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2023年06月03日 (土) | 編集 |
絶望の向こうにあるもの。
3.11から始まる、シニカルなブラックコメディ。
震災直後の放射能パニック下で失踪した夫が、長い歳月が過ぎた後に、末期癌を患って突然帰ってくる。
筒井真理子演じる主人公の依子は、夫不在の間に「緑命会」と言う新興宗教にのめり込んでいて、自分を捨てた夫に対するどす黒い感情と、善行を積まなければならないという教えの板挟みになってしまうのだ。
監督・脚本は、「川っぺりムコリッタ」が記憶に新しい荻上直子。
前作でも人間の秘められた二面性が印象的だったが、今回はダークサイドのカリカチュアが全開だ。
主人公の須藤依子を筒井真理子が怪演し、夫の修を光石研、息子の拓哉を磯村勇斗が演じる。
※核心部分に触れています。
冒頭で福島第一原発の事故後、放射能パニックに陥った首都圏での水の買い占め騒動が描かれ、ガーディニングが趣味だった修は、収穫しても食べられないであろう野菜を見て、ホースの水を出しっぱなしにしたままいなくなる。
現在の依子が信仰する「緑命会」の収入源は、怪しげな命の水の販売で、彼女の家は水のボトルで溢れかえっている。
依子が一人で住む庭は、修の失踪後に存在しない水を愛でる、立派な枯山水に作り変えられていて、タイトル通り全編にわたって水が重要なモチーフとなる。
物語の途中で、故・安倍晋三元首相が2013年の国際オリンピック委員会総会で、福島原発の安全性を保障した演説の一節「the situation is under control.」がテレビから聞こえてくる。
本作の年代は明示されないが、3.11からは10年程度は経っているはずなので、おそらく生放送ではないのだろう。
この言葉通り、依子の日常は一見すると「アンダーコントロール」状態にある。
夫は出て行き、一人息子の拓哉は遠く九州で就職。
半年前に義父も亡くなったので、広い家に一人ぼっち。
彼女の生活は「緑命会」の信仰が中心となっていて、日夜水晶玉に祈りを捧げ、休日には勉強会に出かけ、変なダンスを踊る。
ところが、長らく静かだった枯山水の水面に、夫の突然の帰還という小石が投げ込まれ、波紋が立つ。
これを皮切りにして、危うい均衡のもとに成り立っていた依子の平穏な日常は崩れてゆく。
働いているスーパーには、柄本明演じる値引きジジイがしょっちゅうやって来て、商品が傷んでいるから半額にしろと強要し、拒むと怒鳴りつけられる。
久しぶりに息子が帰ってきたと思ったら、連れて来た恋人の珠美はかなり気の強い聴覚障害者。
いつの間にか、彼女の枯山水には幾つもの石が投げ込まれ波紋だらけになっている。
「緑命会」の教えでは、善行を積まねば魂のステージは上がらないことになっているが、夫をタダで助けるのは癪に触るし、ジジイには反論したいし、障害者の珠美には息子と別れてもらいたい。
どんなに取り繕っても、依子はとことん分かりやすい俗物なのである。
3.11は色々な意味で日本社会にどこにも持って生きようのない閉塞をもたらしたが、ある意味で依子はその象徴みたいな人物だ。
様々な柵によってがんじがらめになっている主人公と、波紋の要因たる家族との会食シーンは、笑っていいんだか、いけないんだか。
問題を押し殺し、平静を装って何年も生きて来たが、出現した複数の波紋が共鳴しあい、結果的に彼女が本来抱えていた問題は全て可視化され、修の癌に効くと、高額な水をお勧めされたことで、心の拠り所だった「緑命会」対する信頼も危うくなる。
依子にとって救いとなるのが、木野花が演じるスーパーの同僚の水木の存在。
ひょんなことから水木と仲良くなり、初めて隠されていた他人の裏側を見たことで、依子自身も本心と向き合う覚悟が出来る。
自由の象徴であるフラメンコの手拍子が効果的に使われており、クライマックスで主人公の自我の解放を後押しする。
なるほど、人間て素晴らしいけどめんどくさい。
もはやロハス系なんて言葉では語れない、映画作家荻上直子の円熟を感じさせる一本だ。
今回は、人間の表と裏の物語なので、白と黒のカクテル「ブラック・ベルベット」をチョイス。
スタウトビールとキンキンに冷やした辛口のシャンパン、もしくはスパークリング・ワインを、1:1の割合で静かにゴブレットに注ぐと、スタウトの黒と明るいシャンパンがグラディエーションを形作り、さらに上には白い泡というモノトーンのカクテルが出来上がる。
スタウトの濃厚さとシャンパンの爽快さが混じり合い、二つの発泡性の酒が作り出す泡はベルベットの様にきめ細かい。
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3.11から始まる、シニカルなブラックコメディ。
震災直後の放射能パニック下で失踪した夫が、長い歳月が過ぎた後に、末期癌を患って突然帰ってくる。
筒井真理子演じる主人公の依子は、夫不在の間に「緑命会」と言う新興宗教にのめり込んでいて、自分を捨てた夫に対するどす黒い感情と、善行を積まなければならないという教えの板挟みになってしまうのだ。
監督・脚本は、「川っぺりムコリッタ」が記憶に新しい荻上直子。
前作でも人間の秘められた二面性が印象的だったが、今回はダークサイドのカリカチュアが全開だ。
主人公の須藤依子を筒井真理子が怪演し、夫の修を光石研、息子の拓哉を磯村勇斗が演じる。
※核心部分に触れています。
冒頭で福島第一原発の事故後、放射能パニックに陥った首都圏での水の買い占め騒動が描かれ、ガーディニングが趣味だった修は、収穫しても食べられないであろう野菜を見て、ホースの水を出しっぱなしにしたままいなくなる。
