2022年09月24日 (土) | 編集 |
おばあちゃんの森が、会わせてくれたのは。
原題は「Petite maman(小さいママ)」。
亡きおばあちゃんが住んでいた森の家を整理するため、両親と共にやってきた8歳の少女ネリーは、周囲の森を探索中に8歳の頃の“ママ”に出会う。
「燃ゆる女の肖像」のセリーヌ・シアマが綴るジャック・フィニイ的物語は、いわばフランス版の「思い出のマーニー」だ。
SFであり、おとぎ話であり、ある種の幽霊譚でもある本作の上映時間は、僅かに73分。
しかしロジカルに構成された物語の密度は森の緑と同様に濃く、前作に続いてシアマとタッグを組んだ撮影監督のクレール・マトンによる映像は、決め込まれた見惚れるようなショットが連続する。
主人公のネリーと同い年のママを、ジョセフィーヌとガブリエルのサンス姉妹が演じているのだが、そっくり過ぎてガブリエルの方がヘアバンドしてる時以外は識別不可能。
8歳のネリー(ジョセフィーヌ・サンス)は、大好きだったおばあちゃんを亡くしたばかり。
残された遺品を整理するために、ネリーは両親と共に森に囲まれたおばあちゃんの家を訪れる。
悲しみに暮れるママ(ニナ・ミュリス)は、思い出の詰まった家に留まることができず、夜中のうちに出て行ってしまい、父(ステファン・バルペンヌ)とネリーが残って整理を続けることに。
ママが子供の頃に作ったという小屋を探しに行ったネリーは、森の中で小屋を作っている少女(ガブリエル・サンス)と出会い、手伝うことに。
少女に招かれて彼女の家に行くと、そこはおばあちゃんの家とそっくりだった。
家の中の様子も全く同じで、ネリーはママと同じマリオンと言う名の同い年の少女が、子供時代のママであることを確信する。
家には、まだ若く元気だった頃のおばあちゃん(マルゴ・アバスカル)の姿もあった。
ネリーは何度もマリオンと会い、女優になる夢を持っていたことなど、ママの知らなかった一面を知る。
森を去る時が近付いたある日、ネリーは自分が未来からきた娘だと、マリオンに打ち明けるのだが・・・
映画の冒頭でネリーは、介護施設の老人のクロスワードパズルを手伝っている。
そしておもむろに「さようなら」と告げて部屋を出てゆき、その隣の部屋の住人にも同じように「さようなら」を告げるのだ。
次の部屋に入ると、ママがベットを片付けており、ネリーのおばあちゃんはすでに亡くなっていて、彼女が施設に来ることは、もう無いのだということが示唆される。
この短いシーンだけで、頭が良く優しく親切で、おばあちゃんを含む入居者たちと良好な関係を作っていたネリーのキャラクターが分かる。
母娘はパパと共に森に囲まれた祖母の家に向かうのだが、ネリーとママとの間に会話はほとんどなく、常に悲しげな表情を浮かべていたママは、ふいに家から出て行ってしまい戻らない。
二人の間には、心の距離が出来ているのだ。
前作の「燃ゆる女の肖像」では、結婚を控えた名家の令嬢・エロイーズの肖像を描くために、孤島の邸宅に画家のマリアンヌがやってくる。
やがてエロイーズの厳格な母親は用事ができて不在となり、館に残されたのはエロイーズとマリアンヌ、メイドのソフィーの三人の若い女性だけ。
全ての女性にとって、自由が特別な権利だった18世紀という時代に、彼女たちは抑圧された精神を解放し、エロイーズとマリアンヌは人生で最初で最後の真剣な恋に落ちてゆく。
本作でもママが突然退場し、残されたパパは一人で家の片付けに追われ忙しい。
ネリーは、勝手気ままに行動する権利と時間を得るのである。
孤島と森というロケーションの違いはあるが、どちらも主人公にとっての非日常を作り出すための舞台装置であり、支配のくびきを逃れた主人公は変化の時を迎える。
ママが子供の頃に作ったという小屋を探しに出かけたネリーは、大きな枝を運ぶ少女を手伝うのだが、彼女が作っていたのものこそ小屋。
少女が名乗ったマリオンという名前は、ママと同じ。
