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2008年11月30日 (日) | 編集 |
捕虜を殺した容疑で逮捕された元兵士が、戦犯として処刑されるまでの日々を描いた「私は貝になりたい」のリメイク。
伝説的な脚本家、橋本忍の代表作の一つであり、監督デビュー作として知られる作品だが、今回のリメイクでは御歳90歳の橋本自らが脚本をリライトし、テレビドラマで多くの秀作を手がけてきた福沢克雄が、劇場用映画初のメガホンを取っている。
戦後僅か13年の時点で作られたオリジナルに対して、半世紀の時を経てリメイクされる本作には、どの様な意味付けがなされているのか、極めて興味深い。
昭和19年。
高知の田舎で床屋を営んでいた清水豊松(中居正広)は、妻の房江(仲間由紀恵)と息子の健一(加藤翼)を残して出征する。
新兵として激しい訓練の日々を送っていたある日、豊松の部隊は撃墜されたB-29搭乗員の捜索に駆りだされる。
山中で瀕死の米兵が捉えられるが、司令部からの「米兵を適切に処置せよ」という命令を「処刑せよ」という意味だと受け取った指揮官によって、豊松は縛られた米兵を銃剣で刺殺するように命じられる。
やがて戦争が終わり、復員して家族と平穏に暮らしていた豊松の元へ、突然米軍のMPが訪れ、豊松は捕虜を殺した戦犯容疑者として逮捕されてしまうのだが・・・
元々オリジナルは、1958年に現在のTBSの前身であるラジオ東京テレビが放送したフランキー堺主演のテレビドラマで、翌1959年に同じくフランキー堺主演、橋本忍監督作品として映画版が作られている。
テレビドラマとしては、1994年にも所ジョージ主演でリメイクされており、今回の映画化は通算四度目の映像化となる。
なお同タイトルのドラマが昨年日本テレビ系でも作られているが、こちらは橋本忍と原作権を巡って長年裁判を繰り広げた加藤哲太郎の著作を直接の原作としており、内容的にも橋本版とは大幅に異なるため、別の作品と考えるべきだろう。
タイトルの「私は貝になりたい」とは、処刑される豊松が家族に残した遺書の中で、最期に語られる一文である。
絶対服従の命令に従っただけで、実際には捕虜を殺してすらいない豊松が、自らに降りかかった理不尽な運命に対して、もし生まれ変わってももう人間にはなりたくない、戦争の無い深海の貝になりたい、という悲痛な心情を吐露した言葉だ。
不朽の名作とされているオリジナルのドラマだが、実は脚本を読んだ黒澤明は「橋本よ、これじゃあ貝にはなれんのじゃないか」と感想を述べたと伝えられており、黒澤組の同僚だった菊島隆三も同様の苦言を呈していたらしい。
一度完成させた脚本は、基本的に手をつけないという橋本忍が、今回半世紀ぶりに本格的なリライトに踏み切ったのは、どうやらこの黒澤の言葉が彼自身の中でも引っかかっていたからの様だ。
私がオリジナルのドラマを観たのは、25年ほど前に再放送された時の事だと思う。
あまりにも理不尽な運命に翻弄される豊松の姿に、深く心を打たれたものの、観終わった時に何かモヤモヤしたものが残ったのを覚えている。
中学生だった私には、それがなぜなのか良く判らなかったのだが、後に観直して理解出来た。
オリジナルでフランキー堺が演じた豊松は、最初からずっと希望を失っていない。
自分は処刑されるような事はしていないし、判決は何かの間違いだ、米軍もそのうちきっと判ってくれると思い続けているのである。
それゆえに、刑務所の房を移る事を命じられた時、自分は減刑されて助かるんだと思い込み、実際には処刑が執行される事を知った時に、深い絶望に突き落とされ、タイトルとなる遺書を残すのだが、この遺書の中で豊松は自らが捨て去りたい人間社会の思い出に、愛しているはずの妻子も含めているのである。
中学生の私は、豊松の遺書に同情しながらも、家族に対する裏切りを同時に感じ取って戸惑ったのだろうと思う。
黒澤明の言葉の真意は、今となっては判らないが、私も物語の流れから豊松の心情を考えれば「貝」にはならないだろうなと感じたのは事実だ。
もっとも、最愛の家族にすら背を向けるほどの絶望感に豊松が陥ったと言う解釈も出来るし、橋本忍がこの言葉を最期に持ってきた意図はそちらではないかという気もしている。
