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東京2020オリンピック SIDE:A/SIDE:B・・・・・評価学1650円
2022年06月26日 (日) | 編集 |
そこにいた「人間」と「時代」の記憶。

2021年の夏に開催された、二度目の東京オリンピック「TOKYO2020」は、運悪く未曾有のコロナ禍と重なったことで一年延期され、さらに東京都に緊急事態宣言が発出されたことで、結局無観客開催となった。
史上もっとも物議を醸したオリンピック大会だったのは間違いないだろうが、この大イベントのオフィシャルドキュメンタリー映画を任された河瀬直美は、大会とそれに関わる人間たちをどう捉えたのか。
彼女の制作した映画は「東京2020オリンピック SIDE:A/SIDE:B」と題され、二部作となった。
主に大会に参加したアスリートたちを描いた「SIDE:A」は2022年6月3日に、大会を運営した裏方の人々をフィーチャーした「SIDE:B」は、三週間後の6月24日から公開されている。
鑑賞する前は、類型的なオリンピック礼讃映画になるのではないか?と身構えていたのだが、その危惧は「SIDE:A」冒頭からあっさりと打ち砕かれた。

コロナが、歴史的な大災厄であることが徐々に明らかになってきた2021年の春、桜の咲き誇る東京に降った季節はずれの雪の情景に、切なげな君が代が流れる。
やはりこの人は、映像言語の組み立てが独特で、抜群に上手い。
ここで早くも、本作が河瀬直美のゴリゴリの作家映画であることを予感させるのだ。
おそらく彼女は、競技の内容やメダルの行方には全く興味がない。
描きたいのは、オリンピックの舞台に至るまでの、個人のストーリー
だから主役は輝かしいセレモニーに向かうメダリストではなく、様々な理由で国を追われた難民アスリートや、乳飲み児を抱えた女性アスリート。
前者には大会に出場出来るまでに文字通り命懸けのストーリーがあり、後者にはオリンピックが延期されたことで、出場を諦めた者もいれば、コロナ禍の日本に乳児同伴を求めて闘う者も。
他にも、多くのバックグラウンドを持つアスリートが登場するが、その殆どが最終的には敗者となって去ってゆく。

印象的だったのが、作中何度か語られる「競技は生き方の表現で芸術である」という言葉。
画面から滲み出るアスリートへの共感は、これだったのかと思った。
たぶん作者は、五輪にアスリートの“カンヌ”を見ているのだ。
商業映画デビュー作の「萌の朱雀」でカメラ・ドールを受容して以来、河瀬直美といえばカンヌであり、カンヌによって育てられた作家と言っても過言ではないだろう。
しかし、数々の賞に輝いてはいるが、パルム・ドールには未だ手が届いていない。
最高賞を取れなかったしても、そこに行けるまでの努力の積み重ねが重要。
だからメダルはおまけに過ぎず、参加できるところまで辿り着いた時点で十分賞賛に値する。
これはある意味、メダル至上主義に陥った近代オリンピックへのアンチテーゼだ。
新種目の空手に関して、発祥地の沖縄の老人は「オリンピック競技になると、標準化されて面白くない」 「元からの地域性みたいなものが失われてしまう」と語る。
オリンピックがもたらすグローバリズムは、そのスポーツが本来持っていた歴史や伝統の意味を曖昧にし、三つのメダルの価値のみがクローズアップされる。

作者のスタンスが一番分かりやすいのが、インタビュー映像の人物のトリミングだ。
特に、山下泰裕日本オリンピック委員会会長をはじめとする、男子柔道界の人々の顔は、極端なアップになった上に不自然に切り取られている。
彼らは「やるからには勝たねばならぬ」という勝利至上主義者で、作者は明らかな意図を持ってこのような歪な映像にしていると思われる。
対照的に、スケボーやサーフィンと言った新競技の選手たちの心底スポーツを楽しんでいる様や、競技団体の風通しの良さは爽やかかつ好意的に描写されている。
勝ち負けは二の次で、参加することに意義があるという、オリンピック精神本来の意味を、こちらに見出しているからだろう。

アスリートの生き様、競技への向き合い方を軸とした「SIDE:A」は、オリンピックに集った人々の「人間ドラマ」だった。
それに対して、「SIDE:B」で作者が描こうとしたのは「時代」だ。
コロナ禍での大会延期を決める、おじさんしかいない会議から始まって、本来の開催年の一年前、2019年から大会が開かれた21年まで、見えてくるのはおよそ二年間の時代の情景。
しかしここでの河瀬直美は、目まぐるしく移り変わる事態の傍観者に徹し、「SIDE:A」のように明らかな感情移入の対象は見られない。
開会式にダンサーとして参加した森山未來の「確かなのは人間の感情だけ。それには向き合わないと」という言葉通り、五輪を推進する人と反対する人、正反対の感情が入り乱れるカオスな状況、何が正しくて何が間違っているのかも分からない世界を、淡々と描いてゆく。

もっとも「SIDE:A」とは対照的に、映像に自分の声を多数入れ込むことで、これが河瀬直美の見た時代であると、作者署名としている・・・と思ったのだが、河瀬直美本人は自分の声であることを否定しているらしい。
だが実際に鑑賞すると、明らかに作者の声だと認識されるよう、意図的に入れられていて、ラストでは子供と対話させることで映画全体の〆ともなっている。
この映画は明らかになっていない部分が結構あって、「SIDE:A」で音楽を担当した藤井風がいつの間にかいなくなり、「SIDE:B」ではエンディングテーマも河瀬直美が自ら手がけているが、なぜか歌手名がクレジットされていない。
インタビューの音声は誰か別人を立ていたとしても、少なくともラストの会話は、主題歌の歌詞を含めて彼女自身の綴った言葉であることは間違い無いだろう。

