2019年11月03日 (日) | 編集 |
今度こそ、“それ”を倒す。
アメリカの小さな町デリーに27年毎に現れ、子供たちを攫う“それ”こと恐怖のピエロ、ペニーワイズと、彼の存在に気付いた町の落ちこぼれキッズ“ルーザーズ・クラブ”の戦いを描く完結編。
前作 「IT/イット “それ”が見えたら、終わり。」から27年が経ち、すっかり大人になった彼らの元に、ただ一人町に残っていたマイクから連絡が入る。
“それ”が戻ってきた、と。
今なお、子供時代に起因する閉塞と葛藤を抱えている彼らは、運命に呼び寄せられるように、デリーへと集う。
今度こそ、恐怖の源泉の記憶をぬぐい去るために。
監督は前作に引き続きアンディ・ムスキエティが務め、脚本を担当するゲイリー・ドーベルマンを始め、主要スタッフの多くが続投。
ジェシカ・チャステインやジェームズ・マカヴォイら、大人キャストと、前作の子供たちとのマッチングも絶妙。
大人編ならではの、酸いも甘いも嚙み分けたビターなテイストも加わり、ギミック満載のホラーと見応えある人間ドラマがバランスした、再びの快作となった。
※核心部分に触れています。
ルーザーズ・クラブの誓いから27年後。
ホラー作家となったビル(ジェームズ・マカヴォイ/ジェイデン・リバハー)は、自作の映画の撮影中にマイク(イザイア・ムスタファ/チョーズン・ジェイコブス)からの電話を受ける。
27年前に対決し、殺したはずのペニーワイズが戻ってきたというのだ。
マイクの招集に、かつてのルーザーズは続々と懐かしいデリーに集う。
DV夫との関係に悩むべバリー(ジェシカ・チャステイン/ソフィア・リリス)、建築家として成功しているベン(ジェイ・ライアン/ジェレミー・レイ・テイラー)、リスクコンサルタントになったエディ(ジェームズ・ランソン/ジャック・ディラン・グレイザー)、コメディアンのリッチー(ビル・ヘイダー/フィン・ウルフハード)、そしてマイク。
ただ一人、スタンリー(アンディ・ビーン/ワイアット・オレフ)だけが姿を見せず、べバリーが妻に連絡を取ったところ、マイクの電話を受けた後に自殺したことが分かる。
実は、ペニーワイズに拉致された時、“死の光”に晒されたべバリーは、ルーザーズ全員の死の瞬間を見ていた。
運命を変えるには、再びペニーワイズと対決し、今度こそ滅ぼすしかない。
彼らは、対決に備えて、それぞれの過去と向き合い始めるのだが・・・・
素晴らしいクオリティだった子供編「Chapter One」を受けて、「Chapter Two」は大団円を迎える大人編。
1986年に出版されたスティーヴン・キングの原作小説は、大人になった主人公たちを描く1985年の現在を起点に、子供時代の1958年との二つの時代を描く。
現在と過去は平行に語られてゆき、1990年に放送されたTVムービー版でもこの構造は踏襲されていた。
しかし、今回のリメイク版では、時系列を子供編と大人編に分離して描いているのが大きな特徴だ。
時代は一回りして子供編が1989年、大人編を2016年に設定。
ちなみに前作が公開された2017年が、TVムービー版が放送されてから27年後なのは、もちろん狙っているのだろう。
前作の「Chapter One」は単体で上手くまとまっていたが、今回は子供編の物語を踏まえた上で、登場人物の現在がそれぞれの過去との関係性で語られる。
そのため、現在だけでなく過去パートも描く必要があり、尺的には大幅にボリュームアップし、ホラージャンルでは異例の169分という大長編となったが、無駄がないので冗長さは全く感じない。
大人になっても払拭出来ない恐怖の根源を、メンバー全員分丁寧に描いていかなればなければならないので、これは必要な長さなのだ。
子供の頃のルーザーズは、それぞれ“恐怖のイメージ”に囚われていて、それをペニーワイズに付け込まれる。
ビルは弟のジョージを死なせてしまったという贖罪の意識、べバリーは父親からの虐待、ベンは体型からくるコンプレックスに孤独感、エディは超過保護な母親の支配、リッチーはストレートにピエロが苦手で、スタンレーは厳格なユダヤのラビである父親から落ちこぼれの烙印を押された罪悪感、マイクは両親を原因不明の火事で失った記憶。
