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2018年11月19日 (月) | 編集 |
「GODZILLA 星を喰う者・・・・・評価額1550円」
人類は生きるべきか、滅ぶべきか。
ゴジラが支配する地球へ、嘗てエクシフの故郷を滅ぼした最強の怪獣「ギドラ」がやって来る。
2017年の11月に第1作が公開された、挑戦的な「アニゴジ」三部作完結編。
同時にこれは、平成最後のゴジラ映画でもある。
脚本に「魔法少女まどか☆マギカ」で知られる虚淵玄を起用し、ゴジラというキャラクターの存在といわゆるギャレゴジを思わせる基本デザイン意外、過去の実写シリーズとは全く異なるアプローチをした異色の三部作は、どの様な結末に辿り着いたのだろうか。
第1作「GODZILLA 怪獣惑星」では、いきなりの未来SF設定に驚かされた。
20世紀末、突如として出現した怪獣たちの猛威によって、人類の文明は崩壊。
中でも最後に現れ、他の怪獣たちをも滅ぼしてゆく「ゴジラ」の破壊力は凄まじく、人類は加勢を申し出てきた異星人種「エクシフ」と「ビルサルド」と共に宇宙に逃れ、別の恒星系の惑星へと新天地を求めて旅立つ。
三部作の主人公となるハルオ・サカキ大尉は、この時の混乱により両親を亡くし、ゴジラに対して強い憎しみを抱くようになった青年だ。
しかし、たどり着いた惑星は結局居住に適さず、人類はやむなく地球へと帰還するも、そこはウラシマ効果により2万年もの歳月が過ぎた未来の地球。
「もしかしたら、ゴジラも死滅しているのでは?」という儚い希望は、より強大になったゴジラ発見によって潰え、地球に降り立った戦闘部隊はハルオの指揮のもと、ゴジラ殲滅作戦に打って出るも惜敗。
続く第2作「GODZILLA 決戦機動増殖都市」では、追い詰められたハルオたちが、かつて対ゴジラ決戦兵器として造られた「メカゴジラ」の構成素材、ナノメタルが二万年の間自己増殖し続けたことで出来た生きている都市、その名も「メカゴジラシティ」を発見。
ハルオたちはメカゴジラシティを拠点に、ナノメタルの存在を作戦に組み込み、改めてゴジラに挑もうとする。
だがゴジラを倒すためには、ゴジラを超えるものになるしかないと考えるビルサルドは、勝利を確実にするために、自分たちの肉体をナノメタルに感染させ、メカゴジラシティと同化することを強要。
拒否する人類とエクシフは、ビルサルドと仲間割れを起こし作戦は失敗、ゴジラの熱線攻撃により、メカゴジラシティはあえなく死滅する。
「アニゴジ」三部作の出発点は、「シン・ゴジラ」を含む平成日本型怪獣のオリジンである、巴啓祐の漫画「神の獣」と言っていいだろう。
漫画に登場する大怪獣オーガは、地球という巨大な生命にとって有害要素となった人類を滅亡させるために、地球そのものが作り出した怪獣で、その体は地球と全く同じ構造を持つ。
本作のゴジラも、核実験を繰り返し、地球環境を破壊する人類を滅ぼすために生まれた存在で、さらに人類が地球を留守にしていた2万年の間に、地球そのものと一体化した「ゴジラ・アース」となっていて、オーガの設定とかなり近い。
しかし、この三部作のユニークさは、「怪獣=人類の破壊装置」という設定ににとどまらず、超宇宙規模の生態系を構築していることにある。
劇中、環境生物学者のマーティンは、ゴジラが地球型生物の完成系だとすると、ゴジラを誕生させることこそが、人類そのものの存在意義だったのではないかという考察を口にする。
つまり人類は、地球という子宮がゴジラを生み出すための、栄養素に過ぎないというのだ。
ここで三部作に登場する、地球と宇宙の三つの人型種族の役割が明確に見えてくる。
自らを進化の頂点をゆく者と信じ、怪獣を超えるためには自らをナノメタルと同化して変質させることをも厭わないビルサルドは、究極の唯物論者。
対して、次元を超越するほどの超科学文明をもちながら、「神」への信仰に全てを委ねるエクシフは、ゴジラを含めたこの世の全てを高次元の神への供物だと考え、肉体に意味はないと説く観念論者。
ハルオに代表される地球人類は、二つの種族のテーゼとアンチテーゼの間で迷い、葛藤し、ジンテーゼを見つけ出す役割だ。
真逆の思想の板挟みとなるハルオは、科学を持ってゴジラの脅威を支配しようとするビルサルドの技術者ガルグと、自らの理解者となり、時に彼を導くエクシフの神官メトフィエスに影響を受け、ゴジラとの戦いを通して人間が人間として生きるとはどういうことかを自問してゆく。
