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※noraneko285でつぶやいてます。ブログで書いてない映画の話なども。
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2019年10月06日 (日) | 編集 |
ジョーカーはなぜ生まれた。
これはヤバイ映画だ。
端的に言えば「タクシードライバー」と「キング・オブ・コメディ」をDCの世界観にぶち込み、ピエロの顔をしたガイ・フォークスでまとめ上げた作品。
公開を控えて、米国の治安当局が厳戒態勢を敷いているそうだが、本当に怒れる人たちが観たら、暴動のきっかけになり得る。
そのぐらい主人公のドラマに、現実と地続きのリアリティがあるんだな。
物語的にはバットマンならぬ「ジョーカー・ビギンズ」で「気弱なコメディアン志望の青年が、いかにして恐怖のジョーカーになったか」なんだが、多分全く知らない人が見たらアメコミ映画と気付かないだろう。
もちろん、ウェイン家との絡みはちゃんとあるので、間口は広く、分かる人にはよりディープにという、エンタメとして誠に正しい作り。
監督・脚本は「ハングオーバー!」シリーズで知られるトッド・フィリップスで、「ザ・ファイター」のスコット・シルヴァーが共同脚本を務める。
タイトルロールを演じるホアキン・フェニックスが圧巻の名演を見せ、全く新しいジョーカー像を作り上げている。
※核心部分に触れています。
アーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は、ゴッサムシティの貧民街に母のペニー(フランセス・コンロイ)と二人暮らし。
コメディアンになりたいと願い、TVで人気のマレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)の番組にゲストとして出演するのが夢だ。
しかし脳と神経の障害で、突然笑い出してしまうという症状を持つアーサーは、なかなか人前に立つ決心がつかず、街角でピエロの仕事をしてなんとか食い繋いでいる。
ある日、同僚から一丁の拳銃をもらったアーサーは、小児病棟での仕事でうっかりその銃を落としてしまい、仕事をクビになってしまう。
失意のアーサーは、たまたま乗り合わせた列車で女性に絡んでいたウェイン産業のサラリーマンたちに暴行を受け、とっさに彼らを射殺する。
逃走したアーサーはえも言われぬ高揚感を感じるのだが、折しもゴッサムシティでは貧困層の不満が高まっていて、金持ち企業のエリートを殺した正体不明のピエロは、一躍貧困層のヒーローに祭り上げられる。
そんな時、アーサーは母ペニーの手紙を読んで、自分とウェイン産業社長のトーマス・ウェインとの意外な関係があることを知ってしまうのだが・・・・
バットマン最大の敵ジョーカーは、過去にも名優たちが演じてきたキャラクター。
中でもティム・バートン版「バットマン」のジャック・ニコルソンと、クリストファー・ノーランの「ダークナイト」で故ヒース・レジャーが演じたジョーカーは、共に映画史に残るスーパーヴィランだが、キャラクター設定は全く異なる。
バートン版では、その正体はマフィアの有力メンバーだったジャック・ネイピア。
若い頃にブルース・ウェインの両親を殺した男で、バットマンと戦った時に化学薬品のタンクに転落し、肌は漂白されて真っ白に、筋肉は引きつって常に笑った顔になってしまう。
ジャックは変わり果てた自分の姿を見て気が狂い、ジョーカーを名乗る様になる。
一方のノーラン版のジョーカーには、一切の設定が無い。
本名も背景も明かされず、ただ突然現れてゴッサムシティを恐怖に陥れる、ピエロのメイクをした謎の男。
劇中でも、正体に繋がる情報がデータベースに無いとされるこのキャラクターは、いわば地獄から遣わされた悪の化身であり、その行動に動機すら存在しない絶対悪なのである。
では、本作におけるジョーカーとは何者か。
ジョーカーになる前の、アーサー・フレックの境遇はとことん悲惨だ。
コメディアンになりたいという夢を持ってはいるが、現実にはしがないピエロ暮らしで、唯一の楽しみは憧れの人、マレー・フランクリンのショーを観ること。
脳と神経に負った障害で、突然笑い出してしまう症状があり、他人には気味悪るがられる。
高齢の母親は、かつて勤めていたというトーマス・ウェインの館へ、何度も支援を求める手紙を書いているが、なしのつぶて。
しかも彼の置かれた状況は、物語の進行とともに、加速度的に更に悪化してゆく。
やがて、自らの存在に対する承認欲求と、幾つもの裏切りが積み重なった結果として、誰からも相手にされない善良な青年“アーサー”は消え、世間そのものを憎悪する新たな人格“ジョーカー”が生まれるのである。
トッド・フィリップスは、貧民街にあるアーサーのアパートに繋がる、長いながい階段を象徴的に使っている。
まるで壁のようにそびえ立つ階段を疲れ果てて登るアーサーは、遂にジョーカーとなると、軽快なダンスと共に降りてくるのだ。
そして、怒りと憎悪を内面に秘めたピエロの笑顔は、底辺に暮らす人々の抵抗の象徴として、ゴッサムシティに急速に拡散してゆく。
「ダークナイト」では、ジョーカーが二隻の船に爆弾を仕掛け、起爆装置をお互いの船の乗客に委ね、先に相手の船を爆破した方だけを助けると言う。
