2022年06月11日 (土) | 編集 |
人間にとって、故郷とは?
現在のコペンハーゲンで、アフガニスタン難民の男性アミル・ナワビが、友人の映画監督ヨナス・ポヘール・ラスムセンに語った20年前の“FLEE=逃亡”の記憶。
彼は公には内戦で全ての家族を殺されて、10代の頃にただ一人デンマークへ辿り着いたことになっている。
時は流れ、アミルは研究者として成功し、アメリカのプリンストン大学からも招待を受けていて、愛する男性のキャスパーとは結婚の話も出ている。
しかし彼には、今までずっと言えずにいた本当の自分史があったのだ。
日本のクルド難民を描いた「マイスモールランド」の川和田恵真監督は、法の庇護を受けられない彼らの安全のため、実際の難民をキャスティングすることを断念したそうだが、本作は同様の理由でアニメーションで描かれるドキュメンタリー。
そのために、本作は本年度アカデミー賞で、史上初めて国際長編映画賞、長編ドキュメンタリー賞、長編アニメーション賞の3部門同時ノミネートを果たすことになった。
アニメーション手法で描かれるドキュメンタリーは、過去にも数多く作られている。
アメリカのアニメーションの父と呼ばれる、ウィンザー・マッケイが1918年に制作した「ルシタニア号の沈没」は、1915年にドイツ軍のUボートによって沈められた客船ルシタニア号の運命を、リアルに再現した戦争キャンペーン用のドキュメンタリー映画だった。
近年でも、アリ・フォルマン監督が、自身の戦争体験を映画化した「戦場でワルツを」や、カナダの天才アニメーション作家ライアン・ラーキンを描き、2005年のアカデミー短編アニメーション賞を受賞したクリス・ライアン監督の「ライアン」なども記憶に新しい。
また、実在の脱北者からの聞き取りをもとに構成され、北朝鮮の強制収容所の実態を鮮烈に描写した「トゥルーノース」なども、ドキュメンタリー的アニメーションと言っていいだろう。
思うに、アニメーション手法で史実を描いた場合、実写なら凄惨になり過ぎてしまうビジュアルを抑え、なおかつ肉体を持った知らない誰かよりも、観客が感情移入しやすい傾向があると思う。
2020年の作品ながら、まるで90年代のようなローポリゴンのCGで作られた「トゥルーノース」などは、実際にそう言った効果を狙った映像設計だった。
本作の場合は、ラスムセン監督がアミルに行ったインタビュー音声がベースとなっており、主役は映像ではなく、本人の声である。
温かみのある手描きアニメーションは、シンプルで作画枚数も少なく、動き過ぎていないがゆえに、観客がスッと声の導きに入りやすい。
本人の記憶が曖昧な部分では、あえて抽象的なアニメーション表現も用いられている他、実写の記録映像の使い方も効果的で、これが確かに実際に起こったことなのだというリアリティを高めてくる。
アミルの自分語りの始まりは、80年代前半の幼少期。
アフガニスタンでは、1973年に王政が倒され、共和政に移行するも国は安定せず、1978年には共産主義体制のアフガニスタン民主共和国が成立。
アミルの父親は、この政権によって何処かへと連行され、行方不明となっている。
職業がパイロット(?)だったことからも、おそらくは王政時代のエリートで、立派な家には母と二人の姉、兄とアミルが残され、歳の離れた長兄は、徴兵を逃れてスウェーデンへと移民している。
共産主義政権に反発するムジャヒディンとの抗争が激化し、1979年には政権の要請を受けたソ連軍がアフガニスタンに侵攻。
泥沼の戦争が繰り広げられているのだが、アミルたちの暮らす首都カブールは平穏そのものだ。
自分でもちょっと変わった子だったと語る彼は、姉の服を着て街を飛び回り、ジャン=クロード・ヴァン・ダムのポスターに恋をする。
だが、風変わりではあるが、どこにでもある平和な少年時代は、10代のある時あっけなく崩れ去る。
