2020年12月07日 (月) | 編集 |
法と秩序を壊してるのは、一体誰なのか?
「モリーズ・ゲーム」で監督デビューしたアーロン・ソーキンの第二作「シカゴ7裁判」は、ベトナム戦争下の1968年、民主党大会が開かれていたシカゴで起こった暴動事件で、大衆を扇動したとして逮捕された七人の左翼活動家の裁判を描く。
そもそも見せしめのための、結果ありきの強引な裁判なのだが、その中にも様々なドラマがあり、見応えは十分。
本作は、明らかに今年の大統領選挙にぶつけた企画で、デモ隊と警察と人種差別、そして権力の側からの扇動といったモチーフは、まさに先日までニュースで見ていた映像そのもの。
エディ・レッドメイン、サシャ・バロン・コーエンらが被告人の左翼活動家を演じ、ジョセフ・ゴードン=レヴィットが検察官、名物弁護士をマーク・ライランスが演じる。
50年以上前の出来事が、今を描く鏡となるのもすごい話だが、良くも悪くもいつの時代もアメリカの民主主義はダイナミックだ。
1969年、共和党のニクソン政権が成立した年の秋、全米が注目する裁判がシカゴで始まる。
訴追されたのはトム・ヘイデン(エディ・レッドメイン)、レニー・デイビス(アレックス・シャープ)、アビー・ホフマン(サシャ・バロン・コーエン)、ジェリー・ルービン(ジェレミー・ストロング)、デヴィッド・デリンジャー(ジョン・キャロル・リンチ)、リー・ワイナー(ノア・ロビンス)、ジョン・フロイネス(ダニエル・フラハティ)、そしてボビー・シール(ヤーヤー・アブドゥル=マーティン2世)の8人。
彼らは前年の1968年8月、大統領候補を決める民主党大会が行われていたシカゴで、無許可のデモと集会を行い、暴動を起こした嫌疑がかけられていた。
もし有罪ならば最大10年の懲役刑となる。
弁護士のウイリアム・クンスラー(マーク・ライランス)とレナード・ワインハウス(ベン・シェンクマン)は、被告たちへの偏見を剥き出しにする判事の前で、決して一枚岩とは言い切れない被告たちを束ね無罪を勝ち取らなければならない・・・
1968年の民主党の大統領候補の予備選は、当初から波乱含みだった。
当初はリンドン・ジョンソン大統領が2期目を狙うと思われていたが、ベトナム戦争を拡大させた責任を問われ、ベトナムからの撤退を主張するユージン・マッカーシー、ロバート・ケネディに追い詰められ、不出馬を表明する。
ところが、一番人気のロバート・ケネディが暗殺されると、一転して副大統領のヒューバート・ハンフリーが最有力候補に躍り出る。
ハンフリーはベトナム戦争を泥沼化させたジョンソン政権の幹部であり、基本政策の継承を主張していたことから、ベトナム反戦派の反発をかっていた。
そのため、ハンフリーが大統領候補指名を受ける民主党大会が開かれるシカゴには、多くの反対勢力がプロテストのために集まっていたのだ。
しかし、訴追された8人に共通しているのは“ベトナム戦争に反対していてる”という一点のみ。
ヘイデンとデイビスは民主社会学生同盟( SDS)、ホフマンとルービンは青年国際党(イッピー)、デリンジャーはベトナム戦争終結運動(MOBE)、ワイナーとフロイネスは暴動で使われた悪臭爆弾を作ったとされ、ボビー・シールは黒人民族主義を掲げるブラックパンサー党の創設者だ。
彼らは、属する組織も活動の方針も目的も違う。
シールに至っては、シカゴに滞在したのは数時間だけで、暴動の時はその場にすらいなかった。
要するに、この裁判は前政権の司法長官だったラムゼイ・クラークがギリギリまで退任を渋ったことに対する、新司法長官のジョン・ミッチェルによる“仕返し”であり、ニクソン政権が自分たちの目障りになりそうな社会活動家たちを、牽制するために起こした茶番狂言なのだ。
