2022年09月19日 (月) | 編集 |
記憶と赦しと。
プロデューサーとして「君の名は。」をはじめとした数々のヒット作を手掛け、脚本家、作家としても活動する才人・川村元気の長編監督デビュー作は、親子の愛と記憶をめぐる大変な野心作だ。
彼の小説作品は、過去に「世界から猫が消えたなら」と「億男」が映画化されているが、いずれも原作者という立場以上には作品に関わっていない。
だが本作の原作は、自分の母が認知症になったことをきっかけに執筆されたそうで、極めてパーソナルな作品ゆえに、他人に任せると言う選択肢はなかったのかも知れない。
主人公の葛西泉と認知症を発症する母の百合子を、菅田将暉と原田美枝子が演じているのだが、映画の冒頭で描かれる百合子の不可解な映像が、本作が一筋縄ではいかない作品であることを強烈に示唆する。
アンソニー・ポプキンズに、二度目のアカデミー主演男優賞をもたらした「ファーザー」と同じように、本作もまた認知症患者の見ている世界を主観的に描いているのだ。
百合子の症状は進行し、彼女は徐々に記憶を失ってゆくが、泉が母の荷物を整理している時に、四半世紀前の日記を見つけたことから、今度は母子の間にぽっかり空いた、空白の1年の出来事が蘇ってくる。
百合子の主観を含む現在のシーンは、原則的に1シーン1カットで描かれているが、これは現在の現実性、リアルタイム性を強める工夫だろう。
一方、日記に描かれた過去は、一度文章として描かれた「物語」であるから、普通の映画の様にカットが割られている。
また現在の人物が思い出す過去の記憶は、フラッシュバックとして極端に短く断片化されている。
人間の認知と、記憶という不可思議なものを、映像で可視化する試みは、単に「ファーザー」の模倣に留まらず、非常に面白い効果を上げていると思う。
映画のはじまりで、観客は認知症の百合子をいわゆる「信頼できない語り部」だと捉え、若い泉を「信頼できる語り部」だと考える。
実際、劇中で泉は「母さんは忘れてゆくけど、俺は全部覚えている」とぼやくのだ。
だが、本当にそうだろうか。
現在進行形の「今」なら、確かにそうかもしれない。
理論整然とした泉目線の「今」に対して、百合子の見ている「今」は、現実と記憶がごっちゃに入り混じり、虚実の判断もつかない。
しかし、過去はどうか。
私たちも、さっき食べたランチは思い出せても、3日前に誰と何を食べたのか、一週間前はどうだったのか、記憶の中の過去は急速に色褪せてゆく。
劇中で重要なキーワードになるのが、「半分の花火」という言葉だ。
百合子は「半分の花火を見たい」と言うのだが、かつて二人で見たはずのそれを、泉は覚えていないのだ。
「今」でなくなった瞬間に、現実は記憶というファンタジーとなり、記憶の世界では、誰もが「信頼出来ない語り部」であることから逃れられない。
物語の終盤まで、泉はある意味過去に囚われ、百合子との間にわだかまりを抱えている。
いや、長澤まさみが演じる泉の妻の言葉によれば、「元々変な親子だった」のだろうが、おそらく漠然としたイメージだったものが、日記を見つけてしまったことによって、物語として生々しく蘇る。
息子にしてみれば、男に走って自分を捨てたという母の過去は、ぶっちゃけ嫌悪でしかないだろう。
人間が生きていれば、膨大な過去が積み上がり、私たちはその中のごく一部を記憶として心に留める。
だが、それは所詮主観的で曖昧なものに過ぎないのである。
「半分の花火」の本当の意味を思い出した瞬間に、泉にとってようやく過去が本当の意味で過去となり、赦しの心が訪れたのかも知れない。
それにしても、社員監督の仕事とは言え、これほどトリッキーで挑戦的な作品が、保守本流の東宝から出てくるとは。
驚きの力作である。
今回は、主要なロケーション先となった長野県の土屋酒造の「茜さす 純米大吟醸」をチョイス。
佐久酒の会が手がける、農薬無散布栽培の酒米・美山錦を使用し、上質の部分のみで醸される純米大吟醸。
絹のように滑らかな舌触りと、豊かな吟醸香を楽しめる。
米本来の持つ甘味、旨味を味わって、ちょっとした辛味が残る上品な一杯だ。
記事が気に入ったらクリックしてね
プロデューサーとして「君の名は。」をはじめとした数々のヒット作を手掛け、脚本家、作家としても活動する才人・川村元気の長編監督デビュー作は、親子の愛と記憶をめぐる大変な野心作だ。
彼の小説作品は、過去に「世界から猫が消えたなら」と「億男」が映画化されているが、いずれも原作者という立場以上には作品に関わっていない。
だが本作の原作は、自分の母が認知症になったことをきっかけに執筆されたそうで、極めてパーソナルな作品ゆえに、他人に任せると言う選択肢はなかったのかも知れない。
主人公の葛西泉と認知症を発症する母の百合子を、菅田将暉と原田美枝子が演じているのだが、映画の冒頭で描かれる百合子の不可解な映像が、本作が一筋縄ではいかない作品であることを強烈に示唆する。