マリオンに誘われて彼女の家に行ってみると、そこはおばあちゃんの家そのもので、死んだはずのおばあちゃんの姿もある。
ここにきて、ネリーは自分が過去に来ているのだと確信するのである。
しかし目の前にいるのは、自分とよく似た同い年の子供で、大人のママとはだいぶ違う。
面白いのは、この超常現象を少女たちがあっさりと受け入れてしまうこと。
ネリーだけでなく、のちに事実を打ち明けられたマリオンも、未来の娘の語る突飛な話を抵抗なく信じる。
時間旅行の不思議よりも、今そこにいる友だちの方が重要だということか。
登場人物は基本的に三世代の家族だけで、舞台となるのも時代の異なる家と森のみ。
すぐに仲良くなった二人は、小屋作りをはじめ、誕生日を祝ったり、二人芝居を作ったり、短い間にさまざまな交流をする。
ミニマムで不思議な世界観の中、二人の少女は母と娘、大人と子供といった属性から解き放たれ、ネリーとマリオンという固有名詞で相手を理解してゆく。
もっと幼い子供にとって、ママはママという絶対的母性。
でも8歳という年齢になったネリーは、もう少し客観的にママを見ていて、マリオンと出会ったことで、一人の人間としてのママのベースにあるものをより深く知る機会を得る。
この奇跡の時間を通して、ネリーはママが女優になりたいという夢を持っていたことや、予定されている手術を受けるのを怖がっていることを知り、マリオンも自分が23歳でネリーを産み、31歳でママを亡くすことを知る。
ネリーにとってのおばあちゃんは、マリオンから見たら最愛のママ。
同じ歳で出会ったことで、二人の少女は新しい視点を得て、互いに共感を深め成長する。
一族の女性が、代々ネリーとマリオンと言う名前を受け継いでいる設定も、三世代の女性たちの血の連環という意味をより強調する。
セリーヌ・シアマはジブリ映画が好きだそうだが、家族愛と友情が表裏一体となった物語は、海外のメディアも指摘しているように、「思い出のマーニー」の影響が明らかだ。
また、マリオンが手術を受けるのを怖がっている設定は、「借りぐらしのアリエッティ」で、神木隆之介が演じた翔を思わせる。
この現象が本当に時間旅行なのか、それとも狐狸妖怪的な怪異なのかは明らかにされないが、個人的には亡くなったおばあちゃんが、愛する娘と孫を心配して起こした奇跡と思いたい。
別れが迫った終盤で、ネリーとマリオンは湖にゴムボートで漕ぎ出し、中央に聳えるピラミッドのようなシュールな構造物にたどり着き、その頂上へと登る。
映像と音楽が一体となった圧巻のモーメントに、世界は彼女たちのものとして確かに存在している。
この短いシーンを頂点とした、クレール・マトンによる色彩、空間デザインは本当に素晴らしい。
血を受け継いだ三世代の女性たちの、ちょっと不思議な喪失と絆、そしてアイデンティティの目覚めの物語。
子供時代の宝物を収めた宝石箱のような、どこまでもピュアで美しい映画だ。
ネリーに大人用ベッド奪われて、子供用ベッドで体を丸めて寝る、控えめなお父さんがカワイイ。
今回は、同じ顔をした二人の天使ちゃんのイメージで「エンジェル・フェイス」をチョイス。
ドライ・ジン30ml、カルバドス15ml、アプリコット・ブランデー15mlをシェイクしてグラスに注ぐ。
ノルマンディー地方の名産品として知られるリンゴのブランデー、カルヴァドスとアプリコット・ブランデーという甘めのお酒を、清涼なドライ・ジンがスッキリとまとめ上げる。
優しい味わいの飲みやすいカクテルだが、度数は結構強いので注意。
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原題は「Petite maman(小さいママ)」。
亡きおばあちゃんが住んでいた森の家を整理するため、両親と共にやってきた8歳の少女ネリーは、周囲の森を探索中に8歳の頃の“ママ”に出会う。
