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2022年04月02日 (土) | 編集 |
壁を越えた先は、心の故郷。
名優、そして名監督としても知られるケネス・ブラナーが、北アイルランドのベルファストで過ごした、自らの子供時代をモチーフに作り上げた自伝的作品。
1960年代末、その後30年続くことになる北アイルランドの民族紛争が始まった時代を背景に、もう安全ではなくなりつつある故郷に、留まるか否かの決断を迫られている、ある家族の物語だ。
ブラナー自身は出演せず、彼の分身ともいうべき主人公の少年・バディをジュード・ヒルが演じる。
一家の面々は、お母さんにカトリーナ・バルフ、お父さんにジェイミー・ドーナン、おばあちゃんにジュディ・ディンチ、おじいちゃんにキアラン・ハインズ。
本年度の米アカデミー賞で、意外にもブラナーにとって初の栄冠となる、脚本賞に輝いた。
モノクロで描写されるノスタルジックな半世紀前のベルファストは、人々の悲喜こもごもが詰まったタイムカプセルだ。
1969年のベルファスト。
9歳の少年・バディ(ジュード・ヒル)は両親と兄の四人家族。
ロンドンで大工の仕事を得ているお父さん(ジェイミー・ドーナン)は、二週間に一回しか家に帰れず、普段はお母さん(カトリーナ・バルフ)が家を切り盛りしている。
祖父母や叔母の一家もすぐ近くに住んでいる、代々のベルファストっ子だ。
子供たちが遊び回る街は一見すると平和そうだが、街は少数派のカソリック住人とプロテスタント過激派の対立が深まり、一触即発の状態にある。
ある日、プロテスタントの過激派が、バディの住む通りのカソリックの家や商店を襲撃。
通りの入り口にはバリケードが築かれ、治安維持のために軍が進駐してくる。
過激派はお父さんを勧誘し、断られると子供たちにも手を伸ばしてくる。
暴力の時代の到来に、お父さんはロンドンへの移住を提案するが、それは一家にとって代々培ってきた全てを捨てて行くことを意味する。
結論が出ないまま時間だけが流れ、翌年のイースターに再び過激派がカソリック住人が経営するスーパーマーケットへの襲撃事件を起こし、バディも巻き込まれてしまう・・・・・
映画監督が、自分の子供時代をモチーフにした映画というのは、もはや一つのジャンルと言ってもいいのかもしれない。
古くは「フェリーニのアマルコルド」、最近では「リアリティのダンス」「ROMA/ローマ」や「The Hand of God」など、数々の作品が映画史を彩ってきた。
思うに、この種の自伝的、私小説的な作品には特徴となる背景要素が二つ。
一つ目は作者にとって故郷となる、土地の記憶。
そしてもう一つの重要な要素は、その時代ならではの社会性だ。
冒頭、カメラはまるで観光PR映画の様に、鮮やかなカラー映像で風光明媚な現在のベルファストの街並みを活写してゆく。
そこに映し出される、大きな「BELFAST」のタイトル。
本作の主役は、作者が愛したこの歴史ある街そのものなのだ。
あるグラフィティが描かれた壁から、カメラがクレーンアップすると画面はモノクロとなり、1969年のベルファストへタイムトラベルする。
故郷への想いは、このカテゴリのほぼ全ての作品に共通するが、社会性の要素は作者の育った時代が混乱期かどうかによって、作品に占めるウェイトは異なる。
例えば制度的革命党一党独裁時代のメキシコを舞台とした「ROMA/ローマ」には、1971年に起こった市内の騒乱の様子が克明に描かれているが、平和な南イタリアのナポリが舞台の「The hand over god」では、南北の経済格差や地域差別もさりげなく盛り込まれているものの、作品の志向はずっとパーソナルだ。
ブラナーが子供時代を送った60年代末のベルファストは、街の歴史に影を落とす混沌の時代に向かっている真っ最中で、社会史と個人史が密接に結びつき、両者はもはや不可分であることがこの作品を特徴付けている。
長くイギリスの支配下にあったアイルランドが独立したのは、1922年のこと。
当初は英国王を元首とする自治領という扱いだったが、第二次世界大戦後の1949年には共和制を宣言し、イギリス連邦からも離脱する。
