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2020年03月29日 (日) | 編集 |
“わたし”を取り戻す。
イギリスからの植民者と先住民族との、いつ始まったとも、いつ果てるとも知れない戦争、ブラック・ウォーが続くタスマニア島を舞台に、アイルランド人流刑囚の女性の復讐を描く歴史劇。
権力を振りかざすイギリス軍将校に夫の目の前で犯され、家族を殺された主人公は、先住民族の男を雇い、北部の街へ向かった将校たちを追って、危険な密林に分け入ってゆく。
監督・脚本は一冊の絵本から始まる恐怖を描く異色の育児ホラー、「ババドック 暗闇の魔物」で注目を集めたジェニファー・ケント。
アイルランド系イタリア人のアイスリング・フランシオシが、主人公のクレアを熱演。
彼女に協力する先住民族のビリーを、ダンスパフォーマンスグループ、ジュキマラのメンバーでこれが映画初出演となるバイカリ・ガナンバル、冷酷なイギリス軍将校のホーキンスを、「スノーホワイト」などで知られるサム・フランクリンが演じる。
緑の地獄を心象映像として捉えた、ラデック・ラドチュックのカメラが素晴らしい。
19世紀前半、ブラック・ウォー下のタスマニア島。
アイルランド人流刑囚のクレア・キャロル(アイスリング・フランシオシ)は、ホーキンス(サム・フランクリン)が率いるイギリス軍部隊に奉仕していた。
彼女は仮放免の推薦状を描いて欲しいとホーキンスに頼んでいたのだが、なしのつぶて。
それどころか、自室にクレアを招き入れると問答無用でレイプする。
折しもホーキンスが昇進するに相応しいかを見極めるため、査察官が駐屯地を訪れていたが、彼の素行を見て昇進は取り止めとなる。
激怒したホーキンスは、昇進を直訴するために、密林を抜け北部のローンセストンへと向かう。
その道すがら、クレアが夫と娘と共に逃げようとしていることを知ったホーキンスは、彼女の家へ押し入り、家族の目の前で再び犯し、夫とまだ乳飲み子だった娘を殺す。
一人生き残ったクレアは、復讐を決意し密林をよく知る先住民族の青年ビリー(バイカリ・ガナンバル)を案内人として雇い、ホーキンスらの後を追うのだが・・・・
主人公クレアを襲うあまりにも残酷で暴力に満ちた運命に、思わず目を逸らせたくなる。
この映画で描かれているのは、クレアに対する理不尽極まりない性暴力。
そして、先住民族に対する人を人とも思わぬ民族浄化の大虐殺だ。
凄惨な暴力をストレートに描いているので拒否反応を示す人もいるだろうが、クレアの痛みと描かんとすることは真摯に伝わってくる。
オーストラリア大陸の南端に浮かぶ北海道より少し小さい島、19世紀当時はヴァン・ディーメンズ・ランドと呼ばれていたタスマニア島へ人類が到達したのはおよそ4万年前。
その後、海面上昇によって紀元前6千年頃に大陸本土から切り離され、本土とは異なる言語・文化を持つアボリジナル・タスマニアンズの諸部族が成立する。
その人口は最盛期には2万とも言われるが、19世紀初頭にイギリスによる本格的な植民地建設が始まると、彼らは駆逐すべき邪魔者として民族浄化の対象となり、ブラック・ウォーと呼ばれる植民者・イギリス軍との戦争と、ヨーロッパから持ち込まれた疫病によって急速に減少してゆく。
本作が描いているのは、そんな時代のタスマニア島の物語なのである。
家族を殺された女性が、荒野に分け入って仇を討つという話型は、典型的な西部劇の復讐もののパターンだ。
加えて、主人公が性暴力の犠牲者となっているなど、歴史的なミソジニーの不条理を告発する要素が強く、全体のイメージは「トゥルー・グリッド」+「ブリムストーン」という感じ。
しかし復讐劇の舞台となるのは西部劇の荒野とは違い、タスマニアの密林である。
むせ返るような緑の地獄を彷徨い、辛すぎるトラウマによって押しつぶされそうになる心理劇は、塚本晋也監督の傑作「野火」、あるいはアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥの「レヴェナント:蘇えりし者」を思い出した。
