2022年03月02日 (水) | 編集 |
ゲイジュツは爆発だ!
スクリーンから熱い才気がほとばしる、のん監督の鮮やかな劇場用長編デビュー作。
コロナ禍で卒業制作展が中止になり、創作への情熱を、どこにも持って行けなくなってしまったのんさん演じる美大生”いつか”が主人公。
作ることだけが好きな人もいるが、彼女の中で創作はコミュニケーションの手段で、人に見てもらってなんぼ。
卒制展用の作品を持ちかえり、完成させようとしてみたものの、すっかりモチベーションを失って、ダラダラとした毎日。
いつかはかなりズボラな性格らしく、結構な汚部屋に暮らし、昼近くまで寝て、山下リオが演じる同級生の平井とラインのビデオ通話で暇を潰す。
天気の良い日はお菓子とお茶を手に公園に出かけるが、怪しい男がいてあまり近づけない。
※核心部分に触れています。
序盤は寝てばかりのいつかの引きこもり生活が淡々と描写されるが、しばらくすると家族が次々と訪ねてくることによって、彼女の怠惰な生活は破られる。
いつかの創作スタイルはかなり独特で、油絵に他の素材を埋め込んで立体的に仕上げてゆく。
卒制展の絵は大きな自画像(?)に、無数のリボンを埋め込んであるのだが、お母さんはあまり芸術に関心がなく、いつかの作品をゴミと勘違いして捨ててしまうほど。
当然ブチ切れるが、価値の分からないお母さんは謝らず、代わりにお父さんをご機嫌伺いに送り込んでくる。
お父さんはお父さんで、ソーシャルディスタンス確保のために、なぜか不審者対策でおなじみの刺又を持参するというアブナイ人だ。
さらに妹のまいは、異常にコロナに敏感で全身完全武装。
この家族、簡単に陰謀論に染まりそうだが、前半はわりとゆるいコメディ。
しかし中盤で、中学時代の同級生の田中が出てくるあたりから物語にドライブがかかり、加速度的に面白くなってきて、最後はもうノンストップ。
美大・芸大の卒業制作展に行ったことのある人なら分かるだろうが、作品はジャンル、形態、サイズも千差万別。
物によっては、動かせないほど巨大なものもある。
コロナ禍もそろそろ三年目に入るので、去年あたりからはオンライン開催も増えて来たが、最初の年の2020年は多くの学校が卒制展を中止した。
行き場を失った作品、特に動かせない作品は、多くが学生の涙と共に廃棄されたのである。
いつかの作品は、なんとか持ち帰ることが出来た。
対して平井の作品は、大きすぎて動かせない。
作ることそのものが好きな平井は、いつかがだらけた生活を送っている間、学校に忍び込んで廃棄されてしまう作品を描き続けていたのだ。
しかしその秘密の創作も、永遠には続かない。
いつかと平井、タイプの違う二人のアーティストのコントラストがいい。
もはや作り続けることが出来なくなった時、二人は平井の大作を破壊するのだが、平井はバラバラになった作品を“見せるアート”の素材としていつかに託す。
二人の作品が融合し、小さな卒業制作展が開かれるクライマックスは感動的だ。
物語の要所になると、様々なタイプのリボンの群れが画面に現れてアニメーションされて動き、主人公の心象を表現するのが面白い。
タイトルの「Ribbon」はおそらく「Reborn」とかけて、コロナ禍でのアーティストと作品の再生をイメージしているのだろう。
このリボンの表現もそうだが、のん監督の演出が素晴らしいのは極力言葉による説明を避け、観客の思考を信頼しているところだ。
例えば絵具だけ出して、使わずに終わっているパレットが重なっている描写。
この画を見せられた時、観客が何を思うのか、どう想像するのかを考えて描いているのである。
表現することを封じられたアーティストの魂の叫びの物語は、陽性だけど痛くて、ユーモラスにキレるいつかのキャラクターは、「私をくいとめて」で組んだ大九明子の影響を感じる。
何気に、特撮で樋口真嗣と尾上克郎のシンゴジコンビが参加してたり、美大の教授役で岩井俊二がチラリと出てきたり、表裏両面で賑やかな顔触れ。
まだまだ勢い余ってというか、荒削りな部分もあると思うが、監督・主演だけでなく、脚本、編集、企画まで全部やってるんだから、この才能は紛うことなきホンモノだ。
今回は、鮮烈なデビューを祝ってシャンパンを。
世界中で高い人気を誇る、ヴーヴ・クリコ・ポンサルダン社の「ヴーヴ・クリコ イエローラベル ブリュット」をチョイス。
繊細な泡と共に香りが立ち上がり、果実味が豊かな辛口のミディアムボディ。
非常にバランスの取れた一本で、食前酒としてはもちろん、どんな料理にもあう。
今年は卒制展をオフラインで実地する学校もぼちぼち出て来ているようだが、コロナ前の日常はまだまだ遠い。
早く、学生生活の最後で、祝杯をあげられるようになります様。