アンソニー・ポプキンズに、二度目のアカデミー主演男優賞をもたらした「ファーザー」と同じように、本作もまた認知症患者の見ている世界を主観的に描いているのだ。
百合子の症状は進行し、彼女は徐々に記憶を失ってゆくが、泉が母の荷物を整理している時に、四半世紀前の日記を見つけたことから、今度は母子の間にぽっかり空いた、空白の1年の出来事が蘇ってくる。
百合子の主観を含む現在のシーンは、原則的に1シーン1カットで描かれているが、これは現在の現実性、リアルタイム性を強める工夫だろう。
一方、日記に描かれた過去は、一度文章として描かれた「物語」であるから、普通の映画の様にカットが割られている。
また現在の人物が思い出す過去の記憶は、フラッシュバックとして極端に短く断片化されている。
人間の認知と、記憶という不可思議なものを、映像で可視化する試みは、単に「ファーザー」の模倣に留まらず、非常に面白い効果を上げていると思う。
映画のはじまりで、観客は認知症の百合子をいわゆる「信頼できない語り部」だと捉え、若い泉を「信頼できる語り部」だと考える。
実際、劇中で泉は「母さんは忘れてゆくけど、俺は全部覚えている」とぼやくのだ。
だが、本当にそうだろうか。
現在進行形の「今」なら、確かにそうかもしれない。
理論整然とした泉目線の「今」に対して、百合子の見ている「今」は、現実と記憶がごっちゃに入り混じり、虚実の判断もつかない。
しかし、過去はどうか。
私たちも、さっき食べたランチは思い出せても、3日前に誰と何を食べたのか、一週間前はどうだったのか、記憶の中の過去は急速に色褪せてゆく。
劇中で重要なキーワードになるのが、「半分の花火」という言葉だ。
百合子は「半分の花火を見たい」と言うのだが、かつて二人で見たはずのそれを、泉は覚えていないのだ。
「今」でなくなった瞬間に、現実は記憶というファンタジーとなり、記憶の世界では、誰もが「信頼出来ない語り部」であることから逃れられない。
物語の終盤まで、泉はある意味過去に囚われ、百合子との間にわだかまりを抱えている。
いや、長澤まさみが演じる泉の妻の言葉によれば、「元々変な親子だった」のだろうが、おそらく漠然としたイメージだったものが、日記を見つけてしまったことによって、物語として生々しく蘇る。
息子にしてみれば、男に走って自分を捨てたという母の過去は、ぶっちゃけ嫌悪でしかないだろう。
人間が生きていれば、膨大な過去が積み上がり、私たちはその中のごく一部を記憶として心に留める。
だが、それは所詮主観的で曖昧なものに過ぎないのである。
「半分の花火」の本当の意味を思い出した瞬間に、泉にとってようやく過去が本当の意味で過去となり、赦しの心が訪れたのかも知れない。
それにしても、社員監督の仕事とは言え、これほどトリッキーで挑戦的な作品が、保守本流の東宝から出てくるとは。
驚きの力作である。
今回は、主要なロケーション先となった長野県の土屋酒造の「茜さす 純米大吟醸」をチョイス。
佐久酒の会が手がける、農薬無散布栽培の酒米・美山錦を使用し、上質の部分のみで醸される純米大吟醸。
絹のように滑らかな舌触りと、豊かな吟醸香を楽しめる。
米本来の持つ甘味、旨味を味わって、ちょっとした辛味が残る上品な一杯だ。

記事が気に入ったらクリックしてね
スポンサーサイト
この記事へのコメント
楽しい記憶は忘れるけれど嫌な、辛い記憶はいつまでも覚えているものなのだそうです。「半分の花火」はネグレクトされた泉には上書きできないことなのに、百合子にとっては最後の幸せな光景なのかと思うとなんともやりきれなくなりました。・・・認知症って怖い病気ですね。
>sannkenekoさん
何とも切ない物語でした。
ある意味で百合子は忘れることで救われるんですけど、泉にとっては忘れたい思い出がどんどん蘇ってきちゃうんですよね。
最後に半分の花火の思い出がようやく重なったのが、救いでした。
何とも切ない物語でした。
ある意味で百合子は忘れることで救われるんですけど、泉にとっては忘れたい思い出がどんどん蘇ってきちゃうんですよね。
最後に半分の花火の思い出がようやく重なったのが、救いでした。
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
幼い頃のある「事件」以来、レコード会社に勤務する男・葛西泉と、ピアノ教室を営む母・百合子との間には溝が出来ていた。 そんな母が認知症と診断され、泉の妻・香織の名前も言えなくなり、大好きなピアノも弾けなくなってしまった。 泉は実家で「事件」の真相が綴られた母の日記を見つけ、当時の母の秘密を知ることに…。 ヒューマンドラマ。 ≪そして、愛が残る。≫
2022/09/22(木) 19:04:42 | 象のロケット
「半分の花火が見たい・・・」
ユナイテッドシネマ札幌。
3番スクリーンにて。
2022/09/23(金) 09:34:11 | 三毛猫《sannkeneko》の飼い主の日常
| ホーム |