今回のリメイクでは、深海の貝になりたいというイメージを補足するために、豊松の暮らす街外れの岬から見える海の映像を、象徴的に使っている。
豊松の人生の節目節目に描写される岬は、帰るべき家と外界とを隔てる境界のイメージだろうし、ここから見た海の映像にインパクトがあるおかげで、ラストで人間社会への絶望が海底の貝へと転化する事は自然に感じられる。
しかし、個人的には豊松の遺書の持つ裏切りの印象は、かえって増幅されてしまっているように思える。
それはオリジナルに比べると、痛々しいくらいに献身的な妻、房江の比重が増している事と、刑務所での豊松が希望と絶望を半々に持ち合わせているキャラクターに描写されている事で、最期の絶望感への落差がオリジナルよりもむしろ和らいでいる事が原因だろう。
遺書の中の「房江や、健一のことを心配することもない」という部分には、やはりそりゃないよと思わざるを得なかった。
この遺書は、加藤哲太郎の「狂える戦犯死刑囚」からの引用なのは、裁判沙汰になった事でよく知られているが、元になった文章の妻子に言及した部分とは、若干ニュアンスが異なっている。
もっとも、ラストのモヤモヤは相変わらずながら、映画としての完成度は高く、執筆後半世紀を経た物語も、その意義を失っていない。
人間にとって世界がより小さく、そして複雑に絡み合った現在、「平和と人道に対する罪」を問う事の難しさはむしろ実感を増しているのではないだろうか。
戦争が単に物理的な破壊だけでなく、様々な形で人間を翻弄し、絶望を植えつける残酷なものだと言う事も、強いリアリティを持って描写されているし、物語上妻の比重が増えた事で、臭いものには蓋をして忘れ去ろうとする日本社会の歪みもしっかりと印象に残る。
福沢克雄の演出は風格もあり、テンポも良く、2時間20分の間スクリーンから目を離せないし、体重を9キロ落として豊松役に挑んだ中居正広、夫を救うために行動する房江を演じた仲間由紀恵は予想以上の好演と言える。
ただ、テレビ番組のつながりを露骨に感じさせるゲスト出演者の使い方や、演出と役者の芝居だけで十分エモーショナルなのに、喧しさを感じさせるくらいに鳴り響く久石譲の音楽は少々テレビ的な過剰さを感じさせて余計だった。
今回は、豊松が帰りたかった高知の代表的な酒「酔鯨 吟麗 純米吟醸」をチョイス。
高知の地酒らしく端麗で軽快。
フレッシュな吟醸香も心地よく、適度な酸味も食欲を高めてくれる。
美味い肴と一緒に、グイグイと飲んでしまいそうな酒だ。
太平洋を悠々と泳ぐ鯨の姿は、あの岬からも見えたに違いない。
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伝説的な脚本家、橋本忍の代表作の一つであり、監督デビュー作として知られる作品だが、今回のリメイクでは御歳90歳の橋本自らが脚本をリライトし、テレビドラマで多くの秀作を手がけてきた福沢克雄が、劇場用映画初のメガホンを取っている。
戦後僅か13年の時点で作られたオリジナルに対して、半世紀の時を経てリメイクされる本作には、どの様な意味付けがなされているのか、極めて興味深い。
昭和19年。
高知の田舎で床屋を営んでいた清水豊松(中居正広)は、妻の房江(仲間由紀恵)と息子の健一(加藤翼)を残して出征する。
新兵として激しい訓練の日々を送っていたある日、豊松の部隊は撃墜されたB-29搭乗員の捜索に駆りだされる。
山中で瀕死の米兵が捉えられるが、司令部からの「米兵を適切に処置せよ」という命令を「処刑せよ」という意味だと受け取った指揮官によって、豊松は縛られた米兵を銃剣で刺殺するように命じられる。
やがて戦争が終わり、復員して家族と平穏に暮らしていた豊松の元へ、突然米軍のMPが訪れ、豊松は捕虜を殺した戦犯容疑者として逮捕されてしまうのだが・・・
元々オリジナルは、1958年に現在のTBSの前身であるラジオ東京テレビが放送したフランキー堺主演のテレビドラマで、翌1959年に同じくフランキー堺主演、橋本忍監督作品として映画版が作られている。
テレビドラマとしては、1994年にも所ジョージ主演でリメイクされており、今回の映画化は通算四度目の映像化となる。
