に入れてまで遠ざけようとしたと言う。
そうして、うつ状態なったバーバラは、若くして自ら命を絶ったのだ。
その後ゴールディンは13歳の頃に家を出て、複数の里親のもとを渡り歩き、一時期通ったコミュニティスクールで、カメラと出会う。
根無草のような彼女がやがてたどり着いたのが、当時はアンダーグラウンドな存在だったLGBTQのコミュニティ
ドラァグクイーンと同居し、同性の恋人もいたというから、ゴールディン自身はバイセクシャルのようだが、個人のセクシュアリティを尊重するスタンスに共感したゴールディンは、セックスとドラッグに彩られた、カウンターカルチャーの世界に生きる人々の姿を写真に撮るようになる。
そして1985年に発表されたのが、彼女の代表作であり、本作にも多数引用されている「性的依存のバラード」だ。

だが、80年代後半になると、HIV/AIDS禍がコミュニティに襲いかかり、ゴールディンの大切な人たちが次々と亡くなってゆく。
今よりも性的マイノリティに対する偏見が、遥かに強かった時代。
当初AIDSはジャンキーとゲイがかかる病とされて、感染者は激しい差別を受け、治療法の開発は遅々として進まない。
アメリカ社会のAIDSに対する印象を大きく変えたのは、1991年11月にマイケル・ジョーダンと並ぶNBAのスーパースターだった、マジック・ジョンソンがHIVポジティブを公表した時。
私は当時西海岸に住んでいたのだが、世間のショックはそれは凄まじかった。
ジョンソンの告白によって、誰もがかかる可能性がある病気だということが、ようやく理解されはじめ、ジョナサン・デミ監督の「フィラデルフィア」など、ハリウッドでも啓蒙的な作品が多く作られるようになり、徐々に差別と偏見が少なくなっていったのを覚えている。
だが、この頃にはゴールディンの友人たちの多くが、既に亡くなっていたのである。
この時代を通して、おそらく彼女は知ったのだ。
人々の無知と無関心の間に、大量殺戮は静かに、密かに進行するということを。
ケースは違えど、これは「オッペンハイマー」が描いた、核の脅威に対する人々の選択的な不感症に近いものがある。

そしてAIDS禍から30年後、オピロイドの蔓延により同じ問題が起きた時、かつて自らがドラッグカルチャーの中にいたがゆえに、彼女は立ち上がらざるを得なかった。
亡くなったバーバラが残したメモに、コンラッドの「闇の奥」からの引用がある。
「人生とはおかしなもので、無益な目的、無慈悲な必然性に基づいている。自分のことを深く知り得たとしても大抵は手遅れで、悔やみきれない後悔が残るだけだ」
このメモが物語る、過去に対する深い悔恨が、ゴールディンのエネルギー源なのだろう。
ローラ・ポイトラス監督は、ゴールディンの人生を彩る無数の出会いと別れの物語を通し、二度と後悔はしたくないという、彼女の決意にも似た非常に強い感情に観客を巻き込む。
オピロイド依存の結果、オーバードーズによる全米の死者数は、現在までに50万人に及ぶという。
だがオピロイドそのものは、必要としている人がいるのも事実で、問題は利益のために危険な薬を過剰に売りまくったこと。
劇中にも言及があったが、回復のためには監督下での適切な使用を通して徐々に依存を減らす、ハームリダクションの徹底が望ましいとされている。
実際、ハームリダクションによって、死者数を大幅に抑えた国もあるという。
映画の作りとしては伝記の比重が大きく、薬害との闘いはやや深掘り不足を感じなくもない。
特に不作為の罪を作り出す利権の構造などは、もう少し突っ込んで欲しかったところだが、そこに比重を置きすぎると映画のバランスが崩れてしまうし、人間くさいナン・ゴールディンのユニークな伝記としては十分に面白い。
特に7、80年代のカウンターカルチャー史の裏側は、映画好きにも非常に興味深いのでは無いだろうか。

ゴールディンの過去70年の人生を振り返る本作には、「デイドリーム・マティーニ」をチョイス。
シトラスウォッカ90ml、オレンジジュース30ml、トリプルセック15ml、シロップ1dashを氷を入れたミキシンググラスでステアし、冷やしたグラスに注ぐ。
甘味と酸味がバランスし、柑橘類の香りが清涼さを際立たせるフレッシュなカクテルだ。
味わっているうちに、ゆっくりと過ぎ去った過去の夢に誘われるだろう。

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