2023年10月26日 (木) | 編集 |
人間はどこまで邪悪になれるのか。
先住民オセージ族の土地に湧き出した石油利権を巡り、欲望に取り憑かれた白人の男たちが、人間の最も暗い闇を見せつける。
デヴィッド・グランによるノンフィクション「花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生」を、エリック・ロスとマーティン・スコセッシが共同で脚色し、スコセッシがメガホンを取った。
物語の視点となる白人男性、アーネスト・バークハートをレオナルド・ディカプリオが演じ、もう一方の視点であり、アーネストの妻のオセージ族の女性、モーリーにリリー・グラッドストーン、物語キーパーソンとなる怪人ウィリアム・ヘイルをロバート・デ・ニーロが演じる。
隠されたアメリカ史のおぞましい側面を、じっくりと描き出した大力作で、206分もの上映時間を1秒たりとも飽きさせない。
今年80歳になる巨匠スコセッシの、円熟の技を堪能出来る傑作だ。
第一次世界大戦の帰還兵、アーネスト・バークハート(レオナルド・ディカプリオ)は、オクラホマのオセージに住む叔父のウィリアム・ヘイル(ロバート・デ・ニーロ)を頼り、運転手の仕事を得る。
先住民のオセージ族は元々住んでいた土地を追われ、オクラホマの荒地を当てがわれた。
ところが、この大地から石油が出たことで状況は一変。
利益の分配の権利を勝ち取ったオセージ族の人々には莫大な金がもたらされ、彼らは揃って富裕層となった。
同時に石油産業には全米から有象無象の流れ者が集まって来て、大規模な牧場を手に入れたウィリアムは”オセージヒルズの王“と呼ばれる成功者だった。
やがてアーネストは客として知り合ったオセージ女性、モーリー(リリー・グラッドストーン)と結婚し子供も出来た。
ある時、モーリーの姉のアナが何者かに射殺される事件が起こる。
やがてモーリーの近親者が原因不明の病や事件によって、次々と命を落として行き、いつに間にか一族の持つ石油の権利は全てモーリーの物となる。
元々糖尿病を患っていたモーリーに、ウィリアムは開発されたばかりのインスリンを手配するのだが、彼女の病状は急速に悪化してゆく・・・・
観る前に、原作を読んでいたのが正解だった。
登場人物が非常に多く、歴史的要素も絡んでくる。
冒頭1時間かけて事件が起こるまでの背景を描きこんではいるのだが、ある程度事前知識が無いと物語に入り難いと思う。
原作とは言わずとも、少なくともモチーフになっている「オセージ族連続殺人事件」を予習してから鑑賞した方がいいだろう。
事件の起こったあらましはこうだ。
コロンブス以来の400年に及ぶインデアン戦争は、1890年のウーンデッド・ニーの虐殺で、先住民の組織的抵抗が終結。
彼らは部族ごとに“reservation(居留地)”を当てがわれ、その中で自治を行うことになる。
住んでいた土地がそのまま居留地になる部族もあるれば、強制的に移住させられたケースも多々ある。
オセージ族も元々は現在のミズーリ州のセントルイスあたりの支配的な勢力だったのだが、現在のオクラホマに当たるインディアン準州の荒野に強制移住させられた。
ところが、不毛の土地のはずの新天地から、石油が出たことで地獄は天国に。
オセージ族の人々は、石油会社から鉱業権のロイヤリティを共同で受け取り、それを部族のメンバーで分配することで、全米有数の富裕層になったのである。
時を同じくして、石油関連の利権にありつこうと、全米から食い詰めた人々がオセージにやってくる。
単なる石油労働者もいれば、流れ者の犯罪者もおり、中にはオセージ族と結婚して、定住する者もいる。
そして当時の法律では、オセージの家族の誰かが死ぬと、その権利はオセージがどうかに関わらず、遺族に継承されるのである。
グランの原作は三部構成で、このような背景のもと、第一部でオセージ族の人々が次々と死んで行くのを描く。