この第3作「GODZILLA 星を喰う者」において、エクシフは彼らの考える神そのものである破壊の使者「ギドラ」を地球へと呼び寄せ、すべてを終わらせようとするのだが、ギドラは球状の「特異点」を作り出しそこから出現する。
つまり、ギドラはワームホールから出現する高次元宇宙の存在であり、二次元の存在が三次元の我々を認識することが出来ないように、こちらからは攻撃はおろか触れることすら出来ない。
ちなみにワームホールは「穴」として描かれることが多かったが、最近の研究では「球」として表現するのが正解の様で、クリストファー・ノーランの「インターステラ―」や、この夏に公開された「ペンギン・ハイウェイ」でも球状のワームホールが登場する。
また地球そのものであるゴジラを捕食するギドラは、「星を喰う者=怪獣の姿をしたブラックホール」と捉えることも出来、地球もまた途轍もなく巨大な超宇宙規模の生態系の一部に過ぎないことが示唆される。
これほどに壮大な世界観を見せつけられ、なおも人類というちっぽけな存在にどのような意味を見つけ出すのか、人間はどうあるべきなのか、どう生きるべきなのかがこの三部作の核心だ。
人類はあまりにも弱い。
しかし、ハルオの葛藤の末の行動によって、地球をギドラの供物とするエクシフの計画は失敗し、彼らの言う宇宙の理は絶対ではないことが露わとなる。
ここでハルオが体現するのは、どんなに絶望的な状況でも、生きようと足掻く人間本来の姿であり、多次元宇宙の生態系というマクロの仕組みを逸脱する、人類というミクロの反乱だ。
そしてそれは、アニメーションという手法だからこそ、従来のゴジラ映画の枠組みに果敢に挑戦出来た、この三部作の立ち位置にも通じるのではあるまいか。
難解な物理用語が飛び交う、ゴジラ映画のファンを戸惑わせるハードSFとしての三部作は、64年のゴジラ映画の歴史に新たな爪痕を残したと言って良いと思う。
だが、「GODZILLA 星を喰う者」を一本の映画として捉えると、完全に「話畳みます」モードで、ほぼここまで積み上げてきた葛藤の帰結する先を巡る会話劇。
ハルオとメトフィエスの禅問答は、これしか無かったと思うが、前2作の様な対怪獣バトルアクションは全く無い。
人間が人間たるが故、ゴジラとの戦いに絶対に勝てないとしたら、人類にとって一番の救済とは何か。
自らをギドラの供物として、ゴジラと共に滅びることを望むのか。
それともどんなに惨めだとしても、運命に抗い生き続けるのか。
恐怖と絶望の終わらせ方を巡る、ハルオの内的葛藤がほぼ全てで、活劇としての魅力は三部作で一番弱いと言わざるを得ない。
非常にユニークな作品だと思うが、三本並べてみると、一番映画的で面白かったのはやはり第2作だ。
ところで、ハルオの葛藤の「解」としては、実は最初からゴジラとの共存を果たしているフツアの民がいるのだが、彼らの神として登場する「卵」の描写はちょっと中途半端。
おそらく、この三部作に続く新たなシリーズが構想されていて、そちらで描くつもりなのだと想像するが、「卵が呼ぶ者=モスラ」も別の宇宙の存在ということなのか、それとも地球がゴジラの反作用として生み出したものなのか、せめて本作で考察のためのヒントくらいは提示してほしかった。
あとハルオの最後の決断は、心情としては分かるのだけど、それまでの彼の行動原理と突然180度逆になってしまうのが違和感。
ある人物のアイディアを葬れば良いのだから、別の方法もあったのでは。
というか、別の方法の方が良かったのではと思った。
今回は、そのまんま「ゴジラ」をチョイス。
何かと評判の悪いローランド・エメリッヒ版の「GODZILLA」公開時に、アメリカで考案された濃い緑が印象的なカクテル。
氷を入れたロックグラスに、ジン20ml、アップル・リキュール20ml、メロン・リキュール20ml、ブルー・キュラソー20ml、レモンジュース1tspを注ぎ、ステアする。
なんでこれがゴジラなの?と思うだろうが、何故か昔からアメリカではゴジラのイラストは緑色に描かれることが多いので、ゴジラをイメージすると緑のカクテルになると言うことだろう。
恐ろしげな名前の割に、甘口でフルーティ。
スッキリしていてとても飲みやすい。
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人類は生きるべきか、滅ぶべきか。
ゴジラが支配する地球へ、嘗てエクシフの故郷を滅ぼした最強の怪獣「ギドラ」がやって来る。