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スクリーンから熱い才気がほとばしる、のん監督の鮮やかな劇場用長編デビュー作。
コロナ禍で卒業制作展が中止になり、創作への情熱を、どこにも持って行けなくなってしまったのんさん演じる美大生”いつか”が主人公。
作ることだけが好きな人もいるが、彼女の中で創作はコミュニケーションの手段で、人に見てもらってなんぼ。
卒制展用の作品を持ちかえり、完成させようとしてみたものの、すっかりモチベーションを失って、ダラダラとした毎日。
いつかはかなりズボラな性格らしく、結構な汚部屋に暮らし、昼近くまで寝て、山下リオが演じる同級生の平井とラインのビデオ通話で暇を潰す。
天気の良い日はお菓子とお茶を手に公園に出かけるが、怪しい男がいてあまり近づけない。
※核心部分に触れています。
序盤は寝てばかりのいつかの引きこもり生活が淡々と描写されるが、しばらくすると家族が次々と訪ねてくることによって、彼女の怠惰な生活は破られる。
いつかの創作スタイルはかなり独特で、油絵に他の素材を埋め込んで立体的に仕上げてゆく。
卒制展の絵は大きな自画像(?)に、無数のリボンを埋め込んであるのだが、お母さんはあまり芸術に関心がなく、いつかの作品をゴミと勘違いして捨ててしまうほど。
当然ブチ切れるが、価値の分からないお母さんは謝らず、代わりにお父さんをご機嫌伺いに送り込んでくる。
お父さんはお父さんで、ソーシャルディスタンス確保のために、なぜか不審者対策でおなじみの刺又を持参するというアブナイ人だ。
さらに妹のまいは、異常にコロナに敏感で全身完全武装。
この家族、簡単に陰謀論に染まりそうだが、前半はわりとゆるいコメディ。
しかし中盤で、中学時代の同級生の田中が出てくるあたりから物語にドライブがかかり、加速度的に面白くなってきて、最後はもうノンストップ。
美大・芸大の卒業制作展に行ったことのある人なら分かるだろうが、作品はジャンル、形態、サイズも千差万別。
物によっては、動かせないほど巨大なものもある。
コロナ禍もそろそろ三年目に入るので、去年あたりからはオンライン開催も増えて来たが、最初の年の2020年は多くの学校が卒制展を中止した。
行き場を失った作品、特に動かせない作品は、多くが学生の涙と共に廃棄されたのである。
いつかの作品は、なんとか持ち帰ることが出来た。
対して平井の作品は、大きすぎて動かせない。
作ることそのものが好きな平井は、いつかがだらけた生活を送っている間、学校に忍び込んで廃棄されてしまう作品を描き続けていたのだ。
しかしその秘密の創作も、永遠には続かない。
いつかと平井、タイプの違う二人のアーティストのコントラストがいい。
もはや作り続けることが出来なくなった時、二人は平井の大作を破壊するのだが、平井はバラバラになった作品を“見せるアート”の素材としていつかに託す。
二人の作品が融合し、小さな卒業制作展が開かれるクライマックスは感動的だ。
物語の要所になると、様々なタイプのリボンの群れが画面に現れてアニメーションされて動き、主人公の心象を表現するのが面白い。
タイトルの「Ribbon」はおそらく「Reborn」とかけて、コロナ禍でのアーティストと作品の再生をイメージしているのだろう。
このリボンの表現もそうだが、のん監督の演出が素晴らしいのは極力言葉による説明を避け、観客の思考を信頼しているところだ。
例えば絵具だけ出して、使わずに終わっているパレットが重なっている描写。
この画を見せられた時、観客が何を思うのか、どう想像するのかを考えて描いているのである。
表現することを封じられたアーティストの魂の叫びの物語は、陽性だけど痛くて、ユーモラスにキレるいつかのキャラクターは、「私をくいとめて」で組んだ大九明子の影響を感じる。
何気に、特撮で樋口真嗣と尾上克郎のシンゴジコンビが参加してたり、美大の教授役で岩井俊二がチラリと出てきたり、表裏両面で賑やかな顔触れ。
まだまだ勢い余ってというか、荒削りな部分もあると思うが、監督・主演だけでなく、脚本、編集、企画まで全部やってるんだから、この才能は紛うことなきホンモノだ。
今回は、鮮烈なデビューを祝ってシャンパンを。
世界中で高い人気を誇る、ヴーヴ・クリコ・ポンサルダン社の「ヴーヴ・クリコ イエローラベル ブリュット」をチョイス。
繊細な泡と共に香りが立ち上がり、果実味が豊かな辛口のミディアムボディ。
非常にバランスの取れた一本で、食前酒としてはもちろん、どんな料理にもあう。
今年は卒制展をオフラインで実地する学校もぼちぼち出て来ているようだが、コロナ前の日常はまだまだ遠い。
早く、学生生活の最後で、祝杯をあげられるようになります様。

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