クレアのアイデンティティが本作のポイントだ。
彼女の母国アイルランドは、1801年にイギリスに併合され、事実上の植民地となる。
貧しい農業国だったアイルランドは、イギリスの資本によって食料基地として収奪され、貧しさに耐えかねた人々は盗みを犯し、今度は流刑囚となり更なる植民地建設の労働力としてオーストラリアに送られる。
当時タスマニア島に振り分けられた6万7千人の流刑囚の内、およそ1万5千人がアイルランド人であったという。
大英帝国内では被差別階層であったアイルランド人で、ミソジニー社会の戦時下の植民地に生きる女性、さらには生殺与奪の権利を軍に奪われた流刑囚という立場。
クレアは三重苦とも言うべき、いくつもの弱みを抱えているのである。
正義の存在しない世界で、最愛の夫と娘を奪われても、流刑囚の女性の言うことなど誰も信じてくれない。
彼女の複雑に閉塞した心象を表現するため、ラデック・ラドチュックのカメラは雄大な自然を狭いスタンダードのアスペクト比で切り取る。
憎い仇を追って鬱蒼とした緑の地獄を彷徨うクレアは、トラウマが見せる死者の幻影にも悩まされ、心身ともにボロボロに疲弊して行くのだ。
土地勘のない密林で行動するために雇われ、クレアのバディとなるビリーも、イギリス軍に部族ごと滅ぼされて天涯孤独の身。
白人は等しく自分たちの天敵だが、英語を自在に使いこなし、白人のために働くジレンマ。
当初クレアは、イギリス軍との面倒を嫌うビリーを雇うため「従軍中の夫に会うため」と事実関係を偽る。
最初は単に金で繋がったよそよそしい二人の関係は、ビリーがクレアの本当の目的を知り、アイルランド人とイギリス人の間にある対立と、お互いの中にある支配と抑圧の歴史を理解することで、少しづつ変わってゆく。
同じ様に見える白人でも、クレアはビリーと同じくイギリスに支配された植民地の被差別民族で、彼女の中にある痛みは、ビリーの中に燻っている葛藤と同じ種類のものなのだ。
民族も性別も違う二人は、抑圧への怒りの感情によって同志となり、やがてより深い絆で結ばれる。
だが、この物語にハリウッド映画の様な痛快さや娯楽性は一切無い。
後戻りできない二人の復讐劇には、未来も希望もないことは最初から分かっているからだ。
半世紀以上に及ぶイギリスの熾烈な民族浄化の結果、純血のアボリジナル・タスマニアンズは1876年に絶滅した。
そして、いかに理不尽な理由があろうとも、流刑囚の女性がイギリス軍の将校を殺せばただですむ訳が無い。
本作では暴力の連鎖という愚行を、悠久の大自然と対比することで物語を落とし込む。
救いのない復讐を遂げた後、クレアとビリーは人間の愛憎などとは全く無関係に存在し続けている、この惑星の最も美しい瞬間と立ち会うのである。
タイトルの「ナイチンゲール」とは、歌の上手いクレアのあだ名でサヨナキドリのこと。
自らの手を血で汚し、恨みを果たしたとしても、本当に欲しかったものは永遠に手に入らない。
そのことを心の底から感じたクレアは、悠久の大自然の前で「わたしは願い続けている 愛する人にまた会いたい」と切なく歌い上げるしかないのである。
人間の世界で、誰にも支配されずに生きることがいかに難しいか。
オーストラリアの血塗られた歴史を背景に、どうしようもなく弱く愚かな人間たちの悲劇を通し、逆説的にこの世界に必要な愛や寛容、優しさを描く秀作である。
今回は、タスマニアの大自然が作り出したウィスキー、「ヘリヤーズ・ロード ピノ・ノワール フィニッシュ」をチョイス。
まだまだ知名度は低いが、タスマニアは水資源が豊富で中小の蒸留所がいつくも作られている。
ヘリヤーズ・ロードは1999年に創業した蒸溜所で、牛乳メーカーの子会社として設立されたという変わり種。
ピノ・ノワール フィニッシュは、タスマニア産ピノ・ノワール ワインの樽を取り寄せ、シングルモルトの熟成の最後の半年間に使用したもの。
チョコレートを思わせる円やかな甘みと、複雑な果実香を楽しめるユニークな一本。
