2017年09月27日 (水) | 編集 |
わたしたちが、しなければいけないこと。
人付き合いの苦手な孤独な少女ソンと、転校生のジア。
小四の夏休みの初めに出会った二人は、直ぐに"親友"となるのだが、二学期が始まると少しずつすれ違うようになる。
これが長編デビュー作となるユン・ガウン監督が、自らの体験をもとに作り上げたリアリティたっぷりの子どもたちの世界。
あの子のことスキ、あの子はキライ。
小学生の頃は、凄く仲が良さそうに見えた女の子たちが、いつの間にか別のグループになっていたり、ハミ子になっていたりするのが不思議だった。
同年代の男子の未熟な脳みそでは理解しがたい、女の子たちの独特の関係が、リリカルで繊細なタッチで描かれる。
冒頭、体育の授業でドッジボールをする子どもたち中にいるソンを、被写界深度の浅い望遠レンズが捉える
カメラは彼女に張り付いたまま、他の生徒は殆ど描写しない。
するとソンは、味方チームの一人から「ラインを踏んだ」と、早々にアウトを宣告されてしまう。
気だるげな表情がますます曇り、クラスの中で孤立している状況と、やりきれない疎外感を端的に表した秀逸な描写だ。
そんな彼女にとって、学校という閉鎖社会から解放される夏休みに、自分を知らないジアと出会ったことは、全てをゼロから始められる相手との、又とない機会になるのである。
だが、それもつかの間、ジアが地域の子どもたちのコミュニティに馴染み始めると、ソンの置かれた状況も彼女に知られてしまう。
思春期の入り口の頃には、親たちの社会が子どもたちにも投影され始める。
塾の月謝が払える家と払えない家の子、子どもにケータイを持たせる家とそうでない家の子には、スクールカーストが生まれ、「あの子の親は◯◯」といった噂も、"穢れ"となり友だちを選別する。
あの子とこの子は仲がいい、この子はあのグループに嫌われているといった、子供たちの間の力学も、目に見えない壁となって友だち関係を変化させてゆく。
ソンとジアの場合は、クラスの中心にいる優等生、ボラとの関係が裏切りと嫉妬を生む。
自ら作ってしまった幾つもの溝に引き裂かれ、モヤモヤを抱えながら毎日を過す少女たちは、いかにして葛藤にケリをつけるのか。
「(友だちと)ずっと叩き合っていたら、いつ遊ぶの?ぼくは遊びたい。」
色々と拗らせちゃっているお姉ちゃんに、負の連鎖の愚かさを悟らせる、四歳の弟くんの名言が光る。
決して大人目線の綺麗ごとの話にはせず、現実の厳しさを反映しつつも、彼女らが子どもゆえに希望の見える物語は、同じような境遇に陥っている子どもたちに、凄く勇気を与えるのではないか。
誰もが原体験として持つビターな記憶を描く、この作品の普遍的なドラマ性は、大人が観ても子どもが観ても心に響くと思う。
本作で企画を務めるイ・チャンドンは、監督作品こそ2011年の「ポエトリー アグネスの詩」以来途絶えているものの、近年では「冬の小鳥」のウニー・ルコント、「私の少女」のチョン・ジュリ、「フィッシュマンの涙」のクォン・オグァンに続いて本作のユン・ガウンと、若手作家たちを次々とデビューさせている。
この方は映画監督になる前は、教師で作家で社会運動家だったという異色の経歴の持ち主なのだけど、原石を見極め磨き上げる才能にも恵まれている様だ。
ようやく撮影開始が伝えられた、久々の監督作品「バーニング」も楽しみ。
ユン・ガウンは是枝裕和にも大きな影響を受けたそうで、どこまでも丁寧に心情をすくい取る心理劇に、二人の"師匠"の特質はしっかり受け継がれているのではないか。
「우리들(わたしたち)」という示唆に富んだタイトルが、最後にスッと腑に落ちる、素晴らしいデビュー作だ。
今回は、子どもたちの未来に広がる世界をイメージし「アラウンド・ザ・ワールド」をチョイス。
ドライ・ジン40ml、ミントリキュール10ml、パイナップルジュース10mlをシェイクし、グラスに注ぐ。
グリーンミントチェリーを一つ、グラスの縁に飾って完成。
パイナップルジュースの甘味に、ミントの香りがふわりと立つ。
美しいターコイズグリーンも目に涼しい、さっぱりとした夏向きのカクテルだ。
