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2019年04月25日 (木) | 編集 |
いのちの器が向かう先は。
フランスの異才クレール・ドゥニ監督による、暗喩的心理SF。
舞台は太陽系を遥かに離れた深宇宙。
宇宙飛行士のモンテと、彼の生まれたばかりの娘ウィローを乗せた宇宙船「7」が、漆黒の空間を進んでいる。
母親や他のクルーの姿は、どこにも見えない。
一体彼らはどこから来たのか、何のために宇宙にいるのか。
ドゥニは、宇宙船と赤ん坊という一見結びつかない謎めいたシチュエーションからスタートし、精神宇宙の深淵へと観客を誘う。
主人公モンテをロバート・パティンソンが演じ、新境地を開いている。
物語のカギを握る船医のディブスにジュリエット・ビノシュ、女性クルーのボイジーを演じるのは怪作「サスペリア」が記憶に新しいミア・ゴス。
ハリウッド製SF映画とは一味違う、ヨーロッパらしいムーディーなスリラーだ。
※核心部分に触れています。
遥か宇宙の彼方、モンテ(ロバート・パティンソン)は赤ん坊の娘ウィローと、宇宙船「7」で暮らしている。
修道士のようなストイックで禁欲的な生活を自分に課すモンテは、ある策略によって図らずもウィローの父となったのだ。
地球からの出発時、「7」には9人のクルーがいた。
彼ら全員が、死刑や終身刑の犯罪者で、その任務はブラックホールから無限のエネルギーを取り出せるとする「ペンローズ過程」という理論を実証すること。
この極めて危険な任務と引き換えに、彼らは免罪符を手にしたのだった。
また「7」では、船医のディブス(ジュリエット・ビノシュ)によって、人間の生殖に関する実験が行われていた。
しかし、地球を離れて密室の宇宙船で3年、クルーの精神は少しずつ蝕まれていて、目的地のブラックホールへと到達したとき、ついに悲劇が起こる・・・・
なるほど、だいぶ低予算だが、これはクレール・ドゥニ版の「2001年宇宙の旅」+「インターステラー」。
キーパーソンは、相変わらず怪しげなジュリエット・ビノシュ演じるディブスだ。
任務の一環なのか趣味なのかははっきりしないが、自分の子供を殺した犯罪者でもある彼女は、宇宙で人間を誕生させ、育てるという実験をしている。
薬の力でクルーたちを支配しているディブスは、男性クルーに精子を提供させ、女性クルーに産ませようとしているのだ。
簡単そうに思えるが、宇宙空間では強い放射線の影響で、受精したとしても胎児は容易には育たない。
地球を出てからずっと繰り返している実験は、結局上手くいっていないのだが、ディブスは諦めずに、何かに取り憑かれたかのように実験を繰り返している。
男性クルーの中で、唯一彼女の実験に協力していないのが、主人公のモンテだ。
犬のために友だちを殺した過去を持つ彼は、まるで中世の修道士のように、あらゆる欲望を抑える誓を自らに課していて、他のクルーと違って薬に溺れず、精子の提供もしない“聖者”なのだ。
モンテを特別な存在と見なしたディブスは、彼を眠らせて精子を採取し、ボイジーを妊娠させる。
「2001年宇宙の旅」のディスカバリー号のデザインが、精子をモチーフにしていることは有名だが、精液と愛液と母乳が溢れ出す本作の「7」は、いわばたった一つの精子しか生き残れない子宮だ。
死地へ向かう3年の歳月の中、クルーたちは少しずつ壊れて行き、閉塞した空間に満ちる不穏な空気は、目的地のブラックホールへ接近した時に遂に爆発する。
ある事件を切っ掛けとして、クルーたちは一人また一人と、あっけなく命を落としてゆき、それはやっと目的を果たしたディブス医師も例外ではない。
最終的に残されたのが、唯一正常を保っていた遺伝的な父親であるモンテと、奇跡の子であるウィローという訳。
本作をボウマン船長とは別人格として、スターチャイルドが船内で生まれたバージョンの「2001年宇宙の旅」と考えるとしっくりくる。
しかし、あの映画の木星への冒険が、新たな生命の進化のための受精の旅であり、世界観の構造としてはシンプルだったのに対して、本作は宇宙と宇宙に生きとし生けるものすべてを、フラクタルな大小の相似形としているフシがある。
モンテとウィローだけが生き残り、もはや行くあてのない旅を続ける「7」が、先行して出発したらしいもう一隻の宇宙船「6」と遭遇するシークエンスがある。
呼びかけにも返事はなく、モンテが乗り込んでみると、船に人はおらず何頭もの犬たちだけが駆け回っている。
これは旧約聖書の創世記 1章1-8節の天地創造の描写を反映したものだ。
はじめに天と地を作った神は、6日目に獣と家畜と自分に似せた人を作り、7日目には休んだとある。
ならば、本来創造を終えて安息日である「7」の役割とは何か。
本作には大小二つのブラックホールが出てくるのだけど、これはおそらくブラックホール情報パラドクスを意識してるのだろう。
