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2022年05月19日 (木) | 編集 |
世界から拒絶されても、あなたがいる。
これは強烈な映画だ。
女児誘拐事件の被害者と犯人が、15年後に再開したことから、運命が動き出す。
広瀬すずと松坂桃李が演じる、この二人は似た者同士。
親の愛を知らず、最初から家に居場所が無い。
そして、二人とも人には言えないトラウマを抱えて、心がちょっと壊れてしまっている。
長編映画としては、2016年の「怒り」以来となる、李相日が監督と脚本を務める。
「パラサイト 半地下の家族」や「哭声/コクソン」などで知られる、現代韓国を代表する撮影監督・ホン・ギョンピョが素晴らしいフレームワークを見せ、こちらも世界的に活躍する種田陽平が美術を担当。
孤独な二人の魂のドラマを、超ハイレベルなビジュアルが彩る。
心の世界と現実の世界が乖離してしまうことの痛みが、観る者の心をじわじわと抉ってくる、濃密なる2時間30分だ。
※核心部分に触れています。
新しい恋人ができた母と別れ、叔母の家に引き取られた家内更紗(広瀬すず/白鳥玉季)は、9歳の時に“誘拐事件”の被害者となった。
雨の公園で本を読んでいた更紗に声をかけて、自宅のマンションに連れて帰ったのは、19歳の青年・佐伯文(松坂桃李)だった。
そのまま2ヶ月ほど一緒に暮らし、文は誘拐犯として逮捕され、文を庇った更紗が泣き叫ぶシーンはSNSに拡散した。
それから15年が経った現在、更紗はファミレスでバイトしながら、恋人の中瀬亮(横浜流星)と同棲している。
事件のインパクトは大きく、更紗は今でも「あの時の可哀想な女の子」として好奇の目に晒されることもある。
そんなある日、更紗は偶然入った深夜カフェで、店長として働く文と再会する。
文は更紗が分からない様子だったが、当時自分には一切手を出さなかったのに、「ロリコンの変態誘拐犯」とバッシングされた文のことが、ずっと心に残っていた彼女は、足繁くカフェに通う様になる・・・
李相日監督の前作「怒り」で、キーパーソンとなる高校生の泉を演じ、ラストカットの誰にも届かない魂の慟哭が鮮烈な印象を残した広瀬すずが、今回は20代の大人の女性。
まさに光陰矢のごとしだが、本作で運命の出会いをした更紗と文は、違った意味でおそろしく複雑なキャラクターで、役者としては演じ甲斐があっただろう。
設定を一見すると、誘拐犯と被害者とされた二人と世間の間の、“正しさのズレ”に関する映画なのかと思ったが、実際に観るとそんな単純な話じゃなかった。
映画は現在と15年前、さらにその間の出来事を行きつ戻りつしながら進行してゆくが、上映時間の大半は更紗の視点で進行する。
冒頭の雨の公園で、中で傘も刺さずに「赤毛のアン」を読んでいる彼女に、文が声をかける。
9歳の更紗を演じるのは白鳥玉季だが、広瀬すずそっくりに雰囲気を作っていてドキッとした。
末恐ろしいぞ、この子は。
家に帰りたくないという彼女を、文は自分のマンションに連れ帰り、奇妙な同居生活が始まる。
仕事をするでもなく、学校に行くでもなく、何にも縛られない自由な日々。
しかしそんな白昼夢のような時間は、水面に移る月が波紋にかき消されるように、ある日突然終わりを迎える。
更紗は預けられていた叔母の家で、中学生の従兄弟から性的虐待を受ていて、逃れるために文のマンションに行ったのだが、保護された彼女はどうしても警察に本当のことを言うことができない。
結果、ロリコンの大学生が、女の子を悪戯目的で誘拐し、洗脳したと言う警察の見立て通りに事件は集結してしまう。
そのまま15年の歳月が過ぎて大人になっても、性的虐待のトラウマは悪夢となって更紗を苦しめ続け、自分の秘密を守るために、文を犠牲にしたという罪悪感も心の奥底の棘となっている。
あの時、二人の間にあった、お互いを求める感情を、周りは誰も理解してくれない。
いや厳密に言えば、それがどういった感情なのか、観てる方はもちろん、キャラクター自身も理解していないようなのだ。
偶然の再会を果たした二人は、再び惹かれ合うようになり、それは更紗の婚約者で隠れDV体質の亮と、多部未華子が演じる文の恋人のあゆみを巻き込んで、周囲に嵐を巻き起こしてゆく。