本来ならば、デモや集会は憲法で保証された合衆国国民の権利であって、何の違法性も無い。
そこで起訴を正当化するために司法省が持ち出してきたのが、1967年にラジカルな公民権活動家でプラックパンサー党とも同盟関係にあったH.ラップ・ブラウンが、共謀し他州で暴力を煽ったとして起訴された条項、所謂ラップ・ブラウン法だ。
もちろん、実際に共謀したのか、暴動を扇動したのかなど関係ない。
フランク・ランジェロが怪演する判事のジュリアス・ホフマンは、最初から被告たちに対して偏見剥き出しで、有罪にする気満々。
8人の中でも一際扱いが酷いのが唯一の黒人であるボビー・シールで、彼の弁護士が病気で出廷できないのに、全く無視したまま裁判を進めてしまう。
そもそも、他の被告たちとは面識もないシールが起訴されたのも奇妙なのだが、法治主義の根幹である弁護士をつける権利すら蔑ろにされるとか、もうむちゃくちゃである。
ゴードン=レヴィットが演じる主任検察官のリチャード・シュルツは、最初裁判そのものに反対するなど、まだまともな法務官僚として描かれてる。
自分の扱いに反発するシールに、ホフマン判事が猿轡を噛ませて拘束することを命じるというあり得ない暴挙を見たシュルツは、もはや公判を維持できないと判断し、シールの裁判を分離させる。
これによって、映画の中盤からは被告人は7人となり、世間から「シカゴ7裁判」と呼ばれるようになるのだ。
マジメ系、ヒッピー系、大人系(?)、ラジカル系、それぞれに濃いキャラクターの7人が、時に協力しあい、時に反発し、これまたキャラの濃い名物弁護士のクンスラーと共に理不尽な戦いに挑む。
現在進行形の裁判と、過去の暴動事件の顛末が交互に描かれる、そこで本当は何が起こっていたのかが明かされてゆく構造。
前作の「モリーズ・ゲーム」でもそうだったが、もともと映画脚本家としてのデビュー作「ア・フュー・グッドメン」からして裁判劇。
ソーキンは動きの少ないドラマでの、テリングのテンポの作りが非常に上手い。
ファーストカットは、ベトナムへの増派を宣言するジョンソン大統領のニュース映像。
そこから大量徴兵が始まり、ベトナム撤退派のキング牧師とロバート・ケネディの暗殺、シカゴへと向かう本作の主要登場人物の紹介、そして暴動の描写は一旦すっ飛ばし、半年後に司法省で8人の訴追が決まる会議まで、わずか10分強。
ハリウッド脚本術には、冒頭10ページ(10分)でどんな情報を開示すべきなのかを定義した“ファースト10”という用語があるが、軽快な編集でリズムを作りながらの冒頭部分は、まさにファースト10のお手本だ。
映画の前半は、裁判でのシールへの理不尽な仕打ちと、デモ隊に対する警察の暴力を描き、観客の感情移入を誘って物語を進め、中盤以降シールが退場すると、主要キャラクターの内面を徐々に明かしつつ、目立ちたがり屋のホフマンとルービンのスタンダップコメディのステージみたいな集会を、モノローグ的に上手く使って、地味な裁判劇を極上エンタメに仕上げている。
また、民主党大会の間は、多くの警察官が”スパイ”としてプロテスト勢力に送り込まれていて、裁判の時には検察側証人となるのだが、その中でもルービンをナンパするFBIの女性捜査官に、彼らへのシンパシーを抱かせるなど、どちらの側も二面性を描くことを忘れないバランス感覚が際立つ。
本作と同じように、今年の大統領選挙にぶつけた作品に、デヴィッド・フィンチャーの「Mank/マンク」があるが、あの映画は政治性よりもフィンチャーの美学が前面に出ていた。
また歴史劇なのに説明要素がないので、奥行きはとんでもなく深いが、一見さんには入りづらい間口の狭い作品だった。