なお同タイトルのドラマが昨年日本テレビ系でも作られているが、こちらは橋本忍と原作権を巡って長年裁判を繰り広げた加藤哲太郎の著作を直接の原作としており、内容的にも橋本版とは大幅に異なるため、別の作品と考えるべきだろう。
タイトルの「私は貝になりたい」とは、処刑される豊松が家族に残した遺書の中で、最期に語られる一文である。
絶対服従の命令に従っただけで、実際には捕虜を殺してすらいない豊松が、自らに降りかかった理不尽な運命に対して、もし生まれ変わってももう人間にはなりたくない、戦争の無い深海の貝になりたい、という悲痛な心情を吐露した言葉だ。
不朽の名作とされているオリジナルのドラマだが、実は脚本を読んだ黒澤明は「橋本よ、これじゃあ貝にはなれんのじゃないか」と感想を述べたと伝えられており、黒澤組の同僚だった菊島隆三も同様の苦言を呈していたらしい。
一度完成させた脚本は、基本的に手をつけないという橋本忍が、今回半世紀ぶりに本格的なリライトに踏み切ったのは、どうやらこの黒澤の言葉が彼自身の中でも引っかかっていたからの様だ。
私がオリジナルのドラマを観たのは、25年ほど前に再放送された時の事だと思う。
あまりにも理不尽な運命に翻弄される豊松の姿に、深く心を打たれたものの、観終わった時に何かモヤモヤしたものが残ったのを覚えている。
中学生だった私には、それがなぜなのか良く判らなかったのだが、後に観直して理解出来た。
オリジナルでフランキー堺が演じた豊松は、最初からずっと希望を失っていない。
自分は処刑されるような事はしていないし、判決は何かの間違いだ、米軍もそのうちきっと判ってくれると思い続けているのである。
それゆえに、刑務所の房を移る事を命じられた時、自分は減刑されて助かるんだと思い込み、実際には処刑が執行される事を知った時に、深い絶望に突き落とされ、タイトルとなる遺書を残すのだが、この遺書の中で豊松は自らが捨て去りたい人間社会の思い出に、愛しているはずの妻子も含めているのである。
中学生の私は、豊松の遺書に同情しながらも、家族に対する裏切りを同時に感じ取って戸惑ったのだろうと思う。
黒澤明の言葉の真意は、今となっては判らないが、私も物語の流れから豊松の心情を考えれば「貝」にはならないだろうなと感じたのは事実だ。
もっとも、最愛の家族にすら背を向けるほどの絶望感に豊松が陥ったと言う解釈も出来るし、橋本忍がこの言葉を最期に持ってきた意図はそちらではないかという気もしている。
今回のリメイクでは、深海の貝になりたいというイメージを補足するために、豊松の暮らす街外れの岬から見える海の映像を、象徴的に使っている。
豊松の人生の節目節目に描写される岬は、帰るべき家と外界とを隔てる境界のイメージだろうし、ここから見た海の映像にインパクトがあるおかげで、ラストで人間社会への絶望が海底の貝へと転化する事は自然に感じられる。
しかし、個人的には豊松の遺書の持つ裏切りの印象は、かえって増幅されてしまっているように思える。
それはオリジナルに比べると、痛々しいくらいに献身的な妻、房江の比重が増している事と、刑務所での豊松が希望と絶望を半々に持ち合わせているキャラクターに描写されている事で、最期の絶望感への落差がオリジナルよりもむしろ和らいでいる事が原因だろう。
遺書の中の「房江や、健一のことを心配することもない」という部分には、やはりそりゃないよと思わざるを得なかった。
この遺書は、加藤哲太郎の「狂える戦犯死刑囚」からの引用なのは、裁判沙汰になった事でよく知られているが、元になった文章の妻子に言及した部分とは、若干ニュアンスが異なっている。
もっとも、ラストのモヤモヤは相変わらずながら、映画としての完成度は高く、執筆後半世紀を経た物語も、その意義を失っていない。
人間にとって世界がより小さく、そして複雑に絡み合った現在、「平和と人道に対する罪」を問う事の難しさはむしろ実感を増しているのではないだろうか。
戦争が単に物理的な破壊だけでなく、様々な形で人間を翻弄し、絶望を植えつける残酷なものだと言う事も、強いリアリティを持って描写されているし、物語上妻の比重が増えた事で、臭いものには蓋をして忘れ去ろうとする日本社会の歪みもしっかりと印象に残る。
福沢克雄の演出は風格もあり、テンポも良く、2時間20分の間スクリーンから目を離せないし、体重を9キロ落として豊松役に挑んだ中居正広、夫を救うために行動する房江を演じた仲間由紀恵は予想以上の好演と言える。
