2022年06月07日 (火) | 編集 |
“死者だけが戦争の終わりを見た”
ターミナルケア専門の看護師を描いた「或る終焉」で知られるメキシコの異才、ミシェル・フランコによる、パワフルな寓話劇だ。
舞台は現在のメキシコ。
ネイアン・ゴンザレス・ノルビンドが演じる主人公マリアンは、高級住宅街にある豪邸で、自分の結婚パーティーを盛大に開いている新婦。
一方、街では不穏な動きが続いている。
貧富の格差が限界を超え、政府に抗議するデモ隊は暴徒となる。
やがて彼らは富裕層に対する敵意と共に、パーティー会場にも雪崩れ込んでくる。
本来なら主人を守るはずの警備員は暴徒の側に立ち、略奪と殺戮が起こり、人生最良の日の華やかな宴は、瞬く間に血まみれの戦場と化す。
だが、マリアンにとって、この事件は地獄巡りの始まりに過ぎないのだ。
暴力には暴力を。
鎮圧に乗り出した軍は、同時に政権を奪取。
社会の歪みが極限に達し、既存の秩序が崩れ去ると、新しい秩序=“ニューオーダー”が築かれるが、それが以前の秩序よりマシとは限らない。
暴徒たちはほとんどが殺されるも、暴走する軍の一部はどさくさに紛れて、富裕層の誘拐ビジネスに手を染める。
暴力をさらに強大な暴力で押さえ込むと、そこに現れるのは本当の弱肉強食。
理性と共に法の支配は失われ、命の価値は限りなく低くなり、人間がもはや人間ではいられない、極限のディストピアだ。
全編を通してお金の話が出てくる。
結婚式には客たちがご祝儀を持ってくるが、マリアンはその金を仕舞い込む母に「パパが政府に贈った賄賂の1パーセントくらいじゃないの」と言う。
宴の最中には元使用人の男性が、妻の手術費用20万ペソ(約140万円)を借りにくる。
そして、誘拐されたマリアンの身代金として提示されるのは、1000万ペソ。
生き死にを分ける金額の50倍の差が、住む世界の違いを分かりやすく描き出す。
だが新しい支配者にとって何より重要なのは、自らの権威なのである。
富裕層だろうが、貧民だろうが、権威を毀損する可能性のある者は容赦なく切り捨てる。
それが例え、偽りの権威だとしてもだ。
今世界で起こっていることを考えれば、これは決して絵空事とは言えないだろう。
劇中でマリアンが着ている、高級そうな衣装は鮮やかな赤。
それに対して、本作のコンセプトカラーであり、暴徒たちが撒き散らす抗議のペンキは青緑。
この色は赤の反対色であり、人間がジャングルの獣に戻る瞬間を象徴的に表している。
しかし、暴力の連鎖がもたらす世界を描きたいのは分かるのだが、問題の根本は格差をもたらした社会構造のはず。
この部分には、ほとんど触れられていないことは引っかかる。
また基本マリアンをはじめとした白人富裕層に視点が置かれているため、怒れる大衆を体現するキャラクターがおらず、彼らが記号化してしまっている。
私は本作から「時計じかけのオレンジ」と「ジョーカー」を連想したのだが、どちらの作品の主人公も暴力衝動に駆られる側だった。
対して本作のマリアンは、中盤以降自分から動くことが出来なくなるので、存在が弱くなってしまう。
一応、彼女を匿う使用人の親子が、後半部分の感情移入キャラクターになっているが、富裕層に同情的な立ち位置なので、今ひとつ中途半端に感じる。
ともあれ、格差が拡大し続ける私たちの社会の行く末に、リアリティたっぷりに警鐘を鳴らす力作であることは間違いない。
ただ、いっさいの救いも容赦も無い話なので、かなり観客を選ぶ。
イヤーな気分になる映画に対する、それなりの耐性は必要だろう。
今回は、本作のコンセプトカラーと同じ緑のカクテル「グリーンハット」をチョイス。
氷を入れたタンブラーに、ドライ・ジン25ml、クレーム・ド・ミントグリーン25ml、ソーダ適量を注ぎ、軽くステアする。
清涼な夏向けのカクテルで、辛口のジンとミントが涼しげな風を運んでくる。
