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2008年07月17日 (木) | 編集 |
言わずと知れた野坂昭如の同名小説にして、高畑勲監督による日本アニメ映画史上屈指の傑作、「火垂るの墓」の実写リメイク。
毎年の様に夏になるとテレビ放映され、日本人のほとんど誰もが知っている作品のリメイクは、ある意味で黒澤映画のリメイクよりも難しい。
しかも今回の実写化は、元々故・黒木和雄監督の企画として進んでいたのが、監督の急死によって親子ほど歳の違う日向寺太郎監督に引き継がれたという経緯がある。
図らずも、だろうが、日向寺監督としては、高畑勲と黒木和雄という日本を代表する二人の巨匠に勝負を挑むような格好になってしまった。
昭和20年、神戸。
空襲で母を失い、住む家も無くなった14歳の清太と4歳の妹・節子は、西宮に住む親戚の家へと向かった。
戦争未亡人である西宮のおばは、最初二人を追い出そうとしたが、食料を持っている事を知って、いやいやながら部屋を貸す事にする。
おばの二人に対する態度はひどいもので、最初は我慢していた清太も、次第に反発を強め、ついには節子と二人で出て行く事にするのだが・・・
物語の骨子はアニメ版と同じだが、フォーカスを当てた部分は少し違う。
高畑勲は、戦争によって孤児となった清太と節子を徹底的にフィーチャーし、社会から忘れられ、人知れず死んでいった彼らの幽霊によって(80年代の)現代日本を俯瞰させる事で、40年というスパンで戦争と戦後日本そのものを一つの寓話の中に描き出した。
対して今回の実写版は、二人の周りにそれぞれ比喩的な役割を持った大人たちを配し、彼らと対比する事で、清太の行動の意味を見出そうとしている様だ。
戦前、幸せだった彼らの過去を象徴するのが、回想シーンに登場する父母の姿である。
そして孤児となった現在において、清太がそのイメージを擬似的に投影するのが、父と同じく剣道を嗜み、戦時下にあっても優しさと幸せを感じさせる西宮の校長先生一家。
これは清太にとって、自分が本来あるべき姿と言えるだろう。
彼と対照的なのが、清太と同じ喘息を煩う兵役不適格者で、刹那的な生き方をする男、高山である。
彼はいわば、清太が決して認めたくない未来の自分である。
もう一人は、アニメ版でも印象的だった、兄妹を追い込んでゆく西宮のおばさんだ。
彼女の役割は、偽りの善意で清太の幸せを破壊し、搾取してゆく時代そのものと言ったところだ。
最初はおばさんや高山に反発しつつも、なんとか時代の中で生きようとする清太だが、校長先生一家は思わぬ悲劇によって自滅し、高山も社会によって排除される。
結局、追い詰められた清太がとった行動は、よく知られている通りだ。
大人たちとの関係から、兄妹の悲劇の意味を問うという凝った作劇だが、一方で描かなければならない事を増やしてしまい、結果的にドラマの印象がかなり薄味になってしまっている感は否めない。
安直な泣かせに走らず、しっかりとドラマを構成しようとする意図は間違っていないと思うが、反面で泣かせるほどに描ききれていないという事も言えてしまう。
断片化されたエピソードが多く、特に後半兄妹がおばの家を飛び出して、廃棄された防空壕で暮らし始めてからは、何かダイジェストを観ている様で、彼らが確実に死に向かってゆく切実さをあまり感じない。
節子も、気づいたら死んでいたという感じだ。
銃撃で人が死ぬシーンでも、撃たれる瞬間は見せないなど、全体に観念的に描こうという意図を感じるが、下痢に苦しみやせ細ってゆく節子の姿、それを見て恐れ戸惑う清太の表情などは、きっちり描かなければ伝わらなかったのではないだろうか。
アニメ版とは別のアプローチをしようという意欲は買えるものの、正直なところ、突き抜けることは出来なかった様だ。
もっとも、この作劇のアプローチによって、アニメ版よりも明確に描き出された事も確かにある。
清太は、おばさんからの独立によって、精一杯時代に抵抗しているように見えるが、結局のところ彼の行動も、無謀な理想を掲げ、戦争に突き進んだ当時の日本社会そのものと変わらない。
食糧難の時代に、下級兵士の戦争未亡人であるおばさんの生活が大変なのは事実だろうし、子供の世話を遠縁の親戚に頼まれたなら、そのために預かった資産を処分するのはある意味当然だろう。
おばさんを泥棒呼ばわりし、節子を道連れに、どう見ても破綻する道を突き進む清太の行動は、彼の現実を見ようとしないエゴイズムに過ぎないのである。
人間は、現実と理想との葛藤で生きている動物であり、認めたくない真実に出会ってしまったとき、理屈では分かっていても、しばしば無謀な理想に向けて突き進んでしまう。