現在の依子が信仰する「緑命会」の収入源は、怪しげな命の水の販売で、彼女の家は水のボトルで溢れかえっている。
依子が一人で住む庭は、修の失踪後に存在しない水を愛でる、立派な枯山水に作り変えられていて、タイトル通り全編にわたって水が重要なモチーフとなる。
物語の途中で、故・安倍晋三元首相が2013年の国際オリンピック委員会総会で、福島原発の安全性を保障した演説の一節「the situation is under control.」がテレビから聞こえてくる。
本作の年代は明示されないが、3.11からは10年程度は経っているはずなので、おそらく生放送ではないのだろう。
この言葉通り、依子の日常は一見すると「アンダーコントロール」状態にある。
夫は出て行き、一人息子の拓哉は遠く九州で就職。
半年前に義父も亡くなったので、広い家に一人ぼっち。
彼女の生活は「緑命会」の信仰が中心となっていて、日夜水晶玉に祈りを捧げ、休日には勉強会に出かけ、変なダンスを踊る。
ところが、長らく静かだった枯山水の水面に、夫の突然の帰還という小石が投げ込まれ、波紋が立つ。
これを皮切りにして、危うい均衡のもとに成り立っていた依子の平穏な日常は崩れてゆく。
働いているスーパーには、柄本明演じる値引きジジイがしょっちゅうやって来て、商品が傷んでいるから半額にしろと強要し、拒むと怒鳴りつけられる。
久しぶりに息子が帰ってきたと思ったら、連れて来た恋人の珠美はかなり気の強い聴覚障害者。
いつの間にか、彼女の枯山水には幾つもの石が投げ込まれ波紋だらけになっている。
「緑命会」の教えでは、善行を積まねば魂のステージは上がらないことになっているが、夫をタダで助けるのは癪に触るし、ジジイには反論したいし、障害者の珠美には息子と別れてもらいたい。
どんなに取り繕っても、依子はとことん分かりやすい俗物なのである。
3.11は色々な意味で日本社会にどこにも持って生きようのない閉塞をもたらしたが、ある意味で依子はその象徴みたいな人物だ。
様々な柵によってがんじがらめになっている主人公と、波紋の要因たる家族との会食シーンは、笑っていいんだか、いけないんだか。
問題を押し殺し、平静を装って何年も生きて来たが、出現した複数の波紋が共鳴しあい、結果的に彼女が本来抱えていた問題は全て可視化され、修の癌に効くと、高額な水をお勧めされたことで、心の拠り所だった「緑命会」対する信頼も危うくなる。
依子にとって救いとなるのが、木野花が演じるスーパーの同僚の水木の存在。
ひょんなことから水木と仲良くなり、初めて隠されていた他人の裏側を見たことで、依子自身も本心と向き合う覚悟が出来る。
自由の象徴であるフラメンコの手拍子が効果的に使われており、クライマックスで主人公の自我の解放を後押しする。
なるほど、人間て素晴らしいけどめんどくさい。
もはやロハス系なんて言葉では語れない、映画作家荻上直子の円熟を感じさせる一本だ。
今回は、人間の表と裏の物語なので、白と黒のカクテル「ブラック・ベルベット」をチョイス。
スタウトビールとキンキンに冷やした辛口のシャンパン、もしくはスパークリング・ワインを、1:1の割合で静かにゴブレットに注ぐと、スタウトの黒と明るいシャンパンがグラディエーションを形作り、さらに上には白い泡というモノトーンのカクテルが出来上がる。
スタウトの濃厚さとシャンパンの爽快さが混じり合い、二つの発泡性の酒が作り出す泡はベルベットの様にきめ細かい。

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この記事へのコメント
ノラネコさん☆
あのほっこりとして穏やかな日常を描いてきた監督とは思えない、過激で辛辣で異常なことなのに、これもまたある意味よくある日常なんだなと思わされます。
内にためたどす黒いものが、ラストで赤と黒のフラメンコ色になって解き放たれるところは、なかなかなものでした。
あのほっこりとして穏やかな日常を描いてきた監督とは思えない、過激で辛辣で異常なことなのに、これもまたある意味よくある日常なんだなと思わされます。
内にためたどす黒いものが、ラストで赤と黒のフラメンコ色になって解き放たれるところは、なかなかなものでした。
>ノルウェーまだ〜むさん
荻上監督は「彼らが本気で編むときは」あたりから作風がガラッと変わりましたね。
よりハードで本質的なものを描こうとしている様に思います。
初期のロハスな雰囲気も大好きですがけど、今の彼女は演出家として脂が乗ってるなあと感じます。
荻上監督は「彼らが本気で編むときは」あたりから作風がガラッと変わりましたね。
よりハードで本質的なものを描こうとしている様に思います。
初期のロハスな雰囲気も大好きですがけど、今の彼女は演出家として脂が乗ってるなあと感じます。
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須藤依子は“緑命会”という新興宗教を信仰し、ひとり穏やかに暮らしていた。 ところが、自分の父の介護を押し付けたまま失踪していた夫・修が、高額なガンの治療費を助けて欲しいと戻って来る。 一方、帰省した息子・拓哉は、障害のある彼女と結婚したいと言い出す。 更に、パート先で客から大声で怒鳴られた依子は、湧き起こる負の感情を宗教と理性で押さえつけようとするが…。 ヒューマンドラマ。
2023/06/06(火) 17:35:35 | 象のロケット
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