2021年08月17日 (火) | 編集 |
モブキャラだって冒険したい!
夏休みエンターテイメントの真打登場。
自分がゲームの世界のモブキャラだと知った主人公が、役をやらされるのではなく、自分の人生を生きようと奮闘する。
監督は「ナイト ミュージアム」シリーズ、「リアル・スティール」のショーン・レヴィ。
「デッド・プール」のライアン・レイノルズが、どこから見ても平凡でいい人のゲームキャラ、その名も”ガイ”を演じ、彼を冒険に誘うゲーム開発者にしてプレイヤーのミリーにジョディ・カマー、憎たらしい悪役を、自作の「ジョジョ・ラビット」でヒットラーを演じたタイカ・ワイティティが演じる。
レイノルズは本作を“今の時代の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」”と呼んでいるそうで、その真意が鑑賞してようやく分かった。
もちろん名作タイムトラベルSFとは全く違った内容なのだが、驚くべき未見性が生み出すワクワク感と楽しさは確かに共通するものがある。
レヴィのキャリアベストであるのはもちろん、あらゆる観客層を包み込む間口の広さと、考えさせられるテーマ的な深さを併せ持つ傑作だ。
「フリーシティ」はスナミ社が発売したアクションゲーム。
この世界に住む平凡な銀行員のガイ(ライアン・レイノルズ)は、毎日同じルーティンをこなす。
朝起きて、コーヒーを買い、職場に出勤しては1日に何度も銀行強盗に遭う。
ある日、ふと思い立ったガイが強盗に反撃してみると撃退できてしまい、ついでに強盗のサングラスを奪ってかけてみたところ、街中に奇妙なアイテムやミッションの指令が映し出される。
モロトフ(ジョディ・カマー)と名乗るイケてる美女と出会ったガイは、ミッションをクリアしてレベル100を越えればデートしてあげると言われ、ポイント稼ぎに邁進。
瞬く間にレベルを上げてゆく、モブキャラ風の謎のプレイヤーは現実世界でも話題となる。
スナミのプログラマーのキーズ(ジョー・キーリー)は、彼の正体が自我を持ったAIだと気付き、かつての相方だったミリーに伝える。
実はミリーはモロトフのプレイヤーで、スナミのアントワン(タイカ・ワイティティ)に開発中だったゲームを盗用され、その証拠を探して「フリーシティ」をプレイしていたのだ。
アントワンは「フリーシティ」を続編に切り替えようとしていて、そうなれば今の世界は消える。
自分がゲームのモブキャラだとモロトフから聞かされたガイは、自分の人生を生きるため彼女に協力することを決意するのだが・・・
ゲームキャラの生き様に、泣かされるとは思ってなかった。
本作のような現実と虚構のメタ構造を持つ作品は、昔から小説、漫画、映画と無数にあるが、ルーティンをこなすだけのモブキャラで、ごく普通の人というキャラクター設定からして、「LEGOムービー」の影響を受けたのは間違いないだろう。
だが本作のポイントは、物語をゲームの世界と現実世界のツートラックとしたこと。
まるで「GTA」のパチモンみたいな「フリーシティ」の世界では、サングラスをかけた人たちがヒーロー、あるいはヴィラン。
つまり現実世界からのプレイヤーで、他の人たちは全て同じルーティンを繰り返すことをプログラミングされたAIで、もちろん自分がゲームキャラだとは思ってない。
同じ毎日を繰り返すことに嫌気がさしたガイが、日常に反旗を翻し強盗のサングラスを奪い取ったことが切っ掛けとなり、新たな人生を歩み出す物語と、現実世界で人生を賭けた仕事を奪われたミリーが、それを取り戻そうと奮闘する話が、巧みにミックスされながらお互いに影響し合う。
ガイが独自の行動を始めた時点では、誰も彼が世界で初めて自我を持ったAIだとは思ってない。
もともとミリーとキーズが開発していたのは、「フリーライフ」と呼ばれる、ゲーム内でAIのキャラクターが成長してゆくのを、参加したプレイヤーが観察するという地味なゲーム。
キーズは、ガイがプレイヤーに操られているのでは無く、自分で思考しているAIだと看破し、「フリーシティ」が「フリーライフ」の盗用だと確信する。
