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せかいのおきく・・・・・評価学1750円
2023年05月08日 (月) | 編集 |
せかいは、どこまでも続いてる。

阪本順治監督が幕末の江戸を舞台に、社会の最下層で生きる若者たちをオリジナル脚本で描いた異色の時代劇。
激動の時代、厳しい現実に翻弄されながらも、彼らは青春を謳歌し逞しく生きてゆく。
モノクロ・スタンダードという今時珍しいフォーマットで描き出される、墨絵のような世界。
89分とコンパクトな上映時間は全九章に分かれ、各章の〆のカットにだけほんのりと色がつく。
美術監督の原田満生が企画とプロデュース、美術を兼ねているのだが、生活描写はさすが圧巻の作り込みだ。
タイトルロールの貧困層に転落した武家の娘、おきくを黒木華が演じ、彼女の想い人になる下肥(しもごえ)買いの青年、中次に寛一郎、相方の矢亮を池松壮亮が演じる。

安政五年、江戸の寺子屋で読み書きを教えているおきく(黒木華)は、もともと武家の娘だが、父の源兵衛(佐藤浩市)が上役の不義を告発したことで失脚。
屋敷を追われた父と共に、木挽町で長屋暮らしを余儀なくされている。
ある日、雨に降られたおきくは、厠のひさしの下で雨宿りをしていた紙くず拾いの中次(寛一郎)と下肥買いの矢亮(池松壮亮)に出会う。
中次は儲からない紙くず拾いから下肥買いに転職し、おきくの長屋も担当することに。
歳も近く、共に江戸の底辺を生きる三人は、徐々に心を通じ合い親しくなってゆく。
だがある時、源兵衛が刺客によって斬殺され、父を守ろうとしたおきくも喉を切られ、声を失う。
長い療養生活の後に、失意のおきくは長屋に戻って来たが、部屋に引きこもってしまう。
心配した中次は、何かにつけて世話を焼くようになるのだが・・・・


本作の企画は、原田満生が「YOIHI PROJECT」を立ち上げたことからはじまったという。
百年後の地球に残したい「良い日」を、映画という手段で伝えるという啓蒙的プロジェクト。
江戸の循環社会をモチーフにした作品を作りたいということで、2020年に撮影されたのが「第七章 せかいのおきく」だった。
これをパイロット版として出資を募り、次に作られたのが「第六章 そして舟はゆく」で、ここでようやく目処がつき、全体の脚本を書き準備を整えることが出来たというから、長編映画としてはかなり特異な経緯で作られた作品なのが分かる。
また作品の趣旨に沿って、美術や衣装にも古材を使用し、本作の撮影後も再利用可能な状態にしてあるそうで、この映画そのものが循環型の制作体制というユニークな試みをしている。

物語の中で、今まさに刺客たちとの死闘に赴こうとする源兵衛が、長屋の厠に汲み取りに来た中次に「なあ、“せかい”って言葉知ってるか」と問いかける。
学がない中次が知らないと答えると、空を仰いだ源兵衛は、「この空の涯はどこだかわかるか、涯なんてねえんだ。それが“せかい”だ」「惚れた女ができたら云ってやれ、おれは“せかい”で一番おめぇがすきだって」と繋げる。
これは、本作の世界観を象徴する描写だ。
彼らが今いる場所は、江戸の街のヒエラルキーの底の底たる貧乏長屋。
それも不浄の厠である。
だが、そこからでも“せかい”は見えているのだ。
底辺であえぐミニマルな若者たちの長屋暮らしを描きながら、スクリーンの向こうには広大な江戸の街、そのまた向こうには”せかい”を感じさせる独特のスケール感。

