2018年12月18日 (火) | 編集 |
愛する彼女の危機を救え!
アメリカにはスーパーマン、スパイダーマンが、しかしインドにはその名も「パッドマン」がいる!
女性の月経が“穢れ”としてタブー視され、生理用品がなかなか普及しないインドで、妻のために安価なナプキン製造機械を発明した男の物語。
この人とにかく愛妻家で、彼女が生理のたびに不衛生な布を使ってしのいでいるのが心配でならない。
もともと日用品を作る町工場に勤務していて、手先が器用。
市販のナプキンは庶民には高すぎて買えないので、なら自分で作ろうとするのだが、モノがモノだけに気持ち悪がられ、愛妻を含めた女性たちから総スカン。
助けたいと思う相手からの拒絶にも、正しいことをしたいという信念はブレないが、猪突猛進気味の主人公は、やり過ぎて遂に全てを失ってしまうのだ。
実際に安価なナプキン製造機械を発明し、普及させたアルナーチャラム・ムルガナンダム氏の実話をベースに、R・バールキが監督・脚本を務め、アクシャイ・クマールがパッドマンを演じる。
女性の生理現象をタブー視するのはインドに限ったことではなく、広い普遍性と高度な娯楽性を兼ね備えた傑作だ。
インドの小さな村で愛妻ガヤトリ(ラーディカー・アープテー)と新婚生活を送るラクシュミ(アクシャイ・クマール)は、妻や妹たちが毎月の生理に不衛生な布を使っているのを見て、感染症などの病気にかからないか心配になる。
思い切って市販のナプキンを買って妻に贈ったものの、あまりにも高価なので「家計を破綻させる気か」と突き返されてしまう。
ならば、とナプキンを分解し、その構造を研究したラクシュミは、ナプキンを手作りするのだが、経血が漏れてしまい使い物にならない。
それでも諦めることなく、日々研究に打ち込み仕事にも行かなくなったラクシュミは、街の人々はもちろん、家族からも変人扱いされるようになる。
妻を含めた女性たちから、ことごとくナプキンの試用を拒否されたラクシュミは、自分で実験装置を装着して、最終試験を行うのだが、見事に失敗。
呆れたガヤトリは実家に帰り、ラクシュミは追われるように村を出る。
デリーへやって来たラクシュミは、努力を重ねてナプキンの本当の原料と製法を調べあげ、遂に誰にでも安価でナプキンを作れる機械を発明するのだが、それは更なる苦難の日々の始まりにすぎなかった・・・
生理用ナプキンが、元々軍用品として生まれたとは知らなかった。
確かに、衛生的に出血を抑えればいいのだから、戦傷でも生理でも原理的には同じこと。
学のないラクシュミは、市販のナプキンをバラバラにして、その原料が綿と布と考えるのだが、これが彼が最初に陥る大きな罠。
そもそもの原材料が間違っていたら、漏れないようにどんな工夫をしてもナプキンとしては機能不足。
素朴な生活を送るラクシュミは、化学繊維の存在など考えもしないのだ。
それでも彼は、愛する妻たちを不衛生な環境から解放したいと願い、失敗しても失敗しても研究開発を続けて、何とか使えるナプキンを作ろうとする。
だが、保守的なインドの田舎では、女性の生理は男性が決して関わってはいけないタブー。
目的が正しければ、因習も何も気にしないラクシュミは、自分が女性たちの禁断の領域に土足で踏み込んでいることに気づかない。
抑圧された女性たちは、しばしが男性よりも保守的になる。
自分の夫がナプキンに夢中になっていることを恥じたガヤトリは実家に戻り、妹たちも姉の家へと移り、ラクシュミはようやく自分の居場所を失ってしまったことに気づくのだ。
普通の映画なら、これがどん底。
この状況から復活で終わるのだが、本作はここから波乱万丈山あり谷ありが何度も繰り返される。
自分の作ったナプキンの、何が問題だったのかと悩んだラクシュミは、デリーの大学教授の家で働きながらリサーチし、ついに根本の原料問題を突き止める。