しかし、独立した時に島の北東部の一部地域は、イギリス領として残ることを選んだ。
住民の多数派が、イギリス領だった時代に、本土のブリテン島から移住してきたプロテスタントだったからだ。
アイルランドとの統合を望むカソリックのアイルランド系住民と、イギリスへの帰属を願うプロテスタント系住民はしばしば衝突したが、燻っていた火種がついに燃え広がったのが、3500人とも言われる犠牲者を出した北アイルランド問題だ。
ことの発端は60年代後半の、カソリックの住民たちによる差別撤廃運動。
これに反発したプロテスタント過激派が、カソリック住民を攻撃し、やがて両者の過激派は準軍事組織と化し、30年に渡って血で血を洗う抗争を繰り広げることになる。
この物語は、抗争が本格化しつつある、1969年から70年にかけてを舞台としているのである。
バディの一家はプロテスタントだが、彼の住む街にはカソリックの家庭や商店も多い。
子供たちが走り回り、プロテスタントもカソリックも関係なく雑談していた街の平和は、序盤に描かれるプロテスタント過激派の突然の襲撃により、崩壊してしまう。
通りの入り口にはバリケードが築かれ、自警団が出入りをチェック。
やがて本土から警備の軍も派遣されて来て、銃を持った軍人たちが街角に立つようになる。
元々攻撃する過激派も、少数派のカソリック住人もご近所同士で、誰もがお互いを知っている狭いコミュニティ。
ロンドンに大工として出稼ぎに出ているお父さんは、過激派の知り合いから立場をハッキリしろと執拗に脅されている。
やがて過激派の影響は、地域の子供たちにも及ぶ。
もはや街は内戦寸前で、誰にとっても平和は存在しない。
一家は全てを捨てて故郷を出てゆくか、憎しみの連鎖が続く街に止まるか、重大な決断を迫られることになる。
過激派からの圧力に耐えかね、職場のあるロンドンへの移住を考えているお父さんの葛藤、夫が不在の間ワンオペで二人の息子を育てるお母さんの苦悩。
幼い主人公に、人生の教訓を教えてくれるおじいちゃんは体調が悪く、達観した目で一家を見守るおばあちゃんももう歳だ。
親戚が残っているとは言え、大切な人が沢山いる故郷から出て行くのは、誰にとっても大きな決断だ。
大好きな映画に目を輝かせ、同級生の女の子への初恋に身悶えるバディもまた、時代の激動と無縁ではいられない。
彼の初恋の相手は、クラスメイトのカソリック家庭の子なのだ。
三世代の家族それぞれが葛藤を抱いていて、全てのシーンで感情が複雑に動き、キャラクター同士の掛け合いによる感情の変化が、綺麗に物語を繋いでゆく。
非常に効率的なストーリーテリングで、これほど情報量が多いにも関わらず、98分というコンパクトな上映時間に納めているのが素晴らしい。
アカデミー脚本賞も、納得の仕上がりだ。
全体が主人公の家がある一つの通りで展開する物語で、空間設計が非常に舞台っぽいのも、元々演劇畑の作者ならでは。
得意ジャンルに、作品をうまく引き込んでいる。
しかしシェイクスピア俳優として知られるブラナーの、映画的記憶として引用される作品が「恐竜100万年」とか「真昼の決闘」とか「チキ・チキ・バンバン」とか、どれもハリウッド資本が入っているが、監督や俳優が欧州人の作品ばかりなのが面白い。
まあ、この人も「マイティ・ソー」でマーベル監督に、「シンデレラ」ではディズニー監督にもなったので、引用される先輩たちの仲間入り。
もしかしたら、今のベルファストで未来のブラナー二世が、彼の映画に目を輝かせているかも知れない。
去りゆく者、残る者にとって、それぞれの故郷への想いがある。
時代が進んでも、住む土地が変わっても、街そのものが無くなる訳じゃ無い。
誰の心にもある人生の土台、それがベルファストなのだ。
今回はもちろん、アイルランドを代表する黒スタウト「ギネス・エクストラ・スタウト」をチョイス。
1759年にアーサー・ギネスがダブリンのセント・ジェームズ・ゲート醸造場を創業。
世界中に移民していったアイルランド人は、移民先にパブを作り、ギネスを広めていった。