節子を殺したのは清太である、というアニメ版でも物語の裏に仕込まれていた事実を、この実写版はより明確にする。
映画のラストはアニメ版とは異なる。
無数の節子の屍の上に、生き延びてきた戦後日本。
それは、ラストの清太の姿によって象徴されている様に思う。
だからこそ、この物語はわれわれの原罪意識を揺さぶり、とても悲しいのだ。
今回は舞台となった灘から、鎮魂の酒を。
江戸時代からの歴史を持つ木谷酒造の「純米酒 喜一」をチョイス。
日本酒度はそれほど高くなく、切れよりも純米酒らしいコクを重視したお酒である。
因みに戦後長い間、日本酒の評価を貶めてきた所謂アル添三倍酒も、元はと言えば戦時中の食糧不足がルーツになっている。
戦争という物は、あらゆるものを貧しくしてしまうという典型的な例である。
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毎年の様に夏になるとテレビ放映され、日本人のほとんど誰もが知っている作品のリメイクは、ある意味で黒澤映画のリメイクよりも難しい。
しかも今回の実写化は、元々故・黒木和雄監督の企画として進んでいたのが、監督の急死によって親子ほど歳の違う日向寺太郎監督に引き継がれたという経緯がある。
図らずも、だろうが、日向寺監督としては、高畑勲と黒木和雄という日本を代表する二人の巨匠に勝負を挑むような格好になってしまった。
昭和20年、神戸。
空襲で母を失い、住む家も無くなった14歳の清太と4歳の妹・節子は、西宮に住む親戚の家へと向かった。
戦争未亡人である西宮のおばは、最初二人を追い出そうとしたが、食料を持っている事を知って、いやいやながら部屋を貸す事にする。
おばの二人に対する態度はひどいもので、最初は我慢していた清太も、次第に反発を強め、ついには節子と二人で出て行く事にするのだが・・・
物語の骨子はアニメ版と同じだが、フォーカスを当てた部分は少し違う。
高畑勲は、戦争によって孤児となった清太と節子を徹底的にフィーチャーし、社会から忘れられ、人知れず死んでいった彼らの幽霊によって(80年代の)現代日本を俯瞰させる事で、40年というスパンで戦争と戦後日本そのものを一つの寓話の中に描き出した。
対して今回の実写版は、二人の周りにそれぞれ比喩的な役割を持った大人たちを配し、彼らと対比する事で、清太の行動の意味を見出そうとしている様だ。
戦前、幸せだった彼らの過去を象徴するのが、回想シーンに登場する父母の姿である。
そして孤児となった現在において、清太がそのイメージを擬似的に投影するのが、父と同じく剣道を嗜み、戦時下にあっても優しさと幸せを感じさせる西宮の校長先生一家。
これは清太にとって、自分が本来あるべき姿と言えるだろう。
彼と対照的なのが、清太と同じ喘息を煩う兵役不適格者で、刹那的な生き方をする男、高山である。
彼はいわば、清太が決して認めたくない未来の自分である。
もう一人は、アニメ版でも印象的だった、兄妹を追い込んでゆく西宮のおばさんだ。
彼女の役割は、偽りの善意で清太の幸せを破壊し、搾取してゆく時代そのものと言ったところだ。
最初はおばさんや高山に反発しつつも、なんとか時代の中で生きようとする清太だが、校長先生一家は思わぬ悲劇によって自滅し、高山も社会によって排除される。
結局、追い詰められた清太がとった行動は、よく知られている通りだ。
大人たちとの関係から、兄妹の悲劇の意味を問うという凝った作劇だが、一方で描かなければならない事を増やしてしまい、結果的にドラマの印象がかなり薄味になってしまっている感は否めない。
安直な泣かせに走らず、しっかりとドラマを構成しようとする意図は間違っていないと思うが、反面で泣かせるほどに描ききれていないという事も言えてしまう。
断片化されたエピソードが多く、特に後半兄妹がおばの家を飛び出して、廃棄された防空壕で暮らし始めてからは、何かダイジェストを観ている様で、彼らが確実に死に向かってゆく切実さをあまり感じない。
節子も、気づいたら死んでいたという感じだ。
銃撃で人が死ぬシーンでも、撃たれる瞬間は見せないなど、全体に観念的に描こうという意図を感じるが、下痢に苦しみやせ細ってゆく節子の姿、それを見て恐れ戸惑う清太の表情などは、きっちり描かなければ伝わらなかったのではないだろうか。
アニメ版とは別のアプローチをしようという意欲は買えるものの、正直なところ、突き抜けることは出来なかった様だ。
もっとも、この作劇のアプローチによって、アニメ版よりも明確に描き出された事も確かにある。
清太は、おばさんからの独立によって、精一杯時代に抵抗しているように見えるが、結局のところ彼の行動も、無謀な理想を掲げ、戦争に突き進んだ当時の日本社会そのものと変わらない。
