2021年10月03日 (日) | 編集 |
魂を、写し撮る。
20世紀のアメリカを代表する、名フォトジャーナリストのユージン・スミスを主人公に、彼が70年代の日本で水俣病に苦しむ人々を取材した逸話の映画化。
加害企業のチッソから度重なる妨害を受け、片目を失明する重傷を負ってもなお、日本を離れず取材を続け、水俣病の実態を世界へ知らしめたのは何故か。
水俣病との出会いから、1975年に出版された、ユージンと妻のアイリーン・美代子・スミスによる傑作写真集「MINAMATA」の出版に至る顛末を描く。
ユージン・スミスをジョニー・デップが好演し、彼の妻となるアイリーンに美波。
真田広之、加瀬亮、國村隼、浅野忠信、岩瀬晶子ら日本の名優たちがガッチリと脇を固める。
これが二作目となるアンドリュー・レヴィタスが監督と共同脚本を務め、今語るべき骨太の力作に仕上げた。
1971年、ニューヨーク。
かつて世界を駆け巡り、傑作を次々と発表していたフォトジャーナリストのユージン・スミス(ジョニー・デップ)は、仕事に対する情熱を失い、酒に溺れる日をおくっている。
富士フィルムのCMに出演した時、アイリーン(美波)と名乗るスタッフの女性から、熊本県の水俣で起こっていることを取材してほしいと相談を受ける。
水俣ではチッソの工場から垂れ流される毒性の廃液によって、人々が水俣病と呼ばれる水銀中毒となり、苦しんでいるという。
彼女から渡された資料に興味を抱いたユージンは、水俣を訪れるが、そこで彼が見たものは、水銀中毒で話すことも立つことも出来ない子供たちの姿だった。
水俣の人々はリーダーのヤマザキ(真田広之)を中心に団結し、チッソを相手取って裁判を起こしたが、会社は住民の弱みに漬け込み分断しようとしていた。
ユージンは水俣に拠点を構え取材を開始し、ライフ誌も大規模な特集を組む計画を進めていた。
そんなある日、ユージンが水俣を取材していることを知ったチッソのノジマ社長(國村隼)は、彼を工場に招くと、ある取引を持ちかけるのだが・・・・
ユージン・スミスの代表作の一つに「入浴する智子と母」という写真がある。
水俣病に冒され、生まれつき体が硬直し、動かすことの出来ない智子という少女を、母が優しく抱きながら入浴させる。
普通ならば他人には絶対に見せない、入浴というシーン。
病気で障害を抱えた我が子の姿なら、尚更人目に晒したくないもの。
実際、水俣を訪れた当初、人々は病気で歪んでしまった自分の姿を、写真に撮られるのを頑なに拒む。
ではユージンは、いかにして人々の心を開き、水俣の真実を撮ることができたのか。
これは冒頭とラストに描かれる、「入浴する智子と母」の撮影シーンを括弧に、ユージンの魂の軌跡を描いた物語である。
本作は、日本を舞台としながら、受け入れ態勢などの問題で、東欧のセルビアやモンテネグロで大半が撮影されている。
それゆえに、植生や建物に若干の違和感は残るが、これほどまでに真摯に“日本”を作り込んで描いてることにも驚嘆。
もともと、ユージンにとって日本は複雑な想いを抱く国だったはず。
1943年から45年にかけて、従軍記者として太平洋戦線を転戦しながら取材を続けていたユージンは、沖縄戦の取材中に日本軍の迫撃砲により、瀕死の重傷をおう。
療養期間は2年に及び、PTSDに苦しみ、一生治らない後遺症も残った。
地獄の戦場から家族の待つ米国の家に戻り、心の平穏を取り戻した時に撮影されたのが、本作にもチラリと出てくる、彼の一番有名な作品「楽園への歩み」だ。
薄暗い樹木のトンネルの中を、光に向かって歩くユージンの幼い息子と娘。
ほのぼのとした美しい写真だが、子供たちが進む未来の世界が平和でありますように、という切実な願いが込められているのである。
その後現場に復帰したユージンが、ライフ誌で8年間に渡って取り組んだ、フォト・エッセイの仕事は、社会的共感をベースとした現在のフォトジャーナリズムの礎となる。