「SIDE:B」をビジュアルから特徴づけるのは、「シン・ゴジラ」的な、極端に短いカットで編集された映像だ。
どうも河瀬直美は、正体不明の巨大生物が現れた状況をシミュレーションした「シン・ゴジラ」を、コロナ禍のオリンピックという、未知の事態に直面した現実の日本と重ね合わせている様なのだ。
時折出てくる白抜きの巨大な字幕も、庵野秀明の「エヴァンゲリオン」シリーズを思わせるが、これの元祖は1965年版の「東京オリンピック」を手掛けた市川崑である。
庵野秀明を間に置いた、二人の作家のオリンピック論としても興味深い。
大会の数年前から前橋で練習していた南スーダン選手団など、取り上げられているアスリートはいるものの、こちらでフィーチャーされるのは主に裏方。
それも総理大臣から現場の人々まで、立場も地位も様々だ。
彼らを描写する膨大な映像は断片化され、単体では意味を持たない描写も多い。
誰かが何かを話していても、話の途中で全く別の映像に行ってしまったりするのだから。

二年間の間にオリンピックの裏で起こっていたことは、あまりにも膨大すぎて、2時間程度の映画で筋立てて語るのは不可能。
なので河瀬直美は、あらゆる要素が混然と存在しながらも、全体を通すと「時代」のイメージが浮かび上がるモザイク画のように仕上げている。
だからこそ、特定の誰かに感情移入する必要はないし、むしろ起こったことをランダム取り込む必要がある。
ここでは、膨大な数のオリンピック関係者、森喜朗やバッハさえも、可能な限り中立的に描写されているのだ。
ただ菅義偉は一応インタビューに答えているが、延期時に首相だった安倍晋三が出てこないのは違和感。
取材を断られたのかも知れないが、映像が存在しないことはないはずだ。
彼の存在が消し去られているのは、オリンピックというカオスから「逃げ出した人」だからなのだろうか。

面白いのは、どんどん状況が変わって時間的に絶対無理って状況でも、現場が頑張って何とかしちゃうこと。
これはオリンピックに限らないと思うが、日本のいろいろな産業の現場にいる人たちは、やっぱり優秀なのだと思う。
逆に言えば、お仕事集団がなんとか形にしてしまうから、ダメダメな上層部がそのままの形で残ってしまう。
第一次大戦中に、イギリス軍兵士の勇猛さと、指揮官の無能さを見たドイツの将軍が「この様な愚鈍な羊たちに率いられた、勇敢なライオンを私は見たたことが無い」という皮肉たっぷりな言葉を残しているが、これはそっくりそのまま現在日本の組織にも当てはまる。

「SIDE:B」で一番インパクトがあったのが、開会式/閉会式の総合演出を辞任した野村萬斎の、超辛辣なダメ出しだ。
ここ彼は「伝統」という言葉を口にする。
伝統とは、長い時間の中でいろいろな物が変化していっても、決して揺るがせてはいけない核心の部分のことだ。
彼はハッキリと「電通」という組織の名を出し、彼らは自分が長く受け継がれてきた歴史の一部を担っていることを理解してないと指摘するのである。
このインタビューを、自身の後任となった電通マンの佐々木宏の就任会見の前に入れたこと。
そして、会見に同席した萬斎の目が明らかな侮蔑の表情を浮かべていることは、「SIDE:B」で唯一の、作者の強い共感と悪意を感じさせた。

本作は、日本で開催されたオリンピックの、オフィシャルドキュメンタリーという国策映画でありながら、宣伝露出が極端に少ない。
公開直前になって、マスコミ主導で河瀬直美のスキャンダルが報じられたりしたこともあって、むしろ開催した側は国民に見せたくないのでは?との声も上がっていたが、ぶっちゃけこの描写で映画の冷遇が決まったんじゃないか?とすら思う。
いずれにせよ、「SIDE:A」は、参加する者たちの喜怒哀楽の人間ドラマとしてオリンピックを描き、「SIDE:B」では混沌の時代の象徴としてオリンピックを捉えた。
二本の映画から見えてきたのは、我々日本人の現在地だ。
人間と時代を描く243分は、観応えたっぷり。
忖度無しの、紛れもない力作である。

今回は、東京オリンピックのゴールドパートナーだった、アサヒビールの定番商品「スーパードライ」をチョイス。
1987年に初登場し、世界的なヒット商品となり、ドライビールのブームを巻き起こした。
高温多湿の日本の夏には、スッキリ辛口で喉越し重視のスーパードライはピッタリで、売れ続けているのも分かる。

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コメント
この記事へのコメント
カンヌによって育てられた作家
カンヌによって育てられた作家、はある意味当たってますね!
SIDE A の冒頭が鼻歌で満開の桜に降り積もる雪、と言うのに度肝を
抜かれました。
実に 河瀬節 だなあ、と...

一方で野村 萬斎さんの言うことは理念は素晴らしいものの、
「それってどうやって実現するんだ?!?」と私は聞こえてました。
2022/07/07(木) 11:55:12 | URL | onscreen #mQop/nM.[ 編集]
こんばんは
>onscreenさん
野村萬斎の考えを実現するには、人材育成しかないでしょう。
現実の日本は、そう言ったことをやって来なかった、問題があれば直ぐにパーツを交換するように、人間を入れ替えることで対処してきた、その弊害が顕著にでたオリンピックということ。
まあこれは日本だけでなく、近代オリンピックを仕切るIOCという組織にも言えることだと思いますけど。
2022/07/09(土) 20:06:10 | URL | ノラネコ #xHucOE.I[ 編集]
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