対して、こちらは最低限の米国史の知識があれば、あとは決して説明的にならずに、起こったことを過不足なく描写してくれるし、明らかに被告側に立った視点で描かれるので、言いたいことが非常に分かりやすい。
裁判の最後で、バラバラだった7人の被告人たちが、シカゴに来た本来の動機である“ベトナム戦争への反対”で結束し、ある行動を行うのも感動的だ。
それにしても、今年はコロナ禍で米国メジャー作品の劇場公開がほとんど無かった反面、Netflixをはじめとした配信サービスでは本作や「Mank /マンク」など傑作が続出した。
もしかすると今年の賞レースの候補作は、Netflix作品ばっかりになるのではないか。
コロナの時代は、映画のあり方の歴史的転換点になるのかも知れないな。
今回は、ルービンを釣るのに使われた「トム・コリンズ」をチョイス。
オールド・トム・ジン60ml、レモン・ジュース20ml、砂糖2tspをシェイクし、氷を入れたグラスに注ぐ。
最後にソーダで満たして、レモンとマラスキーノ・チェリーを飾って完成。
ルービンは勘違いしていたが、実際に発明したのはトム・コリンズではなくジョン・コリンズというバーテンで、当初は自分の名前を付けていたのだが、途中でベースをオールド・トム・ジンに変えたことからトム・コリンズと呼ばれるようになった。
ジンとレモンだけのシンプルな味わいだが、飽きのこない定番のカクテルの一つだ。
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「モリーズ・ゲーム」で監督デビューしたアーロン・ソーキンの第二作「シカゴ7裁判」は、ベトナム戦争下の1968年、民主党大会が開かれていたシカゴで起こった暴動事件で、大衆を扇動したとして逮捕された七人の左翼活動家の裁判を描く。
そもそも見せしめのための、結果ありきの強引な裁判なのだが、その中にも様々なドラマがあり、見応えは十分。
本作は、明らかに今年の大統領選挙にぶつけた企画で、デモ隊と警察と人種差別、そして権力の側からの扇動といったモチーフは、まさに先日までニュースで見ていた映像そのもの。
エディ・レッドメイン、サシャ・バロン・コーエンらが被告人の左翼活動家を演じ、ジョセフ・ゴードン=レヴィットが検察官、名物弁護士をマーク・ライランスが演じる。
50年以上前の出来事が、今を描く鏡となるのもすごい話だが、良くも悪くもいつの時代もアメリカの民主主義はダイナミックだ。
1969年、共和党のニクソン政権が成立した年の秋、全米が注目する裁判がシカゴで始まる。
訴追されたのはトム・ヘイデン(エディ・レッドメイン)、レニー・デイビス(アレックス・シャープ)、アビー・ホフマン(サシャ・バロン・コーエン)、ジェリー・ルービン(ジェレミー・ストロング)、デヴィッド・デリンジャー(ジョン・キャロル・リンチ)、リー・ワイナー(ノア・ロビンス)、ジョン・フロイネス(ダニエル・フラハティ)、そしてボビー・シール(ヤーヤー・アブドゥル=マーティン2世)の8人。
彼らは前年の1968年8月、大統領候補を決める民主党大会が行われていたシカゴで、無許可のデモと集会を行い、暴動を起こした嫌疑がかけられていた。
もし有罪ならば最大10年の懲役刑となる。
弁護士のウイリアム・クンスラー(マーク・ライランス)とレナード・ワインハウス(ベン・シェンクマン)は、被告たちへの偏見を剥き出しにする判事の前で、決して一枚岩とは言い切れない被告たちを束ね無罪を勝ち取らなければならない・・・
1968年の民主党の大統領候補の予備選は、当初から波乱含みだった。