もし人間がブラックホールの中心にある事象の地平線に落ちると、頭と足先にかかる重力の差によって体はゴムのように引き伸ばされ絶命してしまうとされる。
「7」の本来の目的地だった、最初のブラックホールで起こるのがこの現象だ。
しかし、ブラックホールの質量がとんでもなく巨大だと、人間の体の大きさ程度では重力の差はわずかなため、人間はその肉体と精神を保ったまま事象の地平線に入れるという説がある。
この場合でもブラックホールの外からは、事象の地平線に落ちた人間の肉体は燃え尽きたように見え、一方実際に落ちている人間からすると、ピンピンしているという摩訶不思議な現象が起こり、これをブラックホール情報パラドクスと言う。
ウラシマ効果によって遥か未来へと旅した守護聖人のモンテと、初潮を迎えるまでに成長したスターチャイルドのウィローは、巨大ブラックホールで生きながら死んでいるのである。
だから二度目の突入は、この宇宙全体を巨大な子宮とし、人間を精子、巨大ブラックホールを卵子に見立てた未知の宇宙への再受精であり、創造の開始のイメージなのだと思う。
「7」の本当の役割は、新たな「1」へのリ・クリエイション=再創生なのである。
キューブリックの様な創造主的存在を前提にしている訳ではなく、ノーランの様なあくまで人間中心の宇宙観でもなく、この宇宙全体を自らを再創造する一つの生命装置と捉えた、極めてユニークな作品だ。
もちろん、極力説明を排した本作は、様々な解釈が可能であり、これは一つの見方に過ぎないのだけど。
内容的には全く異なるのだが、“生殖”をモチーフにした異色SFという点では、ジョナサン・グレイザー監督の「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」にちょっと似たムードがある。
こちらもハリウッド・メジャーでは絶対に作れないであろう、暗喩的心理SFだった。
今回は、ジュリエット・ビノシュのイメージで「ゴッドマザー」をチョイス。
アマレット15ml、ウォッカ45mlを氷を入れたグラスに注ぎ、軽くステアする。
スコッチ・ウィスキーベースの、ゴッドファーザーのウォッカ版。
度数の高さは変わらないが、クセのないウォッカベースに変わったおかげで、アマレットの甘みが強調されさらに飲みやすいカクテルとなった。
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フランスの異才クレール・ドゥニ監督による、暗喩的心理SF。
舞台は太陽系を遥かに離れた深宇宙。
宇宙飛行士のモンテと、彼の生まれたばかりの娘ウィローを乗せた宇宙船「7」が、漆黒の空間を進んでいる。
母親や他のクルーの姿は、どこにも見えない。
一体彼らはどこから来たのか、何のために宇宙にいるのか。
ドゥニは、宇宙船と赤ん坊という一見結びつかない謎めいたシチュエーションからスタートし、精神宇宙の深淵へと観客を誘う。
主人公モンテをロバート・パティンソンが演じ、新境地を開いている。
物語のカギを握る船医のディブスにジュリエット・ビノシュ、女性クルーのボイジーを演じるのは怪作「サスペリア」が記憶に新しいミア・ゴス。
ハリウッド製SF映画とは一味違う、ヨーロッパらしいムーディーなスリラーだ。
※核心部分に触れています。
遥か宇宙の彼方、モンテ(ロバート・パティンソン)は赤ん坊の娘ウィローと、宇宙船「7」で暮らしている。
修道士のようなストイックで禁欲的な生活を自分に課すモンテは、ある策略によって図らずもウィローの父となったのだ。
地球からの出発時、「7」には9人のクルーがいた。
彼ら全員が、死刑や終身刑の犯罪者で、その任務はブラックホールから無限のエネルギーを取り出せるとする「ペンローズ過程」という理論を実証すること。
この極めて危険な任務と引き換えに、彼らは免罪符を手にしたのだった。
また「7」では、船医のディブス(ジュリエット・ビノシュ)によって、人間の生殖に関する実験が行われていた。
しかし、地球を離れて密室の宇宙船で3年、クルーの精神は少しずつ蝕まれていて、目的地のブラックホールへと到達したとき、ついに悲劇が起こる・・・・
なるほど、だいぶ低予算だが、これはクレール・ドゥニ版の「2001年宇宙の旅」+「インターステラー」。
キーパーソンは、相変わらず怪しげなジュリエット・ビノシュ演じるディブスだ。
任務の一環なのか趣味なのかははっきりしないが、自分の子供を殺した犯罪者でもある彼女は、宇宙で人間を誕生させ、育てるという実験をしている。
薬の力でクルーたちを支配しているディブスは、男性クルーに精子を提供させ、女性クルーに産ませようとしているのだ。
簡単そうに思えるが、宇宙空間では強い放射線の影響で、受精したとしても胎児は容易には育たない。
