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2023年05月24日 (水) | 編集 |
憎しみの行き着く先は。
これは強烈だ。
92分間ワンショットで描かれる、異色の人種差別ホラー。
主人公のエミリーは、街の白人女性たちと「アーリア人の団結をめざす娘たち」なる白人至上主義のグループを立ち上げる。
序盤の30分は、教会で開かれる和気あいあいとした最初の会合。
しかし帰り道、エミリーと因縁のあるアジア系の姉妹と口論になったことから、事態が急激に動き出す。
悪戯半分に姉妹に嫌がらせをしようとした女たちは、破滅への一本道にはまり込んでしまうのだ。
人種差別をモチーフにしたホラーは、同じブラムハウスの「ゲット・アウト」が記憶に新しいが、トリッキーさが持ち味のジョーダン・ピールに対し、こちらはどストレート。
監督とオリジナル脚本を手掛けたのは、これが長編デビュー作となるベス・デ・アラウージョ。
まさに分断の時代が生んだ、怪/快作だ。
※核心部分に触れています。
幼稚園で教諭を務めるエミリー(ステファニー・エステス)は、白人至上主義を掲げる「アーリア人の団結をめざす娘たち」という団体を設立、教会で開かれる一回目の会合に向かっていた。
メンバーはエミリーの他に元受刑者のレスリー(オリビア・ルカルディ)、グロッサリーストアのオーナーのキム(ダナ・ミリキャン)、小売店従業員のマージョリー(エレノア・ピエンタ)ら6人の女性たち。
彼女たちは自己紹介しながら、移民やユダヤ人、有色人種、フェミニストらへの不満を語り、機関誌を発行して、白人が優越しているという思想を「優しく、静かに」広めてゆくという方針を決める。
団体の目的を知った教会の神父は場所の提供を拒絶し、エミリーは体面を保つために、自宅での二次会を提案し、レスリー、キム、マージョリーが応じる。
ところが、ワインを調達しに寄ったキムの店で、アジア系の姉妹のアン(メリッサ・パウロ)とリリー(シシー・リー)と口論になり、エミリーたちは姉妹に嫌がらせする計画を立てるのだが・・・・
冒頭、トイレで妊娠検査薬を使うエミリーが映し出され、望んでいた妊娠が叶わなかったことが示唆される。
カメラはイライラを抱えたままトイレから出たエミリーを追い、その目線の先にいる有色人種の清掃作業員に移り、次いで駐車場で一人で迎えを待つ少年へと撮影対象を移してゆく。
定まらない被写体に自然と不穏な空気が醸し出され、エミリーが少年に対してある言葉をかけることで、彼女がレイシストであることが描写される。
その後、エミリーは立ち上げたグループの女子会チックな会合にパイを持ち込むのだが、その表面にはナチスの鉤十字の形の切り込みが入っている。
中国系アメリカ人とブラジル出身の父のもとに生まれたベス・デ・アラウージョ監督は、この映画でエミリーたちがヘイトの眼差しを向けるマイノリティの女性だ。
彼女はこの映画の企画を、コロナ禍に起こったある事件から着想したという。
2020年の5月、ニューヨークのセントラルパークで、バードウォッチングをしていた黒人男性が、犬のリードを外して走らせている白人女性と出会う。
その場所はリードを外すことが禁じられていたので、男性がリードをつけるように頼んだところ、女性は拒否し911に黒人に脅迫されていると通報したのだ。
男性がことの一部始終を録画していたことから、女性の嘘はあっという間にバレ、虚偽通報の罪で起訴されることになった。
この事件は、ブラック・ライブズ・マター(BLM)運動が吹き荒れるきっかけとなった、ジョージ・フロイド氏殺害と同じ日に起こったことで、ヘイト犯罪の象徴として日本でも繰り返し報道されたので、覚えている人も多いだろう。
どちらの事件も思いっきり撮影されているのに、なぜ当事者は嘘が通ると思っているのか、当時は不思議だったが、この映画を見るとさもありなんと思う。
加害者は自分のしてることを、罪だと認識していない。
身も蓋もない言い方をするが、要は論理的思考が出来ないくらい馬鹿なのである。