ところが、アントワンは「フリーシティ」を、互換性が無くてより刺激の強い「フリーシティ2」にバージョンアップすることを計画していて、そうなればガイの世界は消滅し、盗用の証拠も永遠に消されてしまう。
モロトフとしてフリーシティに潜入しているミリーに、自分が現実の存在では無く、虚構の世界のAIだと聞かされたガイはショックを受けるが、この街に暮らす多くの仲間のためにヒーローとして戦うことを決意する。
証拠を探すミリーと、自分の存在する世界を守りたいガイの利害は一致し、タイムリミットが迫る中、多くのモブキャラたちに現実世界のキーズも加わり、生き残るための総力戦を繰り広げる。
ゴールは、「フリーシティ」の世界のどこかに隠されている、「フリーライフ」の世界を見つけること。
全世界の人々が見ることの出来るオンライゲームゆえ、画面に「フリーライフ」が現れてた瞬間、アントワンの犯罪は証明される。
クライマックスは、制作途中に“20世紀FOX”がディズニー傘下の“20世紀スタジオ”となったことで、ちょっとしたクロスオーバーが実現。
まさに夏休みのお祭り映画として、実に楽しい展開となっている。
しかし、この映画が単純なエンターテイメントを超えて、本当に記憶すべき名作となり得ているのは、“モブキャラ”=“自分とは関係ないと思っている人たち”にも、それぞれの尊重すべき人生があるという事実を分かりやすく、しかし実感を持って描いたことにある。
行動する謎のモブキャラ、ガイはやがて世界中のプレイヤーの人気になってゆくのだが、彼らが口にするのが「今までモブキャラのことんなんて、考えたこと無かった」と言う台詞。
関係ないから、今までゲームの中で好き勝手に殺したり、奪ったりしていたが、もしモブキャラに人としての自我があったとしたら、それがAIだとしても同じことが出来るだろうか。
二重世界の設定をうまく使って、「この世界に“モブキャラ”はいない。みな一生懸命にそれぞれの人生を生きている。さあ、想像力を広げよう!」というメッセージが自然に入ってくる。
昔アメリカに引っ越した時、エレベーターで乗り合わせた他人に、「Hey」と一言挨拶するのが不思議だったが、ある時その理由が「襲われないため」と聞いて驚いた。
挨拶をして言葉を交わすことで、その相手は人格を持った一人の人間となり、襲ってもいいモブキャラじゃなくなるのだと。
今回は「ゲームの中の人が、自我を持っていたら?」という話だが、これは現実世界でも同じ話だ。
遠い国の戦争や災害に無関心なの人も、同じ社会に暮らすホームレスや生活保護世帯の命を軽視する発言をする人も、人の人生を思いやる想像力が欠落している。
タイカ・ワイティティが怪演するアントワンはまさにこのタイプで、AIはもちろん、他人のことは自社の社員やユーザーでもどうでもよく、自分がいくら儲かるか意外に何も興味がない。
だからこそ、彼は本作の悪役に相応しいのだ。
いらない人生なんて無い、人生を取り戻せ!というストレートなテーマがショーン・レヴィの陽性のタッチとピタリとハマり、極めて完成度の高い夏休み娯楽大作となった。
面白いのは、何も刺激的なことは起こらず、ただその世界で生活し、観察するだけという「フリーライフ」の設定が、コロナ禍で大ヒットした「どうぶつの森」を彷彿とさせる点。
任天堂は、他人との関わり合い無しでは生きてゆけない、本質的な人間の心理を見抜いているのかも知れない。
今回は、「フリーライフ」の世界で飲みたいリゾートなカクテル、「ブルー・ハワイ」をチョイスホワイト・ラム30ml、ブルー・キュラソー15m、パイナップル・ジュース30ml、レモン・ジュース15mlをシェイクし、氷を入れた大きめのグラスに注ぐ。
カットしたフルーツ類を飾って完成。
様々なレシピが存在するが、大体の要素は同じ。
名前の通り、南国の海を思わせる涼しげな青いカクテル。
ラムの甘い香りに、フルーツの酸味が聞いて、スッキリした飲み心地だ。
レモン・ジュースをココナッツ・ミルクに替えると、一字違いの「ブルー・ハワイアン」になる。
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夏休みエンターテイメントの真打登場。
自分がゲームの世界のモブキャラだと知った主人公が、役をやらされるのではなく、自分の人生を生きようと奮闘する。