原料を入手しても、今度はそれをナプキンにするための機械が高価すぎて、とても買えるものではないし、仮に買えたとしても、投資を回収するためにナプキンが高価になってしまえば本末転倒。
そこでラクシュミは、ナプキンの製造過程を研究し、大きな機械ではなくそれぞれの工程ごとのシンプルな機械を発明するのだ。
この時点で、彼の新たな理解者となる、ソーナム・カプール演じる都会的で洗練された第二のヒロイン、パリーが登場し、彼女の後押しもあってラクシュミの機械は発明コンテストで大賞を受賞する。
しかし、これでハッピーエンドへ向かうかというとさにあらず。
人々はラクシュミがコンテストで受賞したことには興味を示すが、それが生理用ナプキンの製造機械であることを知ると、一転して嫌悪の表情を浮かべるのである。
それだけ、インド社会で女性の生理に対するタブー意識が深刻ということだろう。
映画の舞台となるのはつい最近の2001年だが、この時点でナプキンの普及率はたったの12%でしかない。
生理中の女性は不浄な存在とされ、家に入ることを許されず、吹きさらしの外廊下に寝床をしつらえて隔離されている。
女性たちは声を上げることが面倒を引き起こすということを分かっていて、あえて現状を変えることを望まない人も多い。
遠い国の遠い話に思えるが、日本でも生理をタブーとする考えが根強いのは同じだ。
近いところでは、相撲の土俵に女性を上げないという時代錯誤な規制も、神道で血を穢れと考え、生理で血を流す女性を禁忌としたことがはじまりとされる。
これは程度の差はあれ、世界の多くに共通するイシューなのだ。
ラクシュミが戦わなければならない相手は、単に品質の高いナプキンを安く作るという技術論だけではなく、社会の隅々にまで蔓延する因習と人々の事なかれ主義、無知、無理解。
女子レスリングを描く「ダンガル きっと、つよくなる」の熱血レスリング親父もそうだったが、インドではこういう古き因習を打破する“変人”こそがヒーローなんだろうな。
映画の中でラクシュミは、何度も女性や社会の拒絶に直面し、その度に「なんでダメなんだ!」と叫ぶ。
非常に合理的な思考回路を持つ彼の中では、世間体を第一に、因習や迷信にとらわれる人々が理解できない。
彼はいい人だけど、わりと独善的な性格に造形されていて、相手の立場に立って物事を考えることが苦手なのだ。
モデルとなった現実のパッドマン、ムルガナンダム氏の話を調べると、主人公がパッドマンになった顛末はだいたい事実通りの様。
おそらくは、愛妻のガヤトリといったん別居し、その後に妻とは対照的な進歩的で聡明な女性、パリーと出会い、微妙な三角関係になるあたりはフィクションだと思うのだけど、映画ではパリーが事態を急展開させる役割を果たす。
本当は多くの女性がナプキンを使いたいと思ってるが、ラクシュミが拒絶されるのは、彼が男性だから。
そこでパリーがラクシュミのビジネスパートナーとして前面に立ち、女同士の話で女性たちを説得してビジネスモデルを作り上げる。
フィクションも現実も、パッドマンの功績の半分は、ナプキンの製造機械を発明したこと。
そして残りの半分は、このビジネスモデルを作り上げたことだ。
インドの女性の問題の根本は、女性の社会的な地位の低さと、経済的な男性依存。
パリーと組んだラクシュミは、マイクロクレジットの融資を活用し、自分の機械をインド中の貧しい村々の女性たちに販売。
彼女たちはナプキンを製造して、それぞれの地域で売り歩くことで、現金収入を得る。
機械の代金の返済が終われば、全てが彼女たちのものとなり、経済的な自立を図れるのである。
実際に、パッドマンの機械を使ったお手頃価格のナプキンのミニ工場は、インドのあちこちに出来ていて、ナプキンの普及率もだんだんと上がっているというから素晴らしい。
終盤に、国連に招かれたラクシュミが、片言の英語“リングリッシュ”で語りかける、9分間にわたるスピーチが心を打つ。
ビジネスが成功しても、なぜ利益を追求しないのか?