ソ連がアフガニスタンから手を引き、後ろ盾を失った共産主義政権はムジャヒディンとの戦いに敗北し、カブールも1992年に陥落する。
アミルの一家が国を脱出したのは、この直前だったようだ。
多感な10代で戦乱を逃れ、難民となって家族と共に出国するも、そこからが真の苦難。
敵は戦争だけでは無いのだ。
観光ビザでソ連崩壊後の混乱したロシアに入国し、スウェーデンで働く長兄の助けでモスクワに住む家を確保するも、ロシアでは難民と認められず、就労ビザもないので不法滞在者扱い。
なんとか長兄が生活の基盤を整えているスウェーデンに行こうにも、その手段がないのだ。
ここからアミルたちが闘う相手は、難民を食い物にする密航業者や腐敗した警察、硬直した社会システム。
彼らにとって、命の危機はどこにもある。
しかも内戦の結果、タリバンが支配するようになった母国で、ゲイのアミルが生きることは不可能。
だからアフガニスタンに送還されることだけは、絶対に避けなければならないのである。
それにしても、最初に彼らを受け入れたロシアが、今のプーチン政権では同性愛を大罪とし、ウクライナで難民を量産しているのはアイロニーだ。
やがてアミルは、ロシアを脱出し北欧のデンマークにたどり着くのだが、ここで彼は難民と認められるために、アイデンティティを奪われるのである。
密航業者の助言に従って、ロシアの偽造パスポートを破り捨て、自分は家族を殺され、一人でここまで来たと嘘をつく。
本当のことを言えば、ロシアに送還され、下手をすればそのままアフガンに戻されてしまうからだ。
以来20年以上、デンマークで社会的地位を手に入れてもなお、排斥される恐怖から、彼は本当の過去を誰にも話せないままだったのだ。
「君にとって、故郷とは?」というラスムセン監督の問いに、アミルは「ずっと居てもいい場所」と答える。
人生の殆どを、過去から逃れることに費やしてきた彼は、愛する人と本当の故郷を手に入れるために、ついに事実と向き合うことを決めたのである。
アミルの語る人生は、極めてパーソナルなものだが、同時に人間が異郷で生きていかなければならなくなった時、直面する普遍的な問題をはらんでいる。
彼ら家族がアフガニスタンを出国した状況を見れば、どう考えても戦争難民なのだが、本当のことを言えば認められないという矛盾。
彼と同じように、どうにもならない人生に葛藤している難民は、今この国にもいるし、世界中にいるのだ。
子供の時代の生活描写は余りにも普通ゆえに、この世に絶対に変わらない日常などない、戦争や災害、さまざまな理由で誰でも難民になり得るという事実を突き付けてくる。
苦難の人生を歩んだアミルにとって、幸運だったのが、バラバラになっても常にお互いを思いやる、素敵な家族に恵まれたことだろう。
彼がゲイであることを告白するところなんて、よっぽどリベラルな家庭でも、なかなかあの反応は出てこないと思う。
本作を鑑賞して思うところのある人には、是非「マイスモールランド」とあわせて鑑賞することをお勧めする。
上映館はかなり縮小してしまったが、難民にとって本当の苦難とは何か?をリアリティたっぷりに追体験できるだろう。
今回は、アミルの安住の故郷となった、デンマークビールの代表的銘柄「カールスバーグ」をチョイス。
典型的な、辛口のピルスナー・ラガー。
風味も豊かな日本人好みの味で、国内ではサントリーがライセンス生産している。
おかげで輸入ビールに比べて、お値段も手ごろ。
美味しいビールをいつでも楽しめる、平和の大切さを噛み締める作品であった。
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現在のコペンハーゲンで、アフガニスタン難民の男性アミル・ナワビが、友人の映画監督ヨナス・ポヘール・ラスムセンに語った20年前の“FLEE=逃亡”の記憶。
彼は公には内戦で全ての家族を殺されて、10代の頃にただ一人デンマークへ辿り着いたことになっている。
