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2019年05月04日 (土) | 編集 |
傷跡までもが芳しく、華やなる青春の季節。
1970年代、毛沢東が率いた文化大革命の惨禍をようやく脱し、鄧小平が道筋を付ける改革開放の時代へと向かう中国の激動期。
人民解放軍の芸能部隊、文工団に集った若者たちの数十年に渡る人生を描く群像劇だ。
彼らは文革の時代に多感な子供時代を過ごし、次は突然の戦争に巻き込まれ、やがてあるものは成功者となり、ある者は社会の底辺をさまよい、市場経済下での成長により急激に変わってゆく現代中国を支えることになる。
これはある世代のみならず、ある社会の青春期を描くビターでノスタルジックな寓話で、いわば中国版の「アメリカン・グラフィティ」だ。
原作・脚色は、ジョアン・チェン監督の「シュウシュウの季節」の作者としても知られ、実際に70年代に文工団のバレエダンサーだった作家のゲリン・ヤン。
監督は、やはり文工団の出身で「唐山大地震」を大ヒットさせたフォン・シャオガン。
ホアン・シュエン、ミャオ・ミャオ、チョン・チューシー、ヤン・ツァイユーら若手俳優たちが、瑞々しい演技を見せて素晴らしい。
1976年。
17歳のシャオピン(ミャオ・ミャオ)はダンスの才能を認められ、軍で歌や踊りを披露し、兵士たちを慰問する文芸工作団(文工団)に入団する。
個性の強い同僚たちと馴染めず、いじめられていた彼女の支えは、「第二の雷峰」と呼ばれるほどの模範兵フォン(ホアン・シュエン)への仄かな恋心。
ところが、彼は歌手のディンディン(ヤン・ツァイユー)に首ったけで、ある時彼女に抱きついたことで責任を問われ、文工団を追放されてしまう。
絶望したシャオピンも、わざと公演中に仮病を使って失敗を犯し、野戦病院へと転属させられる。
やがてベトナムとの間に戦争が起こり、フォンとシャオピンは別々に最前線へと送られ、戦場の凄惨な光景を目の当たりにする。
その頃、以前文工団で孤立するシャオピンを気にかけていたスイツ(チョン・チューシー)は、軍の記者として前線を訪れ、そこで血まみれの白衣を纏ったシャオピンと再会するのだが・・・
元号が変わった日に、令和一本目の鑑賞。
思えば、昭和天皇の崩御の日にも映画館へ行って、営業自粛で何も観られず、一週間後に「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」を観たのが平成の一本目だった。
図らずもどちらも中国(香港)映画だが、あの頃はまだ香港は英国領だったし、中国が劇的な経済発展をしてG2と呼ばれる様になることも、香港映画の無残な凋落も全く予想できなかった。
やはり30年というのは、世界が変わるくらい長い時間なのだ。
インターネットもスマートフォンも無い時代だから、ある意味当時から見たらSFみたいな世界に生きている訳だ。
いずれにせよ、令和への代替わりはお祭りムードで、「エンドゲーム」に「コナン」に「ピカチュウ」に「キングダム」で映画館は大入りだというから、日本中が痛々しいくらいの自粛ムードだった30年前よりは良いのじゃないか。
しかし中国の現代史は、悲惨なくらいに災厄に見舞われる連続で、その最たるものが1966年から1976年までの10年間に及び、時計を逆戻りさせた“人災”、文化大革命だろう。
失政により国家主席の座を追われた毛沢東が、権力の回復を狙い紅衛兵と呼ばれる学生たちを扇動し、自らの政敵を失脚、粛清させた党内クーデターは、その攻撃目標があまりにも多岐にわたっていたがために、中国国内を大混乱に陥らせ、社会をシステムごと破壊してしまった。
本作のヒロイン、シャオピンの実父は、彼女が6歳の時に連行され、反革命分子として労働改造所送りになったとされる。
つまり数千万から1億以上が被害を受けたとされる、文革の最初期の犠牲者であり、この時代の同世代の若者の多くが彼女と同じ様な傷を抱えているのだ。
シャオピンが17歳で入隊を許される人民解放軍の文工団は、軍隊と言っても、文革で長く大学が閉鎖されていた時代にあって、ノリは完全に芸術系学校。
多くの団員たちの中で、フィーチャーされるのは主に4人だ。
先ずは本作の語り部であり、原作者のゲリン・ヤンの分身と言えるスイツ。
実質的な主人公と言える、薄倖の少女シャオピン。
彼女の心の支えとなる模範兵フォン。
文革期の人民解放軍では、1962年に殉職した雷峰という兵士を理想の軍人として偶像化する運動が進められていて、フォンは雷峰に例えられるほどの人格者だと思われている。
そのフォンが間違いを犯すことになるのが、歌手のディンディン。
