2017年05月24日 (水) | 編集 |
この街は、無数の色の集まりだ。
未見性に満ちた、驚くべき作品である。
現時点での、今年の邦画ベストと言える傑作だ。
日雇いの建設作業員として働く池松壮亮と、昼は看護師、夜はガールズバーの店員の二重生活を送る石橋静河が、1000万人が暮らす巨大都市・東京で邂逅を繰り返す。
本作の原作となっているのは、最果タヒの同名詩集。
詩の映像化自体はそれほど珍しくない。
「ベオウルフ」や「トロイ」の様に古代の叙事詩を基にした作品は毎年のように作られているし、特定の詩やその一節から脚色される例もある。
何度も映画化された「大鴉」の原作はポーの物語詩だし、「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」は、ティム・バートンが若き日に書いた詩が大元だ。
芭蕉の句を複数のアニメーション作家が連作してゆく、「連句アニメーション 冬の日」というユニークな企画もあった。
物語が詩にインスパイアされた、あるいは引用している程度の作品ならば、それこそ無数に存在するだろう。
詩集の映画化というコンセプトも、原節子主演の「智恵子抄」という前例がある。
しかし本作が特異なのは、元の詩集には特定の主人公がいないということである。
小説や戯曲に比べて、詩は読み手による解釈の範囲が広い。
言葉の意味するところの曖昧さは、言わばハッキリしたストーリー構造を持たないアートフィルムの様なもの。
言いたいことが明瞭でないから、詩は嫌いという人もいるだろうが、特に最果タヒの詩は、その分からなさこそが魅力になっている。
突然ズバッと心を突き刺される様な痛みを感じたかと思うと、次の瞬間にはほのかな優しさに包まれる。
むき出しの感情と独特の世界観が結合し、まるでうごめく細胞の様に、言葉が進むごとにカタチを変えてくるのである。
変幻する幾つもの詩を読み手として受け、自分の中で解釈した上で一本の物語として再構成し、最終的に映像作品としてアウトプットするというのは、小説の脚色とは全く異なる非常に面白い試みだと思う。
「都会を好きになった瞬間、自殺したようなものだよ。塗った爪の色を、きみの体の内側に探したってみつかりやしない。夜空はいつでも最高密度の青色だ(「青色の詞」より)」
映画は原作の詩を引用しつつ、あらゆる表現を駆使し、映像言語に置き換えている。
冒頭の逆さまの街からはじまって、片目が不自由な池松壮亮の見た半分の世界、水の中から写した様な揺らめくビジョン、スプリットスクリーンに、極めつけは突然のアニメーション。
異様なまでにブルーな月、星に代わって空を埋め尽くす、赤い航空障害灯の明滅と言った色彩設計の妙。
繁華街の喧騒に神経をすり減らし、個人の空間の静かさに戸惑う。
ある意味で、この作品の主役は東京の街そのもの。
感情が映し出される世界に影響を与え、普段とは違う視点によって良く知る街が切り取られていて、非常に新鮮だ。
石橋静河の役は看護師であり、その日暮らしの池松壮亮は仕事仲間と隣人を突然死で亡くす。
生と死のイメージの対比に象徴されるのは、未来への不安と僅かな希望。
家賃の心配や友人の死といった身近な事柄から、オリンピック、テロ、安保法案にまでアンテナを広げる物語は、これが世界の縮図としての大都会・東京の物語であり、この街に暮らすあらゆる人に向けた、ビターでパワフルな讃歌であることを示している。
そして、主役の二人はキスすらしないが、これはとても心に残るラブストーリーでもある。
無数の人々が行きかう大都会で、奇跡の様に出会った二人は、それぞれの理由で閉塞した日常の中で、ぶつかり合いながらも少しずつ絆を深めてゆく。
少々エキセントリックなキャラクターを演じた池松壮亮は、キャリアベストの好演。
これが初主演だという石橋静河は、衝撃と言って良い素晴らしさだった。
それにしても若くしてオーソドックスに纏まるかに見えていた石井裕也監督が、ここまで挑戦的なスタイルで挑んでくるとは正直言って驚きだ。
先の見えない時代に、狂騒の東京で何度も転びそうになりながらも、前を向いて生きようとする人々の物語は、一編の鮮烈な映像詩として、観た人の心に永く残るだろう。
今回は、影の主役とも言うべき東京の名をもつ「トーキョー・ジョー」をチョイス。
ウォッカ150mlとメロン・リキュール10mlを氷を入れたグラスに注ぎ、ステアする。
このカクテルは、ハンフリー・ボガード主演で1949年に作られた映画、「東京ジョー」から名付けられたという。
美しいエメラルド色が印象的な甘口のカクテルは、映画のデザートにぴったり。
ただしウォッカベースで、アルコール度数はボギーらしくハードボイルなのでご注意を。
記事が気に入ったらクリックしてね
未見性に満ちた、驚くべき作品である。
現時点での、今年の邦画ベストと言える傑作だ。
日雇いの建設作業員として働く池松壮亮と、昼は看護師、夜はガールズバーの店員の二重生活を送る石橋静河が、1000万人が暮らす巨大都市・東京で邂逅を繰り返す。
本作の原作となっているのは、最果タヒの同名詩集。
詩の映像化自体はそれほど珍しくない。
「ベオウルフ」や「トロイ」の様に古代の叙事詩を基にした作品は毎年のように作られているし、特定の詩やその一節から脚色される例もある。
何度も映画化された「大鴉」の原作はポーの物語詩だし、「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」は、ティム・バートンが若き日に書いた詩が大元だ。
芭蕉の句を複数のアニメーション作家が連作してゆく、「連句アニメーション 冬の日」というユニークな企画もあった。
物語が詩にインスパイアされた、あるいは引用している程度の作品ならば、それこそ無数に存在するだろう。