「燃ゆる女の肖像」のセリーヌ・シアマが綴るジャック・フィニイ的物語は、いわばフランス版の「思い出のマーニー」だ。
SFであり、おとぎ話であり、ある種の幽霊譚でもある本作の上映時間は、僅かに73分。
しかしロジカルに構成された物語の密度は森の緑と同様に濃く、前作に続いてシアマとタッグを組んだ撮影監督のクレール・マトンによる映像は、決め込まれた見惚れるようなショットが連続する。
主人公のネリーと同い年のママを、ジョセフィーヌとガブリエルのサンス姉妹が演じているのだが、そっくり過ぎてガブリエルの方がヘアバンドしてる時以外は識別不可能。
8歳のネリー(ジョセフィーヌ・サンス)は、大好きだったおばあちゃんを亡くしたばかり。
残された遺品を整理するために、ネリーは両親と共に森に囲まれたおばあちゃんの家を訪れる。
悲しみに暮れるママ(ニナ・ミュリス)は、思い出の詰まった家に留まることができず、夜中のうちに出て行ってしまい、父(ステファン・バルペンヌ)とネリーが残って整理を続けることに。
ママが子供の頃に作ったという小屋を探しに行ったネリーは、森の中で小屋を作っている少女(ガブリエル・サンス)と出会い、手伝うことに。
少女に招かれて彼女の家に行くと、そこはおばあちゃんの家とそっくりだった。
家の中の様子も全く同じで、ネリーはママと同じマリオンと言う名の同い年の少女が、子供時代のママであることを確信する。
家には、まだ若く元気だった頃のおばあちゃん(マルゴ・アバスカル)の姿もあった。
ネリーは何度もマリオンと会い、女優になる夢を持っていたことなど、ママの知らなかった一面を知る。
森を去る時が近付いたある日、ネリーは自分が未来からきた娘だと、マリオンに打ち明けるのだが・・・
映画の冒頭でネリーは、介護施設の老人のクロスワードパズルを手伝っている。
そしておもむろに「さようなら」と告げて部屋を出てゆき、その隣の部屋の住人にも同じように「さようなら」を告げるのだ。
次の部屋に入ると、ママがベットを片付けており、ネリーのおばあちゃんはすでに亡くなっていて、彼女が施設に来ることは、もう無いのだということが示唆される。
この短いシーンだけで、頭が良く優しく親切で、おばあちゃんを含む入居者たちと良好な関係を作っていたネリーのキャラクターが分かる。
母娘はパパと共に森に囲まれた祖母の家に向かうのだが、ネリーとママとの間に会話はほとんどなく、常に悲しげな表情を浮かべていたママは、ふいに家から出て行ってしまい戻らない。
二人の間には、心の距離が出来ているのだ。
前作の「燃ゆる女の肖像」では、結婚を控えた名家の令嬢・エロイーズの肖像を描くために、孤島の邸宅に画家のマリアンヌがやってくる。
やがてエロイーズの厳格な母親は用事ができて不在となり、館に残されたのはエロイーズとマリアンヌ、メイドのソフィーの三人の若い女性だけ。
全ての女性にとって、自由が特別な権利だった18世紀という時代に、彼女たちは抑圧された精神を解放し、エロイーズとマリアンヌは人生で最初で最後の真剣な恋に落ちてゆく。
本作でもママが突然退場し、残されたパパは一人で家の片付けに追われ忙しい。
ネリーは、勝手気ままに行動する権利と時間を得るのである。
孤島と森というロケーションの違いはあるが、どちらも主人公にとっての非日常を作り出すための舞台装置であり、支配のくびきを逃れた主人公は変化の時を迎える。
ママが子供の頃に作ったという小屋を探しに出かけたネリーは、大きな枝を運ぶ少女を手伝うのだが、彼女が作っていたのものこそ小屋。
少女が名乗ったマリオンという名前は、ママと同じ。
マリオンに誘われて彼女の家に行ってみると、そこはおばあちゃんの家そのもので、死んだはずのおばあちゃんの姿もある。
ここにきて、ネリーは自分が過去に来ているのだと確信するのである。
しかし目の前にいるのは、自分とよく似た同い年の子供で、大人のママとはだいぶ違う。
