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ショートレビュー「サーミの血・・・・・評価額1650円」
2017年09月22日 (金) | 編集 |
変えられる自分と、決して変われない自分。

スウェーデン、フィンランド、ノルウェー、ロシアにまたがる極北の地、ラップランドに暮らす北欧先住民族サーミ人の少女、エレ・マリャの物語。
サーミの血を引くアマンダ・シェーネル監督は、自分の一族の長老たちの中の、サーミを嫌うサーミの存在から本作の発想を得たという。
素晴らしい好演を見せるエレ・マリャ役のレーネ=セシリア・スパルロクと、妹役のミーア=エリーカ・スパルロクの姉妹は、実際にノルウェー北部でトナカイを放牧して暮らしているそうだ。
 
全く差別の無い人間社会は地球上に存在せず、今では人権思想の先進地帯である北欧にも、恥ずべき歴史がある。
嘗てはラップ人と呼ばれた放牧民サーミは、映画の舞台となる1930年代のスウェーデンでは、劣った人種として差別され、寄宿学校ではサーミ語も禁止、進学の道も閉ざされている。
サーミの子供たちは、都会から来た学者に“生きた標本”として扱われ、教師には「あなたたちの脳は文明に適応できない。街に出れば絶滅してしまうから、故郷で伝統を継ぎなさい」と諭される。
無垢なる子供時代を過ぎ、自分が被差別階層で、このままでは未来が無いと気付いた時、人はどうするのか。
ある者は、諦めて差別と好奇の目を甘んじて受けるだろう。
またある者は、怒りを胸に支配階層に対してプロテストし、社会を変えようとするのかも知れない。
もう一つ、自らの民族的アイデンティティを捨て、支配階層の中で別人として生きる道もある。
サーミの人種的な特徴は、ゲルマン系スウェーデン人とそれほど明確な違いはないのだ。

生来のエレ・マリャという名前を捨て、クリスティーナと名乗る老女を描く現在のシークエンスで、彼女が10代だった1930年代の過去がサンドイッチされる構造。
ある意味、最も辛く過酷な人生を選択した少女時代と、年輪を重ねた現在との対比が、鈍い痛みとなり観客の胸に突き刺さる。
エレ・マリャは自分がサーミであることを嫌い、金髪碧眼の典型的ゲルマン系の教師、クリスティーナに憧れている。
教師からもらったフィンランドの詩人、エディス・セーデルグランの「どこにもない国」を読んだ彼女は、教師の名を真似てクリスティーナと名乗り、差別と伝統の鎖に縛られたサーミではなく、自由な人生を生きようとするのだ。
だが、たとえ名前を変え、新たな家族を作り、教師になるという夢を叶えても、自らの中にあるサーミの血と誇りはくすぶり続ける。
運命に抗い、何者かに成りたかったエレ・マリャは、自らの存在を抹殺することで道を切り開くが、その代償として大切なものを失い、民族を裏切った者として一生罪悪感を抱えて生きざるを得ない。

終盤、姉とは対照的にサーミとして生きて死んだ妹に、絞り出すように謝罪するクリスティーナは、物語のラストでようやく子供時代を過ごした故郷へと足を踏み入れるが、そこはもう彼女の知っているサーミの地ではないのである。
本作の舞台は遠い北欧の国だが、描かれているのは、日本のいわゆる通名の問題や部落差別、あるいは民族的な境遇が似たアイヌの歴史にも通じる内容で、決して過去の話では無い普遍的テーマを内包している。
私はこの映画を観て、韓国系の友人から聞いた話を思い出した。
現在の北朝鮮の出身だった彼女の祖父は、戦前日本名を名乗り、東京で政府の官僚として活躍したエリートだった。
しかしその反面、同郷の人々との交流は極力避けていて、戦後亡くなるまで親戚も含めて殆ど絶縁状態だったそうだ。
差別は、人から何を奪うのか。
たとえ今は差別が無くなった、弱まった、表には出なくなったとしても、本作の主人公の様に過去の差別によって大き過ぎる傷を負った人たちは、今も血を流しながら生きていることに、改めて気付かされた。
まだサーミだった頃のエレ・マリャが歌う伝統歌唱、ヨイクの調べが心に染み渡る。
丁寧に作られた見応えある拘りの力作だが、できればアマンダ・シェーネル監督には、エレ・マリャとは違う道を選んだ、妹のその後を描く物語も観せてほしい。
二つの視点を持つことで、初めて見えてくる“サーミの今”もあるのではないだろうか。

スウェーデンは寒い国らしく、非常に豊かなアルコール文化を持つが、今回は祝いの席などに欠かせない代表的な蒸留酒、「スコーネ アクアビット」をチョイス。
18世紀ごろに完成したとされるアクアビットは、ウィスキーと同じくラテン語の命の水(aqua vitae)を語源とし、ジャガイモを原料として蒸留した後、キャラウェイやアニスなどで香り付けした酒。
この香り付けは銘柄ごとに違いがあり、個性豊かなアクアビットが出来上がる。
スコーネはキャラウェイの香りとマイルドな口当たりが特徴で、冷凍庫でキンキンに冷やし、ビールをチェイサーにしていただくのが現地流。
まあ、日本人は悪酔いするわな(笑

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コメント
この記事へのコメント
こんにちは
こんにちは。
正におっしゃる通り、私も昨年の東京国際映画祭での鑑賞後に同じことを感じておりました。
>できればアマンダ・シェーネル監督には、エレ・マリャとは違う道を選んだ、妹のその後を描く物語も観せてほしい。
二つの視点を持つことで、初めて見えてくる“サーミの今”もあるのではないだろうか。
の部分です。
本当の痛みを観客が理解することにも繋がるような気がします。
2017/10/06(金) 13:00:00 | URL | ここなつ #/qX1gsKM[ 編集]
こんばんは
>ここなつさん
主人公の人生の選択の物語としてはとても良くできているのですが、見ているうちにサーミという民族に興味が深まってきて、もし彼女がサーミとして生きていたらどんな人生を送ったのだろうなという疑問が生まれてきます。
監督にはできればエレ・マリャと家族の物語を三部作ぐらいで作って、現代サーミ史を包括的に見せて欲しいです。
2017/10/08(日) 22:49:55 | URL | ノラネコ #xHucOE.I[ 編集]
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1930年代、スウェーデン北部のラップランドで暮らす先住民族であるサーミ人は、社会でも学校でも極めて差別的な扱いを受けていた。 少女エレ・マリャは成績も良く進学を望むが、教師は「あなたたちの脳は文明に適応できない」から無理だと言い放つ。 ある日、スウェーデン人のふりをして忍び込んだ夏祭りで恋に落ちた彼女は、街を出ようと決意する…。 ヒューマンドラマ。
2017/09/23(土) 14:06:10 | 象のロケット
コンペ作品。作品は審査委員特別賞を受賞し、主演のレーネ=セシリア・スパルロクは主演女優賞を受賞した。スウェーデン映画。監督はサーミ民族の血を引くアマンダ・ケンネル。素晴らしい作品であったのは間違いない。力強く問題点をえぐり出す。女優レーネ=セシリア・スパルロウも素晴らしかった。受賞も納得である。ただ…観て良かったと思える作品であるのは間違いないのだが、どういう訳か私の中に違和感が残ってしまっ...
2017/10/06(金) 12:57:39 | ここなつ映画レビュー