監督は「ナイト ミュージアム」シリーズ、「リアル・スティール」のショーン・レヴィ。
「デッド・プール」のライアン・レイノルズが、どこから見ても平凡でいい人のゲームキャラ、その名も”ガイ”を演じ、彼を冒険に誘うゲーム開発者にしてプレイヤーのミリーにジョディ・カマー、憎たらしい悪役を、自作の「ジョジョ・ラビット」でヒットラーを演じたタイカ・ワイティティが演じる。
レイノルズは本作を“今の時代の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」”と呼んでいるそうで、その真意が鑑賞してようやく分かった。
もちろん名作タイムトラベルSFとは全く違った内容なのだが、驚くべき未見性が生み出すワクワク感と楽しさは確かに共通するものがある。
レヴィのキャリアベストであるのはもちろん、あらゆる観客層を包み込む間口の広さと、考えさせられるテーマ的な深さを併せ持つ傑作だ。
「フリーシティ」はスナミ社が発売したアクションゲーム。
この世界に住む平凡な銀行員のガイ(ライアン・レイノルズ)は、毎日同じルーティンをこなす。
朝起きて、コーヒーを買い、職場に出勤しては1日に何度も銀行強盗に遭う。
ある日、ふと思い立ったガイが強盗に反撃してみると撃退できてしまい、ついでに強盗のサングラスを奪ってかけてみたところ、街中に奇妙なアイテムやミッションの指令が映し出される。
モロトフ(ジョディ・カマー)と名乗るイケてる美女と出会ったガイは、ミッションをクリアしてレベル100を越えればデートしてあげると言われ、ポイント稼ぎに邁進。
瞬く間にレベルを上げてゆく、モブキャラ風の謎のプレイヤーは現実世界でも話題となる。
スナミのプログラマーのキーズ(ジョー・キーリー)は、彼の正体が自我を持ったAIだと気付き、かつての相方だったミリーに伝える。
実はミリーはモロトフのプレイヤーで、スナミのアントワン(タイカ・ワイティティ)に開発中だったゲームを盗用され、その証拠を探して「フリーシティ」をプレイしていたのだ。
アントワンは「フリーシティ」を続編に切り替えようとしていて、そうなれば今の世界は消える。
自分がゲームのモブキャラだとモロトフから聞かされたガイは、自分の人生を生きるため彼女に協力することを決意するのだが・・・
ゲームキャラの生き様に、泣かされるとは思ってなかった。
本作のような現実と虚構のメタ構造を持つ作品は、昔から小説、漫画、映画と無数にあるが、ルーティンをこなすだけのモブキャラで、ごく普通の人というキャラクター設定からして、「LEGOムービー」の影響を受けたのは間違いないだろう。
だが本作のポイントは、物語をゲームの世界と現実世界のツートラックとしたこと。
まるで「GTA」のパチモンみたいな「フリーシティ」の世界では、サングラスをかけた人たちがヒーロー、あるいはヴィラン。
つまり現実世界からのプレイヤーで、他の人たちは全て同じルーティンを繰り返すことをプログラミングされたAIで、もちろん自分がゲームキャラだとは思ってない。
同じ毎日を繰り返すことに嫌気がさしたガイが、日常に反旗を翻し強盗のサングラスを奪い取ったことが切っ掛けとなり、新たな人生を歩み出す物語と、現実世界で人生を賭けた仕事を奪われたミリーが、それを取り戻そうと奮闘する話が、巧みにミックスされながらお互いに影響し合う。
ガイが独自の行動を始めた時点では、誰も彼が世界で初めて自我を持ったAIだとは思ってない。
もともとミリーとキーズが開発していたのは、「フリーライフ」と呼ばれる、ゲーム内でAIのキャラクターが成長してゆくのを、参加したプレイヤーが観察するという地味なゲーム。
キーズは、ガイがプレイヤーに操られているのでは無く、自分で思考しているAIだと看破し、「フリーシティ」が「フリーライフ」の盗用だと確信する。
ところが、アントワンは「フリーシティ」を、互換性が無くてより刺激の強い「フリーシティ2」にバージョンアップすることを計画していて、そうなればガイの世界は消滅し、盗用の証拠も永遠に消されてしまう。
モロトフとしてフリーシティに潜入しているミリーに、自分が現実の存在では無く、虚構の世界のAIだと聞かされたガイはショックを受けるが、この街に暮らす多くの仲間のためにヒーローとして戦うことを決意する。
