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2018年11月10日 (土) | 編集 |
あゝ、郷愁のローマよ。
メキシコ黄金世代の鬼才、アルフォンソ・キュアロン監督の最新作は、1970年から71年のメキシコを舞台に、ある裕福な医師の家に住み込みで働く、先住民系の家政婦クレオの物語。
タイトルの「ROMA/ローマ」はイタリアの首都ではなく、メキシコシティの地名だそう。
エリートの両親に一姫三太郎の子供たち、中庭のある家には二人の家政婦とペットの犬もいる。
キュアロン自身の子供時代がモチーフになっていて、年齢的には一家の長男が彼なのだろうが、精神的には前世の記憶を語る三男に自分を重ねている様に思う。
しかし、はじめは満ち足りていて幸せそうな家族に、徐々に暗雲がたち込める。
それと共にクレオ自身にも大きな問題が起こり、彼女と医師家族の葛藤は平行して絡み合ってゆき、その背景に制度的革命党(PRI)一党独裁時代のメキシコ現代史の出来事が配されるという構造だ。
65㎜フィルム撮影、アスペクト比1:2.35のモノクロ映画という、どこから見ても劇場の大スクリーンを想定した作品ながら、原則的にNetflixによるストリーミング配信のみの公開となることも物議を醸した。
1970年のメキシコシティ。
地方出身のクレオ(ヤリャッツァ・アパリシオ)は、裕福な医師のアントニオの家で住み込みの家政婦をしている。
この家に住むのは、アントニオと元大学の生化学教授の妻ソフィア(マリーナ・デ・タビラ)、ソフィアの母のテレサ、三人の男の子と一人の女の子、そして同僚の家政婦アデラ(ナンシー・ガルシア・ガルシア)。
雇い主のアントニオは留守がちだが、クレオは四人の子供たちに慕われて、家事やソフィアの手伝いをしながら平穏無事な毎日が過ぎてゆく。
休日にはアデラと共に遊びに出かけ、アデラの彼氏のいとこで武道家のフェルミン(ホルヘ・アントニオ・ゲレロ)と愛し合う。
しかしある時、海外出張に行ったはずのアントニオが、実は愛人の家に入り浸っていることが発覚。
幸せだった一家は、大きな転機を迎える。
同じころ、クレオもフェルミンの子供を授かるが、そのことを告げると彼は姿を消してしまう。
取り残されたソフィアとクレオは、共に苦悩を分かち合い、人生の荒波に立ち向かおうとするのだが・・・
70年代、子供の頃メキシコに短期間だが滞在したことがある。
本作を観ながら、街中に犬のウンコがやたらと落ちていたこと、メキシコで生産していたVWビートルがたくさん走っていたこと、スモッグ公害がひどかったこと、ビーチで地元民が大きなウミガメを解体していて、ウミガメ料理をふるまってくれたことなど、懐かしい思い出が蘇ってきた。
アルフォンソ・キュアロンは、少年時代の自分を愛してくれた一人の女性の心象劇を、映画言語を駆使して描く。
渋い人間ドラマなので、「ゼロ・グラビティ」や「トゥモロー・ワールド」の様なこれ見よがしなものではないが、冒頭から凝りに凝った映像・音響演出に、もう全く目が離せない。
舞台となる家の、空間設計が秀逸だ。
通りに面した入り口からは細長いトンネル状のガレージとなっていて、そのまま建物に囲まれた中庭に繋がっている。
ガレージと中庭は開けたリビングを中心とした生活空間に面し、二階には家族それぞれの個室。
クレオとアデラの部屋は中庭を挟んだ離れのような二階にある。
キュアロンは、この大きく特徴ある家の構造を演出に巧みに利用。
ファーストカットは敷き詰められたタイルが映し出され、ブラッシングの音から掃除中なのが示唆される。
カメラは真俯瞰で、タイルに大量の水が流されると、水面に四角く切り取られた空が映り、そこに飛行機が飛んでいることで、場所が中庭だと分かるのである。