ただ、テレビ番組のつながりを露骨に感じさせるゲスト出演者の使い方や、演出と役者の芝居だけで十分エモーショナルなのに、喧しさを感じさせるくらいに鳴り響く久石譲の音楽は少々テレビ的な過剰さを感じさせて余計だった。
今回は、豊松が帰りたかった高知の代表的な酒「酔鯨 吟麗 純米吟醸」をチョイス。
高知の地酒らしく端麗で軽快。
フレッシュな吟醸香も心地よく、適度な酸味も食欲を高めてくれる。
美味い肴と一緒に、グイグイと飲んでしまいそうな酒だ。
太平洋を悠々と泳ぐ鯨の姿は、あの岬からも見えたに違いない。

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この記事へのコメント
≫遺書の中の「房江や、健一のことを心配することもない」
という部分には、やはりそりゃないよと思わざるを得なかった。
たしかに私もそう思いました(苦)。
乱暴な言い方をすれば・・・絶望の中で書いた遺書とはいえ、
あまりにも自己中心的すぎるなあと。
でも実際のところ、あんな状況に陥ったら、もう何も考える余裕
さえないのももしかしたら当然のことなのかも。
しかし・・・あの遺書が無事に家族のもとに届いたとして、
それを読んだ妻や子供たちはどんな風に感じるのだろう?と
やりきれない気持ちにもなりますです。
という部分には、やはりそりゃないよと思わざるを得なかった。
たしかに私もそう思いました(苦)。
乱暴な言い方をすれば・・・絶望の中で書いた遺書とはいえ、
あまりにも自己中心的すぎるなあと。
でも実際のところ、あんな状況に陥ったら、もう何も考える余裕
さえないのももしかしたら当然のことなのかも。
しかし・・・あの遺書が無事に家族のもとに届いたとして、
それを読んだ妻や子供たちはどんな風に感じるのだろう?と
やりきれない気持ちにもなりますです。
2008/12/01(月) 16:17:43 | URL | 睦月 #-[ 編集]
もやもや感の正体が、ノラネコさんの記事を読んでいくらかわかりました。なっとくのいかない死地に向かわざるを得ないとき、人はすべての物(者)と断絶をするほかはないということでしょう。しかし、それはとても哀しい最期です。理不尽な処遇を受ける元となった戦争。それは今も、どこかで継続していることにいたたまれなくなります。
私は、高知の隣、愛媛の出身なのですが、「私は貝になりたい」を観たことがないんです。
有名な言葉なので知ってはいるのですが、映画の内容までは知りませんでした。
この記事を読んで、益々観たくなりましたよ。
中居さんや仲間さんの演技も、好演だそうなので、期待がもてますね。
観たら感想を書こうと思います。
良い情報、ありがとうございました。
有名な言葉なので知ってはいるのですが、映画の内容までは知りませんでした。
この記事を読んで、益々観たくなりましたよ。
中居さんや仲間さんの演技も、好演だそうなので、期待がもてますね。
観たら感想を書こうと思います。
良い情報、ありがとうございました。
ノラネコさんこんばんわ♪TB&コメント有難うございました♪
半世紀も前ですから当然オリジナルは見た事ないので比較とか出来ませんが、それでも個人的には反戦を強く呼び掛け、学ぶ所も多かった作品でしたね。
特別戦争描写や酷な場面などが多く映し出されていたわけではありませんが、それでも豊松が枯れたような声で悲痛に読み上げる『貝になりたい』という文の内容から、人間不信になる位戦争は愚かな行為だという豊松の心情が見る側にもひしひしと伝わってくる感じがしました。
半世紀も前ですから当然オリジナルは見た事ないので比較とか出来ませんが、それでも個人的には反戦を強く呼び掛け、学ぶ所も多かった作品でしたね。
特別戦争描写や酷な場面などが多く映し出されていたわけではありませんが、それでも豊松が枯れたような声で悲痛に読み上げる『貝になりたい』という文の内容から、人間不信になる位戦争は愚かな行為だという豊松の心情が見る側にもひしひしと伝わってくる感じがしました。
>睦月さん
>あの遺書が無事に家族のもとに届いたとして、 それを読んだ妻や子供たちはどんな風に感じるのだろう?