自らはお膳立てをするだけで、市民同士で殺し合いをさせようとするジョーカーは、人間を人間たらしめている倫理を破壊しようとするのだが、彼の行動は逆に市民の高潔な意識を目覚めさせてしまい、ジョーカーは敗北する。
クリストファー・ノーランは、人間の行動がある瞬間に神話化される物語を好む。
ここでは、市民たちが自らの勇気ある決断により、誰もがヒーローになれることを示したのである。
対して本作では、超格差社会となったゴッサムシティで、人々が支配層のエリートを殺したアーサーを英雄視しており、ピエロの仮面をつけてデモをしている。
これは明らかに、ガイ・フォークスの仮面を意識した描写。
ガイ・フォークスは、1605年に英国国教会のカソリック弾圧に対し、イギリス国会議事堂を国王もろとも爆破するクーデターを試みたテロリスト一味の男。
計画は失敗し、フォークスは処刑されるのだが、彼は次第に権力に対する抵抗の象徴とみなされるようになり、映画「Vフォー・ヴェンデッタ」で一躍有名になったフォークスを模した仮面は、現在では世界中の抵抗運動で使われている。
本作のジョーカーは、ピエロの顔をしたガイ・フォークスであり、仮面は誰もがジョーカーとなり得ることを示している。
ちなみに、劇中では明言してはいないのだが、物語が始まるのは10月15日の木曜日で、アーサーがジョーカーとしてTVに出演するのは、おそらく11月5日の木曜日。
この日がフォークが逮捕された「ガイ・フォーク・デイ」なのは、狙っていると思う。
市民がヒーローになるのか、ジョーカーになるのかは、あらかじめ決まっていることではなく、あくまでも社会の状況次第。
しかもジョーカーは、単純に「悪」という訳ではない。
ピエロの仮面を被ってプロテストしている人々にとっては、彼こそがヒーローなのだ。
この映画では、ゴッサムシティの富裕層を代表するトーマス・ウェインが、貧困層の人々を「ピエロの仮面を被らなければ、何もできない落伍者」とこき下ろす。
これはもちろん、のちに彼の息子がコウモリの仮面を被ったビジランテとなることに対する辛辣なギャグなのだが、街が少数の富裕層とその他の人々に分断されており、富裕層にそれを是正する気がさらさら無いことを示している。
だからこそ映画さながらの超格差社会となった現実でも、現実に絶望した観客たちが、アーサーに深く感情移入し、ジョーカーとなる可能性がある。
米国の治安当局が本作に神経を尖らせるせるのには、「ダークナイト ライジング」の時に、実際にジョーカーに感化された若者によって劇場で銃撃事件が起こったというもっともな事情があるのだが、その辺は作り手も心得ていて、あえて演出的に抑制しているフシがある。
暴徒に救出されたジョーカーがダンスするシーンなど、もっとガンガンに盛り上げることも出来たはずなのだが、カタルシスまでいくギリギリでエモーションを寸止めしてる。
人外になりたてのカリスマ未満がこの映画のジョーカーだというのもあるけど、やり過ぎると本当に映画自体が扇動者になってしまうことを分かっているからだろう。
また構造的にも、キャラクターのリアリティを追求する一方、劇中で起こっていることの虚実を曖昧にすることで、ダウナー系のドラッグをキメているかのような、夢うつつの独特の手触りを作り出している。
映画を注意深く観察すると分かるが、本作は物語全体がアーカムの診療室でジョーカーが思い出してる事実と妄想が入り混じった記憶。
一見事実に見える描写や時系列的にもおかしな部分があり、どこまでが本当なのかは分からない様になっている。
解釈に困るのがウェイン夫妻射殺の部分で、それまでずーっとホアキンの出ずっぱりの主観展開なのだが、唯一あそこだけは本人の記憶ではあり得ない客観描写。
もっとも、あの時点で“ジョーカー”は怒れる大衆の集合意識化しているので、いろいろな情報から後から想像したと考えることも出来るのだけど。
また、この映画のデ・ニーロは、強い影響を感じさせる「タクシードライバー」と「キング・オブ・コメディ」で彼が演じたキャラクターへのメタ的なオマージュなのだろうけど、虚実が入り混じる白昼夢のような構造を考えると、もう一本「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」も連想した。
正直「ハングオーバー!」の監督の映画とは信じられないダークさだが、どうしょうもないダメ男の悲哀という点ではブレてないと言える。
傑作と呼ばれる映画には、いつの時代に観ても同じように素晴らしい普遍性の強い作品と、それが作られた時代や社会と密接にリンクすることで、大きな力を持つ時事性の強い作品がある。
神話的構造を持つノーランの「ダークナイト」三部作が前者だとしたら、本作は間違いなく後者だろう。
10年、20年後の未来にこの映画を観直した時には、ある程度説得力を失っていることが望ましいのだけど、トーマス・ウェインみたいな人たちが幅を利かしている現実を見ると、ジョーカーの苦悩がよりリアルに感じられそうだ。
全編に渡って容赦なくエグってくるので、間違っても落ち込んでる時に観ちゃだめ。
主人公の葛藤に自分のマイナスの部分が自然に重なり、ダメージが後を引く。
たぶんアーサーは、ジョーカーになって初めて、自己承認欲求を満たして幸せになったんだと思うが、アーサーのままでも幸せをつかめるのが、本来あるべき社会の姿。
これも人生、とは言え生きにくい世の中だな!