直接的な力か、心理的な力かの違いはあれど、彼らは自らを押さえつけていた恐怖に立ち向かい、恐怖を利用して子供たちをコントロールしようとするペニーワイズを倒した。
ところが大人になった彼らは、相変わらず子供時代の恐怖を引きずっているのである。
なぜならペニーワイズが生きているのだから、彼らの恐怖も決して消えることはないのだ。
例えばビルは、いくつかのキングの小説の主人公と同じく、作者自身を反映したホラー作家になっていて、恐怖に囚われたまま。
父の虐待から逃れたベバリーはというと、今度は夫のDVに悩まされている。
すっかり肉体改造に成功したベンも、べバリーが彼の書いたポエムの作者をビルと勘違いし、失恋してしまったトラウマから逃れられない。
リッチーは同性愛の衝動を押し殺し、エディは母親そっくりの妻に支配されていて、スタンリーに至っては再びペニーワイズと対決する勇気が持てず、自殺してしまう。
彼らはいまだに恐怖の呪縛から自由になってはおらず、葛藤を心の奥底で燻らせているからこそ、再びデリーに集わねばならないのだ。
土地に蓄積された負の力によって、人々が宿命的に縛り付けられるという、原作小説の実にキング的な面白さは、単体の作品と割り切った前作では失われていたが、本作では二つの時代が有機的に結びつくことで見事に復活している。
二本合わせて5時間以上を費やすのだから、リッチーのエディに対する感情の裏表の意味はあれど、物語的には無くても成立するエイドリアン・メロン(演じるのはまさかのグザビエ・ドラン!)の悲惨なエピソードから始まって、なるべく満遍なくぶち込むという意図は強く感じる。
最初の30分の第一幕でルーザーズの再結集、第二幕ではペニーワイズを滅ぼすためにマイクが調べ上げた、先住民に伝わるチュードの儀式に必要なアイテム探しのために、それぞれが過去と向き合う。
そして最後のおおよそ50分が、ペニーワイズとの因縁の対決という構造。
「七人の侍」から「アベンジャーズ/エンドゲーム」まで、一人ひとりは欠点を抱えた集団が、強大な敵と戦う時の典型的なプロットだが、非常にスマートに纏められている。
面白いのは終盤脚色で結構変えてきてるところで、これはたぶん劇中繰り返される「ラストがひどい」の台詞に引っ掛けてある。
キングの小説は、「面白いけどラストが尻すぼみでスッキリしない」というのはよく言われること。
本作でもビルが自作のラストを酷評され、「人々はハッピーエンドを望むけど、現実にはそうとは限らないだろ?」と反論するシーンがある。
実際、原作小説にはビルの妻のオードラが“死の光”を見て意識を失い、ペニーワイズを倒した後もなかなか回復しないという描写がある。
映画ではその辺の不穏な要素をばっさりカットし、ペニーワイズの倒し方もルーザーズの恐怖の克服に結び付けて、全員にとって人生の一区切りとなるハッピーエンドにしている。
だから劇中で、自転車のシルヴァー号を買い戻すため骨董店を訪れたビルが、スティーヴン・キング自身が演じる店主と出会い、またしても小説のラストにダメ出しされるシーンはメタ的な可笑しさ。
もしかしたら本作のラストは、キング的には「ミスト」と同じく、自分の小説のアイデアよりベターと思えたのかも知れない。
まあ小説には小説の味わいもあるので、原作ファンには異論もあるだろうけど。
ところで、様々なホラー映画へのオマージュ満載の本作、べバリーがトイレに閉じ込められて血まみれになるシーンの「シャイニング」のパロディには笑ったが、何気に誰よりもジョン・カーペンターを全力でリスペクトしているのが可笑しい。
いや私も「こいつは何の冗談だ?」は大好きだし、面白かったんだけどさ(笑
他目立つところでは、1987年のデリーの映画館には「エルム街の悪夢」がかかっているのだが、製作スタジオのニュー・ライン・シネマは今はワーナーの一ブランドだし、神出鬼没のペニーワイズの恐怖演出はどこかフレディっぽい。
また隠れLGBTキャラの大人リッチーのシャツが、「エルム街の悪夢2」のゲイの主人公が着ているシャツと同じ柄だったり、作品としては一番影響を受けていそうだ。