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人付き合いの苦手な孤独な少女ソンと、転校生のジア。
小四の夏休みの初めに出会った二人は、直ぐに"親友"となるのだが、二学期が始まると少しずつすれ違うようになる。
これが長編デビュー作となるユン・ガウン監督が、自らの体験をもとに作り上げたリアリティたっぷりの子どもたちの世界。
あの子のことスキ、あの子はキライ。
小学生の頃は、凄く仲が良さそうに見えた女の子たちが、いつの間にか別のグループになっていたり、ハミ子になっていたりするのが不思議だった。
同年代の男子の未熟な脳みそでは理解しがたい、女の子たちの独特の関係が、リリカルで繊細なタッチで描かれる。
冒頭、体育の授業でドッジボールをする子どもたち中にいるソンを、被写界深度の浅い望遠レンズが捉える
カメラは彼女に張り付いたまま、他の生徒は殆ど描写しない。
するとソンは、味方チームの一人から「ラインを踏んだ」と、早々にアウトを宣告されてしまう。
気だるげな表情がますます曇り、クラスの中で孤立している状況と、やりきれない疎外感を端的に表した秀逸な描写だ。
そんな彼女にとって、学校という閉鎖社会から解放される夏休みに、自分を知らないジアと出会ったことは、全てをゼロから始められる相手との、又とない機会になるのである。
だが、それもつかの間、ジアが地域の子どもたちのコミュニティに馴染み始めると、ソンの置かれた状況も彼女に知られてしまう。
思春期の入り口の頃には、親たちの社会が子どもたちにも投影され始める。
塾の月謝が払える家と払えない家の子、子どもにケータイを持たせる家とそうでない家の子には、スクールカーストが生まれ、「あの子の親は◯◯」といった噂も、"穢れ"となり友だちを選別する。
あの子とこの子は仲がいい、この子はあのグループに嫌われているといった、子供たちの間の力学も、目に見えない壁となって友だち関係を変化させてゆく。
ソンとジアの場合は、クラスの中心にいる優等生、ボラとの関係が裏切りと嫉妬を生む。
自ら作ってしまった幾つもの溝に引き裂かれ、モヤモヤを抱えながら毎日を過す少女たちは、いかにして葛藤にケリをつけるのか。
「(友だちと)ずっと叩き合っていたら、いつ遊ぶの?ぼくは遊びたい。」
色々と拗らせちゃっているお姉ちゃんに、負の連鎖の愚かさを悟らせる、四歳の弟くんの名言が光る。
決して大人目線の綺麗ごとの話にはせず、現実の厳しさを反映しつつも、彼女らが子どもゆえに希望の見える物語は、同じような境遇に陥っている子どもたちに、凄く勇気を与えるのではないか。
誰もが原体験として持つビターな記憶を描く、この作品の普遍的なドラマ性は、大人が観ても子どもが観ても心に響くと思う。
本作で企画を務めるイ・チャンドンは、監督作品こそ2011年の「ポエトリー アグネスの詩」以来途絶えているものの、近年では「冬の小鳥」のウニー・ルコント、「私の少女」のチョン・ジュリ、「フィッシュマンの涙」のクォン・オグァンに続いて本作のユン・ガウンと、若手作家たちを次々とデビューさせている。
この方は映画監督になる前は、教師で作家で社会運動家だったという異色の経歴の持ち主なのだけど、原石を見極め磨き上げる才能にも恵まれている様だ。
ようやく撮影開始が伝えられた、久々の監督作品「バーニング」も楽しみ。
ユン・ガウンは是枝裕和にも大きな影響を受けたそうで、どこまでも丁寧に心情をすくい取る心理劇に、二人の"師匠"の特質はしっかり受け継がれているのではないか。
「우리들(わたしたち)」という示唆に富んだタイトルが、最後にスッと腑に落ちる、素晴らしいデビュー作だ。
今回は、子どもたちの未来に広がる世界をイメージし「アラウンド・ザ・ワールド」をチョイス。
ドライ・ジン40ml、ミントリキュール10ml、パイナップルジュース10mlをシェイクし、グラスに注ぐ。
グリーンミントチェリーを一つ、グラスの縁に飾って完成。
パイナップルジュースの甘味に、ミントの香りがふわりと立つ。
美しいターコイズグリーンも目に涼しい、さっぱりとした夏向きのカクテルだ。

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