重い映画の後には、スッキリした「ミントビア」をチョイス。
氷を入れたグラスにビール105mlを注ぎ、ペパーミントグリーン15mlを加えて軽くステアする。
ジョーカーのイメージカラーでもあるグリーンが美しく、ビールの苦味とペパーミントの清涼感が心地よく喉を潤す。
異様に暑い今年の秋には、ぴったりのカクテルだ。
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これはヤバイ映画だ。
端的に言えば「タクシードライバー」と「キング・オブ・コメディ」をDCの世界観にぶち込み、ピエロの顔をしたガイ・フォークスでまとめ上げた作品。
公開を控えて、米国の治安当局が厳戒態勢を敷いているそうだが、本当に怒れる人たちが観たら、暴動のきっかけになり得る。
そのぐらい主人公のドラマに、現実と地続きのリアリティがあるんだな。
物語的にはバットマンならぬ「ジョーカー・ビギンズ」で「気弱なコメディアン志望の青年が、いかにして恐怖のジョーカーになったか」なんだが、多分全く知らない人が見たらアメコミ映画と気付かないだろう。
もちろん、ウェイン家との絡みはちゃんとあるので、間口は広く、分かる人にはよりディープにという、エンタメとして誠に正しい作り。
監督・脚本は「ハングオーバー!」シリーズで知られるトッド・フィリップスで、「ザ・ファイター」のスコット・シルヴァーが共同脚本を務める。
タイトルロールを演じるホアキン・フェニックスが圧巻の名演を見せ、全く新しいジョーカー像を作り上げている。
※核心部分に触れています。
アーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は、ゴッサムシティの貧民街に母のペニー(フランセス・コンロイ)と二人暮らし。
コメディアンになりたいと願い、TVで人気のマレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)の番組にゲストとして出演するのが夢だ。
しかし脳と神経の障害で、突然笑い出してしまうという症状を持つアーサーは、なかなか人前に立つ決心がつかず、街角でピエロの仕事をしてなんとか食い繋いでいる。
ある日、同僚から一丁の拳銃をもらったアーサーは、小児病棟での仕事でうっかりその銃を落としてしまい、仕事をクビになってしまう。
失意のアーサーは、たまたま乗り合わせた列車で女性に絡んでいたウェイン産業のサラリーマンたちに暴行を受け、とっさに彼らを射殺する。
逃走したアーサーはえも言われぬ高揚感を感じるのだが、折しもゴッサムシティでは貧困層の不満が高まっていて、金持ち企業のエリートを殺した正体不明のピエロは、一躍貧困層のヒーローに祭り上げられる。
そんな時、アーサーは母ペニーの手紙を読んで、自分とウェイン産業社長のトーマス・ウェインとの意外な関係があることを知ってしまうのだが・・・・
バットマン最大の敵ジョーカーは、過去にも名優たちが演じてきたキャラクター。
中でもティム・バートン版「バットマン」のジャック・ニコルソンと、クリストファー・ノーランの「ダークナイト」で故ヒース・レジャーが演じたジョーカーは、共に映画史に残るスーパーヴィランだが、キャラクター設定は全く異なる。
バートン版では、その正体はマフィアの有力メンバーだったジャック・ネイピア。
若い頃にブルース・ウェインの両親を殺した男で、バットマンと戦った時に化学薬品のタンクに転落し、肌は漂白されて真っ白に、筋肉は引きつって常に笑った顔になってしまう。
ジャックは変わり果てた自分の姿を見て気が狂い、ジョーカーを名乗る様になる。
一方のノーラン版のジョーカーには、一切の設定が無い。
本名も背景も明かされず、ただ突然現れてゴッサムシティを恐怖に陥れる、ピエロのメイクをした謎の男。
劇中でも、正体に繋がる情報がデータベースに無いとされるこのキャラクターは、いわば地獄から遣わされた悪の化身であり、その行動に動機すら存在しない絶対悪なのである。
では、本作におけるジョーカーとは何者か。
ジョーカーになる前の、アーサー・フレックの境遇はとことん悲惨だ。
コメディアンになりたいという夢を持ってはいるが、現実にはしがないピエロ暮らしで、唯一の楽しみは憧れの人、マレー・フランクリンのショーを観ること。