映画の前半は、彼らを軸とする青春あるあるの学園物語(軍隊だけど)の色彩が強い。
しかし、一つの恋の破綻が、文工団に残る者、別の道に向かう者の運命を分け、突然の戦争が全てを変えてゆく。
1979年に勃発した中越戦争は、中国が数で劣るベトナムにボコボコにされて撤退を余儀なくされた戦争だから、人民解放軍が製作に参加した作品で描かれるのは意外。
まあ中国国内的には、一応勝ったことになってるのだが、この戦争もまた毛沢東と文革が色濃く影響しているのが皮肉だ。
70年代のカンボジアでは、毛沢東思想を信奉するポル・ポト派の支配下で、文革をさらにエスカレートさせた様な思想弾圧と大量虐殺が行われたが、ベトナムの侵攻によって政権が崩壊。
子飼いの友好政権を倒され怒り心頭の中国が、“懲罰”と称して主力がカンボジアに展開していて、防備が手薄となっていたベトナム国境に侵攻。
しかし数的には圧倒的に有利なはずが、相手はアメリカ軍をも倒した歴戦の精鋭軍隊で、実戦経験のない人民解放軍は苦戦を重ね、逆に敗走する羽目になってしまう。
この戦争でフォンは片手を失い、シャオピンはPTSDに陥ってしまうが、彼らの世代の若者たちはとことん毛沢東思想に苦しめられるのである。
本作の冒頭カットは文工団の入り口に掲げられた毛沢東の肖像から始まり、決して表立って毛沢東を批判する様な描写は無いのだが、描かれる事象の裏側を読み込むことで、ゲリン・ヤンやフォン・シャオガンらの世代の愛憎入り交じる複雑な想いが見えてくる。
戦争が終わり、文工団も使命を果たしたとして解散し、長い年月が過ぎた高度成長期に、戦争で心と体に傷を負ったものと、そうでないものに大きな格差ができてるのも印象的だ。
フォン監督の代表作である「唐山大地震」は、震災で生き別れになり、別々の人生を生きることになる姉弟を描いているが、物語の発端は本作と同じ1976年。
震災、戦争、文革などの体験を共有し、本物の家族を奪われた人々の擬似的な“家”としての人民解放軍が重要な要素で、生き残った登場人物の一人が隻腕となり、社会が急速に豊かになると、人々の間で生活環境に大きな格差が出来るなど、二つの映画は同じ世界観の表と裏の関係にあると言っても良いだろう。
中国には、文革中の1966年から1968年までの3年間に、中学あるいは高校を卒業予定だった世代を指す「老三届」という言葉があるという。
この世代は学校が実質的に閉鎖された上に、農村に下放されて十分な教育を受けられなかった。
シャオピンは少し下で、おそらくフォンがドンピシャでこの世代だろう。
50年代に生まれ、子供の頃文革を経験し、高度成長期を支え、今徐々に去りつつある彼らは、いわば中国の団塊の世代。
文革や戦争など個別の要素は中国特有の歴史だとしても、個人史に寄り添った時点で、どこにでもある普遍性のある物語となり、観終わってジワーっと余韻が広がる。
物質的な豊かさに抵抗する様なエピローグは、今も毛沢東の時代を引きずり、共産主義革命と市場経済という“実験”が続いている中国の、過去へのノスタルジーとジレンマを象徴する様で秀逸だ。
大きな時代のうねりの中で、個人史をじっくりと見つめる視点は、この監督の作品に共通するテイストかも知れない。
中国の酒というと、茅台酒などの強い蒸留酒の印象があるが、若者たちの間ではワインやカクテルなどの飲みやすい酒が人気なんだとか。
これは中国だけではなく、世界的な潮流かも知れないな。
今回は甘酸っぱい青春の味、「アプリコット・クーラー」をチョイス。
アプリコット・ブランデー45ml、レモン・ジュース20ml、グレナデン・シロップ1tspを、シェイクしてグラスに注ぎ、冷やしたソーダで満たす。
フルーティで喉越しスッキリ、アルコール度も低くて飲みやすい、飲み慣れていない新成人向けのカクテルだ。
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1970年代、毛沢東が率いた文化大革命の惨禍をようやく脱し、鄧小平が道筋を付ける改革開放の時代へと向かう中国の激動期。
人民解放軍の芸能部隊、文工団に集った若者たちの数十年に渡る人生を描く群像劇だ。
彼らは文革の時代に多感な子供時代を過ごし、次は突然の戦争に巻き込まれ、やがてあるものは成功者となり、ある者は社会の底辺をさまよい、市場経済下での成長により急激に変わってゆく現代中国を支えることになる。
これはある世代のみならず、ある社会の青春期を描くビターでノスタルジックな寓話で、いわば中国版の「アメリカン・グラフィティ」だ。
原作・脚色は、ジョアン・チェン監督の「シュウシュウの季節」の作者としても知られ、実際に70年代に文工団のバレエダンサーだった作家のゲリン・ヤン。