時は流れ、アミルは研究者として成功し、アメリカのプリンストン大学からも招待を受けていて、愛する男性のキャスパーとは結婚の話も出ている。
しかし彼には、今までずっと言えずにいた本当の自分史があったのだ。
日本のクルド難民を描いた「マイスモールランド」の川和田恵真監督は、法の庇護を受けられない彼らの安全のため、実際の難民をキャスティングすることを断念したそうだが、本作は同様の理由でアニメーションで描かれるドキュメンタリー。
そのために、本作は本年度アカデミー賞で、史上初めて国際長編映画賞、長編ドキュメンタリー賞、長編アニメーション賞の3部門同時ノミネートを果たすことになった。
アニメーション手法で描かれるドキュメンタリーは、過去にも数多く作られている。
アメリカのアニメーションの父と呼ばれる、ウィンザー・マッケイが1918年に制作した「ルシタニア号の沈没」は、1915年にドイツ軍のUボートによって沈められた客船ルシタニア号の運命を、リアルに再現した戦争キャンペーン用のドキュメンタリー映画だった。
近年でも、アリ・フォルマン監督が、自身の戦争体験を映画化した「戦場でワルツを」や、カナダの天才アニメーション作家ライアン・ラーキンを描き、2005年のアカデミー短編アニメーション賞を受賞したクリス・ライアン監督の「ライアン」なども記憶に新しい。
また、実在の脱北者からの聞き取りをもとに構成され、北朝鮮の強制収容所の実態を鮮烈に描写した「トゥルーノース」なども、ドキュメンタリー的アニメーションと言っていいだろう。
思うに、アニメーション手法で史実を描いた場合、実写なら凄惨になり過ぎてしまうビジュアルを抑え、なおかつ肉体を持った知らない誰かよりも、観客が感情移入しやすい傾向があると思う。
2020年の作品ながら、まるで90年代のようなローポリゴンのCGで作られた「トゥルーノース」などは、実際にそう言った効果を狙った映像設計だった。
本作の場合は、ラスムセン監督がアミルに行ったインタビュー音声がベースとなっており、主役は映像ではなく、本人の声である。
温かみのある手描きアニメーションは、シンプルで作画枚数も少なく、動き過ぎていないがゆえに、観客がスッと声の導きに入りやすい。
本人の記憶が曖昧な部分では、あえて抽象的なアニメーション表現も用いられている他、実写の記録映像の使い方も効果的で、これが確かに実際に起こったことなのだというリアリティを高めてくる。
アミルの自分語りの始まりは、80年代前半の幼少期。
アフガニスタンでは、1973年に王政が倒され、共和政に移行するも国は安定せず、1978年には共産主義体制のアフガニスタン民主共和国が成立。
アミルの父親は、この政権によって何処かへと連行され、行方不明となっている。
職業がパイロット(?)だったことからも、おそらくは王政時代のエリートで、立派な家には母と二人の姉、兄とアミルが残され、歳の離れた長兄は、徴兵を逃れてスウェーデンへと移民している。
共産主義政権に反発するムジャヒディンとの抗争が激化し、1979年には政権の要請を受けたソ連軍がアフガニスタンに侵攻。
泥沼の戦争が繰り広げられているのだが、アミルたちの暮らす首都カブールは平穏そのものだ。
自分でもちょっと変わった子だったと語る彼は、姉の服を着て街を飛び回り、ジャン=クロード・ヴァン・ダムのポスターに恋をする。
だが、風変わりではあるが、どこにでもある平和な少年時代は、10代のある時あっけなく崩れ去る。
ソ連がアフガニスタンから手を引き、後ろ盾を失った共産主義政権はムジャヒディンとの戦いに敗北し、カブールも1992年に陥落する。
アミルの一家が国を脱出したのは、この直前だったようだ。
多感な10代で戦乱を逃れ、難民となって家族と共に出国するも、そこからが真の苦難。
敵は戦争だけでは無いのだ。