証拠を探すミリーと、自分の存在する世界を守りたいガイの利害は一致し、タイムリミットが迫る中、多くのモブキャラたちに現実世界のキーズも加わり、生き残るための総力戦を繰り広げる。
ゴールは、「フリーシティ」の世界のどこかに隠されている、「フリーライフ」の世界を見つけること。
全世界の人々が見ることの出来るオンライゲームゆえ、画面に「フリーライフ」が現れてた瞬間、アントワンの犯罪は証明される。
クライマックスは、制作途中に“20世紀FOX”がディズニー傘下の“20世紀スタジオ”となったことで、ちょっとしたクロスオーバーが実現。
まさに夏休みのお祭り映画として、実に楽しい展開となっている。
しかし、この映画が単純なエンターテイメントを超えて、本当に記憶すべき名作となり得ているのは、“モブキャラ”=“自分とは関係ないと思っている人たち”にも、それぞれの尊重すべき人生があるという事実を分かりやすく、しかし実感を持って描いたことにある。
行動する謎のモブキャラ、ガイはやがて世界中のプレイヤーの人気になってゆくのだが、彼らが口にするのが「今までモブキャラのことんなんて、考えたこと無かった」と言う台詞。
関係ないから、今までゲームの中で好き勝手に殺したり、奪ったりしていたが、もしモブキャラに人としての自我があったとしたら、それがAIだとしても同じことが出来るだろうか。
二重世界の設定をうまく使って、「この世界に“モブキャラ”はいない。みな一生懸命にそれぞれの人生を生きている。さあ、想像力を広げよう!」というメッセージが自然に入ってくる。
昔アメリカに引っ越した時、エレベーターで乗り合わせた他人に、「Hey」と一言挨拶するのが不思議だったが、ある時その理由が「襲われないため」と聞いて驚いた。
挨拶をして言葉を交わすことで、その相手は人格を持った一人の人間となり、襲ってもいいモブキャラじゃなくなるのだと。
今回は「ゲームの中の人が、自我を持っていたら?」という話だが、これは現実世界でも同じ話だ。
遠い国の戦争や災害に無関心なの人も、同じ社会に暮らすホームレスや生活保護世帯の命を軽視する発言をする人も、人の人生を思いやる想像力が欠落している。
タイカ・ワイティティが怪演するアントワンはまさにこのタイプで、AIはもちろん、他人のことは自社の社員やユーザーでもどうでもよく、自分がいくら儲かるか意外に何も興味がない。
だからこそ、彼は本作の悪役に相応しいのだ。
いらない人生なんて無い、人生を取り戻せ!というストレートなテーマがショーン・レヴィの陽性のタッチとピタリとハマり、極めて完成度の高い夏休み娯楽大作となった。
面白いのは、何も刺激的なことは起こらず、ただその世界で生活し、観察するだけという「フリーライフ」の設定が、コロナ禍で大ヒットした「どうぶつの森」を彷彿とさせる点。
任天堂は、他人との関わり合い無しでは生きてゆけない、本質的な人間の心理を見抜いているのかも知れない。
今回は、「フリーライフ」の世界で飲みたいリゾートなカクテル、「ブルー・ハワイ」をチョイスホワイト・ラム30ml、ブルー・キュラソー15m、パイナップル・ジュース30ml、レモン・ジュース15mlをシェイクし、氷を入れた大きめのグラスに注ぐ。
カットしたフルーツ類を飾って完成。
様々なレシピが存在するが、大体の要素は同じ。
名前の通り、南国の海を思わせる涼しげな青いカクテル。
ラムの甘い香りに、フルーツの酸味が聞いて、スッキリした飲み心地だ。
レモン・ジュースをココナッツ・ミルクに替えると、一字違いの「ブルー・ハワイアン」になる。

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この記事へのコメント
久しぶりに映画館にいかせていただきました(^_^;)
ナイトミュージアムの監督さんだったので、深い考察とか抜きにして気楽にコメディとしてたのしめましたが、なるほど、自分と利害関係にない人に対して無関心だったり、残酷になったりするようなことに対してのメッセージとも確かに取れる内容でしたね。
Heyの話、興味深かったです!