そんな訳で、前回は「ナイトメア・オブ・レッド」をチョイスしたが、今回は「ナイトメア」を。
ドライ・ジン30ml、デュボネ30ml、チェリー・ブランデー15ml、オレンジジュース15mlを氷と共にシェイクし、グラスに注ぎ、マラスキーノチェリーを一つ飾って完成。
デュボネとチェリー・ブランデーの甘みと、オレンジの酸味のバランスがいい。
アルコール度数が高く、飲みすぎると名前の通り悪夢に落ちる。
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アメリカの小さな町デリーに27年毎に現れ、子供たちを攫う“それ”こと恐怖のピエロ、ペニーワイズと、彼の存在に気付いた町の落ちこぼれキッズ“ルーザーズ・クラブ”の戦いを描く完結編。
前作 「IT/イット “それ”が見えたら、終わり。」から27年が経ち、すっかり大人になった彼らの元に、ただ一人町に残っていたマイクから連絡が入る。
“それ”が戻ってきた、と。
今なお、子供時代に起因する閉塞と葛藤を抱えている彼らは、運命に呼び寄せられるように、デリーへと集う。
今度こそ、恐怖の源泉の記憶をぬぐい去るために。
監督は前作に引き続きアンディ・ムスキエティが務め、脚本を担当するゲイリー・ドーベルマンを始め、主要スタッフの多くが続投。
ジェシカ・チャステインやジェームズ・マカヴォイら、大人キャストと、前作の子供たちとのマッチングも絶妙。
大人編ならではの、酸いも甘いも嚙み分けたビターなテイストも加わり、ギミック満載のホラーと見応えある人間ドラマがバランスした、再びの快作となった。
※核心部分に触れています。
ルーザーズ・クラブの誓いから27年後。
ホラー作家となったビル(ジェームズ・マカヴォイ/ジェイデン・リバハー)は、自作の映画の撮影中にマイク(イザイア・ムスタファ/チョーズン・ジェイコブス)からの電話を受ける。
27年前に対決し、殺したはずのペニーワイズが戻ってきたというのだ。
マイクの招集に、かつてのルーザーズは続々と懐かしいデリーに集う。
DV夫との関係に悩むべバリー(ジェシカ・チャステイン/ソフィア・リリス)、建築家として成功しているベン(ジェイ・ライアン/ジェレミー・レイ・テイラー)、リスクコンサルタントになったエディ(ジェームズ・ランソン/ジャック・ディラン・グレイザー)、コメディアンのリッチー(ビル・ヘイダー/フィン・ウルフハード)、そしてマイク。
ただ一人、スタンリー(アンディ・ビーン/ワイアット・オレフ)だけが姿を見せず、べバリーが妻に連絡を取ったところ、マイクの電話を受けた後に自殺したことが分かる。
実は、ペニーワイズに拉致された時、“死の光”に晒されたべバリーは、ルーザーズ全員の死の瞬間を見ていた。
運命を変えるには、再びペニーワイズと対決し、今度こそ滅ぼすしかない。
彼らは、対決に備えて、それぞれの過去と向き合い始めるのだが・・・・
素晴らしいクオリティだった子供編「Chapter One」を受けて、「Chapter Two」は大団円を迎える大人編。
1986年に出版されたスティーヴン・キングの原作小説は、大人になった主人公たちを描く1985年の現在を起点に、子供時代の1958年との二つの時代を描く。
現在と過去は平行に語られてゆき、1990年に放送されたTVムービー版でもこの構造は踏襲されていた。
しかし、今回のリメイク版では、時系列を子供編と大人編に分離して描いているのが大きな特徴だ。
時代は一回りして子供編が1989年、大人編を2016年に設定。
ちなみに前作が公開された2017年が、TVムービー版が放送されてから27年後なのは、もちろん狙っているのだろう。
前作の「Chapter One」は単体で上手くまとまっていたが、今回は子供編の物語を踏まえた上で、登場人物の現在がそれぞれの過去との関係性で語られる。
そのため、現在だけでなく過去パートも描く必要があり、尺的には大幅にボリュームアップし、ホラージャンルでは異例の169分という大長編となったが、無駄がないので冗長さは全く感じない。