亮とあゆみに関しては、どちらも癖はあるが普通の人なので行動原理が分かりやすいが、更紗と文は違う。
雨の中、得体の知れない強い衝動に駆られた更紗が、文とあゆみをストーカーのように追いかけるシーンは、彼女を動かしている感情の正体が分からず、キャラクターと観客の戸惑いがシンクロする。
かつての自分のような、失踪した同僚の娘を預かった更紗は、再び文と親密な関係を再び結ぶが、それは世間的にはタブーとされいるもの。
その時彼女が抱いた「文と一緒にいたい」と言う感情は、果たして15年前と同じものなのか。
やがて、物語の終盤になると、徐々に視点が更紗から文へとシフトし、彼の抱えているある深刻なコンプレックスが明らかとなる。
誰にでも絶対に人に知られたくないことがあり、秘密が更なる誤解を呼ぶ悪循環。
世界から拒絶され、この世でただ一人の相手にしか、自分を理解してもらえないと思った時、その相手が許されない人物だったらどうするか。
二つの迷える魂の15年を、風にそよぐカーテンがシームレスに橋渡しし、昼間の儚げな月が二人の見ている世界を繋げる。
撮影のホン・ギョンピョと照明の中村裕樹は、驚くべき未見性のある映像を作り上げていて、全てのショットが決め込まれ、まるで絵画のような美しさだ。
直線的で人間味を感じさせない、文の実家のビジュアルデザインは「パラサイト 半地下の家族」思わせるフレームワークが光るが、特筆すべきは雨、川、湖といった象徴的に描写される水の表現だろう。
更紗と文、異なる時系列で二人が湖に浮いているシーンがあるが、まるで二人とも透明だが底の知れない水に絡め取られているように見える。
現在の更紗と亮、文とあゆみは、結局どちらも破綻する。
この二人はトラウマによって“一部が壊れている”のが重要で、結局それが原因で肉体的に人と愛を交わすことができないのである。
更紗は亮に「私は可哀想な子じゃないよ」という。
亮は彼女のことを「ロリコンの変態に誘拐されて、悪戯された可哀想な子」で自分が救ってあげられると認識している。
まあ実は亮も更紗に依存していて、それが問題を引き起こしてゆくのだが、そもそも彼女の中では“誘拐事件”は起こっていないのだから、救われる必要は無いのである。
一方、15年前に文が傘を差し出した更紗は、性的虐待を受けて帰る家のない「可哀想な子」だ。
同じ人物に救いの手を出したという点では同じだが、彼女に対するスタンスが上から目線の亮と対等な文では真逆。
更紗は文には自分の問題を告白できるが、亮には出来ない。
心で繋がることができる人と、そうでない人の差とはこういうものなのかも知れない。
そしてロリコンの誘拐犯と揶揄されても、自分の本当の問題を誰にも言えなかった文も、遂に更紗に真相を明かし、二人は「流浪の月」となって人生を共に歩むことを決意する。
私は、最後までこれが真実の愛なのか、ある種の共依存なのか判断がつかなかった。
おそらく、アプローチの仕方によっては、一気に陳腐化してしまう物語だと思うが、世間から断絶しお互いを求める感情を、あえて二人の間でしか理解し得ない、言語化不可能なものとして描いたのが秀逸。
簡単には咀嚼不可能な物語で、映画が終わって劇場に灯がついても、観た者の中で何か大きな説明できない想いが胸につかえたままになる。
人の心は摩訶不思議なり。
今回は舞台となる松本市の地酒、その名も大信州酒造の「大信州 超辛口純米吟醸」をチョイス。
柔らかな吟醸香がふわりと立ち、口に含むと米の旨味がすっと広がる。
ネーミング通り喉越しスッキリな辛口だが、純米吟醸酒らしい芳醇さも味わえる。
ただ軽やかなだけではなく、豊かな深みと幅のある酒だ。
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これは強烈な映画だ。
女児誘拐事件の被害者と犯人が、15年後に再開したことから、運命が動き出す。
広瀬すずと松坂桃李が演じる、この二人は似た者同士。
親の愛を知らず、最初から家に居場所が無い。
そして、二人とも人には言えないトラウマを抱えて、心がちょっと壊れてしまっている。
長編映画としては、2016年の「怒り」以来となる、李相日が監督と脚本を務める。
「パラサイト 半地下の家族」や「哭声/コクソン」などで知られる、現代韓国を代表する撮影監督・ホン・ギョンピョが素晴らしいフレームワークを見せ、こちらも世界的に活躍する種田陽平が美術を担当。