おきくたちの物語は、安政五年(1858年)の晩夏にはじまり、三年後の文久元年(1861年)の晩春で終わる。
武士の世界では、この年四月に幕府大老に就任した井伊直弼が日米修好通商条約を締結し、反対派を弾圧した安政の大獄で粛清の嵐が吹き荒れ、安政七年には桜田門外の変が起こり直弼が暗殺される。
十二世紀から続く武士の世が間もなく終わりをつげ、日本が二百年の鎖国を解き、今まさに“せかい”に開かれることになった大変な激動期である。
しかし、どんなに社会が変わろうとも、生物としての人間は変わりようがない。

映画がはじまっていきなり映し出される「序章 江戸のうんこはいずこへ」が示唆するように、本作のバックボーンとなるのが、食って寝て出すという人間の営み
これだけはお城の将軍さまも長屋の貧困層も、やることは変わらない。
百万人の人口を抱えた大都市・江戸を陰で支えていたのが、下肥買いとも呼ばれた汚穢屋という職業だ。
江戸への人口流入が増えると共に、近郊の農村地帯ではより多くの食料を、効率的に生産する必要が出てくる。
そのためには質の高い肥料が必要となり、江戸中の厠からうんこを買い取り、有機肥料として農村地帯に売っていたのが汚穢屋だ。
江戸から排出される膨大なうんこは船で運ばれ、その栄養で育った野菜は逆コースで江戸へ運ばれ消費され、新たなうんことなって戻ってくるという見事な循環経済
物語の冒頭で、中次は紙くず拾いをしているが、これもお尻を拭く浅草紙に再生するため捨てられた紙くずを集める仕事なので、人間の根源的な“生産”としてとことんうんこにこだり、ある意味うんこが主役の映画なのだ。

厠に入れは人は平等で、出すものも変わらない。
にもかかわらず、人々の生活を支える汚穢屋は謂れのない差別を受け、武士としてキッチリと筋を通した源兵衛は殺され、親を守ろうとしたおきくは声を失う。
理不尽がまかり通る世間の現実はくそよりくそだが、それでも人間は生きていかねばならない。
困難な時代の貧しい若者たちは、時にささやかな野望を心に、時にほのかな恋心を胸に、お互いに支え合って荒波を渡ってゆく。
しかし振り返って現在の日本を見てみても、ぶっちゃけ状況は大して変わらない。
うんこも売れない世の中で懸命に生きる我々には、苦しみながらも青春を満喫する江戸の若者たちがちょっと羨ましくすら見える。
寛一郎演じる中次のイケメンぷりもいいが、とにかく恋に恋するおきくが可愛すぎる。
ある夜、寺子屋で使う手本を準備していたおきくは「ちゅうぎ(忠義)」と書こうとするが、無意識に仕上がったのは「ちゅうじ」だった。
自分の心の声の発露にしばし呆然として、次の瞬間笑みがこぼれて悶絶するおきくの、なんとキュートなことか。
こんな可愛い黒木華は見たことないぞ。
人間の抱える葛藤など、いつの時代も基本的には同じ。
あー、青春だなぁ、羨ましいなぁ。

燻銀の魅力のある本作には、日本から“せかい”に羽ばたいていった国産ウィスキー、 ニッカウヰスキーの「シングルモルト 余市」をチョイス。
竹鶴政孝が理想の地として選んだ、北海道夜市の蒸留所で作られる定番のシングルモルト。
重厚で複雑な深みのある味わいと、スモーキーな余韻が長く続く。
二世紀前の、爽やかだけどちょっと臭い青春に思いを馳せよう。

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江戸時代末期の東京。 武家育ちの22歳の娘おきくは、今は貧乏長屋で父と二人暮らし。 彼女はある事件で喉を切られ声を失うが、寺子屋で子どもたちに文字を教えていた。 一方、長屋の住人たちの糞尿を売り買いする若者・中次と矢亮は、くさい汚いと罵られながらも読み書きを覚えて世の中を変えてみたいと思っている。 おきくは、そんな中次に身振り手振りで気持ちを伝えるのだった…。 時代劇。
2023/05/13(土) 22:08:41 | 象のロケット