このビジュアルは、多くのインフォメーションが含まれているだけでなく、ラストカットの中庭から煽り見る空のミラーイメージとなっており、対照的なカメラの向きによって登場人物の心象の変化を見事に表現している。
またキュアロンは、横長のスコープサイズを生かし、全編に渡ってキャラクターの動きに合わせたパン、ドリーを多用。
例えば家の一階のリビングに置かれたカメラがグルッと一回転する間に、家のあちこちから登場人物たちが次々と現れる。
あるいは、街の中を歩く登場人物をフォローすると、カメラの動いてゆく先で思いがけない場面に遭遇する。
ここでは流麗なカメラワークは登場人物のアクションと一体化し、まるで一連の絵巻物を観ているかのごとく。
映像だけでなく、音響演出も素晴らしい。
ものすごく細やかに作り込まれた環境音は、まるで自分が映画の世界に入り込んだからのような臨場感。
生活音に満ちた猥雑な街の喧騒、田舎の農場の新年の宴、強風吹きすさぶ寒々しいビーチ。
40年以上前の、私のメキシコでの記憶を呼び起こしたのは、おそらく映像よりもこの音響だと思う。
物語的にはクレオとソフィアの葛藤を軸としたごくパーソナルなものだが、彼女らの日常のドラマの背景として、当時の世相をさりげなく映し出すことで、本作はキュアロンと家族にとってのメキシコ現代史の一ページを描くクロニクルとしての側面を持つ。
印象的なのは生まれてくる赤ん坊のために、テレサと共に家具店を訪れたクレオが、街の騒乱に巻き込まれるシークエンス。
これは1971年に起こった、学生団体のデモを実質的にPRI政権の意を受けた民兵組織が襲撃し、25人が殺された弾圧事件。
この時、クレオは最悪の形でフェルミンと再会するのだが、結果としてこの事件はそれまでの彼女の世界を終わらせ、人生の次なるステップに踏み出せさせることとなる。
そして彼女の物語は、ビーチでの出来事を通して、ソフィアと家族の物語と一体となり、共に愛する者に裏切られ、閉塞した二人の女性の人生には、小さな小さな光が灯る。
映画ファンとして興味深いのは、本作に引用されている映画のチョイスだ。
クレオがフェルミンと観に行くジェラール・ウーリー監督の「大進撃」は、大ヒットしたフランスのコメディ映画。
ナチス占領下のパリ上空で撃墜され、パラシュートで脱出した三人のイギリス兵が、それぞれフランス人たちの助けを借りながらブルゴーニュへと向かい、グライダーで脱出するという話。
ところが、クオレの妊娠を聞いたフェルミンは、そのクライマックスの間に、トイレに行くと偽って彼女の前から“脱出”してしまうというブラック・ジョーク。
また一家の長男が観たがり、アントニオの不貞発覚の一因になるのがジョン・スタージェス監督の「宇宙からの脱出」だ。
これは宇宙ステーション建設のために作業中、故障して帰還不能となった宇宙船アイアンマン1号を、なんとかして救出しようとする物語で、キュアロンの大ヒット作である「ゼロ・グラビティ」の原型とも思える作品。
実際、他のクルーを生き延びさせるための船長の自己犠牲など、似たようなシチュエーションもある。
「大進撃」「宇宙からの脱出」どちらの映画も、非日常からの脱出をモチーフとしているのが面白い。
戦争や宇宙ほど極端ではないが、クオレもソフィア一家も、悪夢的な非日常からささやかな日常への回帰を目指しているのである。
私はこの映画を東京国際映画祭(TIFF)で鑑賞したのだが、何かと評判が悪い映画祭のチケットシステムに、ダメもとでアクセスしてみたらたまたま繋がって、奇跡的にベストシートで観ることができたのは幸運だった。
まだ劇場公開の可能性はゼロではないようだが、これが配信オンリーになってしまうのはあまりにも勿体無い。
凝った環境音など、TVのスピーカーでは半分も再現できないだろうし、横長のアスペクト比を生かしきった動線の演出も、明らかに大画面を前提としたものだ。
しかし現在のシネコンでも、本作を真に楽しめる環境は実は多くないのかもしれない。
