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2019年07月09日 (火) | 編集 |
マズルカの音色が、心に染み渡る。
50年代のポーランドを舞台にした「イーダ」で、孤児として育てられ、自らの出自を探す少女の旅を描き、第87回アカデミー外国語映画賞に輝いたパヴェウ・パヴリコフスキの最新作。
なるほど「ROMA/ローマ」が無かったら、これが今年のオスカーをとっていたかも知れないな。
第二次世界大戦後の40年代末、ポーランドの伝統的な民族舞踊、マズルカの舞踊団のオーディションで出会った、指導者でもあるピアニストのヴィクトルと、新人歌手のズーラの波乱万丈の愛の物語。
二人は直ぐに恋に落ちるも、タイトルにもなっている「冷戦の時代」という歴史の大波に翻弄されることになるのである。
運命の恋人たちを、トマシュ・スコットとヨアンナ・クーリグが好演。
名手ウカシュ・ジャルの手による、美しいモノクロのスタンダード画面で展開する、非常に純度の高いメロウなラブストーリーだ。
1949年、復興期のポーランド。
伝統民族舞踊のマズルカの舞踊団を組織するため、ピアニストのヴィクトル(トマシュ・スコット)は、パートナーのイレーナ(アガタ・クレシャ)とともに農村地帯を周り、団員のオーディションを開催する。
養成所に合格した若者たちの中に、美しい歌声を持つズーラ(ヨアンナ・クーリク)がいた。
やがてヴィクトルとズーラは愛し合う様になり、二人は舞踊団と共に各地を巡るが、次第に公演の内容が政治的なプロパガンダへと変貌してゆき、ヴィクトルも政府に監視される様になる。
祖国に嫌気がさしたヴィクトルは、自由を求めて単身パリに亡命。
舞踊団に残ったズーラとは、公演先で逢瀬を重ねるヴィクトルだったが、ある時彼女がシチリア人と結婚して出国し、パリでの音楽活動を始めることになる。
再び恋人関係になる二人だったが、突然ズーラがポーランドへ帰ってしまう。
彼女を忘れられないヴィクトルは、思い悩んでポーランド領事館に相談し、ある提案をされるのだが・・・
戦後、東ヨーロッパを勢力下に置いたソ連の衛星国として、共産主義体制に組み込まれたポーランドでは、「革命遂行のため」を旗印に社会のすべてが変わり始める。
500年以上の歴史を持つと言われるマズルカは、ポーランドではマズレクと呼ばれ、元々マゾフシェ地方の農民たちに伝わる、歌と楽器と踊りの掛け合いで展開する、リズミカルな舞踊だ。
それが徐々に広まり、19世紀にフレデリック・ショパンがマズルカの旋律を駆使して作曲活動をしたことで、芸術として全ヨーロッパに知られるようになった。
そして、農民たちの素朴な喜怒哀楽を表現していたマズルカは、スターリニズが恐怖によって支配する冷戦の時代に、党と指導者を称える政治的な舞踊へと歪められ、公演の場も政府の宣伝活動と化してゆく。
そんな現状に耐えられなくなったヴィクトルは、ベルリン公演の際に西側への亡命を決意し、ズーラも誘うのだが、待ち合わせの場所になぜか彼女が来ることはなく、別れ別れになってしまう。
ここからの展開は予想していたものとだいぶ違った。
本作はタイトル通りに冷戦時代を背景にしているのだが、てっきり強権的な体制によって、無理矢理引き離されるカップルの話だと思っていた。
ところがこの二人、愛し合いながらも、基本自分の意思でくっついたり別れたりを繰り返す。
確かに多少は権力の介入もあるが、お互いに別の相手と付き合ったり、結婚してたりしても、会えば必ず燃え上がり、相手のためなら自己犠牲も厭わない。
ポーランド、ベルリン、パリ、ユーゴスラビア、そしてまたパリ、ポーランド。
二人が煮え切らない関係を続けること、実に15年。
ここまでくると、限りなく腐れ縁に近いのだが、不思議な引力によって引き合う二人は、お互いが定められた運命の男・運命の女なのだろうな。
ヴィクトルとズーラのうち、基本の視点はヴィクトルに置かれている。
我々は彼とともに、いつ終わるとも分からない愛の真実を探す流浪の旅に出て、掴んだと思ったらその手をすり抜けてしまうズーラの心を追い続ける。
「父親殺し」という強烈な過去を持つ訳ありの彼女は、おそらくはヴィクトルにとっても初めて出会ったタイプの女性だったのだろう。