なんか、人間って想像力が及ぶ範囲ってそこまで広くないのかもしれませんよね、だからこういった知恵とかがあるのかな。
ナイトミュージアムの監督さんだったので、深い考察とか抜きにして気楽にコメディとしてたのしめましたが、なるほど、自分と利害関係にない人に対して無関心だったり、残酷になったりするようなことに対してのメッセージとも確かに取れる内容でしたね。
Heyの話、興味深かったです!
なんか、人間って想像力が及ぶ範囲ってそこまで広くないのかもしれませんよね、だからこういった知恵とかがあるのかな。
>ゴーダイさん
ショーン・レヴィのスタイルと、内容が絶妙にマッチしてました。
エレベーターの挨拶の話は、当時の私には眼から鱗でした。
確かに一言でも言葉を交わした人を襲うのは、悪人でも躊躇しますよね。
人間の想像力をその一言で刺激してるのだと思います。
ショーン・レヴィのスタイルと、内容が絶妙にマッチしてました。
エレベーターの挨拶の話は、当時の私には眼から鱗でした。
確かに一言でも言葉を交わした人を襲うのは、悪人でも躊躇しますよね。
人間の想像力をその一言で刺激してるのだと思います。
「フリーライフ」のゲーマーは「フリーシティ」の英雄としてガイと接する。だが、それも100年くらいだ。ガイたちAIは無限の人生を生きる。ゲーマーは長命でも100年くらいだ。今、話題のマンガ「葬送のフリーレーン」と同じような哲学が後世、「フリーライフ」で語られるかもしれない。
2021/09/11(土) 23:02:42 | URL | fjk78dead #-[ 編集]
>ふじきさん
ゲームと現実の時間感覚の違いは面白い視点だと思います。
電源さえ供給されれば永遠に世界は続くのだから、ゲーマーたちが皆去って忘れられたフリーシティの住人たちが、かつて交流のあった人間たちに想いを馳せる。
これはこれで面白そう。
ゲームと現実の時間感覚の違いは面白い視点だと思います。
電源さえ供給されれば永遠に世界は続くのだから、ゲーマーたちが皆去って忘れられたフリーシティの住人たちが、かつて交流のあった人間たちに想いを馳せる。
これはこれで面白そう。
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ルール無用のオンライン参加型アクション・ゲーム<フリー・シティ>で、「銀行の窓口係」として、モブ(背景)キャラになっている男ガイ。 彼は新しいキャラに生まれ変わるため、ゲーム内のプログラムや設定を完全無視し自分勝手に立ち上がった。 ありえないほど“いい人”すぎるヒーローとして…。 コメディ。 ≪主人公(ヒーロー)になりたい、すべての“ただの人(フリー・ガイ)”へ。≫
2021/08/18(水) 16:27:21 | 象のロケット
ちょっと片付けてしまいたい系感想を5本まとめて。
◆『劇場版 アーヤと魔女』109シネマズ木場4
▲画像は後から。
五つ星評価で【★不快】
大人だからかもしれないけど、ただただ自己中を貫いて正義とするアーヤが勝った形に終わるのは実に不快。大人にいいように痛い目に会わされている子供はこういう作劇に快哉を叫ぶのか? 仮にそうであるとしても両者の溝を深める以外の何物でもない仕上がりは実に不気味...
2021/09/12(日) 00:21:04 | ふじき78の死屍累々映画日記・第二章
んー、なんか、おもしろくもない。
2022/01/21(金) 07:22:16 | 或る日の出来事
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