脳と神経に負った障害で、突然笑い出してしまう症状があり、他人には気味悪るがられる。
高齢の母親は、かつて勤めていたというトーマス・ウェインの館へ、何度も支援を求める手紙を書いているが、なしのつぶて。
しかも彼の置かれた状況は、物語の進行とともに、加速度的に更に悪化してゆく。
やがて、自らの存在に対する承認欲求と、幾つもの裏切りが積み重なった結果として、誰からも相手にされない善良な青年“アーサー”は消え、世間そのものを憎悪する新たな人格“ジョーカー”が生まれるのである。
トッド・フィリップスは、貧民街にあるアーサーのアパートに繋がる、長いながい階段を象徴的に使っている。
まるで壁のようにそびえ立つ階段を疲れ果てて登るアーサーは、遂にジョーカーとなると、軽快なダンスと共に降りてくるのだ。
そして、怒りと憎悪を内面に秘めたピエロの笑顔は、底辺に暮らす人々の抵抗の象徴として、ゴッサムシティに急速に拡散してゆく。
「ダークナイト」では、ジョーカーが二隻の船に爆弾を仕掛け、起爆装置をお互いの船の乗客に委ね、先に相手の船を爆破した方だけを助けると言う。
自らはお膳立てをするだけで、市民同士で殺し合いをさせようとするジョーカーは、人間を人間たらしめている倫理を破壊しようとするのだが、彼の行動は逆に市民の高潔な意識を目覚めさせてしまい、ジョーカーは敗北する。
クリストファー・ノーランは、人間の行動がある瞬間に神話化される物語を好む。
ここでは、市民たちが自らの勇気ある決断により、誰もがヒーローになれることを示したのである。
対して本作では、超格差社会となったゴッサムシティで、人々が支配層のエリートを殺したアーサーを英雄視しており、ピエロの仮面をつけてデモをしている。
これは明らかに、ガイ・フォークスの仮面を意識した描写。
ガイ・フォークスは、1605年に英国国教会のカソリック弾圧に対し、イギリス国会議事堂を国王もろとも爆破するクーデターを試みたテロリスト一味の男。
計画は失敗し、フォークスは処刑されるのだが、彼は次第に権力に対する抵抗の象徴とみなされるようになり、映画「Vフォー・ヴェンデッタ」で一躍有名になったフォークスを模した仮面は、現在では世界中の抵抗運動で使われている。
本作のジョーカーは、ピエロの顔をしたガイ・フォークスであり、仮面は誰もがジョーカーとなり得ることを示している。
ちなみに、劇中では明言してはいないのだが、物語が始まるのは10月15日の木曜日で、アーサーがジョーカーとしてTVに出演するのは、おそらく11月5日の木曜日。
この日がフォークが逮捕された「ガイ・フォーク・デイ」なのは、狙っていると思う。
市民がヒーローになるのか、ジョーカーになるのかは、あらかじめ決まっていることではなく、あくまでも社会の状況次第。
しかもジョーカーは、単純に「悪」という訳ではない。
ピエロの仮面を被ってプロテストしている人々にとっては、彼こそがヒーローなのだ。
この映画では、ゴッサムシティの富裕層を代表するトーマス・ウェインが、貧困層の人々を「ピエロの仮面を被らなければ、何もできない落伍者」とこき下ろす。
これはもちろん、のちに彼の息子がコウモリの仮面を被ったビジランテとなることに対する辛辣なギャグなのだが、街が少数の富裕層とその他の人々に分断されており、富裕層にそれを是正する気がさらさら無いことを示している。
だからこそ映画さながらの超格差社会となった現実でも、現実に絶望した観客たちが、アーサーに深く感情移入し、ジョーカーとなる可能性がある。
米国の治安当局が本作に神経を尖らせるせるのには、「ダークナイト ライジング」の時に、実際にジョーカーに感化された若者によって劇場で銃撃事件が起こったというもっともな事情があるのだが、その辺は作り手も心得ていて、あえて演出的に抑制しているフシがある。
暴徒に救出されたジョーカーがダンスするシーンなど、もっとガンガンに盛り上げることも出来たはずなのだが、カタルシスまでいくギリギリでエモーションを寸止めしてる。
人外になりたてのカリスマ未満がこの映画のジョーカーだというのもあるけど、やり過ぎると本当に映画自体が扇動者になってしまうことを分かっているからだろう。