当初はリンドン・ジョンソン大統領が2期目を狙うと思われていたが、ベトナム戦争を拡大させた責任を問われ、ベトナムからの撤退を主張するユージン・マッカーシー、ロバート・ケネディに追い詰められ、不出馬を表明する。
ところが、一番人気のロバート・ケネディが暗殺されると、一転して副大統領のヒューバート・ハンフリーが最有力候補に躍り出る。
ハンフリーはベトナム戦争を泥沼化させたジョンソン政権の幹部であり、基本政策の継承を主張していたことから、ベトナム反戦派の反発をかっていた。
そのため、ハンフリーが大統領候補指名を受ける民主党大会が開かれるシカゴには、多くの反対勢力がプロテストのために集まっていたのだ。
しかし、訴追された8人に共通しているのは“ベトナム戦争に反対していてる”という一点のみ。
ヘイデンとデイビスは民主社会学生同盟( SDS)、ホフマンとルービンは青年国際党(イッピー)、デリンジャーはベトナム戦争終結運動(MOBE)、ワイナーとフロイネスは暴動で使われた悪臭爆弾を作ったとされ、ボビー・シールは黒人民族主義を掲げるブラックパンサー党の創設者だ。
彼らは、属する組織も活動の方針も目的も違う。
シールに至っては、シカゴに滞在したのは数時間だけで、暴動の時はその場にすらいなかった。
要するに、この裁判は前政権の司法長官だったラムゼイ・クラークがギリギリまで退任を渋ったことに対する、新司法長官のジョン・ミッチェルによる“仕返し”であり、ニクソン政権が自分たちの目障りになりそうな社会活動家たちを、牽制するために起こした茶番狂言なのだ。
本来ならば、デモや集会は憲法で保証された合衆国国民の権利であって、何の違法性も無い。
そこで起訴を正当化するために司法省が持ち出してきたのが、1967年にラジカルな公民権活動家でプラックパンサー党とも同盟関係にあったH.ラップ・ブラウンが、共謀し他州で暴力を煽ったとして起訴された条項、所謂ラップ・ブラウン法だ。
もちろん、実際に共謀したのか、暴動を扇動したのかなど関係ない。
フランク・ランジェロが怪演する判事のジュリアス・ホフマンは、最初から被告たちに対して偏見剥き出しで、有罪にする気満々。
8人の中でも一際扱いが酷いのが唯一の黒人であるボビー・シールで、彼の弁護士が病気で出廷できないのに、全く無視したまま裁判を進めてしまう。
そもそも、他の被告たちとは面識もないシールが起訴されたのも奇妙なのだが、法治主義の根幹である弁護士をつける権利すら蔑ろにされるとか、もうむちゃくちゃである。
ゴードン=レヴィットが演じる主任検察官のリチャード・シュルツは、最初裁判そのものに反対するなど、まだまともな法務官僚として描かれてる。
自分の扱いに反発するシールに、ホフマン判事が猿轡を噛ませて拘束することを命じるというあり得ない暴挙を見たシュルツは、もはや公判を維持できないと判断し、シールの裁判を分離させる。
これによって、映画の中盤からは被告人は7人となり、世間から「シカゴ7裁判」と呼ばれるようになるのだ。
マジメ系、ヒッピー系、大人系(?)、ラジカル系、それぞれに濃いキャラクターの7人が、時に協力しあい、時に反発し、これまたキャラの濃い名物弁護士のクンスラーと共に理不尽な戦いに挑む。
現在進行形の裁判と、過去の暴動事件の顛末が交互に描かれる、そこで本当は何が起こっていたのかが明かされてゆく構造。
前作の「モリーズ・ゲーム」でもそうだったが、もともと映画脚本家としてのデビュー作「ア・フュー・グッドメン」からして裁判劇。
ソーキンは動きの少ないドラマでの、テリングのテンポの作りが非常に上手い。
ファーストカットは、ベトナムへの増派を宣言するジョンソン大統領のニュース映像。
