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2023年05月18日 (木) | 編集 |
破滅は、彼女に何をもたらしたのか?
異才 トッド・フィールド16年ぶりの新作は、天賦の才に恵まれたオーケストラ指揮者リディア・ターの転落を描く物語。
名門ベルリン・フィルハーモニー初の女性常任指揮者となったリディアは、就任以来の大仕事となるマーラーの交響曲第5番のライブ録音に向けて準備を進めている。
同棲婚の相手はフィルのコンサートマスターで、二人の間には子供もいて順風満帆な人生。
ところが彼女の日常と名声が、ある出来事をきっかけとして、砂上の楼閣の様に崩れてゆく。
タイトルロールのリディア・ターを演じるのは、やはり破滅型のキャラクターを演じた「ブルージャスミン」で、アカデミー主演女優賞に輝いたケイト・ブランシェット。
彼女の“妻”シャロンを「あの日のように抱きしめて」のニーナ・ホス、キーパーソンとなる助手のフランチェスカを「燃ゆる女の肖像」のノエミ・メルランが演じる。
一見すると実話かと思わされるくらいに、徹底的に作り込まれた設定と凝った作劇。
膨大な情報がさりげなく詰め込まれ、一度観ただけで全てを把握するのはほぼ不可能。
なるほど、評判通り一筋縄ではいかない大怪作である。
※核心部分に触れています。
ベルリン・フィル常任指揮者のリディア・ター(ケイト・ブランシェット)は、作曲の才能にも優れ、数々の賞に輝くクラッシック音楽界の寵児。
ニューヨークで開かれたイベントに出席した後、すぐにベルリンに戻り、今度はマーラーの交響曲第5番のライブ録音の準備を進める。
そんな多忙を極める彼女を支えるのが、フィルのコンサートマスターでもある妻のシャロン(ニーナ・ホス)と、アシスタントのフランチェスカ(ノエミ・メルラン)。
リディアは、欠員の出ていたチェロ奏者のオーディションで、ロシア人のオルガ(ソフィー・カウアー)を仮採用するが、彼女にエルガーのチェロ協奏曲のソリストのポジションを与えたことで、シャロンはリディアがオルガに惹かれていることに気づく。
そんな時、かつてリディアが設立した財団のフェローだったクリスタが自殺し、彼女の両親がリディアを告発する事件が起こる。
そしてジュリアード音楽院で授業を持つリディアが、アカハラを行っているように編集された動画が拡散され、オーケストラ内にも徐々に動揺が広がる。
リディアは自分でも気付かないうちに、スキャンダルの網に絡め取られてゆくのだが・・・・
この映画には、一度観ただけでは捉えきれない多くの情報が盛り込まれていて、一見関係のない情報が実は密接に結びついている。
私は初日に鑑賞し、その3日後にもう一度鑑賞したが、一回目の時には流してしまった点と点が繋がり、だいぶ作品解像度が上がったと思う。
72dpiが200dpiくらいにはなったと思うが、これを350dpiに持っていくのは更に複数回の鑑賞が必要だと思うので、現時点で言語化できる範囲でレビューしてみたい。
本作を鑑賞する前は、成功した女性指揮者がパワハラで破滅する物語だと聞いていたのだが、これは思いっきりミスリードだ。
いや、確かにリディアが恣意的に人事権を行使している様に見えなくもないのだが、あくまでもそう解釈することも可能というレベル。
少なくとも画面上では、彼女はハラスメントを行っていない。
例えば、副指揮者のセバスチャンの解任に関しては、ニューヨークで投資家兼アマチュア指揮者のエリオット・カプランと会話した時に、すでにその話が出ている。
マーラーの5番のリハーサルでの出来事はダメ押しであって、セバスチャンが副指揮者としては力不足なのはリディア以外にも認識されていたこと。
後任にフランチェスカを選ばなかったのは、オーケストラの一部でリディアが彼女を贔屓しているという声があったからで、むしろ公平性に気を遣っていることが分かる。
フランチェスカにとっては、失望する結果となったが、あちらを立てればこちらが立たずは組織運営にはつきものの話。
オルガの選抜に関しては、確かに彼女を気に入ってはいるのだろうが、それが性的なものかは想像でしかなく、彼女の実力は他のメンバーも認めている。