監督は、やはり文工団の出身で「唐山大地震」を大ヒットさせたフォン・シャオガン。
ホアン・シュエン、ミャオ・ミャオ、チョン・チューシー、ヤン・ツァイユーら若手俳優たちが、瑞々しい演技を見せて素晴らしい。
1976年。
17歳のシャオピン(ミャオ・ミャオ)はダンスの才能を認められ、軍で歌や踊りを披露し、兵士たちを慰問する文芸工作団(文工団)に入団する。
個性の強い同僚たちと馴染めず、いじめられていた彼女の支えは、「第二の雷峰」と呼ばれるほどの模範兵フォン(ホアン・シュエン)への仄かな恋心。
ところが、彼は歌手のディンディン(ヤン・ツァイユー)に首ったけで、ある時彼女に抱きついたことで責任を問われ、文工団を追放されてしまう。
絶望したシャオピンも、わざと公演中に仮病を使って失敗を犯し、野戦病院へと転属させられる。
やがてベトナムとの間に戦争が起こり、フォンとシャオピンは別々に最前線へと送られ、戦場の凄惨な光景を目の当たりにする。
その頃、以前文工団で孤立するシャオピンを気にかけていたスイツ(チョン・チューシー)は、軍の記者として前線を訪れ、そこで血まみれの白衣を纏ったシャオピンと再会するのだが・・・
元号が変わった日に、令和一本目の鑑賞。
思えば、昭和天皇の崩御の日にも映画館へ行って、営業自粛で何も観られず、一週間後に「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」を観たのが平成の一本目だった。
図らずもどちらも中国(香港)映画だが、あの頃はまだ香港は英国領だったし、中国が劇的な経済発展をしてG2と呼ばれる様になることも、香港映画の無残な凋落も全く予想できなかった。
やはり30年というのは、世界が変わるくらい長い時間なのだ。
インターネットもスマートフォンも無い時代だから、ある意味当時から見たらSFみたいな世界に生きている訳だ。
いずれにせよ、令和への代替わりはお祭りムードで、「エンドゲーム」に「コナン」に「ピカチュウ」に「キングダム」で映画館は大入りだというから、日本中が痛々しいくらいの自粛ムードだった30年前よりは良いのじゃないか。
しかし中国の現代史は、悲惨なくらいに災厄に見舞われる連続で、その最たるものが1966年から1976年までの10年間に及び、時計を逆戻りさせた“人災”、文化大革命だろう。
失政により国家主席の座を追われた毛沢東が、権力の回復を狙い紅衛兵と呼ばれる学生たちを扇動し、自らの政敵を失脚、粛清させた党内クーデターは、その攻撃目標があまりにも多岐にわたっていたがために、中国国内を大混乱に陥らせ、社会をシステムごと破壊してしまった。
本作のヒロイン、シャオピンの実父は、彼女が6歳の時に連行され、反革命分子として労働改造所送りになったとされる。
つまり数千万から1億以上が被害を受けたとされる、文革の最初期の犠牲者であり、この時代の同世代の若者の多くが彼女と同じ様な傷を抱えているのだ。
シャオピンが17歳で入隊を許される人民解放軍の文工団は、軍隊と言っても、文革で長く大学が閉鎖されていた時代にあって、ノリは完全に芸術系学校。
多くの団員たちの中で、フィーチャーされるのは主に4人だ。
先ずは本作の語り部であり、原作者のゲリン・ヤンの分身と言えるスイツ。
実質的な主人公と言える、薄倖の少女シャオピン。
彼女の心の支えとなる模範兵フォン。
文革期の人民解放軍では、1962年に殉職した雷峰という兵士を理想の軍人として偶像化する運動が進められていて、フォンは雷峰に例えられるほどの人格者だと思われている。
そのフォンが間違いを犯すことになるのが、歌手のディンディン。
映画の前半は、彼らを軸とする青春あるあるの学園物語(軍隊だけど)の色彩が強い。
しかし、一つの恋の破綻が、文工団に残る者、別の道に向かう者の運命を分け、突然の戦争が全てを変えてゆく。
1979年に勃発した中越戦争は、中国が数で劣るベトナムにボコボコにされて撤退を余儀なくされた戦争だから、人民解放軍が製作に参加した作品で描かれるのは意外。
まあ中国国内的には、一応勝ったことになってるのだが、この戦争もまた毛沢東と文革が色濃く影響しているのが皮肉だ。
70年代のカンボジアでは、毛沢東思想を信奉するポル・ポト派の支配下で、文革をさらにエスカレートさせた様な思想弾圧と大量虐殺が行われたが、ベトナムの侵攻によって政権が崩壊。
子飼いの友好政権を倒され怒り心頭の中国が、“懲罰”と称して主力がカンボジアに展開していて、防備が手薄となっていたベトナム国境に侵攻。
しかし数的には圧倒的に有利なはずが、相手はアメリカ軍をも倒した歴戦の精鋭軍隊で、実戦経験のない人民解放軍は苦戦を重ね、逆に敗走する羽目になってしまう。