TIFFでの上映は、全9スクリーン中5番目のキャパシティのスクリーン3。
人気から言えば最大のスクリーン7でも十分に埋まっただろうが、実際にはスクリーン3での連続上映となったのはなぜか。
現在のシネコンの大型スクリーンは、パッシブ3D上映に対応するためにシルバースクリーンが主流となっているが、これは従来のマットスクリーンなどと比べると画質が落ちる。
2D上映ではメリットはなく、素材特性上どうしてもギラついた印象となるので、本作のような落ち着いたモノクロ映像の再現性は低い。
実際にNetflix側から、シルバースクリーンは不可とのお達しがあったそうで、最大のスクリーン7では上映できなかったのだ。
だから劇場公開しても、本来の意図通りの映像を観客に見せようとすると、上映できるスクリーン自体がかなり限られてしまう。
それでも、ある程度の規模のシネコンなら非シルバースクリーンの箱もあるだろうし、アートシアターの多くもマットタイプのスクリーン。
本作は確かに地味な話で大スターもいないが、既にベネチアの金獅子賞に輝き、これからも世界中の映画祭で賞を取るだろう(もしかしたらアカデミー外国語映画賞も)。
各国でスクリーン数絞って公開したら、それなりにお客は来るのではないか。
まあ監督本人が商業的な憂慮からNetflixに売ったという事実はあるが、これだけの傑作が、本来想定した大スクリーンで観られないのは残念過ぎる。
Netflixには、文化の担い手として英断を期待したい。
ゆえに本作の評価額は暫定。
日本で劇場公開されたら満点にします。※2019年3月9日よりの劇場公開が決まったので、満点にしました。
今回はメキシコの代表的な酒「グサーノ・ロホ メスカル」をチョイス。
メスカルはテキーラと同じリュウゼツラン科の植物から作られる蒸留酒で、テキーラは特定地域で生産されるメスカルの一種。
メキシコ中で作られていて、多くの銘柄でボトルに芋虫が入っているので有名だ。
この芋虫はリュウゼツランに住んでいるもので、もちろん食用。
一説によると芋虫が入っていることで、味が良くなるというが、本当かなあ。
ベーシックな飲み方は、オレンジのスライスにかじりつき、ショットグラスで少しずつメスカルを口に含み味わう。
ちなみにメスカルをグラスに注ぐ時、芋虫が出てくると幸運が訪れるのだそう。
ちょっとヤダけど。
本作とは関係ない話だけど、劇中の「宇宙からの脱出」でちょっと驚いたシーンがあった。
ぶっちゃけ30年くらい前に観たっきりだったので、すっかり忘れていたのだが、宇宙空間で宇宙飛行士がスペースシャトル計画の機動ユニット(MMU)に似た装置を身につけているのだ。
1968年に公開された「2001年宇宙の旅」では、宇宙飛行士が命綱も機動装置も使わずに宇宙遊泳するという、現在から見るとかなり無茶な描写があるのだが、当時の考証としてはこれが精一杯なのかと思っていた。
しかし翌年公開の「宇宙からの脱出」では、ちゃんとMMUが出てくる!と思って調べたらMMUの原型は1966年に完成しているじゃないか。
ということは、やっぱり「2001年宇宙の旅」の描写は考証不足ということになる。
いやもちろん、そうだとしても傑作なんだけどさ・・・。
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メキシコ黄金世代の鬼才、アルフォンソ・キュアロン監督の最新作は、1970年から71年のメキシコを舞台に、ある裕福な医師の家に住み込みで働く、先住民系の家政婦クレオの物語。
タイトルの「ROMA/ローマ」はイタリアの首都ではなく、メキシコシティの地名だそう。
エリートの両親に一姫三太郎の子供たち、中庭のある家には二人の家政婦とペットの犬もいる。
キュアロン自身の子供時代がモチーフになっていて、年齢的には一家の長男が彼なのだろうが、精神的には前世の記憶を語る三男に自分を重ねている様に思う。