大人になっても払拭出来ない恐怖の根源を、メンバー全員分丁寧に描いていかなればなければならないので、これは必要な長さなのだ。
子供の頃のルーザーズは、それぞれ“恐怖のイメージ”に囚われていて、それをペニーワイズに付け込まれる。
ビルは弟のジョージを死なせてしまったという贖罪の意識、べバリーは父親からの虐待、ベンは体型からくるコンプレックスに孤独感、エディは超過保護な母親の支配、リッチーはストレートにピエロが苦手で、スタンレーは厳格なユダヤのラビである父親から落ちこぼれの烙印を押された罪悪感、マイクは両親を原因不明の火事で失った記憶。
直接的な力か、心理的な力かの違いはあれど、彼らは自らを押さえつけていた恐怖に立ち向かい、恐怖を利用して子供たちをコントロールしようとするペニーワイズを倒した。
ところが大人になった彼らは、相変わらず子供時代の恐怖を引きずっているのである。
なぜならペニーワイズが生きているのだから、彼らの恐怖も決して消えることはないのだ。
例えばビルは、いくつかのキングの小説の主人公と同じく、作者自身を反映したホラー作家になっていて、恐怖に囚われたまま。
父の虐待から逃れたベバリーはというと、今度は夫のDVに悩まされている。
すっかり肉体改造に成功したベンも、べバリーが彼の書いたポエムの作者をビルと勘違いし、失恋してしまったトラウマから逃れられない。
リッチーは同性愛の衝動を押し殺し、エディは母親そっくりの妻に支配されていて、スタンリーに至っては再びペニーワイズと対決する勇気が持てず、自殺してしまう。
彼らはいまだに恐怖の呪縛から自由になってはおらず、葛藤を心の奥底で燻らせているからこそ、再びデリーに集わねばならないのだ。
土地に蓄積された負の力によって、人々が宿命的に縛り付けられるという、原作小説の実にキング的な面白さは、単体の作品と割り切った前作では失われていたが、本作では二つの時代が有機的に結びつくことで見事に復活している。
二本合わせて5時間以上を費やすのだから、リッチーのエディに対する感情の裏表の意味はあれど、物語的には無くても成立するエイドリアン・メロン(演じるのはまさかのグザビエ・ドラン!)の悲惨なエピソードから始まって、なるべく満遍なくぶち込むという意図は強く感じる。
最初の30分の第一幕でルーザーズの再結集、第二幕ではペニーワイズを滅ぼすためにマイクが調べ上げた、先住民に伝わるチュードの儀式に必要なアイテム探しのために、それぞれが過去と向き合う。
そして最後のおおよそ50分が、ペニーワイズとの因縁の対決という構造。
「七人の侍」から「アベンジャーズ/エンドゲーム」まで、一人ひとりは欠点を抱えた集団が、強大な敵と戦う時の典型的なプロットだが、非常にスマートに纏められている。
面白いのは終盤脚色で結構変えてきてるところで、これはたぶん劇中繰り返される「ラストがひどい」の台詞に引っ掛けてある。
キングの小説は、「面白いけどラストが尻すぼみでスッキリしない」というのはよく言われること。
本作でもビルが自作のラストを酷評され、「人々はハッピーエンドを望むけど、現実にはそうとは限らないだろ?」と反論するシーンがある。
実際、原作小説にはビルの妻のオードラが“死の光”を見て意識を失い、ペニーワイズを倒した後もなかなか回復しないという描写がある。
映画ではその辺の不穏な要素をばっさりカットし、ペニーワイズの倒し方もルーザーズの恐怖の克服に結び付けて、全員にとって人生の一区切りとなるハッピーエンドにしている。
だから劇中で、自転車のシルヴァー号を買い戻すため骨董店を訪れたビルが、スティーヴン・キング自身が演じる店主と出会い、またしても小説のラストにダメ出しされるシーンはメタ的な可笑しさ。
もしかしたら本作のラストは、キング的には「ミスト」と同じく、自分の小説のアイデアよりベターと思えたのかも知れない。
まあ小説には小説の味わいもあるので、原作ファンには異論もあるだろうけど。