そんな偉業の数々を成し遂げ、50を過ぎて燃え尽き症候群にかかった70年代に持ち込まれたのが、水俣の取材。
戸惑いつつも、日本を訪れたユージンは、水俣の現状を見て心を動かされ、徐々に忘れていた情熱を取り戻してゆく。
もっとも、PTSDを患っているので、暴力には過敏なまま。
身の危険を感じる事態に、何度も心折れそうになるのだが、長年どん底にいた男が少しづつ情熱を取り戻してゆくプロセスは十分ドラマチック。
戦争で多くを失ったユージンは、チッソへのプロテストを「(人生を取り戻すための)最後の戦争にしよう!」と訴えるヤマザキに共鳴してゆくのである。
本作は企業犯罪の告発ものであるのと同時に、過去の人となっていたユージンの復活劇となっているのだが、これがジョニー・デップにシンクロしてくるのも面白い。
デップの演じたユージン像には賛否があるようだが、ここ数年スキャンダルばかりが注目されてきたデップにとっても、本作の演技は快心の出来。
酒に溺れ、仕事への情熱を失ったユージンが、少しずつ自分が何者だったのかを思い出し、ついに眠っていた才能を発揮してゆく姿は、まるでドキュメンタリーのような趣がある。
久々の好演を見せるデップだけでなく、日本人俳優たちも素晴らしい。
特にチッソのトップを演じる、國村隼の演技は印象深い。
この人は「ミッドウェイ」でも、いかにも小心者で官僚タイプの南雲忠一を好演していたが、今回も日本人が納得できる、ちょっと偉い立場の日本人像を巧みに作り上げている。
敗訴が決まった後の複雑な感情を含んだ表情は、やはり上手い役者にしか出来ないものだろう。
ところで、水俣病と聞いて思い浮かべるイメージはどんなものだろうか。
私は不勉強なもので、昭和の頃に社会や公民の授業で習った、四大公害病の一つで、過去の問題という認識だった。
ところが映画を見て、その後の顛末を調べて驚いた。
一時勝訴の後、ヤマザキが人々に語っていたように、裁判は終わることなく、世代を超えてずっと続いていたのだ。
更にチッソからの補償金が収入とみなされ、高齢の被害者が生活保護を受けられなくなるという新たな問題も生まれているという。
ちっとも過去の話では無かったのだ。
これは日本人が作るべき映画だったのは間違いないが、おそらく今の日本でこの映画を企画したとしても、お金が集まることはないだろう。
最近落ち目とは言え、ジョニー・デップというスターが動き、70年代当時のユージンと同じく、日本社会を引いた視点から眺められる外国人監督だからこそ、作り得た作品と言えると思う。
ある意味当事者である水俣市が、市としてこの映画の後援をしないと決めたのも、映画のラストに表示される、「チッソと日本政府はいまだに責任を果たしていない」と糾弾する字幕に、むしろ説得力を与えるものだ。
半世紀前に、日本人の声に答えてユージン・スミスが取材したことで、「MINAMATA」は世界に知られるようになり、チッソは賠償に応じざるを得なくなった。
そして長い歳月が経った頃、ユージンからバトンを受け取ったこの映画の作り手によって、映画「MINAMATA ミナマタ」として日本に帰ってきた。
問題は、水俣病だけではない。
映画のエンドクレジットには、人類の産業化以降、世界中で起こっている公害の例が多数紹介され、その中には福島第一原発の事故も含まれている。
再び、バトンは渡された。
今度は、私たちが問われているのである。
本作の舞台となる熊本といえば、やはり焼酎。
特に清流球磨川の流れる盆地球磨地方の焼酎は、「球磨焼酎」として国際的に有名だ。
今回は球磨地方の老舗、恒松酒造本店の米焼酎「かなた」をチョイス。
クセがなく、フルーティで日本酒を思わせる芳醇な味わいは、焼酎が苦手な人でも大丈夫だろう。
オン・ザ・ロックでいただきたい。