その中でもモーリーの家族は、最初に姉アナが銃殺され、次は母が原因不明の病気で亡くなり、続いて妹ミニーの夫婦が家ごと爆殺されるという異常事態に見舞われる。
わずかな期間に20人を超える死者が出ているにも関わらず、まともな捜査は行われず、真相を解き明かそうとする者も殺される。
だが第二部になると、FBIの前身であるBOI捜査官のトム・ホワイトがワシントンから送り込まれ、ようやく事件の捜査が本格的にはじまるのだ。
事件・捜査・結果のプロセスがミステリタッチに明かされてゆくのだが、映画ではミステリ要素はスッパリと切り落とされている。
これは、ルポルタージュ要素の強い原作に対し、あくまでも事件の当事者であるバークハート夫妻のそれぞれの視点で語られる人間ドラマとしたい映画のスタンスの違い。
なにしろアーネストは犯人の一味なのだから、彼を主人公とした時点でミステリとしては成立しないのである。
モーリーの家族に起こった全ての殺人は、裕福な牧場主であり、アーネストの叔父である、自称“オセージヒルズの王”ウィリアム・ヘイルの仕組んだもの。
モーリーとその家族が全て死ねば、一族の権利は夫であるアーネストの物となる。
あとはアーネストが死ねば・・・なのだが、アーネストは恩人であるウィリアムに心酔し、やがて自分を追い詰める殺人の片棒を担いでいたのだ。
ここで強調されるのは人間の持つ二面性で、ウィリアムはいつも笑みを湛え、オセージ族の友を自認している。
おそらく彼自身は、本気でそう思っていたのだろうし、真相が発覚するまでは慕われていた。
しかし一方で、彼は自分の利益のためなら、全く躊躇せずに殺人を命じるのだ。
共犯者のアーネストは、ちょっと頭が弱く騙されやすい人物として造形されているのだが、元々強盗で小銭を稼いでギャンブルに注ぎ込むくらいのダメ人間。
そんな彼も、妻のモーリーと子供たちだけは真剣に愛している。
それなのに、自分もよく知っているはずの、モーリーの家族を殺すことには、全く動揺を見せないのである。
おそらく男たちの頭の中では、意識しない先住民への差別感情から、ある種のダブルスタンダードが成立している。
「オセージはいい人たちだが、白人より愚かなので、自分が生殺与奪の権を握ってもいい。」
あるいは、「モーリーは愛するが、他のオセージはどうでもいい。」
これらの都合のいい思考によって、一見矛盾する行動原理が彼らの中では共存し得ていて、それが欲望というエンジンによって暴走してしまっているのだろう。
いかにも温和そうな仮面の下に、狂気を感じさせるキャラクターを演じたロバート・デ・ニーロには改めて凄い役者だと思わせられた。
またいつもながら、ディカプリオは優男だがどこかが壊れたダメ人間を演じさせると、ピカイチだ。
そういえば彼は、アーネストを追い詰めるBOI長官で、のちにFBIを作り上げるジョン・エドガー・フーヴァーを過去に演じていたのも面白い縁。
映画は物語の視点をアーネストとモーリーに分けていて、当たり前だが彼女の視点だととんでもなく理不尽に思える。
自分たちは何も悪くないのに、次々と愛する家族が死んでゆく。
明らかな殺人が起こっているのに、地元の警察は形ばかりの捜査しかせず、いつまで経っても何も解決しない。
モーリーは糖尿病を患っていて、夫がインスリンという最新の薬を射ってくれるのに、どんどん悪化してゆく。
ついには、愛する夫が殺人の共犯として逮捕されるのである。
彼女は聡明な女性として造形されているが、この時点でもある程度夫を信じている。
最終的にインスリン瓶の中身に気付き、心を決めたようだが、まことに愛とは盲目である。
これも、ある種のダブルスタンダードか。
ちなみにこの事件の発覚を受けて、1925年には法律が改正されて、オセージの血を引く者以外は、石油の権利を相続出来なくなり、モーリーが継承した一族の権利も、無事に子供たちに引き継がれたそうだ。