日本ではあまり見かけないが、ギネスには缶ビールもあり、こちらにはフローティング・ウィジェットなる小さなプラスチックのボールが封入されていて、これによって缶ビールでも独特のクリーミーな泡を実現しているのだとか。
家でもどうしてもパブの味を再現したくて、発明までしちゃう飲兵衛の執念、恐るべし。
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名優、そして名監督としても知られるケネス・ブラナーが、北アイルランドのベルファストで過ごした、自らの子供時代をモチーフに作り上げた自伝的作品。
1960年代末、その後30年続くことになる北アイルランドの民族紛争が始まった時代を背景に、もう安全ではなくなりつつある故郷に、留まるか否かの決断を迫られている、ある家族の物語だ。
ブラナー自身は出演せず、彼の分身ともいうべき主人公の少年・バディをジュード・ヒルが演じる。
一家の面々は、お母さんにカトリーナ・バルフ、お父さんにジェイミー・ドーナン、おばあちゃんにジュディ・ディンチ、おじいちゃんにキアラン・ハインズ。
本年度の米アカデミー賞で、意外にもブラナーにとって初の栄冠となる、脚本賞に輝いた。
モノクロで描写されるノスタルジックな半世紀前のベルファストは、人々の悲喜こもごもが詰まったタイムカプセルだ。
1969年のベルファスト。
9歳の少年・バディ(ジュード・ヒル)は両親と兄の四人家族。
ロンドンで大工の仕事を得ているお父さん(ジェイミー・ドーナン)は、二週間に一回しか家に帰れず、普段はお母さん(カトリーナ・バルフ)が家を切り盛りしている。
祖父母や叔母の一家もすぐ近くに住んでいる、代々のベルファストっ子だ。
子供たちが遊び回る街は一見すると平和そうだが、街は少数派のカソリック住人とプロテスタント過激派の対立が深まり、一触即発の状態にある。
ある日、プロテスタントの過激派が、バディの住む通りのカソリックの家や商店を襲撃。
通りの入り口にはバリケードが築かれ、治安維持のために軍が進駐してくる。
過激派はお父さんを勧誘し、断られると子供たちにも手を伸ばしてくる。
暴力の時代の到来に、お父さんはロンドンへの移住を提案するが、それは一家にとって代々培ってきた全てを捨てて行くことを意味する。
結論が出ないまま時間だけが流れ、翌年のイースターに再び過激派がカソリック住人が経営するスーパーマーケットへの襲撃事件を起こし、バディも巻き込まれてしまう・・・・・
映画監督が、自分の子供時代をモチーフにした映画というのは、もはや一つのジャンルと言ってもいいのかもしれない。
古くは「フェリーニのアマルコルド」、最近では「リアリティのダンス」「ROMA/ローマ」や「The Hand of God」など、数々の作品が映画史を彩ってきた。
思うに、この種の自伝的、私小説的な作品には特徴となる背景要素が二つ。
一つ目は作者にとって故郷となる、土地の記憶。
そしてもう一つの重要な要素は、その時代ならではの社会性だ。
冒頭、カメラはまるで観光PR映画の様に、鮮やかなカラー映像で風光明媚な現在のベルファストの街並みを活写してゆく。
そこに映し出される、大きな「BELFAST」のタイトル。
本作の主役は、作者が愛したこの歴史ある街そのものなのだ。
あるグラフィティが描かれた壁から、カメラがクレーンアップすると画面はモノクロとなり、1969年のベルファストへタイムトラベルする。
故郷への想いは、このカテゴリのほぼ全ての作品に共通するが、社会性の要素は作者の育った時代が混乱期かどうかによって、作品に占めるウェイトは異なる。
例えば制度的革命党一党独裁時代のメキシコを舞台とした「ROMA/ローマ」には、1971年に起こった市内の騒乱の様子が克明に描かれているが、平和な南イタリアのナポリが舞台の「The hand over god」では、南北の経済格差や地域差別もさりげなく盛り込まれているものの、作品の志向はずっとパーソナルだ。
ブラナーが子供時代を送った60年代末のベルファストは、街の歴史に影を落とす混沌の時代に向かっている真っ最中で、社会史と個人史が密接に結びつき、両者はもはや不可分であることがこの作品を特徴付けている。