孤独な二人の魂のドラマを、超ハイレベルなビジュアルが彩る。
心の世界と現実の世界が乖離してしまうことの痛みが、観る者の心をじわじわと抉ってくる、濃密なる2時間30分だ。
※核心部分に触れています。
新しい恋人ができた母と別れ、叔母の家に引き取られた家内更紗(広瀬すず/白鳥玉季)は、9歳の時に“誘拐事件”の被害者となった。
雨の公園で本を読んでいた更紗に声をかけて、自宅のマンションに連れて帰ったのは、19歳の青年・佐伯文(松坂桃李)だった。
そのまま2ヶ月ほど一緒に暮らし、文は誘拐犯として逮捕され、文を庇った更紗が泣き叫ぶシーンはSNSに拡散した。
それから15年が経った現在、更紗はファミレスでバイトしながら、恋人の中瀬亮(横浜流星)と同棲している。
事件のインパクトは大きく、更紗は今でも「あの時の可哀想な女の子」として好奇の目に晒されることもある。
そんなある日、更紗は偶然入った深夜カフェで、店長として働く文と再会する。
文は更紗が分からない様子だったが、当時自分には一切手を出さなかったのに、「ロリコンの変態誘拐犯」とバッシングされた文のことが、ずっと心に残っていた彼女は、足繁くカフェに通う様になる・・・
李相日監督の前作「怒り」で、キーパーソンとなる高校生の泉を演じ、ラストカットの誰にも届かない魂の慟哭が鮮烈な印象を残した広瀬すずが、今回は20代の大人の女性。
まさに光陰矢のごとしだが、本作で運命の出会いをした更紗と文は、違った意味でおそろしく複雑なキャラクターで、役者としては演じ甲斐があっただろう。
設定を一見すると、誘拐犯と被害者とされた二人と世間の間の、“正しさのズレ”に関する映画なのかと思ったが、実際に観るとそんな単純な話じゃなかった。
映画は現在と15年前、さらにその間の出来事を行きつ戻りつしながら進行してゆくが、上映時間の大半は更紗の視点で進行する。
冒頭の雨の公園で、中で傘も刺さずに「赤毛のアン」を読んでいる彼女に、文が声をかける。
9歳の更紗を演じるのは白鳥玉季だが、広瀬すずそっくりに雰囲気を作っていてドキッとした。
末恐ろしいぞ、この子は。
家に帰りたくないという彼女を、文は自分のマンションに連れ帰り、奇妙な同居生活が始まる。
仕事をするでもなく、学校に行くでもなく、何にも縛られない自由な日々。
しかしそんな白昼夢のような時間は、水面に移る月が波紋にかき消されるように、ある日突然終わりを迎える。
更紗は預けられていた叔母の家で、中学生の従兄弟から性的虐待を受ていて、逃れるために文のマンションに行ったのだが、保護された彼女はどうしても警察に本当のことを言うことができない。
結果、ロリコンの大学生が、女の子を悪戯目的で誘拐し、洗脳したと言う警察の見立て通りに事件は集結してしまう。
そのまま15年の歳月が過ぎて大人になっても、性的虐待のトラウマは悪夢となって更紗を苦しめ続け、自分の秘密を守るために、文を犠牲にしたという罪悪感も心の奥底の棘となっている。
あの時、二人の間にあった、お互いを求める感情を、周りは誰も理解してくれない。
いや厳密に言えば、それがどういった感情なのか、観てる方はもちろん、キャラクター自身も理解していないようなのだ。
偶然の再会を果たした二人は、再び惹かれ合うようになり、それは更紗の婚約者で隠れDV体質の亮と、多部未華子が演じる文の恋人のあゆみを巻き込んで、周囲に嵐を巻き起こしてゆく。
亮とあゆみに関しては、どちらも癖はあるが普通の人なので行動原理が分かりやすいが、更紗と文は違う。
雨の中、得体の知れない強い衝動に駆られた更紗が、文とあゆみをストーカーのように追いかけるシーンは、彼女を動かしている感情の正体が分からず、キャラクターと観客の戸惑いがシンクロする。
かつての自分のような、失踪した同僚の娘を預かった更紗は、再び文と親密な関係を再び結ぶが、それは世間的にはタブーとされいるもの。
その時彼女が抱いた「文と一緒にいたい」と言う感情は、果たして15年前と同じものなのか。
やがて、物語の終盤になると、徐々に視点が更紗から文へとシフトし、彼の抱えているある深刻なコンプレックスが明らかとなる。
誰にでも絶対に人に知られたくないことがあり、秘密が更なる誤解を呼ぶ悪循環。