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20世紀のアメリカを代表する、名フォトジャーナリストのユージン・スミスを主人公に、彼が70年代の日本で水俣病に苦しむ人々を取材した逸話の映画化。
加害企業のチッソから度重なる妨害を受け、片目を失明する重傷を負ってもなお、日本を離れず取材を続け、水俣病の実態を世界へ知らしめたのは何故か。
水俣病との出会いから、1975年に出版された、ユージンと妻のアイリーン・美代子・スミスによる傑作写真集「MINAMATA」の出版に至る顛末を描く。
ユージン・スミスをジョニー・デップが好演し、彼の妻となるアイリーンに美波。
真田広之、加瀬亮、國村隼、浅野忠信、岩瀬晶子ら日本の名優たちがガッチリと脇を固める。
これが二作目となるアンドリュー・レヴィタスが監督と共同脚本を務め、今語るべき骨太の力作に仕上げた。
1971年、ニューヨーク。
かつて世界を駆け巡り、傑作を次々と発表していたフォトジャーナリストのユージン・スミス(ジョニー・デップ)は、仕事に対する情熱を失い、酒に溺れる日をおくっている。
富士フィルムのCMに出演した時、アイリーン(美波)と名乗るスタッフの女性から、熊本県の水俣で起こっていることを取材してほしいと相談を受ける。
水俣ではチッソの工場から垂れ流される毒性の廃液によって、人々が水俣病と呼ばれる水銀中毒となり、苦しんでいるという。
彼女から渡された資料に興味を抱いたユージンは、水俣を訪れるが、そこで彼が見たものは、水銀中毒で話すことも立つことも出来ない子供たちの姿だった。
水俣の人々はリーダーのヤマザキ(真田広之)を中心に団結し、チッソを相手取って裁判を起こしたが、会社は住民の弱みに漬け込み分断しようとしていた。
ユージンは水俣に拠点を構え取材を開始し、ライフ誌も大規模な特集を組む計画を進めていた。
そんなある日、ユージンが水俣を取材していることを知ったチッソのノジマ社長(國村隼)は、彼を工場に招くと、ある取引を持ちかけるのだが・・・・
ユージン・スミスの代表作の一つに「入浴する智子と母」という写真がある。
水俣病に冒され、生まれつき体が硬直し、動かすことの出来ない智子という少女を、母が優しく抱きながら入浴させる。
普通ならば他人には絶対に見せない、入浴というシーン。
病気で障害を抱えた我が子の姿なら、尚更人目に晒したくないもの。
実際、水俣を訪れた当初、人々は病気で歪んでしまった自分の姿を、写真に撮られるのを頑なに拒む。
ではユージンは、いかにして人々の心を開き、水俣の真実を撮ることができたのか。
これは冒頭とラストに描かれる、「入浴する智子と母」の撮影シーンを括弧に、ユージンの魂の軌跡を描いた物語である。
本作は、日本を舞台としながら、受け入れ態勢などの問題で、東欧のセルビアやモンテネグロで大半が撮影されている。
それゆえに、植生や建物に若干の違和感は残るが、これほどまでに真摯に“日本”を作り込んで描いてることにも驚嘆。
もともと、ユージンにとって日本は複雑な想いを抱く国だったはず。
1943年から45年にかけて、従軍記者として太平洋戦線を転戦しながら取材を続けていたユージンは、沖縄戦の取材中に日本軍の迫撃砲により、瀕死の重傷をおう。
療養期間は2年に及び、PTSDに苦しみ、一生治らない後遺症も残った。
地獄の戦場から家族の待つ米国の家に戻り、心の平穏を取り戻した時に撮影されたのが、本作にもチラリと出てくる、彼の一番有名な作品「楽園への歩み」だ。
薄暗い樹木のトンネルの中を、光に向かって歩くユージンの幼い息子と娘。
ほのぼのとした美しい写真だが、子供たちが進む未来の世界が平和でありますように、という切実な願いが込められているのである。
その後現場に復帰したユージンが、ライフ誌で8年間に渡って取り組んだ、フォト・エッセイの仕事は、社会的共感をベースとした現在のフォトジャーナリズムの礎となる。