そうなんです。
理不尽な運命を呪うのは判りますが、少なくとも彼の人生は全然つまらなくは無いですよね。
絶望がいくら強くても、ああいう遺書にはならないんじゃないかと思います。
「貝にはなれない」ままですけど、遺書の部分をいじるとタイトルが変わってしまうし、「貝になれる」様にすると、物語が前面書き直しになってしまう。
難しいところだと思います。
>朱色会さん
もやもやは残りましたけど、作品そのものは十分に意義深いものでした。
弱者が直面する理不尽な運命というのは、戦争はもちろんですが、人間社会の歪みとして、色々な局面で噴出している物ですよね。
キャラクターの立場や設定を置き換えて考えると、今の世にも結構当てはまる部分はあるのではないかと思います。
>亮さん
実際には高知と全国色々な所を組み合わせてロケーションしている様ですが、主人公の郷愁をそそる美しい風景は見ものでした。
良い映画であることは間違いないですから、是非御覧になってください。
>メビウスさん
旧作とは細部は結構異なるのですけど、全体のイメージはさほ違わないです。
それはやはり、良くも悪くもラストの遺書のインパクトが全体を支配するという事でもあるのですけどね。
今回の一番の驚きは中居正弘の好演でした。
フランキー堺とは明らかに異なる豊松像なのですが、これはこれで彼ならではの見事なキャラクター造形になっていたと思います。
>あの遺書が無事に家族のもとに届いたとして、 それを読んだ妻や子供たちはどんな風に感じるのだろう?
そうなんです。
理不尽な運命を呪うのは判りますが、少なくとも彼の人生は全然つまらなくは無いですよね。
絶望がいくら強くても、ああいう遺書にはならないんじゃないかと思います。
「貝にはなれない」ままですけど、遺書の部分をいじるとタイトルが変わってしまうし、「貝になれる」様にすると、物語が前面書き直しになってしまう。
難しいところだと思います。
>朱色会さん
もやもやは残りましたけど、作品そのものは十分に意義深いものでした。
弱者が直面する理不尽な運命というのは、戦争はもちろんですが、人間社会の歪みとして、色々な局面で噴出している物ですよね。
キャラクターの立場や設定を置き換えて考えると、今の世にも結構当てはまる部分はあるのではないかと思います。
>亮さん
実際には高知と全国色々な所を組み合わせてロケーションしている様ですが、主人公の郷愁をそそる美しい風景は見ものでした。
良い映画であることは間違いないですから、是非御覧になってください。
>メビウスさん
旧作とは細部は結構異なるのですけど、全体のイメージはさほ違わないです。
それはやはり、良くも悪くもラストの遺書のインパクトが全体を支配するという事でもあるのですけどね。
今回の一番の驚きは中居正弘の好演でした。
フランキー堺とは明らかに異なる豊松像なのですが、これはこれで彼ならではの見事なキャラクター造形になっていたと思います。
2008/12/03(水) 00:12:30 | URL | ノラネコ #xHucOE.I[ 編集]
『模倣犯』の時の中居君は、少々残念な印象でしたが、今回は迫真の演技という言葉がふさわしい熱演でした。手紙のシーンでの視線は本当に恐ろしかったです。仲間由紀恵も、肝っ玉母ちゃんをしっかり演じていましたね。
>「房江や、健一のことを心配することもない」
僕もこの言葉には違和感がありました。彼の絶望の深さは理解できますが、あそこは「房江や、健一に心配をかけることもない」にした方が良かったと思います。
>「房江や、健一のことを心配することもない」
僕もこの言葉には違和感がありました。彼の絶望の深さは理解できますが、あそこは「房江や、健一に心配をかけることもない」にした方が良かったと思います。
>えめきんさん
「模倣犯」の時は彼の演技がどうこう以前に、映画自体が絶望的に酷かったですね。
今回は、作品のクオリティは高いので、彼も十分魅力を引き出されていたと思います。
>あそこは「房江や、健一に心配をかけることもない」にした方が良かったと思います。
なるほど、確かにそれだけでニュアンスが変わりますね。
橋本忍に読ませてあげたいなあ。
「模倣犯」の時は彼の演技がどうこう以前に、映画自体が絶望的に酷かったですね。
今回は、作品のクオリティは高いので、彼も十分魅力を引き出されていたと思います。
>あそこは「房江や、健一に心配をかけることもない」にした方が良かったと思います。
なるほど、確かにそれだけでニュアンスが変わりますね。