長くイギリスの支配下にあったアイルランドが独立したのは、1922年のこと。
当初は英国王を元首とする自治領という扱いだったが、第二次世界大戦後の1949年には共和制を宣言し、イギリス連邦からも離脱する。
しかし、独立した時に島の北東部の一部地域は、イギリス領として残ることを選んだ。
住民の多数派が、イギリス領だった時代に、本土のブリテン島から移住してきたプロテスタントだったからだ。
アイルランドとの統合を望むカソリックのアイルランド系住民と、イギリスへの帰属を願うプロテスタント系住民はしばしば衝突したが、燻っていた火種がついに燃え広がったのが、3500人とも言われる犠牲者を出した北アイルランド問題だ。
ことの発端は60年代後半の、カソリックの住民たちによる差別撤廃運動。
これに反発したプロテスタント過激派が、カソリック住民を攻撃し、やがて両者の過激派は準軍事組織と化し、30年に渡って血で血を洗う抗争を繰り広げることになる。
この物語は、抗争が本格化しつつある、1969年から70年にかけてを舞台としているのである。
バディの一家はプロテスタントだが、彼の住む街にはカソリックの家庭や商店も多い。
子供たちが走り回り、プロテスタントもカソリックも関係なく雑談していた街の平和は、序盤に描かれるプロテスタント過激派の突然の襲撃により、崩壊してしまう。
通りの入り口にはバリケードが築かれ、自警団が出入りをチェック。
やがて本土から警備の軍も派遣されて来て、銃を持った軍人たちが街角に立つようになる。
元々攻撃する過激派も、少数派のカソリック住人もご近所同士で、誰もがお互いを知っている狭いコミュニティ。
ロンドンに大工として出稼ぎに出ているお父さんは、過激派の知り合いから立場をハッキリしろと執拗に脅されている。
やがて過激派の影響は、地域の子供たちにも及ぶ。
もはや街は内戦寸前で、誰にとっても平和は存在しない。
一家は全てを捨てて故郷を出てゆくか、憎しみの連鎖が続く街に止まるか、重大な決断を迫られることになる。
過激派からの圧力に耐えかね、職場のあるロンドンへの移住を考えているお父さんの葛藤、夫が不在の間ワンオペで二人の息子を育てるお母さんの苦悩。
幼い主人公に、人生の教訓を教えてくれるおじいちゃんは体調が悪く、達観した目で一家を見守るおばあちゃんももう歳だ。
親戚が残っているとは言え、大切な人が沢山いる故郷から出て行くのは、誰にとっても大きな決断だ。
大好きな映画に目を輝かせ、同級生の女の子への初恋に身悶えるバディもまた、時代の激動と無縁ではいられない。
彼の初恋の相手は、クラスメイトのカソリック家庭の子なのだ。
三世代の家族それぞれが葛藤を抱いていて、全てのシーンで感情が複雑に動き、キャラクター同士の掛け合いによる感情の変化が、綺麗に物語を繋いでゆく。
非常に効率的なストーリーテリングで、これほど情報量が多いにも関わらず、98分というコンパクトな上映時間に納めているのが素晴らしい。
アカデミー脚本賞も、納得の仕上がりだ。
全体が主人公の家がある一つの通りで展開する物語で、空間設計が非常に舞台っぽいのも、元々演劇畑の作者ならでは。
得意ジャンルに、作品をうまく引き込んでいる。
しかしシェイクスピア俳優として知られるブラナーの、映画的記憶として引用される作品が「恐竜100万年」とか「真昼の決闘」とか「チキ・チキ・バンバン」とか、どれもハリウッド資本が入っているが、監督や俳優が欧州人の作品ばかりなのが面白い。
まあ、この人も「マイティ・ソー」でマーベル監督に、「シンデレラ」ではディズニー監督にもなったので、引用される先輩たちの仲間入り。
もしかしたら、今のベルファストで未来のブラナー二世が、彼の映画に目を輝かせているかも知れない。
去りゆく者、残る者にとって、それぞれの故郷への想いがある。
時代が進んでも、住む土地が変わっても、街そのものが無くなる訳じゃ無い。
誰の心にもある人生の土台、それがベルファストなのだ。
今回はもちろん、アイルランドを代表する黒スタウト「ギネス・エクストラ・スタウト」をチョイス。