ところで、原作では第二部で捜査と裁判が描かれた後、第三部として現代編が続いている。
ここでは探偵役として原作者のグランが登場し、現代のオセージを調査して、第二部の捜査と裁判がすくい上げなかったこと、見落とされた重大な事実が明らかとなる。
実は原作で一番ゾッとしたのは第三部だったので、ここが落とされたのはちょっと残念。
いや厳密に言えば第三部で明らかになった事実は、冒頭部分で提示されてはいるのだが、その時点ではこれからはじまる物語とどう関わるのか不明なので、意図が伝わり難くなってしまった。
まあ映画は、当事者の視点で語るドラマだから仕方がないと思う。
その分、作り込まれたオセージの文化など、映画ならではの見所も増えている。
原作と違ってオセージ族が先祖の土地を追われる儀式からスタートし、事件の顛末を描いたラジオドラマの収録ステージで、スコセッシ自身が登場して映画を締めたのも、グランの本をそのまま映画化したのではなく、スコセッシがテリングしたストーリーだという意図だろう。
それにしても「アイリッシュマン」からの、連続200分超え。
巨匠スコセッシの場合、もう配信プラットフォームを好き勝手に映画を作れる場所として、存分に利用しているのだろうな。
プロデュース陣も自前で抑えてるので劇場にもかけるし、アスペクト比もシネスコサイズ。
これくらい自由に作れるのも、偉大な実績があってこそだと思うが。
禁酒法の時代を背景とした本作には、蜂蜜を使ったカクテル「ビーズ・ニーズ」をチョイス。
ドライ・ジン30ml、レモン・ジュース20ml、蜂蜜適量をシェイクする。
蜂蜜は混ざりにくいので注意。
この時代の粗悪品のジンを、なんとか美味しく飲もうとする努力によって、生まれたカクテルと言われている。
まあ現在のジンは粗悪品ではないが、この三つの素材を合わせようと発想した人は天才だと思う。
実際相性は良く、さっぱりとして美味しいカクテルだ。
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先住民オセージ族の土地に湧き出した石油利権を巡り、欲望に取り憑かれた白人の男たちが、人間の最も暗い闇を見せつける。
デヴィッド・グランによるノンフィクション「花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生」を、エリック・ロスとマーティン・スコセッシが共同で脚色し、スコセッシがメガホンを取った。
物語の視点となる白人男性、アーネスト・バークハートをレオナルド・ディカプリオが演じ、もう一方の視点であり、アーネストの妻のオセージ族の女性、モーリーにリリー・グラッドストーン、物語キーパーソンとなる怪人ウィリアム・ヘイルをロバート・デ・ニーロが演じる。
隠されたアメリカ史のおぞましい側面を、じっくりと描き出した大力作で、206分もの上映時間を1秒たりとも飽きさせない。
今年80歳になる巨匠スコセッシの、円熟の技を堪能出来る傑作だ。
第一次世界大戦の帰還兵、アーネスト・バークハート(レオナルド・ディカプリオ)は、オクラホマのオセージに住む叔父のウィリアム・ヘイル(ロバート・デ・ニーロ)を頼り、運転手の仕事を得る。
先住民のオセージ族は元々住んでいた土地を追われ、オクラホマの荒地を当てがわれた。
ところが、この大地から石油が出たことで状況は一変。
利益の分配の権利を勝ち取ったオセージ族の人々には莫大な金がもたらされ、彼らは揃って富裕層となった。
同時に石油産業には全米から有象無象の流れ者が集まって来て、大規模な牧場を手に入れたウィリアムは”オセージヒルズの王“と呼ばれる成功者だった。
やがてアーネストは客として知り合ったオセージ女性、モーリー(リリー・グラッドストーン)と結婚し子供も出来た。
ある時、モーリーの姉のアナが何者かに射殺される事件が起こる。