橋本忍に読ませてあげたいなあ。
2008/12/08(月) 23:39:12 | URL | ノラネコ #xHucOE.I[ 編集]
中居くんの演技は素晴らしかったと思います。
あの遺書は,オリジナルの時もそうでしたが
あのセリフだけで涙が出てしまうくらい絶望を感じます。
そしてその絶望から呆けたようになってしまう中居くんの表情はすごかったです。
「妻子のことを心配することもない」というセリフは私も
あれっと思いました。
↑の方がコメントされてるように「心配をかけることもない」だったら
ベストでしょうね~。
実際の中居くんは処刑間際まで妻子の写真を握り締めていたわけですし
あの遺書のあの台詞だけは違和感ありますよね。
あの遺書は,オリジナルの時もそうでしたが
あのセリフだけで涙が出てしまうくらい絶望を感じます。
そしてその絶望から呆けたようになってしまう中居くんの表情はすごかったです。
「妻子のことを心配することもない」というセリフは私も
あれっと思いました。
↑の方がコメントされてるように「心配をかけることもない」だったら
ベストでしょうね~。
実際の中居くんは処刑間際まで妻子の写真を握り締めていたわけですし
あの遺書のあの台詞だけは違和感ありますよね。
2008/12/14(日) 02:04:38 | URL | なな #-[ 編集]
遺書の中の「房江や、健一のことを心配することもない」たしかに、そこの文章は引っかかる所もありますよね。
今回の映画において、そのモノローグの部分が遺書の内容ではなく、私は主人公のつぶやきとしてとってしまいました。
もし 遺書になるなら、家族のすぐ近くにある海の底の貝になりたいとしてほしい所はありますよね、、。
今回の映画において、そのモノローグの部分が遺書の内容ではなく、私は主人公のつぶやきとしてとってしまいました。
もし 遺書になるなら、家族のすぐ近くにある海の底の貝になりたいとしてほしい所はありますよね、、。
>ななさん
私はオリジナルを何度か観ていることもあって、今回はより冷静に観る事になりました。
結果的にシナリオの問題点はやはり解消されていないという事を、より明確に感じてしまったわけですが、それを差し引いても良い映画だったと思います。
中居くんは今までのベストアクトですね。
方向性は違いますが、オリジナルのフランキー堺にも負けていないと思います。
>コブタさん
>もし 遺書になるなら、家族のすぐ近くにある海の底の貝に
>なりたいとしてほしい所はありますよね、、。
たぶん、演出の考えとしてはそういう事だとおもうんですよね。
あの岬を映像的に強調していたのには、「貝になりたい」という言葉への布石という意味もあったでしょう。
ただ、近場の海で家族を感じていたいという事にすると、人間への絶望から、全てを捨てて人間を感じない深海の貝になるという事とは、ある意味間逆なので、物語の抱えるジレンマは結局解消されないだろうなあという気がします。
私はオリジナルを何度か観ていることもあって、今回はより冷静に観る事になりました。
結果的にシナリオの問題点はやはり解消されていないという事を、より明確に感じてしまったわけですが、それを差し引いても良い映画だったと思います。
中居くんは今までのベストアクトですね。
方向性は違いますが、オリジナルのフランキー堺にも負けていないと思います。
>コブタさん
>もし 遺書になるなら、家族のすぐ近くにある海の底の貝に
>なりたいとしてほしい所はありますよね、、。
たぶん、演出の考えとしてはそういう事だとおもうんですよね。
あの岬を映像的に強調していたのには、「貝になりたい」という言葉への布石という意味もあったでしょう。
ただ、近場の海で家族を感じていたいという事にすると、人間への絶望から、全てを捨てて人間を感じない深海の貝になるという事とは、ある意味間逆なので、物語の抱えるジレンマは結局解消されないだろうなあという気がします。
2008/12/15(月) 23:41:11 | URL | ノラネコ #xHucOE.I[ 編集]
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軽くはないが,重くも無い・・・。
2008/12/01(月) 17:47:23 | Akira\'s VOICE
床屋が主人公なので注目作です。
2008/12/01(月) 19:08:57 | ぁの、アレ!床屋のぐるぐる回ってるヤツ!