2017年の11月に第1作が公開された、挑戦的な「アニゴジ」三部作完結編。
同時にこれは、平成最後のゴジラ映画でもある。
脚本に「魔法少女まどか☆マギカ」で知られる虚淵玄を起用し、ゴジラというキャラクターの存在といわゆるギャレゴジを思わせる基本デザイン意外、過去の実写シリーズとは全く異なるアプローチをした異色の三部作は、どの様な結末に辿り着いたのだろうか。
第1作「GODZILLA 怪獣惑星」では、いきなりの未来SF設定に驚かされた。
20世紀末、突如として出現した怪獣たちの猛威によって、人類の文明は崩壊。
中でも最後に現れ、他の怪獣たちをも滅ぼしてゆく「ゴジラ」の破壊力は凄まじく、人類は加勢を申し出てきた異星人種「エクシフ」と「ビルサルド」と共に宇宙に逃れ、別の恒星系の惑星へと新天地を求めて旅立つ。
三部作の主人公となるハルオ・サカキ大尉は、この時の混乱により両親を亡くし、ゴジラに対して強い憎しみを抱くようになった青年だ。
しかし、たどり着いた惑星は結局居住に適さず、人類はやむなく地球へと帰還するも、そこはウラシマ効果により2万年もの歳月が過ぎた未来の地球。
「もしかしたら、ゴジラも死滅しているのでは?」という儚い希望は、より強大になったゴジラ発見によって潰え、地球に降り立った戦闘部隊はハルオの指揮のもと、ゴジラ殲滅作戦に打って出るも惜敗。
続く第2作「GODZILLA 決戦機動増殖都市」では、追い詰められたハルオたちが、かつて対ゴジラ決戦兵器として造られた「メカゴジラ」の構成素材、ナノメタルが二万年の間自己増殖し続けたことで出来た生きている都市、その名も「メカゴジラシティ」を発見。
ハルオたちはメカゴジラシティを拠点に、ナノメタルの存在を作戦に組み込み、改めてゴジラに挑もうとする。
だがゴジラを倒すためには、ゴジラを超えるものになるしかないと考えるビルサルドは、勝利を確実にするために、自分たちの肉体をナノメタルに感染させ、メカゴジラシティと同化することを強要。
拒否する人類とエクシフは、ビルサルドと仲間割れを起こし作戦は失敗、ゴジラの熱線攻撃により、メカゴジラシティはあえなく死滅する。
「アニゴジ」三部作の出発点は、「シン・ゴジラ」を含む平成日本型怪獣のオリジンである、巴啓祐の漫画「神の獣」と言っていいだろう。
漫画に登場する大怪獣オーガは、地球という巨大な生命にとって有害要素となった人類を滅亡させるために、地球そのものが作り出した怪獣で、その体は地球と全く同じ構造を持つ。
本作のゴジラも、核実験を繰り返し、地球環境を破壊する人類を滅ぼすために生まれた存在で、さらに人類が地球を留守にしていた2万年の間に、地球そのものと一体化した「ゴジラ・アース」となっていて、オーガの設定とかなり近い。
しかし、この三部作のユニークさは、「怪獣=人類の破壊装置」という設定ににとどまらず、超宇宙規模の生態系を構築していることにある。
劇中、環境生物学者のマーティンは、ゴジラが地球型生物の完成系だとすると、ゴジラを誕生させることこそが、人類そのものの存在意義だったのではないかという考察を口にする。
つまり人類は、地球という子宮がゴジラを生み出すための、栄養素に過ぎないというのだ。
ここで三部作に登場する、地球と宇宙の三つの人型種族の役割が明確に見えてくる。
自らを進化の頂点をゆく者と信じ、怪獣を超えるためには自らをナノメタルと同化して変質させることをも厭わないビルサルドは、究極の唯物論者。
対して、次元を超越するほどの超科学文明をもちながら、「神」への信仰に全てを委ねるエクシフは、ゴジラを含めたこの世の全てを高次元の神への供物だと考え、肉体に意味はないと説く観念論者。
ハルオに代表される地球人類は、二つの種族のテーゼとアンチテーゼの間で迷い、葛藤し、ジンテーゼを見つけ出す役割だ。
真逆の思想の板挟みとなるハルオは、科学を持ってゴジラの脅威を支配しようとするビルサルドの技術者ガルグと、自らの理解者となり、時に彼を導くエクシフの神官メトフィエスに影響を受け、ゴジラとの戦いを通して人間が人間として生きるとはどういうことかを自問してゆく。
この第3作「GODZILLA 星を喰う者」において、エクシフは彼らの考える神そのものである破壊の使者「ギドラ」を地球へと呼び寄せ、すべてを終わらせようとするのだが、ギドラは球状の「特異点」を作り出しそこから出現する。
つまり、ギドラはワームホールから出現する高次元宇宙の存在であり、二次元の存在が三次元の我々を認識することが出来ないように、こちらからは攻撃はおろか触れることすら出来ない。