詩集の映画化というコンセプトも、原節子主演の「智恵子抄」という前例がある。
しかし本作が特異なのは、元の詩集には特定の主人公がいないということである。
小説や戯曲に比べて、詩は読み手による解釈の範囲が広い。
言葉の意味するところの曖昧さは、言わばハッキリしたストーリー構造を持たないアートフィルムの様なもの。
言いたいことが明瞭でないから、詩は嫌いという人もいるだろうが、特に最果タヒの詩は、その分からなさこそが魅力になっている。
突然ズバッと心を突き刺される様な痛みを感じたかと思うと、次の瞬間にはほのかな優しさに包まれる。
むき出しの感情と独特の世界観が結合し、まるでうごめく細胞の様に、言葉が進むごとにカタチを変えてくるのである。
変幻する幾つもの詩を読み手として受け、自分の中で解釈した上で一本の物語として再構成し、最終的に映像作品としてアウトプットするというのは、小説の脚色とは全く異なる非常に面白い試みだと思う。
「都会を好きになった瞬間、自殺したようなものだよ。塗った爪の色を、きみの体の内側に探したってみつかりやしない。夜空はいつでも最高密度の青色だ(「青色の詞」より)」
映画は原作の詩を引用しつつ、あらゆる表現を駆使し、映像言語に置き換えている。
冒頭の逆さまの街からはじまって、片目が不自由な池松壮亮の見た半分の世界、水の中から写した様な揺らめくビジョン、スプリットスクリーンに、極めつけは突然のアニメーション。
異様なまでにブルーな月、星に代わって空を埋め尽くす、赤い航空障害灯の明滅と言った色彩設計の妙。
繁華街の喧騒に神経をすり減らし、個人の空間の静かさに戸惑う。
ある意味で、この作品の主役は東京の街そのもの。
感情が映し出される世界に影響を与え、普段とは違う視点によって良く知る街が切り取られていて、非常に新鮮だ。
石橋静河の役は看護師であり、その日暮らしの池松壮亮は仕事仲間と隣人を突然死で亡くす。
生と死のイメージの対比に象徴されるのは、未来への不安と僅かな希望。
家賃の心配や友人の死といった身近な事柄から、オリンピック、テロ、安保法案にまでアンテナを広げる物語は、これが世界の縮図としての大都会・東京の物語であり、この街に暮らすあらゆる人に向けた、ビターでパワフルな讃歌であることを示している。
そして、主役の二人はキスすらしないが、これはとても心に残るラブストーリーでもある。
無数の人々が行きかう大都会で、奇跡の様に出会った二人は、それぞれの理由で閉塞した日常の中で、ぶつかり合いながらも少しずつ絆を深めてゆく。
少々エキセントリックなキャラクターを演じた池松壮亮は、キャリアベストの好演。
これが初主演だという石橋静河は、衝撃と言って良い素晴らしさだった。
それにしても若くしてオーソドックスに纏まるかに見えていた石井裕也監督が、ここまで挑戦的なスタイルで挑んでくるとは正直言って驚きだ。
先の見えない時代に、狂騒の東京で何度も転びそうになりながらも、前を向いて生きようとする人々の物語は、一編の鮮烈な映像詩として、観た人の心に永く残るだろう。
今回は、影の主役とも言うべき東京の名をもつ「トーキョー・ジョー」をチョイス。
ウォッカ150mlとメロン・リキュール10mlを氷を入れたグラスに注ぎ、ステアする。
このカクテルは、ハンフリー・ボガード主演で1949年に作られた映画、「東京ジョー」から名付けられたという。
美しいエメラルド色が印象的な甘口のカクテルは、映画のデザートにぴったり。
ただしウォッカベースで、アルコール度数はボギーらしくハードボイルなのでご注意を。

![]() スミノフ ウォッカ レッド 40度 正規 750ml あす楽 |
スポンサーサイト
この記事へのコメント
お早うございます。
わざわざTBをいただき、誠にありがとうございます。
本作に関する貴エントリのレベルの高さに圧倒されました。
当方はまだまだ勉強が足りないと身を小さくしているところです。
ところで、大層つまらないことで恐縮ながら、普通は「詩」とされるところを、ノラネコさんはすべて「詞」とされていらっしゃいますが(ただし、「詩集」「叙事詩」「物語詩」「映画は原作の詩を引用しつつ」といった箇所を除いて)、何か意図されるところがあるのでしょうか?
わざわざTBをいただき、誠にありがとうございます。
本作に関する貴エントリのレベルの高さに圧倒されました。
当方はまだまだ勉強が足りないと身を小さくしているところです。
ところで、大層つまらないことで恐縮ながら、普通は「詩」とされるところを、ノラネコさんはすべて「詞」とされていらっしゃいますが(ただし、「詩集」「叙事詩」「物語詩」「映画は原作の詩を引用しつつ」といった箇所を除いて)、何か意図されるところがあるのでしょうか?
>クマネズミさん
いえいえ、ただの変換ミスの誤植であります。
慌てて修正かけかした。
ご指摘ありがとうございますm(__)m
いえいえ、ただの変換ミスの誤植であります。
慌てて修正かけかした。
ご指摘ありがとうございますm(__)m
2017/05/25(木) 08:32:35 | URL | ノラネコ #xHucOE.I[ 編集]
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
『夜空はいつでも最高密度の青色だ』を渋谷ユーロスペースで見ました。
(1)これまでその作品を色々見てきた石井裕也監督が制作しているというので、映画館に行ってきました。
本作(注1)の冒頭では、タイトルが流れた後、ビルの夜景。次いで、早朝の皇居周辺のジョ...
2017/05/25(木) 05:21:15 | 映画的・絵画的・音楽的
| ホーム |