世界から拒絶され、この世でただ一人の相手にしか、自分を理解してもらえないと思った時、その相手が許されない人物だったらどうするか。
二つの迷える魂の15年を、風にそよぐカーテンがシームレスに橋渡しし、昼間の儚げな月が二人の見ている世界を繋げる。
撮影のホン・ギョンピョと照明の中村裕樹は、驚くべき未見性のある映像を作り上げていて、全てのショットが決め込まれ、まるで絵画のような美しさだ。
直線的で人間味を感じさせない、文の実家のビジュアルデザインは「パラサイト 半地下の家族」思わせるフレームワークが光るが、特筆すべきは雨、川、湖といった象徴的に描写される水の表現だろう。
更紗と文、異なる時系列で二人が湖に浮いているシーンがあるが、まるで二人とも透明だが底の知れない水に絡め取られているように見える。
現在の更紗と亮、文とあゆみは、結局どちらも破綻する。
この二人はトラウマによって“一部が壊れている”のが重要で、結局それが原因で肉体的に人と愛を交わすことができないのである。
更紗は亮に「私は可哀想な子じゃないよ」という。
亮は彼女のことを「ロリコンの変態に誘拐されて、悪戯された可哀想な子」で自分が救ってあげられると認識している。
まあ実は亮も更紗に依存していて、それが問題を引き起こしてゆくのだが、そもそも彼女の中では“誘拐事件”は起こっていないのだから、救われる必要は無いのである。
一方、15年前に文が傘を差し出した更紗は、性的虐待を受けて帰る家のない「可哀想な子」だ。
同じ人物に救いの手を出したという点では同じだが、彼女に対するスタンスが上から目線の亮と対等な文では真逆。
更紗は文には自分の問題を告白できるが、亮には出来ない。
心で繋がることができる人と、そうでない人の差とはこういうものなのかも知れない。
そしてロリコンの誘拐犯と揶揄されても、自分の本当の問題を誰にも言えなかった文も、遂に更紗に真相を明かし、二人は「流浪の月」となって人生を共に歩むことを決意する。
私は、最後までこれが真実の愛なのか、ある種の共依存なのか判断がつかなかった。
おそらく、アプローチの仕方によっては、一気に陳腐化してしまう物語だと思うが、世間から断絶しお互いを求める感情を、あえて二人の間でしか理解し得ない、言語化不可能なものとして描いたのが秀逸。
簡単には咀嚼不可能な物語で、映画が終わって劇場に灯がついても、観た者の中で何か大きな説明できない想いが胸につかえたままになる。
人の心は摩訶不思議なり。
今回は舞台となる松本市の地酒、その名も大信州酒造の「大信州 超辛口純米吟醸」をチョイス。
柔らかな吟醸香がふわりと立ち、口に含むと米の旨味がすっと広がる。
ネーミング通り喉越しスッキリな辛口だが、純米吟醸酒らしい芳醇さも味わえる。
ただ軽やかなだけではなく、豊かな深みと幅のある酒だ。

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この記事へのコメント
水に関する表現がとてつもなく素晴らしかったですよね。
冒頭の氾濫した河川といい、ミルクがゆっくりと混ざるカフェオレといい、そして雨、湖、涙。
この2人の間にあるのは真実の愛なのか、共依存なのか。それは見た人の願望だと思います。私はこの2人には幸せになってほしいと思ったので愛だと思いましたが、判断がつかないご意見も理解出来ます。それが人それぞれの価値観ですもんね。
冒頭の氾濫した河川といい、ミルクがゆっくりと混ざるカフェオレといい、そして雨、湖、涙。
この2人の間にあるのは真実の愛なのか、共依存なのか。それは見た人の願望だと思います。私はこの2人には幸せになってほしいと思ったので愛だと思いましたが、判断がつかないご意見も理解出来ます。それが人それぞれの価値観ですもんね。
>にゃむばななさん
これは、わからないから良いのだと思います。
人の心は深くて、他人には決して分からない感情がありますよね。
世間からは後ろ指刺されても、二人の心が安らぐ場所がそこしか無いのなら、それは尊重すべきもの。
まあ自分で愛だと思ったら、誰がなんと言おうが愛なんだと思います。
これは、わからないから良いのだと思います。
人の心は深くて、他人には決して分からない感情がありますよね。