また構造的にも、キャラクターのリアリティを追求する一方、劇中で起こっていることの虚実を曖昧にすることで、ダウナー系のドラッグをキメているかのような、夢うつつの独特の手触りを作り出している。
映画を注意深く観察すると分かるが、本作は物語全体がアーカムの診療室でジョーカーが思い出してる事実と妄想が入り混じった記憶。
一見事実に見える描写や時系列的にもおかしな部分があり、どこまでが本当なのかは分からない様になっている。
解釈に困るのがウェイン夫妻射殺の部分で、それまでずーっとホアキンの出ずっぱりの主観展開なのだが、唯一あそこだけは本人の記憶ではあり得ない客観描写。
もっとも、あの時点で“ジョーカー”は怒れる大衆の集合意識化しているので、いろいろな情報から後から想像したと考えることも出来るのだけど。
また、この映画のデ・ニーロは、強い影響を感じさせる「タクシードライバー」と「キング・オブ・コメディ」で彼が演じたキャラクターへのメタ的なオマージュなのだろうけど、虚実が入り混じる白昼夢のような構造を考えると、もう一本「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」も連想した。
正直「ハングオーバー!」の監督の映画とは信じられないダークさだが、どうしょうもないダメ男の悲哀という点ではブレてないと言える。
傑作と呼ばれる映画には、いつの時代に観ても同じように素晴らしい普遍性の強い作品と、それが作られた時代や社会と密接にリンクすることで、大きな力を持つ時事性の強い作品がある。
神話的構造を持つノーランの「ダークナイト」三部作が前者だとしたら、本作は間違いなく後者だろう。
10年、20年後の未来にこの映画を観直した時には、ある程度説得力を失っていることが望ましいのだけど、トーマス・ウェインみたいな人たちが幅を利かしている現実を見ると、ジョーカーの苦悩がよりリアルに感じられそうだ。
全編に渡って容赦なくエグってくるので、間違っても落ち込んでる時に観ちゃだめ。
主人公の葛藤に自分のマイナスの部分が自然に重なり、ダメージが後を引く。
たぶんアーサーは、ジョーカーになって初めて、自己承認欲求を満たして幸せになったんだと思うが、アーサーのままでも幸せをつかめるのが、本来あるべき社会の姿。
これも人生、とは言え生きにくい世の中だな!
重い映画の後には、スッキリした「ミントビア」をチョイス。
氷を入れたグラスにビール105mlを注ぎ、ペパーミントグリーン15mlを加えて軽くステアする。
ジョーカーのイメージカラーでもあるグリーンが美しく、ビールの苦味とペパーミントの清涼感が心地よく喉を潤す。
異様に暑い今年の秋には、ぴったりのカクテルだ。

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この記事へのコメント
いつも楽しく読んでいます。大変評価に困る作品と感じました。が、「時事性」という言葉でスッキリしました。この作品は現代の世相を写し出した作品ということです。
私はこの作品を見て9割5分の人(私も含め)は理解できないのではと思ったのですが、響く人には1800円+になる作品ではないかと思いました。
香港のデモを始めおかしいと思うことにNo!と言う流れは世界的であることを考えれば日本の方が割合的に理解者の少ない作品かもしれませんが、ガス抜きがあまり無い分いつか日本も爆発してしまうのでないかという不安を抱かずにはいられなくなりました。こんなことをよそ事のように書いている自分はまだ恵まれているのだと感謝した方がいいのかもしれません。
「階段」の解釈お見事です。確かにそうですね!
私はこの作品を見て9割5分の人(私も含め)は理解できないのではと思ったのですが、響く人には1800円+になる作品ではないかと思いました。
香港のデモを始めおかしいと思うことにNo!と言う流れは世界的であることを考えれば日本の方が割合的に理解者の少ない作品かもしれませんが、ガス抜きがあまり無い分いつか日本も爆発してしまうのでないかという不安を抱かずにはいられなくなりました。こんなことをよそ事のように書いている自分はまだ恵まれているのだと感謝した方がいいのかもしれません。
「階段」の解釈お見事です。確かにそうですね!
