2019年02月17日 (日) | 編集 |
帝国を揺るがした恋人たち。
大正期のアナーキストで、皇太子暗殺を謀ったとして大逆罪で起訴された、朴烈と金子文子の鮮烈な愛と闘いの物語。
1923年の東京で、二人は運命的に出会う。
きっかけは社会主義者たちが集うおでん屋、その名も「社会主義おでん」で働いていた文子が、朴烈の書いた「犬ころ」という詩を読んだこと。
朴烈は朝鮮半島の出身、文子は複雑な家庭環境に生まれ、9歳から16歳までの多感な時期を朝鮮半島で過ごした過去がある。
共に孤独な境遇で、思想に共感した二人は、同士であり恋人の関係となり、朝鮮人や日本人の仲間たちとアナーキスト結社「不逞社」を結成。
帝国の根幹である天皇制に衝撃を与えるため、爆弾の入手を模索する様になるのだが、1923年の9月3日に起こった関東大震災が、彼らの運命を大きく変える。
日本政府は、着の身着のままで宮城に押し寄せる民心の動揺を抑え、「国体」を守るためとして、アナーキストや社会主義者たちを次々と検挙。
デマによる朝鮮人虐殺をはけ口として放置し、事態が手に負えないほど拡大すると、今度は弾圧の口実を作るため、朴烈と文子をスケープゴートに選ぶのである。
震災後に、反体制派が政府によって激しく弾圧されたのは、同時代を背景とした瀬々敬久監督の大長編、「菊とギロチン」でも描かれた通り。
ただ、弾圧される側もする側も、徹底的に「個」に寄り添ったあの作品とは、本作はアプローチが大きく異なる。
「王の男」で知られるイ・ジュンイク監督ら本作の作り手は、当時の日本の権力構造を相当にしっかりと研究していて、権力者のファーストプライオリティが天皇の権威を中心とした「国体」の維持だということを明確化し、「個人vs国体」という対立構造を軸にしているのである。
凄まじい逆風の中にあって、より愛を深めてゆく朴烈と文子の側は、二人の仲間や支持者を含めてとてもリアルで魅力ある人物像に造形されている。
朴烈を演じるイ・ジェフンも良いのだが、文子役のチェ・ヒソが素晴らしい。
何者をも恐れず、破天荒でも凛とした佇まいで、朴烈が一目で惚れてしまうのも納得。
対して、朝鮮人にとっては英雄、日本人にとっては逆賊の二人を大逆罪で起訴し、見せしめにしようとする日本政府は、その悪意をキム・インウが怪演する内務大臣の水野錬太郎一人に集約し、極めて戯画的に、滑稽に描かれている。
面白いのは、実際に朴烈と文子に接する日本人は、政府そのものとは異なる描かれ方をしていることで、これは悪の日本と善のアナーキストという単純な善悪論に受け取られることを避けるためだろう。
予審で二人を取り調べる判事の立松懐清や拘置所の看守が、強い愛で結ばれ、ぶれない信念を持つ彼らに接しているうちに、徐々に影響を受けてくる展開は、ナチス政権下の抵抗運動を描く「白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々」を思わせる。
結果が決まっている裁判で、あえて権力の描いたシナリオに乗って処刑されることで、自分たちの主義・主張を貫こうとするストイックさは、彼らの思想に共鳴しなかったとしても感銘せざるを得ない。
もっともその思惑が、二人がなによりも倒したかった天皇の善意によって阻まれるのも皮肉。
本作で特筆すべきは、チェ・ヒソを初めとする日本人キャラを演じた韓国人キャストの日本語演技で、恐ろしくレベルが高い。
チェ・ヒソは、文子とは逆に日本で小学生時代を過ごした帰国子女で、キム・インウは在日コリアン、立松懐清を演じたキム・ジュンハンも日本で活動していたことがあるという。
可能な限りリアリティを損なわない様にということだろうが、こんなところも日韓併合時代を描いた過去の韓国映画と一線を画す。
現在にも十分に通じる世界観を持つ傑物、朴烈と文子の純粋すぎる愛と闘いの物語は、大正の昔から“個の自由の崇高さ”を観客の心に刻み付ける。
ちなみに、文子を亡くした後、朴烈の辿った流転の歴史が実に面白いのだけど、これもいつか映画化されないかな。
ユニークなアプローチが光る力作だ。
今回は朴烈の故郷、慶尚北道の焼酎「慶州法酒」をチョイス。
法酒は焼酎とは違い、米と麹から作られる伝統的な醸造酒の一種。
老舗の慶州法酒は、ほのかに米の甘味が感じられ、くせのないスッキリとした味わい。
社会主義おでんを肴に、不逞社の面々と語らってみたくなる。
