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怪物はささやく・・・・・評価額1650円
2017年06月21日 (水) | 編集 |
怪物を呼んだのは誰か。


重い病気にかかったママを持つ、孤独な少年の元に、夜な夜な巨大なイチイの木の怪物が現れて、三つの物語を語って聞かせる。

怪物は、三つ目の物語を語り終えたら、少年が心の中に隠している、四つ目の真実の物語を語らねばならないと言う。

突然現れた怪物と彼の語る物語は、何を意味するのだろうか。
思春期のヘビーな葛藤を、虚構と現実が入り混じる世界観の中で描いたパトリック・ネスの同名児童小説を、作者本人が映画のために脚色。
監督は、「永遠のこどもたち」「インポッシブル」で知られるJ・A・バヨナが務める。
フェリシティ・ジョーンズ、シガ二―・ウィーバー、リーアム・ニーソンというキャスティングが、数奇者好みのマニアックさだ。
※核心部分に触れています。

イギリスに住む13歳の少年コナー・オマリー(ルイス・マクドゥーガル)は、難病におかされたママ(フェリシティ・ジョーンズ)と二人暮らし。
部屋の窓から見えるのは、教会と墓地、そして大きなイチイの古木。
離婚したパパは、海の向こうのアメリカで新しい家族と暮らしている。
毎夜、ママが地の底に落ちそうになる恐ろしい悪夢にうなされるコナーだったが、その夜は目覚めても悪夢は終わらなかった。
イチイの古木が巨大な怪物(リーアム・ニーソン)となって、コナーの目の前まで歩いてきたのだ。
「私はお前に三つの真実の物語を話す。私が三つ目の物語を語り終えたら、今度はお前が四つ目の物語を話すのだ」と怪物は告げる。
コナーが心の中に隠している、誰にも知られたくない物語。
頑なに拒むコナーだったが、怪物は有無を言わさず一つ目の物語を語り始める。
そして、ママの容体も次第に悪化して入院することとなり、コナーは何かと馬が合わないおばあちゃん(シガ二―・ウィーバー)と暮らし始めるのだが・・・


パトリック・ネスの小説は、「十三番目の子」「ボグ・チャイルド」などで知られる、故シヴォ―ン・ダウドの原案に基づいている。
作家であり、表現の自由を守る活動家でもあったダウドは、作中の“ママ”と同じく、47歳の若さで乳癌のため亡くなった。
編集者が共通の人物であったことから、彼女の残した構想を基に、ネスが執筆することになったようだ。
ダウドが最後に伝えたかった想いをネスが受け継ぎ、今度はバヨナの手で映画となって観客に届けられ、いつかまた次の世代の子供たちに語り継がれる。
幸福な創作の連環によって、浮かびあがるのは物語の持つ力と役割である。

入れ子構造の物語と子供と怪物、この組み合わせはある意味鉄板だ。
「ネバー・エンディング・ストーリー」から「ナルニア国物語」「パンズ・ラビリンス」に至るまで、子供の心が具現化するファンタジーの世界の読み解きは面白い。
何らかの問題に直面し、心に闇を抱えた子供たちは、葛藤し現実を乗り越えるステージとしての物語の登場人物となる。
本作の特徴は、コナー少年の心の中に秘めたる物語があり、怪物が三つの物語を語り終えれば、彼が四つ目の物語を語ると、あらかじめ決められていること。
コナーは物語の結末を知っているが、それは決して認めたくない、彼自身の本音に関わるものなのだ。

ならば怪物の語る三つの物語の意味は何か。
大地の化身である怪物が語るのは、彼が“歩いた時”の物語。
一つ目物語は、ディズニー映画に出てきそうな古の王国で展開する。
王国には偉大な王と王妃夫妻、聡明な王子がいる。
王妃は継母で、王子とは血が繋がっておらず、魔女だという噂があった。
ある時、王が亡くなり、王子が成人するまでの間、王妃が女王として国を統治することになるのだが、まだ若い彼女は、権力を維持するために王子との結婚を画策する。
ところが、王子には村娘の恋人がいた。
王子は恋人と駆け落ちするも、イチイの木の根元で眠っている間に、彼女は何者かに殺されてしまう。
女王の仕業だと考えた王子は、怪物と化したイチイの木、怒りに燃える村人たちと共に王宮に攻め入り、女王を追放して王位につく。

一見するとごくごく単純な勧善懲悪物語だが、実は怪物が歩いたのは王子のためではなく、無実の女王を救い、誰の手も届かない土地に解放するため。
物語には裏があり、恋人を殺したのは王子自身で、邪魔になる女王を排除するために、陰謀を巡らせたのだ。
王位についた王子は、立派な名君となり国を治めたという。
女王は悪の魔女ではなかったが、権力に執着し王子との結婚を望み、王子は目的のためなら手段を択ばない冷酷さを持つが、王としては有能だった。
人間の世界には、絶対の悪も絶対の善もないのである。

二つ目の物語は、産業革命の頃の時代、村の司祭とアポセカリー(薬剤師)の話だ。
薬草から薬を作り人々を癒すアポセカリーは、既に時代遅れの存在で、司祭もまたこの強欲で偏屈な男を忌み嫌い、信徒に彼の治療を受けないよう説教したため、アポセカリーはますます困窮する。
彼は、司祭館の敷地に立つイチイの木が優れた薬効を持つことから、この木を欲しがっていたが、司祭はがんとして譲らなかった。
ところが、司祭の二人の娘が疫病にかかり、近代的な治療が効かなかったため、恥を忍んでアポセカリーに娘たちを助けて欲しいと哀願する。
しかし、イチイの木も渡すし、今までの信念も捨てるという司祭に、アポセカリーは治療を拒否し、娘たちは死んでしまう。
再び怪物となったイチイの木は、"司祭館"を襲い破壊するというもの。