女性が自立することの大切さと、そのためになぜナプキンが必要なのか?
モデルになったムルガナンダム氏が語ったことがベースになっているのだが、ウィットに富んだ内容はジェンダーの問題を超えて、人の生き方として全てに説得力のある名言だらけで、ここだけでも観る価値があると思う。
しかし、ガヤトリが本当にラクシュミのやりとげたことの価値を理解したのか?というあたりを含め、完全なハッピーエンドにしなかったのもいい。
振り返って日本を眺めれば分かるように、社会は一朝一夕には変わらない。
パッドマンが始めた小さな革命は、これからもずっと続いていくのだ。
もちろんこの映画も、特に男性への啓蒙という点で、その一助となるだろう。
今回は、北インドの代表的なビールの一つデヴァンス醸造所の「ゴッドファーザー スーパーストロング」をチョイス。
名前の通りアルコール度がちょっと高め。
独特の香り、すっきり爽やかだが甘味を強く感じるのがインドのビールの特徴かもしれない。
シェア一位のキングフィッシャーもこの傾向は変わらない。
当然ながら、スパイシーなインド料理との相性は抜群だ。
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アメリカにはスーパーマン、スパイダーマンが、しかしインドにはその名も「パッドマン」がいる!
女性の月経が“穢れ”としてタブー視され、生理用品がなかなか普及しないインドで、妻のために安価なナプキン製造機械を発明した男の物語。
この人とにかく愛妻家で、彼女が生理のたびに不衛生な布を使ってしのいでいるのが心配でならない。
もともと日用品を作る町工場に勤務していて、手先が器用。
市販のナプキンは庶民には高すぎて買えないので、なら自分で作ろうとするのだが、モノがモノだけに気持ち悪がられ、愛妻を含めた女性たちから総スカン。
助けたいと思う相手からの拒絶にも、正しいことをしたいという信念はブレないが、猪突猛進気味の主人公は、やり過ぎて遂に全てを失ってしまうのだ。
実際に安価なナプキン製造機械を発明し、普及させたアルナーチャラム・ムルガナンダム氏の実話をベースに、R・バールキが監督・脚本を務め、アクシャイ・クマールがパッドマンを演じる。
女性の生理現象をタブー視するのはインドに限ったことではなく、広い普遍性と高度な娯楽性を兼ね備えた傑作だ。
インドの小さな村で愛妻ガヤトリ(ラーディカー・アープテー)と新婚生活を送るラクシュミ(アクシャイ・クマール)は、妻や妹たちが毎月の生理に不衛生な布を使っているのを見て、感染症などの病気にかからないか心配になる。
思い切って市販のナプキンを買って妻に贈ったものの、あまりにも高価なので「家計を破綻させる気か」と突き返されてしまう。
ならば、とナプキンを分解し、その構造を研究したラクシュミは、ナプキンを手作りするのだが、経血が漏れてしまい使い物にならない。
それでも諦めることなく、日々研究に打ち込み仕事にも行かなくなったラクシュミは、街の人々はもちろん、家族からも変人扱いされるようになる。
妻を含めた女性たちから、ことごとくナプキンの試用を拒否されたラクシュミは、自分で実験装置を装着して、最終試験を行うのだが、見事に失敗。
呆れたガヤトリは実家に帰り、ラクシュミは追われるように村を出る。
デリーへやって来たラクシュミは、努力を重ねてナプキンの本当の原料と製法を調べあげ、遂に誰にでも安価でナプキンを作れる機械を発明するのだが、それは更なる苦難の日々の始まりにすぎなかった・・・
生理用ナプキンが、元々軍用品として生まれたとは知らなかった。
確かに、衛生的に出血を抑えればいいのだから、戦傷でも生理でも原理的には同じこと。
学のないラクシュミは、市販のナプキンをバラバラにして、その原料が綿と布と考えるのだが、これが彼が最初に陥る大きな罠。
そもそもの原材料が間違っていたら、漏れないようにどんな工夫をしてもナプキンとしては機能不足。
素朴な生活を送るラクシュミは、化学繊維の存在など考えもしないのだ。
それでも彼は、愛する妻たちを不衛生な環境から解放したいと願い、失敗しても失敗しても研究開発を続けて、何とか使えるナプキンを作ろうとする。
だが、保守的なインドの田舎では、女性の生理は男性が決して関わってはいけないタブー。
目的が正しければ、因習も何も気にしないラクシュミは、自分が女性たちの禁断の領域に土足で踏み込んでいることに気づかない。
抑圧された女性たちは、しばしが男性よりも保守的になる。