やがてモーリーの近親者が原因不明の病や事件によって、次々と命を落として行き、いつに間にか一族の持つ石油の権利は全てモーリーの物となる。
元々糖尿病を患っていたモーリーに、ウィリアムは開発されたばかりのインスリンを手配するのだが、彼女の病状は急速に悪化してゆく・・・・
観る前に、原作を読んでいたのが正解だった。
登場人物が非常に多く、歴史的要素も絡んでくる。
冒頭1時間かけて事件が起こるまでの背景を描きこんではいるのだが、ある程度事前知識が無いと物語に入り難いと思う。
原作とは言わずとも、少なくともモチーフになっている「オセージ族連続殺人事件」を予習してから鑑賞した方がいいだろう。
事件の起こったあらましはこうだ。
コロンブス以来の400年に及ぶインデアン戦争は、1890年のウーンデッド・ニーの虐殺で、先住民の組織的抵抗が終結。
彼らは部族ごとに“reservation(居留地)”を当てがわれ、その中で自治を行うことになる。
住んでいた土地がそのまま居留地になる部族もあるれば、強制的に移住させられたケースも多々ある。
オセージ族も元々は現在のミズーリ州のセントルイスあたりの支配的な勢力だったのだが、現在のオクラホマに当たるインディアン準州の荒野に強制移住させられた。
ところが、不毛の土地のはずの新天地から、石油が出たことで地獄は天国に。
オセージ族の人々は、石油会社から鉱業権のロイヤリティを共同で受け取り、それを部族のメンバーで分配することで、全米有数の富裕層になったのである。
時を同じくして、石油関連の利権にありつこうと、全米から食い詰めた人々がオセージにやってくる。
単なる石油労働者もいれば、流れ者の犯罪者もおり、中にはオセージ族と結婚して、定住する者もいる。
そして当時の法律では、オセージの家族の誰かが死ぬと、その権利はオセージがどうかに関わらず、遺族に継承されるのである。
グランの原作は三部構成で、このような背景のもと、第一部でオセージ族の人々が次々と死んで行くのを描く。
その中でもモーリーの家族は、最初に姉アナが銃殺され、次は母が原因不明の病気で亡くなり、続いて妹ミニーの夫婦が家ごと爆殺されるという異常事態に見舞われる。
わずかな期間に20人を超える死者が出ているにも関わらず、まともな捜査は行われず、真相を解き明かそうとする者も殺される。
だが第二部になると、FBIの前身であるBOI捜査官のトム・ホワイトがワシントンから送り込まれ、ようやく事件の捜査が本格的にはじまるのだ。
事件・捜査・結果のプロセスがミステリタッチに明かされてゆくのだが、映画ではミステリ要素はスッパリと切り落とされている。
これは、ルポルタージュ要素の強い原作に対し、あくまでも事件の当事者であるバークハート夫妻のそれぞれの視点で語られる人間ドラマとしたい映画のスタンスの違い。
なにしろアーネストは犯人の一味なのだから、彼を主人公とした時点でミステリとしては成立しないのである。
モーリーの家族に起こった全ての殺人は、裕福な牧場主であり、アーネストの叔父である、自称“オセージヒルズの王”ウィリアム・ヘイルの仕組んだもの。
モーリーとその家族が全て死ねば、一族の権利は夫であるアーネストの物となる。
あとはアーネストが死ねば・・・なのだが、アーネストは恩人であるウィリアムに心酔し、やがて自分を追い詰める殺人の片棒を担いでいたのだ。
ここで強調されるのは人間の持つ二面性で、ウィリアムはいつも笑みを湛え、オセージ族の友を自認している。
おそらく彼自身は、本気でそう思っていたのだろうし、真相が発覚するまでは慕われていた。
しかし一方で、彼は自分の利益のためなら、全く躊躇せずに殺人を命じるのだ。
共犯者のアーネストは、ちょっと頭が弱く騙されやすい人物として造形されているのだが、元々強盗で小銭を稼いでギャンブルに注ぎ込むくらいのダメ人間。
そんな彼も、妻のモーリーと子供たちだけは真剣に愛している。