観光ビザでソ連崩壊後の混乱したロシアに入国し、スウェーデンで働く長兄の助けでモスクワに住む家を確保するも、ロシアでは難民と認められず、就労ビザもないので不法滞在者扱い。
なんとか長兄が生活の基盤を整えているスウェーデンに行こうにも、その手段がないのだ。
ここからアミルたちが闘う相手は、難民を食い物にする密航業者や腐敗した警察、硬直した社会システム。
彼らにとって、命の危機はどこにもある。
しかも内戦の結果、タリバンが支配するようになった母国で、ゲイのアミルが生きることは不可能。
だからアフガニスタンに送還されることだけは、絶対に避けなければならないのである。
それにしても、最初に彼らを受け入れたロシアが、今のプーチン政権では同性愛を大罪とし、ウクライナで難民を量産しているのはアイロニーだ。
やがてアミルは、ロシアを脱出し北欧のデンマークにたどり着くのだが、ここで彼は難民と認められるために、アイデンティティを奪われるのである。
密航業者の助言に従って、ロシアの偽造パスポートを破り捨て、自分は家族を殺され、一人でここまで来たと嘘をつく。
本当のことを言えば、ロシアに送還され、下手をすればそのままアフガンに戻されてしまうからだ。
以来20年以上、デンマークで社会的地位を手に入れてもなお、排斥される恐怖から、彼は本当の過去を誰にも話せないままだったのだ。
「君にとって、故郷とは?」というラスムセン監督の問いに、アミルは「ずっと居てもいい場所」と答える。
人生の殆どを、過去から逃れることに費やしてきた彼は、愛する人と本当の故郷を手に入れるために、ついに事実と向き合うことを決めたのである。
アミルの語る人生は、極めてパーソナルなものだが、同時に人間が異郷で生きていかなければならなくなった時、直面する普遍的な問題をはらんでいる。
彼ら家族がアフガニスタンを出国した状況を見れば、どう考えても戦争難民なのだが、本当のことを言えば認められないという矛盾。
彼と同じように、どうにもならない人生に葛藤している難民は、今この国にもいるし、世界中にいるのだ。
子供の時代の生活描写は余りにも普通ゆえに、この世に絶対に変わらない日常などない、戦争や災害、さまざまな理由で誰でも難民になり得るという事実を突き付けてくる。
苦難の人生を歩んだアミルにとって、幸運だったのが、バラバラになっても常にお互いを思いやる、素敵な家族に恵まれたことだろう。
彼がゲイであることを告白するところなんて、よっぽどリベラルな家庭でも、なかなかあの反応は出てこないと思う。
本作を鑑賞して思うところのある人には、是非「マイスモールランド」とあわせて鑑賞することをお勧めする。
上映館はかなり縮小してしまったが、難民にとって本当の苦難とは何か?をリアリティたっぷりに追体験できるだろう。
今回は、アミルの安住の故郷となった、デンマークビールの代表的銘柄「カールスバーグ」をチョイス。
典型的な、辛口のピルスナー・ラガー。
風味も豊かな日本人好みの味で、国内ではサントリーがライセンス生産している。
おかげで輸入ビールに比べて、お値段も手ごろ。
美味しいビールをいつでも楽しめる、平和の大切さを噛み締める作品であった。

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アフガニスタン生まれの青年アミンは、幼い頃に父が連行されたため、残った家族と祖国を脱出し、数年後たった一人でデンマークへ亡命。 30代半ばの今は研究者として成功し、恋人の男性との結婚を考えていた。 しかし、彼には恋人にも話していない、20年以上も抱え続けていた秘密があった…。 社会派ドキュメンタリー・アニメ。 ≪故郷とは、ずっといてもいい場所―≫
2022/06/12(日) 11:16:21 | 象のロケット
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