世間からは後ろ指刺されても、二人の心が安らぐ場所がそこしか無いのなら、それは尊重すべきもの。
まあ自分で愛だと思ったら、誰がなんと言おうが愛なんだと思います。
こんにちは。
松坂桃李が多部未華子に対して別れる際に言い放つセリフは、世界で最も棘のある、けれど世界で最も女性に対して誠実な言葉だと思いました。いわゆる「優しい嘘」。だって、寂しさを癒したいだけで一緒にいたんだ、と言われるより潔くてありがたい。
松坂桃李が多部未華子に対して別れる際に言い放つセリフは、世界で最も棘のある、けれど世界で最も女性に対して誠実な言葉だと思いました。いわゆる「優しい嘘」。だって、寂しさを癒したいだけで一緒にいたんだ、と言われるより潔くてありがたい。
イジワルなので、ふと松坂桃李の洗脳後の広瀬すずの脳内イメージで、実は広瀬すずには甥はいなく、やはり松坂桃李に被害を受けていたという結末を考えたけど、それってまるまる横浜流星が乗り込んで松坂桃李をぶちのめして終わる映画でそれはイヤだな。
松坂桃李くんの孤高さは「フランケンシュタインの花嫁」で怪物がただ一人自分の理解者さえいてくれれば救いになる、もう世界には近づかないと言った孤独さを思いだした。
松坂桃李くんの孤高さは「フランケンシュタインの花嫁」で怪物がただ一人自分の理解者さえいてくれれば救いになる、もう世界には近づかないと言った孤独さを思いだした。
2022/06/07(火) 18:09:36 | URL | fjk78dead #-[ 編集]
>ここなつさん
多部未華子は他の人たちが強烈だったから、四人の主要キャラクターの中では、割りをくった形になっちゃいましたね。
彼女だけが本当に普通の人でした。
基本登場人物全員ナイーブなんですが、特に主役の二人は覚悟決めちゃいますからね。
>ふじきさん
なるほど「フランケンシュタインの花嫁」。
確かに彼の感じてる孤独は近いものがあるのかも。
二人の世界だけあれば、生きていける。
ある意味究極のセカイ系。
多部未華子は他の人たちが強烈だったから、四人の主要キャラクターの中では、割りをくった形になっちゃいましたね。
彼女だけが本当に普通の人でした。
基本登場人物全員ナイーブなんですが、特に主役の二人は覚悟決めちゃいますからね。
>ふじきさん
なるほど「フランケンシュタインの花嫁」。
確かに彼の感じてる孤独は近いものがあるのかも。
二人の世界だけあれば、生きていける。
ある意味究極のセカイ系。
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雨の夕方の公園で、びしょ濡れになっていた10歳の少女・家内更紗。 19歳の男子大学生・佐伯文は、伯母の家に帰りたがらない彼女を2か月家に泊めたために、誘拐罪で逮捕されてしまう。 …15年後、“傷物にされた被害女児”と“ロリコンの犯罪者”という烙印を背負ったまま、更紗と文は再会。 互いの距離は近づいてゆくが…。 ヒューマンドラマ。
2022/05/23(月) 00:45:55 | 象のロケット
性愛というものが世の中に存在しなければ、この二人はそれぞれにどんなに穏やかに生きられただろうか…。粗筋を映画.comより抜粋。「ある日の夕方、雨の公園でびしょ濡れになっていた10歳の少女・家内更紗に、19歳の大学生・佐伯文が傘をさしかける。伯母に引き取られて暮らす更紗は家に帰りたがらず、文は彼女を自宅に連れて帰る。更紗はそのまま2カ月を文の部屋で過ごし、やがて文は更紗を誘拐した罪で逮捕される...
2022/06/03(金) 12:42:25 | ここなつ映画レビュー
◆『流浪の月』トーホーシネマズ池袋3(ネタバレ)
▲画像は後から。
レビュー内にネタバレ内容を含みます
五つ星評価で【★★★★決して役者の身体改造を望むわけではないが。】
ツイッターでの最初の感想(↓)
広瀬すずも凄いが松坂桃李の存在感から目を離せない。
見終わって、これを言うのが精一杯という感じ。
ともかく鮮明にビシャっとやられたのは松坂桃李の肉体。私は割とデ・ニーロ・アプローチに...
2022/06/07(火) 18:28:03 | ふじき78の死屍累々映画日記・第二章
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