ところで、様々なホラー映画へのオマージュ満載の本作、べバリーがトイレに閉じ込められて血まみれになるシーンの「シャイニング」のパロディには笑ったが、何気に誰よりもジョン・カーペンターを全力でリスペクトしているのが可笑しい。
いや私も「こいつは何の冗談だ?」は大好きだし、面白かったんだけどさ(笑
他目立つところでは、1987年のデリーの映画館には「エルム街の悪夢」がかかっているのだが、製作スタジオのニュー・ライン・シネマは今はワーナーの一ブランドだし、神出鬼没のペニーワイズの恐怖演出はどこかフレディっぽい。
また隠れLGBTキャラの大人リッチーのシャツが、「エルム街の悪夢2」のゲイの主人公が着ているシャツと同じ柄だったり、作品としては一番影響を受けていそうだ。
そんな訳で、前回は「ナイトメア・オブ・レッド」をチョイスしたが、今回は「ナイトメア」を。
ドライ・ジン30ml、デュボネ30ml、チェリー・ブランデー15ml、オレンジジュース15mlを氷と共にシェイクし、グラスに注ぎ、マラスキーノチェリーを一つ飾って完成。
デュボネとチェリー・ブランデーの甘みと、オレンジの酸味のバランスがいい。
アルコール度数が高く、飲みすぎると名前の通り悪夢に落ちる。

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この記事へのコメント
ノラネコさん☆
リッチーのシャツの柄までは気付きませんでした!
私は常々キング作品のラストの尻つぼみに難色を示していた人なので、この映画のラストはとても良かったと思います。
私は「ミスト」のようなラストが好きなので、ハッピーエンドは望まないですが、キングが何でも宗教がらみで解決させようとするのが好きじゃないんですよねぇ。
キングファンの夫も大絶賛でしたよ。
リッチーのシャツの柄までは気付きませんでした!
私は常々キング作品のラストの尻つぼみに難色を示していた人なので、この映画のラストはとても良かったと思います。
私は「ミスト」のようなラストが好きなので、ハッピーエンドは望まないですが、キングが何でも宗教がらみで解決させようとするのが好きじゃないんですよねぇ。
キングファンの夫も大絶賛でしたよ。
>ノルウェーまだ~むさん
リッチーのシャツに関しては、米国で公開された途端に話題になってましたよ。
今回はエイドリアン・メロンの事件も描かれたし、LGBT差別が隠れテーマなんですよね。
私も原作のラストはイマイチ映画的じゃないなと思ってたので、今回の映画のラストは納得できました。
リッチーのシャツに関しては、米国で公開された途端に話題になってましたよ。
今回はエイドリアン・メロンの事件も描かれたし、LGBT差別が隠れテーマなんですよね。
私も原作のラストはイマイチ映画的じゃないなと思ってたので、今回の映画のラストは納得できました。
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小さな田舎町で再び起きた連続児童失踪事件。 「COME HOME COME HOME(帰っておいで…)」という“それ”からの不穏なメッセージが届き、幼少時代に“それ”の恐怖から生き延びたルーザーズ・クラブの仲間たちは、27年前に固く誓い合った〈約束〉を果たすため町に戻ることを決意する…。 ホラー第2弾。 R-15
2019/11/05(火) 02:19:51 | 象のロケット
このピエロ、なんでもありだね。
2019/11/05(火) 06:36:59 | 或る日の出来事
スティーブン・キングの小説「IT」を映画化し、世界各国で大ヒットを飛ばしたホラー「IT イット “それ”が見えたら、終わり。」の続編にして完結編。前作から27年後を舞台に、ビル、ベバリーら大人になった「ルーザーズ・クラブ」の面々が、再び「それ」と対峙するさまを描く。大人になったルーザーズ・クラブの面々を演じるのは、ビル役のジェームズ・マカボイ、ベバリー役のジェシカ・チェステインら。監督は、前...
2019/11/06(水) 21:23:17 | 映画に夢中
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