そんな偉業の数々を成し遂げ、50を過ぎて燃え尽き症候群にかかった70年代に持ち込まれたのが、水俣の取材。
戸惑いつつも、日本を訪れたユージンは、水俣の現状を見て心を動かされ、徐々に忘れていた情熱を取り戻してゆく。
もっとも、PTSDを患っているので、暴力には過敏なまま。
身の危険を感じる事態に、何度も心折れそうになるのだが、長年どん底にいた男が少しづつ情熱を取り戻してゆくプロセスは十分ドラマチック。
戦争で多くを失ったユージンは、チッソへのプロテストを「(人生を取り戻すための)最後の戦争にしよう!」と訴えるヤマザキに共鳴してゆくのである。
本作は企業犯罪の告発ものであるのと同時に、過去の人となっていたユージンの復活劇となっているのだが、これがジョニー・デップにシンクロしてくるのも面白い。
デップの演じたユージン像には賛否があるようだが、ここ数年スキャンダルばかりが注目されてきたデップにとっても、本作の演技は快心の出来。
酒に溺れ、仕事への情熱を失ったユージンが、少しずつ自分が何者だったのかを思い出し、ついに眠っていた才能を発揮してゆく姿は、まるでドキュメンタリーのような趣がある。
久々の好演を見せるデップだけでなく、日本人俳優たちも素晴らしい。
特にチッソのトップを演じる、國村隼の演技は印象深い。
この人は「ミッドウェイ」でも、いかにも小心者で官僚タイプの南雲忠一を好演していたが、今回も日本人が納得できる、ちょっと偉い立場の日本人像を巧みに作り上げている。
敗訴が決まった後の複雑な感情を含んだ表情は、やはり上手い役者にしか出来ないものだろう。
ところで、水俣病と聞いて思い浮かべるイメージはどんなものだろうか。
私は不勉強なもので、昭和の頃に社会や公民の授業で習った、四大公害病の一つで、過去の問題という認識だった。
ところが映画を見て、その後の顛末を調べて驚いた。
一時勝訴の後、ヤマザキが人々に語っていたように、裁判は終わることなく、世代を超えてずっと続いていたのだ。
更にチッソからの補償金が収入とみなされ、高齢の被害者が生活保護を受けられなくなるという新たな問題も生まれているという。
ちっとも過去の話では無かったのだ。
これは日本人が作るべき映画だったのは間違いないが、おそらく今の日本でこの映画を企画したとしても、お金が集まることはないだろう。
最近落ち目とは言え、ジョニー・デップというスターが動き、70年代当時のユージンと同じく、日本社会を引いた視点から眺められる外国人監督だからこそ、作り得た作品と言えると思う。
ある意味当事者である水俣市が、市としてこの映画の後援をしないと決めたのも、映画のラストに表示される、「チッソと日本政府はいまだに責任を果たしていない」と糾弾する字幕に、むしろ説得力を与えるものだ。
半世紀前に、日本人の声に答えてユージン・スミスが取材したことで、「MINAMATA」は世界に知られるようになり、チッソは賠償に応じざるを得なくなった。
そして長い歳月が経った頃、ユージンからバトンを受け取ったこの映画の作り手によって、映画「MINAMATA ミナマタ」として日本に帰ってきた。
問題は、水俣病だけではない。
映画のエンドクレジットには、人類の産業化以降、世界中で起こっている公害の例が多数紹介され、その中には福島第一原発の事故も含まれている。
再び、バトンは渡された。
今度は、私たちが問われているのである。
本作の舞台となる熊本といえば、やはり焼酎。
特に清流球磨川の流れる盆地球磨地方の焼酎は、「球磨焼酎」として国際的に有名だ。
今回は球磨地方の老舗、恒松酒造本店の米焼酎「かなた」をチョイス。
クセがなく、フルーティで日本酒を思わせる芳醇な味わいは、焼酎が苦手な人でも大丈夫だろう。
オン・ザ・ロックでいただきたい。

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この記事へのコメント