自分の夫がナプキンに夢中になっていることを恥じたガヤトリは実家に戻り、妹たちも姉の家へと移り、ラクシュミはようやく自分の居場所を失ってしまったことに気づくのだ。
普通の映画なら、これがどん底。
この状況から復活で終わるのだが、本作はここから波乱万丈山あり谷ありが何度も繰り返される。
自分の作ったナプキンの、何が問題だったのかと悩んだラクシュミは、デリーの大学教授の家で働きながらリサーチし、ついに根本の原料問題を突き止める。
原料を入手しても、今度はそれをナプキンにするための機械が高価すぎて、とても買えるものではないし、仮に買えたとしても、投資を回収するためにナプキンが高価になってしまえば本末転倒。
そこでラクシュミは、ナプキンの製造過程を研究し、大きな機械ではなくそれぞれの工程ごとのシンプルな機械を発明するのだ。
この時点で、彼の新たな理解者となる、ソーナム・カプール演じる都会的で洗練された第二のヒロイン、パリーが登場し、彼女の後押しもあってラクシュミの機械は発明コンテストで大賞を受賞する。
しかし、これでハッピーエンドへ向かうかというとさにあらず。
人々はラクシュミがコンテストで受賞したことには興味を示すが、それが生理用ナプキンの製造機械であることを知ると、一転して嫌悪の表情を浮かべるのである。
それだけ、インド社会で女性の生理に対するタブー意識が深刻ということだろう。
映画の舞台となるのはつい最近の2001年だが、この時点でナプキンの普及率はたったの12%でしかない。
生理中の女性は不浄な存在とされ、家に入ることを許されず、吹きさらしの外廊下に寝床をしつらえて隔離されている。
女性たちは声を上げることが面倒を引き起こすということを分かっていて、あえて現状を変えることを望まない人も多い。
遠い国の遠い話に思えるが、日本でも生理をタブーとする考えが根強いのは同じだ。
近いところでは、相撲の土俵に女性を上げないという時代錯誤な規制も、神道で血を穢れと考え、生理で血を流す女性を禁忌としたことがはじまりとされる。
これは程度の差はあれ、世界の多くに共通するイシューなのだ。
ラクシュミが戦わなければならない相手は、単に品質の高いナプキンを安く作るという技術論だけではなく、社会の隅々にまで蔓延する因習と人々の事なかれ主義、無知、無理解。
女子レスリングを描く「ダンガル きっと、つよくなる」の熱血レスリング親父もそうだったが、インドではこういう古き因習を打破する“変人”こそがヒーローなんだろうな。
映画の中でラクシュミは、何度も女性や社会の拒絶に直面し、その度に「なんでダメなんだ!」と叫ぶ。
非常に合理的な思考回路を持つ彼の中では、世間体を第一に、因習や迷信にとらわれる人々が理解できない。
彼はいい人だけど、わりと独善的な性格に造形されていて、相手の立場に立って物事を考えることが苦手なのだ。
モデルとなった現実のパッドマン、ムルガナンダム氏の話を調べると、主人公がパッドマンになった顛末はだいたい事実通りの様。
おそらくは、愛妻のガヤトリといったん別居し、その後に妻とは対照的な進歩的で聡明な女性、パリーと出会い、微妙な三角関係になるあたりはフィクションだと思うのだけど、映画ではパリーが事態を急展開させる役割を果たす。
本当は多くの女性がナプキンを使いたいと思ってるが、ラクシュミが拒絶されるのは、彼が男性だから。
そこでパリーがラクシュミのビジネスパートナーとして前面に立ち、女同士の話で女性たちを説得してビジネスモデルを作り上げる。
フィクションも現実も、パッドマンの功績の半分は、ナプキンの製造機械を発明したこと。
そして残りの半分は、このビジネスモデルを作り上げたことだ。
インドの女性の問題の根本は、女性の社会的な地位の低さと、経済的な男性依存。
パリーと組んだラクシュミは、マイクロクレジットの融資を活用し、自分の機械をインド中の貧しい村々の女性たちに販売。
彼女たちはナプキンを製造して、それぞれの地域で売り歩くことで、現金収入を得る。
機械の代金の返済が終われば、全てが彼女たちのものとなり、経済的な自立を図れるのである。
実際に、パッドマンの機械を使ったお手頃価格のナプキンのミニ工場は、インドのあちこちに出来ていて、ナプキンの普及率もだんだんと上がっているというから素晴らしい。
終盤に、国連に招かれたラクシュミが、片言の英語“リングリッシュ”で語りかける、9分間にわたるスピーチが心を打つ。
ビジネスが成功しても、なぜ利益を追求しないのか?