この手のヘイトをする人たちの思考回路は、基本的に「自分が不幸なのは誰かのせいで、自分は悪くない」なのだ。
グループの初会合のシーンが、そのことを分かりやすく伝えている。
自己紹介では、マージョリーが南米からの移民の同僚に昇進の機会を奪われた話をする。
彼女の上司は、同僚の方がリーダーシップが優れていたから昇進させた、と至極真っ当な理由を述べたという。
だが彼女たちは、白人の方が人種的に優れているのだから、有色人種に負けることなどあり得ないと信じているのだ。
普段は思っていても、周りの目を気にして口に出せない本音トークで意気高揚。
そして、破滅へ繋がる事件が起こる。
キムの店でエミリーたちはアンとリリーの姉妹と口論になるのだが、実はエミリーの弟はアンに対するレイプ犯罪で収監中。
エミリーの被害妄想的なヘイト思想には、弟の事件も関係していることが明らかになる。
自分の弟が穢らわしい有色人種をレイプするなど、あってはならないのである。
姉妹は立ち去るが、レイシストたちは収まらない。
悪いことに、グループの中で一番若いレスリーがアジテーター気質で、他のメンバーに復讐を焚き付ける。
人間は集団になると、過激な意見に押し流されやすくなる。
彼女らの戦略は「優しく(ソフト)、静かに(クワイエット)」思想を広めるはずが、ここで一気にタガが外れて暴走しはじめるのだ。
共に小さな町の住人で、姉妹の住所もわかっている。
留守宅に入り込んで、嫌がらせで荒らしてやろうという計画そのものが浅はかだが、行ってみると自分たちより劣る人種の姉妹が、実際にはずっと良い暮らしをしていることに再激昂。
白人至上主義団体を作ろうって時点で分かっちゃいるが、全員がかなりのお馬鹿さんなので、状況判断が全く出来ない。
案の定、姉妹が帰宅してしまい、引っ込みがつかなくなった女たちは、最低最悪の行動に出てしまうのである。
この時点で、静かにマウントを取り合っていたグループの中でも、徐々に亀裂が生じる。
マージョリーと子供のいるキムは離脱したがり、エミリーは予期せぬ事態に混乱する。
そんなグループの中で、犯罪歴のあるレスリーがいつの間にかリーダーのポジションになっていて、後先かまわず強引に突っ走る。
シチュエーションは違えど、トランプ落選で議会に突撃して逮捕された連中も、こういうメンタル状態だったんだろうなあと思う。
目先の行動の結果、近い未来に自分がどうなるかまで頭が回らない。
正しいことをしているのだから、自分たちが暴徒として捕まるわけがないと、何の根拠もない思い込みで動いてしまう。
登場人物が愚かすぎるがゆえ、映画の物語が終わった後のことも全て想像できる。
どう考えても、今さら状況をリカバリーすることなど不可能で、地獄に通じる未来しか残されていないのだが、本人たちは最後まで分かっていない。
映画撮影のデジタル移行後、全編ワンショットを売りにする作品は増えたが、技法を生かし切るのは簡単ではなく、とりあえずやってみただけの作品がほとんど。
だがこれは92分間、彼女たちの一人になったかの様な凄まじい臨場感だ。
本作の撮影地は、ベス・デ・アラウージョ監督の地元サンフランシスコに近いインバネスだが、作中での舞台はワイオミングだということが示唆される。
なるほど、リベラルな北カリフォルニアではなく、過去には比較的リベラルな風土だったが、20世紀後半から急速に保守化が進み、白人比率の高いワイオミングを選んだのも、物語の背景的に上手いところを狙ってると思う。
実にアメリカ的な寓話ではあるのだが、エミリーたちのメンタルは日本のネトウヨや陰謀論者にも通じる話。
自分の都合のいいように物事を解釈し、自分の不幸を他人のせいにしてはいけないと、肝に銘じたい。
今回は、刺激が強過ぎる映画に、”魚雷”の名を持つ刺激的なビールを。
シエラネバダ・ブリューイングが2009年より醸造している定番銘柄、「トルピード エクストラIPA」をチョイス。
口当たりは軽やかでクリーミーだが、次いでガツンとくる攻撃的なホップ感。
フレーバーは複雑だが、一度飲んだら忘れられにない、強烈な印象をもたらすIPAらしい一杯だ。