自由を求めてベルリンからパリへと流れついたヴィクトルが、結局マズルカではなくジャズで生計を立てているのが面白い。
各国の音楽シーンというのは流行り廃りがあるものだが、ジャズはロックに押されてアメリカで人気が低迷すると日本やフランスが買支え、逆にフランスのシャンソンは日本での人気に支えられた時代があるという。
50年代後半のフランスでは、米国での差別を逃れた多くの黒人ミュージシャンが活動しており、ロジェ・ヴァディムやルイ・マルと言った映画作家たちが、ジャズを自作に取り入れたことはシネ・ジャズというムーブメントとなった。
マルの「死刑台のエレベーター」が、マイルズ・ディヴィスの音楽によって鮮烈な輝きを得たことは、誰も異論はないだろう。
本作でもヴィクトルが映画音楽の仕事で、パリの音楽業界にそれなりの地位を築く描写がある。
しかし、それでもやはり彼の居場所はそこには無いのである。
体がどこにあっても、心は常にズーラを追い求める。
ロックの時代の幕開けを告げた大ヒット曲、「ロック・アラウンド・ザ・クロック」にのって、ズーラが激しくステップを踏み、それをくたびれた表情のヴィクトルが見つめるシーンは、冷戦という時代の大波と同時にズーラという予測不能の天気に翻弄される、歳上の中年男の心情を切実に伝えてくる。
映画は1949年を起点に、数年おきの「今」を描く構造ゆえ、時間が飛ぶごとに二人の関係性も変わっていて、その間に何があったのか、観客も想像力を働かせることを要求される。
ポーランド語からフランス語へ、変遷しながらも劇中で繰り返し使われている「2つの心」の印象的なフレーズ、「2つの心と4つの瞳 昼も夜もずっと泣いている オーヨーヨイ」が、実質的なテーマ曲として二人の時代を繋ぐ。
はたして愛は、歴史や社会に翻弄される運命を超えて、本当に永遠たりえるのか。
冷戦という時代と組み合わせ、音楽というバックボーンを通すことで、どこにでもありそうな男女の物語が、一気に現代ポーランドのクロニクルとしての性格を帯びてくるのが見事だ。
「イーダ」と同様、ウカシュ・ジャルによる、叙情的なモノクロ映像が素晴らしい。
スタンダードの画面は、時代の閉塞を表現する意味もあるのだろうが、キャラクターを画面の端に寄せ、余白の雄弁さを生かす構図はまるでフェルメールの絵画のようだ。
観終わっても、じわりと余韻が後を引き、「オーヨーヨイ」が脳内で無限リフレインしている。
ポーランドの伝統の酒といえば、やはりウォッカ。
今回は「ベルヴェデール ウォッカ」をチョイス。
非常にまろやかな口当たりの、プレミアムウォッカ。
ジェームズ・ボンドの愛飲酒、スペクター・マティーニのオフィシャルとしても知られる。
今の季節なら冷凍庫でキンキンに冷やし、シャーベット状にしてそのまま飲むと美味しい。
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50年代のポーランドを舞台にした「イーダ」で、孤児として育てられ、自らの出自を探す少女の旅を描き、第87回アカデミー外国語映画賞に輝いたパヴェウ・パヴリコフスキの最新作。
なるほど「ROMA/ローマ」が無かったら、これが今年のオスカーをとっていたかも知れないな。
第二次世界大戦後の40年代末、ポーランドの伝統的な民族舞踊、マズルカの舞踊団のオーディションで出会った、指導者でもあるピアニストのヴィクトルと、新人歌手のズーラの波乱万丈の愛の物語。
二人は直ぐに恋に落ちるも、タイトルにもなっている「冷戦の時代」という歴史の大波に翻弄されることになるのである。
運命の恋人たちを、トマシュ・スコットとヨアンナ・クーリグが好演。
名手ウカシュ・ジャルの手による、美しいモノクロのスタンダード画面で展開する、非常に純度の高いメロウなラブストーリーだ。
1949年、復興期のポーランド。
伝統民族舞踊のマズルカの舞踊団を組織するため、ピアニストのヴィクトル(トマシュ・スコット)は、パートナーのイレーナ(アガタ・クレシャ)とともに農村地帯を周り、団員のオーディションを開催する。
養成所に合格した若者たちの中に、美しい歌声を持つズーラ(ヨアンナ・クーリク)がいた。
やがてヴィクトルとズーラは愛し合う様になり、二人は舞踊団と共に各地を巡るが、次第に公演の内容が政治的なプロパガンダへと変貌してゆき、ヴィクトルも政府に監視される様になる。