2019/10/06(日) 22:47:45 | URL | だあさ #-[ 編集]
『ダークナイト』のジョーカーとは年齢的に合わないなどの指摘もあるそうですが、本作のテーマでもある誰でもジョーカーになってしまうということを考えると、このホアキン・ジョーカーとヒース・ジョーカーは別物だと思った方がより深い世界観を味わえるような気がしましたよ。
そう考えると、ヴィラン予備軍はこの世界にどれだけいることやら。あぁ~、恐ろしや。
そう考えると、ヴィラン予備軍はこの世界にどれだけいることやら。あぁ~、恐ろしや。
ノラネコさん☆
ガイフォークデイはイギリスでは花火を挙げてお祭り騒ぎですが、そう言う意味では富裕層への反社会勢力代表はカリスマとして崇められてしまうのですね。
お話でかなりえぐられて過呼吸一歩手前でした。
アーサーがジョーカーとして変貌を遂げた瞬間、彼が行きついた先を思うと哀しくて涙が出てしまいましたyo
ガイフォークデイはイギリスでは花火を挙げてお祭り騒ぎですが、そう言う意味では富裕層への反社会勢力代表はカリスマとして崇められてしまうのですね。
お話でかなりえぐられて過呼吸一歩手前でした。
アーサーがジョーカーとして変貌を遂げた瞬間、彼が行きついた先を思うと哀しくて涙が出てしまいましたyo
難しいストーリーでは無いのですが、犯罪というよりは、ピエロの仮装や行動の特異さによって、単なる異質から、カリスマに祭り上げられてしまったのが、アーサーであって、その意味では、公になるというのは、それが、際物扱いであれ、存在を認めるという事なのではないでしょうか。
マレー・フランクリンのショーを観るのがお愉しみという彼にとって、その大コメディアンの存在というのは、父親だと思っていたウェインに袖にされ、母親からも遠い存在とされて、血を通したアイデンティティの孤独に陥った彼にとっては、ずっと見ていて、親しみさえ覚えていた大きな存在だったのではないでしょうか。
だから、マレーは、彼にとっては、パフォーマンスの父親に等しいと思います。だから、その枷を破ったことによって、彼は、弱者からジョーカーになったのでは無いでしょうか。良心の欠片の迷いを振り切り、その変貌の瞬間には、危惧とも同情とも言えない感慨が湧いた次第です。
マレー・フランクリンのショーを観るのがお愉しみという彼にとって、その大コメディアンの存在というのは、父親だと思っていたウェインに袖にされ、母親からも遠い存在とされて、血を通したアイデンティティの孤独に陥った彼にとっては、ずっと見ていて、親しみさえ覚えていた大きな存在だったのではないでしょうか。
だから、マレーは、彼にとっては、パフォーマンスの父親に等しいと思います。だから、その枷を破ったことによって、彼は、弱者からジョーカーになったのでは無いでしょうか。良心の欠片の迷いを振り切り、その変貌の瞬間には、危惧とも同情とも言えない感慨が湧いた次第です。
>だあささん
残念ながら、本作は格差社会と化した現在日本では大きな共感を生むと思います。
実際、日本でも予想外の大ヒットとなりましたし、それだけ響く人が多い世の中だということでしょうね。
暴動こそ起こりませんが、社会に対する諦めに似た感情は渦巻いているのだと思います。
>にゃむばななさん
ジョーカーは毎回全然設定が違うし、初めから他のバットマン映画につなげようとは思ってないでしょう。
この辺りのアバウトさが、きっちり世界観を作り込んでいるマーベルとは違うところで、DCの欠点でもあり、面白いところですね。
>ノルウェーまだ~むんさん
ガイ・フォークスはやっぱり「Vフォー・ヴェンデッタ」でモチーフになったことで、意味付けが変わってきてますよね。
先週の香港デモでもフォークスマスクの人たちがいっぱいいましたし、完全に抵抗の象徴になってますね。
アーサー的には、主観では幸せなんだと思います。
内から見たら喜劇、外から見たら悲劇という感じで。
>隆さん
その通りで、ジョーカーとなったことで存在を認められたアーサーは幸せになったんだと思いますよ。
もちろん客観的には犯罪者となったのですけど、それはどうでもいい。
彼の場合は全ての善意が否定されて、悪意しか残らなかったので、ジョーカーにしかなれなかったのですけどね。
残念ながら、本作は格差社会と化した現在日本では大きな共感を生むと思います。
実際、日本でも予想外の大ヒットとなりましたし、それだけ響く人が多い世の中だということでしょうね。
暴動こそ起こりませんが、社会に対する諦めに似た感情は渦巻いているのだと思います。
>にゃむばななさん
ジョーカーは毎回全然設定が違うし、初めから他のバットマン映画につなげようとは思ってないでしょう。
この辺りのアバウトさが、きっちり世界観を作り込んでいるマーベルとは違うところで、DCの欠点でもあり、面白いところですね。