面白いのは、この超常現象を少女たちがあっさりと受け入れてしまうこと。
ネリーだけでなく、のちに事実を打ち明けられたマリオンも、未来の娘の語る突飛な話を抵抗なく信じる。
時間旅行の不思議よりも、今そこにいる友だちの方が重要だということか。
登場人物は基本的に三世代の家族だけで、舞台となるのも時代の異なる家と森のみ。
すぐに仲良くなった二人は、小屋作りをはじめ、誕生日を祝ったり、二人芝居を作ったり、短い間にさまざまな交流をする。
ミニマムで不思議な世界観の中、二人の少女は母と娘、大人と子供といった属性から解き放たれ、ネリーとマリオンという固有名詞で相手を理解してゆく。
もっと幼い子供にとって、ママはママという絶対的母性。
でも8歳という年齢になったネリーは、もう少し客観的にママを見ていて、マリオンと出会ったことで、一人の人間としてのママのベースにあるものをより深く知る機会を得る。
この奇跡の時間を通して、ネリーはママが女優になりたいという夢を持っていたことや、予定されている手術を受けるのを怖がっていることを知り、マリオンも自分が23歳でネリーを産み、31歳でママを亡くすことを知る。
ネリーにとってのおばあちゃんは、マリオンから見たら最愛のママ。
同じ歳で出会ったことで、二人の少女は新しい視点を得て、互いに共感を深め成長する。
一族の女性が、代々ネリーとマリオンと言う名前を受け継いでいる設定も、三世代の女性たちの血の連環という意味をより強調する。
セリーヌ・シアマはジブリ映画が好きだそうだが、家族愛と友情が表裏一体となった物語は、海外のメディアも指摘しているように、「思い出のマーニー」の影響が明らかだ。
また、マリオンが手術を受けるのを怖がっている設定は、「借りぐらしのアリエッティ」で、神木隆之介が演じた翔を思わせる。
この現象が本当に時間旅行なのか、それとも狐狸妖怪的な怪異なのかは明らかにされないが、個人的には亡くなったおばあちゃんが、愛する娘と孫を心配して起こした奇跡と思いたい。
別れが迫った終盤で、ネリーとマリオンは湖にゴムボートで漕ぎ出し、中央に聳えるピラミッドのようなシュールな構造物にたどり着き、その頂上へと登る。
映像と音楽が一体となった圧巻のモーメントに、世界は彼女たちのものとして確かに存在している。
この短いシーンを頂点とした、クレール・マトンによる色彩、空間デザインは本当に素晴らしい。
血を受け継いだ三世代の女性たちの、ちょっと不思議な喪失と絆、そしてアイデンティティの目覚めの物語。
子供時代の宝物を収めた宝石箱のような、どこまでもピュアで美しい映画だ。
ネリーに大人用ベッド奪われて、子供用ベッドで体を丸めて寝る、控えめなお父さんがカワイイ。
今回は、同じ顔をした二人の天使ちゃんのイメージで「エンジェル・フェイス」をチョイス。
ドライ・ジン30ml、カルバドス15ml、アプリコット・ブランデー15mlをシェイクしてグラスに注ぐ。
ノルマンディー地方の名産品として知られるリンゴのブランデー、カルヴァドスとアプリコット・ブランデーという甘めのお酒を、清涼なドライ・ジンがスッキリとまとめ上げる。
優しい味わいの飲みやすいカクテルだが、度数は結構強いので注意。

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8歳の少女ネリーは両親と共に、亡くなった祖母の家を片付けにやって来た。 何を見ても思い出が甦るばかりで、居たたまれず母は家を出て行ってしまう。 残されたネリーは、かつて母が遊んだ森を探索するうちに、自分と同じ年の少女マリオンと出会う。 彼女の家は、何と“おばあちゃんの家”だった…。 ファンタジック・ドラマ。 ≪それは、8歳のママだった―。≫
2022/09/28(水) 10:18:26 | 象のロケット
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