この戦争でフォンは片手を失い、シャオピンはPTSDに陥ってしまうが、彼らの世代の若者たちはとことん毛沢東思想に苦しめられるのである。
本作の冒頭カットは文工団の入り口に掲げられた毛沢東の肖像から始まり、決して表立って毛沢東を批判する様な描写は無いのだが、描かれる事象の裏側を読み込むことで、ゲリン・ヤンやフォン・シャオガンらの世代の愛憎入り交じる複雑な想いが見えてくる。
戦争が終わり、文工団も使命を果たしたとして解散し、長い年月が過ぎた高度成長期に、戦争で心と体に傷を負ったものと、そうでないものに大きな格差ができてるのも印象的だ。
フォン監督の代表作である「唐山大地震」は、震災で生き別れになり、別々の人生を生きることになる姉弟を描いているが、物語の発端は本作と同じ1976年。
震災、戦争、文革などの体験を共有し、本物の家族を奪われた人々の擬似的な“家”としての人民解放軍が重要な要素で、生き残った登場人物の一人が隻腕となり、社会が急速に豊かになると、人々の間で生活環境に大きな格差が出来るなど、二つの映画は同じ世界観の表と裏の関係にあると言っても良いだろう。
中国には、文革中の1966年から1968年までの3年間に、中学あるいは高校を卒業予定だった世代を指す「老三届」という言葉があるという。
この世代は学校が実質的に閉鎖された上に、農村に下放されて十分な教育を受けられなかった。
シャオピンは少し下で、おそらくフォンがドンピシャでこの世代だろう。
50年代に生まれ、子供の頃文革を経験し、高度成長期を支え、今徐々に去りつつある彼らは、いわば中国の団塊の世代。
文革や戦争など個別の要素は中国特有の歴史だとしても、個人史に寄り添った時点で、どこにでもある普遍性のある物語となり、観終わってジワーっと余韻が広がる。
物質的な豊かさに抵抗する様なエピローグは、今も毛沢東の時代を引きずり、共産主義革命と市場経済という“実験”が続いている中国の、過去へのノスタルジーとジレンマを象徴する様で秀逸だ。
大きな時代のうねりの中で、個人史をじっくりと見つめる視点は、この監督の作品に共通するテイストかも知れない。
中国の酒というと、茅台酒などの強い蒸留酒の印象があるが、若者たちの間ではワインやカクテルなどの飲みやすい酒が人気なんだとか。
これは中国だけではなく、世界的な潮流かも知れないな。
今回は甘酸っぱい青春の味、「アプリコット・クーラー」をチョイス。
アプリコット・ブランデー45ml、レモン・ジュース20ml、グレナデン・シロップ1tspを、シェイクしてグラスに注ぎ、冷やしたソーダで満たす。
フルーティで喉越しスッキリ、アルコール度も低くて飲みやすい、飲み慣れていない新成人向けのカクテルだ。

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この記事へのコメント
こんにちは。
文工団での日々よりも、その後の戦場の日々の方がよほど過酷であるはずなのに、シャオピンもフォンも文工団での日々の方が辛かったように思える不思議な構成でした。
歴史によって翻弄されるのはいつの時代も若者ですね。
文工団での日々よりも、その後の戦場の日々の方がよほど過酷であるはずなのに、シャオピンもフォンも文工団での日々の方が辛かったように思える不思議な構成でした。
歴史によって翻弄されるのはいつの時代も若者ですね。
>ここなつさん
全ての根は文工団ですからね。
戦争もその後も、ある意味出がらしみたいなものなのかも知れません。
良くも悪くもその後の人生を全て霞ませてしまう、それが青春なのかも。
全ての根は文工団ですからね。
戦争もその後も、ある意味出がらしみたいなものなのかも知れません。
良くも悪くもその後の人生を全て霞ませてしまう、それが青春なのかも。
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毛沢東が実権を握っていた時代に、その栄誉を讃える為に構成された劇団で芸事に邁進する若者たちの世界を描いた群像劇。こういった、時代の波に翻弄される様々な人生を描く作品はかなり好みである。舞台が中華圏なら尚更のこと。だが、想像していたのとは少し違って、カタルシスには若干欠けたかもしれない。何故かというと、登場人物…特に主役とおぼされる人物や狂言回し役の人物が、ちょっとずつ(あるいはだいぶ)不幸な...
2019/07/30(火) 13:10:06 | ここなつ映画レビュー
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