地球を出てからずっと繰り返している実験は、結局上手くいっていないのだが、ディブスは諦めずに、何かに取り憑かれたかのように実験を繰り返している。
男性クルーの中で、唯一彼女の実験に協力していないのが、主人公のモンテだ。
犬のために友だちを殺した過去を持つ彼は、まるで中世の修道士のように、あらゆる欲望を抑える誓を自らに課していて、他のクルーと違って薬に溺れず、精子の提供もしない“聖者”なのだ。
モンテを特別な存在と見なしたディブスは、彼を眠らせて精子を採取し、ボイジーを妊娠させる。
「2001年宇宙の旅」のディスカバリー号のデザインが、精子をモチーフにしていることは有名だが、精液と愛液と母乳が溢れ出す本作の「7」は、いわばたった一つの精子しか生き残れない子宮だ。
死地へ向かう3年の歳月の中、クルーたちは少しずつ壊れて行き、閉塞した空間に満ちる不穏な空気は、目的地のブラックホールへ接近した時に遂に爆発する。
ある事件を切っ掛けとして、クルーたちは一人また一人と、あっけなく命を落としてゆき、それはやっと目的を果たしたディブス医師も例外ではない。
最終的に残されたのが、唯一正常を保っていた遺伝的な父親であるモンテと、奇跡の子であるウィローという訳。
本作をボウマン船長とは別人格として、スターチャイルドが船内で生まれたバージョンの「2001年宇宙の旅」と考えるとしっくりくる。
しかし、あの映画の木星への冒険が、新たな生命の進化のための受精の旅であり、世界観の構造としてはシンプルだったのに対して、本作は宇宙と宇宙に生きとし生けるものすべてを、フラクタルな大小の相似形としているフシがある。
モンテとウィローだけが生き残り、もはや行くあてのない旅を続ける「7」が、先行して出発したらしいもう一隻の宇宙船「6」と遭遇するシークエンスがある。
呼びかけにも返事はなく、モンテが乗り込んでみると、船に人はおらず何頭もの犬たちだけが駆け回っている。
これは旧約聖書の創世記 1章1-8節の天地創造の描写を反映したものだ。
はじめに天と地を作った神は、6日目に獣と家畜と自分に似せた人を作り、7日目には休んだとある。
ならば、本来創造を終えて安息日である「7」の役割とは何か。
本作には大小二つのブラックホールが出てくるのだけど、これはおそらくブラックホール情報パラドクスを意識してるのだろう。
もし人間がブラックホールの中心にある事象の地平線に落ちると、頭と足先にかかる重力の差によって体はゴムのように引き伸ばされ絶命してしまうとされる。
「7」の本来の目的地だった、最初のブラックホールで起こるのがこの現象だ。
しかし、ブラックホールの質量がとんでもなく巨大だと、人間の体の大きさ程度では重力の差はわずかなため、人間はその肉体と精神を保ったまま事象の地平線に入れるという説がある。
この場合でもブラックホールの外からは、事象の地平線に落ちた人間の肉体は燃え尽きたように見え、一方実際に落ちている人間からすると、ピンピンしているという摩訶不思議な現象が起こり、これをブラックホール情報パラドクスと言う。
ウラシマ効果によって遥か未来へと旅した守護聖人のモンテと、初潮を迎えるまでに成長したスターチャイルドのウィローは、巨大ブラックホールで生きながら死んでいるのである。
だから二度目の突入は、この宇宙全体を巨大な子宮とし、人間を精子、巨大ブラックホールを卵子に見立てた未知の宇宙への再受精であり、創造の開始のイメージなのだと思う。
「7」の本当の役割は、新たな「1」へのリ・クリエイション=再創生なのである。
キューブリックの様な創造主的存在を前提にしている訳ではなく、ノーランの様なあくまで人間中心の宇宙観でもなく、この宇宙全体を自らを再創造する一つの生命装置と捉えた、極めてユニークな作品だ。
もちろん、極力説明を排した本作は、様々な解釈が可能であり、これは一つの見方に過ぎないのだけど。
内容的には全く異なるのだが、“生殖”をモチーフにした異色SFという点では、ジョナサン・グレイザー監督の「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」にちょっと似たムードがある。
こちらもハリウッド・メジャーでは絶対に作れないであろう、暗喩的心理SFだった。
今回は、ジュリエット・ビノシュのイメージで「ゴッドマザー」をチョイス。
アマレット15ml、ウォッカ45mlを氷を入れたグラスに注ぎ、軽くステアする。
スコッチ・ウィスキーベースの、ゴッドファーザーのウォッカ版。
度数の高さは変わらないが、クセのないウォッカベースに変わったおかげで、アマレットの甘みが強調されさらに飲みやすいカクテルとなった。

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