>ノルウェーまだ~むんさん
ガイ・フォークスはやっぱり「Vフォー・ヴェンデッタ」でモチーフになったことで、意味付けが変わってきてますよね。
先週の香港デモでもフォークスマスクの人たちがいっぱいいましたし、完全に抵抗の象徴になってますね。
アーサー的には、主観では幸せなんだと思います。
内から見たら喜劇、外から見たら悲劇という感じで。
>隆さん
その通りで、ジョーカーとなったことで存在を認められたアーサーは幸せになったんだと思いますよ。
もちろん客観的には犯罪者となったのですけど、それはどうでもいい。
彼の場合は全ての善意が否定されて、悪意しか残らなかったので、ジョーカーにしかなれなかったのですけどね。
ジョーカーになる過程がわかりやすかったです。
ハングオーバーの監督というのが、本当に驚きですよね。
ハングオーバーの監督というのが、本当に驚きですよね。
>風子さん
まあハングオーバー!も、ダメダメな男たちの話の話なので共通点は結構あると思います。
様はコメディでやったら怒られてしまう様なことを、シリアスでやったということでしょうね。
まあハングオーバー!も、ダメダメな男たちの話の話なので共通点は結構あると思います。
様はコメディでやったら怒られてしまう様なことを、シリアスでやったということでしょうね。
こんにちは。
階段のシーン、印象的でしたね。
あの階段、「エクソシスト」を連想しました。
信仰心を取り戻すべく階段を上りリーガン家に向かうカラス神父。
最後は階段から落ちる事で信仰心・自分を取り戻す。
今作では階段を堕ちる事で自分を解放しジョーカーになる。。
(あまり、関係ないかも知れませんが・・)
階段のシーン、印象的でしたね。
あの階段、「エクソシスト」を連想しました。
信仰心を取り戻すべく階段を上りリーガン家に向かうカラス神父。
最後は階段から落ちる事で信仰心・自分を取り戻す。
今作では階段を堕ちる事で自分を解放しジョーカーになる。。
(あまり、関係ないかも知れませんが・・)
2019/10/15(火) 01:24:16 | URL | zep #-[ 編集]
>zepさん
私は一瞬、エクソシストと同じ階段かと思って調べてみたら違うらしく。
まあエクソシストの階段はもっと狭かったですよね。
同じように登ることと降りることに異なる象徴性を持たせて、非常にうまく使っていましたけど。
私は一瞬、エクソシストと同じ階段かと思って調べてみたら違うらしく。
まあエクソシストの階段はもっと狭かったですよね。
同じように登ることと降りることに異なる象徴性を持たせて、非常にうまく使っていましたけど。
「俺はコメディアンをやめるぞぉJOJOーっ」
そう言えばJOJOのDIOも親がクズで階級社会に取り入ろうとして失敗して仮面つけて変貌したから似てるかもしれない。
そう言えばJOJOのDIOも親がクズで階級社会に取り入ろうとして失敗して仮面つけて変貌したから似てるかもしれない。
2019/10/20(日) 11:40:41 | URL | fjk78dead #-[ 編集]
ノラネコさんこんばんわ♪
初めに観たバットマンのコミカルなジャック・ニコルソン版やダークナイトでの純粋悪滲み出るヒース・レジャー版など、演者によってはジョーカーにも少し個性が出ていたように思えましたが、ホアキン・フェニックス版はその境遇や数々の理不尽な行為にも晒されて壊れていく過程も目の当たりにしたせいか、なんだか歴代ジョーカーの中でも一番同情の念が生まれてしまったように思えました(汗
・・とはいえ、後半や最後の診察室でのシーンなども見ますと、母親ゆずりの妄想疾患も手伝い、今までの出来事が確かに虚偽にも見えちゃいますから、本当にジョーカーという存在は全てをかみ乱すカオスのような存在だとも改めて思ってしまいました。
初めに観たバットマンのコミカルなジャック・ニコルソン版やダークナイトでの純粋悪滲み出るヒース・レジャー版など、演者によってはジョーカーにも少し個性が出ていたように思えましたが、ホアキン・フェニックス版はその境遇や数々の理不尽な行為にも晒されて壊れていく過程も目の当たりにしたせいか、なんだか歴代ジョーカーの中でも一番同情の念が生まれてしまったように思えました(汗
・・とはいえ、後半や最後の診察室でのシーンなども見ますと、母親ゆずりの妄想疾患も手伝い、今までの出来事が確かに虚偽にも見えちゃいますから、本当にジョーカーという存在は全てをかみ乱すカオスのような存在だとも改めて思ってしまいました。
>ふじきさん
確かにちょっと背景は似てるかもだ。
ジョーカーにはあんな能力はないけど。
>メビウスさん
まあ私は一応彼の「記憶」としましたが、ジョーカーだけに、最後のシーン以外は全部妄想って解釈もありだと思います。
非常に重厚な人間ドラマであるのと同時に、どこか掴み所のない話でもあり、その多方向なベクトルがユニークですね。