ノラネコさん☆
素晴らしい映画でした。
ドキュメンタリーに近くて物静かでやや悠長に感じられてしまいましたが、そこがより真実に近いのかなと思わせてくれました。
ジョニデであることを忘れてしまうような、見事な演技でしたね。
何よりユージンの写真に込められた魂の温かさに涙がこぼれました。
素晴らしい映画でした。
ドキュメンタリーに近くて物静かでやや悠長に感じられてしまいましたが、そこがより真実に近いのかなと思わせてくれました。
ジョニデであることを忘れてしまうような、見事な演技でしたね。
何よりユージンの写真に込められた魂の温かさに涙がこぼれました。
終わっていない問題を、日本国首相が勝手に終わったと言っていることにも驚きでした。だからEDロールでの世界中の公害を紹介したのも世界の指導者に、あの問題もこの問題もまだ終わっていないよ!政府として責任を果たしてよ!というメッセージなのでしょうね。
静かな怒りとは、まさにこういうものなのでしょう。不勉強な私には驚くことの連続で、こういう映画ほどたくさんの人に見ていただきたいですね。
静かな怒りとは、まさにこういうものなのでしょう。不勉強な私には驚くことの連続で、こういう映画ほどたくさんの人に見ていただきたいですね。
>ノルウェーまだ~むさん
子供の頃ライフの写真集が家にあって、ユージン・スミスは昔からファンでした。
特に「楽園への歩み」は大好きだったので、あの子供たちと晩年のユージンが疎遠になっちゃってたのが何気にショック。
デップとしても久しぶりに輝いた作品でした。
>にゃむばななさん
正直言って私もすっかり終わった問題だと思ってたので、映画を観てから調べて驚きました。
確かに公害病って、地域の環境から変わってしまうので、一回賠償したら終わりにはならないですよね。
エンディングで紹介された世界各国の問題も、それぞれの政府が誠実に向き合ってくれるのを祈るのみです。
子供の頃ライフの写真集が家にあって、ユージン・スミスは昔からファンでした。
特に「楽園への歩み」は大好きだったので、あの子供たちと晩年のユージンが疎遠になっちゃってたのが何気にショック。
デップとしても久しぶりに輝いた作品でした。
>にゃむばななさん
正直言って私もすっかり終わった問題だと思ってたので、映画を観てから調べて驚きました。
確かに公害病って、地域の環境から変わってしまうので、一回賠償したら終わりにはならないですよね。
エンディングで紹介された世界各国の問題も、それぞれの政府が誠実に向き合ってくれるのを祈るのみです。
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1971年、アメリカ・ニューヨーク。 高名な写真家ユージン・スミスは、酒に溺れ荒んだ生活を送っていた。 そんな時、CM撮影で出会った通訳の女性アイリーン美緒子から、日本の大企業が海に垂れ流していた有害物質が原因で病気になり、今も苦しんでいる人々を撮影してほしいと頼まれる…。 実話から生まれた社会派ドラマ。 ≪一枚の写真が世界を呼び覚ます≫
2021/10/04(月) 09:30:56 | 象のロケット
◆『MINAMATAーミナマター』ギンレイホール
▲油断すると本田博太郎と松本明子っぽく見えるジョニー・デップと美波。
五つ星評価で【★★★ジョニー・デップ三十七股かよ!】
見た直後のツイッターの呟き(↓)。
デップとビル・ナイってパイレーツ・オブ・カリビアンのコンビじゃん。でもビル・ナイ渋い。デップは白塗り無しでよくやってるが、テンプなアル中野郎でつまらない。またまた真田と浅野がよい...
2022/03/01(火) 21:31:52 | ふじき78の死屍累々映画日記・第二章
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