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イギリスからの植民者と先住民族との、いつ始まったとも、いつ果てるとも知れない戦争、ブラック・ウォーが続くタスマニア島を舞台に、アイルランド人流刑囚の女性の復讐を描く歴史劇。
権力を振りかざすイギリス軍将校に夫の目の前で犯され、家族を殺された主人公は、先住民族の男を雇い、北部の街へ向かった将校たちを追って、危険な密林に分け入ってゆく。
監督・脚本は一冊の絵本から始まる恐怖を描く異色の育児ホラー、「ババドック 暗闇の魔物」で注目を集めたジェニファー・ケント。
アイルランド系イタリア人のアイスリング・フランシオシが、主人公のクレアを熱演。
彼女に協力する先住民族のビリーを、ダンスパフォーマンスグループ、ジュキマラのメンバーでこれが映画初出演となるバイカリ・ガナンバル、冷酷なイギリス軍将校のホーキンスを、「スノーホワイト」などで知られるサム・フランクリンが演じる。
緑の地獄を心象映像として捉えた、ラデック・ラドチュックのカメラが素晴らしい。
19世紀前半、ブラック・ウォー下のタスマニア島。
アイルランド人流刑囚のクレア・キャロル(アイスリング・フランシオシ)は、ホーキンス(サム・フランクリン)が率いるイギリス軍部隊に奉仕していた。
彼女は仮放免の推薦状を描いて欲しいとホーキンスに頼んでいたのだが、なしのつぶて。
それどころか、自室にクレアを招き入れると問答無用でレイプする。
折しもホーキンスが昇進するに相応しいかを見極めるため、査察官が駐屯地を訪れていたが、彼の素行を見て昇進は取り止めとなる。
激怒したホーキンスは、昇進を直訴するために、密林を抜け北部のローンセストンへと向かう。
その道すがら、クレアが夫と娘と共に逃げようとしていることを知ったホーキンスは、彼女の家へ押し入り、家族の目の前で再び犯し、夫とまだ乳飲み子だった娘を殺す。
一人生き残ったクレアは、復讐を決意し密林をよく知る先住民族の青年ビリー(バイカリ・ガナンバル)を案内人として雇い、ホーキンスらの後を追うのだが・・・・
主人公クレアを襲うあまりにも残酷で暴力に満ちた運命に、思わず目を逸らせたくなる。
この映画で描かれているのは、クレアに対する理不尽極まりない性暴力。
そして、先住民族に対する人を人とも思わぬ民族浄化の大虐殺だ。
凄惨な暴力をストレートに描いているので拒否反応を示す人もいるだろうが、クレアの痛みと描かんとすることは真摯に伝わってくる。
オーストラリア大陸の南端に浮かぶ北海道より少し小さい島、19世紀当時はヴァン・ディーメンズ・ランドと呼ばれていたタスマニア島へ人類が到達したのはおよそ4万年前。
その後、海面上昇によって紀元前6千年頃に大陸本土から切り離され、本土とは異なる言語・文化を持つアボリジナル・タスマニアンズの諸部族が成立する。
その人口は最盛期には2万とも言われるが、19世紀初頭にイギリスによる本格的な植民地建設が始まると、彼らは駆逐すべき邪魔者として民族浄化の対象となり、ブラック・ウォーと呼ばれる植民者・イギリス軍との戦争と、ヨーロッパから持ち込まれた疫病によって急速に減少してゆく。
本作が描いているのは、そんな時代のタスマニア島の物語なのである。
家族を殺された女性が、荒野に分け入って仇を討つという話型は、典型的な西部劇の復讐もののパターンだ。
加えて、主人公が性暴力の犠牲者となっているなど、歴史的なミソジニーの不条理を告発する要素が強く、全体のイメージは「トゥルー・グリッド」+「ブリムストーン」という感じ。
しかし復讐劇の舞台となるのは西部劇の荒野とは違い、タスマニアの密林である。
むせ返るような緑の地獄を彷徨い、辛すぎるトラウマによって押しつぶされそうになる心理劇は、塚本晋也監督の傑作「野火」、あるいはアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥの「レヴェナント:蘇えりし者」を思い出した。
クレアのアイデンティティが本作のポイントだ。