この物語も単純にとらえれば、司祭が被害者でアポセカリーが悪者の様に見えるが、そうではない。
たしかにアポセカリーは強欲で嫌な男だが、実際に人々を癒す力を持っていた。
一方の司祭は、単に自分が嫌いという理由だけで、アポセカリーを破滅に追いやり、人々が彼の治療を受ける機会を奪い去ったのだ。
それでいて、自分の都合が悪くなると、あっさりと信念を曲げてしまう。
結局、娘たちの死も司祭の身勝手さがもたらしたことで、だから怪物は司祭館を壊して、彼を懲らしめたのだ。

水彩調の美しいアニメーションで描かれる二つの物語は、昔話の体裁をとっているが、実はコナー自身の物語でもある。
彼はこの世界を“可哀想なこちら”と“無関心なあちら”、あるいは“正しい”と“正しくない”の二元論で見ている。
ママはもちろんこちら側で、色々と衝突するおばあちゃんはあちら側。
おばあちゃんは彼女なりに苦しんで、娘のことや孫のことを考えているのだけど、その想いはコナーには届いていない。
一つ目の物語は、人間の世界が単純な二元論で出来ていることをやんわり否定し、人の心の複雑さを伝える。
コナーの中で鬩ぎ合う希望と絶望は、二つ目の物語の司祭とアポセカリーによって対比され、何かにつけて彼が縋ろうとする、単純な正論の身勝手さを見せつけられるのだ。

続く三つ目の物語の主人公は、現実世界のコナー自身。
ママが病気になって、そのことが周りに知られて以来、人々は腫れ物に触れるようにコナーを扱い、彼は疎外感を募らせている。
いつの間にか透明人間になってしまった自分に耐えられず、あえていじめっ子を見つめることで自己主張し、毎日殴られる。
ところが相手がそんなコナーの意図に気づき、「もうお前を見ない」と告げるのだ。
いじめっ子の言葉は、図らずも未だ語られていない四つ目の物語の秘密に触れ、その瞬間、怒りに駆られたコナーは自身が怪物となって、いじめっ子を病院送りにしてしまう。
なぜ彼は、いじめっ子にだけ自分を見えるようにしていたのか。
それは、秘めたる四つ目の物語の真実に対して、自分自身で課した罰なのである。

怪物の語る三つの物語は、少年が残酷な現実を受け入れるための、通過儀礼としての疑似体験。
最初の二つの物語で、抱えている問題の本質を知り、三つ目の物語でこれが自分の現実であることを突きつけられる。
ついにコナーは、彼の人生に何が起こっているのかを認め、第四の物語とその向こうにある辛い真実に向き合う必要に迫られるのだ。
三つの物語を聞いている間にも、コナーを取り巻く環境は、確実に変化している。
どんな治療をしてもママはもう助からない、その事実は変えられない。
パパはアメリカの家庭にコナーを迎え入れるつもりはなく、これからはおばあちゃんと暮らさなくてはならない。
そして何よりも、日々少しずつやせ細り、死に向かってゆくママの姿を見続けるのが耐えられない。
だから、コナーは毎夜観る悪夢の終りで、地の底に飲みこまれようとするママの手を放してしまうのである。
「ボクは、苦しみから解放されるために、ママの死を願っている」という絶対に認めたくない真実、それが第四の物語。
大人と子供の狭間、13歳で背負わされる過酷な運命は、悪夢の結末と共に強烈な自己嫌悪となって、まだ幼い心を引き裂こうとする。
しかし、そんな現実が物語を生み出し、物語が現実を支え、コナーは少しずつ成長し、ようやく自らの真実の物語を語ることで乗り越えて行く。

シームレスにつながる現実世界と物語世界の、映画ならではのビジュアル表現、ぱっと見ではシン・ゴジラとグルートを合体させたような怪物のデザイン(実際は原作の挿絵に非常に忠実)も味わいがある。
原作には言及のない、「キング・コング」のメタファーとしての使い方も面白かった。
非常に重要なのは、原作小説と映画とでは、メンターとなる怪物がなぜコナーの前に現れたのかという解釈が異なっていること。
映画のコナーは、ただ一人孤独の中で怪物を生みだし、葛藤を解決したのではない。
おそらく、パトリック・ネスは小説を執筆し終えてから、この解釈を思いついて映画に採用したのではないだろうか。
物語は、誰かが大切な誰かへと想いを込めて贈る時に、現実を超える広がりと力を持つ。
ママからコナーへの魂の継承によって、詩的な余韻の広がる怪物と少年の物語は、彼のこれからの人生を哀しみではなく愛で包み込むのである。

今回は原作小説でママの愛飲酒、イギリスのリキュール「ピムス」をチョイス。
ロンドンのシティでオイスター・バーを経営していたジェームズ・ピムスが、ジンをベースにしたオリジナルのカクテル「ピムス ナンバーワンカップ」を作ったのは1840年のこと。
現在でもピムスのレシピは、世界で6人だけが知っているらしい。
ピムスとサイダーを1:3の割合で、氷を入れたグラスに注ぎ、スライスしたレモンと、板状にカットしたキュウリを入れて軽くステアして完成。
ピムスに配合されているハーブやフルーツのフレーバーが、スッキリとした清涼感を演出する。
日本の夏にもピッタリの一杯だ。

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