しかし、はじめは満ち足りていて幸せそうな家族に、徐々に暗雲がたち込める。
それと共にクレオ自身にも大きな問題が起こり、彼女と医師家族の葛藤は平行して絡み合ってゆき、その背景に制度的革命党(PRI)一党独裁時代のメキシコ現代史の出来事が配されるという構造だ。
65㎜フィルム撮影、アスペクト比1:2.35のモノクロ映画という、どこから見ても劇場の大スクリーンを想定した作品ながら、原則的にNetflixによるストリーミング配信のみの公開となることも物議を醸した。
1970年のメキシコシティ。
地方出身のクレオ(ヤリャッツァ・アパリシオ)は、裕福な医師のアントニオの家で住み込みの家政婦をしている。
この家に住むのは、アントニオと元大学の生化学教授の妻ソフィア(マリーナ・デ・タビラ)、ソフィアの母のテレサ、三人の男の子と一人の女の子、そして同僚の家政婦アデラ(ナンシー・ガルシア・ガルシア)。
雇い主のアントニオは留守がちだが、クレオは四人の子供たちに慕われて、家事やソフィアの手伝いをしながら平穏無事な毎日が過ぎてゆく。
休日にはアデラと共に遊びに出かけ、アデラの彼氏のいとこで武道家のフェルミン(ホルヘ・アントニオ・ゲレロ)と愛し合う。
しかしある時、海外出張に行ったはずのアントニオが、実は愛人の家に入り浸っていることが発覚。
幸せだった一家は、大きな転機を迎える。
同じころ、クレオもフェルミンの子供を授かるが、そのことを告げると彼は姿を消してしまう。
取り残されたソフィアとクレオは、共に苦悩を分かち合い、人生の荒波に立ち向かおうとするのだが・・・
70年代、子供の頃メキシコに短期間だが滞在したことがある。
本作を観ながら、街中に犬のウンコがやたらと落ちていたこと、メキシコで生産していたVWビートルがたくさん走っていたこと、スモッグ公害がひどかったこと、ビーチで地元民が大きなウミガメを解体していて、ウミガメ料理をふるまってくれたことなど、懐かしい思い出が蘇ってきた。
アルフォンソ・キュアロンは、少年時代の自分を愛してくれた一人の女性の心象劇を、映画言語を駆使して描く。
渋い人間ドラマなので、「ゼロ・グラビティ」や「トゥモロー・ワールド」の様なこれ見よがしなものではないが、冒頭から凝りに凝った映像・音響演出に、もう全く目が離せない。
舞台となる家の、空間設計が秀逸だ。
通りに面した入り口からは細長いトンネル状のガレージとなっていて、そのまま建物に囲まれた中庭に繋がっている。
ガレージと中庭は開けたリビングを中心とした生活空間に面し、二階には家族それぞれの個室。
クレオとアデラの部屋は中庭を挟んだ離れのような二階にある。
キュアロンは、この大きく特徴ある家の構造を演出に巧みに利用。
ファーストカットは敷き詰められたタイルが映し出され、ブラッシングの音から掃除中なのが示唆される。
カメラは真俯瞰で、タイルに大量の水が流されると、水面に四角く切り取られた空が映り、そこに飛行機が飛んでいることで、場所が中庭だと分かるのである。
このビジュアルは、多くのインフォメーションが含まれているだけでなく、ラストカットの中庭から煽り見る空のミラーイメージとなっており、対照的なカメラの向きによって登場人物の心象の変化を見事に表現している。
またキュアロンは、横長のスコープサイズを生かし、全編に渡ってキャラクターの動きに合わせたパン、ドリーを多用。
例えば家の一階のリビングに置かれたカメラがグルッと一回転する間に、家のあちこちから登場人物たちが次々と現れる。
あるいは、街の中を歩く登場人物をフォローすると、カメラの動いてゆく先で思いがけない場面に遭遇する。
ここでは流麗なカメラワークは登場人物のアクションと一体化し、まるで一連の絵巻物を観ているかのごとく。
映像だけでなく、音響演出も素晴らしい。
ものすごく細やかに作り込まれた環境音は、まるで自分が映画の世界に入り込んだからのような臨場感。