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大正期のアナーキストで、皇太子暗殺を謀ったとして大逆罪で起訴された、朴烈と金子文子の鮮烈な愛と闘いの物語。
1923年の東京で、二人は運命的に出会う。
きっかけは社会主義者たちが集うおでん屋、その名も「社会主義おでん」で働いていた文子が、朴烈の書いた「犬ころ」という詩を読んだこと。
朴烈は朝鮮半島の出身、文子は複雑な家庭環境に生まれ、9歳から16歳までの多感な時期を朝鮮半島で過ごした過去がある。
共に孤独な境遇で、思想に共感した二人は、同士であり恋人の関係となり、朝鮮人や日本人の仲間たちとアナーキスト結社「不逞社」を結成。
帝国の根幹である天皇制に衝撃を与えるため、爆弾の入手を模索する様になるのだが、1923年の9月3日に起こった関東大震災が、彼らの運命を大きく変える。
日本政府は、着の身着のままで宮城に押し寄せる民心の動揺を抑え、「国体」を守るためとして、アナーキストや社会主義者たちを次々と検挙。
デマによる朝鮮人虐殺をはけ口として放置し、事態が手に負えないほど拡大すると、今度は弾圧の口実を作るため、朴烈と文子をスケープゴートに選ぶのである。
震災後に、反体制派が政府によって激しく弾圧されたのは、同時代を背景とした瀬々敬久監督の大長編、「菊とギロチン」でも描かれた通り。
ただ、弾圧される側もする側も、徹底的に「個」に寄り添ったあの作品とは、本作はアプローチが大きく異なる。
「王の男」で知られるイ・ジュンイク監督ら本作の作り手は、当時の日本の権力構造を相当にしっかりと研究していて、権力者のファーストプライオリティが天皇の権威を中心とした「国体」の維持だということを明確化し、「個人vs国体」という対立構造を軸にしているのである。
凄まじい逆風の中にあって、より愛を深めてゆく朴烈と文子の側は、二人の仲間や支持者を含めてとてもリアルで魅力ある人物像に造形されている。
朴烈を演じるイ・ジェフンも良いのだが、文子役のチェ・ヒソが素晴らしい。
何者をも恐れず、破天荒でも凛とした佇まいで、朴烈が一目で惚れてしまうのも納得。
対して、朝鮮人にとっては英雄、日本人にとっては逆賊の二人を大逆罪で起訴し、見せしめにしようとする日本政府は、その悪意をキム・インウが怪演する内務大臣の水野錬太郎一人に集約し、極めて戯画的に、滑稽に描かれている。
面白いのは、実際に朴烈と文子に接する日本人は、政府そのものとは異なる描かれ方をしていることで、これは悪の日本と善のアナーキストという単純な善悪論に受け取られることを避けるためだろう。
予審で二人を取り調べる判事の立松懐清や拘置所の看守が、強い愛で結ばれ、ぶれない信念を持つ彼らに接しているうちに、徐々に影響を受けてくる展開は、ナチス政権下の抵抗運動を描く「白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々」を思わせる。
結果が決まっている裁判で、あえて権力の描いたシナリオに乗って処刑されることで、自分たちの主義・主張を貫こうとするストイックさは、彼らの思想に共鳴しなかったとしても感銘せざるを得ない。
もっともその思惑が、二人がなによりも倒したかった天皇の善意によって阻まれるのも皮肉。
本作で特筆すべきは、チェ・ヒソを初めとする日本人キャラを演じた韓国人キャストの日本語演技で、恐ろしくレベルが高い。
チェ・ヒソは、文子とは逆に日本で小学生時代を過ごした帰国子女で、キム・インウは在日コリアン、立松懐清を演じたキム・ジュンハンも日本で活動していたことがあるという。
可能な限りリアリティを損なわない様にということだろうが、こんなところも日韓併合時代を描いた過去の韓国映画と一線を画す。
現在にも十分に通じる世界観を持つ傑物、朴烈と文子の純粋すぎる愛と闘いの物語は、大正の昔から“個の自由の崇高さ”を観客の心に刻み付ける。
ちなみに、文子を亡くした後、朴烈の辿った流転の歴史が実に面白いのだけど、これもいつか映画化されないかな。
ユニークなアプローチが光る力作だ。
今回は朴烈の故郷、慶尚北道の焼酎「慶州法酒」をチョイス。
法酒は焼酎とは違い、米と麹から作られる伝統的な醸造酒の一種。
老舗の慶州法酒は、ほのかに米の甘味が感じられ、くせのないスッキリとした味わい。
社会主義おでんを肴に、不逞社の面々と語らってみたくなる。

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