それなのに、自分もよく知っているはずの、モーリーの家族を殺すことには、全く動揺を見せないのである。
おそらく男たちの頭の中では、意識しない先住民への差別感情から、ある種のダブルスタンダードが成立している。
「オセージはいい人たちだが、白人より愚かなので、自分が生殺与奪の権を握ってもいい。」
あるいは、「モーリーは愛するが、他のオセージはどうでもいい。」
これらの都合のいい思考によって、一見矛盾する行動原理が彼らの中では共存し得ていて、それが欲望というエンジンによって暴走してしまっているのだろう。
いかにも温和そうな仮面の下に、狂気を感じさせるキャラクターを演じたロバート・デ・ニーロには改めて凄い役者だと思わせられた。
またいつもながら、ディカプリオは優男だがどこかが壊れたダメ人間を演じさせると、ピカイチだ。
そういえば彼は、アーネストを追い詰めるBOI長官で、のちにFBIを作り上げるジョン・エドガー・フーヴァーを過去に演じていたのも面白い縁。
映画は物語の視点をアーネストとモーリーに分けていて、当たり前だが彼女の視点だととんでもなく理不尽に思える。
自分たちは何も悪くないのに、次々と愛する家族が死んでゆく。
明らかな殺人が起こっているのに、地元の警察は形ばかりの捜査しかせず、いつまで経っても何も解決しない。
モーリーは糖尿病を患っていて、夫がインスリンという最新の薬を射ってくれるのに、どんどん悪化してゆく。
ついには、愛する夫が殺人の共犯として逮捕されるのである。
彼女は聡明な女性として造形されているが、この時点でもある程度夫を信じている。
最終的にインスリン瓶の中身に気付き、心を決めたようだが、まことに愛とは盲目である。
これも、ある種のダブルスタンダードか。
ちなみにこの事件の発覚を受けて、1925年には法律が改正されて、オセージの血を引く者以外は、石油の権利を相続出来なくなり、モーリーが継承した一族の権利も、無事に子供たちに引き継がれたそうだ。
ところで、原作では第二部で捜査と裁判が描かれた後、第三部として現代編が続いている。
ここでは探偵役として原作者のグランが登場し、現代のオセージを調査して、第二部の捜査と裁判がすくい上げなかったこと、見落とされた重大な事実が明らかとなる。
実は原作で一番ゾッとしたのは第三部だったので、ここが落とされたのはちょっと残念。
いや厳密に言えば第三部で明らかになった事実は、冒頭部分で提示されてはいるのだが、その時点ではこれからはじまる物語とどう関わるのか不明なので、意図が伝わり難くなってしまった。
まあ映画は、当事者の視点で語るドラマだから仕方がないと思う。
その分、作り込まれたオセージの文化など、映画ならではの見所も増えている。
原作と違ってオセージ族が先祖の土地を追われる儀式からスタートし、事件の顛末を描いたラジオドラマの収録ステージで、スコセッシ自身が登場して映画を締めたのも、グランの本をそのまま映画化したのではなく、スコセッシがテリングしたストーリーだという意図だろう。
それにしても「アイリッシュマン」からの、連続200分超え。
巨匠スコセッシの場合、もう配信プラットフォームを好き勝手に映画を作れる場所として、存分に利用しているのだろうな。
プロデュース陣も自前で抑えてるので劇場にもかけるし、アスペクト比もシネスコサイズ。
これくらい自由に作れるのも、偉大な実績があってこそだと思うが。
禁酒法の時代を背景とした本作には、蜂蜜を使ったカクテル「ビーズ・ニーズ」をチョイス。
ドライ・ジン30ml、レモン・ジュース20ml、蜂蜜適量をシェイクする。
蜂蜜は混ざりにくいので注意。
この時代の粗悪品のジンを、なんとか美味しく飲もうとする努力によって、生まれたカクテルと言われている。
まあ現在のジンは粗悪品ではないが、この三つの素材を合わせようと発想した人は天才だと思う。