女性が自立することの大切さと、そのためになぜナプキンが必要なのか?
モデルになったムルガナンダム氏が語ったことがベースになっているのだが、ウィットに富んだ内容はジェンダーの問題を超えて、人の生き方として全てに説得力のある名言だらけで、ここだけでも観る価値があると思う。
しかし、ガヤトリが本当にラクシュミのやりとげたことの価値を理解したのか?というあたりを含め、完全なハッピーエンドにしなかったのもいい。
振り返って日本を眺めれば分かるように、社会は一朝一夕には変わらない。
パッドマンが始めた小さな革命は、これからもずっと続いていくのだ。
もちろんこの映画も、特に男性への啓蒙という点で、その一助となるだろう。
今回は、北インドの代表的なビールの一つデヴァンス醸造所の「ゴッドファーザー スーパーストロング」をチョイス。
名前の通りアルコール度がちょっと高め。
独特の香り、すっきり爽やかだが甘味を強く感じるのがインドのビールの特徴かもしれない。
シェア一位のキングフィッシャーもこの傾向は変わらない。
当然ながら、スパイシーなインド料理との相性は抜群だ。

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この記事へのコメント
どの辺がフィクションなのか気になりますね(^^)/
同じ男性として、このラクシュミの愛を貫く素晴らしさは素直に凄く格好いいと思いましたよ。
最愛の妻に理解されなくても、その妻のために発明を諦めない。
これぞ男の中の男だからこそ、この映画は是非男性に見ていただきたいですね。
最愛の妻に理解されなくても、その妻のために発明を諦めない。
これぞ男の中の男だからこそ、この映画は是非男性に見ていただきたいですね。
こんにちは。
1人の男が妻を愛する情熱が、ビジネスモデルを創製するところまで行ってしまった。…コレ、ホントに凄いことだと思います。もちろんそもそもの彼の発想の豊かさや、機械に対するポテンシャルが高かったせいもあるのだとは思いますが。それにしても、すごい。
1人の男が妻を愛する情熱が、ビジネスモデルを創製するところまで行ってしまった。…コレ、ホントに凄いことだと思います。もちろんそもそもの彼の発想の豊かさや、機械に対するポテンシャルが高かったせいもあるのだとは思いますが。それにしても、すごい。
>まっつぁんこさん
ちょっと調べてみたんですが、私生活の部分はあまり詳しく出てこないんですよね。
結構脚色は入ってると思いますけど。
>にゃむばななさん
影響力を考えれば、彼はまさにスーパーヒーローですよね。
彼の中では何が大切なのかがハッキリしているのだと思います。
妻に愛されるのではなく、妻を愛し彼女を病気から守りたいのがファーストプライオリティ。
カッコイイです。
>ここなつさん
基本的にこの人天才だったんだと思います。
普通スキルがあってもここまで出来ないけど、彼は必要なものを総て自分で学んで、解決策を見出してゆくんですよね。
インドは人も多いから、まだ無名の天才がたくさんいそう。
ちょっと調べてみたんですが、私生活の部分はあまり詳しく出てこないんですよね。
結構脚色は入ってると思いますけど。
>にゃむばななさん
影響力を考えれば、彼はまさにスーパーヒーローですよね。
彼の中では何が大切なのかがハッキリしているのだと思います。
妻に愛されるのではなく、妻を愛し彼女を病気から守りたいのがファーストプライオリティ。
カッコイイです。
>ここなつさん
基本的にこの人天才だったんだと思います。
普通スキルがあってもここまで出来ないけど、彼は必要なものを総て自分で学んで、解決策を見出してゆくんですよね。