彼女の母国アイルランドは、1801年にイギリスに併合され、事実上の植民地となる。
貧しい農業国だったアイルランドは、イギリスの資本によって食料基地として収奪され、貧しさに耐えかねた人々は盗みを犯し、今度は流刑囚となり更なる植民地建設の労働力としてオーストラリアに送られる。
当時タスマニア島に振り分けられた6万7千人の流刑囚の内、およそ1万5千人がアイルランド人であったという。
大英帝国内では被差別階層であったアイルランド人で、ミソジニー社会の戦時下の植民地に生きる女性、さらには生殺与奪の権利を軍に奪われた流刑囚という立場。
クレアは三重苦とも言うべき、いくつもの弱みを抱えているのである。
正義の存在しない世界で、最愛の夫と娘を奪われても、流刑囚の女性の言うことなど誰も信じてくれない。
彼女の複雑に閉塞した心象を表現するため、ラデック・ラドチュックのカメラは雄大な自然を狭いスタンダードのアスペクト比で切り取る。
憎い仇を追って鬱蒼とした緑の地獄を彷徨うクレアは、トラウマが見せる死者の幻影にも悩まされ、心身ともにボロボロに疲弊して行くのだ。
土地勘のない密林で行動するために雇われ、クレアのバディとなるビリーも、イギリス軍に部族ごと滅ぼされて天涯孤独の身。
白人は等しく自分たちの天敵だが、英語を自在に使いこなし、白人のために働くジレンマ。
当初クレアは、イギリス軍との面倒を嫌うビリーを雇うため「従軍中の夫に会うため」と事実関係を偽る。
最初は単に金で繋がったよそよそしい二人の関係は、ビリーがクレアの本当の目的を知り、アイルランド人とイギリス人の間にある対立と、お互いの中にある支配と抑圧の歴史を理解することで、少しづつ変わってゆく。
同じ様に見える白人でも、クレアはビリーと同じくイギリスに支配された植民地の被差別民族で、彼女の中にある痛みは、ビリーの中に燻っている葛藤と同じ種類のものなのだ。
民族も性別も違う二人は、抑圧への怒りの感情によって同志となり、やがてより深い絆で結ばれる。
だが、この物語にハリウッド映画の様な痛快さや娯楽性は一切無い。
後戻りできない二人の復讐劇には、未来も希望もないことは最初から分かっているからだ。
半世紀以上に及ぶイギリスの熾烈な民族浄化の結果、純血のアボリジナル・タスマニアンズは1876年に絶滅した。
そして、いかに理不尽な理由があろうとも、流刑囚の女性がイギリス軍の将校を殺せばただですむ訳が無い。
本作では暴力の連鎖という愚行を、悠久の大自然と対比することで物語を落とし込む。
救いのない復讐を遂げた後、クレアとビリーは人間の愛憎などとは全く無関係に存在し続けている、この惑星の最も美しい瞬間と立ち会うのである。
タイトルの「ナイチンゲール」とは、歌の上手いクレアのあだ名でサヨナキドリのこと。
自らの手を血で汚し、恨みを果たしたとしても、本当に欲しかったものは永遠に手に入らない。
そのことを心の底から感じたクレアは、悠久の大自然の前で「わたしは願い続けている 愛する人にまた会いたい」と切なく歌い上げるしかないのである。
人間の世界で、誰にも支配されずに生きることがいかに難しいか。
オーストラリアの血塗られた歴史を背景に、どうしようもなく弱く愚かな人間たちの悲劇を通し、逆説的にこの世界に必要な愛や寛容、優しさを描く秀作である。
今回は、タスマニアの大自然が作り出したウィスキー、「ヘリヤーズ・ロード ピノ・ノワール フィニッシュ」をチョイス。
まだまだ知名度は低いが、タスマニアは水資源が豊富で中小の蒸留所がいつくも作られている。
ヘリヤーズ・ロードは1999年に創業した蒸溜所で、牛乳メーカーの子会社として設立されたという変わり種。
ピノ・ノワール フィニッシュは、タスマニア産ピノ・ノワール ワインの樽を取り寄せ、シングルモルトの熟成の最後の半年間に使用したもの。
チョコレートを思わせる円やかな甘みと、複雑な果実香を楽しめるユニークな一本。

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