ジュリアードで、バッハは女性蔑視の白人男性だと揶揄した男子学生に対して、音楽家が音楽とどう向き合うべきなのかと諭したシーンは、言葉はキツ過ぎるが内容としては当たり前の話だ。
ただし、クリスタの件に関しては過去に何らかの問題があったのは事実だろう。
冒頭のイベント会場で、後ろ姿が描写されるだけのクリスタ(彼女と明示されてはいない)は、以降一度も画面に登場しないが、影のようにリディアのキャリアにつきまとう。
フランチェスカとクリスタは、リディアが優れた女性指揮者を育成するため設立した財団のフェローで、過去にペルーの民族音楽を研究するリディアのフィールドワークに同行していた。
映画の冒頭に長めのオープニングクレジットがあるのだが、この時流れている音声がこのフィールドワーク時のものだろう。
具体的には描かれないものの、そこで三人の間に何かが起こり、クリスタは精神を病んでゆく。
オープニングクレジットに続くイベントで、リディアを賞賛する紹介文をフランチェスカが暗記していることから、この紹介文を書いたのは彼女。
フランチェスカは、副指揮者の地位を得るためにリディアに師事しているが、有能なアシスタントを演じていても、リディアを信頼してはいないのは彼女のプライベートを写したチャット画面からも想像できる。
この画面の撮影者は、フランチェスカしか有り得ないし、チャットの相手もリディアを知っていて、辛辣な言葉を投げかけているので、おそらくクリスタ。
ヴィタ・サックヴィル=ウェストの小説「Challenge」を、リディアに送ったのもクリスタだろう。
両性愛者だったサックヴィル=ウエストが、家族を捨てて恋人のヴァイオレット・ケッペル=トレフューシスと駆け落ちした時期に書いた小説なので、クリスタとリディアの間には何らかの色恋沙汰があったのかも知れない。
本の最初のページに、迷路のような奇妙なイラストが描き込まれていて、それ見たリディアは突然怒って破り捨てる。
この“迷路“は、三人がフィールドワークを行ったシピボ・コニボ族の伝統紋様なのだが、最初に本作を鑑賞して、海外のレビューを巡っていた時にRedditで見つけたのが主人公のター(TAR)とは、ギリシャ神話のミノタウロス(Minotaur)の暗喩ではないかと言う指摘。
王妃パーシパエーと海神ポセイドンの牡牛が姦通して生まれた牛頭の獣人で、あまりの暴虐ぶりに迷宮に封じられ、9年毎に7人の少年と7人の少女を喰らう怪物。
なるほど、クリスタが迷路の紋様という共通の記憶を使って、リディアをミノタウロスに喩えたなら腑に落ちる。
このイラストは、のちに聴覚過敏に陥ったリディアが、就寝中にメトロノームが動いているのに気付く(おそらくは妄想)シーンにも登場している。
またオルガを探して、廃墟のようなアパートの地下を彷徨うシーンは、まさに迷宮のイメージだ。
物語の序盤では、リディアは全く迷っていない。
冒頭のイベントで、司会者から「人々は、指揮者は人間メトロノームみたいなものと思っている」と言われたリディアは、そのことを否定せずに、「時間こそ(音楽の)解釈の重要な要素だ」と語る。
指揮者は、メトロノームのような一定のリズムを作ることもできるし、時計の針を止めるか、進めるかを決定する存在。
音楽における時の支配者であり、彼女の世界も完璧にコントロールされている。
ところが、クリスタによって、リディアの人生が徐々に狂ってゆくと、彼女を取り巻く“音“も思い通りにならなくなる。
公園で聞こえる女性の悲鳴、仕事中にどこからか聞こえてくるチャイムの音、前記した就寝中に聞こえるメトロノームの音、冷蔵庫の微細な機械音など、味方のはずの音が彼女の人生をかき乱し、心を削ってゆく。
SNSで尾鰭がついたスキャンダルは、リディアから仕事を奪い、それがますます精神的に彼女を追い詰める悪循環に陥る。
重要なターニングポイントが、ベルリンを追われたリディアが、ニューヨークのスタテン島にある実家を訪れるシーンだ。
彼女はストレージの中の膨大なビデオテープを見つけ出すのだがこれは、冒頭のイベントで師弟関係にあると語ったレナード・バーンスタインのコンサートを納めたテープ。