生活音に満ちた猥雑な街の喧騒、田舎の農場の新年の宴、強風吹きすさぶ寒々しいビーチ。
40年以上前の、私のメキシコでの記憶を呼び起こしたのは、おそらく映像よりもこの音響だと思う。
物語的にはクレオとソフィアの葛藤を軸としたごくパーソナルなものだが、彼女らの日常のドラマの背景として、当時の世相をさりげなく映し出すことで、本作はキュアロンと家族にとってのメキシコ現代史の一ページを描くクロニクルとしての側面を持つ。
印象的なのは生まれてくる赤ん坊のために、テレサと共に家具店を訪れたクレオが、街の騒乱に巻き込まれるシークエンス。
これは1971年に起こった、学生団体のデモを実質的にPRI政権の意を受けた民兵組織が襲撃し、25人が殺された弾圧事件。
この時、クレオは最悪の形でフェルミンと再会するのだが、結果としてこの事件はそれまでの彼女の世界を終わらせ、人生の次なるステップに踏み出せさせることとなる。
そして彼女の物語は、ビーチでの出来事を通して、ソフィアと家族の物語と一体となり、共に愛する者に裏切られ、閉塞した二人の女性の人生には、小さな小さな光が灯る。
映画ファンとして興味深いのは、本作に引用されている映画のチョイスだ。
クレオがフェルミンと観に行くジェラール・ウーリー監督の「大進撃」は、大ヒットしたフランスのコメディ映画。
ナチス占領下のパリ上空で撃墜され、パラシュートで脱出した三人のイギリス兵が、それぞれフランス人たちの助けを借りながらブルゴーニュへと向かい、グライダーで脱出するという話。
ところが、クオレの妊娠を聞いたフェルミンは、そのクライマックスの間に、トイレに行くと偽って彼女の前から“脱出”してしまうというブラック・ジョーク。
また一家の長男が観たがり、アントニオの不貞発覚の一因になるのがジョン・スタージェス監督の「宇宙からの脱出」だ。
これは宇宙ステーション建設のために作業中、故障して帰還不能となった宇宙船アイアンマン1号を、なんとかして救出しようとする物語で、キュアロンの大ヒット作である「ゼロ・グラビティ」の原型とも思える作品。
実際、他のクルーを生き延びさせるための船長の自己犠牲など、似たようなシチュエーションもある。
「大進撃」「宇宙からの脱出」どちらの映画も、非日常からの脱出をモチーフとしているのが面白い。
戦争や宇宙ほど極端ではないが、クオレもソフィア一家も、悪夢的な非日常からささやかな日常への回帰を目指しているのである。
私はこの映画を東京国際映画祭(TIFF)で鑑賞したのだが、何かと評判が悪い映画祭のチケットシステムに、ダメもとでアクセスしてみたらたまたま繋がって、奇跡的にベストシートで観ることができたのは幸運だった。
まだ劇場公開の可能性はゼロではないようだが、これが配信オンリーになってしまうのはあまりにも勿体無い。
凝った環境音など、TVのスピーカーでは半分も再現できないだろうし、横長のアスペクト比を生かしきった動線の演出も、明らかに大画面を前提としたものだ。
しかし現在のシネコンでも、本作を真に楽しめる環境は実は多くないのかもしれない。
TIFFでの上映は、全9スクリーン中5番目のキャパシティのスクリーン3。
人気から言えば最大のスクリーン7でも十分に埋まっただろうが、実際にはスクリーン3での連続上映となったのはなぜか。
現在のシネコンの大型スクリーンは、パッシブ3D上映に対応するためにシルバースクリーンが主流となっているが、これは従来のマットスクリーンなどと比べると画質が落ちる。
2D上映ではメリットはなく、素材特性上どうしてもギラついた印象となるので、本作のような落ち着いたモノクロ映像の再現性は低い。
実際にNetflix側から、シルバースクリーンは不可とのお達しがあったそうで、最大のスクリーン7では上映できなかったのだ。
だから劇場公開しても、本来の意図通りの映像を観客に見せようとすると、上映できるスクリーン自体がかなり限られてしまう。