1759年にアーサー・ギネスがダブリンのセント・ジェームズ・ゲート醸造場を創業。
世界中に移民していったアイルランド人は、移民先にパブを作り、ギネスを広めていった。
日本ではあまり見かけないが、ギネスには缶ビールもあり、こちらにはフローティング・ウィジェットなる小さなプラスチックのボールが封入されていて、これによって缶ビールでも独特のクリーミーな泡を実現しているのだとか。
家でもどうしてもパブの味を再現したくて、発明までしちゃう飲兵衛の執念、恐るべし。

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この記事へのコメント
この映画を見ていると、自分が幼少期を過ごした時に出逢った大人たちや友人たちを思い出してしまうんですよね。
私の幼少期は北アイルランドみたいな激動の時代ではありませんでしたが、どんな時代でも、どんな場所でも、そこで学んだことが今の自分を形作っている。そんな想いで見ることの出来る作品でした。
私の幼少期は北アイルランドみたいな激動の時代ではありませんでしたが、どんな時代でも、どんな場所でも、そこで学んだことが今の自分を形作っている。そんな想いで見ることの出来る作品でした。
>にゃむばななさん
あーそれ思いました。
あの横丁見ながら、じいちゃんばあちゃんに自分の思い出がかぶさったり。
この辺りは国関係ない普遍性のある部分ですね。
そこで起こるのが、宗教紛争ですからどうやってもリアリティあるという。
あーそれ思いました。
あの横丁見ながら、じいちゃんばあちゃんに自分の思い出がかぶさったり。
この辺りは国関係ない普遍性のある部分ですね。
そこで起こるのが、宗教紛争ですからどうやってもリアリティあるという。
こんにちは。
ラストは希望に満ちた未来への予感といった雰囲気を出していたので、これはこれで良いのだなぁ、と思います。だからこその「郷愁」となる訳で。
ただ、現実はかなり辛くて厳しいよなぁ、と…。
ラストは希望に満ちた未来への予感といった雰囲気を出していたので、これはこれで良いのだなぁ、と思います。だからこその「郷愁」となる訳で。
ただ、現実はかなり辛くて厳しいよなぁ、と…。
>ここなつさん
ノスタルジックではありますが、日常が暴力によって失われる映画でもあり、まさにこれのもっと酷い版がウクライナで起こっていると言う事実が重いです。
希望的に描いてますけど、日本に来ている避難民の方達と重なりますね。
ノスタルジックではありますが、日常が暴力によって失われる映画でもあり、まさにこれのもっと酷い版がウクライナで起こっていると言う事実が重いです。
希望的に描いてますけど、日本に来ている避難民の方達と重なりますね。
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北アイルランドの都市ベルファスト。 9歳の少年バディは、家族と友達に囲まれ、映画や音楽を楽しみ、充実した毎日を過ごしていた。 しかし、1969年8月15日、プロテスタントの暴徒が街のカトリック住民への攻撃を始め、町はこの日を境に分断されていく。 暴力と隣り合わせの日々が続き、バディの家族は故郷を離れるか否かの決断に迫られる…。 歴史ドラマ。
2022/04/03(日) 00:56:00 | 象のロケット
この作品がつくられた時には、まさかこんな世界になっているとは思わなかっただろう。だから郷愁に満ちているという表現も可能なのだ。だが、これは単純に「監督ケネス・ブラナーの幼少期を投影した自伝的作品。故郷への郷愁とリスペクトを英国・アイルランド実力派俳優たちの競演で魅せる、泣き笑いの人生賛歌(作品HPより)」という論評で括ってはならない。世情がこうなっている今現在だからこそ、そこで生きる人々がど...
2022/04/08(金) 16:30:28 | ここなつ映画レビュー
こども視点の映画は強い。
2023/02/12(日) 09:55:53 | 或る日の出来事
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