fc2ブログ
酒を呑んで映画を観る時間が一番幸せ・・・と思うので、酒と映画をテーマに日記を書いていきます。 映画の評価額は幾らまでなら納得して出せるかで、レイトショー価格1200円から+-が基準で、1800円が満点です。ネット配信オンリーの作品は★5つが満点。
■ お知らせ
※基本的にネタバレありです。ご注意ください。
※当ブログはリンクフリーです。内容の無断転載はお断りいたします。
※ブログ環境の相性によっては、TB・コメントのお返事が出来ない事があります。ご了承ください
エロ・グロ・出会い系のTB及びコメントは、削除の上直ちにブログ管理会社に通報させていただきます。 また記事と無関係な物や当方が不適切と判断したTB・コメントも削除いたします。
■TITLE INDEX
タイトルインディックスを作りました。こちらからご利用ください。
■ ツイッターアカウント
noraneko285でつぶやいてます。ブログで書いてない映画の話なども。
■ FILMARKSアカウント
noraneko285ツイッターでつぶやいた全作品をアーカイブしています。
ドライブ・マイ・カー・・・・・評価額1750円
2021年08月24日 (火) | 編集 |
妻の本当の心は、どこにあったのか。

実に味わい深い作品だ。
原作は村上春樹の短編集「女のいない男たち」に収められた、50ページほどの小説。
主人公の俳優と女性の専属ドライバーとの関係を軸に、秘密を抱えたまま逝った妻に対する想いを描いたコンパクトな物語。
そのまま映画化すれば、丁寧に描写したとしても1時間程度に纏められそうな内容だが、濱口竜介監督はなんと179分の大長編として仕上げた。
映画は原作の骨格を生かしながらも、新たなシチュエーションを加えて登場人物の内面をぐっと掘り下げる。
一本の演劇制作を通して、人間たちの言葉とその裏側にあるものの関係が、徐々に明らかになってゆく構造だ。
主人公の俳優兼演出家の家福悠介を西島秀俊が演じ、彼の妻の音を霧島れいか、ドライバーの渡利みさきを三浦透子、若い俳優の高槻に岡田将生。
本年度カンヌ国際映画祭で、日本映画初となる脚本賞をはじめ、四冠に輝いた話題作だ。
※核心部分に触れています。

一つの劇を多言語で上演する、独特のスタイルで知られる舞台俳優兼演出家の家福悠介(西島秀俊)は、脚本家である妻の音(霧島れいか)と幸せな日々を過ごしていた。
だが音は、悠介に不倫の秘密を語らぬまま、突然帰らぬ人となる。
2年後、悠介は演劇祭でチェーホフの「ワーニャ伯父さん」の演出を担当することになり、愛車のサーブ900で開催地の広島に向かう。
現地では、サーブのハンドルを演劇祭側が用意した寡黙な専属ドライバーの渡利みさき(三浦透子)に委ね、亡き音が録音した「ワーニャ伯父さん」の台詞に耳を傾ける。
国際色豊かな出演者たちの中で、ワーニャ役にはかつて音の不倫相手だった高槻(岡田将生)を選んだ。
1ヶ月半が予定されている舞台稽古は順調に進むが、高槻の出演が不可能となる事件が起こり、上演危機に陥る。
自らワーニャを演じるのか悩んだ家福は、みさきと共にサーブである場所を目指すのだが・・・・


原作小説では、主人公の家福悠介が緑内障の診断を受けたことで、所属事務所から運転を禁じられ、再検査の結果が出るまでの約束でみさきが雇われる。
二人で過ごす車中の時間が触媒となって、家福が亡くなった音との思い出を改めて見つめ直す。
悠介とみさきの関係が軸となるのは映画も変わらないが、こちらでは悠介が参加する演劇祭の内規として、演出家には専属ドライバーがつく設定。
広島で開かれる演劇祭は、キャスティングと稽古が1ヶ月半、その後二週間が上演期間で、会場から1時間離れた瀬戸内海を望む仮の住まいから、毎日車で通う必要がある。
北海道の原野で育ち、中学生の頃から水商売に出る母の送り迎えで毎日往復2時間も運転し、眠る母を起さないために、どんな悪い道でも滑らかに走れるという、まるで藤原豆腐店のようなエピソードを持つみさきを紹介された時、悠介は彼女が運転することを頑なに拒む。