祖国に嫌気がさしたヴィクトルは、自由を求めて単身パリに亡命。
舞踊団に残ったズーラとは、公演先で逢瀬を重ねるヴィクトルだったが、ある時彼女がシチリア人と結婚して出国し、パリでの音楽活動を始めることになる。
再び恋人関係になる二人だったが、突然ズーラがポーランドへ帰ってしまう。
彼女を忘れられないヴィクトルは、思い悩んでポーランド領事館に相談し、ある提案をされるのだが・・・
戦後、東ヨーロッパを勢力下に置いたソ連の衛星国として、共産主義体制に組み込まれたポーランドでは、「革命遂行のため」を旗印に社会のすべてが変わり始める。
500年以上の歴史を持つと言われるマズルカは、ポーランドではマズレクと呼ばれ、元々マゾフシェ地方の農民たちに伝わる、歌と楽器と踊りの掛け合いで展開する、リズミカルな舞踊だ。
それが徐々に広まり、19世紀にフレデリック・ショパンがマズルカの旋律を駆使して作曲活動をしたことで、芸術として全ヨーロッパに知られるようになった。
そして、農民たちの素朴な喜怒哀楽を表現していたマズルカは、スターリニズが恐怖によって支配する冷戦の時代に、党と指導者を称える政治的な舞踊へと歪められ、公演の場も政府の宣伝活動と化してゆく。
そんな現状に耐えられなくなったヴィクトルは、ベルリン公演の際に西側への亡命を決意し、ズーラも誘うのだが、待ち合わせの場所になぜか彼女が来ることはなく、別れ別れになってしまう。
ここからの展開は予想していたものとだいぶ違った。
本作はタイトル通りに冷戦時代を背景にしているのだが、てっきり強権的な体制によって、無理矢理引き離されるカップルの話だと思っていた。
ところがこの二人、愛し合いながらも、基本自分の意思でくっついたり別れたりを繰り返す。
確かに多少は権力の介入もあるが、お互いに別の相手と付き合ったり、結婚してたりしても、会えば必ず燃え上がり、相手のためなら自己犠牲も厭わない。
ポーランド、ベルリン、パリ、ユーゴスラビア、そしてまたパリ、ポーランド。
二人が煮え切らない関係を続けること、実に15年。
ここまでくると、限りなく腐れ縁に近いのだが、不思議な引力によって引き合う二人は、お互いが定められた運命の男・運命の女なのだろうな。
ヴィクトルとズーラのうち、基本の視点はヴィクトルに置かれている。
我々は彼とともに、いつ終わるとも分からない愛の真実を探す流浪の旅に出て、掴んだと思ったらその手をすり抜けてしまうズーラの心を追い続ける。
「父親殺し」という強烈な過去を持つ訳ありの彼女は、おそらくはヴィクトルにとっても初めて出会ったタイプの女性だったのだろう。
自由を求めてベルリンからパリへと流れついたヴィクトルが、結局マズルカではなくジャズで生計を立てているのが面白い。
各国の音楽シーンというのは流行り廃りがあるものだが、ジャズはロックに押されてアメリカで人気が低迷すると日本やフランスが買支え、逆にフランスのシャンソンは日本での人気に支えられた時代があるという。
50年代後半のフランスでは、米国での差別を逃れた多くの黒人ミュージシャンが活動しており、ロジェ・ヴァディムやルイ・マルと言った映画作家たちが、ジャズを自作に取り入れたことはシネ・ジャズというムーブメントとなった。
マルの「死刑台のエレベーター」が、マイルズ・ディヴィスの音楽によって鮮烈な輝きを得たことは、誰も異論はないだろう。
本作でもヴィクトルが映画音楽の仕事で、パリの音楽業界にそれなりの地位を築く描写がある。
しかし、それでもやはり彼の居場所はそこには無いのである。
体がどこにあっても、心は常にズーラを追い求める。
ロックの時代の幕開けを告げた大ヒット曲、「ロック・アラウンド・ザ・クロック」にのって、ズーラが激しくステップを踏み、それをくたびれた表情のヴィクトルが見つめるシーンは、冷戦という時代の大波と同時にズーラという予測不能の天気に翻弄される、歳上の中年男の心情を切実に伝えてくる。
映画は1949年を起点に、数年おきの「今」を描く構造ゆえ、時間が飛ぶごとに二人の関係性も変わっていて、その間に何があったのか、観客も想像力を働かせることを要求される。
ポーランド語からフランス語へ、変遷しながらも劇中で繰り返し使われている「2つの心」の印象的なフレーズ、「2つの心と4つの瞳 昼も夜もずっと泣いている オーヨーヨイ」が、実質的なテーマ曲として二人の時代を繋ぐ。