そこから大量徴兵が始まり、ベトナム撤退派のキング牧師とロバート・ケネディの暗殺、シカゴへと向かう本作の主要登場人物の紹介、そして暴動の描写は一旦すっ飛ばし、半年後に司法省で8人の訴追が決まる会議まで、わずか10分強。
ハリウッド脚本術には、冒頭10ページ(10分)でどんな情報を開示すべきなのかを定義した“ファースト10”という用語があるが、軽快な編集でリズムを作りながらの冒頭部分は、まさにファースト10のお手本だ。
映画の前半は、裁判でのシールへの理不尽な仕打ちと、デモ隊に対する警察の暴力を描き、観客の感情移入を誘って物語を進め、中盤以降シールが退場すると、主要キャラクターの内面を徐々に明かしつつ、目立ちたがり屋のホフマンとルービンのスタンダップコメディのステージみたいな集会を、モノローグ的に上手く使って、地味な裁判劇を極上エンタメに仕上げている。
また、民主党大会の間は、多くの警察官が”スパイ”としてプロテスト勢力に送り込まれていて、裁判の時には検察側証人となるのだが、その中でもルービンをナンパするFBIの女性捜査官に、彼らへのシンパシーを抱かせるなど、どちらの側も二面性を描くことを忘れないバランス感覚が際立つ。
本作と同じように、今年の大統領選挙にぶつけた作品に、デヴィッド・フィンチャーの「Mank/マンク」があるが、あの映画は政治性よりもフィンチャーの美学が前面に出ていた。
また歴史劇なのに説明要素がないので、奥行きはとんでもなく深いが、一見さんには入りづらい間口の狭い作品だった。
対して、こちらは最低限の米国史の知識があれば、あとは決して説明的にならずに、起こったことを過不足なく描写してくれるし、明らかに被告側に立った視点で描かれるので、言いたいことが非常に分かりやすい。
裁判の最後で、バラバラだった7人の被告人たちが、シカゴに来た本来の動機である“ベトナム戦争への反対”で結束し、ある行動を行うのも感動的だ。
それにしても、今年はコロナ禍で米国メジャー作品の劇場公開がほとんど無かった反面、Netflixをはじめとした配信サービスでは本作や「Mank /マンク」など傑作が続出した。
もしかすると今年の賞レースの候補作は、Netflix作品ばっかりになるのではないか。
コロナの時代は、映画のあり方の歴史的転換点になるのかも知れないな。
今回は、ルービンを釣るのに使われた「トム・コリンズ」をチョイス。
オールド・トム・ジン60ml、レモン・ジュース20ml、砂糖2tspをシェイクし、氷を入れたグラスに注ぐ。
最後にソーダで満たして、レモンとマラスキーノ・チェリーを飾って完成。
ルービンは勘違いしていたが、実際に発明したのはトム・コリンズではなくジョン・コリンズというバーテンで、当初は自分の名前を付けていたのだが、途中でベースをオールド・トム・ジンに変えたことからトム・コリンズと呼ばれるようになった。
ジンとレモンだけのシンプルな味わいだが、飽きのこない定番のカクテルの一つだ。

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◆『シカゴ7裁判』UPLINK渋谷2
▲ある意味「新しい暴力表現」。
五つ星評価で【★★★★何が行われ、どう対処されたか】
ツイッターで評判を聞いた。
長さが不安だったが見に行った。おもろい。長さは全然、気にならない。
シカゴ7、シカゴの百姓を野武士から救うために集まった、違うがな。
うち二人は民主社会学生同盟のリーダー。学生の視点で社会を改善したいという割とマジ政治オタクっぽい面々。
...
2020/12/14(月) 15:53:01 | ふじき78の死屍累々映画日記・第二章
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