2022年01月21日 (金) | 編集 |
はたしてアンドロイドは、人間の伴侶になり得るのか?
これは言わば、ドイツ製のオトナ版「アイの歌声を聴かせて」。
マレン・エッゲルト演じる考古学者のアルマは、アンドロイドの“理想の伴侶”と3週間同居生活するという、実験プログラムに参加する。
アルマの脳内の願望をスキャンして作られたのは、ダン・スティーヴンスが絶妙なロボット感で演じる、イケメンのアンドロイドのトム。
彼はプログラム通り、彼女に幸せを味わってもらおうと頑張るのだが、アルマがプログラムに参加したのは研究資金のためで、もともと乗り気でない。
しかも彼女は恋人と別れて間もなく、ある出来事によって負った心の傷が癒えておらず、ひたすら優しいトムの態度に、逆に心をかき乱されるのだ。
人間とAIのラブストーリーは、過去にも多くの作品で描かれてきた。
「エレクトリック・ドリーム」では、意志を持ったPCが人間の彼女に禁断の恋をするし、クリス・コロンバスの最高傑作「アンドリューNDR114」では、200年生きたアンドロイドが愛のために永遠の命を放棄する。
最近でもホアキン・フェニックスが、Siriさんの進化型のような声だけのAIに恋をする「her 世界にひとつの彼女」や、支配と非支配を巡る人間とアンドロイドのスリリングな恋愛ゲームを描いた「エクス・マキナ」が印象に残っている。
しかし本作の独特の手触りは、過去に作られたどの作品とも異なるのだ。
当初はギクシャク、だが次第に二人の関係が変わってゆき、ある瞬間に二人の間にあった壁が氷解する。
そして、そこに「愛とはなんぞや?」という難問が浮かび上がるというワケ。
しかし、これは単に人間とアンドロイドの恋愛を描く作品ではない。
マリア・シュラーバー監督は、愛を感じた主人公がその先に見るもの、人生における幸福とは何かを浮かび上がらせる。
最初から理想の容姿と性格の伴侶が存在し、しかも自分好みに進化したら、多くの人は夢中になるだろうが、それは愛ではなく依存なのでは?
プログラムでしかない愛は、所詮擬似的な逃避に過ぎないのでは?
主人公のアルマが、遠い昔の人々が想いを記録した、楔形文字の研究者という設定が象徴的。
学者らしく、自らの感情を客観的に分析してしまった彼女は、今感じている幸せよりも、それを作り出した愛は偽物では?という考えが先に立ってしまうのだ。
中年期に差しかかった、ワーカホリックの孤独なお一人様。
この先、子供を持つことも難しく、将来を展望できない年齢にあって、彼女のキャリアとプライドが、アンドロイドの愛に安直に依存することを拒否する。
映画の終盤の、アルマと同じプログラムに参加し、“理想の伴侶”を得た男性とのシーンはとても面白い。
アルマとは対照的に、彼はアンドロイドとの関係に一切の疑念を見せず、プログラムに参加して自分がいかに幸せになれたかを語る。
彼にとっては、アンドロイドの心が本物か偽物かはどうでもいい、自分が感じていることが大切なのだ。
ここでは、社会の中での女性のポジションというフェミニズム的な要素を隠し味に、アンドロイドという非生物を触媒として、人生になにを求めるのか、生き方そのもののが問われる。
映画の結末も、ハリウッド映画の様な分かりやすさはない。
だが、人間は人間なりに、アンドロイドはアンドロイドなりに、葛藤の末に二人の到達したビタースイートな境地が余韻を深める。
本作や「アイの歌声を聴かせて」で描かれるアンドロイドを見ていると、何だか彼らとの未来が楽しみになってくる。
調子に乗ってると、サクッと滅ぼされるかも知れんけど。
ちょっとホッコリする本作には、冬の日に身体を温められるドイツのホットワイン、シュルテンターラーの「グリューワイン」をチョイス。
グリューワインはワインに蜂蜜やシナモン、オレンジなど甘味とスパイスを漬け込んだもの。
自分でお好みの味を作っても良いが、比較的低価格のワインをベースに色々な業者が個性を競っている。
小さめのマグカップに注いで、レンジでチン。
今の季節は寝る前にこれを一杯飲むと、体がポカポカして寝つきが良くなる。