はたして愛は、歴史や社会に翻弄される運命を超えて、本当に永遠たりえるのか。
冷戦という時代と組み合わせ、音楽というバックボーンを通すことで、どこにでもありそうな男女の物語が、一気に現代ポーランドのクロニクルとしての性格を帯びてくるのが見事だ。
「イーダ」と同様、ウカシュ・ジャルによる、叙情的なモノクロ映像が素晴らしい。
スタンダードの画面は、時代の閉塞を表現する意味もあるのだろうが、キャラクターを画面の端に寄せ、余白の雄弁さを生かす構図はまるでフェルメールの絵画のようだ。
観終わっても、じわりと余韻が後を引き、「オーヨーヨイ」が脳内で無限リフレインしている。
ポーランドの伝統の酒といえば、やはりウォッカ。
今回は「ベルヴェデール ウォッカ」をチョイス。
非常にまろやかな口当たりの、プレミアムウォッカ。
ジェームズ・ボンドの愛飲酒、スペクター・マティーニのオフィシャルとしても知られる。
今の季節なら冷凍庫でキンキンに冷やし、シャーベット状にしてそのまま飲むと美味しい。

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この記事へのコメント
自由主義世界のはずの西側では心の自由が得られず、
社会主義世界のはずの東側では制限の中の自由がある。
特にセリフがあったわけでもないのに、そう感じてしまうんですよね。
こんなにも狭いスクリーンサイズの作品なのに。
それがこの作品の魅力でもあるのでしょうね。
社会主義世界のはずの東側では制限の中の自由がある。
特にセリフがあったわけでもないのに、そう感じてしまうんですよね。
こんなにも狭いスクリーンサイズの作品なのに。
それがこの作品の魅力でもあるのでしょうね。
>にゃむばななさん
色々な意味でジレンマに陥ってしまった腐れ縁の二人の話でしたね。
二人の間にある愛だけは確かで、それ以外は移ろいゆくもの。
映像センスが素晴らしかったです。
色々な意味でジレンマに陥ってしまった腐れ縁の二人の話でしたね。
二人の間にある愛だけは確かで、それ以外は移ろいゆくもの。
映像センスが素晴らしかったです。
こんにちは。
テーマとなっている曲、本当に印象に残る歌でした。何度も脳内でリフレインするの判ります。モノクロの映像も大変効果的でした。
「芳華~」の時も思いましたが、国家主導の歌劇団って、所属するそれぞれの人たちから何か大切なものを毟り取って行くような気がします。
テーマとなっている曲、本当に印象に残る歌でした。何度も脳内でリフレインするの判ります。モノクロの映像も大変効果的でした。
「芳華~」の時も思いましたが、国家主導の歌劇団って、所属するそれぞれの人たちから何か大切なものを毟り取って行くような気がします。
>ここなつさん
「国家」というよりも「時代」な気がします。
この映画のポーランドも「芳華」の中国も、それぞれの国の歴史の中で、一番締め付けが厳しい時代を描いてますよね。
社会の閉塞が、歌劇団という分かりやすい集団に象徴されているということではないでしょうか。
「国家」というよりも「時代」な気がします。
この映画のポーランドも「芳華」の中国も、それぞれの国の歴史の中で、一番締め付けが厳しい時代を描いてますよね。
社会の閉塞が、歌劇団という分かりやすい集団に象徴されているということではないでしょうか。
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第二次大戦直後のポーランドの物語。大戦中ドイツ軍の占領下に置かれていたポーランドは、ドイツ劣勢後はソ連の赤軍の支配下に置かれ、戦後はマルクス・レーニン主義の共産国家となった。ここから現代に至るまでのポーランド史というものは…いやはや実に難解であり、にわか知識では太刀打ちできない。というかそもそも戦後ポーランドと言われて私がすっと頭に浮かぶのは、「ワレサ」「連帯」という古いものから、「ヤルゼル...
2019/08/21(水) 12:36:36 | ここなつ映画レビュー
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2020/06/27(土) 07:23:54 | 或る日の出来事
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