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これは強烈だ。
92分間ワンショットで描かれる、異色の人種差別ホラー。
主人公のエミリーは、街の白人女性たちと「アーリア人の団結をめざす娘たち」なる白人至上主義のグループを立ち上げる。
序盤の30分は、教会で開かれる和気あいあいとした最初の会合。
しかし帰り道、エミリーと因縁のあるアジア系の姉妹と口論になったことから、事態が急激に動き出す。
悪戯半分に姉妹に嫌がらせをしようとした女たちは、破滅への一本道にはまり込んでしまうのだ。
人種差別をモチーフにしたホラーは、同じブラムハウスの「ゲット・アウト」が記憶に新しいが、トリッキーさが持ち味のジョーダン・ピールに対し、こちらはどストレート。
監督とオリジナル脚本を手掛けたのは、これが長編デビュー作となるベス・デ・アラウージョ。
まさに分断の時代が生んだ、怪/快作だ。
※核心部分に触れています。
幼稚園で教諭を務めるエミリー(ステファニー・エステス)は、白人至上主義を掲げる「アーリア人の団結をめざす娘たち」という団体を設立、教会で開かれる一回目の会合に向かっていた。
メンバーはエミリーの他に元受刑者のレスリー(オリビア・ルカルディ)、グロッサリーストアのオーナーのキム(ダナ・ミリキャン)、小売店従業員のマージョリー(エレノア・ピエンタ)ら6人の女性たち。
彼女たちは自己紹介しながら、移民やユダヤ人、有色人種、フェミニストらへの不満を語り、機関誌を発行して、白人が優越しているという思想を「優しく、静かに」広めてゆくという方針を決める。
団体の目的を知った教会の神父は場所の提供を拒絶し、エミリーは体面を保つために、自宅での二次会を提案し、レスリー、キム、マージョリーが応じる。
ところが、ワインを調達しに寄ったキムの店で、アジア系の姉妹のアン(メリッサ・パウロ)とリリー(シシー・リー)と口論になり、エミリーたちは姉妹に嫌がらせする計画を立てるのだが・・・・
冒頭、トイレで妊娠検査薬を使うエミリーが映し出され、望んでいた妊娠が叶わなかったことが示唆される。
カメラはイライラを抱えたままトイレから出たエミリーを追い、その目線の先にいる有色人種の清掃作業員に移り、次いで駐車場で一人で迎えを待つ少年へと撮影対象を移してゆく。
定まらない被写体に自然と不穏な空気が醸し出され、エミリーが少年に対してある言葉をかけることで、彼女がレイシストであることが描写される。
その後、エミリーは立ち上げたグループの女子会チックな会合にパイを持ち込むのだが、その表面にはナチスの鉤十字の形の切り込みが入っている。
中国系アメリカ人とブラジル出身の父のもとに生まれたベス・デ・アラウージョ監督は、この映画でエミリーたちがヘイトの眼差しを向けるマイノリティの女性だ。
彼女はこの映画の企画を、コロナ禍に起こったある事件から着想したという。
2020年の5月、ニューヨークのセントラルパークで、バードウォッチングをしていた黒人男性が、犬のリードを外して走らせている白人女性と出会う。
その場所はリードを外すことが禁じられていたので、男性がリードをつけるように頼んだところ、女性は拒否し911に黒人に脅迫されていると通報したのだ。
男性がことの一部始終を録画していたことから、女性の嘘はあっという間にバレ、虚偽通報の罪で起訴されることになった。
この事件は、ブラック・ライブズ・マター(BLM)運動が吹き荒れるきっかけとなった、ジョージ・フロイド氏殺害と同じ日に起こったことで、ヘイト犯罪の象徴として日本でも繰り返し報道されたので、覚えている人も多いだろう。
どちらの事件も思いっきり撮影されているのに、なぜ当事者は嘘が通ると思っているのか、当時は不思議だったが、この映画を見るとさもありなんと思う。
加害者は自分のしてることを、罪だと認識していない。
身も蓋もない言い方をするが、要は論理的思考が出来ないくらい馬鹿なのである。
この手のヘイトをする人たちの思考回路は、基本的に「自分が不幸なのは誰かのせいで、自分は悪くない」なのだ。