ちなみにワームホールは「穴」として描かれることが多かったが、最近の研究では「球」として表現するのが正解の様で、クリストファー・ノーランの「インターステラ―」や、この夏に公開された「ペンギン・ハイウェイ」でも球状のワームホールが登場する。
また地球そのものであるゴジラを捕食するギドラは、「星を喰う者=怪獣の姿をしたブラックホール」と捉えることも出来、地球もまた途轍もなく巨大な超宇宙規模の生態系の一部に過ぎないことが示唆される。
これほどに壮大な世界観を見せつけられ、なおも人類というちっぽけな存在にどのような意味を見つけ出すのか、人間はどうあるべきなのか、どう生きるべきなのかがこの三部作の核心だ。
人類はあまりにも弱い。
しかし、ハルオの葛藤の末の行動によって、地球をギドラの供物とするエクシフの計画は失敗し、彼らの言う宇宙の理は絶対ではないことが露わとなる。
ここでハルオが体現するのは、どんなに絶望的な状況でも、生きようと足掻く人間本来の姿であり、多次元宇宙の生態系というマクロの仕組みを逸脱する、人類というミクロの反乱だ。
そしてそれは、アニメーションという手法だからこそ、従来のゴジラ映画の枠組みに果敢に挑戦出来た、この三部作の立ち位置にも通じるのではあるまいか。
難解な物理用語が飛び交う、ゴジラ映画のファンを戸惑わせるハードSFとしての三部作は、64年のゴジラ映画の歴史に新たな爪痕を残したと言って良いと思う。
だが、「GODZILLA 星を喰う者」を一本の映画として捉えると、完全に「話畳みます」モードで、ほぼここまで積み上げてきた葛藤の帰結する先を巡る会話劇。
ハルオとメトフィエスの禅問答は、これしか無かったと思うが、前2作の様な対怪獣バトルアクションは全く無い。
人間が人間たるが故、ゴジラとの戦いに絶対に勝てないとしたら、人類にとって一番の救済とは何か。
自らをギドラの供物として、ゴジラと共に滅びることを望むのか。
それともどんなに惨めだとしても、運命に抗い生き続けるのか。
恐怖と絶望の終わらせ方を巡る、ハルオの内的葛藤がほぼ全てで、活劇としての魅力は三部作で一番弱いと言わざるを得ない。
非常にユニークな作品だと思うが、三本並べてみると、一番映画的で面白かったのはやはり第2作だ。
ところで、ハルオの葛藤の「解」としては、実は最初からゴジラとの共存を果たしているフツアの民がいるのだが、彼らの神として登場する「卵」の描写はちょっと中途半端。
おそらく、この三部作に続く新たなシリーズが構想されていて、そちらで描くつもりなのだと想像するが、「卵が呼ぶ者=モスラ」も別の宇宙の存在ということなのか、それとも地球がゴジラの反作用として生み出したものなのか、せめて本作で考察のためのヒントくらいは提示してほしかった。
あとハルオの最後の決断は、心情としては分かるのだけど、それまでの彼の行動原理と突然180度逆になってしまうのが違和感。
ある人物のアイディアを葬れば良いのだから、別の方法もあったのでは。
というか、別の方法の方が良かったのではと思った。
今回は、そのまんま「ゴジラ」をチョイス。
何かと評判の悪いローランド・エメリッヒ版の「GODZILLA」公開時に、アメリカで考案された濃い緑が印象的なカクテル。
氷を入れたロックグラスに、ジン20ml、アップル・リキュール20ml、メロン・リキュール20ml、ブルー・キュラソー20ml、レモンジュース1tspを注ぎ、ステアする。
なんでこれがゴジラなの?と思うだろうが、何故か昔からアメリカではゴジラのイラストは緑色に描かれることが多いので、ゴジラをイメージすると緑のカクテルになると言うことだろう。
恐ろしげな名前の割に、甘口でフルーティ。
スッキリしていてとても飲みやすい。

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宗教種族エクシフの大司教メトフィエスは、ハルオが戦いに生き延びたことは“奇跡”だと唱え、信者を増やしていく。 そんなメトフィエスを警戒するミアナとマイナ。 そしてハルオは、自らが“人”として何を為すべきかを自問する。 やがて、地上の覇者となった究極の生命<ゴジラ・アース>と、金色の閃光を纏った高次元怪獣<ギドラ>が相まみえることに…。 アニゴジ全三部作最終章。
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