彼が音楽の本質と喜びを語る姿を見て、リディアはその言葉を噛み締め涙を流すのだが、直後に帰宅した弟トニーとの会話で、初めて彼女の本名がヨーロッパ風の“リディア”ではなく、いかにもアメリカ的な“リンダ”であることが明かされる。
私はこのシーンをみて、二十世紀を代表するフォトジャーナリスト、ロバート・キャパのことを思い出した。
ハンガリー出身の売れない写真家だったフリードマン・エンドレは、恋人のゲルダ・タローと共に偉大なアメリカ人戦場カメラマン、ロバート・キャパなる架空の人物を作り出し、その人生を生きた。
もしかすると、キャパと同様に彼女の輝かしい経歴もかなりの部分が詐称で、バーンスタインはビデオで見ただけなのかも知れない。
リディアの年齢を、演じるケイト・ブランシェットと同じと仮定すると、バーンスタインの死去時にはまだ21歳。
少なくともプロの音楽家として、リディアが直接彼から薫陶を受けたとは考え難いからだ。
人生の岐路にさしかかった姉に、トニーは「自分がどこから来て、どこへ行くのかも分かってないようだけど」と言葉を投げかける。
人生の迷宮に彷徨うリディアは、最終的に東南アジアのある国で、イベントの指揮者としての仕事を得る。
劇中で国名は明示されないが、脚本にはフィリピンの記載があり、かつて“マーロン・ブランドの映画”が撮影され、持ち込まれたワニが逃げ出し川で繁殖しているというエピソードが出てくる。
ブランドの映画でフィリピンで撮影されたのは「地獄の黙示録」だけであり、この映画もまた主人公がジャングルという緑の迷宮で彷徨う物語だった。
そしてリディアの仕事というのが、コスプレイヤーたちが集う、ビデオゲームの「モンスターハンター」のイベントコンサートなのである。
指揮台に立った彼女には、大きなヘッドセットが渡される。
ここでのリディアは、すでに時の支配者ではない。
ヘッドセットからはスクリーンに映し出される映像と、音楽を同期させるためのメトロノームの様な信号が送られているはずで、音楽の時間は彼女の預かり知らないところであらかじめ決められているのだ。
だがしかし、指揮者としての喜びを奪い取られ、屈辱的な仕事をしているはずの彼女は、妙に突き抜けた表情を見せているのである。
浮かび上がって見えて来るのは、音楽性を巡る長い旅。
リディアが演奏しようとして果たせなかったマーラーの交響曲第5番も、様々なトラブルを抱えウィーン・フィルを追われるように辞任したマーラーが、その後に書き上げた代表作。
見事な経歴を持つ名門オーケストラの指揮者として、全てをコントロールすることで完璧な人生を生きて来たリディアは、音楽家として本当に幸せだったのか。
鎧を全て剥ぎ取られ、何者でもない素の自分になった時、ようやく彼女はバーンスタインの語った音楽の理想に立てたのかも知れない。
第二の人生の初仕事が、“怪物“を狩るゲーム音楽であり、彼女が指揮するのが「新世界への旅たち」のシーンというのも意味深だ。
はたして本作は、全てを持っていた女性がキャンセル・カルチャーによって、全てを失うまでを描いた悲劇なのか。
それとも、理想化された自分によってガチガチに固められていた女性が、音楽家としての自由を取り戻すまでの物語なのか。
ちなみに、ラストが「モンスターハンター」のイベント会場だというのも、画面の中では説明がなく、エンドクレジットでようやく分かる。
映画を観ただけでは得られない情報は他にも多々あり、なかなかに挑戦的でイケズな作りである。
今回はうまみたっぷりのドイツビール、フランチスカーナーの「ヴァイスビア」をチョイス。
大麦の他に小麦50%ほど利用し伝統的な上面発酵製法で作られる、バイエルンを代表するヴァイスビア。
フルーティーで柑橘系を感じさせる香り、ホップ感は弱く苦みが少ないので、ビールが苦手な人でも飲める。
軽やかな味わいの一杯だ。
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異才 トッド・フィールド16年ぶりの新作は、天賦の才に恵まれたオーケストラ指揮者リディア・ターの転落を描く物語。
