2022年09月30日 (金) | 編集 |
「48分間」の向こうに見えるもの。
「彼らが本気で編むときは、」の荻上直子監督が、2019年に発表した自作小説を、セルフ映画化した作品。
本来は昨年公開予定だったが、コロナ禍で一年延期され、満を持しての公開となった。
松山ケンイチ演じる訳アリの男、山田たけしが北陸の田舎町にあるイカの塩辛工場に職を得て、社長から紹介された古い平家建てのアパート「ハイツ ムコリッタ」に引っ越してくる。
しがらみのない土地で、誰ともかかわらず孤独に生きてゆくはずだったのだが、突然「風呂を貸してくれ」と言ってくる図々しい隣人と知り合ってしまったのをきっかけに、アパートに住む奇妙な人々との交流が始まる。
そんな頃、山田の元に役所から連絡が入る。
彼の父が富山で孤独死したので、遺骨を引き取ってくれと言うのだ。
子供の頃に両親が離婚し、ずっと音信不通だった父の突然の訃報に、山田は戸惑い素直に向き合うことが出来ない。
ムロツヨシが異常に馴れ馴れしい隣人の島田幸三を演じ、大家の南詩織に満島ひかり、一見宗教の人っぽい怪しい墓石売りの溝口健一に吉岡秀隆。
彼ら一癖も二癖もある役者たちが、また素晴らしいのだ。
山田を含むハイツ ムコリッタの面々に共通するのが、それぞれに違った形で人生を変えるほどの大きな喪失を抱えていること。
タイトルのムコリッタは、アパートの名前であるのと同時に、元々は時間の単位を表す仏教用語「牟呼栗多」のこと。
一番短い単位が一瞬を表す「刹那(せつな)」で1/75秒。
二番目の「怛刹那(たせつな)」が120刹那で、次に「臘縛(ろうばく)」の60怛刹那、30臘縛で1牟呼栗多となるので、だいたい48分。
さらに30牟呼栗多で1日を表す1昼夜となる。
仏教では一番短い刹那の中にも、生き死にが存在し、全ての時間はこれを繰り返しているという。
ハイツ ムコリッタに住む人々は、それぞれに生と死の時間であるムコリッタにあって、喪失の意味を知る。
世の中の無情だけを感じながら生きてきて、他人との間だけでなく、肉親との間にも壁を作ってきた山田も、父の死と自分の生が交わる経験を得て、人生の新しいステージに踏み出す決意をする。
そして生きることの象徴として描かれるのが、繰り返し描かれる食事のシーンだ。
アパートの広い敷地には、島田が家庭菜園を作っていて、そこで取れる野菜の数々と、山田が炊き上げる白米、そして彼が職場から持ってくるイカの塩辛の美味そうなことといったら。
以前から書いているが、私は作中に出てくるご飯が食べたくなるほど美味しそうに見える映画は、名作率が高いと思ってる。
荻上監督の映画の「食」は、命あるものを喜びと共にいただき、自らの血と肉とすることへ感謝を描き、いい意味で生々しい。
本作の「食」に匹敵するのは、近年では「リトル・フォレスト」4部作くらいではないか。
驚くべきは撮影監督の安藤広樹の仕事で、CM畑の人なので映画はあまりやっていないようだが、フレーミングといい、光と影の捉え方といい、本作の映像的な魅力をグッと高めているのは間違いない。
生と死の循環の延長線上に描かれるシュールな葬式と、パスカルズの音楽がとてもいい。
私の考えでは若くして認められた映画作家の多くは、次の段階として本当に作りたいものと成功体験との間で迷い、作風がぼんやりとしてくるのだが、ある時期を乗り切ると急に作品の輪郭がクッキリして来る。
荻上監督の場合は、前作の「彼らが本気で編むときは、」がターニングポイントだったと思う。
独特の空気感や持ち味はそのままだが、以前のような触ったら溶けちゃいそうな曖昧さは無くなり、観ていて円熟という言葉がよぎるようになった。
その分、扱う題材もロハス系なんて言葉が似合わないくらいに重めになってきたと思うが、ドラマ性も深みを増し観応えは十分だ。
今回は富山の地酒、立山酒造の「銀嶺立山 純米大吟醸 雨晴」をチョイス。
精米歩合が大幅に高まったこともあり、芳醇さとコクが一段と高まった。
喉ごしは穏やかで、食中酒として料理を選ばない。
イカの塩辛をつまみに、ハイツ ムコリッタの面々と一杯やりたい。
記事が気に入ったらクリックしてね
「彼らが本気で編むときは、」の荻上直子監督が、2019年に発表した自作小説を、セルフ映画化した作品。
本来は昨年公開予定だったが、コロナ禍で一年延期され、満を持しての公開となった。
松山ケンイチ演じる訳アリの男、山田たけしが北陸の田舎町にあるイカの塩辛工場に職を得て、社長から紹介された古い平家建てのアパート「ハイツ ムコリッタ」に引っ越してくる。
しがらみのない土地で、誰ともかかわらず孤独に生きてゆくはずだったのだが、突然「風呂を貸してくれ」と言ってくる図々しい隣人と知り合ってしまったのをきっかけに、アパートに住む奇妙な人々との交流が始まる。
そんな頃、山田の元に役所から連絡が入る。
彼の父が富山で孤独死したので、遺骨を引き取ってくれと言うのだ。
子供の頃に両親が離婚し、ずっと音信不通だった父の突然の訃報に、山田は戸惑い素直に向き合うことが出来ない。
ムロツヨシが異常に馴れ馴れしい隣人の島田幸三を演じ、大家の南詩織に満島ひかり、一見宗教の人っぽい怪しい墓石売りの溝口健一に吉岡秀隆。