インドは人も多いから、まだ無名の天才がたくさんいそう。
2018/12/22(土) 23:41:49 | URL | ノラネコ #xHucOE.I[ 編集]
この話のかっこいい所は、彼を否定している人まで、彼の活動で幸福に導いている所ですな。私なんか心が狭いから、「いーや、お前らにだけは売らない」とか言ってしまいそうです。
2018/12/23(日) 11:40:53 | URL | fjk78dead #-[ 編集]
>ふじきさん
いやーほんとに。
主人公の心が広すぎて、思わず拝みそうになってしまいました。
あんな徳のある人になりたい。
いやーほんとに。
主人公の心が広すぎて、思わず拝みそうになってしまいました。
あんな徳のある人になりたい。
2018/12/27(木) 21:18:33 | URL | ノラネコ #xHucOE.I[ 編集]
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映画『パッドマン 5億人の女性を救った男』は、なんともユニークな生理用品開発の実
2018/12/18(火) 23:33:22 | 大江戸時夫の東京温度
パッドマン 5億人の女性を救った男@ソニーピクチャーズエンタテインメント試写室
2018/12/19(水) 09:14:38 | あーうぃ だにぇっと
インドの小さな村。 結婚したばかりの男ラクシュミは、貧しくて生理用ナプキンが買えず不衛生な布で処置をしている最愛の妻を救うため、清潔で安価なナプキンを手作りすることを思いつく。 研究とリサーチに日々明け暮れるラクシュミの行動は周囲の誤解を招き、ついには村を離れざるを得なくなってしまう…。 ヒューマンドラマ。
2018/12/20(木) 00:42:41 | 象のロケット
いまだ古い慣習の残る封建的なインドの田舎社会において、表立って取り沙汰されることも憚られた生理用品について、研究と開発を重ねた男の物語。研究と開発を重ねたからといって、彼が科学者であるとか、商品開発者であるとかではない。ただただもう純粋に、新婚の自分の妻が、生理時になると概ね5日間も家族と共の部屋では過ごさず室外に寝床を構えるということ、衛生的とは言えない布を生理用品として何度も洗って使い続...
2018/12/20(木) 12:39:02 | ここなつ映画レビュー
現代のインドで、安全で安価な生理用品の普及に奔走した男の実話を映画化したヒューマンドラマ。主演は「チャンドニー・チョーク・トゥ・チャイナ」のアクシャイ・クマール。共演に「ミルカ」のソーナム・カプール。あらすじ:インドの小さな村で最愛の妻と新婚生活を送るラクシュミは、貧しくて生理用品が買えず不衛生な布を使用している妻のため、清潔で安価なナプキンを手作りすることに。生理用品の研究とリサーチに明け...
2019/01/15(火) 21:25:18 | 映画に夢中
ハシゴ鑑賞2本をちゃっちゃっと手早く。
と、言いながら記事を一度オシャカにしている。つらい。つらすぎる。『殺破狼』のように辛すぎる。
◆『パッドマン』トーホーシネマズシャンテ1
▲確かに交際した当初はそんな事で仲違いするとは思わなんだよなあ。
五つ星評価で【★★★★想定通りに進むが良い】
ちょっとした思い付きが主人公を動かし、動かし続けるが全てを失い、放浪した末に、遂に...
2019/02/18(月) 22:26:28 | ふじき78の死屍累々映画日記・第二章
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