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これは言わば、ドイツ製のオトナ版「アイの歌声を聴かせて」。
マレン・エッゲルト演じる考古学者のアルマは、アンドロイドの“理想の伴侶”と3週間同居生活するという、実験プログラムに参加する。
アルマの脳内の願望をスキャンして作られたのは、ダン・スティーヴンスが絶妙なロボット感で演じる、イケメンのアンドロイドのトム。
彼はプログラム通り、彼女に幸せを味わってもらおうと頑張るのだが、アルマがプログラムに参加したのは研究資金のためで、もともと乗り気でない。
しかも彼女は恋人と別れて間もなく、ある出来事によって負った心の傷が癒えておらず、ひたすら優しいトムの態度に、逆に心をかき乱されるのだ。
人間とAIのラブストーリーは、過去にも多くの作品で描かれてきた。
「エレクトリック・ドリーム」では、意志を持ったPCが人間の彼女に禁断の恋をするし、クリス・コロンバスの最高傑作「アンドリューNDR114」では、200年生きたアンドロイドが愛のために永遠の命を放棄する。
最近でもホアキン・フェニックスが、Siriさんの進化型のような声だけのAIに恋をする「her 世界にひとつの彼女」や、支配と非支配を巡る人間とアンドロイドのスリリングな恋愛ゲームを描いた「エクス・マキナ」が印象に残っている。
しかし本作の独特の手触りは、過去に作られたどの作品とも異なるのだ。
当初はギクシャク、だが次第に二人の関係が変わってゆき、ある瞬間に二人の間にあった壁が氷解する。
そして、そこに「愛とはなんぞや?」という難問が浮かび上がるというワケ。
しかし、これは単に人間とアンドロイドの恋愛を描く作品ではない。
マリア・シュラーバー監督は、愛を感じた主人公がその先に見るもの、人生における幸福とは何かを浮かび上がらせる。
最初から理想の容姿と性格の伴侶が存在し、しかも自分好みに進化したら、多くの人は夢中になるだろうが、それは愛ではなく依存なのでは?
プログラムでしかない愛は、所詮擬似的な逃避に過ぎないのでは?
主人公のアルマが、遠い昔の人々が想いを記録した、楔形文字の研究者という設定が象徴的。
学者らしく、自らの感情を客観的に分析してしまった彼女は、今感じている幸せよりも、それを作り出した愛は偽物では?という考えが先に立ってしまうのだ。
中年期に差しかかった、ワーカホリックの孤独なお一人様。
この先、子供を持つことも難しく、将来を展望できない年齢にあって、彼女のキャリアとプライドが、アンドロイドの愛に安直に依存することを拒否する。
映画の終盤の、アルマと同じプログラムに参加し、“理想の伴侶”を得た男性とのシーンはとても面白い。
アルマとは対照的に、彼はアンドロイドとの関係に一切の疑念を見せず、プログラムに参加して自分がいかに幸せになれたかを語る。
彼にとっては、アンドロイドの心が本物か偽物かはどうでもいい、自分が感じていることが大切なのだ。
ここでは、社会の中での女性のポジションというフェミニズム的な要素を隠し味に、アンドロイドという非生物を触媒として、人生になにを求めるのか、生き方そのもののが問われる。
映画の結末も、ハリウッド映画の様な分かりやすさはない。
だが、人間は人間なりに、アンドロイドはアンドロイドなりに、葛藤の末に二人の到達したビタースイートな境地が余韻を深める。
本作や「アイの歌声を聴かせて」で描かれるアンドロイドを見ていると、何だか彼らとの未来が楽しみになってくる。
調子に乗ってると、サクッと滅ぼされるかも知れんけど。
ちょっとホッコリする本作には、冬の日に身体を温められるドイツのホットワイン、シュルテンターラーの「グリューワイン」をチョイス。
グリューワインはワインに蜂蜜やシナモン、オレンジなど甘味とスパイスを漬け込んだもの。
自分でお好みの味を作っても良いが、比較的低価格のワインをベースに色々な業者が個性を競っている。
小さめのマグカップに注いで、レンジでチン。
今の季節は寝る前にこれを一杯飲むと、体がポカポカして寝つきが良くなる。

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