彼ら一癖も二癖もある役者たちが、また素晴らしいのだ。
山田を含むハイツ ムコリッタの面々に共通するのが、それぞれに違った形で人生を変えるほどの大きな喪失を抱えていること。
タイトルのムコリッタは、アパートの名前であるのと同時に、元々は時間の単位を表す仏教用語「牟呼栗多」のこと。
一番短い単位が一瞬を表す「刹那(せつな)」で1/75秒。
二番目の「怛刹那(たせつな)」が120刹那で、次に「臘縛(ろうばく)」の60怛刹那、30臘縛で1牟呼栗多となるので、だいたい48分。
さらに30牟呼栗多で1日を表す1昼夜となる。
仏教では一番短い刹那の中にも、生き死にが存在し、全ての時間はこれを繰り返しているという。
ハイツ ムコリッタに住む人々は、それぞれに生と死の時間であるムコリッタにあって、喪失の意味を知る。
世の中の無情だけを感じながら生きてきて、他人との間だけでなく、肉親との間にも壁を作ってきた山田も、父の死と自分の生が交わる経験を得て、人生の新しいステージに踏み出す決意をする。
そして生きることの象徴として描かれるのが、繰り返し描かれる食事のシーンだ。
アパートの広い敷地には、島田が家庭菜園を作っていて、そこで取れる野菜の数々と、山田が炊き上げる白米、そして彼が職場から持ってくるイカの塩辛の美味そうなことといったら。
以前から書いているが、私は作中に出てくるご飯が食べたくなるほど美味しそうに見える映画は、名作率が高いと思ってる。
荻上監督の映画の「食」は、命あるものを喜びと共にいただき、自らの血と肉とすることへ感謝を描き、いい意味で生々しい。
本作の「食」に匹敵するのは、近年では「リトル・フォレスト」4部作くらいではないか。
驚くべきは撮影監督の安藤広樹の仕事で、CM畑の人なので映画はあまりやっていないようだが、フレーミングといい、光と影の捉え方といい、本作の映像的な魅力をグッと高めているのは間違いない。
生と死の循環の延長線上に描かれるシュールな葬式と、パスカルズの音楽がとてもいい。
私の考えでは若くして認められた映画作家の多くは、次の段階として本当に作りたいものと成功体験との間で迷い、作風がぼんやりとしてくるのだが、ある時期を乗り切ると急に作品の輪郭がクッキリして来る。
荻上監督の場合は、前作の「彼らが本気で編むときは、」がターニングポイントだったと思う。
独特の空気感や持ち味はそのままだが、以前のような触ったら溶けちゃいそうな曖昧さは無くなり、観ていて円熟という言葉がよぎるようになった。
その分、扱う題材もロハス系なんて言葉が似合わないくらいに重めになってきたと思うが、ドラマ性も深みを増し観応えは十分だ。
今回は富山の地酒、立山酒造の「銀嶺立山 純米大吟醸 雨晴」をチョイス。
精米歩合が大幅に高まったこともあり、芳醇さとコクが一段と高まった。
喉ごしは穏やかで、食中酒として料理を選ばない。
イカの塩辛をつまみに、ハイツ ムコリッタの面々と一杯やりたい。

記事が気に入ったらクリックしてね
スポンサーサイト
この記事へのコメント
ノラネコさん🌟
初期の作品と比べて確かにドラマ性が濃くなって、実に奥行きのある作品になってましたよね。
普通に生活のなかに組み込まれた食が、グッと心に深く印象付けられる。凄いなって感じました🌟
初期の作品と比べて確かにドラマ性が濃くなって、実に奥行きのある作品になってましたよね。
普通に生活のなかに組み込まれた食が、グッと心に深く印象付けられる。凄いなって感じました🌟
2022/10/01(土) 00:29:56 | URL | ノルウェーまだ~む #gVQMq6Z2[ 編集]
>ノルウェーまだ~むさん
「かもめ食堂」の大成功の後は、ずいぶん長い間迷いが感じられましたからね。
最近の2作品で到達した深みは素晴らしいと思います。
すでに次回作に入ってるようなので、楽しみです。
「かもめ食堂」の大成功の後は、ずいぶん長い間迷いが感じられましたからね。
最近の2作品で到達した深みは素晴らしいと思います。
すでに次回作に入ってるようなので、楽しみです。
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
北陸の小さな街の小さな塩辛工場で働き始めた青年・山田は、社長から紹介された「ハイツムコリッタ」という古い安アパートに入居する。 ひっそり暮らすつもりだったが、風呂を借りに来る中年男・島田、夫を亡くした大家の南、息子と墓石営業に回る溝口という住人たちと関りを持ってしまう…。 ヒューマンドラマ。
2022/10/04(火) 09:16:42 | 象のロケット
未レビュー感想五つできるだけライトに(したい・・・なったか?)。
◆『アイ・アム まきもと』109シネマズ木場1
▲バリ端役の松尾スズキ氏のアップで何だけど、氏の表情をでっかいまんまる輪郭に納めたらマ・ドンソクが出来上がる。
五つ星評価で【★★★余計な物が入るのがちょっと】
イギリス映画『おみおくりの作法』のリメイクというかローカライズ。物語のベーシックな部分や構造は変わらないのだが、...
2022/12/30(金) 09:36:05 | ふじき78の死屍累々映画日記・第二章
| ホーム |