悠介の愛車は、原作だと黄色のサーブ900コンバーチブル。
しかし映画では、同一車種の赤のクーペに変わっている。
バブル期の80年代には、広告業界の人間を中心にちょっとしたブームとなったお洒落車だが、メーカーが消滅してしまった今となっては、かなりのロートルだ。
映画ではこの愛車が、悠介の閉ざされた心の象徴として機能しているのである。
基本運転するのは自分で、ハンドルを委ねたのは亡き妻だけ。
妻が秘密を抱えたまま亡くなった後も、この車には彼女と暮らした時間の残滓が感じられる。
永遠に解消しない葛藤を閉じ込めた空間だから、なるほど屋根はあった方が相応しい。
色が赤なのも、心=心臓を意識したのかと思っていたが、関係者のインタビューを読むと、そこまで凝った意図はなかったようだ。
通勤の車内では、生前の音が録音した「ワーニャ伯父さん」の台詞が流れ、結果としてサーブのドライバーとなったみさきは、図らずも彼の心の中に入り込むのである。

もう一つの小説との大きな相違点が、悠介が演出する「ワーニャ伯父さん」の位置付けだ。
原作では、彼の出演している舞台として一行触れられているだけだが、こちらではほぼ全編が演劇祭で上演する「ワーニャ伯父さん」の制作プロセスとなっている。
悠介の演出スタイルは、非常に独特だ。
同じ舞台に母語が異なる出演者が立ち、そのまま自分の言語で芝居するのである。
日本語、タガログ語、韓国語、北京語、さらに手話まで。
当然観客には何言ってるのか分からないので、台詞は背後のスクリーンに字幕で表示される形式だ。
このスタイルを実現するには、全ての出演者が全員の台詞を「音」で覚えて、なおかつ台詞の持つ意味を考察する必要があり、そうでないと単に個人の芝居を組み合わせたものになってしまう。
だから稽古序盤は、延々と続く読み合わせ。
当初は演出意図を理解していない出演者たちは苛立ちを見せるが、徐々に核心を掴むと演者として輝きはじめる。
悠介の舞台には、相互理解と相互不通が同時に存在しているのである。
舞台の制作過程を丁寧に描写することで、家福の持つ演出哲学と言葉でコミュニケーションすることの難しさを伝え、徐々に劇の登場人物の葛藤が現実とシンクロしてくる仕組み。

この舞台制作と、みさきとの通勤時間、普段東京で暮らす悠介にとって二つの非日常が、音への割り切れない想いを呼び覚ます。
生前の音と悠介は非常に幸せな生活を送っていた。
そのことは間違い無いのだが、なぜか音は密かに他の男たちと不倫を重ねていたのだ。
悠介はそれを知りながら黙っていたのだが、音は「今夜話がある」という意味深な言葉を残したまま逝ってしまった。
彼女は何を話すつもりだったのか、何が彼女を不倫に駆り立てたのか。
亡き妻との蟠りを抱えた夫が、本当の意味で妻の死を受け入れ、再生への道を歩み出すという物語は、西川美和監督の「永い言い訳」を彷彿とさせる部分もある。
違いは、やっぱり男性監督だから夫キャラクターの扱いが優しいことか。
本当の妻が知りたくて、かつての不倫相手である高槻とも、演出家と役者というよりも奇妙な共犯者のような関係を築くのだが、高槻の愛車がサーブと同じスウェーデンのボルボ。
しかも民族資本で無くなってからの、新しい車種というあたりも皮肉っぽい。
そして、この高槻が大いにやらかしたことで、舞台は上演中止の危機に陥る。
悠介はチェーホフについて、彼の戯曲では本当の自分を曝け出すことになるから恐ろしいと語り、自ら演じることを避けているのだが、これはおそらく音が亡くなってからだろう。
チェーホフを演じることで、音を不倫に走らせた自分の内面が見えてしまうからだ。