名門ベルリン・フィルハーモニー初の女性常任指揮者となったリディアは、就任以来の大仕事となるマーラーの交響曲第5番のライブ録音に向けて準備を進めている。
同棲婚の相手はフィルのコンサートマスターで、二人の間には子供もいて順風満帆な人生。
ところが彼女の日常と名声が、ある出来事をきっかけとして、砂上の楼閣の様に崩れてゆく。
タイトルロールのリディア・ターを演じるのは、やはり破滅型のキャラクターを演じた「ブルージャスミン」で、アカデミー主演女優賞に輝いたケイト・ブランシェット。
彼女の“妻”シャロンを「あの日のように抱きしめて」のニーナ・ホス、キーパーソンとなる助手のフランチェスカを「燃ゆる女の肖像」のノエミ・メルランが演じる。
一見すると実話かと思わされるくらいに、徹底的に作り込まれた設定と凝った作劇。
膨大な情報がさりげなく詰め込まれ、一度観ただけで全てを把握するのはほぼ不可能。
なるほど、評判通り一筋縄ではいかない大怪作である。
※核心部分に触れています。
ベルリン・フィル常任指揮者のリディア・ター(ケイト・ブランシェット)は、作曲の才能にも優れ、数々の賞に輝くクラッシック音楽界の寵児。
ニューヨークで開かれたイベントに出席した後、すぐにベルリンに戻り、今度はマーラーの交響曲第5番のライブ録音の準備を進める。
そんな多忙を極める彼女を支えるのが、フィルのコンサートマスターでもある妻のシャロン(ニーナ・ホス)と、アシスタントのフランチェスカ(ノエミ・メルラン)。
リディアは、欠員の出ていたチェロ奏者のオーディションで、ロシア人のオルガ(ソフィー・カウアー)を仮採用するが、彼女にエルガーのチェロ協奏曲のソリストのポジションを与えたことで、シャロンはリディアがオルガに惹かれていることに気づく。
そんな時、かつてリディアが設立した財団のフェローだったクリスタが自殺し、彼女の両親がリディアを告発する事件が起こる。
そしてジュリアード音楽院で授業を持つリディアが、アカハラを行っているように編集された動画が拡散され、オーケストラ内にも徐々に動揺が広がる。
リディアは自分でも気付かないうちに、スキャンダルの網に絡め取られてゆくのだが・・・・
この映画には、一度観ただけでは捉えきれない多くの情報が盛り込まれていて、一見関係のない情報が実は密接に結びついている。
私は初日に鑑賞し、その3日後にもう一度鑑賞したが、一回目の時には流してしまった点と点が繋がり、だいぶ作品解像度が上がったと思う。
72dpiが200dpiくらいにはなったと思うが、これを350dpiに持っていくのは更に複数回の鑑賞が必要だと思うので、現時点で言語化できる範囲でレビューしてみたい。
本作を鑑賞する前は、成功した女性指揮者がパワハラで破滅する物語だと聞いていたのだが、これは思いっきりミスリードだ。
いや、確かにリディアが恣意的に人事権を行使している様に見えなくもないのだが、あくまでもそう解釈することも可能というレベル。
少なくとも画面上では、彼女はハラスメントを行っていない。
例えば、副指揮者のセバスチャンの解任に関しては、ニューヨークで投資家兼アマチュア指揮者のエリオット・カプランと会話した時に、すでにその話が出ている。
マーラーの5番のリハーサルでの出来事はダメ押しであって、セバスチャンが副指揮者としては力不足なのはリディア以外にも認識されていたこと。
後任にフランチェスカを選ばなかったのは、オーケストラの一部でリディアが彼女を贔屓しているという声があったからで、むしろ公平性に気を遣っていることが分かる。
フランチェスカにとっては、失望する結果となったが、あちらを立てればこちらが立たずは組織運営にはつきものの話。
オルガの選抜に関しては、確かに彼女を気に入ってはいるのだろうが、それが性的なものかは想像でしかなく、彼女の実力は他のメンバーも認めている。
ジュリアードで、バッハは女性蔑視の白人男性だと揶揄した男子学生に対して、音楽家が音楽とどう向き合うべきなのかと諭したシーンは、言葉はキツ過ぎるが内容としては当たり前の話だ。
ただし、クリスタの件に関しては過去に何らかの問題があったのは事実だろう。
冒頭のイベント会場で、後ろ姿が描写されるだけのクリスタ(彼女と明示されてはいない)は、以降一度も画面に登場しないが、影のようにリディアのキャリアにつきまとう。