それでも、ある程度の規模のシネコンなら非シルバースクリーンの箱もあるだろうし、アートシアターの多くもマットタイプのスクリーン。
本作は確かに地味な話で大スターもいないが、既にベネチアの金獅子賞に輝き、これからも世界中の映画祭で賞を取るだろう(もしかしたらアカデミー外国語映画賞も)。
各国でスクリーン数絞って公開したら、それなりにお客は来るのではないか。
まあ監督本人が商業的な憂慮からNetflixに売ったという事実はあるが、これだけの傑作が、本来想定した大スクリーンで観られないのは残念過ぎる。
Netflixには、文化の担い手として英断を期待したい。
ゆえに本作の評価額は暫定。
日本で劇場公開されたら満点にします。※2019年3月9日よりの劇場公開が決まったので、満点にしました。
今回はメキシコの代表的な酒「グサーノ・ロホ メスカル」をチョイス。
メスカルはテキーラと同じリュウゼツラン科の植物から作られる蒸留酒で、テキーラは特定地域で生産されるメスカルの一種。
メキシコ中で作られていて、多くの銘柄でボトルに芋虫が入っているので有名だ。
この芋虫はリュウゼツランに住んでいるもので、もちろん食用。
一説によると芋虫が入っていることで、味が良くなるというが、本当かなあ。
ベーシックな飲み方は、オレンジのスライスにかじりつき、ショットグラスで少しずつメスカルを口に含み味わう。
ちなみにメスカルをグラスに注ぐ時、芋虫が出てくると幸運が訪れるのだそう。
ちょっとヤダけど。
本作とは関係ない話だけど、劇中の「宇宙からの脱出」でちょっと驚いたシーンがあった。
ぶっちゃけ30年くらい前に観たっきりだったので、すっかり忘れていたのだが、宇宙空間で宇宙飛行士がスペースシャトル計画の機動ユニット(MMU)に似た装置を身につけているのだ。
1968年に公開された「2001年宇宙の旅」では、宇宙飛行士が命綱も機動装置も使わずに宇宙遊泳するという、現在から見るとかなり無茶な描写があるのだが、当時の考証としてはこれが精一杯なのかと思っていた。
しかし翌年公開の「宇宙からの脱出」では、ちゃんとMMUが出てくる!と思って調べたらMMUの原型は1966年に完成しているじゃないか。
ということは、やっぱり「2001年宇宙の旅」の描写は考証不足ということになる。
いやもちろん、そうだとしても傑作なんだけどさ・・・。

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この記事へのコメント
そうそう、絵巻物のようなカメラワークなのに、臨場感の凄さというか、ドキュメンタリータッチというか、本当に自分もそこにいるかのような気にさせる。
映画の面白さと巧さではオスカーレースで高評価されているのも納得。
それゆえに劇場公開されないのが残念ですよ。
映画の面白さと巧さではオスカーレースで高評価されているのも納得。
それゆえに劇場公開されないのが残念ですよ。
>にゃむばななさん
まだ日程は発表されてないですが、Netflixによると日本でも劇場公開される様ですよ。
私もこの作品はTVでは観る気にならなくて、劇場公開されたら再鑑賞したいと思っています。
まだ日程は発表されてないですが、Netflixによると日本でも劇場公開される様ですよ。
私もこの作品はTVでは観る気にならなくて、劇場公開されたら再鑑賞したいと思っています。
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アルフォンソ・キュアロンが監督したメキシコ映画「ROMA/ローマ」はヴェネツィア
2019/01/09(水) 14:45:59 | エンターテイメント日誌
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