自ら出演して舞台を救うべきか悩んだ悠介は、みさきと共に彼女が生まれ育った北海道を目指すグランド・ツーリングに出る。
およそ1700キロ以上を走る旅の過程で、今まで語られなかったみさきの秘密も明らかになる。
彼女が北海道を出て広島にやってきた訳は、母が死んだからなのだが、実家が土砂崩れでつぶれ、みさきは半壊した家から這い出したが、母は出られなかった。
その後、家が完全に倒壊するまで、みさきは母を助けることをせずただ見ていたという。
生きていれば誰もが何かを背負い、時にそれは大きな罪の意識を作りだす。
悠介は脚本家であった音が、セックスの後に物語を作り出すことから、それが彼女が不倫をする要因では無いのかと考えている。
音の心には自分には計り知れない領域があり、自分でない誰かとのセックスが、創造の力を与えるのではと。
しかし、みさきはそんな訳の分からない部分も含めてシンプルに人間であり、受け止めるしかないと訴える。
愛した妻とは何者だったのか、自分は妻を本当に理解していたのか、という問いに囚われていた悠介は、みさきの過去を訪ねるグランド・ツーリングを通し、自分の中にいる音と向き合い、ついに全てを受け入れるのである。
ここでの悠介とみさきの心境は、まさに「ワーニャ伯父さん」のラストのソーニャの台詞そのものなので、ぜひ劇場で虚構と現実の融合を味わって欲しい。

演劇、クルマ、旅、いくつものシチュエーションが、極めてロジカルに整然と組み合わされて、浮かび上がるのは人間の持つミステリアスな多面性と、言葉(音)の含む意味を理解することの難しさ
観ている観客の頭の中で、バラバラだったパズルが少しずつ完成してゆく様な、心地よい疲労と共に物語を読み解くカタルシスを感じさせてくれる充実の3時間。
これだけの長尺でも、無駄なカットは一つも無い。
序盤以降は画面に登場せずに、言葉だけで最後まで映画を支配する音役の霧島れいかと、朴訥なみさきを演じる三浦透子が素晴らしい。
ガワはお洒落な村上春樹でも、終わってみると丁寧に丁寧に人間の心の機微を描き、伝える、濱口監督らしい作品だ。
人間とは、なんとも面倒くさく複雑で、愛しいものだなぁ。

今回は、赤いサーブにひっかけて赤いカクテル「パリジャン」をチョイス。
舞台は広島だけど(笑
ドライ・ジン30ml、ドライ・ベルモット20ml、クレーム・ド・カシス10mlをステアして、グラスに注ぐ。
クレーム・ド・カシスとドライ・ベルモットの濃厚な色と香りが、清涼なジンと溶け合ってハーモニーを奏でる。
やや甘めでアペリティフして人気の高い、美しいルビー色のショートカクテル。

ランキングバナー 
記事が気に入ったらクリックしてね





スポンサーサイト





コメント
この記事へのコメント
濱口監督の偉大さ
ずいぶん前に原作を読んでいて、相変わらずの村上作品で、映画化されるなんて予想もしていなかったので、こわいもの見たさで映画館へ。ほぼ満員だったのにも驚いたが、あの原作をここまで味わいのある映画に作り上げた濱口監督の偉大さに脱帽!
カンヌは脚本賞だったのにも納得。
でも3時間はつかれた。
2021/08/26(木) 09:59:06 | URL | karinn #NCwpgG6A[ 編集]
こんばんは
>karinnさん
私も何年も前に読んで、だいぶ忘れてたので、観る前に久々に読み返しました。
原作の味わいを損ねずに、ぐっと話を広げ、最終的に自分の作品に落とし込んでる。
まさに脚本の妙が味わえる作品で、濱口竜介見事な仕事でした。
2021/08/28(土) 21:44:52 | URL | ノラネコ #xHucOE.I[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
舞台俳優で演出家の家福悠介は、脚本家の妻・音と満ち足りた日々を送っていた。 しかし、朝は「今晩帰ったら少し話せる?」と言っていた妻が、夜にはこの世からいなくなっていた。 …2年後、広島の演劇祭から舞台演出の依頼を受けた家福は、それまで目を背けていたことに気づかされていく…。 ≪その先にあるものを、僕はまだ知らない。≫ PG-12
2021/08/26(木) 17:28:42 | 象のロケット