「私は貝になりたい」は1959年に故フランキー堺主演で映画化された作品のリメーク版で理髪店を営んでいた男が赤紙が届いた事により軍隊に入隊し、入隊時にアメリカ兵を殺した罪に問われ死刑判決を受けて死刑囚として刑務所での日々を綴ったストーリーである。戦争によ...
2008/12/01(月) 23:16:55 | オールマイティにコメンテート
伝説的TVドラマを名脚本家・橋本忍が自ら改訂して再映画化したのが本作。理髪店を営む清水豊松は、突如、戦犯として逮捕される。軍隊の非情な実態や、弱者に犠牲を強いるB・C級戦犯裁判の不公正に、誰もが怒りを覚えるだろう。この物語がTV草創期の1958年に生まれた...
2008/12/01(月) 23:44:39 | 映画通信シネマッシモ☆プロの映画ライターが贈る映画評
【監督】福澤克雄
【出演】中居正広/仲間由紀恵/柴本幸/西村雅彦/平田満/武田鉄矢/伊武雅刀/六平直政/荒川良々/笑福亭鶴瓶/上川隆也/石坂浩二/...
2008/12/02(火) 02:15:33 | シネマをぶった斬りっ!!
(2008年・東宝=TBS/監督:福澤 克雄) 1958年、テレビ黎明期の同名秀作ドラマ(演出:岡本愛彦)の、2度目の劇場版リメイク。同作の脚本を手掛けた橋本忍が、50年ぶりに自ら
2008/12/02(火) 23:28:31 | お楽しみはココからだ~ 映画をもっと楽しむ方法
戦争が一市民にもたらす悲劇の名作。数々の黒澤明監督作品に参加した橋本忍氏の脚本で知られる、一兵士として戦争に巻き込まれた市民の悲劇と切なさを描いた、昭和33年制作の名作ドラマが、橋本氏自身の改訂により、完全版としてスクリーンに登場。
物語:高知の港町で...
2008/12/02(火) 23:50:39 | パピ子と一緒にケ・セ・ラ・セラ
JUGEMテーマ:ニュース
2008年11月22日 公開
石坂浩ニに歌唱指導する中居君!
ひぃ~やぁ~、これ、予告で断片的に観てた時には、中居君の妙にチカラの入った演技に笑えてたりしてて・・・。
で、なんかちょっと斜に構えて観てみたら!
いや?...
2008/12/03(水) 09:10:50 | UkiUkiれいんぼーデイ
監督:福澤克雄原作:加藤哲太郎脚本:橋本忍出演:中居正広、仲間由紀恵、笑福亭鶴瓶、草なぎ剛、上川隆也、石坂浩二予告を見る限りでは、スルーするはずの映画だった。膨大な宣伝費にイヤになっただけではなく、中居の演技が、いかにも大仰で、大根演技を見たくなかった...
2008/12/05(金) 23:31:50 | 再出発日記
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2008/12/06(土) 02:15:44 | 茸茶の想い ∞ ~祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり~
昭和19年。土佐で理髪店を営んでいた清水豊松の元に赤紙が届き、豊松は妻と幼い子供を残して出兵する。終戦後。生きて土佐に戻り、再び理髪店で働いていた豊松だったが、そこに米兵が押しかけ、豊松は戦犯容疑で逮捕される。彼に下された判決は、捕虜を殺害した事による...