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この記事へのコメント
トイレ対策をしないといけない映画を鑑賞するのは大変です。
ノラネコさんは原作を読まれているのですね。
原作は買ってあるので、時間ができたら読みたいと思います。
モリー役の女優さんの演技が、良かったです。
ノラネコさんは原作を読まれているのですね。
原作は買ってあるので、時間ができたら読みたいと思います。
モリー役の女優さんの演技が、良かったです。
>風子さん
映画と原作では視点が違いますが、これはこれで面白いです。
本もかなり長いですけどね。
映画と原作では視点が違いますが、これはこれで面白いです。
本もかなり長いですけどね。
2023/11/04(土) 15:14:56 | URL | ノラネコ #xHucOE.I[ 編集]
ダブルスタンダードの指摘には頷きました。オセージは力強い伝統に基づいた素朴な人間観を保有し続ける人たちだから余計にモーリーは、あ違うな、この人は、、と思ったのかなと。決定的な場面で自分が大切だと思い込んでいるモーリーに正体がバレてしまう箇所は見事でした。でも本人は一生自分の正体に気が付かないでしょうね。ホント、デカプリオは情けない色男役が中年になっても増々磨きがかかるといいいますか((笑)。
デ・ニーロ演じるヘイルには虫も殺さない善人の雰囲気を感じたものの徐々に悪が顔を出していくのは怖かったですね。
事前にノラネコさんのレビューを読んでいたおかげで、映画館いに行く前にネットで背景等を頭に入れて鑑賞に臨むことができたこと感謝です。
映画鑑賞後に原作(翻訳)を読み思ったこと。アメリカって冷血の時もそう思いましたが、とことん事実をどこまでも追求するスタイルのノンフィクション作家が途切れずに出てくるんだなあ、と。
デ・ニーロ演じるヘイルには虫も殺さない善人の雰囲気を感じたものの徐々に悪が顔を出していくのは怖かったですね。
事前にノラネコさんのレビューを読んでいたおかげで、映画館いに行く前にネットで背景等を頭に入れて鑑賞に臨むことができたこと感謝です。
映画鑑賞後に原作(翻訳)を読み思ったこと。アメリカって冷血の時もそう思いましたが、とことん事実をどこまでも追求するスタイルのノンフィクション作家が途切れずに出てくるんだなあ、と。
2023/11/20(月) 10:14:01 | URL | 11月20日 #mQop/nM.[ 編集]
>11月20日さん
それは良かったです。
ルポルタージュものはハリウッドの伝統でもあるのですが、結構背景を知らないと分かりずらいものも多いのですよね。
これはたまたま原作を読んでいたので助かりました。
人間は自分のことを知っているようで、実は知らないのだなあと、この映画の男たちをみて思いました。
それは良かったです。
ルポルタージュものはハリウッドの伝統でもあるのですが、結構背景を知らないと分かりずらいものも多いのですよね。
これはたまたま原作を読んでいたので助かりました。
人間は自分のことを知っているようで、実は知らないのだなあと、この映画の男たちをみて思いました。
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1920年代のアメリカ。 戦地から帰還した男アーネスト・バークハートは、地元の有力者である叔父ウィリアム・ヘイルを頼ってオクラホマへ移り住む。 そこで先住民族オセージ族の裕福な女性モリー・カイルと恋に落ち夫婦となった。 しかし、2人の周囲で不可解な連続殺人事件が起こり始める。 町が混乱と暴力に包まれる中、ワシントンD.C.から派遣された捜査官が捜査に乗り出した…。 クライム・サスペンス。
2023/10/31(火) 07:45:55 | 象のロケット
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