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ターミナルケア専門の看護師を描いた「或る終焉」で知られるメキシコの異才、ミシェル・フランコによる、パワフルな寓話劇だ。
舞台は現在のメキシコ。
ネイアン・ゴンザレス・ノルビンドが演じる主人公マリアンは、高級住宅街にある豪邸で、自分の結婚パーティーを盛大に開いている新婦。
一方、街では不穏な動きが続いている。
貧富の格差が限界を超え、政府に抗議するデモ隊は暴徒となる。
やがて彼らは富裕層に対する敵意と共に、パーティー会場にも雪崩れ込んでくる。
本来なら主人を守るはずの警備員は暴徒の側に立ち、略奪と殺戮が起こり、人生最良の日の華やかな宴は、瞬く間に血まみれの戦場と化す。
だが、マリアンにとって、この事件は地獄巡りの始まりに過ぎないのだ。
暴力には暴力を。
鎮圧に乗り出した軍は、同時に政権を奪取。
社会の歪みが極限に達し、既存の秩序が崩れ去ると、新しい秩序=“ニューオーダー”が築かれるが、それが以前の秩序よりマシとは限らない。
暴徒たちはほとんどが殺されるも、暴走する軍の一部はどさくさに紛れて、富裕層の誘拐ビジネスに手を染める。
暴力をさらに強大な暴力で押さえ込むと、そこに現れるのは本当の弱肉強食。
理性と共に法の支配は失われ、命の価値は限りなく低くなり、人間がもはや人間ではいられない、極限のディストピアだ。
全編を通してお金の話が出てくる。
結婚式には客たちがご祝儀を持ってくるが、マリアンはその金を仕舞い込む母に「パパが政府に贈った賄賂の1パーセントくらいじゃないの」と言う。
宴の最中には元使用人の男性が、妻の手術費用20万ペソ(約140万円)を借りにくる。
そして、誘拐されたマリアンの身代金として提示されるのは、1000万ペソ。
生き死にを分ける金額の50倍の差が、住む世界の違いを分かりやすく描き出す。
だが新しい支配者にとって何より重要なのは、自らの権威なのである。
富裕層だろうが、貧民だろうが、権威を毀損する可能性のある者は容赦なく切り捨てる。
それが例え、偽りの権威だとしてもだ。
今世界で起こっていることを考えれば、これは決して絵空事とは言えないだろう。
劇中でマリアンが着ている、高級そうな衣装は鮮やかな赤。
それに対して、本作のコンセプトカラーであり、暴徒たちが撒き散らす抗議のペンキは青緑。
この色は赤の反対色であり、人間がジャングルの獣に戻る瞬間を象徴的に表している。
しかし、暴力の連鎖がもたらす世界を描きたいのは分かるのだが、問題の根本は格差をもたらした社会構造のはず。
この部分には、ほとんど触れられていないことは引っかかる。
また基本マリアンをはじめとした白人富裕層に視点が置かれているため、怒れる大衆を体現するキャラクターがおらず、彼らが記号化してしまっている。
私は本作から「時計じかけのオレンジ」と「ジョーカー」を連想したのだが、どちらの作品の主人公も暴力衝動に駆られる側だった。
対して本作のマリアンは、中盤以降自分から動くことが出来なくなるので、存在が弱くなってしまう。
一応、彼女を匿う使用人の親子が、後半部分の感情移入キャラクターになっているが、富裕層に同情的な立ち位置なので、今ひとつ中途半端に感じる。
ともあれ、格差が拡大し続ける私たちの社会の行く末に、リアリティたっぷりに警鐘を鳴らす力作であることは間違いない。
ただ、いっさいの救いも容赦も無い話なので、かなり観客を選ぶ。
イヤーな気分になる映画に対する、それなりの耐性は必要だろう。
今回は、本作のコンセプトカラーと同じ緑のカクテル「グリーンハット」をチョイス。
氷を入れたタンブラーに、ドライ・ジン25ml、クレーム・ド・ミントグリーン25ml、ソーダ適量を注ぎ、軽くステアする。
清涼な夏向けのカクテルで、辛口のジンとミントが涼しげな風を運んでくる。

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