フランチェスカとクリスタは、リディアが優れた女性指揮者を育成するため設立した財団のフェローで、過去にペルーの民族音楽を研究するリディアのフィールドワークに同行していた。
映画の冒頭に長めのオープニングクレジットがあるのだが、この時流れている音声がこのフィールドワーク時のものだろう。
具体的には描かれないものの、そこで三人の間に何かが起こり、クリスタは精神を病んでゆく。
オープニングクレジットに続くイベントで、リディアを賞賛する紹介文をフランチェスカが暗記していることから、この紹介文を書いたのは彼女。
フランチェスカは、副指揮者の地位を得るためにリディアに師事しているが、有能なアシスタントを演じていても、リディアを信頼してはいないのは彼女のプライベートを写したチャット画面からも想像できる。
この画面の撮影者は、フランチェスカしか有り得ないし、チャットの相手もリディアを知っていて、辛辣な言葉を投げかけているので、おそらくクリスタ。
ヴィタ・サックヴィル=ウェストの小説「Challenge」を、リディアに送ったのもクリスタだろう。
両性愛者だったサックヴィル=ウエストが、家族を捨てて恋人のヴァイオレット・ケッペル=トレフューシスと駆け落ちした時期に書いた小説なので、クリスタとリディアの間には何らかの色恋沙汰があったのかも知れない。
本の最初のページに、迷路のような奇妙なイラストが描き込まれていて、それ見たリディアは突然怒って破り捨てる。
この“迷路“は、三人がフィールドワークを行ったシピボ・コニボ族の伝統紋様なのだが、最初に本作を鑑賞して、海外のレビューを巡っていた時にRedditで見つけたのが主人公のター(TAR)とは、ギリシャ神話のミノタウロス(Minotaur)の暗喩ではないかと言う指摘。
王妃パーシパエーと海神ポセイドンの牡牛が姦通して生まれた牛頭の獣人で、あまりの暴虐ぶりに迷宮に封じられ、9年毎に7人の少年と7人の少女を喰らう怪物。
なるほど、クリスタが迷路の紋様という共通の記憶を使って、リディアをミノタウロスに喩えたなら腑に落ちる。
このイラストは、のちに聴覚過敏に陥ったリディアが、就寝中にメトロノームが動いているのに気付く(おそらくは妄想)シーンにも登場している。
またオルガを探して、廃墟のようなアパートの地下を彷徨うシーンは、まさに迷宮のイメージだ。
物語の序盤では、リディアは全く迷っていない。
冒頭のイベントで、司会者から「人々は、指揮者は人間メトロノームみたいなものと思っている」と言われたリディアは、そのことを否定せずに、「時間こそ(音楽の)解釈の重要な要素だ」と語る。
指揮者は、メトロノームのような一定のリズムを作ることもできるし、時計の針を止めるか、進めるかを決定する存在。
音楽における時の支配者であり、彼女の世界も完璧にコントロールされている。
ところが、クリスタによって、リディアの人生が徐々に狂ってゆくと、彼女を取り巻く“音“も思い通りにならなくなる。
公園で聞こえる女性の悲鳴、仕事中にどこからか聞こえてくるチャイムの音、前記した就寝中に聞こえるメトロノームの音、冷蔵庫の微細な機械音など、味方のはずの音が彼女の人生をかき乱し、心を削ってゆく。
SNSで尾鰭がついたスキャンダルは、リディアから仕事を奪い、それがますます精神的に彼女を追い詰める悪循環に陥る。
重要なターニングポイントが、ベルリンを追われたリディアが、ニューヨークのスタテン島にある実家を訪れるシーンだ。
彼女はストレージの中の膨大なビデオテープを見つけ出すのだがこれは、冒頭のイベントで師弟関係にあると語ったレナード・バーンスタインのコンサートを納めたテープ。
彼が音楽の本質と喜びを語る姿を見て、リディアはその言葉を噛み締め涙を流すのだが、直後に帰宅した弟トニーとの会話で、初めて彼女の本名がヨーロッパ風の“リディア”ではなく、いかにもアメリカ的な“リンダ”であることが明かされる。
私はこのシーンをみて、二十世紀を代表するフォトジャーナリスト、ロバート・キャパのことを思い出した。