グループの初会合のシーンが、そのことを分かりやすく伝えている。
自己紹介では、マージョリーが南米からの移民の同僚に昇進の機会を奪われた話をする。
彼女の上司は、同僚の方がリーダーシップが優れていたから昇進させた、と至極真っ当な理由を述べたという。
だが彼女たちは、白人の方が人種的に優れているのだから、有色人種に負けることなどあり得ないと信じているのだ。
普段は思っていても、周りの目を気にして口に出せない本音トークで意気高揚。
そして、破滅へ繋がる事件が起こる。
キムの店でエミリーたちはアンとリリーの姉妹と口論になるのだが、実はエミリーの弟はアンに対するレイプ犯罪で収監中。
エミリーの被害妄想的なヘイト思想には、弟の事件も関係していることが明らかになる。
自分の弟が穢らわしい有色人種をレイプするなど、あってはならないのである。
姉妹は立ち去るが、レイシストたちは収まらない。
悪いことに、グループの中で一番若いレスリーがアジテーター気質で、他のメンバーに復讐を焚き付ける。
人間は集団になると、過激な意見に押し流されやすくなる。
彼女らの戦略は「優しく(ソフト)、静かに(クワイエット)」思想を広めるはずが、ここで一気にタガが外れて暴走しはじめるのだ。
共に小さな町の住人で、姉妹の住所もわかっている。
留守宅に入り込んで、嫌がらせで荒らしてやろうという計画そのものが浅はかだが、行ってみると自分たちより劣る人種の姉妹が、実際にはずっと良い暮らしをしていることに再激昂。
白人至上主義団体を作ろうって時点で分かっちゃいるが、全員がかなりのお馬鹿さんなので、状況判断が全く出来ない。
案の定、姉妹が帰宅してしまい、引っ込みがつかなくなった女たちは、最低最悪の行動に出てしまうのである。
この時点で、静かにマウントを取り合っていたグループの中でも、徐々に亀裂が生じる。
マージョリーと子供のいるキムは離脱したがり、エミリーは予期せぬ事態に混乱する。
そんなグループの中で、犯罪歴のあるレスリーがいつの間にかリーダーのポジションになっていて、後先かまわず強引に突っ走る。
シチュエーションは違えど、トランプ落選で議会に突撃して逮捕された連中も、こういうメンタル状態だったんだろうなあと思う。
目先の行動の結果、近い未来に自分がどうなるかまで頭が回らない。
正しいことをしているのだから、自分たちが暴徒として捕まるわけがないと、何の根拠もない思い込みで動いてしまう。
登場人物が愚かすぎるがゆえ、映画の物語が終わった後のことも全て想像できる。
どう考えても、今さら状況をリカバリーすることなど不可能で、地獄に通じる未来しか残されていないのだが、本人たちは最後まで分かっていない。
映画撮影のデジタル移行後、全編ワンショットを売りにする作品は増えたが、技法を生かし切るのは簡単ではなく、とりあえずやってみただけの作品がほとんど。
だがこれは92分間、彼女たちの一人になったかの様な凄まじい臨場感だ。
本作の撮影地は、ベス・デ・アラウージョ監督の地元サンフランシスコに近いインバネスだが、作中での舞台はワイオミングだということが示唆される。
なるほど、リベラルな北カリフォルニアではなく、過去には比較的リベラルな風土だったが、20世紀後半から急速に保守化が進み、白人比率の高いワイオミングを選んだのも、物語の背景的に上手いところを狙ってると思う。
実にアメリカ的な寓話ではあるのだが、エミリーたちのメンタルは日本のネトウヨや陰謀論者にも通じる話。
自分の都合のいいように物事を解釈し、自分の不幸を他人のせいにしてはいけないと、肝に銘じたい。
今回は、刺激が強過ぎる映画に、”魚雷”の名を持つ刺激的なビールを。
シエラネバダ・ブリューイングが2009年より醸造している定番銘柄、「トルピード エクストラIPA」をチョイス。
口当たりは軽やかでクリーミーだが、次いでガツンとくる攻撃的なホップ感。
フレーバーは複雑だが、一度飲んだら忘れられにない、強烈な印象をもたらすIPAらしい一杯だ。

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