食糧難の時代に、下級兵士の戦争未亡人であるおばさんの生活が大変なのは事実だろうし、子供の世話を遠縁の親戚に頼まれたなら、そのために預かった資産を処分するのはある意味当然だろう。
おばさんを泥棒呼ばわりし、節子を道連れに、どう見ても破綻する道を突き進む清太の行動は、彼の現実を見ようとしないエゴイズムに過ぎないのである。
人間は、現実と理想との葛藤で生きている動物であり、認めたくない真実に出会ってしまったとき、理屈では分かっていても、しばしば無謀な理想に向けて突き進んでしまう。
節子を殺したのは清太である、というアニメ版でも物語の裏に仕込まれていた事実を、この実写版はより明確にする。
映画のラストはアニメ版とは異なる。
無数の節子の屍の上に、生き延びてきた戦後日本。
それは、ラストの清太の姿によって象徴されている様に思う。
だからこそ、この物語はわれわれの原罪意識を揺さぶり、とても悲しいのだ。
今回は舞台となった灘から、鎮魂の酒を。
江戸時代からの歴史を持つ木谷酒造の「純米酒 喜一」をチョイス。
日本酒度はそれほど高くなく、切れよりも純米酒らしいコクを重視したお酒である。
因みに戦後長い間、日本酒の評価を貶めてきた所謂アル添三倍酒も、元はと言えば戦時中の食糧不足がルーツになっている。
戦争という物は、あらゆるものを貧しくしてしまうという典型的な例である。

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この記事へのコメント
こんにちは。
この映画評論家筋の評判が高いですね。
その理由も、ノラネコさんのレビューを拝見して少し納得。
アニメ版は、観るのが辛い作品で、
繰り返しは観ていないのですが、
比較のために観てみたくなりました。
この映画評論家筋の評判が高いですね。
その理由も、ノラネコさんのレビューを拝見して少し納得。
アニメ版は、観るのが辛い作品で、
繰り返しは観ていないのですが、
比較のために観てみたくなりました。
>えいさん
評論家受けが良いのですか?
私はむしろ、評論家にはアニメ版と比較されて色々突っ込まれそうだなあと思ったので、意外な感じがします。
二本を比較するとアプローチの違いが面白いのですが、やはり実写版の弱さも目立つように思います。
それと映画の内容よりも驚いたのが、観客の年齢層の高さでした。
平均年齢60歳は超えていたと思います。
あれほどお年寄りばかりの劇場は始めてだったかもしれません。
評論家受けが良いのですか?
私はむしろ、評論家にはアニメ版と比較されて色々突っ込まれそうだなあと思ったので、意外な感じがします。
二本を比較するとアプローチの違いが面白いのですが、やはり実写版の弱さも目立つように思います。
それと映画の内容よりも驚いたのが、観客の年齢層の高さでした。
平均年齢60歳は超えていたと思います。
あれほどお年寄りばかりの劇場は始めてだったかもしれません。
2008/07/19(土) 22:08:25 | URL | ノラネコ #-[ 編集]
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野坂昭如の原作は、かつて高畑勲監督によってアニメ映画化された名作があり、今回の実写版との比較は避けられない。物語は戦争の過酷な運命の中で生きた幼い兄妹の悲劇を描くものだ。反戦の意図は伝わるが、母親役を松田聖子にするなど、意図不明な配役に疑問が残る。幸薄...
2008/07/18(金) 00:16:22 | 映画通信シネマッシモ☆プロの映画ライターが贈る映画評
----この映画って確かアニメになかった?
「うん。高畑勳監督のジブリ作品だね。
『となりのトトロ』と併映されたこともあって。
知らない人はいないくらいに有名。
実写化には相当な勇気がいったんじゃないかな」
----でも、それでも映画化したわけだ。
「そうだね。
当?...
2008/07/18(金) 19:59:35 | ラムの大通り
{/kaeru_en4/}昭和20年の東京大空襲のときは、ここ深川あたりも焼け野原になったらしいな。
{/hiyo_en2/}このお寺も大きな被害を受けたようね。
{/kaeru_en4/}このあたりで親が亡くなって幼い兄妹だけが生き残った家族もいっぱいいたんだろうな。
{/hiyo_en2/}野坂昭如?...
2008/07/20(日) 09:27:49 | 【映画がはねたら、都バスに乗って】
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