ハンガリー出身の売れない写真家だったフリードマン・エンドレは、恋人のゲルダ・タローと共に偉大なアメリカ人戦場カメラマン、ロバート・キャパなる架空の人物を作り出し、その人生を生きた。
もしかすると、キャパと同様に彼女の輝かしい経歴もかなりの部分が詐称で、バーンスタインはビデオで見ただけなのかも知れない。
リディアの年齢を、演じるケイト・ブランシェットと同じと仮定すると、バーンスタインの死去時にはまだ21歳。
少なくともプロの音楽家として、リディアが直接彼から薫陶を受けたとは考え難いからだ。
人生の岐路にさしかかった姉に、トニーは「自分がどこから来て、どこへ行くのかも分かってないようだけど」と言葉を投げかける。
人生の迷宮に彷徨うリディアは、最終的に東南アジアのある国で、イベントの指揮者としての仕事を得る。
劇中で国名は明示されないが、脚本にはフィリピンの記載があり、かつて“マーロン・ブランドの映画”が撮影され、持ち込まれたワニが逃げ出し川で繁殖しているというエピソードが出てくる。
ブランドの映画でフィリピンで撮影されたのは「地獄の黙示録」だけであり、この映画もまた主人公がジャングルという緑の迷宮で彷徨う物語だった。
そしてリディアの仕事というのが、コスプレイヤーたちが集う、ビデオゲームの「モンスターハンター」のイベントコンサートなのである。
指揮台に立った彼女には、大きなヘッドセットが渡される。
ここでのリディアは、すでに時の支配者ではない。
ヘッドセットからはスクリーンに映し出される映像と、音楽を同期させるためのメトロノームの様な信号が送られているはずで、音楽の時間は彼女の預かり知らないところであらかじめ決められているのだ。
だがしかし、指揮者としての喜びを奪い取られ、屈辱的な仕事をしているはずの彼女は、妙に突き抜けた表情を見せているのである。
浮かび上がって見えて来るのは、音楽性を巡る長い旅。
リディアが演奏しようとして果たせなかったマーラーの交響曲第5番も、様々なトラブルを抱えウィーン・フィルを追われるように辞任したマーラーが、その後に書き上げた代表作。
見事な経歴を持つ名門オーケストラの指揮者として、全てをコントロールすることで完璧な人生を生きて来たリディアは、音楽家として本当に幸せだったのか。
鎧を全て剥ぎ取られ、何者でもない素の自分になった時、ようやく彼女はバーンスタインの語った音楽の理想に立てたのかも知れない。
第二の人生の初仕事が、“怪物“を狩るゲーム音楽であり、彼女が指揮するのが「新世界への旅たち」のシーンというのも意味深だ。
はたして本作は、全てを持っていた女性がキャンセル・カルチャーによって、全てを失うまでを描いた悲劇なのか。
それとも、理想化された自分によってガチガチに固められていた女性が、音楽家としての自由を取り戻すまでの物語なのか。
ちなみに、ラストが「モンスターハンター」のイベント会場だというのも、画面の中では説明がなく、エンドクレジットでようやく分かる。
映画を観ただけでは得られない情報は他にも多々あり、なかなかに挑戦的でイケズな作りである。
今回はうまみたっぷりのドイツビール、フランチスカーナーの「ヴァイスビア」をチョイス。
大麦の他に小麦50%ほど利用し伝統的な上面発酵製法で作られる、バイエルンを代表するヴァイスビア。
フルーティーで柑橘系を感じさせる香り、ホップ感は弱く苦みが少ないので、ビールが苦手な人でも飲める。
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リディア・ターは、世界最高峰のオーケストラの一つであるドイツのベルリン・フィル初の女性首席指揮者となって7年。 養女ペトラを共に育てる女性パートナーのシャロンに支えられながら、作曲家、若手の育成、自伝の出版と超多忙な日々を送っていた。 マーラーの交響曲第5番の演奏と録音へのプレッシャー、そして新曲の創作に苦しんでいた時、ターが指導した若手指揮者クリスタが自殺したという知らせが入る…。 サスペンス。
2023/05/18(木) 22:18:32 | 象のロケット
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