確かにちょっと背景は似てるかもだ。
ジョーカーにはあんな能力はないけど。
>メビウスさん
まあ私は一応彼の「記憶」としましたが、ジョーカーだけに、最後のシーン以外は全部妄想って解釈もありだと思います。
非常に重厚な人間ドラマであるのと同時に、どこか掴み所のない話でもあり、その多方向なベクトルがユニークですね。
「間違っても落ち込んでいる時に見ちゃだめ」のノラネコさんの忠告を最初に読んでおくべきでした。
…半端なく暗い気持ちになりましたです…。そうなるのが嫌で鑑賞を先延ばししていたのにも関わらず、このザマでした。
…半端なく暗い気持ちになりましたです…。そうなるのが嫌で鑑賞を先延ばししていたのにも関わらず、このザマでした。
>ここなつさん
落ち込んでいるときにこれは辛いですね。
単にさらに落とされるだけでなく、変なベクトルの怒りが湧き上がってきて、非常にヤバイです。
落ち込んでいるときにこれは辛いですね。
単にさらに落とされるだけでなく、変なベクトルの怒りが湧き上がってきて、非常にヤバイです。
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貧富の差が拡大し暴力が横行するアメリカの都市ゴッサム・シティ。 コメディアンを目指す貧しい道化師の青年アーサー・フレックは、心身を病む母と暮らしている。 彼自身には、脳の損傷から来る笑いの発作があった。 同じアパートに住むシングルマザーのソフィーと出会い、恋をするが…。 クライム・サスペンス。 ≪本当の悪は笑顔の中にある≫ R-15
2019/10/08(火) 03:47:09 | 象のロケット
「バットマン」の悪役として広く知られるジョーカーの誕生秘話を、ホアキン・フェニックス主演&トッド・フィリップス監督で映画化。道化師のメイクを施し、恐るべき狂気で人々を恐怖に陥れる悪のカリスマが、いかにして誕生したのか。原作のDCコミックスにはない映画オリジナルのストーリーで描く。「ハングオーバー!」シリーズなどコメディ作品で手腕を発揮してきたトッド・フィリップスがメガホンをとった。第79回ベ...
2019/10/17(木) 20:20:14 | 映画に夢中
まあ、すごいんじゃない。
ずっと、バンドリをトップ記事にしておきたいくらいだが、そうも行かないのか~。
2019/10/17(木) 23:24:02 | 或る日の出来事
東宝フリーパスでまとめて5本。
◆『ジョーカー』トーホーシネマズ渋谷3
▲画像は後から。
五つ星評価で【★★★★★圧の強い映画】
ツイッター第一声「こんなん好きんなるやろ」それしか書いてない。
割とそういう圧倒的な「圧」の強い映画。
浸れる。主人公のジョーカーに感情移入し、びっちり不孝の闇に囚われる。それも又、よし。この映画のジョーカーはとことん何も持っていない男で、物語の後半まで、彼は...
2019/10/20(日) 11:57:07 | ふじき78の死屍累々映画日記・第二章
映画『ジョーカー(2D・日本語字幕版)』(公式)を先日、劇場鑑賞。
採点は、★★★★☆(最高5つ星で、4つ)。100点満点なら 85点にします。
【私の評価基準:映画用】
★★★★★ 傑作! これを待っていた。Blu-rayで永久保存確定。
★★★★☆ 秀作! 私が太鼓判を押せる作品。
★★★☆☆ まあまあ。...
2019/10/20(日) 17:29:06 | ディレクターの目線blog@FC2
【監督】トッド・フィリップス
【出演】ホアキン・フェニックス/ロバート・デ・ニーロ/ザジー・ビーツ/フランセス・コンロイ/ブレット・カレン
【公開日】2019年10月4日
【製作】アメリカ
【ストーリー】
「どんな時も笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸にコメディアンを夢見る、孤独だが心優しいアーサー。都会の片隅でピエロメイクの大道芸人をしながら母を助け、同じアパートに住むソフィ...
2019/10/21(月) 21:53:27 | シネマをぶった斬りっ!!
大ヒット作品。洋物のロードショーとしては比較的長く上映。何故本作がこんなにも日本人の心に響いたのか?!と論議される位に。そう、あの「ジョーカー」の誕生譚である。だから確かに期待はしていた。そして期待が大き過ぎないようにと思いつつ鑑賞した。…だが、面白かったけれど、世間の熱量程には私には向き合えなかったかも。ともかく暗いのである。そりゃそうだろう。その暗さや哀愁がジョーカーのジョーカーたる所以...
2019/12/06(金) 17:28:08 | ここなつ映画レビュー
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