2008/12/06(土) 08:09:17 | 5125年映画の旅
☆元の映像化はテレビドラマで、私は、20年前くらいに、TBSの開局○周年だかの特別番組で、そのフランキー堺主演版のダイジェストを見た。
その番組では、筑紫哲也の正統な後継者っぽい関口宏(^^;)が、TBSの社是に沿った左翼的な括りで紹介していたと思う...
2008/12/09(火) 17:48:01 | 『甘噛み^^ 天才バカ板!』
戦犯となり絞首刑を宣告される一人の男性の物語です。
2008/12/09(火) 22:24:12 | 水曜日のシネマ日記
【監督】 福澤克雄 【原作】 加藤哲太郎 【脚本】 橋本忍
【配給】 東宝(2008年) 【主題歌】 Mr.Children 『花...
2008/12/11(木) 09:59:45 | +++ Candy Cinema +++
高知の港町で細々と理髪店を営む清水豊松は昭和19年に招集されるが、終戦後、無事に家族のもとへ帰ってくる。しかし、平和な暮らしを取り戻したかに見えた矢先、MPに戦犯として逮捕される。従軍中、上官に捕虜処刑を命ぜられたのだった。拒めば自分の命がないことを占領軍に
2008/12/11(木) 17:10:34 | 映画な日々。読書な日々。
今週の平日休みは「109シネマズ川崎」で2本。
年末あたりになると、シネマ会員の付与ポイントが倍になるって特典があったので、
ちょっとラッキーな気分。
2008/12/12(金) 03:59:48 | ★☆ひらりん的映画ブログ☆★
フランキー堺さん主演のオリジナルドラマは,中学生のとき,ハイライトシーンをテレビでちらりと見た記憶がある。(たしか懐かしの名作ドラマとかいう特集で)そのときに感じた,やりきれないほどの重さ,暗さ,そして哀しさは鮮明に覚えていて,フランキーさんの「生まれ...
2008/12/14(日) 02:06:36 | 虎猫の気まぐれシネマ日記
★★★☆ 昭和30年代に、フランキー堺主演で放送された伝説的な名作TVドラマの、リメイク映画である。僕は小さい頃に、このドラマを祖母の家のTVでみた記憶がある。当時子供だった僕には当然全く興味がなく、ただ祖母が真剣に観ていたので、仕方なく横で寝転がって嫌
2008/12/14(日) 15:15:41 | ケントのたそがれ劇場
期待値: 75% フランキー堺が演じた戦争映画のリメイク 出演: 中居正広、仲間由紀恵、柴本幸、西村
2008/12/14(日) 21:41:23 | 週末映画!
テレビドラマの歴史に伝説を刻んだ名作「私は貝になりたい」をリメイクしたものというが、私自身この「貝になりたい」という言葉だけが知っ...
2008/12/15(月) 21:47:35 | コブタの視線
【映画的カリスマ指数】★★★★☆
戦争が残した悲劇の一幕
2008/12/16(火) 14:27:28 | カリスマ映画論
オリジナルのフランキー堺主演は未見です。でも、中居君の演技に不安があった私ですが、いや、大丈夫との評判を聞いて救いのない結末も承知の上で思い切って行きました。一言で言って、邦画をめったに褒めない私ですが、これは褒めたいと思うような作品になっていました。...
2008/12/16(火) 15:23:36 | ももママの心のblog
▼動機
ジャニーズリメイクプロジェクト2008最終章
▼感想
Mr.Childrenの主題歌さえなきゃいい映画だったのに
▼満足度
★★★★☆☆☆ それなり
▼あらすじ
本土防衛のために従軍していた清水豊松(中居正広)は、終戦を迎え家族の元へと帰ってきた。平凡でも幸...
2008/12/23(火) 10:39:55 | 新!やさぐれ日記
2008年:日本
原作:加藤哲太郎
監督:福沢克雄
出演:中居正広、上川隆也、織本順吉、西村雅彦、柴本幸、加藤翼、マギー、片岡愛之助、梶原善、名高達男、浅野和之、泉ピン子、山崎銀之丞、金田明夫、平田満、武田鉄矢、草なぎ剛、笑福亭鶴瓶、荒川良々、伊武雅刀、六...
2010/03/19(金) 15:22:33 | mama
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